アラック大陸史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        前書き

 

「虚無を産むのが他者であっても、それは他者の責任ではない。そして虚無から抜け出せるのは自分だけである。虚無を実体としてとらえるために、私は文章を書くのかもしれない。私は自分を救えるのか。」

                                 パラドックス

 

 

 私は人の行動全てに理由があると考える。民主主義が生まれたのもそれが何らかの理由で必要であったからであろうし、社会主義に至っても封建主義にいたってもそうであろう。

 この時代には、商人と貴族が支配する国と、王や貴族が支配する国が存在する。

 前者で言うなら、北の農業国デラーザント国、そこでは民主主義を建前とし商人と貴族が権力を握っている。この国で民主主義と言われているシステムは、かつての権力者が自分が平民の出であるため、その権力の基盤を、本来人々が持っているとする「自然権」という理解によって一新したため、始まった。

 しかしこの国は軍事的に弱小国であり、隣国の当時大陸随一の軍事力を持っていたミレリア王国との同盟継続が必要であった。ゆえにデラーザント国は、条約の一部改正を含む不平等な形での「千年同盟」継続を決意した。そこから民主主義と封建主義の同盟という歪な形の同盟が成立したのだが、この同盟が隣国各国に与えた影響は計り知れないものとなった。

                                                                                                                                                                                                         王や貴族が支配している国で、ここ数年体質の改善に成功したのはデールタス王国である。ザンテガント王を中心として中央集権的な国家を模索し、その

 最初にこの大陸を理解するに当たって、かつての偉大なる王エダーザルを述べなければならない。大陸の歴史は彼から始まっていると言っても過言ではない。大陸の暦、「エスタル」は、彼の誕生をもって元年とされる。

 エダーザルはこの物語の時間より四百年以上過去の人物である。なぜ彼が大陸史に燦然と輝いているのか。それは、彼が当時虐待されていた「東の人」と呼ばれる大陸以外の蛮国から労働者として連れてこられた民族を組織し、それまで大陸を支配していた支配階級に対立できうる超国家を誕生させたからである。

 そのため人々は彼を英雄とあがめ、カスミヤ教の最高司祭が、彼に「神遣者」の称号を与えるに至って大陸史に刻まれることとなった。

 おおよその大陸についての理解はこのようなものでよいであろう。では本題へと筆を進めていこう。

 エダーザル以後、大陸史は二人の人物によって激変する。彼らは新時代の創設者の一翼となり、 その名声を不滅のものにした。

 男の一人をハスク・ナルメックという、エスタル四百六年に生まれ、当時ミレリア王国でファニハールと呼ばれていた土地に生きた。歴史書は彼の人生を判断できず「栄光ある反逆者」と不可解な言葉で記している。それゆえに人々に二つの評価を受けることとなるのだが、彼は今も残る墓石の下でそれをどう受け止めているのだろう。

もう一人の男        イッツマー・テラスは、エスタル四百十八年に当時デラーザントと呼ばれた土地に生まれた。彼は多くの土地で力を尽くし、そして誰にも知られる事なく消えていった。ハスクと異なり歴史書は彼を「自由の使い」とむやみに褒めちぎっているが、彼の残したものの大きさから考えるとそんな言葉でさえむなしくなる。

ともあれ物語は時間を超えて人の心を駆けめぐる、そこに記録のある限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      人物

 

      デールタス王国

              マレイム・ラング・ラーヌ国王(ザンテガント王)

                      デールタス王国の国王

              フィオール・フーハートス

                      デールタス王国の軍務長官

              シュル・ナルエール

                      デールタス王国の文官、五大都の行政官

 

      エイメス王国

              エイス・バハール・グォーター

                      エイメス王国最大の貴族

 

 

 

 

      デラーザント国

              ネイル・イフスタル

                      諸国をまわった過去の大詩人

              ナミール・タレス

                      民主制を目指した学者

 

      ファニハール帝国

              エルリック・セイツ・ヴァーレ

                      ミレリア王国からクーデターで独立した皇帝

              ハスク・ナルメック

                      エルリックの参謀

 

 

 

 

 

 

              目次

 

 

                バハールの手紙

 

                ハスクとエルリック

 

                賢人の都

 

                裏切りの人

 

                星降る城

 

          四・五章  空白

 

 

                破滅と結果

 

                大同盟

 

                デールタスの商人

 

                前夜

 

          あとがき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          序章      バハールへの手紙

 

「自らを滅ぼして世界に警鐘を鳴らす者は決して理解されないが、それもまた必要な存在である。」

                          エイス・バハール・グォーター

 

 

 

 一通の手紙が世界を変えることなどあるのだろうか。

 ただ、エイメスの若き大貴族、バハールのもとに誰の目も通さず届けられた手紙は確かにそれであった。

 幼くして両親を亡くしたバハールにとって、心の支えは英雄達の伝記である。彼は特に英雄達のヒロイズムを愛し、国民に善政を施した王達に心が震える思いがしたという。彼の心は、人々の幸福に寄与することで一杯であった。

 しかし、二十五歳のバハールにとって現実は余りにままならなかった。

「人生の転機は、協調性の確立である。」という者がいる。だがバハールに言わせるなら「人生の転機とは、失って得るための決断。」であった。

                                                                                                                                                                                               手紙が届けられる前日、バハールは憂鬱であった。彼はかつてのクルナ三人王の一人、ヘルンの再来と呼ばれるまでに美しい。その鍛え抜かれた全身からは他の貴族

 彼は、心が苦しくなると乗馬をする。ただこの日ばかりは、やや精神の天秤がぐらついており、愛馬に乗って黒髪を長く背中になびかせ、足早に自分の屋敷の門を駆け抜けながらも、彼の心は一向に晴れることはなかった。

「ばかものたちめ!」

 この美しい大貴族は、雲の流れに怒鳴りつけながら必至で悔し涙をこらえていた。

 バハールは、エイメス王国最大の貴族であり実力者であったが、「三大臣制」という制度によって行えることに限りがあった。

 三大臣制とは、エイメスで政治を取り仕切る三人の大臣が多数決により政治決定を行うというシステムである。バハールはこの大臣の一人であったが、同時に彼は、常に彼以外の大臣達からの反対を受けていた。ゆえにエイメスの国政は彼の手を放れ、彼の献策はことごとく無視されている。

 彼の心の瞳は遥かかなたを見つめていた、そのためであろう、エイメス国内に彼を理解できるものは少なかった。

「老人達は、なぜ解らないのだ。」

 彼は国政会議が終わると、腹心の老将ドストームにいつもこぼしていた。ドストームにしてもバハールの言いたいことは解るのだが、自分も相当に年を食っており何と言っていいやら解らずに。バハールの愚痴を聞くに終始していた。腹心ドストームとバハールは祖父と孫ほどの歳の開きがあった。

 バハールの精神は純粋すぎた。貴族社会にあっては、有用な策よりも根回しの効いた策の方が登用率が高い。彼は根回しを行わなかった。それは彼が英雄を崇拝していたことと無関係ではない。

「良策はきっと人々に理解される。」

 彼は、きっとこう考えていたのであろう。

 バハールの転機は急激であった。一通の手紙が彼の行動と人生までも変えたのだ。その手紙に書かれていたことは、彼の歴史観を覆す内容であった。

 それまでドストームには何でも話していたバハールであったが、手紙を受け取って以降、人が変わったように無口になった。

「人々の流した汗や血は、一体何の意味があったのだろう。」

 バハールがドストームに残した呟きである。

 彼の人生は、一通の手紙によって変わり、大陸もまた、彼の行動により大きく勢力図の塗り替えが行われるのだが、それはまた後述しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          一章      ハスクとエルリック

 

「人々の必要によって私はここにいる。それを理解してない者のためにこれからも戦乱の道を歩むのだろう。」

                          エルリック・セイツ・ヴァーレ

 

               

 

 ファニハール帝国は大陸の西部に影響力を持つ国で、皇帝エルリックのクーデターにより興された新興国である。その土地は元来ミレリア王国領であり、それゆえミレリア王国とファニハール帝国とは対立を深めている。

 話は、ファニハール帝国を興した二人の人物から始まる。

 

 

 その頃は、最北の国ミレリア王国では寒波の訪れる季節であった。

 外は雪がやまず、石で作られた家々には多くの雪が降り積もっていた。凍り付いたドアの前には氷柱が降りており、それらは子供たちによって折られることを恐れているかのようでもあった。既に陽は炎に席を譲り、辺りは暗やみに包まれていたが、それでもミレリア国軍の将軍エルリックが住む屋敷の明かりは消えなかった。

 エルリック・セイツの屋敷はミレリア王国郊外にある。平時であれば人々は「何事であろうか」と眉をしかめる時刻ではあるが、戦いがはじまらんとする今であるから「なるほど」と納得するのであった。

 エルリックは国王直属の軍隊「ミレリア国軍」の将軍であり、それゆえこのたびのクルナ王国への出兵のための計画立案などの作業に追われていた。

 屋敷の一室、閑散としたそこには、二十八歳のエルリックと十代後半の少年が円卓越しに座っていた。

 琥珀色の瞳に炎の光を映し出して、エルリックはいかにも愉快そうである。エルリックはいつものゆったりとしたガウンをはおり、何処か人を試すような表情を作って少年を眺めていた。

 エルリックは若くして口髭を蓄えている。まだ伸ばし始めであるため不規則に濃くはあったが、エルリックは気に入ってる様子で、視界に新しく登場してきたこの来訪者を、時々はうつむいて眺めたりしていた。

 エルリックは公私を分けて行動する。特に彼の公においての態度はふだんの彼からは想像もできない明快さがある。エルリックの兵士が彼を信頼し彼の指揮に忠実に従うのも、彼の明快さが安心を与えたからであった。

 しかしエルリックが少年と対するときの態度は、まるで無邪気に教師に反抗する生徒のようで、少年を困らせる質問を次々に考えては問いかけていく。少年もまた、その質問にいちいち答え、自分の意見を述べることでエルリックに自分を認めてもらおうとしている、そんな関係が二人の間にはあった。

 その少年は軍服を着ており、それは見事に着こなされている。彼の胸にある勲章は同年代の少年たちのあこがれを受けるに十分なものであった。ただそれは全て軍服にありながら文官としてのもので、そこにはエルリックが持っているような武官としての勲章はない。つまり少年は、人々に文官としての才能が認められている人物であった。

 少年は、落ち着きのある、しかし子供っぽさの残る顔立ちで、とおり一辺のハンサムと呼べるものである、ただその反面その中に独特の個性もにおわせていた。

 もし、少年を全く知らない人が彼を見たなら、第一印象はその病的なほどに白い肌であったろう、もっとも少し彼と話したなら妙にさめた言葉と表情、それに彼の持つ独特の魅力に引き込まれるのではあるが。

 少年は大人びたそぶりで円卓の上の燭台を眺めていた。

 エルリックがいつものように少年に質問を投げかけた。

「ハスク、今日はデラーザント国の話をしようか。」

「はい。」ハスクの言葉は、簡潔に答えた。

「俺はデラーザント国の民主主義なるシステムが理解できない。人々が分け隔てなく生きる、それは不可能だ。幾らきれい事を並べたところで人は他人と同じだということを望まない。そうだろ、ハスク。」

「エルリック様、デラーザント国は今、他国に類を見ない成長を続けています。確かにそれは我が国との同盟の影響もあるでしょうが、成長の源はやはり民主主義と言うシステム独自のものがあるでしょう。」

 エルリックはハスクの答えが的外れのものであることを知りつつ、問題をデラーザントの民主主義に絞ろうとするハスクの考えに乗った。

「あのシステムは大陸各国にとって驚異だと思うが、それについてはどうだ。何せ、王の権力が先天的に必然性を持つものではないと言ってるのだからな。」

 エルリックは少し意地悪そうな顔を作ってハスクの答えを待った。将軍としては見せたことのない素振りである。

「私はデラーザント国の商人の力が弱いうちは恐れることはないとはないと考えますが、いずれエルリック様の言われるように大陸各国にとって民主主義は驚異にならざるを得ないでしょう。」

 ハスクは言葉を選ぶようにゆっくり答えた。

「ただ同時にあのシステムは、長続きしないとも考えています。」

 そうハスクが言い終わったとき、ドアをノックする音が響いた。

 エルリックが「入れ」というと、扉を開けてエルリック家の年老いた召し使いが姿を現し、夜食をどうするかなどを若い主人に尋ねた。

 エルリックは「酒を持ってくるように、そしてもう休んでもいい」と言った。

 時刻は世間の寝る時刻をとうにすぎており、召し使いの目も幾分疲れを訴えていた。召し使いは入り口の向かいにある暖炉に火を足し、その後で「すぐにお持ちします。」と言って出ていった。

 ドアが閉められて部屋が沈黙すると、エルリックは笑いながら言った。

「もしデラーザントのシステムが我が国に入るなら、俺はあの男に何も頼めなくなるかもしれないな。」

 エルリックの言ったことは間違いであり、デラーザントの民主主義は、早くして貨幣経済が国内に浸透したという土壌を持っている。つまり貨幣を労働の対価とする考え方があり、それは資本主義と呼ばれるものであるが、それがためにデラーザントに民主主義は成立している。

 ハスクはそれがエルリックの冗談であるということを知っていたため、何も答えず黙っていた。エルリックがそう言ったのも「貴族は奉仕されて当たり前」と思っている貴族が多く、エルリックのように冗談で言える人物が少ないという事実があったからである。

「そうそう、デラーザントのシステムが長続きしないと言ったな、それは俺が言ったことと同じ理由からか。」

 エルリックの瞳は憂いに満ちてハスクの見識を試す風があった。ハスクはそれを正面から受けとめエルリックに対していた。ハスクは答えた。

「おおむねそれが大きいでしょうが、民主主義と歌っていながら実際の権力は旧貴族と大商人の手にあります。これはいずれ問題視されることになると思います。それに、軍備においてもあの国は脆弱すぎます。あの国は奇妙なバランスの上で辛うじて生き残っている状態ではないでしょうか。エルリック様の望まれる未来においては、あのシステムでは対応しきれないでしょう

「すると俺は大陸一の悪党になるのかもしれないわけだ、新システムを叩きつぶした男として。」エルリックの返事にハスクは即答した。

「新システムがつぶれるのは、単に運用者の責任です。」

 エルリックが何かを言おうとしたとき、再びノックの音がそれを遮った。

 エルリックが先ほどと同じ台詞を繰り返すと、召し使いがウィスキーの入った瓶とグラスを二つ、そして氷の入った大きめのグラスを盆に乗せてゆっくり入ってきた。

 召し使いは円卓の上にそっと盆を起き、音の立たぬように静かにエルリックの前にグラスを置いて、氷入れから金属のつまみで氷を取り出し二つほど入れた。ハスクにもそうした後、エルリックの方のグラスにウイスキーを三分の一ほど注ぎ、ハスクのグラスには注がず、まだ多く入った瓶と氷入れを卓上の脇に置いた。

「それでは、お先に失礼します。」召し使いはそういって、盆を持って出ていった。

 またしても、ドアが閉められるとエルリックが笑いながら言った。

「そういえばおまえとここで酒を飲むのは初めてだったな。」

「あいつ気をきかせたつもりなのか?、しかしもう少し考えたら何か酒以外のものを持ってきても良さそうに。」

 エルリックは召し使いがハスクのグラスに酒をつがなかったことについて言った。

「きっと重たくて持てなかったのでしょう。」ハスクの顔は笑っていた。

「さて。」エルリックは、ウイスキーをハスクのグラスに注いだ。

「乾杯といこうか。」

「何に対してでしょう。」

「そうだな、十六歳の少年と二十四歳のおやじの夢と希望に向かってでいいだろう。」

 エルリックは陽気そうに杯を交わし、一気に飲み干した。

 それを見たハスクも、幾分ゆっくりではあったが飲み干した。

 年の離れた二人は時のたつのを忘れて、朝日がのぼり雪が宝石になるまで話し続けていた。外ではもう朝日が山脈の頂に達そうとしていた。

 

 

 

 大河は山より出で立ち多くの筋を集め、やがて大海へと乗り出す。アラック大陸最北のミレリア王国。北から西の海岸に沿って南へと続くナルミット山脈を有するこの国の、北の山から大河は産声を上げる。

 一筋であったそれは、やがてミレリア王国の隣国で東に位置する、農業国家クルナ王国のラスクロット大河となりクルナ王国では、西の国境とされている。

 今、新しい筋がラスクロットで生まれている。赤い筋、それは愚かな人間たちの同士討ちの産物であった。

 エスタル四百二十五年。

 人々はこの戦いを「ラスクロットの戦い」と呼ぶ。国境紛争が原因であるこの戦いの始まりを、歴史書は多くを記してはいない。しかし実は、この戦いこそが後の大陸史を大きく塗り替える人物の初陣であり、彼の人生を戦乱へと導く戦いであった。

 その男の名は、ハスク・ナルメック。大陸史上もっとも有名な参謀であり、世はハスクを「西極軍師」と呼ぶこととなる。

 

 ハスク・ナルメックは、最下級の貴族の出である。彼はベフェル・ルベーヌの次男として生まれたが十三歳の頃、その学才を上級貴族であるハスク家に認められ、養子として引き取られた。

 この時代、上級貴族たちにとって優秀な人材を養子として一族に組み込むことは、日常茶飯事の事であった。しかし、彼らの養子に対する扱いはとても粗略なもので、養子の者は、実子とは全く違った粗末な部屋で形ばかりの自由を与えられていたにすぎない。

 ハスクもその例に漏れず、国立の学習院で上位の成績を収めていたにも関わらず、ラスクロットの戦いで出兵の段となるとハスク家で消耗品のように扱われた。

 ハスクは義父により、ハスク家の部隊の一小隊、五十人の指揮官に任命された。しかしその兵はハスク家の正規兵ではなく、臨時で雇った兵である。そしてハスクの義父が出兵に際し若すぎる指揮官、ハスクに言った言葉は一つ「負けたら死ね。」であった。別に義父がハスクを嫌っていたわけではない。それが当たり前だったのである。

 この一件でも、いかにこの時代の養子が疎略に扱われていたかが伺われる。

 もし、ハスク・ナルメックがこのままハスク家の一隊長であったなら彼の生死はどうであったかわからない。

 この時、ハスクに救いの手をさしのべた男がいた。それがエルリック・セイツである。 エルリックには弟、エルリック・クルーヤ(ファニハール帝国独立後はアルバム・セイツ)がいる。エルリックはクルーヤからハスクの存在を知った。クルーヤとハスクは学習院では同期で、歳は離れていたがお互い交流があった。

 クルーヤが常日頃「同期にハスク・ナルメックという優秀な人間がいる。」と、自慢していた事からエルリックはハスクに興味を持ったのだ。

 ハスクはエルリックにより、彼の下で働くことになった。

 ハスクの気持ちはどうであったろう。ハスク家で味わった言いしれぬ孤独感、自分に残された数えるほどの選択権。「死」が彼を常に手招きしていた。それを救ってくれたのがエルリックである。彼のエルリックに対する気持ちは感謝に満ちていたことだろう。

 ともあれ、この時期からハスクとエルリックの交友は始まった。

 ハスクの義父が「死ね」とハスクに言ったのに対し、エルリックの最初の言葉は優しくハスクの心に響いた。

「人の世は負けて好転することの方が多い、例えばハスク、おまえが俺のところへきたことがそうであろうな。」

 エルリックの言わんとするところは、ハスクに解った。エルリックはこの戦いがミレリア軍の負けであるということを言っていたのである。

 

 ミレリア王国とクルナ王国の漁民は、同じラスクロット大河の恩恵を受けていたが、それゆえに境界線についてのトラブルも多かった。近年、ミレリアの鉱山事業が拡大する中でラスクロット大河が鉱物生産のため汚染され、漁獲量が減少しつつある中ではその対立は一層激化していたといえる。

 この対立を自己の権力拡大へと利用したのが、ミレリア王国の全ての権力を握る「ミレリア十貴族」の一家ジョンヌ家であった。

 ミレリア北方に多くの鉱山を領するジョンヌ家が、全く関係ないラスクロット大河の漁民問題に火をつけたのだ。

 ジョンヌ家としては、このまま事態が推移すれば鉱山事業へ漁民問題にかかる責任が持ち込まれる可能性があり、ここで一区切りつけるため、問題の解決を戦争に任せようと考えていた。そしてジョンヌ家の当主アルバス・ホスメル・ジョンヌは、ジョンヌ家にはそのための余剰も人材も十分であると判断していた。

 実際、ラスクロットへ出兵するミレリア軍の過半数は、ジョンヌ家の私兵であった。

 ちなみにハスク家はジョンヌ家とも交流があり、そのため今回の出兵にハスクが参加することとなった。

 ジョンヌ家は傘下の貴族だけではなく、国王直属の軍隊ミレリア国軍にも働きかけを行った。エルリックはミレリア国軍の将官である。そのためエルリックも嫌々ながらジョンヌ家の圧力に屈する形で参戦する事になった。

 ミレリア十貴族がミレリア国軍を私兵のように扱うことを嫌っていたエルリックであったが、さすがに今回の出兵計画案を聞いたときは面食らってしまった。そこには何の目的も意義もなく、まさに私戦としか言い様のない幼稚さで全てが決められていた。エルリックからして見れば何の必要要因も存在していなかったのだ。

 実際、ミレリア軍副総司令のバールモンド・キーオックは、ジョンヌ家の縁者というだけで軍務を担当したこともなく、内政のイロハすら知らぬ無知な人物であった。しかし、そういった人物でも将軍として遠征軍に参加していたのは、貴族社会特有の縁故からである。貴族達は、本来持ち込むべきでないところにまで自分たちの慣習を持ち込んでいたのだ。

 エルリックが十貴族の横暴に反対しつつも今回の戦いに参加したのは、ミレリア軍の損害を減らすためである。

 出兵前、エルリックは自分の親しい人々にこの戦いの無意味さを愚痴り、貴族に対する不満をぶちまけていたという。ハスクにエルリックが「負けて好転」といったのも幾分うなずける事ではあった。

 

 ラスクロットの戦いは当初、ミレリア軍に圧倒的な戦果をもたらした。

 海戦において、クルナ軍はミレリア軍に不意をつかれた形となり、大崩に崩れた。

 ミレリア軍によるクルナ領への侵略は歯止めを失い、拡大の一途を遂げていた。後から言うならば、初戦での大きすぎる勝利のためにミレリア軍の理性は失われたといえるのかもしれない。

「クルナ軍の動きは止まった、近隣の都市を制圧せよ。」

                                                                                                                                                                                                                                       一人馬上で号令をかける将軍、アルバス・ホスメル・ジョンヌ、ミレリア十貴族の一家ジョンヌ家の若き頭首である。鉱

 アルバスは、自国内の貴族に経済活動の活発化を約束して今回の戦争に駆り立てた。彼の背後には「この期に軍事商品の在庫を一掃したい。」と考える商人が賛同した。このため、他の貴族達の承諾を得るのは以外に容易であった。

 商人達が賛同したのには理由がある。ミレリア国内には、慢性的な経済の行き詰まり感があった。それはミレリア王国が鉱山事業で急激な経済成長を重ねてきたが、その生産性がそろそろ頭打ちになってきたという事実から来ていた。

 アルバス・ジョンヌは、ミレリア軍の渾身の一撃でクルナ王国を破壊できると考えていた。

 それ自体、用兵を全く無視した幻想なのだが、実力と実績をあわせ持っていたアルバスに意見できる人物が不在だったため、アルバス率いるミレリア軍はクルナ王国に不用意に兵力を分散させていた。

 

 三つの軍団で編成されるミレリア軍は、本隊をラスクロット大河を背に布陣させいた。二軍はクルナ中部の都市カシスへと向かい、三軍は、海戦の勝利の余勢を駆って、直接クルナの首都バルフォへと向かっていた。

 エルリックは本隊の警護部隊であり、二軍・三軍がクルナ深部へと進みつつある中、彼らの役目も薄れつつあった。

 しかしエルリックは、安心してはいなかった。彼が恐れていたのは敵ではなくミレリア本国、つまり味方の離反であった。この戦いの成り行きを見て参加するはずだった、他のミレリア貴族達が相次いでクルナ参戦を取りやめてきたのだ。

 ミレリア王国の実権を握る十貴族達は、自分たちのバランスを重んじる。彼らの中には、ここでジョンヌ家が大きくなりすぎては困るという判断が働いていた。そのため彼らは国内の貴族達に暗に戦い参加を取りやめさせたのだ。

 アルバス・ジョンヌは勝機に酔って、本国の救援なしでもクルナ王都を落とせると信じていたため、さほど「他の貴族の出兵取りやめ」の情報を重要視していなかった。彼の戦略論の甘さがここに露呈していたのだが、さすがにエルリックはこの情報の重要性を感じていた。

 

「大将軍閣下が出陣を見送られたのはどういうことだ。」

 エルリックは、陣頭で本国からの使者に問いただした。

「先ほども申しましたとおり。デナ・ルテア・ディーノ閣下はご病気のため、ご出陣されません。」

 ディーノ家はミレリア十貴族の内、国王ウィンダル七世の側近家であった。

「もうよい!」

 エルリックは吐き捨てるように言った。

 エルリックの不安は的中した。この戦いにディーノ家は、絶対に必要であった。彼がでてこないとなれば、いずれ幾多の理由を付け、本国からの補給も滞るであろう。そうなれば幾らジョンヌ家がクルナで勝利をあげようと、全て水泡に帰すのである。

 エルリックは側にいたハスクを省みて、尋ねた。

「どう見る。」

 ハスクはエルリックの問いに黙って答えた。

 エルリックは一つ頷き、軍を編纂し直した。

 エルリックの部隊は五万のミレリア軍の内、僅か五百人でしかない。エルリックは「この寡兵でやれるところまでやってみよう。」と決めた。

 これより三日後状況は変わる。

 

 

 

「どういう事だ、なぜ二軍と連絡が取れない!」

 アルバス・ジョンヌの本隊は、突如奇襲をかけてきたクルナ軍に苦戦していた。警戒線はクルナ軍により一蹴され、戦いの先端では熾烈なクルナ軍の突撃が続いていた

 二万のミレリア軍本隊に突入したクルナ軍は、七千にしかすぎない。しかし寄せ集めのミレリア軍に対しクルナ軍は全て正規兵である。

 クルナ軍はミレリア本隊の左翼から突如出現し、突撃によりミレリア本隊に大混乱を起こさせていた。本隊のもっとも手薄な左翼から突撃してきたため、右翼を守るエルリック隊とはぶつからなかったが、もし右翼から突撃してきたらエルリックは危険な状態に陥っていたであろう。

 アルバスはこの新規のクルナ軍に対し、遠くカシスへと向かった二軍を呼び寄せようとしたが二軍も別のクルナ軍に翻弄され、足止めを食らっていた。

 戦いの人的損害においては、クルナ軍の方が大きかった。しかしクルナ軍は狂ったようにミレリア軍を追い続けその動きは止まらない。

 ミレリア軍は、雪崩打ってラスクロット岸へと後退していった。

 本隊へ簡単に敵兵が進入できたことについて、全てが油断であったとは言えない。

 クルナ軍司令官カイン・ミルフィッグの突撃戦術には、敵を混乱させるための様々な仕掛けがあった。

 カインは、突撃前にまず自国内の罪人達を一列に並べて彼らの頭から油をかけ、火を罪人自身で自分に放たせ、火だるまにしてミレリア軍に突撃させた。そののち騎兵隊を突撃させ、さらに後方から丸太をひかせた牛を放った。カインは罪人達に彼らの家族を安堵する事を約束していた。

 火だるまの敵兵にひるんだミレリア軍にクルナ正規軍は突撃した。しかもクルナ軍はすぐに左右に旋回し、クルナ軍の後方より現れた牛達が、乱れ崩れたミレリア兵をなぎ倒したのだ。

 ミレリア軍からは牛の引く丸太の土煙で、何万ものクルナ軍が現れたと錯覚した。ミレリア軍本隊の被害は甚大であった。

 ただ、エルリックはこの変化に対し冷静であった。エルリックはクルナ軍を包囲する形で兵を動かした。

 クルナ軍は、このエルリック隊の動きをみてさすがに本隊への突撃をやめ、軍を引きしばらく後退した。

 この突撃でのミレリア軍の本隊における死者は六百五十九人、負傷者に至ってはその十倍に及んだ。既に兵士達の間には動揺が走り、ミレリア軍本隊の中心部は収拾のつかない状態に入っていた。ミレリア軍はクルナ軍の突撃の恐怖から覚めやらず、波打ってラスクロットに船を求めた。それがたとえ所属不明の船であろうと。

 一度起こった流れは止めようもなかった。次々とミレリア兵達は船に乗船していく。

「何だこれは!」

 止めどなく快進撃を続けるクルナ軍に対し、敗走しながら近くの船に乗船したミレリア兵士達にはさらなるどよめきが走る。上流から流れてきたクルナ船籍の船には、油がまかれていたのだ。

 ある程度ミレリア兵が船に乗ったのを見計らってクルナ軍の再突撃が開始された。

 本隊警護を必至で果たそうとしていたエルリック隊であったが、圧倒的多数で襲い来るクルナ軍のため、路傍の石が馬車にはねとばされるかのようにクルナ軍に道をあける結果になった。

「ふがいない、このような事になろうとは。」

 エルリックは馬上にいた。彼は軽く握った右手を口もとに持っていき、いつにない視線で分断されるミレリア軍の残留部隊を見た。

 エルリックの側から、ハスクが馬を近づけてきた。

「クルナ軍も限界です。じきに引くでしょうが、我が軍の本隊は危険な状態です。」

 ハスクの言葉どおり突撃してきたクルナ軍は、大河沿いに展開してラスクロット大河上のミレリア軍の船に火矢を浴びせかけた。

 ミレリア軍の兵士や将軍達が乗った船は次々に燃え、その火は留まることなく燃え移っていった。クルナ軍はそれを確認することもなく、すぐに兵を引きその場から消えた。

 クルナ側に残ったミレリア兵達は、大河の上で立ち上る煙に、自軍の敗北を知った。

 このときジョンヌ家は若き頭首を失った。後に判明した事実では、このときの船上火災による被害が、ラスクロットの戦いにおけるミレリア側の最大の被害であったという。クルナ軍としては、くしくもここで初戦の仇をラスクロット大河で討った格好となった。

 エルリックとハスクのもとに大河で燃える船から、煙の臭いが漂ってきた気がした。

 エルリックはただ呆然と、大河上で赤々と燃え大量の煙と共に沈んでいく自軍の船を見て、ハスクに呟いた。

「不思議なものだなハスク、クルナ軍が憎くないのだ・・・。」

 エルリックの言いたいことをハスクは解っていた。ハスクとエルリックの顔には、敗戦を嘆くといった表情も浮かばずに、ただ犠牲になった兵士達への哀れみが覆っていた。

 当初五万でクルナ王国に進軍したミレリア軍は、一万の兵を失い、大将が打たれるという不名誉な結果のままクルナへの進軍を諦めざるを得なかった。

 クルナ国内で、ミレリア軍に対し突撃戦術を用いて破った将軍カイン・ミルフィッグが救国の英雄とたたえられている頃、敗走したミレリア軍の兵士達は、訪れるであろう望まぬ未来に顔を曇らせていた。

