NOTE


5/19

沖縄復帰三十周年

 だんだんTシャツで過ごせる日も混じって来ましたが、最近また沖縄のことをとても考えてます。 僕がhirosueやUNOと沖縄へ初めて行ったときからもう半年以上が過ぎますが、 それからというものテレビや雑誌で沖縄が取り上げられるたび、まるで自分の事のように飛びついてきました。 特に梅雨入りや有事立法、復帰三十周年などの出来事でメディアに取り上げられることも多い最近です。 流れる映像や記事は美しい海や空であったり、悲しい歴史であったり、元気な沖縄音楽だったり、基地の現実だったりします。 それらの本質は実は良く考えると全国共通のことだったりするんじゃないか? 実は自然に恵まれた綺麗な国のはずだし、誇るべき文化がある。しかし戦争の影は至る所に残り、米との外交や日中韓の問題は深い。 「沖縄」というフィルターを通してみると全てがクリアに見える気がするのです。 そんな明暗はっきりした原色の島々に僕は魅せられ、最近再びとらわれてしまっています。
 僕が一昨日触れた沖縄は、地元のパチンコ屋で遊んだ沖縄スロットでした。 今や日本全国が空前のスロットブーム。 先日の納税者番付にも「アルゼ」や「サミー」といったスロット機製造会社の人間が多数ランクインしていました。 そのスロットですが、元は沖縄米軍基地内にあったスロットマシンにボタンでリールを止める改良を加え、 占領下の沖縄で広まったのが最初です。それ故、沖縄では老若男女問わず、パチンコよりスロットが絶大な人気を誇っています。 また、メダルも本土の規格とは違い一回り大きいサイズだったりします。 沖縄に渡って驚いたことの一つがパチンコ屋の営業時間。夜の12時を過ぎてなおネオンの消えない店にビックリしました。 片手だけに軍手をはめ、ひたすらレバーを叩くオッサンの姿に異国を感じていました。
 昨日触れた沖縄は、朝日新聞の記事にあった「アルゼンチンで島唄が大ヒット」でした。 代表チームの応援歌にもなったらしいです。僕が思った感想は、嬉しいけどアルゼンチンの人達がこの歌が日本のものではなく 沖縄を歌ったものだと知ってくれたらもっといいな、でした。 hirosueと二人で泊まった宿のオーナーが連れて行ってくれたスナックで僕らは生の三線を初めて聞き、泡盛を飲み、 一緒に泊まってた人達や隣のテーブルのオッサンたちと「島唄」や喜納昌吉の「花」をみんなで踊りながら歌いました。 そこで喋った五十過ぎのオッサンの英語が上手かったのはカッコ良く、ちょっと悲しかったりしました。 琉球空手の型で踊るオッサンもいました。それが唄のリズムとピッタリなのです。僕らはその時、唄の島の片鱗をみました。 夜の筑紫哲也のニュース23では、沖縄30年の変容を特集していました。復帰が良かったのか悪かったのか、 その答えを出せずにいる沖縄の大人の人達。僕が生まれたときには沖縄はもう日本だったからわからないけど、 今も県民所得が全国最低であることや基地がほとんど減っていない現実は、なぜか僕を申し訳ない気持ちにさせました。 筑紫さんは決して好きじゃないけれど最後、「沖縄はやはり日本の縮図」といったことには素直にそう思いました。
 今日はNHKのビギンの3人による沖縄島唄ドキュメンタリーを見ました。 番組最後の彼らによる新しい島唄のコンサートには感動してしまったのですが、 通じて思ったことは、色々問題はあっても自分の生まれた場所や、 そこにある音楽や人達を宝といえる沖縄の人達が羨ましく見えたということです。 特に沖縄の子供たちが自分たちの気付かない沖縄の素晴らしさに目覚めていく過程に笑みがでました。 東京や埼玉で暮らす僕とは、いかんともしがたいバックボーンのスケールに差があるなぁと感じた番組でした。
 まとまりつかなくなってしまいましたが、結局言いたいのはみんな沖縄にもっと目を向けると面白いよってことです。 きっと日本で一番面白いです、最近ずっと。行ったことがなければ一度は行ってみてはいかがでしょうか?できれば余裕を持って。 晴れてスーツを脱ぐことができれば、僕はすぐにでも旅立ちたい心境です。 今回は愚文、散文、メチャクチャで読みにくく、本当に落書きっぽくなってしまってすいません。(祥)


