|
| ■ 意志の疎通 | |
|
今朝すんげー面白い物を見してもらった。何のことはないテメェが書いた文章だ。そ、それが途中で切れてんだ。んで、またおっかしいんがそこへ受信者のツッコミが入ってる! 問題の怪文書はコレだ↓ 『そしたらさぁ・・・ やっぱ、里心ついちゃったよーう。だから今」←ここで切れてるぅ〜。今、何なんだー(笑)?!』 ぎゃはは笑ったわらった、今でも何度読み返しても笑えたよ。頬の筋肉が緩むよー。ひー 更にコレに2通目まであるからたまらない。キミ、キミ、君の気持ちはわかるよ、うーむ。さぞかしSメールを前に腕組んで唸ったことだろう。こう、ぽんぽんっと肩を叩きたくなるよね「わかるわかる。」っつって。つー本人がボクなんだけど。ダメじゃーん。 つまり相談に乗ってほしい、そういうことで正解だよ。あの困難な状況下でこちらの意思が伝わったっちゅーことは、コレは実に貴重なコミュニケーションの成功事例といえよう。合掌 あー、おかしかったぜ。これからもこんな目にしょっ中遭うから覚悟しときなね。←コレがおち |
|
| ■ 野菜ジュース | |
|
恐るべしサ○スター。青汁なら知っているも赤汁とは何物! 一体、どこへ行ったら買えるんだ? 輸入物だが、トマトカクテルっていうのも是非飲んでみたい。トマトをベースにオニオン、ガーリックパウダー、そしてハマグリ。ハマグリ入れてどうすんだー。他にもブラディメリーミックスっちゅーのがあって、トマト+レモン、オニオン…これならまだ想像の範囲内の味かも。コメントにカクテルの下地にとあるくらいだ。 後気になるのが、さつまいもドリンク。うまいのか?鹿児島産の紫さつまいもを使った紫色のドリンク。橙色のさつま芋を使った種類も有り、これは地元組合が考案した悩殺アイテムだろうか。うーむ、消費者として易々とその手にのってもいいのかどうか、それにしても興味をそそられる代物だ。 意外と美味しそうなのが、玄米生活。胡麻、大豆、ココナッツミルクにとうもろこし、クリームのようなコクのあるまろやかな味というキャッチにうっとりしつつも最早困惑気味。これまたサ○スターから。うわー |
|
| ■ 腕時計 | |
|
うぉーーー! タグ・ホイヤーの2000年マクラーレンモデルが欲しい。 「マクラーレン限定モデル/クオーツ・クロノグラフ」 SSケース。裏盤にマクラーレンのロゴとシリアルナンバーを刻印。チーム監督ロン・デニスのサイン入り特別認定書付き。世界限定2000本(日本での発売は500本のみ)。価格26万円。 「ミカ・ハッキネン限定モデル/クオーツ・クロノグラフ」 文字盤にミカ・ハッキネンの名とサイン、シリアルナンバーが刻印されている。サイン入り特別認定書付き。世界限定1000本(日本での発売は50本のみ)。価格26万円。 んなもん買えるか、っていうか手に入るか。 |
|
| ■ 分かち合う | |
|
金曜日のブルー・ジンクスとおさらばしたいのだが、出鼻をくじくかのごとく朝からさめざめと雨が降る。 今日はボクが敬愛する彼女の愛娘さんの誕生日だ。そのことがずっと気になっており、先週末デパートの花屋さんから寄せ植えを注文した。定休日の都合で昨日のうちに配達されているはずだ。その彼女から機を同じくして郵便が届いた。手紙はボクのことを心配した内容だったが、愛娘さんのことに話しが移ると時が永遠に止まったかのように辛いと綴ってあった。彼女がそう書くくらいだから相当に苦しいと思う。 悲しみを比べたり推し量ったりはできないけど、ボクは恵まれてて幸福。 それを感じることのできる心のゆとりがあるかどうか。幸せに気づく感性があるかどうか。哀しみも悦びも人の数だけの価値観が在るように、他人には完全には理解できない。だから解かってもらえないのは当たり前、いちいち落胆したり憤りを感じてたのでは身が持たない。本来独りでかみ締める喜びや悲しみを、自分以外の人とも共有できることに意味があるんだ。分かち合うことの素晴らしさ。だから人は言葉を交わすんだろ? |
|
| ■ 考えその1 | |
|