 ハスクも例外ではなく、一旦はハスク家へ帰ったのだが、義父の過酷ともいえる責めのためにエルリックの下に走ることになった。

 エルリックはハスクを歓迎し、自分の参謀として迎えることになった。

 

 

 

 

 エルリックの勤めは、ミレリア国軍として各地の内乱の鎮圧に当たることであった。彼はハスクの手助けを借り、次々と反乱を鎮めその名を轟かしていった。

 ハスクは、ラスクロットの敗戦から軍学に目覚め、その道の大家に学び、エルリックと共にあることで実地の検証の機会を持つことができた。ハスクにとって、ラスクロットの敗戦が大きな影響を与えたのは確かであった。

 しかし、順調な日々は長くは続かなかった。エルリックの地位がミレリア国軍の最高幹部、大将軍ランスバー元帥に並ばんと目された頃、エルリックの下で働くハスクの存在がハスクの義父の知るところとなったのだ。

 ハスクの義父はハスク・ナルメックを捜していた、ハスクが心配だったわけではない。ハスクの学習院での成績が、実は家の誇りであったことを思い出したからである。

 そしてハスクが、今やその地位を不動のものとしたエルリックの側近として働いていることを知った義父は、エルリックにハスクを返すよう使いを送った。

 ハスクは当然義父の下へ帰る事を拒否し、エルリックがその旨伝えると、ハスクの義父は激怒しエルリックに脅しをかけてきた。

 ハスクの義父としては、彼の持ち物から勝手にエルリックが利益を得ており、しかも「返せ」といえば開き直って「返さぬ」という。これではまるで泥棒ではないかという気持ちがあった。彼にとって、ハスクの気持ちなど関係なかった。

 しかしエルリックは、ハスクの義父の脅しに屈する男ではなかった。

 ハスクの義父はひどく対面を傷つけられたと思い込み、ミレリア軍部へエルリック失脚の工作を始めた。

 彼はミレリア十貴族アルメッテ家の分家であり、軍部への影響力も少なからず持っていた。

 エルリックは窮地を迎えた。

 

 

 

 雪の厳しい日、

 急激な主人の昇進についていけない家が、暖かな暖炉の火を客人と主人に与えていた。中で行われている会話の深刻さを忘れさせるかのように、部屋は暖かい。

「エルリック閣下、私は義父の元に返ります。」

 ハスクは思い詰めたかのような表情で下を見ていたが、エルリックはそれを暖かな視線で見守っていた。

「私のために閣下が昇進できないということがあってはなりません。」

 葛藤の中、昨夜出した結論であった。白い肌が泣きじゃくった跡だけ赤く、その目は決心に満ちていた。

「しかしだハスク、おまえがいなかったら私に今の地位があったと思うか?」エルリックの優しげな問いであった。

「恐れ入ります、ですがこのままでは・・・。」

「そう結論を急ぐな。」ハスクが言い終わらぬ内に、エルリックはハスクの言葉をかき消した。ハスクは俯いたままであった。

「しかし・・」

 まだ何かを言おうとするハスクに、エルリックは何もいわせぬよう、言い切った。

「よし、おまえがここを出ていくというのならそれもいい、しかし行く先は義父のところではない。南部ファニハール地方だ。」

「え?」

 目の周りを真っ赤にしたハスクが、顔を上げた。

 少し照れた表情で、エルリックは言った。

「実は先頃軍部の方から転任の報告を受けてな。南方警備をせよと指令がきた。」

 エルリックは笑って話していたが、内容は彼が左遷されたことに他ならない。ハスクの義父の力はそこまで及んでいたのだ。

「俺を見捨ててしまうのか、ハスク。一緒に行ってはくれないのか?」

 ハスクは、しばらく雷に打たれたように顔をこわばらせていたが、やがて深々と頷いた。

 止めどなくあふれる涙は、拭われることはなく。ハスクはそのまま俯いていた。

 

 エルリックが南方に発ったのは、これより数日後。ハスクは十数日遅れて発ち、彼らは貴族社会から切り離されて生きることになる。

 これより五年後、エルリックはハスクを参謀にミレリア王国から独立、ファニハール帝国を建国する事となる。

 時はエスタル四百三十年。

 小雪舞うファニハールの大地にて、ミレリア貴族の横暴に反対する勢力が結集し、軍部による政権が誕生、エルリック皇帝による政治が始まる。

 

                

 

 エルリック皇帝は昔を思い返していたが、やがて頭を上げた。エルリックは二十八歳を数える。

「いつか話したな。」

 エルリック帝が、あつい口髭の下から思い出したように言った。

 その声は重く、重厚な部屋に響いた。

 帝都ガンダルミアは急造りで、十分な設備は整っていなかったが、旧貴族の屋敷を補強した帝宮は一応の機能に耐えうるものであった。

「デラーザントの国民主権は成功しているかだ。」

 エルリックは、何か思いがあるかのように確実に言い切った。

 昼だというのに暗く閉め切った部屋。エルリックとハスクが、唯一私人として対することのできる場所であった。ただランプの光だけが唯一の頼りとして二つの顔と姿を浮かばせていたが、そのうち一つの陰が動いた。

「エルリック様は民主主義と呼ばれるシステムがお嫌いでしょうか。」

 ハスクは二十歳になり、幾分落ち着きを増していた。

「それが当初の目的、いわゆる正義に従っていれば・・・」エルリックは少し話して止まり、また話し出した。

「いや正義とは、言わんか・・・。つまり、建前通りこのシステムが動いているかだ。民衆とは支配されるべきものだ、奴らは自発的に行動する者ではない。それ故にこれに方向付けをする指導者が必要なのだ。そして指導者は方策を立て、責任を負う。」そういった後、右手にあった葉巻に火をつけ、一息吸うとまた続けた。

「例えばだ、何らかの理由で戦争が起こるとする。このシステムで負けた場合、いったいどうやって責任をとるのだ。民衆全員が責任とって死ぬとでもいうのか。単に権利を与えたように見せて、全てを実際は権力者が操っているではないか。なまじ責任を民衆に負担させているだけ、ほかのどのシステムより悪辣とはいえないか。」

「あるいはそうかもしれません。」ハスクは深く同意するわけでもなく言葉を濁した。

 エルリックはすかさず問うた。

「どう気になる?」エルリックの顔は微笑と共にあり、ハスクは自分の考えを述べる必要があった。

「民衆は集まれば大きな力を持ちます。」ハスクの言葉にエルリックは、まず頷いた。

「もし彼らが権利と義務を理解するなら、恐らくこの大陸でデラーザントを越える国は存在しないでしょう。」ハスクのこの言葉にエルリックは「ほう」と、一言いった後、こう尋ねた。

「しかしデラーザントのシステムが長続きしないといったのは、おまえの方ではないのかな?」エルリックは、意地悪そうな瞳でハスクを見て、また葉巻を口に持っていった。

「実験的な物事の大半は表面的に成功を収めます。問題はそれが恒久的なシステムになり得るかです。民主主義自体は、ある意味、今のシステムを越える可能性を秘めているのかもしれません。」ハスクの言葉が終わってから、少し間がおかれた。

 エルリックは考えてからいった。

「もしおまえが、私に権力の座から降りろというのならいつでも私は降りるぞ。」エルリックは笑いながら言った。

「ご冗談を・・」ハスクは厳しい顔をして俯いた。

「ところでだ、当面の問題だが、今回のミレリア軍にどう対する?」

 部屋はさらに重苦しい空気が支配し、ハスクの作戦計画が幾度かランプの明かりを助けた。

 乗り越える壁は黄昏のためであろうか、人々の心に大きな影を落としていた。大小五回にわたるミレリア軍の侵攻に連勝を納めていたファニハール軍であったが、まだまだその軍備は十分ではなかった。

 

 

 

 人は血を求めることを止めず、しかしそれを恐れもしていた。矛盾を内在しながら、しかしそれを確認する手段をもたず、ただ目前のカオスから目を背けることしかできなかった。

 ハスクはふと考えることがある。立ち上る葉巻の煙を見ながら、常に変動しつつ同じ形を持たない時の流れと、人の営み。どこへ向かうとなくカオスをさまよう人々 。自分はカオスの帰結点を探そうとしているのか。人々を自分の道具として、多くの人々を死なせて。しかし今は迷っているときではなかった。

 ミレリア軍はファニハール帝国最北の都市テャナへと進軍中であり、その総数は三万を越えるという。それに対しファニハール軍は五千をテャナに残し、それを本隊とし、残りの全兵力を別働隊としている。別働隊は二分されており、二軍をハスク、三軍をハーディ・ガルーニが指揮していた。

 二軍は一万、三軍は一千を受け持ち、それぞれ戦場に埋伏した。

 ハスクの軍は、ハーディのそれに比べ随分違っていた。

 ハスクは将軍ではなかった。実際の軍の指揮は大将アルバム・セイツ、中将デラ・ムイネーグ、中将ゴート・ベルニが握っていた。しかし軍旗はハスクのもので、ハスクは確かにそこにいた。ハスクは私兵を持たず、戦場にありながらあくまで軍師の名を通していた。

 ハスクは、自分の任務をファニハール軍全軍の指揮としており、それゆえ全将軍になすべき事は伝えていた。ハスクはその上で、激戦による緊急事態のために最重要地点に身をおいていたのだ。将軍の中にはハスクの行動に不快感を持つものもいたが、しかし同時にハスクの能力も認めていたため、それは大きなものにならなかった。

 

 テャナ城は沈黙していた。いずれ訪れるであろうミレリア軍に対し、城壁は昼にも関わらずやけに冷えて見えた。その一室ではエルリックが国図を前にし、その周りに文武官を配して報告を聞いていた。どことなくエルリックは上の空に見える。

 エルリックは考えていた。ハスクは自分にとって何なのかを。

 ハスクは自分をここまで支えてくれた重鎮である。教師であり、親友ともいえる。自分にとってハスクは、なくてはならぬ存在である。

 しかし、ハスクにとって自分とは何であろう。ハスクは何のために自分を支えてくれているのか。

 エルリックが貴族の中で生きられなくなったとき、ハスクは解決策をくれた。ハスクの著書「帝国望志」の中にある考え方は、今まで当たり前と思われていた十貴族支配を不当とする根拠をそこに納めていた。それゆえ自分はファニハールを建国したのだ。

 自分は今、ミレリア十貴族制度の解体のために戦っている。これまでは多くの人々の利益に合致したためうまくやってこれた。しかし、その後自分は一体どこへ向かうのか、そして自分の進む未来にハスクは従うだろうか。

 ・・・・いや、ハスクは従うだろう。それゆえに自分はハスクの分も責任を負わねばならないのだ。もしハスクが自分を見捨てることがあるのなら、ハスクの好きなようにさせてやろう。どうやったとしても自分がハスクを変えることはできそうにないから。

「帝、ミレリア軍が現れました。」

 そう報告が入ったとき、エルリックは軽く握った右手の親指を口元に持っていっていた。

 

 テャナの遥か北部に前衛基地を構えたミレリア軍は、ミレリア大都アヒリムを三日前に出陣した。総司令はアルバス・ガイネ・ジョンヌ、五十代後半の貴族であり、ラスクロットの戦いで戦死したアルバス・ホスメル・ジョンヌの叔父に当たる。彼はホスメルとは違い、軍事の専門家であった。ゆえにラスクロットの戦いも無謀であるとし、兵は出したが自身は出陣していない

 彼は目の下に深い隈があり、少し口元がひきつっている。髪は初老の兆候を示し鬢髪に霜を置いている。その容貌のためもあって、彼はジョンヌ家では小うるさいという印象で知られていた。

 彼は今回の出兵に際し、徹底して作戦計画を練った。それと共に、ファニハール建国に伴い多くの離脱者を出し、危険視されていたミレリア国軍の幹部を口説き落とし、ファニハール出兵におけるミレリア軍の一翼とした。

 当初から作戦は計画通りに進み、それまでファニハール領へ進行するのに七日はかかっていた行軍を三日にまで縮めたのは、彼の功績が大きかった。

 ミレリア領アヒリムとファニハールの都市テャナの間には、大河ラスクロットへと流れるエシュネイヤ川がある。ガルバハル山脈を源とするエシュネイヤ川は、ラスクロットと共にテャナ城付近に広大な平地をもたらしており、エシュネイヤ川の渡河がミレリアからファニハールへ向かう場合の大きな壁となっていた。

 アルバスはこの課題を輸送部隊を先発させることで解消した。そしてこれにより大きく時間を短縮させることができたのだ。

 ただこれは一つの大きな賭でもあった。なぜかと言えば渡河中に輸送部隊がファニハール軍の攻撃を受けた場合、ミレリア軍にとって深刻な被害を受ける可能性があるからだ。

 アルバスは過去の対ファニハール戦から、エシュネイヤ渡河中のファニハール軍からの攻撃はないと見抜いた。

 現にファニハール帝国の国境の防衛部隊は、ミレリア軍をエシュネイヤに見るなり、それが本隊と思いこみ退却してしまった。ファニハール国境の部隊が、それを輸送部隊と知るのはこの二日後で、この遅れはミレリア軍に大きな有利をもたらし、ファニハール軍は辺境の守備部隊をテャナに集結させる時間を失った。ファニハール軍は致命的な兵力差を抱えることになった。

「ファニハール軍はテャナを拠点としました。」

 そう報告を受けたアルバスは一人、物思いに耽っていた。

 もしアルバスがファニハール軍の指揮官であるのなら、ミレリア軍が渡河し終わる前に少数であれ部隊を繰り出し、相手側の様子をうかがってみるだろう。ミレリア軍は、急な渡河に幾ばくか疲弊しているだろうし、ファニハール軍は大きな損害にならないと考えるのが通常である。それがファニハール軍は一向にでてこない。

「無駄な兵力は使わないということか・・・・。」

 アルバスは思わず呟いていた。

 状況は、彼の軌道をやや外れて進行している。

 ファニハール軍がでてこないため、一部功を焦った部隊長がさらなる進軍を申し出ている。ファニハール軍がテャナ城に集結する前にこれを叩くべきだというのだ。

 アルバスは、ファニハール軍がテャナに集結するまで最低十三日はかかると見ている。一方ミレリア軍は、あと八日あればテャナ城を孤立化させられると見ている。そうなれば、ファニハール軍は大きな被害を出しつつテャナを手放すことになるだろう。テャナ城は対ファニハール戦の要というべき場所だ。これを落とせば二年をおかずしてファニハール全土はミレリア軍のも

 アルバスはテャナ城を早急に落とすことではなく、ファニハール全土から孤立化させることを狙っていた。そもそも一万人を越えるテャナのファニハール常備軍に対し、三万のミレリア軍では少なすぎる。彼のできることは限られていたのだ。

 

 

 

「ハスクは驚き、そして青ざめた。」と、ハスクの側近シャーム・アルベーヌは後に語っている。

 このときハスクは自分の失敗を感じていた。前線の部隊や国境の守備隊には、予定数以上の敵が現れれば、すぐに退却するよう命じてあった。しかしミレリア軍が、もっとも弱い補給部隊を堂々と前面に押し出してくるというのは考えになく、まさか自軍の守備隊が敵部隊を調べることなしに退却してくるとは思いもよらなかった。

 しかもミレリア軍は、ハスクがもっとも恐れていた「ミレリア国軍」まで動かしているという。

 ミレリア国軍は大陸一の装備を持つミレリア最強の軍団であり、その兵員は一万を数える。かつてミレリア王国がファニハール独立まで大陸最強と呼ばれていたのは、この国軍がミレリア各地に起こる反乱を一度の敗戦もなく、完膚無きまでに叩きつぶしていたためである。

 国王直属のミレリア国軍は、国王の権威失墜と共にミレリア十貴族にその指揮権を壟断されていた。

 遡ってファニハールが建国されたのは、十貴族支配を不当とする若手将校が、エルリックを中心にファニハール建国へと動いたからだ。このとき若手将校はファニハールへと流れたが、国軍の老将ランスバー・アミス・ドィーノ元帥などは王への反乱へは荷担できないとし、ミレリア国軍の最高責任者として残った。

 ランスバー元帥は、ミレリア国軍分裂の責任をとり、自ら謹慎を申し出ていたはずである。そのためミレリア国軍は、総責任者不在のため大きな軍事行動を控えていた。

 そういった経緯もあり、ミレリア国軍が動いたとなれば、ファニハール軍は今までにない危機を迎えたといえる。

 ハスクの予測では、今回のミレリア軍の内のミレリア国軍の実体は五千と見ている。かつての主力部隊は、十貴族に恐れられ、ミレリア各地に分散させられているからだ。ファニハールへと動かせるのは多くて総員の半数ほどである。つまり三万のミレリア軍の内、残る二万五千は貴族私兵である。

 国軍が現れれば、ミレリア軍は混成部隊となり、比較的機動力で劣る国軍が後方部隊となる。

 ハスクにしてみれば、先鋒さえ打ち砕けば国軍も無理はしないと考えていた。

 だが今回のエシュネイヤ渡河が早急であったため、国軍と貴族部隊とのタイムラグが失われてしまった。ゆえにハスクは恐怖したのである。

 ハスクは、いざという時のためにエルリック皇帝をテャナに残し、自ら出陣することを決めた。ハスクは、幾つかの手を打ち、ミレリア軍を待った。

 

 

 

 

          二章      賢人の都

 

「人は学べば学ぶほど、自分の器の底が見えてくる。成り行きに任せて力を得たものは、その力の大きさに自分の器が耐えられなくなる。その器を養うものが貴族制度であり、ゆえに私は彼らを失うことができなかった。」                              ナミール・タレス

 

                

 

 デラーザント国は大陸の北部にあり、その歴史の中で多くの文王を排出している。そのためもあって学術分野では、大陸において一種独特のものを形成していた。この国から生まれた民主制も過渡期ではありながら、他の国の同様な論者とは一線を画している。封建制から民主制に移行したとされる、デラーザント国。その変化は、急速な革命運動によってもたらされた。

 王権神授説、「歴代の王は、神によりその権力を授けられた。」とする考え方を、デラーザント国は「人々は神の前において平等である。」という思想によって打ち破った。そこには自らを天遣者と称する若者、ヘイム・スミルの存在と、この新たな思想の創設者である、ナミール・タレスの存在があった。

 ともあれ、彼らがデラーザントを民主制に移行できた土壌から説明せねばなるまい。

 デラーザントは、話の時期よりほぼ百年前に起こった「氷の宝石事件」を契機として約四十年の間、国民的動乱に揺れた。

 氷の宝石事件は、王妃が文王と呼ばれたアレナン・コムカット・ドィーノの目を盗み、国が傾くほどの巨費を投じて、隣国クルナ王国の商人より当時の世界最大のダイヤ「女神の涙」を買った事から始まる。

 この時期デラーザント王国では、二代にわたった先王の暴政により、国庫は破綻寸前に陥っていた。それを何とか立て直そうとしていたのが文王アレナンであり、彼はそれを商業の発展に期待していた。

 アレナン王がまず行ったのは、商人の権利の拡大、商業活動の自由化、関税の撤廃であった。彼はこれにより一時的に財源が減少しようとも、長期的に見れば増収につながると考えていた。

 次に彼は、商人への政策だけではなく、国内の体質までも変えようとした。貨幣経済による市場の確立であった。商人の権利が拡大しても、市場が確立しなければ多くの商人は集まらない。彼は、税を現金徴収する事と共に都市生活者の減税を実施した。これによりデラーザントの各都市には多くの人々が集まり、そこに商人が集った。

 しばらくは、この改革は成功を収めたかに見えた。しかし、しばらくして都市生活者達は減少していった。

 問題は、食糧にあった。減税を当て込んで都市に人々が集中したため、食料生産高が減少し、都市での食料価格が急騰したのである。

 アレナン王はこの報告を受け、積極的に農地拡大政策を採った。しかしこれはデラーザント各地の地方権力者の反対を受けることになる。

 彼らが反対した理由は、彼らが穀物売買の相場が下落することを好ましく思っていなかったからである。デラーザントの貴族達は、王の改革に対し批判的であった。

 彼らは安定を求めていたのである。

 このようにアレナン王の改革が頓挫しているときに、氷の宝石事件は起こった。

 王室と商人のつきあいが多くなってきていたためともいわれている。

 アレナン王としては足元をすくわれた思いがしたであろう。しかもこの「女神の涙」は王妃の手に渡った次の日に消えてしまったのである。

 国民は王妃の行為に激怒し、王妃をして当代一の悪女と罵った。王が王妃を罰しなかったこともあって、国民の怒りは王制への疑問へと向かった。

 これが氷の宝石事件の経緯である。

 氷の宝石事件には、いくつもの推測や憶測が乱れ飛んだが、最終的に人々は「王妃が氷を宝石と見間違えたのだ」と皮肉を込めて結論づけた。

 事件後、デラーザントは大きく変わる。

 商人達が、権利のさらなる拡大を求め貴族を動かしたのだ。彼らは、王が禁止している自由な貿易と、ギルド(商人の組合)の自由化を行えば、自分たちはさらなる利益が得られると信じていた。

 商人から圧力を受けた貴族達は、団結して王に迫った。彼らにしてみれば商人達は重要なスポンサーであり、商人達の意見を無視することはできなかったのである。

 しかし、王はこの案を一蹴した。王は農地拡大が先決であるとしており、それまでに商人が過度の権力を持てば、食料の買い占めが行われ、国民生活に重大な影響を与えると考えていた。

 そんな折、軍部が王に離反した。クーデターであった。

 王は退位し、軍幹部の臨時政権が誕生した。これが三四五クーデターである。

 エスタル三百四十五年に起きたクーデターは、国庫が破綻し軍費が滞納され続けた事による衝動的なものであった。

 国庫が破綻していたため、臨時政権は国民に重税を課した。デラーザント国内は、先の氷の宝石事件のこともあり大混乱となる。

 人々は、このどうしようもない閉塞状態に英雄を求めたのだろう。ヘイム・スミルが登場する。

 自らを「天遣使」と称する若者が、重税に反乱を起こしたのだ。

 「たへる民」と呼ばれている人々が多くすむ都市、ライテで起こった反乱は、商人達の協力を取り付け急速に国民運動へと拡大していった。「農民と商人の国家」をスローガンにデラーザント国軍を打ち破り、エスタル三百八十五年には国民軍を国軍とし、ミレリア王国との外交の成立にいたってデラーザントの全権を掌握した。

 国名もデラーザント王国からデラーザント国へと変え、一切の私有軍を認めず、国民の投票という制度で代表者を出し、三都の代表者三人が政治を行うというシステムを作り上げた。

 物語はこの時、天遣使ヘイム・スミルに見いだされ、学術機関の最高峰に君臨したナミール・タレスに舞台を譲る。

 

 

 

 

 国立の学問所で教鞭をとっていたナミールは、ミレリア王国がファニハール帝国に六度目の戦いを挑んだとき、はげ上がった頭をかきながら情報を整理していた。ナミールは、彫りの深い顔立ちで、長年の間に決別した頭髪の影響もあって、非常に強い印象を人に与えている。この風貌のためか、今だ貴族の影響力が残るデラーザント国で、彼は長年の功績がありながらも権力

 彼は六十三歳になるまで、百人以上の若者を教えてきた。その中には旧貴族の若者も多く、貴族は今だデラーザント国において、大きな力を持っていた。

 その中でも、旧貴族のリーダー格の者にシュテーマー・ドリエルという若者がいる。面長で、大陸民としては珍しく髪が黒色に近い青年であり、人を打ち解けさせる不思議な眼差しを持つ。彼は二十七歳という、政治を担当するには若すぎる年齢でありながら、学問所から政治機構に進み、政官の民治省、公議の役職を努めていた。公議は官僚機構の中枢にあり、政官の長の一

 シュテーマーは暇をみてはナミールの学問所へ通い、政官のトラブルに対する相談を持ちかけていた。シュテーマーは、人を能力で判断する若者であり、その姿勢は貴族嫌いのナミールに好印象を持って受け入れられていた。シュテーマーが若くして高官に上り詰めたのもナミールの強力な後ろ盾があったから、と言われている。

 ナミールの学問所は、デラーザント国の建国の都、ライテの中心にある。かつてこの地で大きく成功した商人が、ナミールが学問所を開くと聞きつけ、進んで自分の家を提供したのだ。

 百人も入れば足の踏み場もなくなりそうな平屋建ての建物であったが、まだ学問が国民にとって一般化されていない時代であったので、それでもデラーザントで一、二を争う大きな学問所であった。

 ナミール自身、学問所の大きさを気にしていたという話はない。

 ナミールの学問所の周りには、当然ながら政府の重要な施設が並ぶ。三都のリーダーが討論する国政所、治安維持を司る機関の中心である治安省、主に国民経済を統括する民治省もここにある。特に目を引くのは、学問所の門をでて目の前にある二階建ての裁定官であった。裁定官では法律の作成と裁判を行う。裁定官から見たナミールの学問所は菱形にみえ、裁定官の職員は

 この日もシュテーマーは、民治省から学問所へと向かっていた。シュテーマーは、ミレリアとの貿易についてナミールに相談に行ったのだ。

 いつもより足早に学問所の門をくぐり抜けたシュテーマーであったが、ふと気づくと聞いたことのないようなメロディが流れてきた。その源は学問所の裏手からのようであり、シュテーマーは「学問所で何をしているのだ。」と諫める気を心に潜めながら、足を裏手へ向けた。するとメロディにのせて歌声も聞こえてきた。

 音痴ではなかったが上手とも言えない歌声に、さらに興味を引かれたシュテーマーの顔は歩きながら次第に綻んでいった。

 裏手には少年が大きな石の上に座っていた。彼は手に、六本の弦がある楽器を持っていた。彼は左手で弦のいくつかを押さえ、右手で弦を弾きメロディを奏でていた。その楽器をシュテーマーは知識で知っていた。ギターというそれはデラーザントより遠く、パホッタイナ王国の楽器である。座っていた少年は、シュテーマーを横に感じると立ち上がって彼を見た。

「それはギターか?」何とも間の抜けた物言いだと、言い終わってシュテーマーは思った。

「はい閣下」少年はその言葉に無邪気に返事した。目をきょろきょろさせながら、座っていた石の苔を手で弄っている少年の仕草からは、シュテーマーが人々に期待する気品は感じられなかった。

「私はナミール先生のご指導にあずかりにきたのだが、先生はおいでになるかな。」

 シュテーマーがそういうと、少年は彼とは違った言い方で

「タレス先生は広間で講義をされています。」と答えた。

 シュテーマーは「おやっ!」と思った。

 ナミール・タレスは、「東の人」とは聞いていたが、自分たちはナミール・タレスを名でナミールと呼んでいる。ナミールを氏でタレスと呼ぶということは、この少年は東の人なのだろうか。

「私はシュテーマー公議だが、君の名は?」

 シュテーマーは確かめたくて、少年に名を尋ねた。

「イッツマー・テラスと言います。」少年は、公議という役職を解っていないかのように驚きもせず答えた。

「テラス君でいいかな、君はナミール先生に何を教えてもらっているのかな。」

 シュテーマーがそう言うと、少年は少し間をおいて答えた。

「私は、タレス先生の身の回りのお世話をさせていただいています。」

 シュテーマーは、てっきりこの少年もかつての自分と同じような、ナミールの学問所の学生だと思っていた。それが単なる奉公人だと知って、つまらない奴と話をしてしまったと後悔した。また、それと同時に先ほどの諫める気持ちがこみ上げてきて、少年に声を荒げて言った。

「世話人がこんな所で何をしている。さっさと自分の仕事をせんか!」

 少年は驚いた顔をして立ちつくし、それからすぐにその場から去った。

 少年が去って、シュテーマーは「ナミール先生もあんな奴を放っておかれるとは、変わられた。」と、自分たちを厳しく教えてくれた、かつてのナミールと比べ少し寂しく感じてナミールが待つ広間へ向かった。

 ナミールは、大広間で二十人ほどの学生を教えているところだった。といってもナミールが話をするわけではなく、ナミールの出す問題に学生達が議論するのだ。ナミールはそれに一定の方向づけをするにすぎない。

 シュテーマーは隠れて議論を聞いていたが、頃合いをみて大広間に入った。

 シュテーマーが現れたため、ナミールは読んでいた本を置き学生の一人に声をかけた。

「イフェルム君、後は君に任せる。」

 呼ばれた二十歳ほどの利口そうな学生は、ナミールの指名を受けると喜びを隠せないように座を立った。

 シュテーマーは、かつて自分もナミールに代理を任されて他の学生に羨ましがられたことを思い起こし、ふと懐かしくなった。彼はイフェルムに、かつての自分を重ねてみたのだ。

「イフェルム君、先生を借りるよ。」そう言い残して、シュテーマーはナミールと共に大広間を後にし、ナミールの執務室へと向かった。

 学問所の執務室は、シュテーマーが入ってきた裏手に面した場所にあり、少年のいた裏庭が見渡せ、夕暮れ前には強い日差しが当たる部屋であった。

 ナミールは椅子にゆったりと座ると、シュテーマーにも席をすすめた。

 シュテーマーは、ナミールの顔を見ていた。ナミールは大きな体格ではない。しかし顔が大きく、そのため六十を過ぎてもなお強い威圧感が失われていない。ナミールの薄い眉毛が最近さらに肌色に近づいたと、シュテーマーは感じた。

 シュテーマーが座ったのを見て、ナミールは口を開いた。

「シュテーマー公議、公務の方はどうだね。」

「先生、シュテーマーとお呼びください。」

「それではシュテーマー君、今日はどういった用かな。」

 いつになく晴れやかな顔で、ナミールはかつての教え子を見ていた。

 シュテーマーは「ミレリアとデラーザントの貿易」についての最近の変化を述べた。

 

 ミレリアとデラーザントはデラーザントが王国だった頃よりの同盟国である。その最も重要な同盟成立要因は貿易であった。ミレリアが鉱物を輸出し、デラーザントが農産物を輸出する。これにより両国間での国をまたがった分業が行われ、生産性の上昇を引き出す。大陸の各国は、この同盟を「千年同盟」と呼んでいた。

 一時期「千年同盟」が崩れかけた時期がある。ヘイム・スミルの革命運動の時期である。デラーザント軍部の臨時政権がミレリア王国に反乱鎮圧のための出兵を要求しなかったこともあって、革命軍がミレリア軍と戦うことはなかったが、革命政権が王権を継承しなかったため、ミレリア王国との同盟継承の交渉は難航した。