4/1

黒幕は誰だ

 田中真紀子の更迭劇に始まった政局の大混乱。ムネオ、加藤ときてついに社民党の若きエース辻本清美が辞職へ。 しかし、こと辻本さんの問題に関しては余りに手ぬるい社民党の内部事情と永田町の裏側が見えてしまいました。
 まず社民党の一議員としてみれば、少し前には党幹事長候補に挙がり党の政策部門のトップが彼女です。 的をついた歯切れよい発言とズレない市民感覚で大衆の支持も厚かった人です。 市民団体上がりで、当選二回と議員経験の浅い彼女を党の顔にするに至り、身辺を整理整頓してあげる、 または情報を守ってやるのは政党の役目です。問題の発覚から辞職まで、自民党じゃこんなすぐには進みません。 政権を取る気があるのかといいたいくらいぬるい。
 次に気になるのは、これは誰かが探そうとして出てきた疑惑だということ。鈴木宗男の証人喚問前後、 すでに一部マスコミで「以前、日本赤軍関係者の会社の役員に辻本の名前」という記事がありました。 僕は、あーこれはやみくもに辻本の荒探しを始めたな、と思いました。そして秘書給与詐取問題。 誰が良いとはいいませんが、少なくとも今後の政局における不安因子(おそらく自民党一部において)を取り除く 動きが急速に始まっています。鈴木ムネオにおける外務省内部文書の流出は、 彼の後の外務省に入り込んだ福田が関係していると思われますが、 その後に橋本派と連携して加藤・辻本・真紀子という流れになったのではないでしょうか。 加藤の排除に関しては官邸・橋本派・麻生と堀内、の姿が浮かびます。宏池会の全権を掌握し麻生が首相候補という 感じになりそうですが、政権は森派にありますのでここはまだ流動的かもしれません。 辻本&土井と田中真紀子の件は、果たして誰が絵を書いているのか不思議です。 飯島(小泉の秘書官)・福田が臭いかなって思ってますが、きっとその裏にまだいるのでしょう。
 最後にマスコミの報道。 様々な癒着や関係があって、これも単純にメディアとして独立している訳ではないので意見をいっても仕方ないかもしれませんが、 報道の方向性として正しいのか疑問です。 ジャーナリズムの公平性とは、その影響の度合い・性質を読んでこその公平性だと僕は考えています。 政治の舞台の現状を把握していて、なお意見の多様性を拝することがわかっている状況を作り出していく。 そんなことが今メディアに求められた役割だとは僕は思わない。 ”粛清”が公然と行われ、どんどん姿の見えない翼賛的な形になっていく。 気付いた時には何も変えられない、選択肢がない、そんな状況になっていきそうです。
擁護するわけじゃないが辻本清美の金の使い方は、例え制度上問題だったとしても悪意がある使い方ではないでしょう。 何もしない政策秘書に1千万もやれるわけがない、業者や官僚に割って入って稼ぐこともできないから余りを他の業務に回している。 彼女ほどの熱意で政治をやっていれば調査や人件費は多分にかかるはず。 腐った外務省にどっぷりつかり、利権まみれのムネオさんと問題を並べてはいけません。
スキャンダリズムとジャーナリズムがアンバランスであること、 つまりは報道の方向を決める優秀な舵取り不在が、雑誌離れを起こしているとまで僕は考えています。 小泉を首相にし、雑誌に関心を無くし政治を見る眼を退化させた大衆を作り出したのは自分達。 そろそろ新聞も雑誌も胡散臭い「情報の客観性」なんてやめてしまえ、と思ってます。 同じような「客観」が並べば、一つの「主観」となって力を持つ。これが小泉誕生を産みました。 客観と主観は、大衆それぞれ自ら読み取る。じゃなきゃ日本人はどんどん方向を誤るだけです。
 長くなってだいぶ脱線しましたが、最近の僕はといえば週に5日のスロット通いの就活者。 そういや4/21に新潮社の筆記試験。「辻本秘書給与詐取疑惑!」のとこです・・。(祥)


