「統一教会史 上巻」

 前編 史前史

 4、ソウル留学−信仰の深化

 一九三八年四月、十九歳の青年期に入り小学校を終えられた文鮮明先生は郷里を離れソウルに上京され京城商工実務学校電気工学課に入学された。漢江の向こう側の黒石洞に住まわれ、更に深い信仰生活をされるようになった。

 ソウルで中学校に通われながらイエス教会所属の明水台教会に行き、幼年日曜学校の仕事をするなど積極的な信仰生活を送りつつ学業にも力を注いでおられた。

 ソウルでの修学期間中、三分の一は下宿され三分の二は自炊生活をされたが、この頃寝食を共にした人々は歳も学年も一年下の文昇龍氏を始め普通三、四人であった。

 この時期には表面的には共同で信仰の訓練をされながら、内的には一人深く祈祷する生活をされた。関心の焦点は、神の創造理想と人間の堕落、悠久なる歳月に渡った救援摂理等を中心とした神の心情と事情を自らのものとして体恤することであった。

 その次には韓国民族と神の救援摂理との関連性について知ることである。

 すなわち、特に長い歴史を待ち続けて来た韓国民族の民族性、及び彼らを中心として綴られて来た歴史の内容に対して関心を持たれた。

 この民族はその本性が平和と光明とを愛する白衣民族であり、固有な言語と燦爛たる文化芸術を持つ、伝統ある民族であり、また歴史上数百回にわたって外部の侵略を受けながらも、防禦と懲らしめぐらいに留まり、報したり、計画的な外侵をした事例が殆どなかったというほど極めて善良な民族である。

 振り返ってみれば、韓国民族には、古今を通じて隆盛を誇っていた時代が少なくなかった。高句麗の全盛期がそうであり、新羅や三国を統一していた前後時代がそうである。李朝に入っては、また世宗大王時代の武力が、北辺と南岸を大きく威圧していた。

 しかし、この民族の祖先たちは常に自衛に留まり、又は制裁に留まる程度で、筋道を外れるような侵略に至るほどのすぎたる野望を持たなかったのである。

 そして、民族の一人一人は全て優秀で善良であるにもかかわらずこの民族には、武力で隣を侵攻し、屈伏させようとする意図は全くなく早くから、天下を道徳でもって治めようとする高い次元の構想を持ち続けてきたのである。

 檀君の開国理念である「弘益人間」がそれであり、新羅の花郎道精神、李朝末の鄭鑑録予言或いは日帝下の三・一運動で標榜されていた光明大道もまたそれであった。

 なおかつ、この民族の手本となるべき人物は、孝道においては沈清(伝承小説の主人公)であり、愛においては、春香(伝承小説の主人公)であり、愛国においては論介(侵略の敵将を抱いて投身し共に死んだ義女)である。彼らは消極的でありながら、朴堤上、李舜臣、安重根、柳寛順のように、自分の身を殺してでも仁義を貫き、忠義を示した代表である。どの一人をとってみても暴虐であったり、野心に満ちた人物ではない。

 そして、民族の情調はもっぱら「垣根の下にひっそりと咲いている鳳仙花」のそれであり、「私を捨てて行くあなたを常に懐かしがりながら、アリラン峠を越えていく」と歌にある如き主人公の哀傷である。

 そうかと思えばまた、白雪のように白い服に高い冠をかぶり、竹の杖にわらじを履いて、悠々と山河を周遊しながら、「山菜を食べ、山水を飲み、腕枕をして横たわる、男子の生活はこれくらいであれば充分である。」と歌う余裕と風流と気概と和楽に満ちた民族でもある。

 民族の起源が太古にあるということは、長い歴史を摂理してこられた神の歩みの長さをまのあたりに思い出させ、純潔で善良な民族性は、神の本性をそのまま伝承した証拠と思われる。強い力がありながらも外侵を企てたことがなかったことは、神の能力と平和愛護の表象であり、頻繁な民族の分裂と派閥闘争は、善良無垢なエデンの園にサタンが侵入し破壊作用をしたところからきた結果的な有様ではなかったろうか。

 全世界を道徳で治めようとする高い志は、即ち神の理想であり、消極的なような全ての善行は、原理原則を尊重し時を待っておられる神の根本的な立場である。垣根の下に咲く哀調を帯びた鳳仙花は、ひと時ではあるが御自分のものをサタンの手に渡し、あちらこちらに追われながらも後日を思い摂理を進められる神の悲しい姿であるし、余裕と風流と気概を失わず和楽を表現することの出来る民族性は、神の根本的威厳と自信と理想の標準を見せるものである。

 そして、中学生であり、既に青年初期の年齢になっておられた文鮮明先生は、このような諸要素の相似点を通して、この民族は神の実体と一致した民族であり、神を愛し、愛を受ける民族であることを帰納的に実感されるようになった。その頃、先生は夕方の静かな時間に、漢江の柳の立ち並ぶ河辺に出かけられ、神の事情を自分の事情として実感しながら、日が暮れることもお腹が空いてくることも忘れ、殆ど祈祷される姿のままに深い夜を迎えることも多かった。

