ことば(下のほうに「その2」もあるよ)

っていうか、過去の日記から拾ったり
自分で「うんうん」って思える自分の言葉の寄せ集め


んと。
地球上に60億の人間が居て、
例えば自分が100歳まで生きたとしても
その60億の何割のひととも出会えない。
だから
出会いを大切にしたいと
思うのです


 

つよくなるってのはさぁ
やっぱ「受け入れる」ことなんかなぁって。最近。
イタイこととか一生懸命に見ないフリして
見えてないことにして
でもさ
そしたらこんどは
「なにもない」になっちゃうんだよぉ
したら「どうしよ?」ってことになるやん。

受け入れられないことなんて山ほどあるけど
目をそむけてばっかりもいられないじゃん
どうにか処理していかないと
不条理なことだろうがなんだろうが。

うまくいかないこともいっぱいだし
でも、たまーにうまくいくこともあるし。
だから、その「うまくいくほう」を見るように。
うまくいかないことがあるから、うまくいくことがあってさ。うん。

あきらめるのは簡単だけど
そればっかだと
ほんとに

なにもなくなっちゃうもんね

 


「馴れ合い」ってどうなんだろ?
誰かが弱ってたり、自分が弱ってたり
そんなときってやっぱり「支え合えたら」って
思うよね。
でも、
それが「馴れ合い」になっていって、
それに安心しちゃうのはいかがなものかと。

せっかく現実から離れてネットの中に居場所作って、
日記とか掲示板でいろいろ吐いて、
それってやっぱりどっかで「自分」で居たいと
思うからであって、
そのネットの中でも「ゴタゴタ」を避けるように
そんで「馴れ合い」になって行ったりするのって
ある意味「虚しい」と思う。思った。

ひと対ひとで関わるからには
お互いにお互いの価値観を尊重できたほうがよいわけで
それは必ずしも「同じ価値観」とかじゃなくてもよいわけで
なんていうか、
「同じ価値観」っていうのに慣れちゃって安心しちゃうのって
ある意味コワイよね。広がりがないし。

互いの価値観とか違っても
お互いにそれを認め合って、なおかつ自分の意見も持ったまま
仲良くしていけるのがよいなぁ。


さみしいとか
むなしいとか
やっぱり
そういうのは
いつもつきまとうけど
それでも
ぎゅーっとしてもらったり
手を繋いだり
そんなことで
束の間でも
紛らわせることができて
その「束の間」をつないでいくの。


何が自分を支えてくれるんだろ?
誰が自分を支えてくれるんだろ?
自分は自分を支えられるだろうか?

すべての関係を絶って
消えてしまいたくなる。
あ、
でも、消えてしまうのはさみしいから
どっか
地球の裏側で暮らすかも。

みんな自分勝手だから
それが人間だし。
それでいいと思うけど。
きっと
ひとから見たらウチだって
十分に自分勝手だし。
ひととひとなんて
そんなものなんだろう。

足掻いても
なにもかわらないから。
むなしくなるだけ


なにも、
独占できるものなんかないのに
ついつい勘違い
いや、期待とかそんなのかもしれないけど、
なんにしても
自分には自分の世界があって
相手には相手の世界があるのに
ついつい
相手も自分の世界に居るような気になって
だから
だから
自分の居ない相手の世界を
垣間見てしまったときに
すごくさみしくなる
あたりまえのことなのに
あたりまえのことなのに。
そんなの。


「生きていく力がこの手にあるうちは。。。」

どっかで聞いた言葉。
いいよね。なんか。

生きづらさって
誰もがどこかで感じてて
それをどうにかして気づかないようにしたり
紛らわせようとしたり
そんなんで
みんな必死なんだと思う。
もちろんウチも。

でも、生きづらさを
忘れたひとも多いんだろうね
いや、そういう感覚が「マヒ」しちゃってるひと
それはそれでそのひとだからいいんだけどね。

確かに
「感情なんてなくなってしまえば、さみしさとか悲しさも
感じなくてすむのに。。。あぁ、ロボットみたいに生きたい」
って
すごく思う事もある。そしてそれはかなり昔から思う事だけど。
やっぱりそういうのは無理なんだよね。
それは「人間」だから。