 ミレリア側にして見れば、どこの馬の骨かも解らないヘイム・スミルという若者が、自分達大貴族と対等に外交をするなど考えられなかったのだ。

 結局、とても不平等な形での条件で同盟が継続され、デラーザント国内でのミレリア王国への不満は確実に大きくなった。

 ミレリアの穀倉地帯である、ファニハール地方でファニハール帝国が興った時、ミレリアの農産物価格は上昇した。

 シュテーマーはこの機を逃さず、デラーザント国の備蓄が底をつくほどの食料を、ミレリア王国へ輸出した。

 ミレリアの食糧危機は去った。

 しかし、両国の食料価格は、ファニハール独立以前より二割ほど上昇してしまった。原因は三つあった。

 一つ目は、ミレリアの食料自給率が回復しなかった事である。ミレリア貴族は、国内の慢性的な食料不足を、千年同盟に依存して解消することと決めていたのである。ミレリア貴族は、ファニハール独立を一時的内乱と位置づけていた。

 二つ目は、デラーザントの都市人口の増加がある。デラーザントはかつての王、アレナン王の時期より、都市人口集中政策をとり続けており、それは貨幣経済を国内に敷くためのものであったが、その政策は同時に国内の農業生産に十分な余剰があることを前提としている。食料の絶対量が不足してくると、都市生活者の増加は、当然ながら食料価格の上昇をもたらした。

 三つ目の原因は、これが最も大きなものであったが、デラーザントの商人による穀物の買い占めである。

 もっとも食料価格の上昇は、両国の国内問題となる前に解決の方向へ進んだ。手を差しのべたのはクルナ王国である。

 かつてミレリア王国と戦ったクルナ王国が、ミレリアの窮状を見て自国の穀物をミレリア、デラーザント両国の市場価格の七割程度で輸出しだしたのだ。

 クルナ王国の領土は大陸の中央部にあり、内政の拡充は国策として急ピッチで行われていた。その結果、クルナの穀物生産高は大きく増加していた。

 ミレリアの食料価格は、ファニハール独立以前より引き下がった。

 シュテーマーの述べることは以上の経緯をふまえ、現在の情勢へと進む。

 クルナの穀物は、ミレリア国内でデラーザントのそれを駆逐してしまったのだ。クルナの穀物価格はデラーザントの約半額であり、味覚もミレリアの人々に受け入れられた。

 デラーザントにとっては、これは食糧問題にとどまらない。

 食料の輸出が激減したことは、同時に国内にデフレーションを引き起こす。

 デフレーションとは、物価の下落などにより通貨の価値が上昇する現象のことである。この時代、穀物の価格の下落はその他の生産物価格にまで影響する。食料価格の下落は、同時に他の生産物価格の下落も促す。ゆえに通貨の価値が上昇するのである。デフレーションは、商人達の貸し付けている債権の利子を実質的に上昇させる。利子の上昇は、その最大の債務者たる国家

 シュテーマーでもそこまでは理解できなかったが、当面の問題として食糧があまり、鉱物が不足してきた事は把握できていた。

 その他にもこの問題は、外交問題へと発展していく可能性を秘めている。

 民治省の官僚の中には千年同盟を理由に

「ミレリアに商品を買うことを要求するべきだ。」という者もいた。

 彼らの勢いは、ともすれば千年同盟自体、白紙に返しかねなかった。

 シュテーマーは自分の案をナミールに言った。

「穀物の全てを一度政府が買い取り、政府が流通価格を定めて民間に売り出すことができれば解決できないでしょうか?」

 ナミールはシュテーマーの案を聞き、しばらく考えて不可能という結論を述べた。

 幾つかの理由があった。政府が穀物の価格を決定するということは、一時的には成功して穀物価格の上昇を促すことはできるであろう。しかし、長期的に見れば政府は大きな病の源を抱えることになる。つまり政府の財政的な負担が大きすぎることが疑問点であった。

 ナミールは、逆にシュテーマーに尋ねた。

「クルナの穀物市場価格はどれくらいであろうか。」

 シュテーマーが価格を答えると、次はミレリアの穀物市場価格を尋ねた。

 シュテーマーが答えた価格はクルナの穀物価格の五分の四であった。

「クルナはなぜ自国内より安く輸出できるのか?」

 ナミールの質問にシュテーマーは考え込んだ。

 しばらくしてナミールは、別の質問をした。

「ミレリアの内乱(ファニハール帝国の独立)は、いつ治まると考ているのかな。」

 この質問はシュテーマーにとっても大きな関心事であった。

「恐らく今回のファニハール出兵でも、当分ミレリアがファニハール領を回復することはできないと見ています。」

「私もそう思う。たかだか三、四万の兵力で、ミレリアがファニハール全土を回復させることができるとは思えない。ではなぜミレリアは、そう幾度も出兵できるのだろう。」

「ファニハールが必要だからでしょう。」

「ミレリアが出兵できる背景はそれだけではあるまい。」

 ナミールの問いは、シュテーマーにかつてのナミールの言葉を蘇らした。以前ナミールは戦争の起こる条件を教えてくれたことがあった。

「軍部の食料備蓄にゆとりがあるからですね。つまりミレリアは、クルナによって戦争を起こさせられているということですか。」

「そうかもしれないな。クルナは意図的に安く輸出することで、ミレリアの潜在的な力を減少させているのかもしれない。」

「目的があっての現在の状態であれば、長期的に見て輸出が現在のまま行われるわけがない。ナミール先生は、そう言われているのですか。」

 シュテーマーの言葉にナミールは答えず、別のことを言った。

「わが国の輸出が減ったとはいえ、それはわが国の富が減ったこととは思えないのだ、内需を高めていくことが今のミレリア依存のわが国の体質をかえる時期と、とらえるべきではないだろうか。」

 シュテーマーは、しばらく下を向き考え込んでいた。次々と浮かんでくるアイデアは、一つの方向へ向かっていく気がしていた。やがてナミールに対したシュテーマーの顔は晴れ上がっていた。

「市場に政府は介入するべきではない、それが先生の持論でしたね。」

 そう言った後シュテーマーは、千年同盟の課題を話しだした。

 ナミールはシュテーマーの出す提案のいくつかについて賛成し、不当と思えるものにはやんわりと否定しながらシュテーマーの成長を感じていた。

 実務的な話が終わりを告げた頃、ナミールの代理人として学生のまとめ役をしていたイフェルムが入ってきた。

 イフェルムはシュテーマーに一礼した後、ナミールに尋ねた。

「ナミール先生、時間になりましたがいかが致しましょう。」

「もう終わってよろしい。」

 ナミールがそう言うと、イフェルムは再び礼をして部屋から出ていった。

  しばらくしてシュテーマーは口を開いた。

「優秀そうな学生ですね。イフェルム君と言いましたか、彼は。」

「イフェルムは、確かによくやる。」

 ナミールがそう言った時、少し寂しそうだったのをシュテーマーは見逃さなかった。

「何かご不満でも?」

「イフェルムは底が浅い。いやイフェルムだけではない、最近の学生のほとんどがそういえる。」

「底が浅いとおっしゃられる・・。」

「今の学生は、私の所へ何をしにきているのか解らない。」

 静かにそう呟くナミールの口からは、今にもため息が漏れそうであった。

 確かにナミールの学問所は、その名声から学生の数も増えてきている。しかしナミールは学生の数が増えるにつれ、学生はかつてのように「自分自身で学ぶ」という姿勢を見失っているように感じるのだ。

 かつての学生はナミールが問題を出すと、正解かどうかは別として自分の意見を述べ、そして他人の意見と戦わせていた。

 それに比べ今の学生は、他人の意見を否定するばかりで自分の意見を言おうとしないのだ。そこには進歩的な意見はなく、単に現状に付随した一般論が展開されているにすぎない。

 学生達は、ナミールの学問所に在籍していれば政府の役職に就けると考えていた。また現に、ナミールの学問所からは年に数人、政府の高官に任命される者達もいた。

 だがナミールが学生に求めていたのは、政府の高官になることではなかった。ナミールは学問を国内に広めることを学生に求めていたのだ。

 デラーザントは激変している。この時期に必要なのは、新技術や新しい思想であるとナミールは考えていた。

 無論例外もある。ナミールはシュテーマーについては、政府へ行くことを喜んでいた。なぜならそれは大貴族の残党を政府に組み込むことになり、大貴族の不満を政府からそらすことができると考えていたからである。

 ナミール・タレスは貴族出身であった。しかし彼は、同時に貴族を憎んでいた。

                                                                                                                                                                                                                                                                     大陸には土着の民族の他に、「東の人」という民族がいる。聖王エダーザルの生まれる

 東の人はエダーザルによって統一され、大陸において一定の地位を築くに至るが、それでも大陸の先住者、大陸民に完全に同化することはできず、大陸の東部からそれ以上、影響力が広がることはなかった。

 ナミールが東の人であることは先に述べた。デラーザントの貴族社会において東の人は、決して大きな勢力ではない。ゆえにナミールの父母は他の貴族から冷遇されてきた。ナミールの心の奥には、そのことがトラウマとなって残っていたのだ。

 彼は貴族社会を憎むあまり、ヘイム・スミルの革命運動にも参加したのだろうと想像できる。彼にとって旧体制を破壊するヘイム・スミルは、待ち望んでいた存在だったのだろう。

 しかし、多くの人々は、革命後の彼の行動に不信感をあらわにする。ナミールが多くの大貴族を政治の中枢へと引き上げたからである。人々は彼の行動に矛盾を感じていた。

 実はナミールにしてみれば、その事はおかしいことでも何でもなかった。彼は自分が貴族であることから、貴族とは人々を導くものであると信じており、当時の享楽に身を任せていた大貴族たちが許せなかっただけなのである。

 彼は、デラーザントが民主化されて以降、旧大貴族の子息を集めて、デラーザントのリーダーを育成しようとして学問所を開いた。その折、大商人たちもまた多くの献金を払って子息を預けようとしたため、貴族と商人の学問所となり、今でもその流れは続いている。

 

 

 

 シュテーマーは、夜も更けてから帰った。ナミールは、シュテーマーがまた訪ねてくることを密かに望みながら、彼を見送った。

 シュテーマーが帰った後、ナミールは書斎で考え込んでしまった。

 デラーザントは今、変わらなければならない時期に来ている。ミレリア十貴族体制は遠からず破綻を来す可能性がある、その時千年同盟をどうするか。ミレリアなき後、デラーザントに起こるであろう反乱をどうするか・・・・。

 気がつくと、庭でテラスがギターを弾いていた。

 しばらく椅子の上で目を細めて聞いていたナミールであったが、ふとテラスに声をかけた。

「おまえも会ったろう。シュテーマーはどうであった?」

 テラスは不思議そうな顔をしていたが、間もなくして答えた。

「解りません。」

「おまえも悲しいことをいう、いいから感じたとおりのことを言ってみなさい。」

 ハスクは目をきょろきょろさせていたが、やがてギターを弾き出した。

 歌はクルナ王国で最も有名な悲劇の王、クルナの三人王の内の一人、ヘルンを偲ぶ歌であった。その歌は大陸北部の人々がよく知る歌で、特にクルナ王国では最も有名な歌である。

「おまえはシュテーマーがヘルンに似ているというのか・・。」そう言いながら、ナミールは目を閉じて歌を聴いた。

 

 クルナの三人王はクルナ史の中で、魔王イジェリナに次ぐ有名な王たちである。

聖王エダーザルの生きた時代、三人王つまりアルパス、ヘルン、カルーズがいた。彼らは同じ父と同じ母を持つ、兄弟であった。

 三人はそれぞれ長所が違っていたため、それぞれが最も得意とする分野を担当していた。長男カルーズは軍事を、次男ヘルンは外交を、三男アルパスは内政を受け持っていた。

 彼らは若くして先王をなくし先王の遺言で、三人の王としてお互い協力してクルナをもり立てるという誓いを行っていた。

 十年の間、三人は仲良く国を守り続けた。

 三人の中でもカルーズは特に、物事を自分がまとめることに執着する性格で、最初は彼が三人の中でリーダーであった。数年はその構造に変化はなかったが、外交において劇的な変化が訪れた。

 美青年ヘルンの影響が大きく、彼の活躍によりまわりの国々が次々と同盟国となっていったのである。彼の活躍は顕著なもので、当時大陸の東半分をその領土としていたエダーザルの国、エダーザントまでも同盟に引き込み、残りは弱小ホーブェム(今のファミス)だけとなってしまっていた。

 カルーズはお株を奪われた形となり、当然ながら国民の中でヘルンの人気は大きなものとなっていった。ヘルンの人気が、アルパスやカルーズのそれを大きく凌いだとき、この国の陰謀家ミシェ・ハイスが「ヘルンがクーデターを計画している。」という噂をクルナ国内に流した。

 ヘルンにしばらく会うことのなかったカルーズは、事の真相をヘルン自身から聞くべく数人の供を連れヘルン宅へと向かうのだが、途中ハイスが送った暗殺者に命をねらわれる。命からがらその場を脱したカルーズは、この暗殺者はヘルンが送ったものだと決め込み、いよいよヘルンに疑惑を抱く。

 カルーズは自宅へ戻り、手勢二十名を率いて再びヘルン宅へと向かった。

 ヘルン宅についたカルーズだったが、ヘルンの従者に「ヘルンは留守だ」ということを告げられる。

 しかしヘルンはその時、自宅にいた。彼は自宅にホーブェムの使者を招き、同盟締結の最後の交渉を行っていたのだ。

 そんな時にカルーズに入ってきてもらっては、全てがぶち壊しになりかねない。カルーズは、交渉というものを理解していないため、ホーブェムの使者を脅しつけてしまうだろう。全てが決定してから発表する、ヘルンはそのつもりでいた。そういう理由で、ヘルンは居留守を使った。

 カルーズはヘルン宅の会議室の明かりが、黒のカーテンからぼんやり漏れているのを見とがめ、不審に思って兵の一人にヘルン宅を探らせた。するとヘルンはホーブェムの使者と話をしているという。

 ヘルンが自分を無視して行動する事への怒りと、かねてからの不信感が爆発したカルーズは、声を荒げ兵士達に屋敷に乗り込み、ヘルンを捕らえるように命令した。

 しかし、ヘルン宅にはハイスの手の者がいた。彼はヘルンの従者になりすましており、カルーズが兵を送り込むと同時に、どさくさに紛れてヘルンを短刀で刺し殺してしまう。

 カルーズの下へ ヘルンが死んだことが伝わると、カルーズは正気を取り戻す。

 ヘルンの死は他国を呆れさせ、やがてクルナは信用を失っていく。三男アルパスは、兄に「このままではクルナは大陸全土を敵に回してしまう。」と、伝えた。

 カルーズは、国民の前で自決する。

 ナミールは目を開けた。

「するとシュテーマーは、誰かに狙われるということか」

 心の中でそう呟いたナミールは、テラスに言った。

「若い者は焦るものだ。」

 テラスは解ったのだろうか、きょとんとしていた。

 

               

 

「ファニハールでのミレリア軍は、先鋒を失い退却した。」

 その報は、十日をおかずしてナミール・タレスの耳に伝わった。

 ナミール・タレスが手にした情報は、次のとおりである。

 反乱軍(ファニハール軍)を鎮圧するために出兵したミレリア軍の総数は三万五千、対してテャナ城に集結したファニハール軍は一万七千。

 エシュネイヤ川を渡ったミレリア軍は、ミレリア国軍五千とデナ・ルテア・ディーノ軍八千を本隊とし、中級貴族軍二万二千を先発させた。

 怒涛の勢いでテャナへと進む二万二千の先鋒は、各地にあるファニハールの防壁をほぼ無傷で突破した。ファニハール軍は各地で戦わずに敗走し続け、ミレリア先鋒軍をテャナ城に招く格好となった。

 ミレリア軍先鋒の内五千が最後の防壁を突破した時が、ミレリア本土から出兵して七日目になる。しかしミレリア兵士達は疲労を見せなかった。彼らにとっても予想外の快進撃に先鋒は、本隊の到着を待つことなくテャナ城を包囲しようとした。

 ハスクはこの機を逃がさず、ミレリア軍先鋒隊の背後から伏兵一万を突撃させた。

 ミレリア軍の先鋒はよく戦い、混乱もなくハスク軍と互角に戦った。この時ミレリア軍本隊が急進し、ハスク軍の後方をつけば、ミレリア軍の勝利は決定的になったかもしれない。しかし、ミレリア国軍もデナ・ディーノ軍も動かず、勝機を逃した。ミレリア軍本隊の中には不信感が続出していた。戦場にあって貴族達は議論を始め、それをとりまとめるはずのジョンヌ家まで

 ハスク軍と戦うミレリア軍先鋒のまた後方から、ハーディ・ガルーニ率いる騎馬隊一千が突撃したことが勝敗を決した。

 ハスク軍に対するため、ミレリア軍の司令官達は慌てて後方へと退いている。そこに突撃したハーディは時期を完全に捕らえていた。

 ミレリア軍先鋒の司令官や貴族達は次々と捕らわれ、殺され、先鋒は数珠の糸を抜くように壊滅した。

 ハスク軍とハーディの隊は逃げる先鋒隊を深追いせず、陣を構えてミレリア軍本隊を待った。

 ミレリア軍本隊は先鋒の敗退を聞いて、いそいそとミレリア本国へ帰還した。

 

「ハスクは無理をする。」

 報告を受けたナミールはそう呟き、遠くファニハール帝国の方角を向いた。

 ナミールであればテャナ城で篭城していたであろう。ミレリア軍に長期戦を戦い抜ける指導者も力もない、とナミールは見ていた。ミレリア軍の戦線は長すぎるため、本国からの食糧輸送が困難であろうし、その食料も安定供給できるか疑問である。

 そもそもミレリア軍の出兵自体、時期や理由を掴んだものではなく、端から見れば発作的な出兵に見えなくもなかった。ナミールはミレリア軍の一連の出兵を、まるでファニハールという宝剣をミレリアという研ぎ石が、より鋭利にしているのではないかと疑いさえしていた。

 ファニハール軍は、ファニハール軍で被害を最小にするために野戦を挑んだのだろうが、ともすればそれは大きな賭であるといえる。ナミールはそれを「無理」と言ったのだ。

 ともあれ、六度目のミレリア王国によるファニハール出兵も、シュテーマーやナミールが予想したとおり、ミレリア軍の敗退という結果になった。

 

               

 

 大陸は八つの武力勢力によって支配されている。

 軍事力順に羅列するなら、その第一はデールタス王国であろう。デールタス王国は内乱までもその勢力拡大に利用し、多くの常備兵を抱えている。しかもその強さは、大陸で最強と言われているファニハール帝国にも並ばんと目されるほどに経験豊富で、かつ、その指揮官達も豊富に抱えていた。

 デールタス王国では、東の人が権力を持っている。大陸中、東の人が政権に関わる役職に着いているのは、エイメス王国とこの国だけである。例外としてパホッタイナ王国があるが、この国は王が東の人ではない、しかし政権担当の官僚機構の多くは東の人によって占められている。

 大陸中、第二の軍事勢力はパホッタイナ王国である。主力を海軍においていたパホッタイナ王国の国王は、古くは海賊の流れをくんでいるという。パホッタイナ王国の将軍は実はそう多くはない、有能な人材が大将マネッツ・ミーノの粛正により倒れてしまったからである。

 いうならば、パホッタイナ王国はミーノ大将の大きな影響下にあった。なぜならばミーノの戦術は、他に類を見ないものであり、その名声もまた多くの将軍達を圧倒していたからである。彼は、兵士達に絶対の信頼を受けていた。

 クルナ王国の大陸での勢力はこの辺りであろう。防衛大国クルナ王国は、決して破れない。クルナ王国では内政の拡充が急速に進んでおり、農地も日々拡大していた。ゆえに戦時動員兵も十二万を越えると言われており、一部の学者の中にはこの時期クルナは、実は大陸中最大勢力であったとする者もいる。

 次はエイメス王国か、ファミス教国である。エイメス、ファミスは永く対立関係にある。主な原因は宗教の対立であるが、大抵の戦いの攻撃側はファミスであった。大陸には大別して二つの宗教がある。

 一つは、大陸教とまで呼ばれているカスミヤ教である。その始祖ルーグ・エメフにより死後の幸福をカスミヤ教は歌っている。ファミス教国は現在の首都カスミヤから興ったこの宗教を養護しており、ファミス教国の実権は、カスミヤ教司祭の手にあった。

 これとは別に、耐え続けることにより、幸福の大地へ導くとされる宗教が「たへる民」である。たへる民は、土着の宗教が発展して一つの信仰へと昇華した。この宗教は東の人に好まれ、彼らがかつて受けた迫害をトラウマとして抱き続けているからであろう。たへる民は、エイメス王国とデールタス王国の一部に多くの信者を持つ。

 カスミヤ教は、排他的精神からこのたへる民を教敵とし、よりどころとなるエイメス王国を国敵としていた。

 大陸の勢力は、この辺ではそう大差はない。かつての軍事大国ミレリアはファニハール独立により没落していたとはいえ、ミレリア国軍が今だ健在であり、千年同盟も継続していることからその力は今だ強大であった。

 ほぼ兵農分離を達成した国、ファニハール帝国は力的にミレリア王国の次にくる。ファニハールの独立がクーデターの形をとらなかったのは、その指導者であるエルリックがファニハールというミレリア王国の僻地に左遷されていたため、そこからミレリア本国までの地理的影響があったためと言われる。

 ミレリア国軍の若手将校により興った国ファニハール帝国は、計り知れない実力を持つと言われていたが、何分人口が少ないことと、長年のミレリアとの戦いによる国力の疲弊から大陸諸国に軽んずられていた感がある。

 最後はデラーザント国である。この国は民主主義なるシステムを用い、名目上貴族を容認していない。デラーザント国は兵力の不足と、ミレリア王国の腰巾着というイメージから、大陸の中で最も低い評価を受けていた。

 以上がエスタル四百三十二年、激変期以前の大陸情勢であった。

 この時期有名だった人物三人を、後年「前変の三賢」と呼ぶ。

 民主主義という考え方でヘイム・スミルの乱を革命と位置づけた、ナミール・タレスは余りにも有名な賢者である。彼の著書「導き」は「平民を権力者に対立させる書である。」と権力者に受けとめられており、デラーザント以外の国々では読むことを禁じられた書となったが、ナミールの支持者はこの書を必死になって探し、隠れ読んだ。

 対して帝国主義を前面に押し出た書に「国家論」がある。この書は、ハスクの「帝国望志」や「時代」と内容的に似ているが、ハスクのそれを十分に凌ぐ文章表現、そして天才によって統治されうる律令の世界、彼のいう理想郷を描いている点で、人々に与えた影響度は大きかった。

 この「国家論」の著者フィオール・フーハートスは、恐らくナミールの「導き」に対抗したのだろう、「導き」が発表された一年後に「国家論」を執筆している。

 フィオール・フーハートスは東の人である。彼は、ザンテガント王の強引ともいえる引き立てにより、デールタスの政務長官を務めている。彼も、ナミールに並ぶ三賢の一人である。

 最後の三賢は、シュル・ナルエール。デールタス王国の政務長官である。

 ナルエールは、前の二人とはやや趣が違う。彼の大きな功績は、人々がそれまで神聖不可侵と信じていた教会にペンを向けたことであった。

 それまで農民は、教会と施政者に税を納めていた。しかし、時として教会の税の取り立ての方が施政者のそれより厳しいのを見とがめたナルエールは、教会の税に疑問を持った。

 ナルエールは、その著書「国税論」で「農民の税を一本化させる必要性がある。」と述べる中で教会の横暴を暗に批判し、教会の厚い壁を僅かばかりではあったが崩した。

 それまで教会は神聖なものであり、人々は批判することができなかった。そこに風穴をあけたのが「国税論」であったのだが、そこばかりが強調され、本質である税の数々の問題点を表面化させたことは当時余り気にされなかった。それまで政治担当者は、税を当たり前のものと考えていたことから、税について理論を確立したナルエールの業績は大きいといえる。

 つまりこの頃の三賢者と呼ばれるナミール、フーハートス、ナルエールの内二人までもがデールタス王国におり、しかも内政・軍事の責任者としてその能力を発揮していたのだ。

 東の人の国家がどれだけ実力主義であるか、ここで伺える。次章からは東の人の国家デールタスへと筆を進める。

 

 

 

 

 

          三章      裏切りの人

 

「頭を鍛えれば体が弱くなる。体を鍛えれば心が弱くなる。心を鍛えれば頭が弱くなる。だから私たちは人に頼らねばならないのだ。」

                            マレイム・ラング・ラーヌ

 

               

 

 大陸は西にナルミット山脈、東にコードミレフ山脈を持つ。

 ナルミット山脈はその西岸を海岸線としているが、コードミレフ山脈はその東側を砂漠としている。コードミレフ山脈の南側は、ケフス河の恵みにより広大な農地が開けていた。

 ケフス河の上流、そこにはユーミブレム山脈がある。

 ユーミブレム山脈とコードミレフ山脈に挟まれた土地、そこにデラーザント王国はある。

 もし、大空からデールタスの農地を見るなら、南の海をすくおうとするスプーンに見えるだろう。国内で生産される農作物の大半は、コードミレフ山脈の南端に広がる農地から生まれるものであり、当然ここにはデールタス王国の中心的機関がおかれるべきところで、代々デールタス国王はここに王都を構えていた。

 人々に「五大都」と呼ばれる大陸屈指の商業都市は、ここにある。中心にマフルステアと呼ばれる都市があり、南にパホッタイナ王国の窓口となるロブラーヌ、西に砂漠以西の郡散諸国の窓口となるビフォール、北にケムフェを通じてデラーザント、ファミス領バオールの窓口となるカレツタイム、東にファミスの窓口となるライセックがある。

 人々に「五大都に行けば大陸の大半のことは解る。」と言わせるまでに、五大都の大陸における役割は大きかった。

 五大都は、それぞれが独特の文化を持ちお互いを監視し合っていたため、内乱も少なくなかった。しかし同時に五大都は、一度デールタス王国への侵入者を敵と認めると、全ての都市が協力して敵に対したため、外患によって国を損なうことはなかった。

 新参のデールタス王国国王、マレイム・ラング・ラーヌ、通称ザンテガント王が王都を五大都から、デールタス最北の都市ケムフェに移したことは、人々にすくなかぬ驚きを与えた。

 ザンテガント王が王都を移したことには、幾つか理由がある。ザンテガント自身が前王の側近でありながら、前王をしいて王位についたため、各都の代表との関係が薄いこと、常備兵を多く抱えているため、兵士の狼藉によって五都内の治安が悪化するのを防ぐため、など理由は多々あったが、最も大きな理由は、何をするにしても五大都の協力が必要という、王にとっての足

 ザンテガントは側近、シュル・ナルエールを五大都に、フィオール・フーハートスを自分の手元であるケムフェにおいて、デールタスを統治していた。

 ザンテガントの人生は大陸史に大きな影響を与えている。ゆえにまずは彼の半生から辿ってみたい。

 ザンテガントの父ルビオル・ラングは、デールタス王国の中流貴族に生まれ、十九歳の時にエイメス貴族の娘と結婚している。そこに一子が誕生するのだが、この息子は二歳の時に高熱を発し、死亡してしまう。さらに息子が死んで間もなく妻も二十歳で突然倒れてしまう。

 妻が病死して三年後、エスタル三百八十八年にザンテガントは生まれる。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                   彼はルビオル・ラングとラング家の女中の間に生まれ

 次の妻というのはデールタスの下級貴族の女であった。これがルビオル二十六歳の時で、妻は二十歳であった。

  ザンテガントは幼い頃から父に憎まれて育った。彼の真実の母は、彼が幼いときに彼から引き離されている。彼は少年時代を通して十分な愛情なしに過ごした。彼にとって一番悲劇だったのは彼の髪が東の人特有の黒ではなく、金色に輝くブラウンだった事である。

 黒い瞳にブラウンの髪、これは東の人にも大陸の人にもなりきれていないことを意味する。彼の母が東の人でないことは明白である。しかし、本来母であるはずの下級貴族の母は父と同じ東の人なのである。この父と母では遺伝的にザンテガントは生まれようがない。彼の出生の秘密は公然のものとなっていた。

 ルビオルはこのため、彼を自分の手元から遠ざけようとし、彼が七歳になると軍の訓練学校へ入れた。軍の訓練学校は、貴族の子息が行くべき所ではなく、一般の中でやや金持ちの子息が何の能力もないと見なされたときに行くべき場所であった。ルビオルはザンテガントを見放したと言っていい。なぜなら、少なくともザンテガントに、社交界へ進む道は閉ざされたからであ

 ルビオルは、四十八歳で病死するのだが、それまでに十人の子供を授かっている。新しく子供が産まれるたびに、かつての過ちが薄れていくのを願っていたのだろう、彼もまた罪にさいなまれ続けた人間であった。

 父の残酷ともいえる仕打ちの中で、ザンテガントはたくましく育っていく。彼が軍の訓練所で言っていたという、興味深い言葉がある。

「自分は、西は文王ラクサンの流れをくみ、東は聖王の流れをくむ。」

 文王ラクサンはデラーザントの有名な王であり大陸の原住民族の流れをくむ、聖王とはエダーザルを指し、東の人の中で最も有名な人物である。十代前半で、自分を大陸史に伝説的に残る英雄二人の流れをくむものだと言ってのけるあたり、相当ふざけた子供であったのだろう。しかし、彼が自分の出生を卑しんでいるどころか、むしろそれを利用しようとしていることから、

 ザンテガントが二十歳になる頃には、彼は他に並ぶものなき勇者となっていた。ただ青年期に屈折した人格を形成したため、人に心を開くことをせず、上からは「頼もしいが扱いづらい」という評価を受けていたようである。

 ザンテガントは、他の者に比べ頭一つ分ほど背が高く、その面もちも若くから妙に落ち着いた感じを漂わせていた。それゆえに大勢の中にいても彼はよく目立った。彼が王の目にとまったことも、いわば必然のことであった。

 彼は王に登用され、軍の指揮官に任命されるが、間もなく王の側近へと配置がえされた。

 王は人の良い性格で、歴代の王のように人の能力を見てその能力を愛していた。出生も定かでない彼が重用したのは、この王によるところが大きかったといえる。

 王の側近になったザンテガントは、この時期にフィオール・フーハートスと出会う。

 王が軍を連ね城外を視察した時のことである。ザンテガントは最前列で人払いをしていた。すると人々が脇に並ぶ道の中央に座っている男がいた。肉付きの良い大きな男で、左手の甲に大きな傷があった。ザンテガントが男を見とがめ注意しようとすると、その男はすくっと頭を上げザンテガントを見つめた。粗暴な顔つきであったが、何処か気品の漂う奇妙な男であった。ザ

