マジバナ
★はオススメ
【日本全国鬱の宮】
【自分らしさを大切にしないあたりが自分らしさ】
【坊主推奨】
【オスッコ弁護】
【毒とか個性とか無くて良いじゃん】★
【シルバースキンシップ略してSSS】
【音楽】
【屁理屈】
【舞台裏】
【無題】
【心地好い落胆】
【俺がオマエでオマエが俺で】
【サブカルンバ】★
【トモダチの作り方】★
【グループダイナミクス】
【パブリックだから正しいとは限らない】★
【語るに堕ちる】
【生物タブー】
【webにありがち】
【生理不純】★
【過剰と欠落】
【スト労苦】★
【残酷な法則】★
【女性向けの簡単にモテる方法】★
【そういうもんなのよ】
【試金石】
【レーゾンデートル】★
【スト労苦】
ヒトは直接・間接を問わず、何らかのカタチで
他者と関わらないと生きていけないようです。
何かの本で読んだのですが、挨拶やお礼などの
他者からの関わり・働きかけを「プラスのストローク」と呼ぶそうです。
もちろん「マイナスのストローク」も存在します。これは悪口や暴力などの
イヤな干渉ですね。こんなモノは無い方が良いと思うヒトが大半でしょう。
ところが、実際はそうでもないのです。
喉が乾いていて泥水とミネラルウォーターがあれば誰もが
迷わずミネラルウォーターを選ぶと思います。
でも泥水しか無かったら?
そして喉の乾きが極限だったとしたら?
人間はストロークが全く無い状態になるぐらいなら、
マイナスのストロークでも構わないから欲しいと思ってしまうようです。
・暴力亭主となかなか別れるコトができない妻
・最近退屈になってきた彼氏の目を盗んでついつい浮気
・専業主婦になった途端にエロくなった
・転職した途端にトモダチが増えた
・忙しくなるのがわかっているのにインポチンクで思わずメルトモ募集
プラスマイナスごちゃまぜに様々なケースを集めてみましたが
あらゆるコミュニケーションの活動はストロークで
概ね説明できてしまいそうです。
【残酷な法則】
今まで好きになった男はどいつもこいつも必ず自分を本命にしてくれないと
お悩みの女性へ。あなたはどんなタイプの男が好きですか?
もしかして「自分に対して臆病じゃない人」ではないでしょうか?
既に本命がいる男は気楽にあなたを口説けるので臆病にならずに
余裕の態度なのです。確かにそういう男は魅力的かもしれません。
自信に満ち溢れているし、何よりあなたが望んでも捨てられないものを
既に捨てているように見えるので輝いて見えます。
あなたが望んでも捨てられないものこそが「臆病な心」なのです。
しかし、この「臆病な心」は程度の差こそあれ、どんな人でも持っています。
そう、本当に失いたくない存在に対しては人は臆病にならざるを得ないのです。
ということは?もうおわかりですね。あなたに対して臆病じゃない男の
本命は、あなたではないということです。要するに、あなたは自分以外を
愛している男しか好きになれないということになります。
こういうのを愛人体質とでも言うのでしょうか。
不幸が美しく似合ってしまいがちなだけに切ないですね。
でも、一生治りません。たぶん。
【女性向けの簡単にモテる方法】
女性の数が少なければ少ないほど、男の審査基準は低くなります。
男ばかりという環境では、性格悪くてもツラがヘボくても
ファッションがダサくても口調がイっちゃっててもイタいキャラでも
オバサンでもそれら全てを兼ね備えていてもモテまくっているのが現実です。
貴女にどんな問題があるのかは知りませんが、モテたかったら
さっさとそういうところへ身を投げ入れてチヤホヤされまくって下さい。
相対的に自分の価値を高めれば勝ちです。
接する男性全員に対して、個別に「自分は他のみんなとは何かが違う」という、
まったく根拠の無い自信を与えてやり、束の間の夢を与え続ける事で、
男達の潜在意識には貴女とのコミュニケーションが心地好いものだと
擦り込まれていきます。男達はどいつもこいつも自意識過剰なナルシス君の
集まりだと思っておいて間違いはありません。「○○って、独特の雰囲気
あるよね。」とか「こういう時ってつい○○に頼っちゃうんだよね。」など、
ターゲット共に「他の誰でもなく、自分に興味が!?」と思わせることが重要です。
男達の守備範囲からかけ離れた話題は避けましょう。
男達は、女性に対して自分の理解できる範囲内に留まって欲しいと
潜在的に思っているものです。理解可能な範囲が狭ければ狭いほど
その思いは強くなる傾向にあります。身勝手なだけとも言えるのですが、
それを「可愛いものね」と思えるようになったら、もう貴方はモテる為の
精神的余裕を獲得していると言えるでしょう。
以上、簡単にまとめましたが、貴女が生物学的に女性である限り
男達にアピールする美貌や才能に恵まれなくても、
コミュニケーション能力だけでモテる事は充分可能です。
もし何をやってもダメだと言う人は、貯金をしましょう。
財産も貴女の魅力の1つです。割り切って考えましょう。
【そういうもんなのよ】
今日は人間の求愛行動について勉強します。
人間のオスがメスにふられる場合、オスが食い下がって
「あの時は一生愛してるって言ってくれたじゃないか!」と
文句を言うケースがあります。
この場合メスは「あの時はあの時でしょ!」と言います。
オスはメスに騙されたとか嘘をつかれたとか振り回されたと
感じますが、メスにしてみれば自分の気持ちに「正直」に
なっていただけなので「ン?何言ってんの?ていうかもう
腹減ったから早く話終われよボケ」としか思いません。
もちろんメスの「一生愛してる」という言葉は、その時には
嘘ではありません。その時、そう思ったからだとか、
オスを喜ばせようとしたからだとか様々な理由がありますが、
パートナーのオスを掴んで離さないためという説が
現在は主流となっています。
メスは後で嘘になってしまうかもしれないとか結果的に
騙したことになるかもしれないといった危惧を抱いたりは
しません。もしそうなった時には嘘をつかれたり騙された
オスは、メスにとっては既にどうでもよい存在になって
いるのでノープロブレムなわけです。
とてもよくできたシステムですね。
オスはなるべく多くのメスに種をばらまこうとする生物であり、
メスはより良い種をガッチリ掴んで離さないようにする生物です。
オスは複数のメスに同時にアタックかけたり好きになることが
できますが、メスは基本的にそういうことはできません。
