爆走!ウイリアムス・ホンダ
’82年2月、鈴鹿サーキットにて。
当時F−2(現在のF3000に当たる)で無敵を誇ったHONDAの6気筒DOHC。
このエンジンは本場ヨーロッパのF−2の規格を変えてしまった。
HONDAエンジン搭載車に勝てないヨーロッパ勢は、度重なるレースの規格変更を強いられた。
国内F−2レースでは、後に日本人初のF−1ドライバーとなる中嶋 悟がHONDAエンジン搭載車と共に
国内最強の座をキープしている時代でした。
HONDAは’64〜’68年に国産メーカーしては初のF−1を開発し優勝を物にしている。
F−2で無敵を誇ったHONDAが今度はエンジン供給メーカーとして再びF−1に復帰した。
RA164E。1.5リットルV6・DOHC/PGM−FI付きツインターボエンジン。
最高出力650ps。

↑鈴鹿のストレートを猛スピードで駆け抜ける。
このエンジンは当初はF−2ボディ(ラルト)に搭載されプロトタイプとして
テスト走行を行っていました。
合わせて鈴鹿でのF−1日本グランプリを目指し鈴鹿サーキットの改修工事も行われていた時代です。
そして、HONDAがF−1参戦となる前の年にウイリアムス・ホンダとして
完成したマシンの公開走行が行われたのです。
当時としては珍しいビデオカメラを職場の先輩が所有していたためその勇姿は
炸裂する爆音と共に私のコレクションになっています。


↑スターティンググリッドに着くウイリアムス・ホンダ(左) ↑最終コーナーを立ち上がりストレートを爆走!
この当時はエンジンはフルブーストになっていませんが
最高出力600psで第一コーナーで280km/hを出していました。


↑’64年から活躍したホンダF−1とそのコクピット。

↑爆走するマシンを一眼レフで撮影する管理人。
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F−1で実績を得たホンダは市販エンジンにもDOHCを復活させる。
そのDOHCはF−1と同じデザインのカムカバーが装着され
従来のDOHCの常識を覆す、ロッカーアームでバルブを駆動し
ロングストロークと、燃費重視のOHCと同じ規格に成っていた。
しかし、そのパワーは基本的に同じバルブ駆動方式のF−1で証明されているため
多くのユーザーに受け入れられたのでした。
私はホンダのDOHCファンなのですが、
何故か今まで一度もオーナーに成った事がないのです。
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