「私は右手に世界の富を持ち、左手に世界の知識を持っている。あなたはどちらを手にするのだ。」

 王の側近に言う言葉ではなかった。周囲の人々はこの言葉にどよめきたち、事の推移を伺った。

 ザンテガントは男の言葉を聞き終わってにやりと笑い、素早く剣を抜いて男の鼻の頭に向け、言った。

「私がおまえに与えてやろう、その両方を。だから今はその頭を私に預けろ。」

 ザンテガントは言い終わって、剣を腰に戻し、硬い表情を崩して、その男にだけ聞こえるように小声で言った。

「後から私を訪ねてこい。」

 人々がまことしやかに囁く、ザンテガントとフーハートスの出会いである。

 王の道を遮るという行為は、ザンテガントとしては不敬に当たるとしてフーハートスを罰せねばならない。当時、何事にも真剣に打ち込むことで王に認められていたザンテガントがこのような無法者を許し、かつ自分の配下に加えるということは、多分に誇張のにおいがする。しかし、ザンテガントにもフーハートスにもそういう逸話があってもおかしくない雰囲気があった。

 ザンテガントが王の側近になって五年目、二十八歳の時、彼は一時解任されている。酔って女を殺したというのだ。

 彼は、青年期から女っ気が多かった。ブラウンの髪は多くの兵士の中でも目立ち、加えて彼の勇猛な顔立ちや落ち着いた態度は、若い女達の好感を受けるに十分であった。そんな中で、彼の愛していた女の一人が、彼を殺して自分も死のうとした。

  しかし、彼は剣で刺そうとする女から逃げ、裸のまま女の家を飛び出した。命からがら家に帰った彼は次の日、女が死んだことを知った。

 人々は彼が幾人もの女と関係していることから、いつかこうなるだろうと思っていた手前、さほど驚かなかったが、王はこれを許さず彼の任を解いた。

 王は臣下の過ちを許せない男だったのだ。

 ただ、ザンテガントの場合、異例の早さで許された。裏でフィオール・フーハートスが働きかけたという。ともあれこうなった以上、彼のこれ以上の出世はなくなったと人々は噂した。

 そんな中で内乱が発生した。内乱の首謀者は元軍幹部のラビエル・ザログである。ザログもザンテガント同様に小さな失敗を王に見とがめられ、軍の役職を解任されていた。

 王は能力者をみては重用したが、同時に失敗は許せない性格であった。これが王自身の失敗であったかもしれない。元々、安定を望む国民性ではないデールタスにおいて、能力者を抱えるということは諸刃の剣であるといえる。その能力者を簡単に解任してしまう王の性格が、この内乱を生んだといえなくもなかった。

 反乱者ザログの言い分は「政務局の長官に陥れられた。」というものであり、王への批判は避けていたが、日頃「自分は王に一番信用されている。」と豪語していただけに、事実関係も調べずに安易に解任してきた王への恨みは小さくはなかっただろう。

 ともあれ、当初軽視されていたザログの内乱は、人々の予想を裏切りとてつもなく大きなものとなった。

 各地の防衛線は軽々と突破され、ザログの軍は一時二万を数えたという。要因は、彼が熱心なカスミヤ教信徒だったことである。この内乱の裏にはファミス教団、パホッタイナ王国、デールタス国内のカスミヤ教信徒が多くが荷担していた。

 わけてもファミス教国はこの期に信徒を増やそうとし、ザログの下に莫大な資金を投下していた。その額は一都市の財政にも匹敵するほどであり、デールタス国内の「たへる民」の切り崩しがファミス教団にとっていかに懸案であったかが伺える。

 ザンテガントは、この内乱を最大限利用した。

 王に内乱鎮圧の任を願い、それを任されると二万の兵を用いてザログに対した。ザンテガントにとってザログは戦友に当たり、階級からいえば上官に当たる。さらにいえば、ザンテガントもザログも「王に解任された」ということから王への不信感は共通のものがあったろう。ザログを討つザンテガントの気持ちは複雑であったと思われる。

 後世から判断するなら、ザンテガントはザログと通じていたと思われる節が幾つもある。ザンテガントは当然ながら否定し、国書にもそのような記述はないが、当時のザンテガントにはこの上ない状況が生まれたと言っていい。

 ザンテガントがザログの拠点の一つを攻めあぐねている間に、ザログが王都マフィルステアを落としてしまったのだ。ザンテガントの軍は孤立した。

 戦乱の中王は自害し、王の親族も王と共にそれぞれの道をとった。

 ここでさらに奇妙なことが起こる。ザログが数人の供を連れただけでザンテガントの陣へ向かったのだ。ザンテガントはザログ以下全員を殺し、人々に「王の仇を討った。」と発表した。

 その後、事後処理が全てすむとザンテガントは、自分を王と称した。ザログの軍は支柱を失い、ザンテガント軍に吸収された。ザンテガントは、齢四十にして王の座を手に入れた。

 彼は、王を称すると早々に、三つの大改革を行った。

 王都を最北の都ケムフェに移すこと、大陸教カスミヤ教を国教とすること、商業の完全な自由化がそれである。

 この改革により、小規模の反乱は起こったが結果として国内は平安を取り戻した。さらにザンテガントは自分を王と名乗った。誰も表面的に反対しなかったこともあって、ザンテガントの戴冠は平穏無事に行われた。人々は劇でも見ているような錯覚に襲われたであろう、ザンテガントの行動は迅速であり的確であったために、人々の判断を越えて彼の反対者を未然に駆逐して

 

 以上がザンテガントの簡単な略歴である。彼の人生は、その死まで劇的であり、策謀に満ちている。彼の大きな転機は、フィオール・フーハートスとの出会いであり、フーハートスによりデールタス王国は激動の時代に突入していったと言えなくもない。デールタスの動乱が最終的には大陸の近代化への大きな布石となる見方もあることから、彼が大陸史に残した影響は少なく

 

               

 

 後の世で「東極軍師」と呼ばれる、フィーオール・フーハートスは、この日まるで大きな役目を終えたかのように満足げであった。

 大柄な彼がまるで小動物のように背を丸め、跳ぶようにして宮殿を歩く様子は非常に滑稽であったが、それは彼が気分のいいときに見せる仕草であった。

  フーハートスをよく知る人は、彼がおもちゃを与えられて喜んでいる子供のような態度でいるのを見ると「これは何か起こるな」と訝しがるのだが、フーハートスは他人の目を気にせぬように、足早にザンテガントのいる会議室に向かった。

 一方会議室では不穏な空気が渦巻いていた。会議室で玉座に座るザンテガントの側には、三人の武官がいる。三人ともデールタス屈指の名将である。ザンテガントは三人をにらめつけるような顔で話していた。

「兵を治めきれないと言ったのはお前達ではないか。それがなぜ、矛を逆さまにして私に反対するのだ。」

 ザンテガントは、不満げなそぶりでそう言い捨てた。

「王、今だ兵は十分に訓練されていません。この時期エイメスに進軍するというのは余りにも無謀ではありませんか。」

「長官の道楽のために国を損なうことはなりません。」

 三人は、口々にフーハートスからもたらされたという提案、エイメス出兵に反対意見を述べていた。彼らは前王に重く用いられ、ザンテガントと共に四武神と呼ばれていたが、内政のシュル・ナルエールや軍務長官のフィオール・フーハートスが台頭してきたため、幾分陰を薄めていた。そんな折、デールタス作戦本部で密やかにエイメス出兵案が持ちあがり、しかもその出所

 彼らは確かに武官として戦いを欲していたが、それは自分たちのためであり、デールタスという大きな枠にまで視野は及んでいなかった。

 更に三武神たちがザンテガントに何か言おうとした時、外で立ち聞きしていたフーハートスが扉を開け入ってきた。

「誰がエイメスに出兵すると言ったのですか。」

 フーハートスの言葉は、妙に人を嘲るような臭いがあった。フーハートスは大きな鼻で息をたっぷり吸うと、深々と吐き出し一同四人を見回した。

 大抵の者であれば、フーハートスの見開かれた目で凝視されると立ちすくんでしまうであろう。しかし、さすがに三人の武官達はフーハートスのそれを意に介さぬように落ち着き払っていた。

 武官の一人、三人の中で最高齢であり四十五歳のカレン・バレミオスが口を開いた。髭を豊かに蓄え、彫りの深い顔立ちで大きな目の彼は、三人の中で最もフーハートスを嫌っている。

「長官は先日、参謀本部の会議の席で、兵の反乱や不満を押さえるには他国に攻め入るに限ると申されたそうな。」

 今一人の武官、国内最強の誉れ高い将軍スタン・カルミネロも口を出した。

「私はその時のことをしっかり覚えています。もし攻めるならエイメスで、一年以内には行動するべきだと言われました。」

「大事な将兵をそのような単純な理由で死なせるわけにはいかん。」バレミオスは大きな声で断言した。

「誰がエイメスに出兵すると言いました。」幾分声に強みを帯びさせ、フーハートスは繰り返した。

「長官が言われたではないか!」カルミネロは苛立ち、言いながら長机を叩いた。

「つまり将軍閣下は、私が兵を治めるために、エイメスに出兵すると言われるのですか?」あきれ顔を見せつつ、フーハートスはザンテガント王の方に目を向けた。

 フーハートスは王に向かって、報告にも似た口調で話し始めた。

「エイメスの国内は魔王イジェールにより起こされた西方対戦より数百年の間、無為に太平をむさぼってまいりました。その間、貴族による政治は腐敗の一途を辿り、貴族の商人に対する債務は、もはや一国の財政を持ってしても返済できぬほど膨大に膨れ上がっています。」

「だから何だというのだ、商人を守るため我が国が兵を出すというのか!」バレミオスが口を挟んだ。彼はフーハートスの言い回しや態度、その他全てが気に入らなかった。

「バレミオス将軍、人の言うことは最後まで聞くものです。」フーハートスは特に気にせぬ様子で辛辣な言葉をはいた。

 バレミオスは「もう何もいわぬ」といった顔で、明らかに不満そうにそっぽを向いてしまった。

 ここで最後の将軍ハイマー・フィルナーネが口を開いた。彼は三十五歳であり、年齢もフーハートスに近い。何処かあどけなさを残す美しい将軍であったが声は低く、彼の言葉には強い説得力があった。

「我々は長官を信じています。長官も我々を信じてください。もし長官があくまでエイメスをいわれなく攻めると言われるなら、我々は進退を考えなければならなくなります。これ以上の話はそのことをふまえ進めてください。」

 フィルナーネは、先王の下で参謀職を受け持っていた。それがザンテガントが王になるや全ての官職をなげうち、ザンテガントの指示を待った。ザンテガントは彼の態度を快く思い、フーハートスをさしおいて彼を軍務長官に任じようとした。しかしフィルナーネはフーハートスの企画実行力は自分より上であるとし、ザンテガント王の差し出した職を辞退した。そんな経緯を

  フーハートスは一呼吸おいて、続きを話し始めた。

「エイメス貴族の腐敗は国民全ての憂うところです。そういった状況を打開する作用として、エイメスによるファミス出兵が密かに計画されています。首謀者はエイメス三大貴族中、最大勢力を持つグォーター家の若き当主エイス・バハール・グォーターです。しかしバハールはその才多すぎるゆえ、他を頼らず単独でファミスに攻め入る模様です。我々はエイメス貴族や、ファ

 フーハートスの報告は全てに解決の道を開くものであった。

「解った。」王はそう言い、三将軍達は何もいえずにフーハートスの軍事計画を聞いていた。

 

               

 

 先にふれた魔王イジェールとは何者であったか。

 かつてクルナよりたった王がいる。その者は自らをイジェール(使いの者)と名乗り、イジェリナという王国を築いた。イジェールは最盛期には大陸の大半、すなわちミレリア、クルナ、デラーザント、エイメスを領有し、一大王国を建国したという。

 実はイジェールに関する書物は極端にすくない。後年ハスク・ナルメックが大陸の多くの情報を残していたファミス寺院や、ファミスの書庫を焼き払ってしまったからである。しかしイジェールの人生については、人々の風説や時代の前後関係からいくつか予想できる。

 イジェールは元来、クルナの王家の血筋ではない。イジェールが王となるのは彼の血筋からではなく、野心からであった。

 彼の戴冠の数年前から、クルナ、ミレリアの地方で飢饉と悪性の伝染病が発生した。それにも関わらずクルナ王は重税を民に課したため、民が反乱を起こした。その反乱軍の指導者がイジェールであったのだろう。王の軍の兵士は伝染病により弱体化しており、イジェールの軍は急激に力を伸ばしていった。

 どうやらイジェールは伝染病に対する薬を作れたらしい。イジェールはクルナの南西の都市セルディアを占拠し、イジェリナ王国の基礎を築いた。それがエスタル二百二十三年である。

 数年は、クルナ軍との緊張状態が続いた。しかし二百二十五年頃から伝染病がその猛威を増す。そして同時にイジェールは動いた。クルナ王都バルフォを落とし、ミレリアの南部都市ガンダルミアも続けざまに落とし、一挙にその版図を五倍にも押し広げた。その頃ファミスと同盟したようである。

 イジェールは、水を得た魚のように大陸の東半分を席巻した。イジェールは伝染病の進路の後を追うようにして国を広げていった。ファミスも同時期に軍を動かしている。この国もまた東進し、イジェールがデラーザント王国を滅ぼし、エイメス王国に進む頃、フール、バオールの両王国を手中に収めていた。

 イジェールの占領地における内政は想像を絶するものであったらしい。彼は新たな領土で次々と残虐な行為を働き、人々に魔王と囁かれた。彼は人々に自分を恐れさせることで自分の存在を印象づけ、治安を保とうとしたのだろう。彼は自分の兵の暴行や略奪も黙認している。

 彼が領土を広げた期間、これを後の世では西方大戦と呼んでいる。

 イジェールの死は、西方大戦が勃発して六年目であった。皮肉なことに彼の死は、その頃ようやく沈静化の兆しを見せていた伝染病によってもたらされた。エスタル二百五十一年の事であった。

 大陸史の中で一代で四か国もの国々を滅ぼした人物は、イジェール以外には存在しない。彼の盛衰が伝染病に源をおいていたということはあるとしても、彼の作り出したエネルギーは何処か一個人の力を越えた、そんな不気味さも手伝って、彼に与えられた魔王という称号は人々の心に深く刻みつけられたのである。

 この伝染病の死者はイジェールを含め、大陸の人口の約半数に及んだという。人々はこの伝染病を国際伝染病ドリガームといって恐れ、人々以上に権力者にとって伝染病対策は大きな課題となった。

 イジェールの死後、イジェールに後継者がいなかった事や、イジェールの死が人々の呪いであるという噂からイジェリナは衰退し、かつての王族の生き残りや、貴族の残党がそれぞれかつての王国を再建した。ファミス領となったフール王国とバオール王国を除いて・・。

 

               

 

 エイメスは軍を動かした。

 明らかに時期尚早であり、何の目的も必要性もなかったかにみえる。周辺各国の受け止め方は大貴族バハールの虚栄心による私戦というものであった。大陸諸国は突然の嵐にも似たこの暴走を、奇異のまなざしで見守った。

  当然ながら、ファニハール帝国にもこの報告は伝わっていた。

 

 ハスクとエルリックは、燭台の炎に照らされ会議室で静かに話していた。時刻はとうに人の寝る時間を過ぎており、静まり返った場内からは時折衛兵の靴音にも似た響きがこだましている。

 エルリックは右手を軽く握って顎の下につけ、困った顔でハスクに尋ねた。

「エイメスは何を考えて軍を動かしたのだ。」

「解りません。衝動的にとしか言い様がありません。ただバハールという男、相当切れ者だという話ですから、軍を動かすのであればかなり下地を固めていますでしょう。」

「下地とは?」

「デールタス軍に対してです。今、エイメス王国がファミス教国に進軍するとなれば、軍を出してまで非難できるのはデールタス王国ぐらいのものでしょう。これを度外視してのファミス領進入はあり得ません。」

「すなわちハスクは、エイメスがパホッタイナあたりと裏で手を結んでいるというのだな。」

「御意。」

 幾ら最東の国々の話であろうと、万が一ファミス本土までエイメスの力が及べば、ファミスと隣接しているファニハールにとって影響がないとは言い切れない。

 エルリックの青く美しい瞳が円卓上の大陸図へと向かった。

「陛下、私が思いますに・・」

「エイメスは滅ぶと。」エルリックが先を制した。

「御意。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          四章      星の降る城

 

「家族を重んじない者が、なぜ人々の指導者となれよう。かの王(ザンテガント)は、父を憎み、恩人をしいし、友人を裏切った。遠からず訪れる破局は明らかではないか。」

                                                   カイツ・ドストーム・エミール

 

                       

 

 デールタスの王都から北に三日ほど進めばエイメスとデールタスの国境がある。ここまで広大な大地であり、平野部は少ない。このあたりは一部で細々とした農産物生産が行われているだけで、大半が褐色の大地である。

 しかし、一度このエイメス側の関所を越えると景色は一変する。

 新緑の木々が長旅の疲れを癒すかのように次々と目に飛び込んでくる。そして林の中に通る整備された道を辿れば、エイメス王都ラビッシュのクラスマイン城に辿り着く。クラスマイン城は白い城壁でエイメスが他に誇る名城である。

 エイメスの民族性は、内面より外面を重視する。他国に類を見ない白の城壁というのもまた、この国ならではのものであった。この文化がどの辺りからなぜ生まれたかは不明であるが、エイメスの貴族達は自分たちが着飾ることで、他国の文化を野蛮で醜悪のものであると決めつけるきらいがあった。

 それを代表する話がある。デールタスからきた使者を冷遇したエイメス貴族の話である。

 エスタル三百年頃、デールタスに分裂が起こった。王家における親族同士の対立であった。旧王派は即、同盟国であるエイメスに使いを出し救援を乞うた。しかしその使者はエイメス王国に向かう途中、敵方の者に見つかってしまう。激戦の末、命からがら逃げきった使者は、そのまま何とかエイメスの関所に辿り着くことができた。その時関所を守っていたのは、エイメスの

 フィナスクは四十二歳でエイメス貴族の支流であったが、関所で外交の一部を任されるほどの実力者であった。彼は中央の貴族達へ使者を案内し、会議の支度もその日の内にした。

 しかし、同盟国であった隣国デールタスの危機に対し、貴族達の反応はひどく冷めたものであった。エイメスの国政を取り仕切る三大貴族は、決定権も持たない代理を出したのみであったし、他の貴族達もこの使者に対し明らかに迷惑そうであった。

 更にフィナスクをいらだたせたのは、エイメスの貴族達が血の滲んだ服で出席したデールタスからの使者を、まるで汚物で見るかのような態度で遇した事であった。

 三日たっても会議は進展せず、デールタスの使者とフィナスクはむやみに時を弄した。四日たつとフィナスクは自国の貴族に絶望し、私兵五千を用いてデールタス領へと向かった。

 間もなく旧王派は反乱を鎮圧、デールタスは安定してフィナスクも大きな感謝を背にエイメスへと戻った。

 だがエイメス三大貴族は、フィナスクの独断を許さなかった。フィナスクは「同盟に基づいた行動である。」と強く抗議したが、その言葉は三大貴族の心には届かなかった。三大貴族は、彼の反論の全てを黙殺し、彼の全ての官位、称号を剥奪した。フィナスクは一族の者と共にデールタスに亡命し、そこで平和に暮らすのだが、この一件からもエイメスという国の閉鎖性と虚

 

 エイメス王国は王を持たない。しかし形式上の王制は持続している。単に王冠をかぶる者が不在なのだ。エイメスにおいての国政の実務はいつからか三人の大臣が行うこととなっていた。

 エイメスにおいて王が不在という事実は公然の秘密であった。このような歪な体制ができたのも「王はいらぬがその存在は必要」という建前重視の貴族社会に先天的に受け継がれたもののためであったろう。

 エイメスにおける王は、幾多の暗殺劇の中でその子孫の血筋は極めて薄いものとなっており、また王のなり手もいなかった。王族にとっては、自ら呪われた王冠をかぶるより、貴族の上位にある者として実をとればいいと考えていたのだ。ゆえに貴族達による政治の壟断は更に勢いを増し、三人の大臣を輩出する三大貴族による政治は、エイメスでは確定されたものとなってい

 エイメス三大貴族の一人エイス・バハール・グォーターによるファミス領バオール出兵は、これまでの三大臣制という構図を崩すものであった。人々はこの出兵の意味を探ったが、誰も理解はできなかった。

 

               

 

 バハール・グォーターは幼い頃から文学を愛して、時にその中のヒロイズムと自己犠牲に涙を見せたという。聡明で肩を流れる黒髪は生粋の東の人を人々に印象づけるものであった。人々に美麗君と呼ばれるほどにその容姿は美しく、貴族特有の装飾多き礼服であろうと、バハールはその輝きに埋もれることはなかった。

 バハールがある情報を手にしたのは、大陸南部で季節風が吹く頃で、その情報もまるで窓から木の葉を運ぶかのように彼自身だけに訪れた。

 それがどのような内容であったかは今では解らない。しかし、彼がデールタス王ザンテガントと対した時の言葉からいくつか推測できる。

  とにかくその後、彼は親しい人物とも会わなくなり、自室に閉じこもり何か書物を記していたという証言がある。この間、彼の心は何処を彷徨っていたのだろう。

 彼が一か月ほどして外にでてきた時、バハールの顔は決意を含んだ妙な暗さを持っていた。

 その日、彼は自分の愛犬フィーブを殺した。

  剣で一突きであった。殺した後、彼はしばらく泣きながら血に染まったフィーブを抱き、家臣を遠ざけた。

 家臣達はこの犬がバハールの命で飼われたことを知っていた。由緒正しい犬ではない。

 バハールが幼い頃、後年若くして病死する父に連れられ、領内の農民の様子を見に回った時のことである。

 バハールが路傍に佇む、さしてかわいげもない犬を気に入り「連れて帰る。」と父にせがんだ。彼の父は、この汚らしい犬はバハールに適さないと思い「後でもっと良い犬を与えよう」と言ったが、バハールはこの頃から一度決めると頑として引かない所があった。バハールは自分の世話役の家来ドストームに密かに連れて帰るようにいった。彼は両親に秘密でこの犬を飼うこ

 しばらくしてバハールの父も息子の強情さに負け、この犬を飼うことを認めた。正式にヴァーレ家で飼われることになると、この犬はとても頭のいい犬だという事が解った。バハールが何かを命じるとそれを読みとり忠実に従った。いよいよ父はバハールに感心し、バハールのこの犬を非常に愛した。そしてバハールはこの犬をフィーブと名付けた。フィーブとは「誠実」とい

 そういったわけで、バハールがフィーブを殺したことは家臣達にとって信じられなかった。

 それからしばらく、バハールはいつも以上に仕事を片づけ続けた。家臣達の不安はかき消されたかに見えた。しかしバハールの計画は人知れず始まっていた。

 ファミス領バオール出兵計画の第一段階は、自分の部下からの進言という形で行われた。バハールの腹心カイツ・ドストーム・エミールや参謀オスマル・ラルベーヌ・エッテイらから進言されたとされている。

「バオールの王家は、旧来からの名家であります。しかし今は監督という形でファミス教国によって陵辱されています。エイメス王国は長年にわたりバオール王家と懇意にしており、この非業の一族を見過ごすことは長年の信義に反することであり、彼らに捲土重来の機会を与えその信頼に応える今が機会です。」

 この突発的な提案をバハールが認めたことになっている。バハールはそれまで国内の問題に対して安易な決断をしたことはない。常に平等であり、公平を旨としていた。それがこの問題に関しては余りにも単純に部下の意見を許したことから、自分の部下に提案させることで、他の貴族達からおこる自分への風当たりを少しでも薄めようとしたのだろう。

 その裏付けとしては、当初ファミス出兵を提案したはずのドストームが、間もなく掌を返すように反対派の急先鋒となったことで解る。

 ドストームはバハールの急変に際し

「若は真実を貫くため枠を取り払おうとしておられる。たとえ自分の身を滅ぼそうとも。」と、言っている。

 ドストームは、バハールの幼い頃からの家臣で、また教育係でもあった事からエイメスにあって唯一、バハールに意見できる男であった。彼は四十八歳で三人の子供がいるが、彼のバハールに対する熱の入れようは自分の息子よりも大きなものであったし、バハールの父が病死し、バハールが当主になってからはより期待するようになっていた。つまりドストームにとってバハ

 しかしファミス出兵に関しては、ドストームの反対意見にもバハールは耳を貸そうとせず、まるでそれが自分の使命であるかのように一心不乱に計画を進めた。

 バハールの計画の第二段階は、三大貴族中自分以外の二貴族の懐柔であった。バハールはファミス進軍による利益の一切を自分は放棄する事。この出兵における経費を全て自分が持つという条件で二貴族を説いた。しかしこの条件でも二大貴族は渋った。

  オルク・フェート・タルサとメルフ・ロンベル・ツェイサーがエイメスの二大貴族当主である。フェートは五十歳、ロンベルは四十二歳である。彼らにしてみればバハールは若造であり、バハールの冒険行為に自分たちの安定が崩れることを恐れたのだろう。

 バハールの出兵案に表面上、最も反対したのはフェートである。フェートの領土はエイメスの南部に多く、デールタス王国の出方が誤れば真っ先に被害を受けるのはこの老貴族であった。フェートはそこをバハールに説いてさらなる譲歩を求めてきた。

                                                                                                                                                                                                                                                                               大貴族フェートは老獪な男である。彼は他の貴族にも洩れず権謀術数に長け

  今一人の大貴族ロンベルは、寡黙な男であった。しかし激しやすい性格も同時に持っており、ロンベルの領内では税をとる役人の不正が横行していた。ロンベルが自分に従順な家臣を重用したからである。時として他領とのもめ事が起こるときにも彼は、自領の者の言うことのみを信じ、事の事実関係を調べようとはしなかった。それがロンベルの考える優しさであり、良い領

 そのようなわけでロンベルは、家臣からの信望は厚かった。そしてその反面、彼は他の貴族に陰で嫌われていた。彼もそれを薄々気づいていたため、容易に他の貴族の言うことを信用しようとはしなかった。バハールの案に反対したのもそう言った経緯がある。

 バハールは、歯がゆかったに違いない。無能な者達に政治が壟断され、たとえ明らかに有用な制度をバハールが提案しても、現状維持のみを主張する二大貴族に潰されてしまうからである。バハールが何か言うと彼らはいう。

「バハール殿はお若い、しばし熟慮されれば更に広い視野で物事を見ることができるであろう。」

 二大貴族のこの言葉をバハールは何度聞かされたか解らない。

 一度、バハールは三大臣会議の席で、席を立って帰ったことがある。商人に対する負債のことであった。二貴族らが商人から借り続けていた帰すあてのない金を、国庫に転嫁しようとしたのからだ。

 結局フェートとロンベルに押し切られ国は莫大な借金を背負うことになったが、これは事実上負債が踏み倒されたことに他ならない。これによって商人の貴族に対する信用は一気に地に落ち、それ以後貴族達は法外な利率でしか金を借りられなくなるのだが、その重大さにフェートとロンベルは気づく風もなかった。

 しかし、今回はバハールにとって引き下がることのできない提案であった。

 バハールはファミス出兵の意義を説くことを止め、実利をもって二貴族を懐柔させ成功した。

 バハールが二大貴族に譲歩したのは、先の戦費負担と戦果の放棄の上にさらに、バオールにおける領土の半分の割譲であった。しかもバハールが提供しようという領土は、バオールの最も収穫高の高い地域であった。ここまで譲歩するとバハールに残る利益は実質的には無いに等しい。

 二大貴族がこの条件でバハールの出兵案に疑いを持たなかったのは、彼らがバハールの性格を熟知していたからである。

 彼らは、経験からバハールは意地になって出兵案を取りまとめようとしていると考えた。すなわち「バハールは、自分の利益よりもプライドを優先しようとしている。」と、理解したのだ。

「そこまで言われるのであれば、十分な計画と可能性があるのだろう。ロンベル殿、ここはどうであろう、バハール殿の計画に参加してあげようではないか。」

「・・・参加してあげるだと!」

 フェートの言葉にバハールは一瞬殺意を覚えたが、口には出さずロンベルの方を向くことで視界から醜悪な老貴族を外した。

「フェート殿がそう言われるのであれば是非もない。微力ながら手助けさせていただきましょう。」

 バハールは「この条件でもまだ恩を着せようと言うのか・・・。」と、なかばあきらめにも似た気持ちを押さえ込んで、こう言った。

「よろしくお願いします。」

 

 二大貴族を懐柔させて、バハールは次の段階に移った。

 バハールの計画の第三段階は、パホッタイナ王国との密約を取り付けることであった。しかし、これは容易に達成した。

 バハールがパホッタイナ王国と交わした密約とは

「デールタス王国がエイメスの軍事行動を妨げるのならパホッタイナ王国はデールタスを攻めてくれ」というものであった。

 バハールはパホッタイナの王に使いを出す前に、パホッタイナ王国の重鎮マネッツ・ミーノ大将を口説き落としたのだ。

 五十二歳を数える重鎮ミーノは、パホッタイナで王の次に影響力を持つ人物であった。歳を感じさせない迫力と、威圧感が彼にはあり、全く他人を省みない獰猛さも持っていた。ミーノはバハールの案に直ぐに飛びつき、自分の王に圧力をかけた。

 パホッタイナにおいてもザンテガント王が五大都を離れ、ケムフェを王都としたことは知れ渡っている。ミーノは「五大都を落とすなら今だ」と考えていたのだ。元来ミーノは好戦的な人間である。バハールの投げた餌にミーノは迷うことなく食いついた。

「バハール殿の名声は、我がパホッタイナ王国にまで届いています。バハール殿と同じ戦場に立てると思うと、今からその日が待ち遠しいことです。」

 バハールの下に届いた書面は、バハールを苦笑させた。

 バハールは、国王さえも軽んじる野心家で、有名なミーノ大将がこのような殊勝な手紙を送ってくるとは思ってもいなかった。おそらく自分の配下の者に書かせたのであろう。

「この男は、武力のみでろくに字も書けぬのだな。」

 そう思ってバハールは笑ったのだ。

「これでは、先が思いやられるな・・」

 バハールは、自分の城で詰めの調整をしながら、パホッタイナ軍の戦力を算定していた。

 ここまでのバハールの計画は完璧な物と言っていい。障害物であるデールタス軍とデラーザント軍とファミス軍。

 エイメス軍の実力からいって、革命後まだ国力の充実に欠くデラーザント軍では話にならない。エイメス包囲網が組まれるとしてその最も恐怖すべきは、デールタス王国のデールタス軍である。実践経験に長け大陸最強を誇るデールタス軍、これに対することはエイメス王国のみでは不可能である。

 しかもエイメスとデールタスは、かつての貴族による同盟の不履行から関係は険悪と言っていい。エイメスのバオール侵略に、デールタス王国は確実に軍を動かすであろう。

 そのためバハールにとっては、パホッタイナ軍という布石が必要だったのだ。

 デールタスは軍を動かすとすれば、北部からである。これは間違いない。

 必然的にデールタス王国の南部は手薄になる。デールタス軍がエイメス王国を支配下に治めようとすれば遠征軍は、デールタス王国の六割は最低必要となる。

 更に各地方の治安のために兵を割くとなればデールタス王国南部の最大の拠点、五大都に置ける兵力は全軍の一割強ほどであろう。いくらデールタス軍が大陸最強といえども、無敵を誇るミーノ率いるパホッタイナ軍を前に、これでは持ちこたえられないであろう。