そう。
「人間だから。。。」
だから
だから
いろいろあるのかも。


2001/08/14(火) 18:48:00
支え ウチはこの頁に来るひとにいっぱい支えられてる。

でも、どうしょうもなく不安でさみしくて、さみしくて不安に なることがある。
「いっしょにいるよ」 どれだけこの言葉に救われたことだろう。
でもね、 でもね、 それでもさみしくなったり不安になったりする。
「ぎゅぅぅ」ってしてくれないと消えてしまいそうな感覚に襲われる。
それは 「いっしょにいる」って言ってくれるひとに対する裏切りなのかなって
すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 「さみしい」って口に出したら見放されちゃうかな?
って思う。 それでも「さみしい」って言ってしまう。 弱すぎだね。自分。
ひとりってなんでこんなにさみしいのかな? なんでこんなに不安なのかな?
見放されてしまいそうで、恐いよ。 ねぇ? 傍に居て。 ねぇ?


かってに
カテゴライズして
そんで所属欲求をふつふつとわかせてみたり。
だから苦しくなって
余計に居場所を見失うのに。。


あのね
がんばってるひとがそばに居ると
自分もがんばれると思わない?
お互いに「いい影響」を
与え合えない関係って
虚しいと思うのです。
「すごいなぁすごいなぁ」って
言ってるだけじゃダメだよね。
「近づこう」って思うの。
がんばるの。
そういうのも必要かな?って。
昨日の朝に思った。


自信がほしい
すごくこのことばを乱発してるね。ウチ。
よくないなぁ

はじめから「自信」なんて得られないよね
上を見すぎてるな。

もっともっと
目の前を見なきゃだ。

なかなかできない
「少しづつ」

中島美嘉のなんかのサイトに載ってた言葉なんだけど
彼女のデビュー当時の言葉で
「とにかく言われたことを守るしかないんですよ。今は」
「与えられたことができないのは負けた気がするじゃないですか」
・・・・「MIKANET」より引用

そうなんだよね
そういう時期って必要っていうか、なんていうか。

でもさ
この「与えられたこと」すらできないとき
どうしたらいいんだろうね
ほんと
うずくまるよ

「強くなりたい」って2年前から
いや、もっともっとまえから
思ってる。
きっと
それはずっと思い続けるだろうな
それは
「弱い」からじゃない。
逆に言えば
「強い」だけのひともいないでしょ?
つーか、居たとしたらそいつおかしいYO

もちろん
強い部分も弱い部分もあるの。
それを
わかったうえで
「強くなりたい」
っていうか
自分で自分をそう思えるようになりたい

あぁ。

自信がほしいんだろうな
いま思った。

 


支え合って生きることは必要だろうけど、無理に誰かと触れ合って生きる必要もないんだし、一人でいいやーって思わなくなるまでは一人でのーんびりすると良いと
思うですよ。それは寂しいヒトじゃなくて、自分で自分をきちんと支えることが出来るヒトじゃんじゃないかな、とも。

例えば自分の知らない所ででも、自分の大切な人間達が幸せで居て欲しいと思う心は一番シンプルでキレイな優しさ・暖かさだと思うから、

 


諦めたらそこでおしまいだし、年なんて関係ないし。と思うし。
体の年齢じゃないんだよ、心ん中の年齢だよ。
そこが若けりゃこれから何でも出来るでしょう?

世間って物差しなんてモンがあるのがネックだけどね。
そこをうまくスルー出来れば何でも出来るし自分の思い通りになるのさ。多分。

 


あったかいもの
欲しがる間は
まだ大丈夫



うん

 


じぶんから逃げないように

 


人生は椅子とりゲームじゃないのになぁ。
一人一人、みんな絶対的な存在

 


自分を高めるのは自分だけれど、なんでそんな風に自分のせいでない何かを持ち続けなければならないのかしら、と考えていたときに、人から、「乗り越えられないくるしみをかみさま(例えば)は与えたりしないよ。」といわれました。

 


だからまだまだやる、やりきる。乗り切ることとやりきることは、全然違う。
100通りの言い訳を用意して使える言い訳を全部使ってその場凌ぎで生きてたって楽しくないし、何も出来ないまま蹲って後悔と自己嫌悪にまみれてウジウジ腐るならいっそ舌でも噛み切って死んだほうがマシだ。

生きてるって感じてたい、笑ってたい、なら、やるしかない。

 


楽しんで、、自信と責任をもって。

その2

モドル