2/10

ソルトレークオリンピック

今回の冬季五輪は21世紀最初のオリンピックです。しかし開会式はけして気持ちの良いものではありませんでした。 開会式での破れた星条旗の入場でわかるように、ことアメリカにとっては国威を上げる祭典に見えて仕方ないからです。 五輪をナショナリズムを高めるのに利用したのはヒトラー時代のベルリン五輪が有名ですが、数十年の時を経て未だ五輪の概念は 進歩しなかったのかと感じます。参加国の中には北朝鮮の選手もいれば、イランの選手もいます。ブッシュ大統領に「ならず者国家」と 呼ばれた国の人達です。国際的なスポーツの祭典の中に、一国の政治や感情の現状を持ち込むのは ホスト国としては出過ぎた行為と言わねばなりません。ブッシュが出てきて星条旗がはためく光景は、 人によりその受け止め方が違うということを理解しなくてはいけないと思うのです。 警備の状況や、アメリカの人達の現状を考えても今回は荷が重すぎた感じがします。 そんな中で視聴者としての僕の姿勢は、”一流の人たちの姿を観ること”。 日本人だから応援する、ではなくそれぞれの競技で第一線の人たちがトップを目指して戦いを繰り広げる様子に目を向けることが良いのだと思っています。 そうしてみればオリンピックは普段目にすることのできない様々な競技の最高峰の戦いが観られる魅力的な機会です。 そしてどんな競技も楽しむことができます。国という概念に縛られすぎると、五輪の意味は違った意味になってしまいます。 日の丸が飛んでいるのではなく、原田や船木が飛んでいる。百数十ヶ国が参加しているのではなく、数千人が参加しているんだ、 という視点が一番良いのかなと思っています。(祥)


1/17

環境問題

「自然と人間の共生は可能か?」という問題で、次のような風土と宗教を絡めてのおもしろい考察がありました。

ヨーロッパや砂漠の人々において、生活とは自然を切り開き、耕すことで「獲得」するものであった。元より、西欧の森は 比較的踏み込むことは容易で、恵みもさほど多いものではなかった。故に感謝や対話の対象は人の姿をした神となり、 「土地を広げよ。生ける者の頂点に立て。」みたいなことが、聖書でも言われてたりするわけである。 しかし、照葉樹林帯に属していた日本などのアジアの一部にとって、森はうっそうとして薄暗く、獣達が蠢く恐怖の対象であった。 同時に暮らしを支える恵みをもたらすものでもあった。不可侵的恐怖とともに必要性を感じていたが故、山や森、動物や石も崇拝の対象に なってきた。その為、自然とうまくバランスをとれてきた。
しかし支配する対象として自然をとらえる西欧の概念が、今や日本にも定着してしまった。 環境保護という発想自体が人間中心主義的な発想であるから、理想の環境のビジョンも人間にとっての環境でしかない。 地球の生態系のなかに、同等なレベルで人間を位置付けるというのは、西欧の人間には実感としても宗教的にも難しい。 だから100億の人口を超えていく世界が地球環境に与える影響は理解できても、それと関係のある無尽蔵な医学の進歩には、 哲学的歯止めをかけられない。 地球の環境問題を西欧的概念の上で論じるのは無理なことである。 アジアに根付いていた自然に対してのアニミズム的感覚こそが、人と自然の共生を可能にする方法なのではないか。 その上であれば、生と死の受容の仕方、生命中心主義にも考察が加えられていくはずである。