 そうなればデールタス遠征軍は、本国の急変に浮き足立ちバオール救援どころではなくなる。

 エイメス軍は安心してバオール王国の占領に邁進できる。

 数の上では全く無理のない計画案であった。

  バハールのファミス出兵の準備は、ほぼ混乱もなく完了した。

 

               

 

「若、行かれるのですか。」ドストームの声は寂しげであった。

「爺もう何もいうな、私は迷うことはないのだ。ただ爺には世話になった、ここに残り、我が領内の安定のために力を尽くしてくれ。」バハールは細い声で絞り込むように言った。

「エイメスはこのまま滅びるわけにはいかんのだ。これが最前の方法であったとは思わん。しかし私にできるのはこれしかなかったのだ。」

  バハールの居城スベクスモーチで行われた最後の会議であった。外は明るい日差しが照りつけているというのに、その部屋は沈んだ空気が支配し、出席者の顔には一様に陰が降りているようであった。

  この席に出席しているのはバハール、ドストーム、ラルベーヌ、アイス・カミフェ・トルネイズ、カミン・テルブレック・ストライ、アミス・ブラグネル・フィモースである。ドアから入ってテーブルの向かいにバハールが座り、右側にドストーム、カミフェ、テルブレックと並び、左側にラルベーヌ、ブラグネルと並ぶ。右側はグォーター家の旧来からの家臣であり、右側の

 主席者全員がバハールの気持ちが不動の者であることを知っていた。しかしそれでも最後の望みをドストームに託し、この会議は開かれた。

「若が行かれるところであれば、ドストームは何処へでも行きましょう。しかし若はまだ死ぬには早すぎます。それに爺も死にたくありません。」いよいよ悲しそうな顔でドストームは言った。

「私は誰にも死は強要しない、残りたい者は残れば良い。ただどうしても私にはやらねばならぬ事があるのだ。」そう言ってバハールは、思いついたかのように軽く笑って言った。

「まだ死ぬと決まったわけではないがな。」

 しばらくの沈黙の後、バハールが登用した若者ブラグネルが口を開いた。

「殿下ファミス出兵には不安な要素が多すぎます。デールタスとの交渉も行わずしかもパホッタイナと密約を交わすとは、まるでデールタスを我が国に引き入れるようなものではありませんか。」静かに問いただす口調であった。

「よく解っているではないか。ではデールタスと交渉して成功すると思うか。いいぞ思うとおり言って見ろ。」バハールの言葉にブラグネルが黙っていると、バハールは続けて話した。

「デールタスは新王ザンテガントにより、よく治まっているかに見えるが明らかに兵力過剰である。もし我が国がファミスに出兵する事を知らせてしまえば、たちまち我が国との国境線に兵を進め我が国を狙うことは解りきっている。そう言うことだ。」

 バハールの言葉の後もバハールの親友のラルベーヌを除き、諸将は次々とバハールに反対論をぶつけた。しかし彼らは意識的に一つの質問だけは避け続けた。

「なぜ、今ファミスを攻めるのか。」

 出兵はバハールに決められたことであり、最大の重鎮ドストームでさえもそれをバハールに話すのは避けた。

 最終的に会議はバハールに押し切られる形で終わった。

 

 出兵に際し、本隊はバハールが、二軍にドストーム大将が、三軍にラルベーヌ中将、四軍にカミフェ少将、五軍にブラグネル少将がついた。バハール遠征軍の総数は四万三千である、当然グォーター家のみの兵力ではなく、グォーター家の関係諸家からの援軍も多かった。当時のエイメスの最大動員兵力が十万と言われていたから、バハールの力がどれほど大きかったかが解る

 二大貴族がバハール軍に従軍させたのは指揮官クラスとして五名、兵力としてわずか二千人であった。さらにそこには横暴な注文が付けられた。指揮官として派遣された五名のうち二名にバハールが兵を与えてくれと言うのだ。二人ともバハール軍の将軍より身分が高かったため、バハールもそれなりの兵を割かねばならなかった。

 バハールが端から自軍をみる立場だったら、笑い転げていただろう。あきれるしかない厚かましさで二大貴族はバハールの思惑を狂わせてくれた。

 バハールは、エイメス本国の防衛にバハールに忠実なテルブレックを当てた。

 テルブレック中将は一万の兵をもってデールタスへの防衛の任に当たることになる。

 

  バハールの計画はその最終局面においても筋書き道理に運んだのか・・。バハールの出兵後デールタス王国がエイメスに進入してきた時、二大貴族が次々とデールタスの下へ走った中でのテルブレックの行動は特筆に値する。

 バハールの城スベクスモーチで防衛の任に当たっていたテルブレックは、ザンテガントに自分の旗下一万の兵士を「バハール軍への攻撃」に使わない事を条件として、エイメスに進入してきたデールタス軍に城を明け渡した。その迅速さはこれが一士官によって決められたものではないような臭いがし、まるで最初から指示を受けていたかのようでもあったため、人々に疑惑を

「バハールは滅ぶために立ったのではないか。」と。

 状況は終始バハール軍に不利な形であったのに、バハールとバハール軍は渾身の一撃を温存しているかのように冷静であった。

 エイメス軍はエスタル四百三十三年、バオール王国の再建を名目として軍を動かした。それに対する行動として三日後デールタス軍は動き、さらに遅れること一日後パホッタイナ軍もデールタス領に攻め込んだ。

 ここに後世バハール戦争と呼ばれる大陸史に残る戦争が始まる。

 

               

 

 バハールがなぜ軍を動かしたかは誰にも解らなかった。しかしその事実はデールタス、パホッタイナ、ファミスに大きな影響を与えた。

「・・・バハールはエスタル四百三十三年にファミス領へ軍を動かした。総数四万三千である。バハール軍は四日をおかずしてファミス領の城塞都市バロムロンドへと到着。バロムロンドとバオール王都ホーンスキレイを攻めるバハール軍に、デールタス王国国王ザンテガントは七万の兵を挙げる。七日でエイメスを平定したザンテガントであったが、その頃マネッツ・ミーノ大

「五大都における防衛戦は熾烈を極めたが、ハイマー・フィルナーネはよく守り、僅かな兵で耐え続けていた。」

「エイメス王国での不平分子を一掃したデールタス軍は、二万の兵をエイメス領内に残しファミス領バオールへと向かう。」

「一方、ホーンスキレイ、バロムロンドに対していたバハール軍にファミス本国からファミス軍三万が派遣されてくる。しかし、バハールはこの派遣軍をバロムロンド付近の大平原ルクミスラで包囲殲滅し、ファミス派遣軍は壊滅した。」

「ホーンスキレイが落ちかけた頃、デールタス軍がバオールに到着。バハール軍とデールタス軍は交渉を持つが決裂、戦いとなる。」

 デールタス側の歴史書はバハール戦争の経緯を以上のように報告している。

 

 デールタス軍は主戦場となるであろうルベラ地方に到着して間もなく、エイメス軍に急使を送った。和平の交渉であった。デールタス軍の急使は、エイメス軍のみならずデールタス軍の将軍、兵士達にも驚きを与えた。デールタス王国に敵方と交渉するような文化はなく「敵は正義の名の下に完膚無きまでに粉砕する。」と言うのが、正しい道であると考えられていたからであ

 バハールはザンテガントのこの和平交渉に参加した。バハールは、自軍に敵の将軍を呼び寄せて殺した経歴を持つザンテガントを信用したのだ。

 勇気ある決断であるか、単にバハールが楽天的であるかのどちらかだが、恐らく前者であろう。

 最も、交渉は戦いを回避するためのものではなく、どちらが正義を主張し続けられるかの場であった。後の人々はこの時点でバハールが投降するべきであったという。しかしバハールは、それをよしとしなかった。

 交渉はバハールとドストームがエイメス側として出席、デールタス側からはザンテガントとフーハートスが出席した。場所は両軍の中間に位置する場所であり、この交渉の行方を両軍の兵士は見守った。

 そこには、にわか造りの天幕が張られ、テーブルと椅子がおかれていた。見渡しの良い丘で、その日そこからは緊張して交渉の行方を見守る両軍の兵士達が、蟻のようにではあったがはっきり見えた。テーブルの上にはデールタス王国の特産品であるワインがグラスに注がれており、照りつける日差しにやや温かくなっていた。

 ザンテガントとバハールは初対面である。ザンテガントはともかく、バハールはデールタス王国の前王を幼少の頃に対面しており、その前王の敵と対面していることとなる。

 交渉にもしきたりがある。

 エイメス側の交渉の第一幕は、双方の代表による自己主張から始まるものであった。しかし、デールタス側には交渉の経験はなく。ザンテガントの決意により開かれたこの交渉は、序盤から形式を無視されたもので行われた。

「王、よろしいでしょうか。」フーハートスの言葉は一瞬でエイメス側のバハールとドストームを不快にさせた。このような場で、臣下が王を差し置き発言することは許されるものではなかったからである。しかもフーハートスは交渉の席にありながらも言葉を正そうとはせず、それは建前重視のエイメスの文化にあって下品とされるものであった。

 赤羽をあしらった黒い鉄鎧をまとうザンテガントはバハールを睨めつけ、バハールに問いかけた。

「バハール卿はむやみに軍を動かされたが一体何を求めてのことであろう。」ずっしりと響くその声にバハールは即答した。

「我々はバオール王朝の末裔に、本来受けるべき待遇を回復させるために立ったのだ、ザンテガント殿の方ではそういった伝統や、脈々と流れる我らが血潮を尊ぶ考え方は理解されないかもしれないがな。」バハールの言葉は痛烈であった。ザンテガントの出生と、王殺しの罪を責めているのだ。

 バハールはザンテガントと対照的な姿であった。バハールは白銀の鎧に身を包んでいる。ザンテガントと比べるなら軽装と言えるほどにそれは軽やかである。澄んだ声も光沢を放つ黒髪も、この鎧と共にあるとまるで画中の騎士を思わせるほどに幻想的であった。

「つまりバハール卿はファミス教国に新王朝を打ち立てにこられたのか、ご苦労なことだ。しかしこの反応はどうであろう。城門のことごとくは内から錠がなされ、とても解放者を迎えるものとは思えぬがな。」ザンテガントは若輩のバハールに動じることなく問い直した。

「我々が不思議に思うのは、なぜザンテガント殿がここにおられるかだ。何に目覚めて我らが領内を侵し、かつこのような辺境まで足を運ばれたのかな。」バハールはデールタス出兵の意味をザンテガントに問うた。

 デールタス軍は正式にファミスの要請を受けて軍を動かしたわけではない。つまり勇み足承知の出陣であった。バハールはその非を突きつけたのだ。

 交渉は、もはや何のために行われたものであるか解らなくなっていた。

 バハールを詰問するつもりであったザンテガントも、自分が必ずしも道徳的な道を歩いてきたわけではないため、核心についてはなかなかふれることができなかった。

 状況を大きく見るなら、この時期バハール側にとって見れば一番必要だったのは時間であったろう。バハールが勝つ見込みは、全てパホッタイナ軍にかかっていたからだ。補給と退路が断たれた今となっては、バハール軍の単独での勝利はないに等しかった。

 この頃のバハールの心理は理解しにくい。バハールが自滅するために出兵したのであれば、パホッタイナに彼と家臣の亡命を申し入れたりしなかったであろう。しかし彼は、ザンテガントとの交渉前にパホッタイナ王国へ先のような申し入れをしている。もっともこの書簡は道中デールタス軍の手に落ちるのだが。

 この書簡によりフーハートスやザンテガントは、いよいよバハールという人物の評価を定められなくなったという。

 バハールは交渉を引き延ばそうとし、ザンテガントは早々に切り上げようとしていたようである。

 結局、三度の交渉でもパホッタイナ軍の戦果は伝わらず、和解の糸口も見いだせぬまま、ザンテガントに強引に終わらされる形で決裂した。

 ザンテガントは最後にバハールに言った。

「時期、ここに至ってはもはや和解の余地はない。バハール卿、最後に何か言いたいことはあるか。」

 バハールの敗北はこの時点で決定していた。先頃パホッタイナ軍が五大都から撤退したという報告が入ってきていた。大きくはフェイ・カナン少将とマネッツ・ミーノ大将との対立によってこれ以上の軍事行動が困難になっていたためであるという。

 バハールはザンテガントの言葉の後しばらく黙り込み、そしてゆっくり言った。

「流れを生み出すものはやがて裁かれるのか。それも良い。あなたはその流れの中で生きればいい。」

 ザンテガントはしばらく「何を言っているのか」という顔で見つめていると、バハールは皮肉めいた顔で空を見た。

「我が国は長く教国ファミスと戦ってきた。しかしそれも内患によってかなわなくなってしまった。全てが何処から始まっているのか。」そう言い終わってバハールは、空に叫ぶように言った。

「私は誰の流れにも乗らない。」と。

 

 交渉は決裂した。バハールとドストームはそれぞれの愛馬にまたがり自陣へと向かった。

 バハールの顔は、愛犬フィーブを殺して以来初めての清々しさに満ちている。彼は役目を終えた役者のように見えた。

 ドストームはなぜかこの時、バハールを頼もしいと感じた。ドストームにもなぜかは解らない。しかし彼は自分がバハールが教育したことについて、それは人に誇れることだったと確信した。

 バハールが馬を止め、ドストームに話しかけてきた。

「爺、やっと終わった。」バハールは笑っていた。

 ドストームは、バハールの顔を真剣な眼差しで見ながらたまりかねたように言った。

「戦われるのですね、あのザンテガントと。」

「爺はあの男をどう思う。」バハールは笑っていたが、ドストームはその黒い瞳の中に鋭い輝きを見た気がした。

「爺は初めて恐ろしいと思いました。それも一度に二人も。ザンテガントはもとより、ザンテガントの傍らにいた男。かねてより名前は聞いておりましたがフーハートス。礼儀知らずなあの男からは何か刃物でも喉元に突きつけられている。そんな感じがしました。」そこで言葉を切って。

「彼らならエイメスを建て直すことができるかと・・・・」ドストームはそう言った。

 バハールの目が一瞬喜びに満ちたものになった。

「爺、私は悪い領主だったな。」バハールは問うように言った。

「若は領主としては悪い領主でした。しかし民にとってはよい領主であったと信じています。」

「世間は私を責めるだろうが、爺は私を許してくれると言うのか。」ドストームはいつもの固い表情が嘘のような笑みを浮かべバハールに言った。

「行きましょう、最後の戦いに。若の武威を世界に知らしめるために。」

 二人は馬を駆り本陣へと向かった。

 

 フーハートスは不快であった。エイメスの貴族達と会い。先頃、バハールと名乗るエイメスの大貴族と会った。

「奴らは何だ。」フーハートスは、彼らが許せなかった。

 彼にとってバハールの行動は計算の内であった。しかしバハールや他の貴族達の持つ固定概念が、彼にとって許せるものではなかった。

「滅ぶのはいい。しかしなぜ他人を巻き添えにするのだ。奴らは狂っている。」フーハートスの頭の中でそのことが木霊していた。

 彼にとって、貴族達が愛した滅びの美学なるものは茶番でしかなかった。自己の驕慢のために多くの兵士を死なせ、それ以上の人々の涙を呼び込む。そういったことは彼の理解できる範囲外のことであった。

「自分なら負けるときは一人で死ぬだろう。」そういう確信があった。「ゆえに、自分は誰にも負けぬため日々世界に目を光らせ十分に備えをおいているのだ。」そう彼は自分に命じていたし、実行していた。

 負けてなお媚びてくるエイメス貴族達や、負けが決まっているのに戦おうとするバハールは、彼にとって愚か者としか言い様がなかったのだろう。

 フーハートスはこれまでザンテガントの下で様々な事をしてきた。ラビエル・ザログとファミス教国を結びつけ、ザログの乱を大きなものにしたのも彼であるし、ザンテガントに王を見殺しにさせたのも彼である。

 しかし彼の中ではそのどれもこれもが愚か者を権力の座から引きずりおろし、ザンテガントという新風によって人々が安心して住める国家を建設するためであった。

 フーハートスは生まれが平民であることを恥じるどころか、そういった平民の立場から見る権力構造のいかがわしさを正していっていた。

 ザンテガントが彼を重用したのも、彼の能力が優れていたという事だけではなく、彼のそういった視点がこれからのデールタスに必要と考えていたからであろう。

  ちなみにフーハートスはバハールの部下に内通者を用意している。アミス・ブラグネル・フィモースである。

 ブラグネルはフーハートスにいわせると欲深な男であった。バハールに二十歳の時その力を認められ、貴族号まで与えられている。しかしブラグネルはバハールの出兵案に対し、ドストームでも阻止は難しいと解るや、即刻フーハートスの内応の誘いに乗ったのである。

 フーハートスが欲深というのは、彼が内応に際し見返りを求めたことについてであった。ブラグネルが要求したのは、バハールの領土であった。バハールの領土はエイメスの三割にも及び、ブラグネルがこれを手に入れると、デールタス王国の三将軍をさしおき一番の実力者になる事を意味する。

 フーハートスは、彼の思慮がおぼろげながら解っていた。ゆえに卑しい裏切り者の要求を認めた。

 フーハートスがブラグネルを自陣に引き込んでからは、エイメス軍の内情はデールタス軍に筒抜けとなっている。

 フーハートスは考えた。

「自分はザンテガントを裏切るだろうか・・。」そう考えていると何処からか笑いがこみ上げてきた。

「既に自分はザンテガントを裏切っているではないか。今更このようなことを考えるとは俺の心がザンテガントの方に向いているということか。」

 笑いをおさめ、フーハートスは何か底知れない悲しさを感じていた。

 

               

 

 フーハートスやザンテガント、それに二将軍バレミオス、カルミネロがバハールと最後の戦いを前にしている頃、既に敗退している軍があった。パホッタイナ軍であった。

 彼らの足は重く、口々に出兵に対する意味を問いあっていた。

「我軍はエイメスの道具に使われたのではないのか。」

 兵士達の不満は、方向性を失いながら心の底に堆積していった。彼らは非難できなかったのである、マネッツ・ミーノを。

 ミーノは王に認められたパホッタイナただ一人の大将であり、彼の下に位置する中将の席に人はなく、名実ともにパホッタイナ最大の実力者である。彼を始めて見る者は、まずその醜悪な表情を恐怖の念を持つこととなる。ミーノは深々と顎髭を生やしており、人々は縦横に刻まれた皺が髭と共に動くとき、この醜い巨人から視線をそらすのだった。

 ミーノは笑う時と起こる時以外、殆ど喋らない。ゆえに彼が何かを口にするときフェイ・カナン少将以外、誰も反対しようとはしなかった。王でさえもである。デールタス出兵もミーノの一言で決定した。

「デールタスを奪う。」理由も説明も、計画すらなかった。カナンが反対して説明を求めると。

「うるさい小僧。」で、片づけられてしまった。

 ミーノは五十二歳でカナンは二十六歳である。歳は大きく離れているものの一国の将軍に「小僧」と言ってしまうのはミーノの傲慢といえる。

 ミーノに子供はない。その反動であろう、彼は幾人もの情婦を抱えている。しかもミーノは、そのそれぞれを妻と称し、当時王以外一人以上の妻を持つことを禁じていた「多婦の禁」を破っている。

 しかし王はミーノの傲慢を黙認していた。王もミーノという獣を扱いかねていたのだ。

 デールタスへ出兵することは決まった。しかしいざ行動の段となると計画不足によるアクシデントが頻発した。

 ミーノは国内においては無敵である。そこでは補給も兵の士気もミーノに味方していた。しかしいざ国外での戦いとなるとミーノ直属の兵だけでは足りず、混成部隊となる。元来「ミーノ直属の兵は無法者の集まりである」という話がつきまとっていた。つまり混成部隊となっては協調性のないミーノ部隊は、パホッタイナ軍の中で鼻つまみ者でしかなかった。また彼らもそう

 パホッタイナ軍は五大都に辿り着く前に士気を大きく低下させていた。それでも何とか軍としての形が保たれたのは、フェイ・カナン少将の力が大きかった。カナンは五大都に辿り着く前に二度ほどミーノの兵に襲われかけている。

「一体なんだ、この軍隊は。」カナンはそう思ったに違いない。軍の規律の全てはミーノの前では無に帰し、作戦計画はミーノによって時々に変えられた。

 カナンは物事を計画通りに実行する才能に恵まれていた。そういった点で、時期を捕らえて全力を投入するミーノとは水と油の関係にあったのかもしれない。出兵の失敗は、デールタス将軍ハイマー・フィルナーネの徹底した防衛戦術によるところが大きかったであろう。しかし先に述べたようなパホッタイナ軍内の不調和が、予想以上に早く戦いを終わらせる要因の一つにな

 当初五万の兵でデールタス領へ進入したパホッタイナ軍は、何の益もなく兵を引くこととなった。

 パホッタイナ軍の敗退は、国内のミーノ神話に一つの亀裂を生み出していた。戦いの戦死者は敵よりもむしろミーノを憎んでいたかもしれない。戦死者の過半数は戦場へ着くまでにミーノ部隊に殺されており、残りも戦場においてミーノ部隊の盾として使われていたのだ。

 帰路においてはミーノ部隊の横暴も陰を薄めていたという。

 大きなしこりを残したままパホッタイナ軍は五大都を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          四・五章  空白

 

「涙を流した人は、知っている。心の叫びはつらく悲しい。誰かに好かれたいと思うから無理が出てくる。愛されたいから嘘をつくのだし、だまされたいから人を傷つけるのかもしれない。」                                                          イフスタル

 

 旅人は、悲しみを背負っていた。心細くなり、誰かを求めたりしたけれど、結局「本当」は見つからなかった。歩き続けて足が軋むようにいたくなり、嘘が心に重たく強情さが足を引っ張っていたけど、それでも彼は歩き続けた。

 最後に食料がなくなり、自分は一体なぜ生まれてきたのだろうなどと考えたりして、ついには死んでいこうとしたとき、光が見えた。

 それは人々が神と呼ぶものかもしれない。しかし彼が見たのは人だった。その人は言った。

「大変だったね。」

 彼は思った。

「生きててよかった。」

 だから僕らは生きている。

 イフスタル、イジェールの時代の詩人である。

 

 

 

 フーハートスは、自分が「変わり者」と呼ばれることに満足していた。そう考えることで自分の中の寂しさを紛らわせていた。彼は「変」と言われることで、自分が他人と違うものであり、人々には理解できない崇光なる者であると理解していたのだ。

 彼は自分が醜いことを知っていた。そして少なくとも自分が将兵達を指揮する人物ではないということは解っていた。彼は、「人は自分の心で動くのではなく、見せかけに操られて動くものなのだ。」と考えていた。

 そして彼は、自分の容姿が醜いことが人々にさげすまれる要素であることを理解してたため、自分の向かう道を「人々へのさげすみ」という方向で解消しようとしていた。

 彼は涙を知らない。強く生きる事で自分を慰めようとしていたからである。

 彼が最も嫌う作家はイフスタルである。そして同時に、彼が最も好きな作家もイフスタルであった。彼は無邪気な子供のように、自分の好きなものにケチを付けながら自分の個性を探していたのだ。

 彼はイフスタルの唱える理想が許されなかった。イフスタルは人々が無能であると決めていたが、同時に良心ある者とも決めていた。イフスタル自身、幼い頃貴族から没落し、その中で人々との協調の道を見つけた。しかしフーハートスにはそれがなかった。

 ゆえに彼は、イフスタルが言う「人々は本来は善人である。」という考えが理解できなかったのだ。同時に彼はイフスタルが時に見せる冷徹なまでの批判精神を愛していたのだが。

 彼はフーハートスの本を読むため文字を学び、彼の生まれた国の言葉も学んだ。彼は学んでいく内に、知識を蓄えるということは人に尊敬されるものだと知った。

 彼には、学ぶということが非常に易しかった。勉強のために三、四日も寝ず、何も食べずにいたこともしばしばであったという。彼は幼い時期にイフスタルを通じて学ぶ喜びに出会ったのだ。

 それ以来彼は、人々を愚かなものであると理解しだし、そういった者と自分が同じではないということに誇りを感じた。彼を怒らせるのは簡単だった。

「君はあのひと似てる。」これで良かった。彼は自分が特別な者と思っていたため、人々に自分を計られること、誰かと比べられることを非常に嫌ったのだ。

 彼は賢かったが、その賢さの方向は全て自分を中心としていた。自分の主人ザンテガントにしても彼にとっては道具にしか過ぎなかった。

 その彼が歴史の中では英雄と呼ばれているのだから、歴史の判断とは曖昧なものである。

 歴史は彼の人格ではなく、その残したものでしか見ようとしなかったのだ。

 

 

 

「偶然は人の成長に伴い、必然に席を譲る。」

 ハスクの第一期の最終作である「時代」の一節である。

 彼は著作中、個人的見方より社会的な見方で世界を見ている。新しい考え方ともいえる「社会と自分」という見方は、この当時の人々が持てなかった考え方であった。

 人々は自分自身の生活が余りにも忙しすぎたため、国家や地域というものを単なる納税先としか見ておらず、施政者に税を払うことを略奪と考えていた。

 しかしハスクの中に貫かれていた考え方は、そういった人々のあきらめに対し「あなた達が社会の先導者であるのだ」という肯定的な啓発であった。

 彼は「偶然の減少」ということによって、それまでの人々にあった当たり前を壊すことを宣言している。

 しかし「時代」は空白感、内容の客観性から、人々の理解を受けにくく、本質が理解されるようになったのは彼の晩年である。

 ハスク第二期の初作「民心論」へ移行する中で、「時代」にあった「人々と国家の在り方」についての文章は行を大幅に減らしていたが、この当時におけるファニハール独立の忙しさの中では、やむを得ないことといえるかもしれない。

                                                                                                                                   時代における国防手段的な内容の中に、彼の人生を決定づける民主化への考え方の基礎となるものが含まれていたことは、この当時の誰が予測できただろう。この著作は、ミカイへ受け継がれ、イツバンテに伝えられ、やがて大陸三

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          五章      破滅と結果

 

「未来を知る者は不幸である。しかし、過去を知る者は幸運である。その時私達は未来を欲していた。」

                               シュル・ナルエール

 

                

 

 そこでは、独立という固有名詞がもう百年以上も認められていなかった。宗教国ファミスによってその土地は支配されている。しかし以前は別の名前があった。

 「バオール王国」今や人々の意識にその名は意味を薄くしていたが、王族は依然存在し、国外に亡命することやファミス教国に利用されることで、その存在を時代の波に浮かべていた。

 それを利用し、バオールをして対ファミス教国の砦にしようとしたのが、エイメス大貴族バハールといえなくもない。

 ただバオールに住む人々は、エイメスの貴族によって今の閉塞された状況を独立へと導かれることを望んでいたわけではなかった。もしかすると彼らは独立すら望んでいなかったのかもしれない。なぜなら、バオールに住む人々にとってはファミス教国に支払う税は不動のものであるが、新しく樹立された場合のバオール新王朝への税は新規のものであり、彼らにとって王朝復

 ここで注目すべきは、ファミスへの税が実は神への捧げものと受けとめられていたこと事である。つまり、新王朝がファミスへの税の支払いを停止させても、人々は同じ額だけ今度は教会に支払わなければならなかったのだ。

  ゆえに人々は、このまま安定した生活の持続のみがその課題となっていた。

 ではファミス教国は、バオールをどう位置づけていたのだろう。

 バオールは大陸の中央部に位置する。しかもこの国には、隣国フールと共に大陸の双璧をなす城塞都市バロムロンドがある。ファミス教国は、バロムロンドとフールのガルグミッシュの両都市を東国安定の要としていた。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           バロムロ

 そういった経緯から、この二大都市を持つということは、単に軍事上の拠点としてだけでなく、無言の圧力として他の国々に影響を及ぼすものであった。ファミスにとってバオールは非常に重要な土地であったといえる。

 バオールには、その時四つの勢力が存在した。一つは旧王朝のグループである。彼らは形式としてバオール王国の支配者である。しかし何をするにもファミスから派遣される総監府に承認を受けねばならず、税も総監府が徴収していた。彼らは自衛軍として二千人の部隊を持つ。

 第二の勢力としてはバオール総監府がある。彼らの下には本国から派遣されているファミス兵五千人がおり、主にバロムロンドの警備に当たっていた。

 第三の勢力はエイメス軍であり、第四はそれに対峙するデールタス軍である。

  他国の領土でこれから戦わんとする両軍に対し、それを見守る側は非常に冷めた視線でそれを見守った。彼らにとってはどちらが勝とうが何の益もないものであり、次なる不幸の始まりでしかなかった。ファミス派遣軍三万がバハール軍にさしたる抵抗も示さず敗退した時点で、彼らは未来を選ぶ権利を失っていた。

 

 その時、死が目前に迫っていた時、彼らは何を心の支えにしていたのだろう。

 ドストームはバハールの命を受け兵士達に「隊からの逃亡」を許した。ともすればそれは兵士達にとって指揮官としては、無責任な命令であったかもしれない。ただドストームは、これから行われる戦いがバハールの私戦であることから、バハールの命をそのまま兵士達に伝えた。

 ドストームの予想は、この命によりバハール軍の兵士は半減するだろうというものであったが、四万の兵の内逃亡したのは僅か五百七十名ほどでしかなかった。

「閣下、あのような命を出されてよろしかったのですか。」部下のライグ・ヘイセ・エッテイがドストームに尋ねてきた。

「若の命だ。」ドストームは、この若い参謀に晴れやかな顔で応えた。

「兵士達は何のために戦うのでしょう。」

「エイメスの未来のためだ。」ドストームの瞳は確信に満ちたまなざしであった。

「お前はなぜ残ったのだ。よもや我らに万に一つも勝つ見込みはないというに。」ドストームはふとヘイセに尋ねてみた。

「本国は二大貴族の裏切りによりデールタスの手に落ちていると聞いております。何故この期に及んでバハール様をお見捨てできましょう。」

「そうか、すまんな。」

 ドストームは兵士達に見せかけの勝利を提示しなければならなった。そうすることで兵をつなぎ止めておかねば軍が崩壊する危機があったといえる。バハールは、ともすればそういったドストームの苦労を水に流すようなことを命じている。しかし現実は兵に団結と決心をもたらしている。

「若はおそろしい。」

 ドストームは末期になってバハールの英知にふれる思いがした。

 出兵が決まった当初、ドストームはバハールの出兵の意図を探っていた。ドストームも幼い頃より徹底した教育をうけ、長きにわたり武官として国を守ってきた経験からバハールの思慮が、バオールの独立やファミスに対する感情的反感でないことは気づいていた。

