10/22
 
1ヶ月と長きに渡って更新していなかった理由。


Windowsに乗り換えちゃいました。


ああ、ごめんなさいMac、Apple。

夏に帰省していたとき、実家のPCでネットゲームの「巨商伝」にハマり、
帰京した後もそのことが頭から離れず、モヤモヤした毎日を過ごしていた最中、
妹が「新しくマザーボードとグラフィックボードを買い換えた」と報告、
その古いパーツ群を廉価で買い取り、トリャーッ!! とばかりに足りないパーツを秋葉原で買い漁り、
近所のPCショップで中古15型モニターを5,000円で購入したはいいが、
店員は
オレが車で来店していたものだと思い込んでいたらしく、
モニターを梱包もせずの裸まんまで台車に乗せながら

「お車までお運びします。どちらにお止めでしょうか?」

などと
果たして正しい敬語なんだか判らぬ語調で私に話しかけたが、


「いや、オレ自転車っス」


と笑顔で答えると、


「じ・・・自転車ですか?!」


と嫌な顔というよりも驚嘆といった表情をさらけ出すも、
その上司と思われる気さくな中年男性店員によって自転車の後部にブツを
ビニールテープや紐によってぐるぐる巻きにしてもらうことで事なきを得たが、その店員に

「どこに住んでるの?」
と尋ねられ、


「P社がある近くです。自転車なら近いでしょ?」


「遠いよ!!」

などと目をまるくしてツッこまれたりした。
(ウチからそのPCショップまで約5Kmくらい)


まあ、パーツは揃って、さあ組み立てよう、とテキパキと組み立て、
出来た!! と万歳して電源をつけるも


電源つかねえ。


ありえねえ!!
今日から巨商伝やるために苦労して秋葉行ったり
モニターをチャリで運んでチャリの荷台をダメにしたりしたのに
今日はできません、ダメでしたー、なんてのは
ありえねえんだよ!!!


ギャーギャー夜中に一人騒ぎながら色々とやってみるが
駄目

結局、1週間後にそのテに詳しい友人を我が家に招集し、
色々とやってもらったが、
やっぱりダメ

家から検査用にPCを今度持ってくるよ、と言う友人に
「それじゃテメぇを召集した意味がねえんだよ!!!」
などと半ばキレ気味に叫んだりして友人を困惑させた

じゃあ多分マザーボードがイカれてるんだろう、ということでモニターを買った近所のPC屋へ
もう夜は9時をまわろうかという時間にヘタれたチャリで爆走。
閉店間際の店で6,000円というバカ安マザボとCeleron2.2GのCPUを購入。
それでも合計15,000円もいかず、
ああ、やっぱりDOS/Vですよ、
と完全にMac裏切り宣言。

帰宅後、組み立てる。電源ON。ピッ、という音が鳴って起動。
イィィィィヤッホゥゥゥゥゥゥ!!!!!
と思わず歓喜の声をあげる。

しかし、1週間のブランクは長すぎた。
既に私のPCに対する情熱は冷めてしまっており、
その後2週間ほどPCほとんどイジらず。



9/28
 
いつものようにコンビニでバイトしていると、中年の女性が
「あのー、FAXしたいんですけど・・・」
と店員の私に話しかけてきた。

まあ、確かにコピー機でFAXなどと、そのような高等技術を身につけられるのは若い者だけなので、
爽やかな営業スマイルで「はい、ではこちらへどうぞ」とコピー機の前へ。

彼女はA4の薄っぺらいコピー紙を鞄から取り出し、
「人から頼まれたんですけど・・・」
と、尋ねてもいないことをぺらぺらと喋り出した。
まあとにかく、その紙きれをFAXすれば良いんだな、と解釈した私は、
「はい、ではこちら、貸していただいてよろしいですか?」
とその紙きれに印刷されている内容をチラッと見た。

『祝! 福岡ダイエーホークス 優勝記念グッズ注文書』


貴様!! この狼藉、ここが所沢と知ってのことかァッ?!!

