日記
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昨日20日、とうとう戦争が始まってしまった。 イラク攻撃に賛成した国。反対した国。 武力行使に賛成した国だけが悪いわけじゃなく、 反対した国も賛成した国に対して、イラクを攻撃する ことが唯一最善の解決手段ではないということを 示しきれなかったのも原因なんだろうなと思う。 反対するなら、賛成するものの意見を覆すだけの 持論をもってしなければ太刀打ちはできない。 それとも、やっぱり国の力関係のせいなのかな。 難しいことはよくわからないけれど、 戦争は正しくない。それはわかる。 国と国が戦うことは罪のない国民を巻き添えに してしまうことを避けることができない。 イラクの偉い人たちとアメリカ・イギリスの偉い人たち、 その人たちだけが面と向かって素手でケンカしてくれ。 その国の人たちみんなが分かり合えない人たちばかりじゃ ないんだよ。悪い人たちばかりじゃないんだよ。 最小の犠牲で最大の効果?犠牲になるのはあんたたちじゃ ないだろうが。あんたらの代わりに誰かが犠牲に なってるんだろうが。あんたら頭良いんだろうが。 平和的解決策をもっと考えたらいいのと違うか?
人の命を奪う、環境を破壊する、そんな戦争が 一日も早く終わりますように・・・。
携帯がお釈迦になった模様・・・。 この携帯を使い始めて1年ちょっと。 僕は通話よりもメールで使うことのほうが多く、 そのメールも仕事中は使えないから、 そんなに頻繁に携帯を使うわけではないんだけど、 少し前から充電は一日おきにしないとすぐに 電池マーク(?)が一つになるようになってた。 それでもまあそのまま使えるなら長く使おうと 思ってはいたんだけど・・・。 こういうのは突然やってくるもんだねぇ。 今日も例のように電池マークが一つになったから、 「ささ充電しましょ」とばかりに充電器につないだ。 すると、いつもなら充電中は点灯しっぱなしに なるはずのイルミネーションウィンドウが、 今日は点いたり消えたりと点滅していた。 おかしいなぁと思いつつ、そのままにしていると 「ピーッ」という音が。 慌てて開いてみるとそこに表示されていたのは 「電池を充電してください」というメッセージ。 「だから、充電しとるっちゅーねん!」と自分で 携帯に突っ込みを入れながら、とりあえず電源を 落として充電してみることに。 ところが相変わらず点滅は止まらず、充電器が おかしいのかと直接つないでみても同じ状態。 これじゃ充電できないよ〜o><)oモォォォォ〜ッ!! 充電できなかったら使えないじゃん・・・。 こんなの予定外だよ〜〜(´・ω・`)ションボリ
明日の予定 携帯を変えに行くことφ( ̄_ ̄;)
| 2003年03月17日(月) |
相変わらずやってます |
その1 吸殻が山盛りになった灰皿。 僕はいっぱいになるまでなかなか捨てない。 そろそろ捨てなきゃな〜と思いつつ、ほんの少しの 油断のために、捨てなきゃ〜の思いが後悔に変わった! あっ!と思った瞬間に手がすべってその中にライターがドボン! 案の定たまりにたまったタバコの灰が灰皿からドバッと 溢れ出る。おまけに僕の鼻息でその灰が周りに飛ぶ( ̄‥ ̄)=3 フン 白いマウスパッドが灰色に染まった瞬間でした(T▽T)
その2 ペットボトルに入ったコーヒー。 キャップを外したままこんなところに置いとくと こぼすだろうな〜〜と思いつつ、ほんの少しの 油断のために、その予想が大当たり!(おめでとう) あっ!と思った瞬間に手が当たってペットボトルが倒れた。 問題はそのあと。慌てて倒れたペットボトルを起こそうと 持った瞬間、持った勢いでボトルが揺れてコーヒーが ドボドボと流れ出す・・・(/≧◇≦\)アチャー!! しかも大事な帳面の上に・・・。 白い帳面が茶色に染まった瞬間でした( ̄□||||!!