 そして彼は熟慮の末、バハールの思慮がエイメス王国の革新にあると考えた。

 エイメスはその貴族的体質から、非常に権威的な一面がある。権力者は時に何の理由もなく自領の民を殺し、同じ国内でも貴族達は裏で対立しあっている。ドストーム自身、他の貴族達の横暴を苦々しく思うことが多々ある。しかし彼らの持つ権力はドストームにはどうしようもなく、バハールでさえ二大貴族の驕慢を防ぐことはできなかった。

 全ての元凶は三大臣制であった。バハールは公平さで人々の支持を集めてきた。しかしバハールがどれだけ自領で善政をしこうとも、三大臣制ある限りバハールにエイメスを変えることはできなかった。

 ドストームはバハールを良い領主にするため教育してきた。その全ては人々が安心して住める社会を築くためである。ドストームは最初バオール出兵案をバハールに聞かされたとき、バハールは狂ったのではないかと危惧した。「自分が教えた理想国家と三大臣制によりどうやっても変わらない現実、その中でバハールは精神が葛藤する重圧に負けたのではないか。」そう考え

 バハールが愛犬フィーブを殺した時の戦慄は今でも覚えている。ドストームは、死んだフィーブの遺体を服が血で汚れるのもそのままに抱きかかえているバハールを見て「時によればバハールを殺さねばならない。」と覚悟した。そして自分はバハールにとてつもない重荷を背負わせてしまったと悩んだ。

 しかしバハールは強かった。

 そういった現状の中で自分が動くことにより、雨上がりの川の堰を切るようにエイメス国内に新しい流れを呼び込もうとしたのだ。彼はそう理解した。ゆえに彼は人にいった。

「若は真実を貫くために枠を取り払おうとしておられる。たとえ自分の身を滅ぼそうとも。」と。

 彼の言う真実とは、彼が求めてやまない人々が領主ともに安心して暮らせる世界の達成である。そして枠とはそれを百年以上の長きにわたり阻害し続けてきた三大臣制であった。

 バハールがザンテガントに最後に言った言葉。

「私は誰の流れにも乗らない。」それを聞いたとき、彼は自分が考えるバハールの出兵の意図が正しいか間違っているかは別として「バハールは強い人間に育った。」と心の中で涙した。

 ドストームは若いヘイセと話しながらバハールとの日々を思いかえしていた。そしてバハールをこのまま殺してしまいたくはないと強く願った。

 

 

 

 ザンテガントは既に勝利に値する情報を手に入れて、バハールとの交渉に挑んでいた。すなわち「パホッタイナ軍撃退」の報である。

 五大都で防衛の任に当たっていたシュル・ナルエールとハイマー・フィルナーネからもたらされたこの情報は、交渉前にザンテガントの下にあった。ゆえに彼はデールタスでは異例の戦前交渉を行った。元来デールタスに戦いの前に敵方と交渉する習慣はない。そういった形式的なものはエイメスのものである。ザンテガントが自国の流儀を曲げてまで交渉を行った理由は、バ

  ザンテガントは、バハールという二十五歳の大貴族が単なる虚栄心のためにこのような暴挙を起こしたとは考えていなかった。

「フーハートスは何かを隠している。」彼の直感がそういっているのだ。

「エイメス貴族達の腐敗を憂う国民の心を、ファミスへ出兵することで払拭しようとした。」

 フーハートスは、バハールの行動をそう言う。

  しかしそれにしてはエイメス本国へザンテガントが兵を向けたとき、まるで無人の野を進むかのように敵が無抵抗であり、エイメスの残留部隊が次々と恭順してきたのはどういったわけであろう。しかも彼らはバハールを憎んでいたのでもない。

 まるで全てが用意されていたものであるかのように、整然と物事が進んだのだ。

 恭順した将軍や貴族の中にバハール直属の部下、カミン・テルブレック・ストライがいた。ザンテガントは、彼を詰問した。

「なぜ将軍は、こうも簡単に城を手放し降伏したのだ。」

「・・・・・。」

「何か秘策あってのことか。」

「ザンテガント様はかなわぬ敵を前にされたとき、兵士を無用に死なせることを望まれますか。私は兵士達を愛しております。」

「バハールが、降伏するように命じてあったのか。」

「私の一存です。」

 どれだけ問いただそうとも、テルブレックはバハールの命だとは言わなかった。しかしザンテガントはやはり「バハールは命じていたのだ」と確信した。

 ザンテガントが、バハールの軍がファミスの派遣軍三万を軽く粉砕したという報告を受けたのは、バオールへ向かう最中であった。

 本拠地を失った軍がなぜそれほど強いのだ。ザンテガントは解らなかった。バハールの突発的出兵であるなら本拠地を失った今、ファミス軍に対する以前に本国へ帰還するべきであろう。なぜ今だ他国に留まっている理由があるのか。

 もっとも理解に苦しんだのがザンテガントがバハールに会うと言ったとき、執拗にフーハートスが反対したことである。

 ザンテガントは、顔にこそださないものの、軍務長官フーハートスにとてつもない恐怖を感じることがある。ザンテガントは四十五歳、フーハートスは四十二歳である。しかしザンテガントはフーハートスに歳以上の風格を感じていた。

 フーハートスは、なぜバハールとの交渉を拒むのであろう。ザンテガントは強引に交渉を行い、真実を知ろうとした。

 交渉の一日目、初めてバハールに対したときの驚きは大きなものであった。バハールは美しかった。ザンテガントは、しばし心を奪われるかのような感覚に襲われた。

「彼の下であれば兵達は喜んで死んでいくだろう。」

 ザンテガントは一人納得してしまった。ザンテガントは自分が他人と違うことを最大限利用してきた男である、しかしここで見たバハールの造形美は、彼に「お前は、かりそめの違いを利用しているにすぎない。」といっているような錯覚に陥ってしまいそうであった。彼の黄金の髪でさえ、肉好きの良い巨漢でさえ、バハールの前ではバハールの小指の爪ほどの価値しかない

 ザンテガントはバハールと話していく内、バハールに妙な理想主義を感じた。彼はザンテガントに対し、まっさらな反応でかかってくるのだ。それは彼が今まで対したエイメス貴族達のものとは異質のものであった。しかし同時に「奴は根元的なところで何かを隠している。」そんな気もしていた。バハールは、どんな質問の中でも応えていないのだ。

「なぜ、ファミス領バオールに攻め込んだか?」を。

 それがバオール独立にないことは明白である。なぜなら、彼はバオールの重要な拠点の全てをはずして攻めているからである。

 バハールほどの者であれば解らぬはずがない。もし彼が本気でバオールの独立を願うのであれば、バロムロンドはともかくとして、旧王都ホーンスキレイはザンテガントの到着以前に落とせたであろう。それだけの時間的余裕はあった。

 最後の交渉を前にして、ザンテガントはエイメス側に揺さぶりをかけるために、密かにパホッタイナ軍敗退の報をバハールの陣へ流させた。しかしバハールはそれに何の反応も示さぬかのような態度で交渉に現れた。

「死ぬ気だ。」と悟ったのはその時である。

 ザンテガントは交渉を進める内、バハールへの敵意が喪失していっていた。ザンテガントの心の中では「何とかこの生意気な小僧を自分の配下に組み入れられないだろうか。少なくとも生かしてやりたい。」と考えていた。

 しかしそれはできない。それでは自分たちが出兵した意味が失われる。ザンテガントは交渉を終わらせた。

「時期ここに至っては、もはや和解の道はない。バハール卿、最後に何か言いたいことはあるか。」

  それに答えたバハールの言葉をザンテガントは一生心に刻むことにした。

「全ては何処から始まっているのか。」バハールはそう言った。

 

 

               

 

 夜明けを待たず両軍は動いた。

 バロムロンドとホーンスキレイの間に広がるルベラとよばれる土地であった。南にリネ河が流れ、北に大陸中央の山脈ドートラット山脈が位置する平原である。

 エイメス軍はホーンスキレイのやや南に位置し、デールタス軍はその東に位置した。両陣形とも持久戦型の陣形で、容易に相手の陣を崩すことはできそうになかった。

 先に動いたのはデールタス軍である。デールタス軍の中央を守るバレミオス中将の部隊八千が前進した。バハール側から対したのはドストーム軍一万である。両将は両軍の主力であった。バレミオスは前進を緩め柔軟にドストーム軍を引き受けた。ドストーム軍はこの時点で一時軍を引き右翼への警戒を増した。バハール軍は右翼が薄い。ここでドストーム軍が引きつけられす

 次にザンテガントは左翼に重点を置いた。デールタス軍の左翼を守るのはルフラー・シーメックの部隊である。シーメックは五大都の元防衛部隊であったが、パホッタイナ進軍の備えとして配置換えが行われ、ハイマー・フィルナーネと入れ替わりにこの戦場にいる。

 シーメックは防衛戦において柔軟な用兵を見せ、持ち場を敵に譲ったことはない。シーメックの隊の前進はバハール軍のラルベーヌ中将によってくい止められた。バハールは敵の左翼の前進に自分の腹心の部下ラルベーヌを当てた。ラルベーヌはバハールの幼き頃よりの友人で、バハールの命を幾度か助けてきた恩人でもある。バハールはラルベーヌと育ち、ラルベーヌもバハ

 ただラルベーヌは他の将軍に比べると実戦経験が浅く、シーメックがラルベーヌを引きつけようとする誘いに乗ってしまった。ラルベーヌとしては全体的な流れの中で左翼だけが突出する愚は知っていたが、兵力差を抱えるバハール軍としては、敵に持久戦に持ち込まれる事の危険も感じていたのである。結果ラルベーヌの部隊はじりじりと敵の陣に引きつけられてしまってい

「左翼はもらったか。」ザンテガントが呟いた時、それは起こった。

 デールタス軍の右翼を守っていたスロー・ガスターネが左翼の後退を危機と感じ、業を煮やして持ち場を離れたのである。ガスターネの軍はやや崩れた。ガスターネはザログの乱以後ザンテガントの下に恭順した将軍である。彼は戦術においては、まず一流と言っていい人物であった。しかし全体の把握という点になるといささか思慮に欠ける点があった。

「左翼は何をしているのだ。」そういう苛立ちがガスターネの中にあったのだろう。

 バハールはそれを見逃さなかった。バハールは、本隊とカミフェ隊を動かしデールタス軍右翼を攻めた。

 ガスターネの軍は急襲してきたバハール軍に浮き足だち、一時危険な状態に陥った。それに呼応してラルベーヌは軍を引き、戦況は右翼を中心に動き出した。

 ザンテガントはガスターネの隊のふがいなさにいらだちながらも、このままでは危険と判断し、デールタス軍最強部隊スタン・カルミネロ軍五千を右翼に向けた。

 結果デールタス軍右翼は立て直し、バハールも深入りすることなく軍を引いた。

 

 開戦より五時間が経過しても決定的な勝利はどちらの軍にもなく、小競り合いが続いた。やがて小雨が降り出した。両軍の動きはやや停滞する。

「バハールはよくやる。」ザンテガントは側近に言った。

 現実にバハール軍は疲労してないかのようによく行動し、デールタス軍に対し全く隙を見せようとはしない。バハール自身が戦場におり、全体の指揮を執っていることもあろう。バハール軍の兵士達は、バハールの顔を見ては決意新たにデールタス軍へ襲いかかっていくのである。

「カルミネロもブラグネルも手が出せないでいるではないか。」ザンテガントはフーハートスを省みてそう言った。フーハートスは、状況を凍てつくような眼差しで見つめていた。彼は狂った占い師のように一人「まだだ、まだだ」と囁いていた。

 戦場におけるフーハートスは、人が変わったかのように寡黙になる。まるで大作を完成させんとする画家のように一人状況を見守り、その完成図を探っていた。

 カルミネロの部隊が再三のエイメス軍に業を煮やして突出した。

 しかし気がつくとカルミネロ隊は、バハールが築いた包囲網の中に取り込まれてしまい、檻に入れられた虎のように戦線から切り離されてしまった。徐々に消耗を迫られるカルミネロ隊はそれ以上の進軍を諦め、バハール軍の手薄な部分から包囲を抜けた。

 一方左翼でも動きがあった。ラルベーヌが大きくデールタス軍を包囲しようとして持ち場を離れた。これは怪しいと考えたデールタス側右翼のシーメックは動かなかったが、シーメックの後方を守っていたカイツァー・ブキャンが「これは千載一遇のチャンスではないか。」とシーメックを責め、突出した。

 しかしブキャンも、やはりバハール軍に包囲され、シーメックに助けてもらう結果となった。

 デールタス軍は責めの糸口を見いだせなかったが、同時にバハール軍もすぐに傷口を埋めてしまうデールタス軍に攻めあぐんでいた。

「若はこれほどの戦ができたのか。」ドストームは濡れた足元さえ気にならぬように右に左に軍を動かしながら、バハールの戦いを驚きでもって見守った。恐らくそれはバハール軍の全ての将軍が感じていたであろう。バハールは本隊を臨機応変に展開させ、各部隊を励ましながら秩序を保ち続けた。

「この辺りか・・。」

 バハール軍が左翼の救援に移動したときに、フーハートスはにやりと笑いながら呟いた。彼は部下に指示し、のろしを上げさせた。

 

 バハール軍の後方を守っていたアミス・ブラグネルがエイメス軍を裏切った。

 しかしブラグネルの隊の一部の兵士は、バハールへの忠誠を理由に上官の命令に反対した。ブラグネルの隊は混乱しながらも、デールタスの将軍カルミネロに対するバハールの後方を攻めた。バハールは挟み撃ちにあう形となった。

 デールタス軍はこの期を逃さず、全軍をあげて総攻撃にでた。バハール軍は行動の限界点であり、裏切りの衝撃によって一気に崩壊への道へと進んだ。

 バハール軍は間もなく壊滅した。

 バハールの死はブラグネル隊の手によるものであった。バハールは殺された。見つかった死体は右足がなかった。見開かれた瞳はなぜか決意を秘めたものであり、恨みや憎しみを感じさせない表情で、死してなお威厳を保ち続けていた。

「何か握っているぞ。」

 ブラグネル隊の兵士が、バハールの手に握られている宝石の埋め込まれた革のバンドを見つけた。

「これは高く売れそうだ。」

 一人の兵士が無理矢理それを抜き取ろうとしたが、指が硬直していて取れなかった。兵士は剣を抜き指を切り取りそれを抜き取った。

「おい、しらねえぞバハール様だろ。」

 他の兵士がそれを諫めた。

「かまうこたねぇ俺達を敗戦に追いやったのもこいつなんだから、ほらお前にもやろう。」

 その兵士は、そう言ってバンドの宝石の部分を切り取り他の兵士にも与えた、そしてその後残ったバンドを辺りに捨てた。

 わずか二分ほどの出来事であった。

 雨と泥で汚く汚れたそのバンドの裏には、子供の字で「フィーブ(誠実)と共に」と書かれていた。バハールが愛犬フィーブの首につけていたものであった。

 バハール軍の将軍のその後は様々であった。ドストームとラルベーヌは自害しようとしたところを捕らえられ、カミフェは戦乱の中、いずこかへと逃亡した。

  バハールの死が早くに全軍に伝わったため、両軍とも過度の死者を出さずに戦いは終結した。

 バハール軍は四千人の死者を出し、デールタス軍は一千人の兵を失った。

 

               

 

 バオール王国にとっての災難は去った。

 デールタス軍は本国へ帰還し、バハール軍の兵士もザンテガントの指示で帰国が許された。

 しかし、独立の火種は消えたわけではなかった。それよりむしろ大きくなったといえる。原因はファミス軍の弱さである。

 人々は戦乱の危機が去ったことを喜びながらも次のことを考えた。

 ファミス教国はエイメス軍に負けた。そのエイメス軍はデールタス軍に負けた。つまり自分たちはより大きな敵を持ったのではないのかと。

 バオールに住む人々は自分たちがファミスにとって盾であることを知っている。このままでは自分たちはファミスの捨て石にされるのではないか、人々の不安はエイメス去ってなお残った。人々はこの戦いを通して、神の軍隊と言われ続けてきたファミス軍の無力さを思い知ったのかもしれない。バハール戦争以後、バオールにおける独立の動きは急速に高まった。

 バオールの旧王派にもいくつかのグループがある。一つ目はバオール王家による自治を求めるグループ。二つ目にはファミスの支配下の中でそれでも良しとするグループ。三つ目は他国に亡命しているグループであった。

 独立を目的しているグループのリーダーは、かつてバオールの権力機構を追われた王の祖先ロブナン・ツェッテル・サーレ、銀髪の青年である。

 彼は三十歳の若さで三百人ほどの兵士を持つグループを指揮していた。ツェッテルはホーンスキレイに拠点を置き活動していた。

 ファミス教国に支配されている現状で権力を拡大していこうとしていたのが、ラィーン・ガミス・リーンとその息子リベーフ・ガミス・リーンであった。ツェッテルは彼らを「ファミスの飼い犬」と中傷したが、彼らは彼らなりのプランがあった。むしろ彼らにしてみれば「ツェッテルなどが騒ぐからファミスの監視が厳しくなるのだ。」と、ツェッテルらの行動を疎ましく感

 ホーンスキレイとバロムロンド間の交通は殆ど整備されていない。元来リネ河を越えたガルグミッシュを仲介して発展していっていたからである。これはファミスによる策謀でもある。

 ファミス教国にとってバロムロンドは、絶対失えない場所であった。これを本来の王都ホーンスキレイと切り離すことによって、独立を最大でもホーンスキレイに留めようという効果を狙っていた。

 これなら、具体的にバオールの独立の動きがあったとしても総監府が奪われるぐらいですむ。最終的にファミスが重点的に派遣軍を置いているバロムロンドさえ残れば、独立の動きは孤立化する。そして地理的条件から独立グループは袋の鼠となる。

 ゆえにホーンスキレイとバロムロンド間の交通は、長年の間手つかずのままであった。

 

 父と子は総監府に全ての決定権を握られながらも、バオール王家による自治のために密かに自衛軍や資金を蓄えている。

 彼らの力は微弱であったが、何とか体裁を整えるだけの設備は認められていた。彼らの宮殿はバロムロンドの中にある。ファミス統治のバオールにありながら、そこだけは多くの使用人を雇い一国の王としての威厳を守っていた。

 ガミス親子が話をするのは宮殿の奥深く、王族しか入ることを許されていなかった部屋である。そこへは総監府の人間といえども、たやすく入ることは控えられていた。彼らにとって最後の砦であった。

 黒光りする重厚な机の上には金の燭台があり、二つのティカップがそれぞれの男の前にあった。

「昔は良かった、時代は常に変化を求めているのだろうがな。」

 ライーンは椅子の背もたれで背伸びをしながら、口癖になった台詞を繰り返した。五十六歳のライーンは若くして髪がなくなった。そしてそれは彼の若い頃からの悩みであり、人々は彼が王座についたとき、彼の代でバオール王朝も終わりだと噂しあった。つまり彼の頭がはげているため王冠が滑り落ちるという皮肉でもあったのだ。

「バハールは死んだそうです。」

 三十七歳のリベーフは青い瞳をカップに浮かべながらライーンに告げた。彼もまた遺伝的影響から頭髪が少ない。しかし彼は、悩むどころか薄くなりつつある頭を笑い話にするほど落ち着いた人物であった。

「使えん奴だ。」ライーンは冷たく答えた。

「バハールもバオールの独立というのなら、ホーンスキレイぐらい落として革新派を立ち上がらせれば、我々に対する監視も緩むというに。」

 ライーンは息子に対しても、表情や口調を崩さない。

「バハールは本当に独立を目指していたのでしょうか。」

「そんなことは関係ない。重要なのは、今起きている状況をどう利用できるかだけだ。」

「確かにエイメス軍がファミスの派遣軍を破ったことについては、いろいろな影響がありましょう。」

 リベーフは最も重要な話題を口にした。

「それが問題だ、ファミスがあてにならなければ、いっそデールタス王国にでも身売りすべきかもしれんな。」

「ザンテガントは我が国を受け入れますか。」

「いや今すぐというわけにはいかんだろう。ザンテガントはエイメス王国の事後処理に追われるだろうし、その上我が国にまで手は回らんだろう。」

「我が国がファミスにより、実質的に領土を分割されていることも難しい問題ですな。」

「それだ、我らはガルグミッシュなしには連携もとれん。」

 リベーフに対するライーンの受け答えは通り一辺のものであった。リベーフはそんなライーンとの話にいつも一定の方向付けをするのに苦労する。ライーンはファミスに平穏無事を保証された生活に嫌気がさしていたが、同時にそういった生活に若き日の情熱がそがれていっていたのも事実だった。

「いっそバハール軍とデールタス軍の後始末と称して、ルベラ地方を起点とし交通の拡大を計ってみてはいかがでしょう。」

 リベーフは貪欲に計画を述べた。

「面白いな。総監府に気付かれんようやれるところまでやってみるか。」

 そう言い終わってライーンは立ち上がった。彼は武者震いに身を震わせながら、自分の息子がもはや王としてやっていけるだろうと内心ほくそ笑んでいた。

 

               

 

 エイメスは大きな変革期にあった。そしてそれはデールタスの軍務長官、フーハートスによってもたらされたものであった。

 フーハートスのエイメスにおける戦後処理は多くの人々を震え上がらせた。ともすればそれは、フーハートスの個人的憎悪を社会に提示したものであったのかもしれない。彼の行動に説明や弁解がなかったこともあって、デールタスの武力を背景に強権を発動するフーハートスに人々が憎悪を向けるのに時間はかからなかった。

 彼はエイメスの行政機関に入るなり自分の名でもって、三大臣制の廃止を宣言した。そしてその後、矢継ぎ早に改革を行っていった。それらに一貫していたことは商業政策の拡大と商人保護の姿勢であった。彼は、デールタスと共にエイメスも商業によって生産性を拡大させようとしていたのだ。当然そのための痛みは全て貴族に降りかかってきた。貴族達は持っていた官職の

 更に貴族達を驚かせたのは貴族の土地を国家のものとして没収したのだ。没収された貴族は商人からの債務を国家に転嫁した貴族達であった。フーハートスはこの時の貴族達の行動を理由に、貴族階級のほぼ三分の一を没落させた。没収された土地は商人に与えられ、商人に金を借りていた貴族達は、元は自分の土地だったところを商人から借りるという形で領地を使用するこ

 これはフーハートスにしてみれば、帰すあてのない金を借り続けた貴族達が悪いのであり、自業自得ということであったのだろう。しかしフーハートスはこの時、やや驚かされたという。確かにこれにより大部分の貴族を没落させることができたが肝心のバハールの領土は、バハールが商人からの借り入れを禁止していたこともあり、全く手が着けられなかったのである。ゆえ

 次に彼は今まで貴族達に免除されていた税金を課した。これにより名家が泣く泣く家を手放すという話がエイメスで盛んに聞かれるようになった。フーハートスは王権を無視した国家像を模索していたのだろう。それまでは「国家」とは王により統治された土地の意味であったが、フーハートスは国家を単に「人々が政治によって生活する場」と捕らえようという新国家感を提

  最後に彼はエイメス軍の編成を行った。エイメス軍はバハール軍の残党や、新規に徴兵された兵士を中心に組織された。そこに任命された将軍は、デールタス側から補佐官として五大都防衛の任に当たっていたハイマー・フィルナーネ、戦いの初期に城から投降したテルブレック、それに政統官ブラグネルらである。

 フーハートスは、直接エイメス軍と戦わなかったフィルナーネや元々エイメスの将軍であったブラグネルやテルブレックを任命することで、バハールなき後のエイメスの精神的支えを培ったのである。新規のエイメス軍は四万人で構成された。

 全ての政治的改革を終えると彼は、その実行者にバハールの元部下でバハールを裏切ったブラグネルを任命した。フーハートスはブラグネルを政統官という役職に付けエイメスの内政を任せた。

  エイメスの人々の反感はフーハートスから裏切り者のブラグネルへと向けられた。

 

 これらの処置はエイメス貴族達の猛反対を受けたが、デールタス国内にも反対者はいた。シュル・ナルエールであった。

 ナルエールはフーハートスの処置に幾つも見られる矛盾を見逃せなかった。フーハートスを目的のために手段を選ばない男とするなら、ナルエールは世界を全て計算でかたづけてしまう男であった。ナルエールは理論的であることを当然とし、それが恒久的に国を存続させるための条件であると信じていた。ゆえにフーハートスのように理論を破綻させてまで物事を強引に進め

 彼はフーハートスに意見書を送りつけ、ザンテガントにもフーハートスの行動に説明を求めた。結果、彼の下にはエイメスの旧貴族が土産を持って集まり、彼はフーハートスの受け皿として役目を果たすこととなった。

  フーハートスもナルエールの反対意見には手を焼き、その過激な政策の一部を変更したため、エイメスでのナルエールの評価は高いものとなった。

 全てが片づき内政が安定すると、ザンテガントがフーハートスの後任としてナルエールを任命してからは、エイメスにおけるデールタス反対派は攻撃の対象を失いエイメスは事実上デールタスに組み込まれた。ただ、ナルエールは自分の任期は一年であるとして、エイメスの内情が落ち着くとすぐに五大都に戻る事になる。

 ナルエールのいない間に五大都が乱れだしたからである。ザンテガントにとっても五大都を抑えられるのはナルエール以外にいない事を痛感することとなった。

 

 では、バハール軍の他の将軍達の処置はどうなったのであろう。

 戦後、デールタスの手に落ちた将軍はドストームとラルベーヌであった。

 ドストームは戦争の責任をとり、極刑。バハールの親友ラルベーヌはデールタス王国へ移送の際、エイメス王国のバハール領を通ったときに自害した。

 カミフェはどうやらデラーザント国へ亡命したようであった。

 ザンテガントは、ドストームを裁いたことでエイメスに対する処置は十分であるとして、他の士官に対しては一階級降格させただけで新規エイメス軍に組み込んだ。

 バハールの一族への処罰も軽く、彼らは一命を安堵されデールタス国内への移住のみで許された。人々はザンテガントの処置とフーハートスの処置を比べては、フーハートスの過酷さに恐怖するのだった。

 以上のように戦いの後、人々は新たな道を歩きだしたわけだが今だ結論がでていない国もあった。

 パホッタイナ王国である。

 エイメス軍に呼応して出陣したパホッタイナ軍は、デールタスで無用に兵を失い敗退した。結果、これからは強大になったデールタスとファミス教国を敵に回してしまった訳だが、ゆえに大陸は、パホッタイナの生き残り策からさらなる大きな流れを生むこととなる。

 大陸始まって以来の大同盟の誕生である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          六章      大同盟

 

「死ぬことを恐れているから破滅するのだ。成功は全てを捨てきって新たに手に入れられるものなのだ。兵士達よ国のために死ね。」

                                マネッツ・ミーノ

 

               

 

 大陸第二の大国パホッタイナ王国は、バハール戦争により大きな影響を受けていた。

 バハール戦争と時期を同じくして出兵したパホッタイナ軍は、何の益もなく一千の兵を失って退却した。

 内部のごたごたがあったというものの、パホッタイナの敗退は隣国にパホッタイナ軍の弱さを露見した形となった。更にパホッタイナにとって重大だったのは、デールタス王国の巨大化であった。デールタスはエイメスをその領内に換算すれば、ファニハール独立以前のミレリア王国さえも遥かに凌ぐ超大国になる。パホッタイナ王国は先の戦争でその超大国を敵としてしまっ

  パホッタイナにとっては、せめてバオール王国でも独立してもらわねば立つ瀬がなかった。

 一時は「戦争犯罪人ミーノを捕らえてデールタスに引き渡せばこの緊迫した状況を打開できるのではないか」と王に進言したものもいる。

「お前が捕らえるのか。」

 それが王の答えであった。

 王もミーノを恐れていたのである。それだけ軍におけるミーノの力は大きかった。軍の一部に至っては全くミーノ個人の私兵と化していたのが実情であった。

 マネッツ・ミーノはどのようにしてこれほどの実力者となったのか、彼の半生を探ってみたい。

 

 

 

 マネッツ・ミーノは東の人である。彼は、エスタル三百八十一年にミーノ家の次男として生まれた。ミーノの母はパホッタイナの上流階級の出身であった。しかしその容貌がお世辞にも美しいとはいえなかった。そういった事もかみしてであろう、彼の父のミーノ家は王家からも縁遠い中流貴族であった。

 彼の五歳上の兄と三歳上の兄は両者とも父からの遺伝で精悍な顔立ちであった。しかしマネッツは母親からの要素が多く、幼い頃から兄と比較されてはその違いに人々を驚かせていた。

 彼の兄たちは今の彼からは想像できないが、二人とも病弱であった。長男ルーベンは非常に優しく、人の話をよく聞いた。次男ドープは何の取り柄もなかったが音楽に幾ばくか興味を示す人物であった。

 マネッツ・ミーノはこの二人の兄を嫌っていた。しかし二人の兄たちはあくまでマネッツ・ミーノに優しく、それは一層マネッツの心を閉鎖的なものにしていった。

 マネッツは十七歳までこういった環境の中で育った。彼の体格は人並みはずれて大きく逞しくなっていた。彼は様々な理由の中で自分の感情のはけ口を必要とし、それを武術に求めた。いや、言うなれば彼にはそれしかなかったのだ。

 マネッツ・ミーノは二十歳の時、次々結婚し独立していく自分の兄達に、母が言った言葉を聞いてしまった。

「お前がこの家を出ていってしまったら、私はあの子と二人だけになってしまうじゃないか。私にはあの子が解らない。怖いんだよ。何とか出ていくのはもう少し待ってもらえないかね。」

 彼はこの言葉を聞いて一人傷つき、食事もとらずに自分の部屋に閉じこもり、二日して誰にも相談せずにミーノ家を出た。

 七年の時が流れた。

 彼の武術の腕はその師匠でもかなわないものとなり、気がつけば国内敵なしとなっていた。

 彼が王に認められたのは王が毎年開く武術大会であった。彼に対せる者はいなかった。王は彼を士官に任命した。

 彼はこの頃より私兵を持っている。ミーノは若い頃より町のごろつきを集めては商人の家を襲っていた。彼はその時の仲間を自分の部下に組み込んでいった。

 王がそれに気付いたときには、彼のグループは軍で絶対的な力を持っていた。王は仕方なしに彼の階級を順次上げた。ミーノが士官になって十八年たつと、ミーノは四十六歳でついに大将に任命された。武官の家系でない者では異例の早さといえる。しかし、彼は大将になっても満足しなかった。彼は自分の対立者や同格の者を難癖を付けては蹴落としていった。彼としては自

 次に彼は、権力を自分の心の支えにしようとした。次々と対立者を蹴落としていく中で、彼は権力というものが非常に心地よいものであることを知った。

 あれだけ彼を避けていた彼の両親が、彼をしたってやってきたのである。彼はそれ以後パホッタイナ最大の実力者の道へと進んだ。

 人々が彼を恐れ口を閉ざすのは、彼が恐ろしいこともあったが、それ以上に彼の持つ団体ミーノグループが恐ろしかったからである。時にミーノグループは暗殺集団へも変貌したのだ。