と私はその紙きれをビリビリに破き、
「ウォウオー!! ウォウオウオウ ラーイオーン!!」
と「地平を駈ける獅子を見た」を歌い叫びながら
その中年女に馬乗りになって殴り続けた。

などと日本国の法律に触れる行為は当然出来ず、
丁寧にFAXを送信してあげ、中年女性のお客様に「どうもすいません」と礼を述べられ。
「いえいえ、とんでもないです、ありがとうございました」
とフル営業スマイルでお客様のお帰りをお見送りした。

その日もライオンはこのコンビニから5km離れたドームでボコボコにされていた。



9/27
 
夏休みも終わり、月曜には大学が始まる。
鬱だ・・・。

何てことを言っても単位が来るハズもなく、夏休みのレポート2本を仕上げなければ、
留年の危機を迎えてしまうのだ。
ああ、一浪したのに留年なんて、イヤイヤ。

と、いうことで大学の図書館に資料を借りに行くことにした。
ウチから大学まで電車で約50分。結構遠い。
そして、その前日には夏休み前から借りていた本の督促がメールで来ていた。
ヤベえ。一日延滞で1点減点され、14点に達すると2週間貸し出し禁止&
貸し出しカウンター前で説教。
そんなのはイヤイヤ。絶対に返さなきゃならぬ。

久しぶりに乗った電車には学生はおらぬ。まあ、まだ休みだしな。
到着し、駅に降り立つ。
ああ、歩いて大学まで行くのは非常にかったるい(てか、運動不足なんだが)。
都バスを使って大学図書館まで行くか・・・。

ちょうど良いタイミングでバスが到着。
共通バスカードを取り出し、運転席横の運賃箱のカード差し込み口へスロットイン。
適当に運転手真後ろの席に陣取る。

しかし、ここで思った。


「オレ、返却しなきゃならん本、持ってこなかった」


そうだよ、家を出る前に「何か忘れてるような・・・」って思ったんだよな。
本を返すのが目的の大半だったんだよ。
別に本借りてなかったら、ウチの近くの市の図書館行ってたよ。
オレの往復約2時間の移動時間は何だったの?

目の前にいる運転手が傍らに置いていたフリスクを2、3粒口に放り込んだ。

いや、彼ではなく
むしろ、オレが家を出る前にフリスクを喰うべきだったのだ。



9/26
 
早朝5時過ぎ頃に突然の電話。

昨日は午前3時に就寝したため、猛烈な眠気を振り払いながら
ベッドの横に置いてある電話の子機のディスプレイを見てみると、実家の電話番号が表示されていた。

こんな早朝に電話をかけてくるなぞ、尋常ではない出来事が起こったのだ。

そう直感した私は目が一気に覚めた。
そしてすぐさま電話の「外線」ボタンを押し、スピーカに耳を押し当てた。

「なした?!」
(↑北海道弁)

そう、このときの私の方言でわかるように、私の生まれ故郷は北海道である。
電話の向こうでは母が興奮気味にまくし立てた。

「いや! 今、凄い地震起こってさ! テレビやら電子レンジやら落ちちゃってわやさ!!」
(注: わや=大変だ、滅茶苦茶だ、の北海道弁)

「なにィ?! ちょっと待て、今テレビつけっから!!」
テレビのある居間へと急ぐ私。
そしてテレビをつけると、画面には大きく

「北海道で震度6弱の強い地震」

とテロップが表示されていた。
そして同時に表示されていた地図には、実家のある町からほど近い海に「×」印が打ってあった。

私の実家は「十勝地方」であった。
ゆえに私も15歳まではチャキチャキの十勝っ子だったのだ。
(中学卒業後、札幌の高校へ進学し、実家を離れ、下宿暮らしをした)

「皆、怪我はないのか?!」
「怪我は誰もしてない。テレビも棚から落ちたけど壊れてなかった」

家族に怪我はないらしく、ホッと一安心。
母から話を聞けば、ライフライン、つまりはガス電気水道も無事で、家に損害もないとのこと。
揺れについては、最初は軽くユサユサと揺れたが、
そのうちドーンと大きな揺れへと転じ、かなりの長時間揺れたらしい。
そろそろ50になる母も「こんな大きな地震は初めてだ」と何度もつぶやいていた。