家にある数個のダンボール箱・・・。 片付けなきゃなって思いながら、ずっと手付かず。 中身は何かというと、父がいた施設から持って帰ってきた荷物。 父の品物はそれだけに限らず、前から家に置いてあった物とか、 たくさんあるんですけどね。 だから、箱から出してタンスにしまったりしなきゃって 思うんだけど、なんか触れない。 箱を開けるのがね、なんとなくイヤだったり。 現在に一番身近な父の思い出が詰まってるように思えて、 開けてしまうとそれがパーっと出ていっちゃうような気がして。 ええ、そんなの気のせいです。それはわかってるんだけど・・・。 ただ、まだそのまま置いておきたい。 家の中のあの空間にそのままそっと置いておきたい。 無造作にダンボール箱が数個置いてあるだけで、それを特に 眺めたりするわけでもないんですけどね。 だけど、いつも心の中で気になってて、「あの箱には・・・」 って思ってしまう。 思い出は心の中にしまったつもりで、心の中にいっぱいあるのに、 やっぱりまだ父の品物とは切り離せないんだなぁ。
って、なんだか怖げなタイトルですが・・・(^^;; チャゲアスの「YEH YEH YEH」を聞いてて思ったんですけどね。 「傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために」っていう歌詞があって、 なんだか、ハッとさせられちゃったんですね。 傷つけられて泣き寝入り(?)するのは、自分を失くすことに つながるんだなぁって・・・。 で、こんな日記のタイトルになっちゃったわけです。 「目には目を、歯に歯を」じゃないけど、やられたらやり返すというか、 「傷つけられたら牙をむけ」っていうのは、そういうことなのかなぁって思って。 傷つけれられて、「こんなに悲しいんだよ。こんなにイヤなんだよ」って 言葉にしたとしても、本当の気持ちは伝わらないかもしれない。 人の感じ方はそれぞれだし、それに・・・実際にその気持ちになってみないと わからないことってあるから・・・。 「悲しかったりイヤなことされたら、同じ思いを相手にもさせて、 それでどんな気持ちなるのか教えないと相手にはわからないよ、 そうじゃないとまた同じことされるよ」って考え方も 確かに間違いではないんだろうなって思う。 けど・・・でも・・・そんなことするのってどうなんだろう・・・。 自分が傷つけたからって同じように相手を傷つけて、 自分がしたのと同じイヤな思いさせて・・・。 傷つけられたら傷つけ返してもいいってことはないよね。 傷つけ返したら自分を失わないってことでもないよね。 立ち向かうことは大切だと思うんだ。 理不尽なことに屈することはないと思うし、戦いを挑まれたら戦えばいい。 用は「戦い方、姿勢」なんだろうな。「牙をむけ」っていうのも そういう意味なんだろうね。 戦いにもね、負けるが勝ちっていうのもあるじゃない? やられたままでやり返さなくても、自分は傷つけられてイヤだったから 人には絶対にしないようにしようって思うのは、自分がないって ことじゃないと思うんだよね。勝ちってことじゃないかもしれないけど。 それに、逆に、そういう自分を自分はこうなんだって堂々と凛としてれば、 それは自分があるってことだよね。 やられてやり返さないことを「自分を失ういけないこと」だと思ってしまうと、 返って自分ってものを殺してしまうことにつながるかもしれない。 僕にも言えることなんだけど、自分が自分自身を一番よく見ているようで 案外見てないってことないですか? 「大きく自分を見て、小さく自分を見て、そうやってバランスよく 自分を見ることが大切なんだ」って話を聞いたことがある。 「大きく」っていうのは自分を外から客観的に見ること。 「小さく」っていうのは自分を中から主観的に見ること。 そういうことなんだろうなって思いながら聞いてた。 主観的にはすごく自分が見えていてよくわかっていても、 客観的に見ることはあまりできてなかったりするような気がする・・・。 もっと客観的に自分を見ることができたら、もう一人の自分が 自分を見れるようになれたら、自分自身のことを不当に貶めるような ことも卑下しすぎることもないのかもしれない。 自分の中の感情だけにとらわれて自暴自棄になったりせずに、 冷静な目で自分を判断(評価?)できるようになるのかもしれない。 そんなふうに思う。 あれ?なんだか話がそれてきたような気が・・・(ーー;) ま、いろいろ考えられたからいっか。 にしても、いったい何回「自分」って言葉がでてきたかな(^▽^;)
