おれんじ
午後八時、電話が掛かってきた。出たのは嗣司の方だった。受話器に耳がめり込む程強く握りしめた
嗣司の顔色がサッと変わるのがわかった。良くない電話だ。俺は電話が切れるのを待った。
静かに受話器を戻す。嗣司はどう声を掛けていいかわからない程、暗く沈んだ顔をしていた。
「何?」
「・・・・・・病院から」
「何だって?」
病院に世話になっている親戚なんて聞いたことない。誰のことを言ってるのか俺にはわからなかった。
「あぁ・・・・・・その、俺の友達、のことでちょっと」
誤魔化そうとしてる、俺に隠し事をしようとしてるのがバレバレだ。多分、嗣司もそう思ってる。そ
れでも嘘を突き通そうとしていた。だから眉間の皺を見たら突っ込む気が失せた。いくらカゾクだって、
顔を突っ込んでもいい事情とそうでないものがある。きっと俺に知られたくないことなんだ・・・。
「そうか。それで?」
「今から、行ってくるわ」
暫くあらぬ方に視線を彷徨わせていたが、やがてゾンビのようにノソノソと動き始めた。
嗣司にこんなにショックを与えるような友達なんていたのか。何年もカゾクやってるけど、そういえ
ば、嗣司の友達なんて見たことも聞いたこともなかったな。家に呼ぶわけでもなし、アルバムを広げる
こともなし、電話も来ない。友達のニオイなんてしなかったのに。
暫くは生きてるのか死んでるのわからないくらい遅かった動作がだんだん速くなって来た。終いには
家の中を走り回り、少し顔を赤らめながらコートを羽織って玄関に立った嗣司は瞳孔が開ききってるって
いうか、妙に興奮していた。スポーツとか体を動かして興奮してるのとは明かに違う、イッちゃってる
血走った目をしていた。
何? どうゆーこと? 俺に隠してまで病院に駆けつけなきゃいけないヤツって誰?
突然不安になった。俺のカゾクは嗣司しかいない。なのに嗣司の目に俺は映ってない。頭の中にも俺
の存在は掻き消えている。俺より大切なヤツのことで一杯だ。俺はまた捨てらんのかな、この家に一人
で取り残されんのかな。一人きりになることが寂しい、なんて歳じゃないけど、それでも心臓が倍の速さ
で脈打つのを抑えることが出来なかった。
「行ってくるから。何時戻るかわかんないから先寝てろ」
「ああ・・・・・・わかった。気ぃつけてな」
嗣司は軽く手をあげたりはしなかった。いつも俺が登校するより早く出ていく嗣司を見送ると、さっ
と手をあげてニヤリとフッの間みたいな笑いでドアを開けるのに。
嗣司は振り返らずに出ていった。
もうすぐ冬休み。
窓辺の席は暖房がよく聞いててすぐに眠くなる。窓から入る隙間風が少しのぼせた頭をふわりと冷ます。
昨日、嗣司が帰ってきたのは明け方だった。俺はそれまで浅い眠りを繰り返しながら起きていた。何か
か胸騒ぎがしたから。これは言いようのない、ざわざわした感じ。後頭部をゆっくりと撫でられている
ような感じがした。
帰ってきた嗣司は俺が起きているのを見て、疲れきった上にうっすらと髭が生えた浮浪者みたいな顔
を不機嫌そうに歪めて
「まだ起きてたのか」
とだけ言って、頭をボリボリかきながら寝室に入っていった。
自分だって今日仕事あるくせに。心配して起きてたのにそれかよ、とふてくされたものの、俺も眠くて
自分の部屋に引き上げた。
とにかく無事に帰ってきた。何も話してはくれなかったけど。少し、安心した。俺はまだ一人じゃな
い。
部屋の中はうっすらと明るく、もう夜の気配はない。でも南の海みたいな薄い水色の世界は、何故か
寂しさを増長させた。体の後ろ半分がスゥと冷たくなる。唇を噛んでそれを忘れる。
俺はいつも不安なんだ。一人になることが怖い。一人になる可能性があるからだ。嗣司は俺の親じゃ
ない。だからまたいつか捨てられるかもしれない。覚えてるわけもない昔のこと。それでもその記憶は
俺を雪山に放りこむような寒さと恐ろしさの影を落とす。俺は震えるしかない。置いていかないでくれ、
なんて言えなかった。
「尋稀〜」
仁の声。鼓膜が震えて、俺は現実に引き戻される。目の前は夜明けの水色じゃなく、見慣れた教室の
景色。黒い制服がウロウロしてる。
「あ〜・・・?」
「寝ぼけてんのか? もうとっくに授業終わったぜ」
「あ、そう。全然知らんかった・・・」
「よく寝てたな、今日は徹夜でもしたんか?」
「いや・・・そういうわけじゃ・・・」
「目の下にクマ作って否定すんなよ」