だいたいこんなような感じでした。
人間が出した答えだって間違いだらけなのだから驕りを捨てなさい。 礼儀を持って自然を含めた他者に接するべきだ、ということです。いや、僕はなんとなく勝手に納得したのです。(祥)


12/30

アニメおたく評論家

最近、卒論の関係で色んな文章を読むんですが、やたら30代にアニメの息のかかった評論家が多いことに気が付きます。 浅田彰や宮台真司からの流れの人たちなんだろうけど、何の評論でもエヴァとか出てくるし、もう良いよといった感じになってきます。 学校や街からって言うより、アニメの世界から論壇登場みたいなね。 だから、キレやすい文章というか。とても読み手が目の前にいる気がしないような、独り言が多くて困ります。 アニメってやはり二次元の領域のものなわけで、人どうしのコミュニケーションを本来必要としないものです。 聖書も一緒と思いますが、これにあまりに自分として重点を置くと三次元のコミュニケーションが不全になってしまう。 そしてそういう人達が三次元の世界を求めた時には、カルト化、宗教化していくのだと思います。 アニメや本、宗教を”あらかじめあるもの”として自分を構築すると、社会生活の本質を見誤ってしまうと思うんです。 時間がたって巨大化した「カルト」がキリスト・イスラム教であり、アメリカっていう実験なのかなと。 いや、アニメの話題も出ず、立派に筋立ててあって、しっかり書かれた文章も多いんです。 むしろ論理構築は一流の人たちが多く、だから論壇にいるんだと思うんですがね。 でもなぜか説得力に欠けるのは、僕は文章・言動から体温を感じないんです。 書いてる人たちの背景に賛同できなさ過ぎると言うか。まぁ、アトランティスとナディアの相似性にイライラする時点で、 マサシと僕も内輪じゃ立派なアニメおたくですが。〈祥)


12/19

衛星都市

僕が住んでいるのは、ありふれた東京近郊埼玉県の住宅街です。何があるところかというと、 誰も行ったことのない豪華な能楽堂や、城のような老人ホーム、同じく城のような市民会館があります。 時間のほとんどを都内での仕事に費やすサラリーマン家庭が人口の中心だと思うのですが、 やはり時間の経った郊外には、年齢の上がった子供達も住んでいるわけです。 目に付く限り、パチンコ屋とホームセンター、ファミレス位しか無いというのがこの街の印象です。 ちょっと観たい映画があっても、「あー、渋谷か。」とあきらめてしまいます。 だいたい30万都市に、図書館が一つっておかしくないですか。 心身健康で個性豊かな人間というのは、豊かな文化的背景あって育つものだと思います。 くだらない行政の建物に税金を使うヒマがあるなら、ミニシアターや劇場を建てる、 または誘致する努力でもしてもらいたいもんです。だいたい市民税が全国トップクラスに高いのも、 人口が多くインフラ整備に費やすべき金が大量に必要なのと、ここ自体に魅力が無い為、外から入る収入が無い為ですよ。 こうやって小さな埼玉県ができて、集まると大きな埼玉になって、哀れな姿に見えてしまうわけです。 家の近くで「光の雨」やってたら、僕なら観に行くのに。 1月あたまに大学に市長がやってくるらしく、ゼミの関係で話せる機会もあるらしいんで一言いうつもりです。〈祥〉


12/14

ラディン・ビデオ

今日の朝日新聞夕刊のトップは、ビンラディンのテロ関与証拠ビデオ公開について。客としてのイスラム聖職者との会話の様子 として、テロについて語っているとされる部分が抜粋され、氏の写真が掲載されています。 そしてページをめくると、米政府から公開されたビデオの会話の全文がそのまま載っています。 はっきりいって、どうかと思う報道姿勢です。読者に受け方の選択を委ねる方法として、ただ全文を載せるというのはわかります。 しかし、トップにどうどうとこの段階で「証拠公開」とやってしまうのは誘導的報道といった方が良いと思います。ビンラディンを 擁護しているわけではありません。僕はまだ出所も、撮影意図も不明なビデオに関しての受け止め方としては、 少々いい加減すぎやしないかと思うのです。与えられた情報を消化せずに流しているだけですよ、これじゃ。 天下の朝日新聞も落ちたもんだなー、と感じたのでした。産経の夕刊が廃刊になりましたが、朝日もやめちまえよです。(祥)