SMAPがいい歌を歌ってますよね。 「世界に一つだけの花」 まっきー槇原敬之の作詞・作曲です。 「そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 」 この歌詞を見て、武者小路実篤の言葉を思い出しました。 「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」 誰かが見てくれていても、誰も見てくれていなくても、 そんなことにとらわれずに自分という花を咲かせる。 たとえそれがどんなに小さな花だとしても、 一生懸命に自分の花を咲かせる。 シンプルだけどとても大切なことですよね。 自分らしく生きるというのは、結局こういうことを いうのかもしれない。そんなふうに思いました。
納骨は先月末に終わりましたが、実際には 今日が七七日(なななのか)で四十九日になります。 今日やっと父は母の元へ辿り着いたことになります。 仏壇に新しい花を供え、線香をあげながら、 「やっとお母さんのところに着いたね」と 二人並んだ写真に語りかけました。 あの世で写真の中のように二人寄り添っているのかな。 何話してるんだろう・・・なんて思ったりしました。 ウチの父親は優しいのが玉に瑕で、女の人にすごく 優しい人だったから、案外叱られてたりなんかして(o^-^o) ま、僕も四十九日になって安心したけど、父と母も 父が母の元に辿り着けて安心してるんじゃないかな。 父が亡くなって約1ヵ月半ちょい・・・。 なんか、あっという間に過ぎていったような気がする。 来週はもうお彼岸。お彼岸明けには桜も咲き始めるらしい。 お父さん、お母さん、温かい春はもうすぐだよ。
自信を持って、過信に陥るのはイヤ。 だけど、自信がないのもイヤ。 矛盾・・・(ーー;) 本当の自分を知れば、どんな自分であっても 自信を得ることはできるって言うけど、 果たしてヘタレな自分でも自信って持てるんだろうか。 あ、そっか。ヘタレでも自分にはこういうところがある っていうのを知って、それを自分で認められたら 自信を得られるっていうことなのかな。 自信は「ある」ものではなくて「育っていく」ものらしい。 だとしたら、自信が育っていくような生き方、考え方を していけばいいってことか。 自信が過信になるのがイヤなら、そうならないように 自分を戒めていけばいいってことか。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 この言葉のように、自信が育っていくほど自分に謙虚に なっていけばいいってことなんだよね。 うーん、僕の場合、 「実らずに根腐れしてる稲穂かな」 って感じかも・・・(-o-; ま、また新たな目標ができたことだし、今からでも せいぜい根腐れしたまま終わらないように頑張りたいっすね(^▽^;)
看板の文字とか商用車に書いてある文字とか、 まぎらわしいのってありますよね。 僕なんか、同じ看板なのに何回見ても 「アパート マンション」 って、並べて書いてある看板が、 「アンパンマンショー」に見えてしょうがない(なぜ?) 今日も、商用車のトラックに 「ごまたのだらは」って書いてるのを見て、 「ん?ごまた???」って思ってよく見たら、 「はらだのたまご」だったり・・・。 おまけにバス停の看板の文字をふと見たら、 「岡エロ」って書いてあったので、 「ん?おかえろ???」って思ったら、 それは「おかえろ」ではなく、 「岡工口(おかこうぐち)」だったという・・・(大汗) ったく、まぎらわしいったらありゃしない。 ってか、これって看板とかの文字がまぎらわしいっていうより、 僕がまぎらわしい見方してるだけか?(; ̄ー ̄)...ン?
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