 遠大な計画のもとに天地万物を創造され、最後にその息子、娘としてアダムとエバを造られ、一日一日育ってゆくのを見守っておられた時、神様は将来に対する限りない夢に陶酔されたであろう。

 「さあ、遠からず一男一女を最初の夫婦として祝福しよう。彼らの間から出てくる子女たちは、空の星のように、地の砂の如くに増えるだろう。この人間家族たちを抱き、無限の幸福と感激の中で億万年を享受して行こう」神がそれほどふくらんだ夢を抱いて、喜楽にあふれて過ごされていたある日の朝、その愛する子女たちに起こった堕落は「青天の霹靂」ともいうべき驚くべき事件であったのである。

 幼くして純真で可愛らしい娘「エバ」に侵入した成熟した天使長の原理の力も押しのけ進んでゆく僕の愛の誘惑、それは如何ばかり悲劇であり、恐ろしい矛盾であろうか。

 ここにはまた、神の創造主としての原理的な止むを得ない理由が介在しているのであろう。悠久な歳月を、涙と嘆息の中で人間を導きながら摂理してこられた神の難しさは、またどれほどであっただろうか。

 一方、神の一人子として地上に来られ、将来万民の王の位に立たれるべきイエス様は、その当時のイスラエル民族とその指導者たちの無知と不信によって、何の罪も無いにも関わらず十字架に掛けられた。復帰摂理歴史を中断させたその公的、私的事情を考える時、青年文鮮明先生は断腸の思いを禁ずることが出来なかった。 このような神の事情を深く接すれば接するほど、加速度的に神の側に近付くようになる先生の日々であった。従って黒岩洞の裏山に早朝から上がられ、岩の上に顔を伏せ、時間が経つのも忘れて神と心で抱き合って泣くのが常であった。

 その場は、覆う松林が聞いていないような素振りで先生を眺めており、流れる風は、心配そうに後を振り向き、朝の鳥たちがこの木からあの木、枝から枝へ渡り移る音が間奏となるのみであった。

 文鮮明先生の中において神と韓民族は、悠久なる歳月にわたって、善であり慈悲であり有能でありながら、常に侵入を受け悲惨な中においてひたすら耐え、光明の日を目標にして、熱望と哀願と奮闘で暗闘をかき分けて来たという点において完全に一致していた。このため神を思い摂理歴史を考えれば、直ちに目の前に浮かんでくるのは善良で可哀相で明徹なる倍達民族(韓民族の古称)であった。

 この頃、夏休みなどに帰郷された先生の姿に接した親戚のいとこたちが、「誰々の兄さんは、草を抱いて相撲していた。」と話していたほどであった。それは、先生が深刻きわまる思いで血みどろになって祈祷される外観を評して言ったのである。また自炊しておられる部屋でも、事実たびたび神のことや地のこと、イエス様の淋しく悲しかった路程を考えて夜を徹してお祈りをされたのであった。そうして朝になってみると、部屋中に涙が川のように流されていることが常にあったという。

 そうしながらも先生は、故郷から下宿費が送られてくれば、これを自炊で節約し、大部分のお金を分けて、漢江の橋の下に密集棲息していた貧民窟の人たちのためにもって行っては使い、人々と苦楽を共にされた。この貧しい子供たちにとっては、時々訪ねてきては鳥の巣のようになっている髪を刈ってくれたりするこの親切な青年学生は、非常に慕わしく待ち遠しい客であり、隣人であり、有難い友人であった。

 その頃平壌から、イエス教会の中央幹部である李浩彬、朴在奉牧師たちが度々訪ねて来ては、何人かの若い信徒たちと深い信仰の境地の話をした。そうする中で、文鮮明先生は先生なりの信仰の奥義を体得し、神の摂理と究極の真理を悟り、整理していかれたのである。

 先生はその当時、年も元気旺盛な二十代初めの青年期であったし、さらに信仰面においては一層爛熟の境地にあった。

 時間の都合の良いときには昌慶苑、或いはソウル駅前の広場で、初めはごく自然に一人、二人相手に信仰に対する話しを持ち出し、そうしているうちに段々熱を帯びてくるようになれば、人々が集まって来て、たちまち先生を囲むようになる。そうなれば先生は、いつの間にか本格的に伝道講演をされるのであった。人々が大勢集まって盛り上がってくると、先生は時が来たとばかりに更に熱をあげ、信仰の真髄を叫ばれるのであった。そうするうちにとうとう取締りの警官がやって来て、中断を迫るのであった。

 そうするとまた先生は、何が悪いかと真っ向から反論され、是非をめぐる論争は更に拡大された。神の解怨成就のためには一寸の恥ずかしさをも知らない文鮮明先生であられた。

 先生は心身共に健康で義侠心が強く実行力が旺盛である。であるから神の緊急の摂理を前にして一人霊的にも、または共同生活を通しても、その動きに安逸ということは夢にだにすることができなかった。それほど息詰まるような日々を過ごされていたのである。

 相撲のようなものにおいても、先生は校内で自分より強い者はいないという強豪たちを負かすことによって、断然、郡鶏の一鶴を彷彿とさせたのであった。

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