そのかわりメスは素早く気持ちを切り替えることができるのです。
オスと別れた数時間後には新しいオスと楽しい時間を過ごします。
人間のメスは新しいオスの精液が入ると、前のオスの存在は
どうでもよくなってしまうという性質を持っているのです。
人間のメスはパートナーのオスを喜ばせようとする習性があります。
パートナーのオスの趣味に合わせるだけでなく、自分もその趣味の
楽しさを理解して好きになったりもします。凄い順応性ですね。
メスがパートナーをチェンジする毎に多趣味・博識になっていくのは
そのためです。しかし人間のオスはパートナーのメスが
自分に合わせてくれているとは思わずに「趣味が合う」と言って
喜んでいろいろと教えてあげたり「相性が良い」と思い込んで
油断しまくったり「俺と同じ変態なんだ」と思って縛られたりと
いたって無邪気なものです。
このように、人間のメスは高い順応性で弱肉強食の世界を
生き延びており、遂に85歳以上の平均寿命を獲得するほどになりました。
いっぽうオスの平均寿命は80歳にも満たないようです。いつまでも
過去をひきずってしまうオスは、メスの甘言に振り回されて疲弊して
いるのかもしれません。
【試金石】
夢の話をちゃんと聞いてくれる人がいたら
自分に興味がある証拠です。
夢の説明って、記憶を辿りながらだから
話が前後するし、脈絡が無いし、不条理だし、
他人にとっては本当につまんないものなのです。
なので、相手の夢の話が退屈じゃなかった場合は
以下の理由が考えられます。
1:その人に気がある
2:その人の説明が上手すぎ(ポイントだけを説明)
3:その人が夢の話をしている時のツラがおもしろすぎ
自分が話す時はせめて2番であって欲しい…
【レーゾンデートル】
人は何の為に生きるか?学生の頃に
居酒屋でよくそういう話になりました。
「死ぬ為だ」と言い放って話を収束させたヤツは
ホントに死んじゃいました。
最近はいい歳して似たようなコトをよく考えます。
人間は、TVを見たりマンガを読んだり酒を呑んだり
カラオケしたり金を儲けたりセックスしたり麻雀したり
絵を描いたり家を建てたり仕事をしたり音楽を聴いたり
楽器を弾いたり映画を観たりゲームで遊んだり
家庭を築いたり富山県民よろしく貯金をしたり
愛玩するつもりで実は愛玩される為にペットを飼ったり、
様々な活動を行います。いったい何の為でしょうか。
「ジョジョの奇妙な冒険」というマンガの中に出てくる悪役、
ディオ・ブランドーは「安心する為だ」と言いました。
コレ、確かに正解かもしれないけれど、
微妙に正確ではないような気がするのです。
つまり人が「安心」を得る為の精神世界内の
メカニズムが何かあるんじゃないのかというコトです。
言い方を変えれば「人は何をすると(できると)
安心できるか?」というコトです。
これについてはさんざん考えてみたんですが、
今のところ、自己確認ができるからではないか
という暫定案が1つ考えられます。
肯定される、認められることで大きな安心を得ますよね。
以前お話したプラスのストロークです。
社会的な生物として確立された現代人は
個としての自己を確認する作業を
絶えず続けなくては不安でたまりません。
鏡像としての他者の存在こそが
自己を自己たらしめるだという事です。
何らかの表現は、その形が何であれ、ほとんどが
「自分を見て!」という悲痛な叫びになっています。
その手段として大きく区別できるのが言葉、絵画、音楽、の3つです。
これらに共通しているのはイメージを生み出すコトができるというコトです。
イメージには多様な形が、意識する・しないに関わらず
感情の表現という形態で選択され、それを受け取った
我々もまた感情が揺り動かされます。
喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、恐れ、諦め・・・。
しかしどんな形であろうと根源にあるのは
「自分を見て!」という切実な要求の形を取った要求です。
それは何故でしょうか。
人は他者に受け入れられる事で自己を確認するからだと思います。
自己を確認する為の道具・シチュエーションは世の中に溢れており、
技術の進化に伴い複雑化・多様化しています。
言葉の上では自己確認というと、どうしても
自己完結的なイメージを喚起しがちですが、
自己のみでは成立しないのが自己確認なのです。
自己は外部によって保たれているとも言えるでしょう。
例えば、犯人と人質との間に恋愛感情が生まれるという
ストックホルム症候群と呼ばれる現象が存在します。
この現象は、人質が犯人の手によって
自らを証明する他者を一切奪われてしまい、
自己確認をする為の他者を犯人に設定した結果、
犯人に恋愛感情を持ってしまうというものです。
これによく似たケースは日常生活の中にも見受けられます。
例えば新婚旅行。
2人きりで誰も日本人のいない海外へ旅行に行くと、
自己確認の為にお互いに向き合わざるを得ません。
こうして考えてみると、無意味だと思われがちな
昔からの慣習や決まり事にも、
実は深い意味があるのかもしれません。
※余談
神社などで見掛ける事が多い仁王や狛犬は
2体セットで存在する事が多いのですが、
この2体の口の形が違う事にお気付きでしょうか。
片方は口を大きく開いていて、
もう片方は口を閉じ気味にしている筈です。
この口の形は「阿吽」を示しています。
「阿吽の呼吸」という言葉がありますが、あの阿吽です。
阿吽の「阿」は吸う息、「吽」は吐く息で、
あらゆる現象の始まりと終わりを意味します。
そういえば平仮名の五十音も「あ」から始まって「ん」で終わりますね。
「あ」という言葉は呼びかけに使うと同時に我、
つまり自分という意味もあるそうです。
そして「うん」は肯定や承認など、物事の結実や収束、
承認というニュアンスがあります。
始まりである「あ」で「我」が他者に呼び掛けて、
「うん」で承認されるというプロセス、
人が自己を確認する為のそれに
当てはまるような気がしませんか。
【過剰と欠落】
過剰と欠落というキーワードに強く惹かれてしまいます。
人間にとって21本目の指とはいったい何だと思いますか。
21本目の指…もちろん比喩的表現ですが、これは
社会通念上の「よけいなもの」を表しています。
今までに見知ってきたものでは、他者にはあまり
見られない何らかの感覚だとか、他者の言動に対し、
その意図の深いところまで気付いてしまうといったものです。
