記憶
 
 
 
 

記憶とはわたしのではないもの
 
 

わたしだけのものではないものの記憶
 
 

思い出すとはわたしでなかったものを思い出すこと
 
 

なぜだかわからない
 
 

そのようなものがわたしを いわば結び目
 
 

一瞬やどる結び目として思い出させる
 
 

雨が一瞬ひらめきをこちらにおくってよこすように・・・


 
 
 
 
 
 
 

―光の子どもを創造するあなたの胸の奥、そこは「生」という名の女神が住まうところ。これは生の真実をつづった物語・・・
 
 




生の記憶―アリアドネの神秘―
 
 

登場人物

アリアドネ・・・生の象徴
ディオニュソス・・・生成の象徴
テセウス・・・英雄の象徴















―アリアドネは悲嘆にくれて歌う・・・
 
 

 
ああ 真夜中が来た
 

あなたは忍び足で近づいてくる

 
あなたは何を求めているの
 

あなたはわたしの心のなかに入りこむつもり?
 

もっとも秘やかなわたしの胸の奥までも
 

ああ あなたが欲しているのはわたし
 

わたしのすべてを?・・・・
 
 
 

行ってしまった
 
 
 

あの人は逃げ去った
 

わたしのただひとりの道づれ
 

わたしの最高の敵
 

わたしの未知の神
 

わたしの愛する者にして死の使い
 
 
 

いや帰ってきて
 

あなたのすべての苦悩も"いっしょに"
 

わたしの涙はあふれ
 

あなたに向かってほとばしる
 

わたしの心の最後の炎は
 

あなたのために燃えあがる
 
 
 

ああ 帰ってきて
 

わたしのまだ知らない神
 

わたしの苦悩
 

わたしの至福


 
 
 
 

―アリアドネはクレタ島のミノス王の娘。当時のクレタの女性たちの特徴は、黒い巻き毛にカールしたうなじの髪、白い肌、そして物言うような大きい黒い眼であった。これはそのままクレタのミノス王の娘であったアリアドネにもあてはまる。
 
 

ところでアリアドネとはアッティカの壷絵が記しているように「アリアグネ」の方言で、尊称「ハグネー(純粋な)」を意味する・・・
 
 
 

「クレタのミノス王とパシパエの娘…その名は"純粋な女"を意味する…」
 
 
 

ルネ・マルタン『ギリシア・ローマ神話文化辞典』

 

アリアドネは"海の女"。彼女は島々をわが家としていたが、ある日突然テセウスによってクレタ島からさらわれ、寂しいナクソス島に置きざりにされてしまう。彼女が絶望のふちで嘆いていると、突如、ディオニュソスの女たちの群れから美しい歓声が響きわたり、アリアドネはディオニュソスによってその群れに迎えられる。
 
 
 

天空に光り輝く王冠にちなんで、彼女はその後「アリデーラ」(明るい女)という名をもらい受ける。
 
 
 
 
 

―それに対して、ディオニュソスに特徴的なのはその陰鬱な姿である・・・
 
 
 
 
 

「ディオニュソスは全裸で、引き締まった細身に、若さ溢れる若者の姿を表している。顎にも頬にもむさくるしいひげはなく、いかつさはどこにも見られない。かといって、少年らしい若さでもなく、二十代後半の、それなりに成熟した肢体である。・・・私が忘れられないのは、ディオニュソスの青年期に特有の鬱屈を湛えたどう見ても翳りのあるその横顔が、祝婚の絵としてはいかにも暗すぎることだった・・・」
 
 

『ディオニュソスへの旅』

 
 
 
 
神の御子ディオニュソス
 
 

宴を好み
 
 

寵愛する女神の名はエレイナ
 
 

幸を授け 若い生命を守る者
 
 

富めるもの貧しきものも分かちなく
 
 

悲しみをとりさり幸を授けたまえど
 
 

心を清らかに保つことを 怠るものは
 
 

この神の怒りをかう


 
 
 
 
 

―アリアドネは毎夜毎日ナクソス島の浜辺でひとりまだ見ぬディオニュソスのことを想いながらこう歌ったと伝えられている・・・
 
 
 
 
 
 
 

ああ 真夜中が来た
 

あなたは忍び足で近づいてくる
 

あなたは何を求めているの?
 