 彼が大将となった今では、ミーノグループのメンバーは四千人を越すといわれ、大陸中、将軍でミーノ以上の支持団体を持つ者はいない。

 

 

 

 ミーノがデールタス進軍以後、妙におとなしくなった事を知らせる話があった。

 ミーノが近衛兵を連れ、町を歩いていると十五歳位の童顔の少年が飛び出してきた。

 その顔には明らかな憎悪が浮かび上がっており、その視線はミーノに向けられていた。

「人が死んでも心が痛まない、あんたらのような人が増えたから世の中が悪くなっているんだ。」

 少年はミーノに叫んだ。少年にして見ればパホッタイナの実力者は王ではなく、ミーノだったのだろう。彼にとっての世の中とはパホッタイナのことだろうが、少年達までが世の中が悪いというのは、かなりの危機感が国民の間にあったかが解る。

「・・・・。」ミーノは少年をにらみつけたまま黙った。

「止めろ、あの人はミーノ大将だぞ」すぐに駆けつけこう言ったのは、この少年の友人のようであった。

「うるさい、あいつのために父ちゃんは。」

 この少年の父親は、デールタス進軍中にミーノの配下のものに殺されていた。少年の父親は補給部隊であり「まず死ぬことはない。」と、妻子を安心させていたのだろう。

 ところが少年の父は死に、その妻子は悲しみのまま残された。しかも伝え聞く話では父はミーノ軍の兵士に殺されたという。どうして味方に殺されたのかと聞くと。食糧の配給が少ないと言いがかりをつけられ「みんな平等だ」と言ったため殺されたという。

 少年が怒るのも無理はなかった。

 いつものミーノならば無視して通るか、少年の命を奪っていたろう。

 しかしこの日ミーノは少年にいくらかの金をなげ、

「行くぞ、ささくれが痛い。」と、見逃した。

 

               

 

 ミーノグループが単なる狂信的な集団であったかというとそうでもない、グループにも良識派はいた。セッタガーフ・ドルネである。ドルネは三十二歳の新参の者でありながら、グループの中では屈指の実力者であった。

 彼は学問所を持っている。ただこれは少年達のための学問所ではなく、政治団体の研究機関としての色合いが強い学問所であった。戦争以後この学問所への人の出入りは増加している。グループの誰もがデールタス王国の拡大に危惧していたからであろう。

 パホッタイナ王国は王都イルスロー以外に三つの大都市がある。西からチェリブ、アスマイグ、ガーベックである。そしてそのどの都市も海に隣接し、貿易港としての能力を持っていた。

 ドルネの学問所はチェリブ中心部にある。チェリブはパホッタイナの他のすべての都市に交通路を持つ、パホッタイナの中心都市であった。

 学問所は平屋で民家二十軒分の敷地面積を持つ。広さだけいえば中流貴族の屋敷に匹敵するほどであるのは、ミーノグループの巨大な資金が背景にあった。

 その時はミーノも珍しくそこにいた。彼は殆どドルネの下を訪れないし、もし訪れても余り他人とは話さずすぐ飽きて帰るのが常であった。ミーノが珍しくドルネの下を訪れたのはデールタス出兵について、やや引け目を感じていたからかもしれない。

 グループの首脳は学問所の大広間に集まっていた。

 巨大な円形のテーブルは中央に花が飾られ、それを囲んで座る出席者は一様に癖のありそうな人物達ばかりであった。部屋の壁には、ひときわ大きいパホッタイナ国旗が飾られており、ミーノはその前に座っていた。

「やはりバオールに独立してもらわねばどうにもならん。」アルバート・サイン少将が口を開いた。

「しかし我が国とバオール王国の距離は長い。しかも間にはファミスかデールタスがあり、容易に手を出すことができません。」ミーノグループを資金の面で後押しする大商人の息子ランニーグ・ゲルミが答えた。

「何にしてもこの両国をなんとかせねばならんわけだ。」サインが忌々しげに言った。

「諸君!デールタスとファミス対するならどちらが当たり安かろう。私はファミスと思うが。」甲高い声でやせ気味のドルネが話し出した。

 何も話さないミーノを除き全ての者が賛成すると、ドルネは一つ頷いて話を続けた。

「ではファミスに対するに我が国の力だけで当たれるだろうか。私は難しいと考えるが。」

 同じ反応を待って話は続けられた。ドルネは当たり前のことを積み上げて、ではどうすればいいのかというように話す男である。血の気の多いミーノグループにあって出席者は「早くプランを切り出せばいいのに。」とドルネの話し方に反感を持つ者も多かったが、ドルネしかグループに方向付けができる人物がいなかったため、出席者はいちいち首を縦に振っていた。

「つまり我が国は他国と結んでファミスに揺さぶりをかけるのだ。いかがであろう。」人々は頷いた。ドルネもまた一つ頷き話し始める。

「そうなればミレリア王国はまず範囲から洩れる。なぜならあの国はカスミヤ教の寺院を認め、正式にカスミヤ教を国教としているからだ。ではファニハールとクルナを我が陣営に引き込めばよいことが解る。」

 そこからはドルネの独壇場であった。最初こそ人々に同意を得ていたものの話に熱中し、神懸かり的に身を震わせながらその声を室内に響かせ続けた。ドルネが言ったのは次のことであった。

 「一、バオールは独立させる。

  一、大同盟を結びデールタスの驚異を払う。

  一、ミーノ軍を強化し、団結を強める。」

 ドルネの案には、誰も反対しなかった。しかし同時にだれも実行したがらなかった。彼らは他国の文章を書けなかったのだ。当然のように提案者であるドルネが文章を任された。かくして王の判断も待たずに重大な外交が決まった。ミーノはこの間一言も発することはなかった。

 会議の最後に、ドルネが

「王への事後承諾は閣下にお願いできますでしょうか。」とミーノに言った。

「解った。」それがミーノが発した、この日の全ての言葉であった。

 こういった私的組織は一旦行動すると早い。お互いが切磋琢磨しあい、又、抜け駆けを狙って行動するためである。ともすればこの時期のミーノグループは、大陸の中で最も活動的な組織であったのかもしれない。ミーノはそういった組織を束ねていたのだから、単なる獰猛な将軍というだけではなかったのだろう。

 四日してドルネは書簡を仕上げた。それは国の外務局へ回され、チェックなしで国書として各国へ送られた。恐らくデールタス王国のシュル・ナルエールなどが一連の手順を聞いたら、そのいい加減さに卒倒してしまったであろう。

 国書は陸路、海路を問わず最短の方法で運ばれた。

 届いた順は、第一にファニハール、第二にクルナ、最後にデラーザントであった。各国はこのパホッタイナからの書簡で揺れ動くこととなる。

 

               

 

 ハスクがファニハールから姿を消したのは、パホッタイナからの書簡が届いた次の日からであった。

 ハスクは姿を消す前、エルリックと会談している。パホッタイナの書簡についてである。

「ハスクどう思う。」エルリックは冷静に言った。

「これは乗ってみるべきでしょう。少なくとも我が国に害ある同盟ではありません。ただ問題はどの国がこの同盟に参加するかですね。」

「我が国とクルナ、それにデラーザントへ送っているようだな。しかしデラーザントは難しいであろう千年同盟とこの新規の同盟、彼らの秤ではやや時間的重みの方が強いのではないだろうか。」

「私もそう思いますが、経済的な面であの国は自立しようとしています。そこを重視しこちらからも一報を送れば時間の壁も破れるのではないでしょうか。」

「ミレリアを共に滅ぼそうと持ちかけるのだな。」

 エルリックは少し考えハスクに言った。

「しかしあの国はミレリアに対する理由があるまい。その点はどうする」

「バハールの使った手はいかがでしょう。王家の復活などは。」

 エルリックは大きく笑っていった。

「これはもう十分な内政干渉だな。」

 そう言って笑いを納め、真剣な顔でエルリックは言った。

「ハスク、余り強引に物事を進めると、内部からの突き上げが厳しくなるぞ。」

「それはもとより承知のこと、今更私は地位も名誉にも固執する気はありません。」悲しそうに言ったハスクの瞳には決意の火が灯っていた。

「ここでお前に身を引かれてはこの国自体が危うくなる。とりあえずやってみて後の変化を見ることにしようか。無理はするな。」

 エルリックのこの一言でパホッタイナの同盟要求はのまれた。

 ハスクは即、行動した。

  ハスクはパホッタイナからの同盟要求が届いたその日の内にデラーザントへ、ミレリアへの共同出兵案を提示したのだ。

 ハスクは言う。

「ミレリアは長年、我が国を無用に侵害し続けてまいりました。我が国としてはこの期にデラーザント国と強い絆を結び、ミレリア王国に対したいと思っております。つきましてはミレリアなき後、ミレリア代守国として同領の安寧を計っていただきたいと考えておりますゆえ、まずはご判断を仰ぎたく一報差し上げます。」

                                                                                                                                                                                                                                                           ハスクはミレリアの滅亡をこの時点で提示している。デラーザントとしては革命以後不当外交に悩

 ハスクの表現はへりくだっていたが、真剣な眼差しで「イエスかノーか」と言ってのけるような文章であった。

 ハスクは同時にクルナに関しても行動していた。

 以前からハスクは巨費を投じ、二人の人物に接触していた。一人はハスクの初陣であったラスクロットの戦いで、クルナを勝利に導いた将軍、若きクルナの矢カイン・ミルフィッグであり、もう一人はクルナ王朝を二代にわたって支える老将アレン・エスナルシンである。

 ハスクはまずこの二人を対立させた。カイン・ミルフィッグを同盟反対派にし、アレン・エスナルシンを賛成派に動かした。

 カインを反対派にするのは容易であった。元々彼はクルナは戦うべきではないという考えの男であり、ハスクはその火を少し大きくするだけで後は勝手に燃え広がっていった。

  ハスクにとっての問題はアレンであった。アレンはクルナ有数の名将であり、慎重派で名高く、容易に口説き落とせそうもなかった。アレンの心を同盟案賛成へと導くにはアレンの虚栄心にかけるしかなかった。つまりハスクが事前にカインを反対派にしたのは、アレンに対する揺さぶりであったのだ。

 逆にハスクがカインを同盟賛成派、アレンを反対派にしたのならクルナの同盟参加はなかったろう。アレンは会議が始まるとそれまでの慎重論を翻し始めた。

 ハスクはクルナの大商人にも接触していた。彼は大商人達に「これから大きな戦いが起きる。そしてそれはあなた達の商売にとって大きな利益となる。」と順を追って説明し、彼らも味方に付けてしまっていた。

 

               

 

 クルナは元来戦闘的な国ではない。魔王イジェールが兵を挙げたのはこの国からであったが、クルナ王家はこれに対立し続けていたし、イジェール自身もクルナの人間ではないとクルナでは伝えられている。

 ラスクロットの戦いも、遡ってガルバハル戦争も相手側から宣戦布告してきたのであってクルナは、自ら他国の国境を侵したことはない。その国で戦争に繋がる重要な同盟の参加に関する賛否が問われている。

「我が国は元来、他国との戦争に参加した経験がない。」

 この言葉を貫き通しているのは、ラスクロットの戦いで活躍したカイン中将であった。

「今この機会に動かなければ二極構造になった時、双方の間で国が消し飛んでしまう。」

 この意見はアレン中将によるものであった。

 この二人によって議論は争われていたと言っていい。周りのものは黙って二人の成り行きを見守っていた。

 三日間議論を戦わせて、三日目の終わりに国王が決定を下すというのがこの国慣習でその三日目が今日となると、いつにない空気が座を占めていた。

「昨今の情勢を見るにミレリアとファミスが近づきつつあることは明白。」

 口火を切ったのはアレンであった。

 七十歳に手が届きそうな老将アレンの下には軍部の老幹部達がいた。

「我々は防衛戦においてその力を最大限に発揮できます。たとえ敵が二十万の軍で攻めてこようと決してあたわざるものではありません。」

 カインはその声も力強く言い放った。

 今年で三十二歳になる若将カイン、彼の用兵から「クルナの矢」と呼ばれているこの将軍は、その名を六国に轟かせていた。彼の下には若い将軍達が集まっていた。

「魔王イジェールの軍は三国を領した時点で四十万の兵を有していたという。今デールタス王国はエイメスを領し、ファミスとも近い関係にある。この上パホッタイナを有してしまえば大陸の覇権は完全にザンテガントのものとなる。」

「・・・・。」数字を出されてカインは黙った。四十万という数字は、クルナの最大動員兵力十二万を大きく凌駕しており、また、イジェールという言葉はクルナにおいてはタブー視されるほどに恐怖を呼び起こすのだ。

「北を見れば」そう言ってアレンは卓上の地図のミレリアとデラーザントを指し、話し始めた。

「ミレリア王国とデラーザント国はかつてのような親しい関係ではない。既に我が国とミレリアの貿易によって、デラーザント国の農業はミレリアに対する不満を大きく抱えておる。我が国がデラーザントへの貿易優遇処置を行い我が国の金属を流せば自然、武装しミレリアに対することは必然。」

 その場にいた将軍達も、老将アレンの始めてみせる力強い言葉に驚きながら沈黙してしまった。アレンは再び話し始めた。

「ファミスは隣国を侵すに、他力本願の国である。ミレリアがデラーザントとの不仲で容易に軍を動かせない以上、我が国と事を構えようとはしますまい。むしろ新興国ファニハール帝国の方が危険といえます。かの国は元々ミレリアの軍部が独立と称して打ち立てた国。その戦争経験は侮ることができません。」

 そこで一息つき、自分の前にあったカップをとり水分を補給すると息つく間もなく話を続けた。

「つまり、この四か国同盟はデールタス、ファミス、ミレリアを孤立化させることができ、勝機これあること明白。」

 後半は諸将に対してではなく、むしろ王への言葉のようであった。

「解った。」黙って聞いていたクルナ王ベイミー・フェル・クルナが初めて口を開いた。会議は老将の陣の方へ動いていく。

 

 

 

 陽が没する頃、老将アレンは客人と対していた。

「いかがでした。」疑問ではなく確認であった。

「いやこの歳でこんな事を言うのも何じゃが、胸のすいた気分であったわ。」

「お役に立てて光栄です。」若い客は短い返事をし、それから後、老将に礼を言い彼の家を後にした。

 客が帰ってから彼は、一人書斎に入っていった。

「良かったのか。」客が帰ってから何度もそのことが頭をよぎる。

 アレンが戦いを欲していたのも事実であった。カインが出現したからであった。自分の息子達よりまだ年齢が若い、そんなカインが今や自分と肩を並べるところまで実力を持ってきている。彼は王に自分の実力の証明をする機会が必要であった。このまま過去の名誉に頼って生きることを彼自身が許せなかったのだ。

 彼はもう一度戦いの場で自分を試してみたかった。「年甲斐もない」といわれるのは解っている。しかし彼の誇りは、彼がこのまま朽ちていくことを許さなかった。

 今夜の客に初めてあったのは二年前であった。

 突然「用兵を教わりたい。」といってやってきた客に彼も驚いた。しかしアレンも客の老将を敬う態度に新鮮さを感じ、次第に心を開いていった。客は老人の干からびた心に再び水を与えたのだ。

 三日目の彼の発言は実はこの客から聞いた受け売りであった。カインに論で負けることを嫌った、彼の苦肉の策であった。

 確かに彼は論で勝つことはできた。しかしどうしても客の存在が気になってくる。

「私は利用されたのではないのか。あのファニハールの策士ハスクに・・・。」

 クルナの重鎮、アレンの死が発見されたのは会議の終わった次の日であった。彼は書斎で王から賜った宝剣で自害していた。しかし王の所へその知らせが行くのは同盟締結についての交渉が始まったところで、もはやクルナの道が決まった後だった。

 王は、アレンの死を聞きひどく悲しんだ。早速調査を行わせたが、やはりアレンの死は自殺であるという報告をうけ、理由は何であったのだろうと頭を悩ませた。 アレンの死と時を同じくして、デラーザントも大同盟に参加した。

 

               

 

 その頃空は白んでいた。いつもの南からの風は乾いたものである。ただその日はいつにない北風で人々は家の扉を強く閉めるのであった。

 デラーザントは寒い季節に入っていた。人々の動きは重く、外出するものも少なかった。デラーザントの防寒着は重たいのだ。そしてナミール・タレスの学問所に訪れる客も少なかった。

「今日もこないか・・・。」ナミールは白い雪の舞う学問所の庭で呟いた。

 するとテラスがやってきて寝る用意ができたことを伝えた。テラスはいつもの石の上に座りナミールを見ていた。

 手で石をいじくり回すテラスを見てナミールは言った。

「お前は幾つになった。十六だったか。」テラスが頷くとナミールは目を細めた。ナミールは自分の考えとは関係ないことを言った。

「一曲、弾いてはくれないか。そうすれば寝られそうだ。」

 ナミールは剥げた頭から雪をはらい落とし、テラスに言った。

 テラスがギターを取りに行くとナミールは呟いた。

「もう私はいらないということか、シュテーマー。それも良い、だが道を違えるではないぞ。」

  ナミールはエイメスがバオールに出兵し、デールタスに滅ぼされたことを知ったとき、なぜエイメスの大貴族バハールがあのような行動を行ったのか理解できなかった。しかしその後の局面は予想していた。孤立したパホッタイナは先の戦いでデールタスを敵としたため、隣国は全て敵となっている。この状況は、他国と同盟する以外、道がないと考えるであろうし大局的にデ

 現にパホッタイナよりの書簡が届いたという話も入ってきている。

 今は国家の危機であるとナミールは考えていた。そういった状況でありながら国の高官は誰もナミールの所へ訪れようとはしない。些細なことでもナミールの所へきていたシュテーマーもである。行けばこの同盟に反対することが誰の目にも明らかだったからである。ナミールは何か深い悲しみを感じていた。

「同盟は結ばれるであろう。しかしこのデラーザントに何の益があるというのだ。」ナミールは考えながら言った。

 テラスが戻ってきた。

 彼はナミールの顔を見て不思議そうに目をきょろきょろさせながら言った。

「悲しそうですね。」

「お前は悲しいことはないか。」

「・・・・・・。」

 テラスは曲を弾いた。

        寂しがりやの王駄目になりそうで

          きっと強く強くなろうと決めたの

  海潮が岩を砂に変えるように

  人の心も変わっていくから・・・」

 それはテラスが自分で作った曲であった。

「バハールは賢い男であったそうな。だがなぜあの男は他国を攻めたのであろう。」

 ナミールは思わず自分の心に引っかかっていた重大問題を呟いた。

「自国の敵を一掃したかったからではないですか。」

「何!」

 テラスの言葉にナミールは驚いた。ナミールはバハールの考えがそこにはなかったと思っている。しかしハスクの言うような考え方は事実認識の一種、発想転換であるといえる。ナミールはテラスの成長に驚いたのだ。

 ナミールはこの質問を自分の学生に行った事がある。しかしどの学生も何も答えられなかった。

「お前はバハールに考えあって、他領を侵したというのか。」

「考えなしに戦いを挑む男ではない、とタレス先生が言われました。」

「だからお前はバハールについて考えたというのか。」

 ナミールは思い切ってテラスに聞いた。

「バハールはどういう男だと思う。」

 ハスクは長く考えてから口を開いた。

「賢い貴族です。しかし歴史は彼を悪人とするでしょう。時代は生き残ったものにより作られますから。」

 ナミール・タレスはこの言葉に引っかかり、長年の研究課題であった事を漏らしてしまった。

「いや、時代は前世に・・・・」そう言ってしまって、ナミールはあわてて口を閉じた。見るとテラスは目をきょろきょろしていた。

「ともかくだテラスよ、お前は世界を見た方が良いようだ、お前なら何かを掴めるだろう。儂はもう寝る。」

 ナミールはそう言って庭を後にした。

 テラスはしばらく空を見ているようであった。

                                                                                                     ナミールは、ここにきて自分がなぜテラスが気になるのか解った気がしていた。テラスは若き頃の自分に似ているのだ。「人に教わるのではなく、自分で考える」幼い頃の自分に。そしてそれはナミールが求めた理想の学生であったのだ。

  ナミールはテラスに大きな期待を抱いた。

 彼は自分が人々に必要とされなくなった事の悲しみを、テラスへの期待という形で埋め合わせしようとしたのかもしれない。

 次の日、ナミールはテラスに金を渡し、彼にファミスへ行くように言った。

「自分の信じる道を進むのだ、私は貴族に生まれ貴族に育った。そのため心とは別の道を進まねばならなかった。しかしお前は私とは別の道を歩める数少ない賢人だ。物事にとらわれてはならない。自分の信じる道を行くのだ。」

 別れに当たってナミールがハスクにこぼした言葉であった。

 テラスはナミールの指示通り旅立った。

 ナミールはナミールでまた

「バハールの出兵の意図を探る。」と言い残しイフェルム・ルグスに学問所を任せエイメスへ向かった。

 

 

 

 

 

          七章      デールタスの商人

 

「商人は卑しいと決めつけられて長い年月がたつ、それを変えるのが私の使命だとしたら何と崇高な志であろう。」                                    バイオム・リテマー

 

             

 

 四方を山脈に囲まれ、降水量も他の地方に比べれば極端に少ない。バオール王国は、そこにある。北から西にドートラット山脈、南に聖山イジュミ山脈、東にユーミブレム山脈を配しているそこは、クルナ王国と共に大陸の中央部を形成していた。

 決して豊かといえないバオール王国は、二百年以上昔には大陸の北部全域を支配下に治めていた。ドートラット山脈からの多くの鉱物資源が超大国を誕生させる基礎となっていたのだ。

 当時、鉱物資源は、ドートラット山脈とイジュミ山脈にしかないと信じられていた。後に、今のミレリア王国の西部に連なるナルミット山脈から大量の鉱山が発見された事から、バオール王国の存在は薄くなっていったのだが、ドートラット山脈から生まれる資源は、今だ脈々と受け継がれていた。

 当時の情勢の中で、大陸中、バオールから生まれる鉱物資源の割合は七パーセントにしか過ぎない。ミレリア王国鉱山が実に二十八パーセント、ファニハール帝国が十一パーセント、デールタス王国が二十三パーセント、ファミス教国が十五パーセントを占めていることからも明らかなように、鉱物資源における優位は失われていた。

 しかし、この国におけるファミス王国からの独立運動は、予想されたものでありながらも大陸各国に大きな衝撃を与えた。

 なぜならバオール王国の復活は、そのまま反デールタス王国連合の狼煙となったからであった。

 デールタス王国はこの時より一年前、大きな軍事活動を行った。すなわち、エイメス併合である。建前上は、ファミス教国に突如進軍したエイメス軍を排除するというものであった。しかしデールタス軍は、直接ファミス教国にいるエイメス軍へ向かうのではなく、まずエイメス本国をおとした。本来なら数年がかりでも落とすことは困難であるはずのエイメス王国の各都市は

 デールタス軍は大した損害を受けることもなく、ファミス領のエイメス軍と対決することができ、これを壊滅させた。

 デールタス王国はエイメス王国を自領に加えることはなかったものの、実質の権力は全てデールタス側に帰属したことから、大国デールタス王国が誕生することとなった。

 これに危機感を持ったファミス教国を除く各国は、団結してデールタスに対すこととし、パホッタイナ王国を発起人として、ファニハール帝国、クルナ王国、デラーザント国の四か国による大同盟が誕生していた。この場において、ミレリア王国は対立していたファニハール帝国が同盟側に参加したことから、名乗りをあげていない。                  大同盟での行動の始ま

 

 

 

 暑い季節であった。大陸でも温帯に属するパホッタイナ王国やデールタス王国では季節風を待ちわび、人々の関心が今年の降水量と豊作のための祈願に向けられている時期に、バオールにおける独立運動の兆しは起こった。

 始まりは些細なことであった。教会の神父が十四歳の少女に猥褻な行動を行い、その少女を殺して教会の庭に埋めたのだ。ところがこの地方の砂は周囲を山脈に囲まれていることから乾いており、乾いた季節風により砂地が削られて少女の遺体の一部が露出したのである。

 人々は神父の悪事を知り、日頃の教会の横暴に対する不信感も手伝ってこの神父の教会に詰めかけた。しかしこの神父は既に、バロムロンドに駐屯するファミス教国派遣軍の庇護の下に逃げ込んでいた。

 市民は団結し、ファミス教国のバオール総監府に神父の引き渡しを求めた。しかし申し出は認められず、自治への運動へと発展してしまった。

 ファミス側としては教会員の不祥事を認めることができなかったのである。

 動乱の十八日前のことであった。

「一体、どういうことなのでしょう。」

 バオールに駐屯するファミス教国派遣軍の中将ル・コーツマは、本国の要求にあからさまな反対を浮かべて駐在総司令官ル・ラントス・クエスにこぼした。

 それは先の神父事件についてのことであった。現在派遣軍は、この神父を保護している。「我々は、バオール地方の円滑な自治のために本国より派遣されたのではありませんか。それがあのような堕落した者を養護するなどということは、いたずらに民心を惑わすだけではありませんか。」

 ラントスの側にいたル・バイフもコーツマの言葉をつないだ。

「本国は何と言われました。神の下にあのものを裁けと言ってまいりましたか。」

 ラントスは曇りがちの顔で、先ほど訪れた本国よりの使者がもたらした指令文を両将軍に手渡した。

 二人は指令文を読み、予想通りの結果に落胆の表情を見せた。

「やはり、本国は我々の苦労を知らないということですか・・・・。」

 コーツマの言葉には、絶望にも似た響きがあった。

「いつでも不祥事はもみ消せという話だ。もはや情勢はそのような段階をとうに過ぎているというのに。」

「止めよう、意味のない話だ。本国の意志が決まっている以上、我々はそれに従わねばならない」

  ラントスの言葉は自らも納得していないため、悲痛なものがあった。

「ではラントス指令は、あの者を本国へ引き渡すと言われるのですか。」

 バイフはラントスに尋ねた。

「このままでは治まりませんな。」

「先のエイメス軍撃退失敗から、我々の不運は始まったのですな。」

「もはや、バオールの独立は避けられないでしょう。しかしこの時期なぜこのような事件が起こったのか、それが気にかかります。」

「全ては神の意志だ。」

 エイメスのファミス進軍以降、デールタスと友好関係を結んだファミス教国は、バオールにおける派遣軍を通常の兵士数の約半数に削減していた。それは対外的必要性の減少によるものであったが、同時に派遣軍司令官ラントスにかかる負担は増加していた。

「我々はやれるだけのことをする。それしか道はない。」

 誰も望まぬまま、事態は独立の方向へ急速に加速していった。

 そしてこれが三将軍の最後の会見になった。

 

               

 

 デールタスの城下は、エイメス併合以降活気に溢れていた。名実ともに大陸一の軍備を持つデールタス軍の下にあれば、安定した発展が望めると考えられたからである。

 事実、能力重視のデールタスでは幾多の新しい商業活動が勃興し、人々の目には希望の光が爛々と輝いていた。

 デールタスで最大の財閥はフィレツ家であり、第二位にルジェ家がある。フィレツ家は農作物の流通と工業生産物において大きなシェアを占めていた。ルジェ家は衣服、工業生産物に力を入れており、この二大財閥によってデールタス発展の基礎は築かれていた。

 五大との中心部に小さな工場がある。二代前のトルフ・リテマーにより興されたこの工場は、それまでの親方制を廃し、素人でも生産可能な体制を築いた。

 野心家バイオム・リテマーの時代にリテマー工場は大きな変化を遂げることになる。

 後年、マニュファクチュアと呼ばれる生産方法の導入であった。

「あのようなやり方でなぜあれほどの生産ができるのだ。」

 幾多の親方達は、リテマー工場の新生産体制を嫉妬の眼差しで見つめていた。

 マニュファクチュア、工場制手工業は分業による生産性の拡大をもたらした。

 一つの製品の生産について一人の人で行おうとすれば、それぞれの行程での習熟は、長期の期間が必要であった。ゆえに親方がその技術を弟子に伝えようとする時、長い期間が必要で、そのために技術の独占が行われていた。各工場の生産技術は門外不失とされ、どの工場でも生産高は頭打ちとなっていた。

 たまに賢明な親方により新生産方式が開発されても、それはその工場のみの技術とされ、国家的生産の向上は望めなかった。

 技術独占の基礎となっていた親方制に風穴をあけたのが、リテマー工場のマニュファクチュアであった。

 各工程を分割し、それぞれ別の人間が生産を行う分業制が、特殊な技術なしで製品を生産できるシステムを作り上げたのだ。

 労働者は自分の任された行程で技術を学べばよく、そのため誰でも生産が行えた。しかもリテマー工場の一人の労働者の生産高は、他の工場の親方の生産高の四倍以上であった。リテマー工場では休むことなく生産活動が続けられていた。当然親方制では、一人の人間の能力に限界があるため、リテマー工場のように生産することはできない。生産を向上させようとしても、親

 工場制手工業により、リテマー工場は急速に大きくなっていった。労働者は他の工場の親方並の賃金を与えられ、それでもバイオム・リテマーの下には多くの財が残った。

「暢気なもんだ。」

 大きな声で働く人々に声をかけるのはリテマーだった。彼は経営における冷酷なまでのシビアさの反面、人々に与える印象のおおらかさは特別のものがあった。

 リテマーが自分の工場に見回りにきたのは半年ぶりのことであった。労働者は手を動かしつつも顔には笑みが洩れていた。

「がんばっとるかー。」

 リテマーは力の抜けるような声で周りの者に声をかけ、周りの者から笑いを引き出していた。

「若、調子はどうですか。」

 リテマーの右側、服の裾を縫う労働者から声がかかった。

「そこそこ大変だなー。」

 そんなに広くはない作業所にも、やけにリテマーの声は響いた。

「もう少しがんばったら、そうだな半年もしたら給料上げられるかなー。」

 労働者達から歓声が上がった。

 リテマーは冗談は言うが、人に期待させてそれを裏切ったことはなかった。

 リテマーの約束は確実のものであり、彼の来訪は常に労働者にとっての好材料がもたらされることを意味していた。

「若、トメムの奴に子供ができました。」

 又、別の労働者から声がかかり、リテマーがトメムの方を見るとトメムは照れながら機織り機を動かしていた。

「困ったなー、祝いをあげたいのだが今何にもないんだよ。ちょっと品物の売れ行きが厳しくてなー。来月利子を付けてなんか渡すからごめんな。」

 すまなさそうにリテマーがそういうと、また周りから笑い声が起こった。

「しかし、トメムは確か二十三だろ、ついに俺より年下の奴がパパになったんだなー。」

 リテマーは二十五歳だが妻も子供もいない。そういった話はあるのだが、彼が必要に断っているのだ。

 リテマーは金のみに生きていた。彼は、妻というものが、単に性のはけ口のためにあるのならむしろいらないと考えていた。彼は血を残すことにも固執していなかった。

 彼に「人生にとって一番大事なものは何ですか」と聞いたなら、迷わずこう答えたろう。

「金だ。」

 リテマーが商才を最大限に発揮した時期は、バオール独立の時期だった。

 彼はデールタス軍務長官フィオール・フーハートスに多額の資金を投入し、フーハートスのもてなしでザンテガントに掛け合った。

「バオールの独立派に商品を輸出しても良いだろうか。」

 全くナンセンスな要求だったと言っていい。

 デールタスは、エイメスを攻めるときにバオールの独立に反対しているからである。

 