それ以外にも、社会に適応しているとは言えないような
価値観を指し示す場合もあります。
もちろん、その21本目の指をうまく隠して日々を乗り切っているヒトもいます。
しかし想像を絶する孤独感に日夜苛まされているのではないでしょうか。
あたかも子供の頃の花京院のように。
21本目の指を持つヒトを、コリン・ウィルソンは「アウトサイダー」と呼びました。
いわゆる表現者、創造者に多いタイプだと言われています。
何らかの表現者はココロに大きな空洞を抱えており、表現や創造は、
その空洞を埋め合わせる為の代償行為というワケです。
しかしそううまく帳尻が合うとは思えません。
想像できないものは創造できない以上、ヒトは完璧なフィクションを
生み出すコトは不可能です。そう見えるものの多くは、個人の
知識や経験に基づく何らかのメタファーである場合がほとんどです。
そうして自分自身の中の大切なものを切り売りしていく度に、
ココロの空洞はえぐられて大きくなるばかりなのかもしれません。
空洞をビジュアルイメージだけで欠落と短絡的に考えるのは早計です。
社会通念から規定される「他者」モデルよりも過剰な為に、
何らかの空洞を持たざるを得ないというヒトも存在すると思います。
もしかしたら過剰と欠落は多い・少ないと言うよりも、ココロの中の
大切な部分が、あり過ぎるか無さ過ぎるかというバランスの
問題なのかもしれません。そういう意味では過剰と欠落は
表裏一体と言えるでしょう。
【生理不純】
オンナって不思議で罪深い生き物だよなぁ。
具体的にどういうコトか説明できないどころか
自分でもわかってないクセに愛してるトカ言うんですよ。
そのくせ別れたら今度は新しいオトコに同じコトを平気で言うワケで。
新しいオトコができたら別れたオトコなんて使い捨ての
ティーバッグと同じ扱いです。別れたら即無効になるなんて
たいしたコトねーなー貴様の愛ってのも、なんてイジワルに
思っちゃうっつーの。( -д-)、ペッ
そもそも、愛してるとかスキとか軽々しく言い過ぎ。
愛してるって言ってェとアニメ声で言うようなオンナは
他の表現で貰ったりあげたりしたコトが無いんだろうなぁ。
そういう意味ではカワイソウなのかもしれないが。
あのな、オトコがなかなか愛してるって言わないのは
照れてるからだとか思ってるだろボケ。ちげーよ。
そんな心にも無いコトを言うほど
極悪人になれないからだっつーの。
良心の呵責ってやつ。ワカッタ?
どーせ死ぬまでスキかどーかなんてワカンネェんだからさ、
スキだの何だの言われてイイキモチになるのは構わないケド
ウソを平気で言うのはやめようよ。あ、でも生理的に
ウソを言っちゃう生き物だからしょーがねーか。
あの時はそうオモッタの…なんてな。その前に先のコト、
例えば別れる時はどうなるか少しは考えようぜ。
ずっと続くコトなんか何もないよ。
誰ともいつかお別れするよ。
でも、最近オトコの方がウソツキだよなぁ…
【webにありがち】
作品には批評が発生する余地が必ずあるのだが、
その批評を回避する為に無料だとか強制していないだとか
誰にも迷惑をかけていないという様々なエクスキューズを
用意する人がいる。そんな人達が集まる場所がある。
そこでいったい何が行われているかといえば、
決して批判される恐れの無い賞賛の等価交換、
あらかじめ約束された出来レース、中途半端な笑顔での
傷の舐め合い癒し合い。
そんな場所に長い間居続けていれば誰でもいつかは慣れてしまう。
そして自らの言動が他者に対してどのように働きかけ、
その結果どんな影響を与えるかといったコトへの、
ちょっとした想像力が失われている事に
ある日突然気づいて愕然とする羽目になる。
客観性を失ってしまい自分がした事がいったいどういう事なのかという、
ただそれだけの事が全くわからなくなるのだ。
そんな甘くてヌルくてやるせない場所は、
どうにも釈然としないような何かしらの違和感を感じるもの。
その嗅覚だけは失いたくないと切に思う。自戒を込めて。
【生物タブー】
昔、友達と狂牛病について話していたら、こんな話を聞きました。
「これはホントの話なんだけど、第2次大戦中ドイツがロシア侵攻の折、
あの国はタダでさえスターリンのせいでド貧乏だったところにナチが
来たものだから、難民になるにも持ち出すものもなくて、とりあえず
戦線から離れた国境付近に難民キャンプを作って寄り添ったそうな。
ちなみにロシア人は保存食として何でも酢漬けにする風習があって、
イギリスの新聞記者がその難民キャンプの物々交換マーケットに行った時、
見ちまったんだそうな。人肉の酢漬けのビン詰。詳しくはNHK映像の
20世紀の何週か忘れたけど”難民の世紀”とかいったところで
語られていました。そこでね、もしもという事を考えちまったんです。
その酢漬けになった肉が行き倒れた肉親や家族だったらと。
切ないですやね…」
これを聞いた時、グログロとした気持ちがわきあがっちゃって。
やはり、同じ種族を食べるという行為は、何らかの精神的
歪みが生ずるんじゃないだろうか。
みんな!どんなにお腹が空いても、友達を食べちゃダメだよッ!!
【語るに堕ちる】
思えば俺の人生、耳を疑うような発言をして下さる方との
出会いには事欠きませんでした。聞いてて「ええッ?」と
思わず言っちゃいそうなコトってありますよね。そういうの
タクサン聞いてきました。
ロンゲデブアニメオタメガネのオタク批判とかもう最高。そういう場合、
本人は自分の発言の正当性を少しも疑っていないので、
何を言っても無駄です。キチガイは自分がキチガイだとは決して
思わないとよく言いますが本当だと思いました。電波怖い。
さっきからオマエがバカにしてるの誰?オマエ?もしかして自作自演?
と思った経験、皆さんも一度や二度はあるんじゃないでしょうか。
もはやエンターティメントと言っても良いでしょう。おかげさまで、
俺こんなコト言っちゃってるけど自分はどうよ?と必ず
自問自答してしまう習性を自然に身に付けてしまいました。
全く困ったもんです。
はい皆さん俺に向かってご一緒に。せーのっ。「ええッ!?」
【パブリックだから正しいとは限らない】
俺は言葉遣いが悪いのであまり人のことは言えないのですが、
差し押さえの通知とか、面接結果の不合格通知とか、
そういったイヤニュースの文面の末尾に
「今後のご健勝をお祈り申し上げます」
と書いてあるケース、たまにありますよね。
いったい何なんでしょう…?