ボクの行動理念について考えてみよう。キミはどうだい? 先ず、ボクは相手にして欲しいことをする、して欲しくないことはしない。例えば抱擁を待ち望んでいるならば、自分から抱きしめる。本当はケンカじゃなくて、優しい言葉を求めているならこちらからそう口にする。もちろんこれは理想だから、そんな風にできないことの方が多い。 自分が辛くて苦しんでる時に、相手に何かをしてあげたい。手紙を書いたり、贈り物をしたり。ね! 何時も言いたくないことは言わなくていい、こちらからも聞きたいことしか聞かない。言及や弾劾は、相手を責め立てて追い込むばかりで何の成果も得られない。 好きな人の、どんな部分も好き。それが全く趣味が合わなくとも、好きな人が好きならばそれでいいじゃないか。好きな人のそういう時間も大切にしたいと思う。浮気をした...だからどうしたというのだ。ボク以外に好きな人ができたって当たり前じゃないか。相手を通して、その人のことも好きになればいい。身体の関係が何だと言うのだ。心のつながりの方が余程純粋で不可侵な感情だと思う。身体でも互いが満たされるけど、行為の後の排泄感は空しくて、離れてしまったらそれまでだ。 文章を書くとき、それはメールでも何でもいいんだけど、「嫌い」という言葉は「好きじゃない」に代えたい。それから「死」という漢字をあまり使いたくない。軽々しく「死にそう。」とかそういう喩えは気に懸かるんだ。 今日はここまで。 |
|
| ■ 宝物 | |
|
宝物かぁー。学生の頃、鍵かけて日記と一緒に勉強机の引き出しへしまっていたけど、卒業したら家を出たから、その後は引っ越しを繰り返して消えちゃった物が多い。 父が使ってた自動巻きの腕時計が宝物だった。実際、高校生の頃によくはめてたし、ベルトがたぷたぷでゆるかったんだけど、父のというわりには細かったと思う。父の手首は華奢だったのかなって見つめてしまう。父の腕はいつも日焼け後が時計の分だけ真っ白に残っていて印象的だった。その時計を、寮生活の間にどこかへやってしまった。すごく探したんだ、でも見つからなかった。他にも戴いた大切な時計があったんだけど、おかしいんだ。これはどうも嫉妬した恋人が隠してしまったんじゃないかと、今ではもう確かめられずにいる。 こうしてボクの宝物は、東京に居る間どんどん失われてしまった。そして、田舎へ置いてあった分は徐々に処分され今では何ひとつ残っていない。その所為かボクの物に対する執着心はすっかり失せて、誰かの形見はおろか恋人すら不在なので、自分で買う物など味も素っ気もないと半ば拗ねている。 宝物はこのHPってことにしとこうよ。 |
|
| ■ またしても週末に | |
|
ワイン1本分の吟醸酒を呑んだ。それもひとりで。酒屋で一番高い値段の付いている吟醸酒を手にして店を出る。それより上に大吟醸というのがあったけどあれは甘すぎる。それで吟醸酒。佳いお酒は二日酔いがないから、今日は沢山呑むだろうという日に敢えて高い物を選ぶ方が賢明だ。 カツオの刺し身を買ってきて、和風のカルパッチョを作る。カルパッチョなどというと聞こえがいいが、単にサラダだ。今度は牛肉で是非やってみよう。 このところ毎晩呑んでるから、さすがに胃がおかしくなりそうだ。 |
|
| ■ 相談法 | |
|
相談事はさぁ〜。 『本当は相手(その相談してきた本人)はどうしたいか?』 これを聞き出す。 聞き出すというか、再認識再確認し合う。 んーで、躊躇しているなら思いっきり後ろ押しする。「何かあったら俺が何とかしてやるから迷わず信じた道を進め!」と...滅茶苦茶相当に無責任な言い振り。ボクらしいだろ? ボクは、したいことあったらしたらいいじゃんの人だからね。後は野となれ山となれ、やらずに後悔するより完全燃焼。そんな風にいさぎよく生きられたら気持ちいいのになぁ、実際はそうはいかないから喘ぎ苦しむんだよね。できないことのなんと多いことか、おぉ世の中の不条理。年を取ればとるほどしがらみが一つまたひとつと増えていくんだ。そういうのを充実って呼ぶのかもしれないし、それでこそ年を重ねた意味があるのか。 |
|
| ■ トイレ考 | |
|