確かに、震度6の地震が十勝地方を襲ったのは遙か遠い昔のことだ。
私が生まれてから経験した大地震は、釧路沖地震、三陸沖地震の2つで、いずれも震度5であった。
(その頃、まだ震度5以上の地震の「強」「弱」のクラス分けはされていなかった)


初めて経験した大地震、震度5の釧路沖地震のとき、私はまだ小学生であった。
そのときは夜、家族でテレビを観ていて、芸能人100人が何たらかんたら、というような内容だった。
そのときに番組では、芸能人のプロフィールだかなんだかを紹介するときに、
ファィナルファンタジー3の「チョコボ」の音楽を流していたのだ。

しばらく番組を観ていると、地面が軽く揺れるのを感じた。
「あっ! 地震だ!!」
私は嬉々とした声で叫んだ。

不謹慎なのだが、その頃までに経験していた地震は最高でも震度3であり、
怖さよりもむしろそれは一種のイベントとして、
発生後のテレビの地震情報を見たりするのが何故か楽しみだったのだ。
私は地震が好きだったのである。

最初は「これは震度3だな」と子供ながらに予測をたてたのだが、その予測は3秒後にはずれた。
地面は猛烈な勢いで揺れだしたのである。

「外へ逃げろ!!」

父が鬼面とも思える形相で叫んだ。
我々家族は一気に玄関から外へと飛び出した。

もはや簡単には立ってはいられなかった。
私は両手を広げてバランスをとり、立っていることに懸命に集中した。
愛犬は一生懸命に吠えている。
まさに非日常的世界がそこには繰り広げられていた。

しばらくすると揺れはおさまったが、私の両脚は震えたままだった。
家の中へ戻ると食器棚から食器が数点、外へと飛び出ていた。割れてはいなかった。

つけっぱなしのテレビからはこの悪夢が、何事もなかったかのように、
軽快で貧相なファミコン音源の「チョコボ」の音楽が流れていた。



こうしたこともあり、今だに、どこかで「チョコボ」の音楽を聞くと、
あのときのことが否応なしに思い出されてくる。


2度目の大地震、三陸沖地震のときはマイホームを建てて引っ越した後のことである。
そのとき、私は中学生になっていた。

夜、家族でダイニングテーブルに向かってメシを食ってたんだか、
話してたんだかよくは覚えてはいないが、家族全員がテーブルについていたことは確かだ。

突然、ユサユサと家が揺れ始めた。揺れる音がよく聞こえたことを覚えている。
次の瞬間、ゴゴゴゴと大きな揺れへと転じ、私はとっさに玄関へと走り出、
ドアを開け、外へと走り去った。

あのときは結構、冷静だったと思う。一度大きな地震を体験しているからだろうか。
まずは家から出なくてはならん、と思ったらしい。かなり俊敏だった。

ひとしきり揺れた後、地震はおさまった。
「立っていられなかった」というふうには記憶していない。
いや、それでも立つのに一生懸命だったのは間違いないだろう。
2度目だったのでインパクトがなかったからではないだろうか。

家の中へと戻ると、他の家族3人はテーブルから最も近い、ベランダから外へと出ていた。
これに私は、自分の固定観念の堅さに呆れるよりなかった。
「外へ出るには玄関から!!」
そんな発想の乏しい私は、これよりももっと激しい災害の中では生きていけないのではないか・・・。
情けなく思いつつも、テレビの地震情報に夜中までかぶりついていたのは今も昔も変わってはいない。



現在へと話を戻そう。
テレビの地震情報をしばらく見た後、睡眠不足の私は眠ってしまった。
見覚えのある漁港へ津波が押し寄せる映像、
親戚のいる町が断水で自衛隊が給水車で住民に水を配っている映像・・・。
それでも母の実家のある地区が停電した程度で
我が家、いや我が町にはそれほどの被害はなかったらしく、
安心して眠ってしまったのだ。