イヤニュースを運んどいて最後にはいいひと気取りですか。
受け取った側としては、確かに残念だけどしょーがないよな
という気分でも、これが書いてあると複雑な気持ちに
なってしまうと思います。
具体的にどんな気持ちになるか推測すると…
「今後のご健勝をお祈り申し上げます」
だったら不合格とか言うなよ!でもそういうわけにも
いかねえのはわかる。それなら言ってることが
ワケわかんなくなるような余計なことを書き添えんなよ!
礼儀のつもりかもしれないけれど、かえって無礼じゃねえかよ!
適当に済まそうと思って、何も考えずに書いてるってことが
バレバレなんだよ!それもまた失礼な話じゃねえのかよ!
どういう神経してんだよ!今後のご健勝が望めないような
イヤニュースを突き付けといて今後のご健勝を祈るなよ!
(以上20回ぐらい繰り返し)
…という感じになってしまうのではないかと思います。
ま、実際にはご健勝なんてこれっぽっちも祈らないのですが、
それは問題ありません。そもそもイヤニュースを突き付けた側は
祈る立場にはありません。祈る必要は無いのです。
本当に祈ったという人は野良猫を可愛がろうとして
頭を撫でた後に、野良猫が頭蓋骨を粉砕されて
死んでいることに気付くべきでしょう。さすがに
そんな人は滅多にいないと思いますが。
上手く言えませんが、死刑を言い渡した裁判官が被告に
「風邪ひくなよ」って言ってるようなものでしょうか。
もはや言動が意味不明ですよね。電波?
しかし、このようなケースがお役所や企業では
一般的というのが現状のようです。
政治家が国会答弁で何を言ってるかさっぱり
わからないという声をよく聞きますが、上記のような
意味不明なやりとりばかりしていれば、意味不明なことを
平気で言う人間になるのは当たり前かもしれません。
最近の若いモンは言葉遣いがなっとらん!なんて
言ってるヤツはきっとまたどこかで、今後のご健勝を
お祈り申し上げやがっているのだと思います。
【グループダイナミクス】
複数の人間で構成されている一定の集団は、その集団が
トモダチである場合、それぞれの得意分野に即した役割が
きわめて自然に分担されていくものです。
その集団に属する構成員には、実際にどのような働きが
求められるのかってコトを考えてみました。
第一に、価値観におけるコンセンサスが必要となります。
全てにおいてまるっきり同じ意見である必要は全くありません。
パブリックに良いか悪いかの善悪、対象に適切か不適切かの正誤、
シチュエーションにおいてそうであるべきかどうかの当為、カンタンに言えば
OK&NG、かっけえ&だせえ、アリ&ナシ、こういう日常的に判断を
迫られるような瑣末なコトにおいてコンセンサスが必要となるという話です。
これを実際に引き受けるのが精神的リーダーとか
オーガナイザーの役割のようですが、必ずしもそうとは限りません。
判断材料となる対象によって引き受ける人物は変わりますし、
そもそもトモダチですから実際にはクリアされているケースがほとんどです。
そして次に観察と分析、その報告が求められます。
これらの作業は分担されるコトが多いようです。
観察して危険信号を出したり、分析して対応したり、
それを受けて状態を報告したり情報収集したりします。
要するにチェックしてアナライズした後にレポート提出、というワケです。
レポート提出するまでもなく態度に出ちゃうような、言うなれば
歩くバロメーターというヒトもいるかもしれません。わかりやすいし
尋ねる手間が省けて非常に便利です。自らのスタンスやポジションを
把握しておく必要がある為に自覚の有無はともかく、
誰でもある程度は日常的に行っているコトなので、
どんな集団でも人材に困るコトはありません。
そして無くてはならないものが、集団内の自浄作用を
引き受ける存在です。その集団内で問題が出現した場合、
それを修正、もしくは排除するという、いわゆるオトナ役だとかヨゴレ役です。
いわゆる修正段階の方が面倒で大変なのですが、
何故かそこまではOKなんだけど排除となるとちょっと気が引ける、
というヒトがほとんどです。後味が悪い上に憎まれるというのが主な原因です。
実際に何をするかというと、シンプルに言えばトモダチの1人に
「オマエいらね」と引導を渡したり「ダメじゃんよ」と説教する役目です。
冷酷な人間にとってはいちばんラクな仕事と言えるでしょう。
死刑執行ボタンをポチッと押して突き放すだけで良いんですから。
むしろ精神的リーダーとかオーガナイザーはこちらにあてはまるのかもしれません。
もちろんグループ全体がもうどうしようもない状態になった場合には
グループ自体が見放されるというケースもあると思われます。
最近グループ内の1人が距離を取るようになった場合などが
当てはまると思います。ただし、どんなに重要な人物でも
そのヒトは戻ってきません。言ってなんとかなるものならば
とっくに言っていることでしょう。事態が改善されないから
離れて行ったのではないでしょうか。ヒトは治りません。
そもそも指摘されて修正できるヒトは、遅かれ早かれ
自分で修正できるヒトなんですが、そういうヒトは大抵の場合
とっくに自分で気付いています。矛盾するようですが、
『言ってわかるヤツには言う必要がない』のです。
これを読んでいるアナタは集団内でどんな役割を担っているのでしょう?
そしてトモダチ連中にはどんな役割だと思われているのでしょうか?
リーダー?オーガナイザー?チェッカー?アナライザー?レポーター?
バロメーター?ガーディアン?イベンター?オブザーバー?フィクサー?
スポークスマン?ムードメーカー?スパイ?メッセンジャー?パシリ?
プッシャー?ジゴロ?プランナー?ライター?エクスキューショナー?
デザイナー?ヒモ?ドライバー?スイーパー?ゲーマー?ドンファン?
クランケ?オーナー?マネージャー?シェフ?ワリカンメンツ?ウンコ?