12/13

キリストサン

数日前の朝、祖母の家を出た僕は、珍しく途中のスタバでカプチーノなんぞ買って上野公園へ向かいました。大きな噴水の前のベンチに 座っていると、いつもの要にホームレスのおじさんが声をかけてきました。「兄ちゃん飯喰ったか?これからなぁ、 キリストさんが俺たちに飯を配りに来るんだ。それもキリストさんの国のだろ?詳しいだろおじさん。」と、 僕のカプチーノを指差します。ま、彼らは大抵はタバコを求めてやってきてるので一本差し出すと すぐに他へいってしまいました。前にも炊き出しの人達のことを「キリストさん」と読ぶのは聞いたことがあるんですが、 「そうかスタバのコーヒーもキリストさんかー。」と訳のわからない感覚に驚きました。 きっと恐らく僕の考えるキリストなるものとは、大きく違ったキリストなる概念が彼らには存在しているはずで、 ちょっと調べてみたい興味が湧きました。とにかく呼称が凄くおもしろいし。
その後、開店直後のスロット屋「グリンピース」に入り、イベント台の懐かしのクランキーコンドルに挑戦。 しばらくして永遠の美目「上段青テン」見ることなく退店。いつもの自己嫌悪を感じるとともに、 店内には脳波を狂わす電波が存在するに違いないと考えながら僕は御茶ノ水へと向かうのでした。(祥)


12/5 (ここでは僕らの日々感じたことを、落書き帳のつもりでイイカゲンに文字にしてしまおうと思います。)

シャロン首相は危険

今日はサッチ―の脱税で野村監督が辞任という話になりました。野村監督の私生活はともかく、 野球監督としての能力は非常に買っていたので、とても残念です。でも講演料が80〜100万て凄いですね。 そんなことよりイスラエルの爆撃のことを書こうと思います。報復、報復の連続のパレスチナ問題ですが、 ここに来てイスラエルは非常に危険な姿勢を見せるようになりました。アメリカのアフガン侵攻と同じロジックを アラファトに向けたのです。「テロリストは絶対に許さず、かくまう者には容赦はしない。」というものです。 一連のイスラエルに向けた自爆テロなどは、ハマスなど一部のイスラム過激派による犯行です。 アラファトは最近、必死にパレスチナ内の過激派の取り締まり・メンバーの大量拘束を行い、犯行防止に努めていました。 しかし犯行テロリストの引渡しを求めるイスラエルは、アラファトをタリバンのオマル師のようにみなし、 ついにはパレスチナ政府・アラファト自身への爆撃を始めたのです。アメリカはこのイスラエルの動きを黙認しています。 主要な西側の殆どの国には強大なユダヤ人社会があり、イスラエルを抑止する動きは期待できないのが現状です。 僕はただイスラエルとパレスチナの問題であるならまだましだと考えています。 戦闘機を持つイスラエルに対してパレスチナは軍備を殆ど持ちません。我慢できなくなった周辺諸国(例えばイラク)が参戦する、 という事態が来てしまうかもしれない。むしろそれをアメリカは待っているんじゃないか?そう考えると恐ろしくなるのです。 とりあえずイスラム社会の人達に向けてアメリカのアフガン問題は完全にその正当性を失いました。そして状況はナチスドイツが 生まれたかたちに似てはいないでしょうか。しかも今回は巨大なイスラム世界において。 近いうちに世界戦争が起きてしまうんじゃないか?そんな恐怖をニュースを見ながら感じました。日本にいれば全く関係ないと思っていても、 知らずのうちに加害者になっていたり、いきなり惨事の被害者になるかも知れない時代だと思います。常に気にしていかなくちゃあならない。 そう考えています。(祥)


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