それにしても、母から気になる話を2つ聞いた。
ひとつは、前日に「地震雲」を見たということ。
あまりの奇異な空の光景に、母は不安を覚えていたらしい。
もうひとつは、我が家の愛犬(外犬)はいつも夜中は車庫の中に入れて寝かせているのだが、
地震の起こる前の深夜に突然、吠えだし、外に出たがったという。
犬を外に出した父は、その異常な様子に首をかしげたという。

まあ、何にしろ、大きな被害がなくてよかった・・・。
しかし、これが首都圏を襲ったとなると・・・恐ろしくて想像もしたくない。



9/18
 
教養科目のレポートを書くために、水道はトッパン小石川ビル内にある、印刷博物館へ向かった。

家を出たのは午後2時。遅え。
そして電車内で読むための本をパルコまで探しに行ったが良いのがなく、
仕方なくブックオフへ行くと池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』が
1冊100円で売っていたので、未読分の5冊をまとめ買いする。
これで1時間経過。電車に乗ったのは午後3時。さらに遅え。

高田馬場まで西武新宿線で50分。
そこから飯田橋まで営団地下鉄東西線で10分。
大体1時間ほどで飯田橋に到着したワケだ。結構近い。

JRが1本、地下鉄が4本も乗り入れており、道路も巨大な交差点を擁する、飯田橋。
まさに東京の交通の要所と言っても過言ではない。

その交通の「地下の」要所から「地上」へと上がった私の前に広がっていたのは
巨大な交差点、そして巨大な歩道橋、そして膨大な数の自動車群。
電車の乗り換えで駅に降りた回数はかぞえきれぬほどだが、
こうして駅から出たことは上京して以来、一度もなかった。
ゆえにこれが私の飯田橋初体験。

5叉路?!
もはや地図見ても自分が何処にいるのかすらわからねえ!!

地図には目白通り沿いに目的の博物館はあると記してある。
ではまず、目白通りがどの道かがわからなくてはならない。
おお、そうだ。通りの名前は信号機やら歩道橋やらに看板が付いているものではないか。
ちょいとそれを探してみよう・・・ってかすぐ目の前にあった。どれどれ・・・。

ちょうど2経路の真ん中に看板が位置していてどっちの道が目白通りかわからねえ。

ああ!! なんて微妙な看板位置なんだ!!
そもそも、何で自分の位置確認するだけでもう飯田橋歩道橋を5回も上り下りしてるんだオレ?!

そろそろ体力的にも精神的にも疲れ果ててしまった私は適当な方向へ歩いてみることにした。
正解は5つに1つ。
かなり確率は低いが、このまま歩道橋周辺をウロウロしていると
たばこ屋の前で煙草販促のティッシュを配っているキャンギャルに怪しい人間だと思われてしまうからだ。

この日はとにかく暑かった。さらに余計なことに曇っていた空から陽が差し込んできたのだ。

「ああ、もう博物館行く前にお腹いっぱいだ」

うんざりした表情を何度も浮かべる私。
しかし、かなり歩いた後、黄色く大きな建物が目の前に現れた。
これが印刷博物館のあるトッパンビルか?!































<JRA ウインズ後楽園>

・・・ウインズ後楽園?!
ここは後楽え・・・あっ、建物の脇から白くて大きな建造物が・・・東京ドーム。
なんぞ印刷関係事項を調べに来て嫌いな読売巨人などを拝まにゃならんのだ・・・?!

呆然と立ちつくした、私の頭の中では東京ドームではなく、
今をときめく阪神甲子園球場の試合を終えるサイレンが鳴り響いていた。



9/16
 
昼寝を2度してしまったことなんぞ、この人生の中で何度あるだろうか?

今日は本当は水道にある印刷博物館に行って、
書物に関する教養科目のレポートを書こうと思っていたのに・・・。
んで、ついでに大学の図書館行って、フロイトの本を借りて、
これまたフロイトに関する教養科目のレポートを書こうと思っていたのになあ・・・。

2度目の昼寝から目覚めたときには時計は午後3時を指していた。

「あー、やっちゃったなあ・・・」
と陰鬱な表情でダラダラとTVを観ていたら、
朝のニュースでやっていた名古屋の立てこもり事件のビルが爆発。
陰鬱な表情をさらに深めてTVを凝視していると、時はみるみるうちに経ち、
ふと時計を見上げると午後5時を指していた。

涼しくなった外に出て、
パンクした自転車を近くの自転車屋に持っていき、パンクを直してもらい、
薬局でティッシュ、トイレットペーパー、食器洗い用スポンジに液体ブルーレットおくだけを買って帰宅。

外で響くセミの声を聞きながら外を見つめ、今日という日を思い出す。
轟音を立てて冷風を吹き出す、エアコンの下で。



9/15
 
阪神、18年ぶりのリーグ優勝ッ!!

