天才と呼ばれた男・高橋 徹

’83年4月、鈴鹿に鮮烈のレーサーがデビューした。
高橋 徹。
それまでは、後にF1レーサーとなった中嶋 悟が持っていた鈴鹿サーキットのコースレコードを
更新し当時、国内最高峰レースであったF2にデビュー戦でポールポジション。
決勝レースで2位に入賞すると言う快挙を成し遂げた。
誰もが天才の出現に驚異した。
彼の所属するヒーローズレーシングでは、昨年までトップレーサーで有った
星野一義の独立により2番手だった徹が抜擢されF2デビューとなった。
天才の出現にチームは沸き立った。
しかし、その後のレースではチームの期待と裏腹に
パッとした成績を上げる事が出来なかった。
徹は焦っていた。
’83年10月23日、小雨の富士スピードウェイ。
GCシリーズ最終戦。
GCとはグランドチャンピオンレース。前年使用したF2のシャーシに
エアロチューンを施したマシンを使用するレース。


ポールポジションの星野一義のGCマシン。第三グリッドからスタートの徹と同じくルーキーの萩原光。
奇しくも2人のルーキーが同じグリッドに。
この萩原も後に、20代の若さでテスト走行中に事故死。



フォーメーションラップの後、各車グリッドイン!
シグナルタワーが赤から青に点灯。
各マシン一斉にスタート!


画面左、路肩から2番手を狙う徹マシン。第一コーナーを星野のマシンに
次いで2位で通過する徹マシン。
この路肩からの2位狙いは徹の焦りを感じる。



一周目の最終コーナー。当時の富士の最終コーナーは最高速で
走れる悪魔のコーナーと呼ばれていた。
ホームストレートを通過するGCマシン。1週のラップを測るカウンターが表示される。
このカウンターが運命のカウントとなってしまう。

2週目。悪魔のコーナーを1位で走る、星野マシン。2位で追う徹マシン。

突然、挙動を失う徹マシン。
ウイングカーは正面を向いて走ると強力なダウンフォースが得られるが
逆走するとダウンフォースが急激に減り空中高く舞い上がってしまう。

シャーシ裏面に強力なダウウンフォースを生むスリットが見える。
車は運転席から観客席に突っ込む最悪の事態となった。



左:事後直後の徹マシン。運転席には徹選手が。。。中央:レスキュー隊よって救急車に運ばれる徹選手。
右:運転席が無惨に砕けた徹マシン。
この事故で徹は短い生涯を終えました。観客にも犠牲者が出る大惨事となってしまいました。

フォーメーションラップ直前の徹選手の表情。
何を思う?
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スピードを追求するあまり強力なダウンフォースを生む
ウイングカーが開発されました。
車重が600kgそこそこのマシンに2t近くのダウウンフォースを発生させ
限界速度を出す為に設計されたエアロボディ。
しかし逆走するとそのダウウンフォースが揚力となってしまう為
コントロールを失った時の危険性はすでに多くのレーサーから指摘がされていたのです。
高橋 徹は本当に天才レーサーだったのでしょうか?
レースは1週のタイムでは何の評価も出来ません。
30週のドラマをコントロール出来るようになって初めて1流になれるのです。
翌年、富士の悪魔の最終コーナーはシケインが設置され
車のシャーシはフラットボトムと成りウイングカーは全面禁止と成りました。
犠牲者が出ないと対策が出ない、と言うのは世の常なのでしょうか?
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