え、何?考え事をする時か。 うーん、どうするかな。四六時中考えてるからな。あはは、回答になってないか。 悩んでる時は、というより苦しんでる時とか寝つかれない夜はやっぱ音楽。ずーっとずーっと延々と繰返しの連続。それで知らないうちに寝てるから嬉しい。翌朝、ヘッドフォンつけてる耳が痛かったりするけど、これが結構ジンジンくるんだ。寝グセみたいなもんかいな。 勉強する時は、よくドラフターを机代わりにしてたよ。なんかね、作業エリアーって感じがしていいんだ。こう勉強する風情があって(言うほどしないけど)、意味もなくサイドワゴンを引き寄せたりなんかして。そこに辞書とか広げて、いやラジカセが陣取ってたかな? トイレはさぁー、ボクんとこ和式だったし、床タイル張りで冷たいって。湿々して陰鬱な場所やったから、小さい頃隠れんぼで真っ暗のトイレに篭ってる姿を見つけてお兄ちゃんに「恐くないか?」と聞かれた。で、集合住宅に住むようになったら今度は窓とかがない。だから、季節によっては家の中で最も不快指数の高い空間と化す。夏は暑い。多分、冬は寒い。狭いといえばこたつの中に潜るのが好きだったなぁ。今じゃ身体が大きくなっちゃって無理だけど、ネコかい。 |
|
| ■ 占い | |
|
なんだとっくの昔にやっていたのか。品川ってどんな性格なの?ボクと相性いいといいなぁ。あんまり詳しく見てないんだ。 占いはね、結構っていうかかなり好きなんだよ。当たってる半分、驚き半分でね。自分を発見するって面白いよね。気になる人の占いを見たいって思うけど、勝手に見たりするのは好きじゃないから「こういうのあるんだけどやって見て?」って言っちゃう。あ、もちろん声もかけられないような片想いの相手だったら無理かもしんないけど。 人は誰でも二面性を持ってるから、「あなたは一見○×な人なんだけど、実はこんな特性を秘めてる△□な人です。」とやればたいてい当たる。更に「それはあなたが気づいてないだけかもしれません。」とダメ押しすれば完璧だ。 実際、外面と内面は大きく異なると思う。刹那だってそうだろ?キミは本当は明るいのかい?暗いのかい?今度日記で答えてくれ。ボクは今自らの両極性に苦しんでいる。本当の自分て...何だ? 本当の自分がどこにどんな風でいようとも、それを人に見せないのなら存在してないのと同じではないかな。やっぱり相手から見える自分が自分なんだと思う。自分は相手にどう見られたいか。 「これがベストなんだ、こんな風にありたい」理想と、「わかってるけど、なかなかできない」現実との波間に漂うのが精一杯で。浮き輪とか使ってもいい?空気は自分で入れるからさ。 |
|
| ■ 手料理 | |
|
休日、ひたすらキッチンに立ち続けて料理しまくった。ひじき煮、牛肉とごぼうの炒り煮、煮豆の3品だけだけど、もう十分だ。なぜかというとそれは鍋一杯にできるから。もう一つボク自身はほとんど食べないから。 自分の作った料理ってどこまでも味気なくて、そんなときはたとえお惣菜でも、コンビニの菓子パンやサンドイッチでも食べる気がしない。そうでなければ、食べ出すと止まらなくてドーナツを立て続けに6個も食べる午前中だったり、夜中にアイスクリーム2つ食べても満たされない。要は精神的に不安定なのだ。 ボクは食事時をとても大切にする。だからガミガミ怒鳴りながら食べたり、口論なんてもっての外、途端に食欲が失せる。作った料理を黙々と食べたり、それ以前に突然キャンセルされるのも滅入る。 子供の頃は食事の準備がされてて当たり前だったけど、当時はその幸福さに気づかない。嫌いなものを食べずに済んでラッキーくらい思っただろう。今じゃめっきり人に料理を作ってもらうこともなくなって、時たま自分の作った料理が嫌で堪らなくなる。そういう時、誰かが料理を作ってくれたら救われるのになぁ。自分自身で立ち直るには、どうしたらいいんだろう。お前の問題は、お前が解決しろと言われた。ごもっとも。 どうりで、週末に体重が40kg切るわけだ。 |
|
| ■ 前言撤回 | |
|
「さっきは言いすぎた。頭にきてたから、あれは本心じゃないよ。」 と言われても。 一度口にしてしまった言葉は元へは戻せない。聞いた方にしろ、耳にした台詞を完全に消去するのはできない話し。笑ってやり過ごしても表面上繕っただけだ。やがては時間が治癒する傷も、綺麗さっぱりとは忘れることはない。その証拠に諍いの度にそれらが呼び起こされて、「あの時も、あのときも…。」という怒りが込みあがってくる。 だから前言撤回というリクエストは通用しないと思っている。 だから、ボクは相手と衝突すると途端に無口になる。 それまでの相手の勢いを制止するくらいのお喋りな口数の多いボクから一変して何も言わなくなる。事態の収拾が、自分の口にした言葉があらぬ方向へ発展して取り返しがつかなくなることを恐れるからだ。これを臆病と呼ぶのだろうか。逃げてると?本音で勝負してないと。「言い過ぎたあれは感情に任せて出たもので本意じゃない。許してくれ。」もちろん許すさ。でも自分がそうなるのは許さないのさ。人間誰だって間違いはあるけども、言葉の使い方には慎重になりたいな。数少ないコミュニケーション手段なわけだし。 |