私は筋金入りの西武ファンですが、
これにゃちょっと感慨深いものを感じましたよ。

勝てねえ勝てねえ言われてた伝統の弱小球団がまさに念願の優勝をしたワケですから。

それに比べて我が西武は最近こそは時々しか優勝してませんけど、
黄金時代にゃ「優勝して当たり前」というくらい強かったですからねえ。
昨年は優勝しましたけど、騒いでたのは西武系列企業くらいのモンで、
私の周囲の所沢市民は「ああ、優勝したんだねえ」くらいの反応しかナイ。
(まー、所沢自体がプロ野球球団本拠地唯一の小都市ですし)

所沢市に引っ越して感じた最初のカルチャーショックはそれだったりする(爆)。


さてさて、もうひとつのリーグ、パリーグはどうかというと、
ダイエー首位でマジックは一桁。
我が西武はそれに何とか食いついているといった次第で何とも情けない。
私のアパートから西武ドームまでは約6km、自転車で30分ほどにございますが、
どうも今年は足を運ぶ気があまり起こらなかった。
行った回数わずか2回。
去年はわざわざ幕張の千葉マリンスタジアムまで行って
優勝の瞬間を拝もうとしたくらいに熱狂的だったんだけどなあ。

しかし、阪神戦のTV中継観てても思い出す、あのマリンスタジアム。

阪神にアリアスって選手、いますよね?
彼のファーストネームは「ジョージ」なんですが、打席に立ったときのファンの応援が

「レッツゴー!! ジョージ!! (ダンダンダダダン)」

っていうかけ声で行われているのですが、
この応援はおそらくマリーンズの応援を踏襲したものだと思われますねえ。

マリーンズにはボーリックという選手がいるんですが、その選手に対する応援が

「レッツゴー!! ボーリーック!! (ダンダンダダダン)」

なのです。
ちなみにこのかけ声は『実況パワフルプロ野球』(コナミ)の
マリーンズの応援音としても使用されています。

それほどにマリーンズのファン(マリーンズサポーター)の応援はスゴい。

あの大人数で息はピッタリだし、タオル振り回したりパフォーマンスも華麗。
全球団の中で最高の応援らしいのです。かなり納得できます。

昨年、西武がマリンスタジアムで勝利できず、
他チームの勝利によって優勝が決まった翌日(同じくマリンスタジアム)の試合で

「ライオンズ、優勝おめでとー!!」

とマリーンズサポーターの方々が一斉に声を挙げたのは、
今でも西武ファンの中では語り草です。


阪神が優勝したんだから、今度はパリーグで千葉ロッテが優勝すると劇的だよなぁ、
と思ってしまう私は非西武ファンとして虐げられてしまうのでしょうかねぇ(笑)。



9/11

 サイトデザイン変更しました。

なかなか更新する気力と機会がなく、
これほどまでに廃れてしまいましたが、復活いたします。

前回更新日は・・・

5/15ですか。
早くも4ヶ月経とうとしてますな。
いやあ、月日が経つのはハヤイ。

まあ現在は大学、夏休みなワケですが、
ゼミの合宿やら帰省やら旅行やらを既に終え、
早くも消化試合の様相を呈しております。
まあ、合宿はあと2回あるんですがね・・・(やり過ぎ)。

さて、4ヶ月も更新しないとネタも溜まります。
毎日の更新には事欠かないことでしょう、多分。
デザインも試行錯誤中なのもので、
1時間毎にデザインが変わっているということも珍しくないでしょうねえ。
現在は手抜きバージョンでお送りしております。

NYの犠牲者に黙祷を捧げつつ。
以上。