乱暴に言っちゃえば、キャラがかぶるのはマズいやねという、
それだけの話なんですけど。しかしキャラなんてそんな簡単に
かぶるもんかなあという疑問があります。かぶってるように見えるとしたら、
それはペラいとか暗いとかつまんないとかレベル低いとか、
つまりその集団内で良い方向に突出している部分が
無いからじゃないかなあと。そういう場合は自分でも
キャラ立ちできるようなトモダチ集団を形成して、
改めてそこから始めれば良いだけです。
え?トモダチいないって?知るか。
【トモダチの作り方】
(1)趣味や嗜好が同じである事を表明して親近感を持たせる
ターゲットの警戒心を解きほぐすのが目的です。この時には
「○○○って良いですよね」「私も○○○は好きです」等の
常套句を使用すると、よりいっそう効果的です。ただし、
後で突っ込まれたり確認される事を考慮して、最低限の
知識は把握しておくように。
もし何か突っ込まれたら「全体の雰囲気がなんとなく」だとか
「うまく言えないんだけど、そう感じるんだよね」と言って上手く
かわすように。あらかじめ「有名なアレしか知らないんだけど、
なんか好きです」と言っておけば安全。相手は調子に乗って
いろいろ教えてくる。
(2)積極的にターゲットの考え等を肯定する
ターゲットにとって自分を気分が良くなる存在と思わせるのが目的。
人は自分にとって都合の良い存在しか求めようとはしないもの。
ただし、ただ迎合するだけだと、おざなりで言っていると思われる
可能性があるので、多少は「私はちょっと違うかもしれない…」と
前置きしておきながら、結局は同じ結論に到達して意思の疎通を
図るという流れに持っていく等のテクニックを駆使しよう。
トモダチになるには、ターゲットの発言に対して、決してネガティブな
発言をしてはいけません。否定的な事を言われたヤツが吐く
「ホントの事を言ってくれるのはオマエだけだよ」なんてタワゴトは
絶対に信じてはいけないのです。心の中では舌打ちしながら
「ったくよー、わかっちゃいねーくせにフザケやがって」と呪いの
言葉を吐いているのは確実。肝に命じておくように。
(3)知らない事は受け流さずに教えてもらう
知らない事を知りたがっている・強く興味を持っていると印象付けて
距離を縮めたがっている、より親密になりたがっていると思わせるのが
目的。この時「そうなんだ、知らなかった」「よく知ってるね、すごいね」と
感嘆しつつ褒め称えておくと相手はまんまと良い気分に。例え雑誌の
受け売りでも昨日観たTVの内容そのまんまでも、知らなかったという
態度を貫き通す事がトモダチへの第一歩。
(4)ターゲットの発言を真剣に聞く
この人は真剣に自分の話を聞いてくれると思わせる事で、ターゲットに
「自分の事を理解してくれる人だ」と思わせるのが目的。
人は誰でも自分の話は聞いてもらいたいもの。ホントは他人の話なんか
1秒も聞いていたくないけれど、自分の話を聞いてもらう為に少しは
こっちも聞いてやらねーとなと、仕方なく耳を傾けているというのが実情。
とにかくターゲットの話がどんなにクソつまらなくてもブリザードなみに寒くても、
身を乗り出して聞いてやればOK。それが苦痛でも大丈夫、話を全て
聞く必要は無い。ここぞというタイミングで「私もそう思います」だとか
「そういう風に考えてるんだぁ」と大げさに感嘆してみせる事で
相手のココロの鼻は天狗ばりにエレクチオン。そして内なるMY鼻は
ピノキオばりに伸びまくり。楽勝です。
(5)決め台詞を織り交ぜる
ターゲットに、自分との関係性を心地よいものだと擦り込む事によって、
かけがえのない存在だと思わせるのが目的。効果的な決め台詞は、
とにかく白々しくないもの、前後の文脈から乖離していないもの、
自然に出てきそうなもの等が要求されます。主な例としては
「自分の意見を持ってるね」「しっかりしてるね」「ちゃんとしてるね」
「自分よりも大人だなぁ」「なんか、独特の雰囲気を持ってるよね」
「知り合えて良かったと思ったよ」「よくそういう面白い事、思いつくね」
「なんか他の人とは違うね」等。文字だとかなり寒いものがあるが、
実際にこれを発言しても不自然じゃないシチュエーションを選ぶのも重要。
「そんなことないよ」と言わせればしめたもの。「そうかなぁ…」と
深く考えるフリをしてみせよう。「どこが?」と突っ込まれたらお決まりの
「なんとなく」で問題無し。
(6)適度に依存する
ターゲットに「この人は自分を必要としている」と思わせる事が目的。
人は誰かに必要とされると嬉しく感じるもの。その誰かってのは
誰でもいいくせにな。鬱陶しく思われない程度に依存する事は
トモダチという関係性をより強くする為に欠かせない。そのうち
「いつも助けてるつもりだったけど、助けられているのは私の方だ…」
なんてターゲットが勝手に勘違いしてくれるかもしれません。
あくまでも重荷にならない程度の相談事で、ターゲットから適当な
アドバイスを引き出して感謝してみせる事で、ターゲットに達成感を
与えるのを忘れないように。コントロールが重要です。
(7)大げさに心配する
ターゲットに「この人はホントに自分を心配してくれている」と思わせる事が目的。
人は気遣ってくれる相手を蔑ろにはできないもの。ターゲットがちょっとでも
不安や心配事を抱えている素振りを見せたらチャンス。しかしヘヴィーな相談を
持ちかけられても迷惑なだけなので、不快を与えない程度に釘を刺しつつ
心配している事を強くアピール。主な例として「話を聞くぐらいしかできないけれど、
何か心配事があったら言ってね」「お金もコネも何も無いけれど、せめて
話を聞く事ぐらいはさせて」「大丈夫?ちょっと無理しすぎなんじゃない?」
「元気?」等。あくまでもさりげなく。
※)総論
これらの事を全て織り交ぜながらコミュニケーションを続ければ、
どんなにダメ人間なアナタでもトモダチを作る事は可能です。
実際にトモダチを作る事に成功したら、トモダチ関係を更に
持続させる為に上記のコミュニケーション技術に加えて、
「長時間、楽しい時間を共有している」とターゲットに
思わせるべく奮闘するべし。応用編として同じコトを
恋愛対象に行使する事で恋愛感情を育む事も、
決して不可能ではない。ただしツラ次第。
【サブカルンバ】
俺はどうやらサブカルの御神体らしいのであります。サブカルが好きとか
サブカル趣味とかじゃなくてサブカルそのものなのだそうです。ですので、
本物とか本質とか熱狂とか愛とか情熱とか努力とか根性とか真実とかに
対して「ふふーん」とか「へー」とか「熱いやね」とか「まァ悪くないよネ」と
言い続ける修羅の道、サブカル道を極めているというよりは何も考えずに
天然で極め過ぎちゃった結果が免許皆伝とか教祖とかを通り越して、
もうDNAの形がカタカナでサブカルって目に見えるレベルの御神体。チーン。
そもそもサブカル好きとかサブカル趣味にとどまっている人達には狡猾な
罠が仕掛けられていることに気付いていないケースが多く、それは誰もが
必ず通らざるを得ない道だとは思います。いわゆるマイナーだから偉い!