 

 

 ザンテガントとリテマーの話し合いは、独立運動が起こる十日前に行われていた。

 それは、ザンテガントが五大都の視察に来た時のスケジュールの一つとして組まれていた。場所はトメムの屋敷で、この時ザンテガントを迎えるためにトメムが払った犠牲は、実に一年間の純利益の一割にも及んだという。そこまでの投資を行ってトメムが得ようとした権利とは、バオールにおける商業活動の自由であった。

 盛大な歓迎の儀式の後、会食がもたれ、会談は開かれた。

「用件はきいておる。わざわざ敵国になるであろうバオールの残党に商品を売りたいという事がどういう事か解っているのだろうな。」

 ザンテガントはフーハートスを傍らに置きつつ、テーブルの向かいに座るリテマーに尋ねた。

「王、確かに無礼であることは理解しています。この要求には二つの付随した要求が含まれていることも。」

 リテマーは、ザンテガントが話し合いに応じたことから自分の要求はのまれたと見ていた。後はザンテガントに対し、自分の利益とザンテガントの利益を提示して自分を信頼してもらうことが必要だと考えていた。彼の顔は商人の顔になっていて、ふだん見せる穏やかさは嘘のように真剣な表情を見せていた。

「一つには、バオール王国の独立に対して、これにデールタス王国は手を出さないこと。二つ目に我々の貿易活動に対し国境の監視を緩めること、です。」

 リテマーは、話しながらザンテガントの態度を見つつ、その気取らない態度に親近感を覚えた。

「どうやら話の分かりそうな男だ、俺は良い時代に生まれた。」リテマーの正直な感想だった。

「では、私には何の見返りがあるのだ。」

 ザンテガントが口を開いた。全く直接的な要求だったと言っていい。幾ら実利を重んじるデールタスでも、ザンテガントのような王はこれまでに出ていない。そもそも一商人に会おうという王の方がどうかしているのだが・・。

「まずは、バオールでの利益については税とは別に、直接王への寄附金として税と同じ額を納めます。次にバオールにおける各地域の地図、交通の要所などについても逐一報告いたします。最後にバオールにおける商業活動の独占を達成した後は、バオール自体を差し上げます。」

 リテマーは堂々と机上の空論を述べ立てた。

「お前は私のスパイになろうと言うのだな。解った好きにやるがよい。他の商人については私が納得させよう。」

 そう言って、ザンテガントはちらりとフーハートスの方を向き、また視線をリテマーの方に戻した。

「お前がフーハートスに渡した金は全て返させる、その方がやりやすいだろう。」

 ザンテガントのこの言葉で会議は終わった。

 ザンテガントは会議が終わるとすぐに、待たせていた馬車に乗り、帰った。

 

「ザンテガント様、大層あの商人を気に入られましたな。」

 馬車に揺られながら、フーハートスはザンテガントに言った。

「話の分かる小僧だ。他の奴らと話していると意味のない能書きばかりで肩が凝る。」

 ザンテガントは大きく笑いながら言った。

「お前はどう考える。そもそもあの男を私に引き合わせたのはお前なのだぞ。」

 フーハートスは、揺られて上下するのを幾分気にしながら、ザンテガントの質問に答えた。

「博打はいかに巧くいかさまするかでしょう。あの男は良いカードを持っています。しかもいかさまも上手ときている。これは手の内に入れておくべきでしょう。」

 にやにや笑いながらフーハートスの瞳は、過ぎゆくリテマー邸に注がれていた。

「お前にとって奴は金の卵だということか。」

 ザンテガントはあきれ顔を見せて、巨漢のフーハートスを眺めた。

「デールタスにとってです。」

 フーハートスは、幾分ムッとした表情をつくってそれに答えた。

 馬車の中にはリテマーから贈られた土産が、所狭しと詰まれている。フーハートスはその一つを手に取り眺めた。

 それは人形であった。

「あの男は、儂の好みまで知っておるのか。」

 ザンテガントは、フーハートスがそう呟いたように聞こえた。

 大きな二人の男を乗せて馬車は大きく揺れながら、五大都のナルエールの下へと向かっていった。

「止めろ。」

 急にザンテガントは大声で言った。

 その声は御者にも届き、馬車は道の中央でとまった。

「なぜあの作業所には明かりがついている。」

 ザンテガントの目にとまったのは一つの工場であった。その辺りにはいくつもの作業所が並んでいたが、その中の一つだけが明かりがついていたのだ。

 もう月明かりしか道を照らすもののない時刻である。

「調べてきましょうか。」

 馬車の後ろから警備していた兵士が馬を近づけ、ザンテガントに言った。

「いや、儂が行く。」

 ザンテガントは単身馬車を降り、明かりのする作業所へ向かった。

 工場では、人々が休む様子もなく働き続けていた。

「親方はおるか。」

 ザンテガントは作業を行っていた一人の男に声をかけた。

 男は、身分の高そうなザンテガントの姿に驚きつつもザンテガントに言った。

「私らは、みんなが親方です。特別偉い人はいませんが、何かご用でも。」

「このような遅くになぜ仕事をしておる。お前達は疲れないのか。」

 ザンテガントは素朴な疑問をはっした。

「私らは夜の作業専門で雇われております。この時間だと昼の奴らより稼ぎが良くて。」

 ザンテガントは驚いた。この作業所は一日中動いているという。そのようなやり方をザンテガントは聞いたことがなかった。

「誰の作業所だ。」

 男は誇らしげに言った。

「リテマー様の工場です。」

 ザンテガントはこの時、妙な胸騒ぎがした。何かは解らなかったが、全身を奮わせる何かが体中を駆けめぐった。

 ザンテガントは、それが何か解らぬまま馬車に戻った。

「驚かれましたか。」

 フーハートスの言葉が待っていた。

「お前、わざとこの道を通らせたな。」

 ザンテガントは不快そうに言った。

「あれが新時代の息吹です。ナルエールには解らないデールタスの新しい姿です。ザンテガント様には、こういう変化も知っていただきたいと考えておりました。」

 ザンテガントは絶句した。

「恐ろしい男だ」そればかりが頭の中によぎり、帰り道はフーハートスの顔を見ぬままだった。

 

 

 

 リテマーは全身の震えがとまらなかった。

 彼は一人、自室の机に向かい本を読み続けていた。バムシュウ・ルギメンの著書「経済」であった。

 「経済」という新語が誕生したのは、ルギメンの時代エスタル四百年頃からであった。国家という範囲で資金の流れ、資本の流れを判断するという考え方である。経済論はデラーザントから発し、まだ産声をあげたばかりであったが、リテマーはこの考え方に大きく共感して自分なりの判断を加え、自分の工場にも取り入れられるか考えていた。

 彼は自分の思い道理に動いていく現状に満足しながらも、その中での自分の役割について大きなものを感じていた。

「ザンテガントにナルエールに、フーハートスか。」

 リテマーは、その言葉に特別な響きを感じながら本のページをめくった。しかし、彼は頭の中で本とは別のことを考えていた。

「激動の時代だと人々は感じている。それは確かに一つの流れとして納得できるものだ。私もその中で生きていかなければならない、私は理想を追うデラーザントの学者達や、目先の抗争に明け暮れる東国のような生き方は納得できない。」

「私が信じたのは金だ、今や金は権力をも対価にできるものとなった。私は金を通じて権力を手に入れる。それが私の信じた道だ。」

 彼は、自問自答しながら冷たい目で「これから」を探していた。

                                                                                                                                                                                                         彼の考える「これから」は、バオールを通じての商業活動の拡大であった。デールタスでの商業は、二大財閥の寡占によって頭打ちになってしまっている

 ザンテガントはリテマーの意図を汲んだ。その事は彼の大きな心の支えとなった。しかし、ザンテガントは協力しようと言ったわけではない。「勝手にやれ。」といっただけである。もし、ザンテガントにとってリテマーの存在が都合悪くなると、間違いなくザンテガントは切り捨ててくるであろう。彼は自分の身を危険にさらしつつも、自己の発展を望んだ。

 ただこの決断は、自分の工場で働く労働者をともすれば路頭に迷わせる結果になるかもしれない。彼は、自分が自分を信じて集まってきた労働者に対して責任を負わねばならぬ事も覚悟していた。しかし、発展にリスクは避けられない。彼は自分の労働者を保護するために発展を避けることはできないと考えていた。

 彼は一晩眠ることができずに、「これから」を考え続けていた。

 月が窓から柔らかな明かりを注いでいた。リテマーが本を傍らに置き、窓辺で背伸びをしていると、静かに彼の部屋の扉が開いた。

「だれかな。」

 リテマーは振り返らず、月を見続けながら緩やかに呟いた。

 しばらく答えはなかった。しかし、リテマーは背後に気配を感じていた。

 リテマーは再び問いかけた。

「寂しいのか、しかたないだろう。誰もそれを抱えながら生きているのだ。」

 返答はなかった。

「何で癒されるのだろうな。それが人の苦しみであるのなら・・・・」

 気配は消えた気がした。

「帰ったか、亡霊よ。」

 リテマーは汗ばんだ手を開き、生唾を飲み込んだ。

「恐怖からは逃れられない、ならば自身が恐怖の根元とならん。」

 ふと、二百年以上前の大詩人イフスタルの言葉が蘇ってきた。

  彼は椅子に戻り、イフスタルの書を開いた。

 ハラハラと「暗闇の蠢き」をめくり、さして読む気もなしに眺めていると、あるぺージで手がとまった。

「信じるもののために死ぬよりも、信じられないものの中で死ぬ方がどれだけ辛いであろう。それはあの者の言霊となりて心を迷わす呪われた響きであった。」

 「黄金の手」という話の一説であった。

「彼はその手に溢れんばかりの石を持っていた。それがどれだけ手を汚そうとも、持つことを止めようとはしなかった。彼は、その石がやがて金に変わると信じていたが、それはいつまでもそのままで手を汚し続けていた。手が石と共に大地に落ちたとき、落ちた手が金色に光り、人々は手に群がった。そして彼は風化した。」

 話の要旨は以上のような、イフスタルの初期の名作である。

「ザンテガントは皆で石を持とうというのか。権力という石を。よく奪われることの恐怖に耐えられるものだ。」

 彼の表情は次第に厳しくなっていった。

 だが、しばらくしてイフスタルの書を棚に戻し「経済」に手をかけたときの彼の表情は、穏やかなものであった。

 

 

 

 夜が明けてのザンテガントは忙しかった。昨夜の緊急の会談による疲れも見せずに、五大都の各都の行政官とナルエールに対面した。

 ナルエールは、ザンテガントに形ばかりのもてなしを行って、すぐに自分の職務に戻っていった。ザンテガントはナルエールと対面するときはフーハートスを連れていない。

 フーハートスはナルエールを避けており、会おうとしないからであった。

 元来、攻撃的なフーハートスに対し、するりと問題点をはぐらかし直接向き合おうとしないナルエールは、お互い体質的に合わなかったのかもしれない。ただ、複雑な問題を嫌うザンテガントにはナルエールの態度は快いものであった。ザンテガントは職務に戻っていくナルエールに対し、後ろから最後に一言声をかけた。

「面倒なことは全てナルエールに任せてしまって、すまない。」

 ザンテガントはナルエールに対してだけは、名前で呼ぶ。それはデールタス王国でナルエールだけに与えられた特権であった。その言葉にナルエールは振り向いて答えた。

「王が臣下に礼を言ってはなりません。」

 そうは言ったナルエールであったが、その顔はとても優しげな微笑みと共にあった。

 ザンテガントとナルエールが声を交わしたのは対面でこの一度きりであった。しかし、この二人は、声にならない強い絆を確認しあっていた。

 フーハートスはこの様子を陰から見ていた。

 ナルエールの姿が馬車と共に見えなくなると、ザンテガントの脇にフーハートスが戻ってきた。

「ナルエールは元気そうでしたね。」

 ナルエールはザンテガントに言った。

「心にもないことを。」

 ザンテガントは、フーハートスの目を見ずにそう思いながら別のことを言った。

「バオールの方はどうなっている。」

 ザンテガントは、フーハートスとはナルエールと同じようなつきあいはできないと感じていた。もし、フーハートスに心を許してしまえば、自分はフーハートスに見放されてしまうだろうと思っていたのだ。

「どうやら独立は確実です。ファミス教国は自分で自分の首を絞めました。愚かなことです。」

 フーハートスとザンテガントは、かつての王宮を歩きながら話を進めた。

 ザンテガントは遷都を行い、五大都から北のケムフェに王宮を移している。

 フーハートスは、バオールで起こった神父事件とその経過を述べた。

「又、奇妙な力が働いているな。」

 ザンテガントは言葉に出さずにそう思った。

 この時期を捕らえてなぜこのような事件が表面化したのか、それが理解できなかった。ファミス教国のような秘匿政治の国ではこのような事件は、表面化する前に関係者もろとも闇に葬られてきた。まして監視の最も厳しいバオールで、このような事件が出てくるなど絶対にあり得ないことであった。

 ザンテガントが最も不思議だったのは、この点をフーハートスが指摘せずに「自分で自分の首を絞める」という言葉でごまかしたことであった。

「お互い全く信頼できてはいないな。」

 ザンテガントは別に寂しいとは感じなかったが、それ故に心の安まる暇がなかった。

「で、お前はあの商人をこの状況でどう使おうというのだ。」

 ザンテガントの言う商人とは、昨日対面したリテマーのことである。

 フーハートスは急に別の話題を振られ戸惑っている様子であったが、間もなく答えた。

「あの商人の言った条件では不満でしたか。」

「お前が、どうしようと言うのかだ。使い捨てにするのか、このまま使い続けるかだ。」

「状況次第でしょう、とりあえず役には立ちますし、奴にはいろいろしてもらわねばならぬ事もあります。」

「いっそ、おもいきり儲けさせてみようか。」

 ザンテガントがそういうとフーハートスは目を見開いた。ザンテガントは前を向いていたためその顔を見ることはできなかったが。フーハートスの目には驚きの光がみなぎっていた。

「ともあれ、我々としてはゆゆしき事態だな、この独立は。この独立を支持して各国が同盟を結んだのだろう。どう対処したものかな。」

 話題は変わり、ザンテガントもフーハートスの変化に気付かなかった。

  ザンテガントはフーハートスと話しながらバオールの独立に対する対応を決めていった。

 バオールの独立は目前に迫っている。

 

 

 

 

          八章      前夜

 

「心を変えさせない限り、本当に人々を治めることはできない。」

                          ツェッテル・ロブナン・サーレ

 

               

 

 西国の急変を前に、東の各国でも太平の鎖は緩みだしていた。ファニハール帝国は、長年対立を深めてきた北の国ミレリア王国との決戦に向け、同盟国であるクルナ王国、デラーザント国との最終調整を進めていた。

 十数年前までミレリア王国は、

「武にしては大陸最強の装備で勇敢なるミレリア国軍を持ち、民にしては反乱少なく従順にして勤労であり、領にしては大陸最大で金山豊富」と歌われるまでに大国の条件を備えていた。ミレリア王国は、ミレリア国軍の一部が独立し、ファニハール地方でファニハール帝国を築いた後も、強力な力を受け継いでいる。

 ミレリア王国は千年以上の歴史を持つとされている。古くはファミス教国の地より流れてきた人々の末裔がこの地に移り住み、暮らしだしたとされているが、事実は定かではない。というのもミレリア中心部の各都市にある、この頃の地層から住居跡が掘り出されたという話がないためである。

 確認されているのは、この時代の七百年前からである。それ以前はラスクロット山脈からサフカル山脈にわたる、大陸の中西部の大山脈が「死の山々」と恐れられていて人々が寄りつかなかったため、入植が遅れたのではないかと考えられる。

 しかし、神話の時代として人々に語り継がれる千年前のミレリアの面影のために、ミレリア王国の人々の多くはカスミヤ教を信じていた。

  この地域が本格的に発展するのはもっと後、エスタル二百年頃からである。この頃にナルミット山脈で発見された大量の鉱山が、わずか十数年でミレリア王国を大国の地位にまでのしあげたのだ。

  ミレリア北部がラスクロット山脈とサフカル山脈からなる大山脈の裏側に位置したのに対し、南部のファニハール地方は早くから人々が移り住み、北部とは全く別の文化を形成していた。ファニハール地方は本国よりファミス教国に近いが、カスミヤ教の信徒は本国に比べ極端に少ない。

 それは、遡ること千二百年前に、大陸よりさらに東にある未開の郡散諸国より訪れたとされる「東の人」の勢力拡大に対し、カスミヤ教がファニハール地方の人々を大量に徴集し、また作物を残らず強奪したためであったと言われている。カスミヤ教とは「東の人」という新勢力に対し、現住の大陸民が考え出した意志統一のための象徴であったのかもしれない。事実、カスミ

 ともあれ、カスミヤ教により不毛の地にされたファニハール地方は長くファミス教国を憎み、エスタル二百四十五年にミレリア王国に統合された後も独自の文化を守り続けていた。

 ミレリアの支配者、ミレリア十貴族は軍事力によってファニハール地方を押さえつけてきたのだが、その抑圧の歴史が又、ファニハール帝国のエルリックによって受け継がれているという理解でいたため、ファニハールはいずれ再びミレリアのものになるだろうとたかをくくっていた。

  ミレリア王国にあったのは、ファミス教国に対する根拠なき憧れと、ファニハール地方抑圧の歴史であった。

 ファニハールの人々がこの抑圧の歴史に終止符をうとうというのが、ミレリア包囲網であり、その悲願は時と共に現実のものとなっていった。

 

 事態は国単位での現象を求めていただけではなかった。新興国ファニハール帝国の歴史は非常に浅い。しかもその独立がミレリア軍部のクーデターからであることから、ファニハールの国民の中に統一してミレリア排除の意志があったわけではなかった。

 ファニハールの国民にしては、エルリック皇帝もファニハール軍部もミレリアの代行者にしかすぎないのではないかという疑惑もあったし、ファニハールの独立も単なるミレリア王国の権力闘争ではないかという不安もあった。

 その対ファニハール帝国の傾向が強かったのは都市部で、首都ガンダルミアでは最も多くのレジスタンスのグループがあった。レジスタンスの求めるところはファニハール地方の真の独立であった。しかしその実行段階において幾つかのグループが存在した。

                                                                                                                                                                                                                                                 第一のグループは武闘派と呼ばれ、ヴィンダー・ファスメルを指導者としている。彼らの求めるところは、実

 フーハートスを信じるグループは、その多くがエルリック皇帝により政治の中枢に登用されたため多くの離脱者を出し、限りなく少数であった。

 ここ数年、ファニハールの大地からは、天才的革命家テッタメール・ビーノによって強力に組織され、若き思想家シオン・バーフルを指導者に仰ぐ全く新しいグループが生まれていた。「自由民主党」となのる新団体は、ナミール・タレスの民主論と、フィオール・フーハートスの法治国家を混ぜ合わせ「法によって整備された土地でくらす身分の違いなき人々」という理想郷

 自民党は、一面武力にも長けておりその影響力で多くの対立グループを解散、又は吸収していった。彼らは狡猾な手法により、クルナ王国とのつながりを保持していた。

 さて、この自民党にも大同盟による影響は及んでいた。スポンサーの一つである、クルナ王国の離反である。大同盟によりファニハール帝国との結びつきを強めたクルナ王国は、表立ってファニハールのレジスタンスに援助することができなくなり、裏会計に援助は回された。自民党がクルナから得ていた援助は従来の半分に抑えられ、自民党は経済面からの深刻な危機を迎え

「どうしたものかな。」

 この地方の人間には珍しく色白なテッタメール・ビーノは、窮地に陥った自民党の事について妻に話していた。三十二歳のテッタメールは分別のある年だったが、二十八歳の妻に対してだけは、弱気なところも見せていた。

「あんた、もう遊びは終わりにおし。」

 食卓に昼飯を並べながら彼の妻、リオール・エフィは言った。「東の人」が女性を抑圧し、その氏を押しつけるのに対し、大陸民は妻に氏を強制しない。しかし同時にそれだけつながりがシビアであることもあり、離婚も又日常的であった。

「遊びじゃないって。みんなかなりやる気だし、ここで身を退けるわけないだろ。」

「もう、食い扶持がないんだろ。それじゃ誰も使えないさ。」

「だから困っているんじゃないか。」

 自分のやろうとすることに深く入り込んでこない妻に満足していたテッタメールだったが、時々妻のことを頼っている自分に気付いて情けなく思うことがあった。

「はいはい、準備ができましたよ。そんな暢気に本なんか呼んでないで。」

 そう言われてゆっくり体を動かしたテッタメールだったが、まだ日差しが恋しいらしくばたんと椅子に座り直した。

「全く。」

 エフィは、テッタメールの側に来て言った。

「そんな、のんびりした態度で革命だなんて。無理に決まってるじゃないか。」

「解った解った。」

 テッタメールは心地良い椅子に見切りをつけて食卓に向かった。

 昼食が始めると、思い出したようにエフィが言った。

「そうだ、シオンさんがあんたにって。」

 そう言って、ズボンのポケットをまさぐり、一通の手紙を差し出した。

 受け取ったテッタメールは、その手紙を呼んでいたが次第にその顔は険しくなっていった。

 シオンからの手紙は、バオールに独立の動きがあるという事だった。その情報はデラーザント経由で入ってきたもので、内容も信憑性があるとシオンは伝えている。

「これは使えるか・・・・・」

 テッタメールは読み終わると、目をぎらぎらさせて早口に昼食を食べ出した。

 エフィは手紙のことについて何も聞かなかった。聞いてしまえば自分は、亭主の行動に流されてしまう。エフィの中では、自分は亭主の側で、亭主が道を外れかけたときに忠告できる存在であるべきだと考えていた。

「シオンさんもかわいそうに。あんたに振り回されて。」

 エフィーの見当外れの言葉に、テッタメールは大きく笑い出した。

「お前は、良い同志だよ。」

 

 

 

               

 

「取り返しのつかないことをしてしまった。」

  神父ル・キマックは、自分の行った行為がこれほどの影響を及ぼすとは予想してはいなかった。と、いうのも少女は家出して教会に逃げ込んできた者であったし、彼女の親はいないという話も彼女から聞きだしていた。誰も悲しむことのない人間だったはずである。

 彼の心情では、この少女を育ててやる代わりに、自分の性の玩具となってもらって何が悪いという理解であったし、何処の神父でもそういった事は行っていると聞いていた。

「むしろ贅沢に暮らさせてやる分だけ自分と親しい神父達より、よほど良い待遇ではないか。」

 彼はこのように考えていた。酷い者にいたっては、信者全員を神の信託だといって犯し続けたという話も聞いている。

「なぜ自分だけが。」

 納得できないものが、彼の心にはあった。

「見開いた少女の目に自分は罪悪感を感じなかった。これこそが神が私の行為を許したもうた証拠であり、少女の自分に対する恨みのなさを証明するものではないか。私は何も責められるようなことはしていない。」

  彼の精神がおかしくなっていたのかもしれない、しかし彼がつきあう神父達も又、そういった倒錯した世界の住人であったから、彼ばかりを責めるのも酷だったという見方もできなくはなかった。

「自分は時代に利用されただけだ。」

 彼は、解決不可能な問題を「時代」という抽象的存在に転嫁して精神の安定を図るので精一杯だった。

 彼が少女を殺したのは、大した理由ではなかった。彼が「遊び」と言って少女に行った行為を、少女が「遊び」と言って同年代の少年達に行っているところを見つけてしまったからである。

「これは危険だ。」

 そう感じた神父の行動は、少女の監禁だった。ただ適当な監禁場所がなかったため、神父は教会の地下室に閉じこめることを思いついた。地下室は死体を一時的に安置したり、葬祭用具の保管場所として利用されていた。

 神父にしては見慣れた場所であったが、少女にとっては恐怖を呼び起こすのに十分な環境であったろう。二日も監禁していると少女は静かになった。神父は、少女を監禁している間も少女を犯し続けたのだから、常人にとっては理解を超える環境で行為が行われたことになる。

  十日すると少女の身体に変化が起こってきた。不衛生な環境と、陽の当たらない場所、それらで健全な生活を維持できるわけがなかった。かつての肢体はやせ細り、目は窪んできてかつての愛くるしさの面影は何処にも見あたらなくなってしまった。

 監禁して十三日目に少女は死んだ。

 神父は、少女の冥福を神に祈り。自分の教会の裏庭に少女の遺体を埋めた。ただここで予想外の事態が起こった。彼は遺体を埋める作業をしたことがなかったのだ。それはふだんは別の労働者の作業であった。しかし、彼は少女の遺体を埋めるのに他人の手を借りることはできなかった。そのため自分一人で穴を掘り少女を埋めたのだが、ふだんから怠惰な生活をしている彼に

 掘られた穴は浅かった。それがこのたびの大事を呼んだのだ。

 

 反乱軍の勢力は日増しに増大していった。神父事件に対するファミス本国の対応の不誠実さが宣伝されるにつれ、人々は水面下の結束を強めていった。

 嵐を予感させる強い風が人々の家々を叩き回っていた。独立というベクトルを持った風は、商人達の援助を受けて更に大きなものとなっていった。しかし、デールタスの商人リテマーがこの独立運動に資金援助していた事は誰も知らなかった。

  リテマーは自分の素性を隠して、去る富豪の息子だと名乗って独立運動に参加していた。革命家は、えてしてこういう素性の解らない者まで内包する寛容さも持ち合わせていたのだ。

 リテマーはデールタス国内での自分の工場における生産対象を、甲冑や盾などの防御用軍事物資に重点を置いて生産させた。それらはバオール国内で跳ぶように売れた。

 さらにリテマーはバオールにも生産拠点を設け、ここでは武器を生産させた。ここでリテマーは一つの工夫を凝らした。単に武器を生産するのでは、バオールの権力者に警戒される。そこで彼は組み合わせて使う農耕の用具を開発したのだ。

 当時の農耕の道具といえば鋤がある。牛に引かせて使うこの道具はそれまで木製が主流であった。しかし、リテマーは鋤の先端に金属の刃をつけた。これはそれまで高価で中級の農民の手には届かなかった物であった。

 リテマーの生産体制は、大幅にこの商品の価格を人々の手の届く範囲まで引き落とした。また同時に鍬にも金属の刃をつけ、安く売り出した。これらの商品の特徴は刃が取り外せ、少し手を加えるだけで剣や槍になったことである。

 人々の不安感に便乗したこの商品は飛ぶように売れ、革命中から革命後の長きに渡ってリテマー工場の主力商品となった。

 リテマーは、秘密裏にこの商品をデールタスにも輸出して大きな利益を上げることになる。

 リテマーの革命における活動は、革命家としては大きなものではない。しかし確実にバオールにおける革命運動を加速させ、リテマー財閥の基礎を築くことになった事は事実である。

 戦争や内乱の背景には、大商人達の暗躍がつきものであるが、厳しい戒律の中で制限された商業活動しかできなかったファミス領内でリテマーが行った思い切った行動は、リテマーにとって革命から起こる利益の大部分を吸収する結果となった。

 

 泰平の時代の鎖は少しずつ緩み始めていた。絶対王制は、経済活動の拡大と共にその権力を商人へと譲り渡す結果となっていく。大貴族バハールの破滅と商人リテマーの出現は、くしくも時期的に接近したものであった。それぞれが背負った運命は時代の英雄達に勝るとも劣らぬものであったが、この時代に残されたリテマーは目を輝かせて新しい道へと進んでいた。

 

 大陸は戦いを望む、後にアラックパニックと呼ばれる戦いの前夜は、多くの疑問を残したまま後世に伝わっている。

 エスタル四百三十五年ファミス領バオールにて、ツェッテル・ロブナン・サーレによる反乱が発生。バオール王国の復活が宣言された。

 人々は幾多の道へと向かい。自分の信じる方向へ動きだした。そしてその最初がバハールだったのかもしれない。しかし歴史は時に残酷である。彼の人生を表す文章はただの一行。

「エスタル四百三十三年バハールの乱、旧エイメスの大貴族バハールによって起こされた戦争。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        あとがき

 

 何もやることがない。実は何かあるのだろうがそれが何か解らない。だから私は本を読み、ゲームをするのだろう。

 ただ私はそれが人の作り出したものであることに満足できなかった。この小説を書いている間、私は自分の家でゲームをしなかった。中学から高校までゲームにはまっていたのにである。この小説も暇つぶしの一つだったのかもしれない。しかし私は書き続ける内に、この小説に何かを求めている気がしてきた。

 未来の自分が持つであろうノスタルジーである。

 中学から高校にかけて私は、MSXというパソコンでゲームを作っていた。今再びそれらを動かしてみると、あのころの心の動きが解るようで何か懐かしいものを感じ、同時に恥ずかしくなる。それがいい。

 いつかこの小説を読み返して涙する日が来るのだろうか。

「あの頃は若かった。」と。

 私は、私の未来の人に聞きたい。

「私はまだ人を好きでいますか。」

 さて非常に個人的なあとがきはここまで。ここからは小説について書いていきたい。

 というのもこの小説は続きが存在する。しかし今は書けない。私の中で固まっていないのも事実だが、とりあえずきりのいいところで終わらせて今しなければならないことをしようと思っているからだ。

 この小説の原案は高校三年の時に出来上がっていた。それは今回書き上げたところまでである。それから以後と、その時代の補足で三年を費やしたのだが、書き上げる段階においてハスクやテラスの陰が非常に薄くなってしまい。殆ど出番がなくなってしまいました。しかし私のシナリオでは彼らの活躍は更に後のことである。私は十代や二十代で何かをできる世界などないと

 人が一生の内にできることは限りがある。そして本来、十代や二十代というのは成長の時期である。バハールはなぜ死んだのだろう。

 現代は世紀末を前に価値観と倫理観が崩れていっていると言われている。子供達は核家族の中で人の死にもふれずに育ちビジュアルのみでその衝撃を受け、理解したものとする。これではいかんというのは大人達だけで、彼らも又少年と向き合おうとはしない。

 間違った世界に間違った小説、殺すという行動に安易に頼る世間の情報。だからバハールは死んだのではないのか。

 誠実と共にバハールは死ぬ。彼は世間慣れせずに世界的な視野しか持たなかった。ゆえに自分の命もいとわぬ行動にでられたのだが、そういった環境に身をおいている子供は多いのではないだろうか。全てを悟ったかのような顔をして、人の痛みも考えられないそんな少年達が。

 怖い世の中になったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                一九九七年七月一二日