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ガキはわめいてこそ、ガキなのだ 〜 子供理論 〜
こんな言葉を耳にした事はないだろうか・・・・「大人は子供が思うほど、大人じゃない」
別にこの言葉を否定的に見ているわけじゃないが、やはり変人としては、そのまま受け入れられない。
そのまま受け入れられないからこそ、変人と言われる所以なのかもしれないが。。。
ちょっと自分で冷静に問題定義から色々と派生を重ねて、考えてみた。
自分が小さかった頃から初めて。。。。
今、俺は28歳になり、普通に社会に(一応)適応して暮らしている。
もちろん、社会的にも名前があり、仕事の人間関係やプライベートの人間関係もそれなりに生きてきただけの
つながりが広がっていると思っている。
では、まだ小学生だった時の俺は、28歳の年齢の人間を見てどう思っていたのだろう。。。
当時、世の中に生を受けて、10年にも満たない俺にとって、見た目も何もかも28歳っという人間は、まちがいなく
『大人』であった。しかし、今、自分がこの年になって、その当時の思いを思い返してみて思ったのだか、
果たして、その当時の俺が思っていた大人って言うものなのだろうか?
今の自分にも問うてみる。絶対にそうは思えない(笑)
では、今の俺が思う大人ってなんだろう。。。。40のおっさんを見て、『あぁ、この人大人やなあ』って思える人もいる。
そういう人が大人のか!?本当に??では、大人とは、40歳?そうじゃないんだろうと思う。
得てして、人は、自分よりも(何かが)上だと思ったときに『大人』と思いがちである。それは、そう思うことで、
自分自身に対しての安堵感や自分が出来ない、知らないって事を正当化しようとしているんだと思う。
ある一人の人間が、人生と言う一本の線の上を死に向かって時系列で進んでいるとしよう。
その人は、いつ自分が『大人』だと認識するんだろう。。。そんなポイントは絶対ありえない。
なぜなら、その人の周りにはかならず、自分よりも年上の人間がいて、その人たちの知恵の恩恵を授かっている。
そういう環境である以上、その人にとって、回りの年上はあきらかに『大人』の部類なのだ。
逆に一人で無人島にいれば感じるのかというと、比べる対象がない以上、『大人』と思うこともないのだが。。。
ちょっと話をもどして、再度俺自身を材料にしてみる。
昔の事をずっとさかのぼって、思いおこせば、「俺ってあほやったなあ。。。」なんて事は、ざらにでてくる。
しかし、今だからこそ、そう思えるのだろう。その当時の俺にとっては、それがいっぱいいっぱいだったはず。
そして、その当時の俺と今の俺が出会えば、当時の俺は、今の俺を見て「『大人』やなあ」って思うに違いない。(笑)
そして、今の俺は、俺自身を『大人』だと思っていない(笑)
っということは、『大人』だとか『子供』だとか位置付ける事は、そもそもそれ自体がおかしい話である。
「子供理論」それは、出来ない事に対して、出来ない自分を防御するための自己防衛の手段の一つである。
「自分は出来ないから、子供であり、できる人が大人である。ならば、子供を守るのは大人の義務としてくれ」
まあ、これはかなり極論なのであまり意識しないで欲しい。要は、大人の定義とは、子供が決める事なのだ。
(逆に子供の定義も大人(っといわれている人)が決めているんだが。。。example:「子供は外で遊ぶべきだ!」とかね)
それもミスに巻き込まれて、事前回避できずに、痛い思いの学習を重ねる子供の意識にあると思う。
そういう意味では、俺はあまり年齢を気にしない。年若くして、「こいつ、やるなあ」って人間もいれば、
いい年をして「なんじゃ、こいつ。。。」って奴もいる(自分は今、すっごくタナにのせている)
「大人は子供が思うほど、大人じゃない」。。。こういう台詞を言う子供とは、失敗の中で傷ついて、誰かに守って欲しい
そう言う弱い子であるのかもしれない。
世の中には、本当にできる奴もいるもので、何かトラブルに対して、鼻が利くというか、自分の身の守り方を本能的に
知っている。だから、そういう人は、決してこういう台詞を吐かない。
んが、しかし、そういう事ができる人は、本当に極わずかだと思う。得てして、「すっげぇ〜」って思う人たちも、その中で
傷を負い、今現在幸運にも生き延びてきた人たちだからだ(大げさに言うとね)
かくいう俺も、そういった部類の一人にどっかの誰かから見られているのかもしれない。
(たとえば、小学2年生あたりに笑)
とどのつまり、「大人は子供が思うほど、大人じゃない」っと言う言葉に、続きをつけるべきだと思う。
「大人は子供が思うほど、大人じゃない。。。。
子供が思う大人とは、子供が作り出した幻想に過ぎない。甘い夢を見るのが、子供の特権である。」
っと俺は、こうしておきたい。
この台詞は、子供の幻想がかもしだした夢である。かといって、夢を否定する気も何か目標設定をして生きようなどと
高尚な目的を望む気など毛頭もない。
どちらかと言えば、もっとそうしていたい気がするくらいである。
まあ、変人なんで、自分なりにあーやこーやといんねんつけて、自分の納得いく言葉に置き換えたかっただけって事やね(笑)
子供だとか大人だとか、決め付けてものを見るような人間にはなりたくないけど(くす)
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