マイナーだから凄い!という過度な思い込み、その中にはマジョリティを
見下した視線が隠されているんですが、そもそも本来ならばネガティブな
意味で使われるマイナーという言葉が根拠の自信とはいったい何なのか
少しは自問自答しましょうよ。もちろんメジャーは無条件に素晴らしい!と
言い切るというのもちょっと違います。要はバランスなのです。チーン。
そしてサブカル好きやサブカル趣味に見られるわかりやすい傾向として、
他の人と違う自分に惜しみないラブ、これです。まぁ、実際にそうだったら
まだ単なるイタい人で済みますが、他人とこれっぽっちも違わないという
現実からはそっぽを向いて、私って個性的!友達にはちょっと変わってる
ってよく言われるの!と嬉しそうに表明するのをよく見掛けます。それって
喜んじゃダメなのでは?むしろ少しはドヨーンと凹むべきだと思いますが。
シンプルに数の問題で言えば、上記の文句をプロフィールに嬉々として
書いてるヤツなんざ吐き捨てるほどいるのですが、なのに珍しいのか?
アンタ達の大好きなマイナーってやつなのか?ん?おかしいぞ?チーン。
マイナーなものは偉い!だからマイナーなものが好きな自分も偉い!って
言ってるような大いなる勘違いの権化でいるうちは本当のサブカル道は
到底辿り着けません。本当のサブカルは自分がメインだと思っています。
ただただ求めるものや生き方が結果的にことごとくサブカルだっただけで
むしろなんでみんな俺と違うのかマジ不思議と素で言い切るスタンスこそ
サブカル好きとかサブカル趣味なんて中途半端な勘違い状態ではなくて
「友達にはちょっと変わってるってよく言われるんだ」とわざわざ自分から
表明する必要も無く「うん、おまえ、サブカル。」と言われる状態。チーン。
【俺がオマエでオマエが俺で】
よくマンガなんかで「俺が俺であるために!」とかホザきながら
主人公が敵と戦ったりするシチュエーションがあるんだけど、
俺が俺であるなんて当たり前じゃん。何かしてねえと自分すら
保てねえような余裕の無えヤツが、世界を守ったり悪を滅ぼしたり
できるわけ無えじゃん。オマエは何かしてねえとオマエじゃねえのか?
って言いたくもなるじゃん。俺はこれをやってねえと俺じゃなくなるんだ!
とかさ、一瞬カッコ良さげなんだけど、それってどうよ。オマエじゃなくなる
っつーのなら何になるって言うのよ?あ?あぁ、ウジムシとかか?納得。
いやもちろん誤解しないで欲しいんだけど、そういう言葉や文脈の
深い意味はわからんでもないよ。要は立脚点とかアイデンティティーね。
でもな、そんなもん自分でわかってりゃ良いことじゃないですかねえ。
いちいち声高に表明することかよ?必ず誰かがいるシチュエーションで
それを言うってことは、もしかして何か周囲に期待してるわけ?
ハイハイ、アンタは甘い饅頭とお茶が無いとアンタじゃなくなるんだったねと
シワクチャなババアが茶色のお盆に乗せて運んでくれるとでも?あ?
てなことを黙ってりゃ良いのに書いてスッキリする俺が何よりダセエ。
【心地好い落胆】
漠然と、森羅万象あまねく全てを「知る」瞬間というものを
獲得したいと思っていました。いわゆる神へのステップを踏もうと
眼をギラギラさせていたワケです。でもそれはどこか壊れていなくては
できない事がわかりました。月並みですが、知らない方が幸せなコトも
あるという使い古されて粘菌から糸引いてるアレです。
だけど未だに少し懐疑的でもあります。
自分自身が感情だとか想念とか感受性といった分野で、
他人様共よりも何かが欠落しているというコトは明らかなのですが、
それを見抜いた人間はいままでに数えるぐらいしか存在しません。
きっとみんな適度に優しくて適度にめんどくさいからいちいち
指摘しないだけなんでしょう。そのほったらかし加減を俺は
優しさだと受け止めています。有り難いコトです。
ネガティブな言い方をすれば、それだけ、世の中は上辺だけの
社交術や言動でうまく泳いでいけるものなのです。と言うと
否定的な顔をする人は多いでしょうけど、コミュニケーションの
中でベターだと思われるカードを選択して繰り出すコトが
悪いコトだとは思いません。これは欠落者が生活の中で
自然に身に付けた生きる術でもあります。意識せずとも
自動的に行われるので、本人には他者と対峙した場合に
気を遣っているとか、配慮しているという自覚は皆無です。
生まれ変わっても鈴木健二にはなりたくありませんし。
踏み込まれるコトを考えると、どこまで踏み込んで良いものかどーか
逡巡してしまいます。ヒトには遊泳禁止区域があるのです。
その区域で泳ぐコトはお互いに危険です。もしかしたら獰猛な
ケモノが潜んでいるかもしれないのです。
自分が自分にできるコトといったら、既に起こってしまったコトは
良かったコトなんだと、強引に自分自身をねじ伏せて言い聞かせる
ぐらいです。そして自分が他者に対してできるコトといったら、
自分がユカイに生きているところを見せつけてあげるぐらいです。
それは真っ赤な嘘でも良いのです。ただし嘘なら死ぬまでバレない
覚悟が必要です。他人に介入して、助けるコトなんて絶対に
できないのですから。その無力さが人生ってものをやっていて
心地よくもある部分だと思います。
【無題】
闇に滑り込んでいくのを防ぎたいのなら
闇から遠ざかるのが得策なのは言わずもがな。
しかし闇は必ず追って来る。
正確に言えば闇は常に近しく存在する。
闇は外部に存在するものではないからだ。
闇からは逃げられない。
忘れるか気づかないふりをし続けるかのどちらか。
対峙するのは愚かな行為。
気を弛めると自分の中の闇に吸い込まれそうになる。
足の裏がジリジリと焦げて、その匂いは憂鬱で甘い。
偉大な人類はこの比類無き恐怖から逃れる為に
ありとあらゆる物質、現象、概念、芸術、文化、
道具、信仰、制度、媒体、狂気を発見、発明してきた。
だけど本当はわかっている筈。
それら全てが本当は乾きを癒す作用さえ無いという事を。
人類が数千年かけて達成したのは、皮肉な事に究極のプラシーボ効果。
それをたかだか数十年間味わって死ぬだけの事。