|
| ■ 作っては壊し | |
|
ひとつのことを長く続けるのは思った以上に難しいことだから美徳なんだろう。 趣味でもいい仕事でもいい、何か一つでもずっと続けていることが自分にあるだろうか。自分では続けられると思って頑張ってきたことが、家庭の事情だとか健康面など予想外の事態で断念せざるえないこともある。返ってこっちの方が多いかもしれない。 カタチあるものは、いずれ壊れると思えばそういうものなのか。そういう気概で取り組めば、多少の障壁にもへこたれずに頑張れる。決して、壊すのを前提に作るわけではないけれど、どんな物でも作り出す精神のなんと素晴らしいことか。 仕事だろうと遊びだろうと、人間関係や心と言葉の交流、目に見えないもの何でもいいから生み出す結果へつなげたいよね。 |
|
| ■ 美学−1− | |
|
すっかり日記を書くことしか芸も脳もなくなったようだ。うーん、このままではいけない。ここはひとつパンダになって、こう…何をしよう?(笑) 今日はしみじみ「なんてボクは人間関係のストレスに弱いんだろう。」と考えさせられる出来事があった。 口では好きな人にだけ好かれてればいい、全ての人に理解してもらうなんて無理だと言いつつ、他人の目が気になったりする。一旦、気になり始めると止まらない。本当は自分が大事に思う人だけに解かってもらえればいいはずだけど、そうもいかないのはいい顔しいの浅ましさだろうか。 自分の美学と本来の姿を往ったり復たりする。周囲には美学に則って道化の(そうすれば傷つかない)自分を見せて、身近な相手には無防備に振る舞う。ありのままこそ本質といえど、本当はもっとこうありたいのにちっともそうじゃない自分に苛々する。本当はどうしたいんだろう、相手にどうして欲しいんだろう。何も望まないのがボクの理想だとしたら、常に正反対の感情とどう折り合いをつけていくのか。そこまで徹底して、相手は相手、ボクはボクなんだからって無関心を装っていたら、愛情はどこ?って思わなくもない。 |
|
| ■ お気に入り | |
|
好きな作家さんの全作品を読み尽くしてしまい、新しい作品が出なければ自然と読者離れするだろう。気に入った食品を毎日摂り続けて、ある日飽和状態が訪れたらそれ以降は決して口にしたくなくなるだろう。曲もそうだ、最早これしかないくらい明けても暮れても再生して、とうとう聴かなくなる。たまに懐かしんで引っ張り出してくることがあっても、処分しようかどうしようか悩む時だったり、偶然街角で耳にするくらい。 「もう飽きた。次行こ、ツギ!」そんな感じだろうか。全く節操がない。 どんなに時間が経過しても飽きないような、半世紀続けて聴けるようなアルバムにめぐり逢うのは精々1枚か2枚程度なんじゃないか。ひょっとしたら、そういった人生の上で価値あるものにめぐり逢わずして終わってしまう人だっているかもしれない。そもそも、これがそうだ!と気づくのすら難しいし、他人がどうあれその人によって求めるものや探すものは色々とあるのだ。 月並みなところで本やCDを並べたけれど、対象が生を伴うものとなるとなんとわかりにくいことか。いくら一生続けていきたくとも、自分より先に逝ってしまうことだってある。生きてる限りまたどこかで会えるさ、という希望が持てないなんてどうやって立ち直るのだ。 生きてるうちに相手の大切さを実感しにくいものだし、個人とか個性だとかっていうけどそんなに人と人は違うんだろうか。もし違うのならば、理解し合えるのは万に一つと思って関わってしけばいいし、差程違わないというのであれば、どの人とでも自分が作り出す関係は同じなんじゃないかと思う。 何を好きになるかは先にも書いたように千差万別なのだから、どれくらい大切なのかどこが好きなのかと質問されても答えられるものではない。訊くのはいいが、理解できると思ってる風では意見の食い違いも多いだろう。解からないことがそんなに忌まわしくて哀しいことなのか。解からない人を閉め出して拒絶する孤立感の方が寂しかったりするのだ。相手を認めて受け入れてあげればいいのに。 |
|