| 「統一教会史 上巻」 前編 史前史 1、文鮮明先生の誕生 世界基督教統一神霊協会の創始者であられる文鮮明先生は、一九二〇年、陰暦一月六日に平安北道定州郡徳彦面上思里二二二一番地(現北朝鮮)で、父文慶裕氏の次男として誕生された。 先生のお生まれになった上思里は、海から約二十里(約七キロ)離れた農村で、一般に生活水準も高く村民同士の間柄も親密だった。 その部落は二十戸未満の小村で、大部分は文氏姓だったので通称「文村」と呼ばれていた。 文家は祖父の代までは相当裕福であったが、祖父の三兄弟のうち末の弟(文潤国)が基督教の牧師となり、その一生を抗日運動のために捧げたあげく、財産の殆どをその運動資金として使ってしまった。そのため先生の成長期には、どうにか家計を維持できる程度のものとなっていた。 しかし、父祖代々文家は、常に人情が深いと噂になっていて、いつも見知らぬ客が身を寄せていた。 一方、先生が一五の時、二番目の姉と兄(龍壽)の重い病気が治ったのをきっかけに、家族全員が長老派基督教の信者になった。 先生の家系と家族状況を調べてみると、曾祖父に善玉という方がおられたが、この方が三人の息子を持ち、その長男が先生の祖父の致国氏であった。 この祖父には、やはり三人の息子がいて、その長男が先生の父の慶裕氏であった。 祖父の致国氏は、特に人の背後を見る洞察力を持っておられ、二番目の孫であられる少年時代の先生を指して「彼は将来大きな人物になるだろうから、何でも彼が願う通りに積極的に助けて上げるようにしなさい。」と家族に言われたのであった。 そして先生の両親は、ただひとえに人の良い方で、人情の深いことで有名になる程であり、その温情を受けた人は数多い。それは望む人には与え、奪う者には奪わせておく、といった人たちであった。 上に姉が二人、その下にたった一人の兄龍壽氏がおられた。この兄がやはり弟を貴重に思い、弟の願うことは何でも躊躇せず助けて聞いてあげた。 この兄と先生との間に、もう一人の姉がおり、先生の下に妹が三人続いていた。 このように、貴い方として生まれた先生には、その誕生の尊厳性を裏付けするように神秘的な話が伝えられている。 即ち、先生が誕生される三年前から続けて三年間にわたり、先生の家の周囲にあるねずの木に金鳥が飛んできては鳴くという奇跡があった。この金鳥の出現は喜ばしいことがある兆候であるが、先生が生まれた後は、このめでたい鳥は再び現われなかったという。 この先生の家族と同士は、今は皆北韓に残され、自由世界には先生一人が出て来ておられるだけである。 <文鮮明先生の姿> 先生は生まれつきすべてに通じ何でもご存じだったというわけではなく、歴史上の全ての人々とそう変わりはなかった。ただ幾分その天賦の資質が人と異なっていただけである。 ここで先生の性格と容貌を大まかに描いてみると、 まず、体格ががっしりして体力があり、小さい時から老境に至るまで、どこに行っても他に抜きん出ていた。 その顔は大きい方でありながら形に少しも無駄なところがなく、明るく広がった額と小さな目、その上に高く筋が通った鼻が特徴的である。顔全体の様子を一言で表現するなら確実な人格を表しており、また完全な調和をなしているといえる。 腕に比べると手は小さくきれいな方であるが、驚くほど敏捷で強い力を持っており、また脚の長さに比べて足が小さく調和がとれているが、やはりまれにみるほど敏捷で力が強いのである。 先生の歩き方は悠然としていて、非常にゆったりと歩いているようにさえ見えるが、実はその速度は非常に速く、普通の人では追随を許さなかったほどである。 先生の表情は常に温和で、まるで春風のようでありながら、その上に驚くべき剛気が入っており、威厳が漂っている。 先生の動作は自然で、自由な様でありながら明朗闊達、その上言うまでもなく豪放であり、その中には常に真実味や真摯性、鋭い洞察力、それにあふれる自信と権威があり、周囲を圧倒させる偉大な力を漂わせていることを感じさせる。 しかしながら、以上のような先生の様相のいかなるものよりも更に代表的な特徴は、やはり持って生まれた天性とそれによるところの能力であろう。それらをいくつか要約してみる。 第一に、極めて、否、絶対的天を敬う心情を持っておられ、 第二に、むしろ霊能力と表現する方が正しいほどの超人的な精神力を持っておられ、 第三に、人間としてそれ以上望めないほどあらゆる能力を備え持った方であり 第四に、人と異なる創造力と人と異なる意欲により偉大な理想を持たれ 第五に、一度手をつけた以上は、その結果がわかるまでは、疲れを知らず、嫌気を知らず、休息を知らず、恐怖を知らず、妥協を知らず、決して途中で歩みをとめない超人的な貫徹力を持っておられるのである。 |