あなたはわたしの心のなかに入りこむつもり?
 

もっとも秘やかなわたしの胸の奥までも
 

ああ あなたが欲しているのはわたし?
 

わたしのすべてを?
 
 
 

ああ そしてわたしを苛むとは・・・正気とは思えない
 

わたしの誇りを踏みにじろうとするの?
 

愛してください―もう誰も暖めてはくれないの?
 

もう誰も愛してはくれないの?
 
 
 

熱い手を差しのべて下さい
 

火桶のような心を与えて下さい
 

孤独の果てにいるこのわたしに
 
 
 

ああ そういうわたしに向かって
 

七重の氷は 敵にさえ
 

敵にまでも恋い焦がれよと告げる・・・
 
 
 

与えて下さい
 

そう 委ねて下さい
 

残酷な敵 あなたよ
 

わたしに あなたを・・・・
 
 
 

行ってしまった!
 
 
 

あの人は逃げ去った
 

わたしのただひとりの道づれ
 

わたしの最高の敵
 

わたしの未知の神
 

わたしの愛する者にして死の使い!
 

 

いや!
 

帰ってきて!
 

あなたのすべての苦悩も"いっしょに"
 
 
 

わたしの涙はあふれ
 

あなたに向かってほとばしる
 

わたしの心の最後の炎は
 

あなたのために燃えあがる
 
 
 

ああ 帰ってきて
 

わたしのまだ知らない神
 

わたしの苦悩!
 

わたしの至福!


 
  

『アリアドネの神秘』
 
 

 

 
 

わたしは日ごと丘に立ち
 
 

海風のなかにあなたを待つ
 
 

ひたいをかざるばらの冠
 
 

腕にたわわな葡萄をかかえて
 
 

あなたは行ってしまった 海のかなた
 
 

呼べども返るは潮の音ばかり
 
 

あの日 草のしとねはやわらかく
 
 

甘えよってきた山羊や羊たち
 
 

わたしは長い黒髪をふりほどき
 
 

思いをこめてはあみかえす
 
 

よるべないなぎさに足をぬらし
 
 

ああ 今日も船かげは見えず
 
 

沈む日に波はくらく重い
 
 

わが悲しみの糸は涙にきれて


 
 
『アリアドネーの歌集』

 
 
 
 
 
 

―ところでテセウスはその暗き宿命をアリアドネの人生にもたらす者・・・
 
 

テセウスは重苦しさ、重荷を好んで背負いたがる傾向があり、笑うこと、戯れること、軽やかさを知らない。そしてアリアドネ、すなわち生の女神を否定することをその特徴とする。
 
 
 

テセウスは、肯定するとは担うこと、引き受けること、試練に耐え、重荷を背負うことであると考えている。現実とは重くのしかかるものであり、義務を担うことと考える。それゆえ、テセウスは、大地の荒涼たる表面に住み、担うことを知っている砂漠の二匹の家畜――ロバとラクダを象徴とする。
 
 
 

テセウスは知らない。肯定するとは重荷を背負うことではなく、生けるものの重荷を取り除いて解き放してやることを・・・。たとえ英雄的であっても、その重みで負担をかけるのではなく、アリアドネを軽やかにし、新しい生を創造することを知らないのである。
 
 
 

つまり、牡牛が世界を軽やかに走り回り、くびきを捨て、高みで安らぐことを理解できないのである。
 
 
 
 
 

―テセウスに捨てられて、アリアドネは感じる、ディオニュソスが近づいてくるのを・・・
 
 
 

ディオニュソスは、真に肯定する者である。彼は何も担っていない、何も引き受けない。彼は人々によって汚されたあらゆる権利を捨て去ることで純粋に生を慕う。アリアドネを迎え入れるために。
 
 
 

彼が生きとし生けるものを肯定することができるゆえんはここにある。自己を肯定するためにも、アリアドネがディオニュソスと出会わなければならない運命はここにある。
 
 
 
 

ディオニュソスは孤独の歌を吟じ、みずからの運命を予感する・・・
 
 
 
 

ああ 夜が来た
 

ほとばしり出る泉は今やみな声を高めて語りはじめる
 

わたしの魂もほとばしり出るひとつの泉だ
 
 
 