本当は誰も悪くない。
社会も個人も過去も現在も未来も悪くない。
ただ、そう思う自分がいるだけ。
全ては凡庸で平坦であり、起伏などどこにもありはしない。
少なくとも見た事はおろか感じた事も無い。
全ては自分の中にある。
良いも悪いも楽しいも哀しいも綺麗も汚いも。
善悪も正誤も当為も言い切れない。
外部に独立して存在する対象など望むべくも無いのだから。
本当は何も思わない。
思っていない。
コギト・エルゴ・スムだって?馬鹿言っちゃいけないよデカルト。
本当に懐疑しているかどうかなんて事すら懐疑しきれていないというのに。
メタ懐疑の無限、無間、夢幻。
どんな感情も本当にあるなんてどうして断言できようか。
そう感じるものなのだと長い時間をかけて学習させられて来たに過ぎない。
他者の存在すらどうにでもなる程に。
言うなればコギト・エルゴ・エス。
だけど本当は「思う」って言葉もはなはだ信憑性に欠ける。
いつも罪悪感と共に使っていても、その罪悪感すら
納得しきれない堂々巡りの螺旋模様。
更にもどかしさすら納得できない永久パターン。
同じところをぐるぐると、バターになるまで回ってみたい。
きっと何者かに食べられた時に何らかの確信を得るだろう。
【舞台裏】
こうしてだらだらと下らない文章を気の向くままに書き連ねているが
赤黒く渦巻くものについてはさすがに文章にしたためるばかりか
想念の中で顕在化する事すらためらわれる。
自分にも分別というものがあったのだと安堵すると共に、
最も自分らしい部分がそこに集約するという事実に落胆もする。
そんなところは見なくて良い。誰もが楽しくやっていきたい筈。
余計なものに気付かなくて良い。誰もが憂いを感じずに
生きていければ良いと日々願っている筈。
言うなれば上辺だけの付き合いだとか言いながら、
実際のコミュニケーションを感受レベルのみの発言でしのいでいるのは、
愛すべき友人知人達に対する尊敬と感謝と礼儀と諦念。
【屁理屈】
メスッコの言う「オトコなんて誰でもいいんでしょ!」ってセリフ。
メスッコも同じじゃんか。違うのはメスッコはいちいちスキになるだけで。
それとも、スキになったらOKってのが理由になるとでも?
要するに「スキだと思い込めたら誰でもいいんでしょ!」ってコト。
スキになったりしないだけオスッコの方が誠実だと思うけどねえ。
スキでもないヒトとセックスできないって、不潔ですよ。エロに対して。
【音楽】
サルが骨とか石とか持って岩肌や木を叩いたのを
楽しいと思ったことが始まりだったと思う。
現在、最もテクノロジーを駆使しているイメージが強い
音楽ジャンルであるテクノは、音色を多彩に楽しめる。
人類と音楽とのファーストインプレッションでは、まず
「オ?」と思わせるような音色の発見、コレ面白い
音がするぞ?といった興味がスタートラインだったと
思うんだけど、そういう意味では、なーんだようやく
原点回帰したのかと思うわけです。
メロディでもアンサンブルでもハーモニーでもリズムでもなく
(いやモチロンそれらも大好きだしキモチイイんだけど)
音色、音響を楽しめるテクノが、俺は好きです。
【シルバースキンシップ略してSSS】
昼下がりの病院に行くと、お年寄りがにぎやかに集まっていて、
ここは老人会の集いかよ!といった風景が時々見られますが、
実際に具合が良くないお年寄りだけでなく、ただ何となく
毎日のように来院しているヒトもいるようです。
お年寄り達が病院に求めているものは何でしょうか?
俺はズバリ、スキンシップではないかと思います。
シワ、老人臭、はっきり聞き取れない言葉、会話のテンポ、内容…
このような理由から相手にしてくれる人が少なくなったお年寄り達は、
同じ世代のヒトと会える場所に行けばコミュニケーションはできますが、
スキンシップともなるとなかなか難しいのではないでしょうか。
お年寄りの皆さんは、病院に行けば、医者が自分の身体に、
嫌がらずに触れてくれるという理由で、出掛けているのでは?
診察という名のセラピーを受けるために。
さぁ、お爺ちゃんお婆ちゃんにタッチして怒られよう!
(´ー`)y-~~
【毒とか個性とか無くて良いじゃん】
日記サイトやblogを眺め回していると、ブラックだの黒いだの
毒だの…いろいろとご自分の日記についてご親切に
注意書きを付けているヒトがいます。
そんな日記を発見するといつも期待してしまうのですが、
期待しながら読んでみると、そのブラックだの黒いだの
毒だのといった部分は見当たらず、あったとしてもブラックだの
黒いだの毒だの言うほどではなく『たいしたことない』どころか
『むしろほのぼの系?』ぐらいの勢いですが、これっていったい
何なんでしょう?
ごく稀にキツい文体のものを発見するとにわかに期待が
高まるのですが、キツいのは文体だけでただ底が浅かったり
ただ文句言ってるだけだったりします。しかし、たいていは
ほのぼのしていますね。
(´ー`)y-~~ホノボノガワルイトイウワケデハナイ
オメーラ全員ハイジのオープニングでヨーデル歌ってろと思うぐらい
牧歌的なんですけど、ご自分では凄く痛烈なコトを言ってる
つもりなのでしょうか?そしてキャーちょっと怖いけどステキ!と
思われたかったり、そんじょそこらの他人とは一味違うわよ
フフンとでも思いたかったのでしょうか。ご自分ではフトコロに
長ドスでも忍ばせてるつもりかもしれませんが、出してみたら
レターナイフでしかも段ボール製ですよ。
ブラックだの黒いだの毒だのといった自意識って何なんでしょうね。
「個性的って言われます」「変わってるってよく言われます」という
主張にも似てて微妙にキモイ。わざわざ自分からミンナに言わないと
誰にもわかってもらえない『個性』に必死でしがみつく気持ちは
全く理解できないんですが、なんだか大変そうですねーホント
(鼻クソほじりながら)
あ、もしかして、ブラックだの黒いだの毒だの自分で言ってるヒトは、
テキストの内容ではなく、歪んだ自意識をブラックだの黒いだの毒だのと
自己分析した上で述べているのでしょうか?うわー気付かなかったー。
凄いなー。深いなー。まいりました!俺の負け!!
(´ー`)y-~~ドウセカテナイシ
【オスッコ弁護】
「オトコなんてしょせんカラダ目的なのよ!」
…目的があってヨカッタじゃんw
「オトコはヤることしか考えてない!」
…それ以外のコト考えたくなるような相手には考えてるみたいだよw
「オトコなんてミンナ浮気者なんだから!」
→本気よりマシなんじゃねえの?w
「浮気なんか絶対許さない!アタシ?アタシはいいの!」
→オメーはアメリカか。
【坊主推奨】
オスッコ友達の1人や2人は普通いるでしょ?なんて余裕の
アダルティー態度なメスッコは、もうそろそろ品定めのシーズン。
とはいってもオスッコ友達1匹ずつ思い浮かべてみたところで
別にコイツと付き合うとか結婚とかじゃないんだけれど、実際
どういう感じでアタシのコトを見てるんだろ?と、麦茶をロックで
クピクピ飲みながら考えてもなかなか出ない答えを無理やり
出す方法がありますよ知ってますか知りませんか教えます。
坊主にすることです。マドモアゼル・丸刈リータに変身するのです。
メスッコは髪型でモテたりモテなかったりしますよね。逆に言えば、
丸坊主でも態度が変わらないオスッコは、外見のモテ記号に
惑わされてアナタと仲良くしているのではなく、アナタが実際に
どんな人間かという部分でナカヨシなのです。
逆に、坊主だとひいちゃうようなオスッコは、アナタがどんな意図で
坊主ってるかなんてコトには興味が無いどころか、下手をすると
一緒に歩くメスッコとしてはチョット…と失礼なコトを考えているかも
しれません。
正確には坊主になるとモテなくなるのではなく、余計な蛆虫が
寄って来なくなるだけのことなのです。確かに表面上は今まで
モテてたかもしれません。しかし、それはモテ記号の結果であり、
蛆虫からすればモテ記号さえ揃えていれば、アナタじゃない他の
誰かでも良かったのかもしれません。
メスッコは認めてもらうコトを求めているので、ついつい「キレイだね」
とか「カワイイよ」という言葉をそのまま受け止めてしまいたくなる
ものです。しかし、ここは冷静に。髪型を褒めてくれるオスッコは
いくらでもいますが、その髪型を好むキモチやセンスや精神性まで
ひっくるめてアナタは「キレイだね」と言われていますか?
そこで、この夏、坊主頭がオススメです。「…ど、どうしたの?」と
怪訝な態度を取り、その後連絡が途絶えるか、見せた途端に
「おぉーッ!こんな頭の形なんだぁ!」と大喜びで眺めた挙句に
「さ、触ってもイイ?」と興味津々な態度を取るか、アナタの近くに
いるオスッコはどちらの態度を取るか。実際に坊主にしないとしても
想像してみるのも一興でしょう。
【自分らしさを大切にしないあたりが自分らしさ】
「自分らしさ、大切にしよう!」
一見ポジティブっぽいこの発言、どうでしょう。自分らしさって、
わざわざ大切にしなきゃ出てこないようなものなのでしょうか。
ほっといても醸し出しちゃってたりするもんだと思うのですが。
自分らしさを完全に封じ込めようとしても実際は不可能に
近いので、わざわざ大切にする必要なんて無いと思います。
一度ぐらいは下のようなコトを言われたでしょ?
・今のって凄くアンタらしいよね
・いかにもオマエっぽい発言だよな
・その言動ってホントに貴様チャンならではだよ
・さっきまでアッチの方にいたろ?匂い残ってたよ
・空気が澱んでいたから、すぐオマエだってわかったよ
・オマエらしいよな好き嫌い全然無くて(残飯を漁りながら)
・ホームレスから小遣い貰ってたからもしやと思ったらやっぱりオマエだった
・今あそこのカラオケで歌ってたろ?ネズミがたくさん逃げ出したからすぐわかったよ
え?こんなコト一度も言われたコトが無い?んー。そういうヒトは、
自分らしさがどーのこーの言う前に、まずトモダチを作るのが先。
いやいや、それはトモダチじゃないでしょ?チミが勝手にトモダチだと
思い込んでいるヒト達であって、そういうのはトモダチだと言いません。
少なくとも相手が自分のコトをトモダチと思い込まないと始まらない。
難しい?しょうがないな、じゃあ俺がトモダチになってやるよ。喜べ。
よし、トモダチのしるしに、珍しいモノを譲ってやろう。裏の模様が表に、
表の模様が裏に印刷されているという激レアな50円玉だ。普通は
気付かないぜ。な、凄いだろ?コレ、特別に100円で譲ってやるよ。
な。いいよ、100円で。俺はそれでアイス買うから。
(´ー`)y-~~
日本全国鬱の宮
なんだかここ数年の間で急激にカジュアル化が進んだというか。
とても気軽に使われるようになった言葉に「鬱」があります。
国語辞典では「憂鬱」と同じ扱いになっていますが、
実際には「鬱病」の「鬱」というニュアンスで、しかし
一般的にはもっと軽い状態に対して使用されています。
ションボリだのブルーだのダークだの凹だのオンスだのイロイロな言葉が
使われてきたワケですが、この「鬱」の次は何が流行り、
そして定着するのでしょう。
カジュアルに日常会話で使われる「鬱」の陰には、本当に
「鬱」な為に悩み苦しんでいるヒトも存在するわけです。
そう考えると、「鬱」という表現を選択する意識の中に
自分に対してのイメージ操作といっては大袈裟ですが、
心配して欲しい、構って欲しい、そんな気持ちが
垣間見えるような気がします。
そんなコトを考えていると、何だかションボリしてきて、
ブルー入って、ダークになっちゃって、凹んできて、
オンスで、もう何だか鬱。
鬱は決してアグレッシブな作用がありません。
ですから目黒のパスタ屋で「もう最近とても鬱でさー」とか
言ってた非常にふくよかなOLのアナタは、サラダにパスタ、
ドリンクバーのコーラ3杯という健啖ぶりを発揮されていたので
どう考えても鬱じゃないと思います。ご安心ください。
いちばん上へ