ああ 夜が来た
 

愛をもつあなたたちの歌が今ようやく目覚めようとしている
 

わたしの魂も愛をもつひとりの歌だ
 
 
 

抑えられないものがわたしの胸の奥にある
 

それが今 沈黙を打ち破って声になろうとしている
 

愛への渇きがわたしの胸の奥にあり
 

それが今 愛の言葉を語りはじめる
 
 
 

わたしは光だ
 

ああ わたしは夜でありたい
 

だが わたしが光に包まれていること
 

それがわたしの孤独だ
 
 
 

ああ わたしは暗くありたい夜になりたい
 

そうすれば わたしはどんなにか光の乳房にすがるだろうか
 
 

しかし わたしはわたしの光のなかで生きている
 

わたしはわたしから発した炎をわたしのなかへ飲み返す
 

わたしはあなたたちの至福をまだ知らない
 
 
 

そしてわたしは何度夢見ただろう
 

もしわたしに盗むことができるのなら
 

盗まれるときよりもいっそう幸せになるにちがいない
 
 
 

わたしの手は与えつづけて休むことがない
 

それがわたしの貧しさだ
 
 

どこを見てもわたしの瞳に映るのは
 

待ち受ける瞳と明かりを灯した憧れの夜ばかり
 

それがわたしのねたみだ
 
 
 

ああ 与える者の不幸
 

わが太陽の憂い
 

求めることへの憧れ
 

豊穣のなかのはげしい飢え
 

わたしの美しさのなかから飢えが生まれる
 
 
 

わたしが光を与えたあなたたちに
 

わたしは痛みを加えてやりたい
 

わたしが贈り物を与えたあなたたちから
 

わたしは奪いたい
 
 
 

こういうふうにわたしは悪意に飢える
 
 
 

あなたたちの手が差し伸ばされるとき
 

あなたたちが救いを求めるとき
 

わたしは手を引っ込める
 

あなたたちが落ちかかっているときでもなおためらう
 

こういうふうにわたしは悪意をもちたがる
 

あなたたちへの復讐をわたしは思い巡らす
 
 
 
 

贈ることのなかにあるわたしの幸福は
 

贈ることで死んだ
 
 
 
 

ああ 夜の闇にいるあなたたちよ
 

あなたたちこそわたしから光を奪って温もりを創り出すのだ
 

あなたたちこそ光の乳房から乳と活力を飲み干すのだ
 
 
 

ああ 氷が今わたしを取り巻いている
 

わたしの手は氷の冷たさにふれて火傷する
 

わたしの胸の奥には渇きがある
 

そして 夜になることへの渇き
 

この孤独
 
 
 
 

ああ 夜が来た
 

今わたしの胸の奥から泉のようにわたしの熱望がほとばしる
 

語ることへの熱望が
 
 
 

ああ 夜が来た
 

ほとばしり出る泉はいまや声を高めて語りはじめる
 

わたしの魂もほとばしり出るひとつの泉だ
 
 
 

ああ 夜が来た
 

愛をもつあなたたちの歌が今ようやく目を覚まそうとしている
 

わたしの魂も愛をもつひとりの者の歌だ


 
  

『ディオニュソス讃歌』


 
 
 
 

ディオニュソスが婚約の相手を呼び求めるその理由は、ディオニュソスが肯定、つまり喜びの神であり、肯定それ自身が肯定されるためには"第二の肯定"が必要だからである。
 
 
 
 

アリアドネもまたディオニュソスをみずからの肯定の対象と感じている。
 
 
 

精神的にも肉体的にも苦しんできたアリアドネは、生と死の境に合って、ディオニュソスの目を見つめているうちに、突然、激しい悦楽におそわれる。アリアドネは、はじけるように自己の身体が跳びはねるのを感じる。彼女にとってこのエクスタシーは、ディオニュソスその人に対する激しい渇仰であり、またそのまなざしを通じての神的なものの顕現にほかならない。
 
 
 

それによってこそアリアドネの純粋な"魂"は解き放たれる。ディオニュソスに向けられるアリアドネの愛は永遠のもの。それがもたらす光の子どもは、アリアドネとディオニュソスの愛の結晶にほかならない。
 
 
 

それゆえ、光の子どもはアリアドネとディオニュソスの一体化にほかならない。その愛による神秘の結合が「結婚指輪」にたとえられるのはそのためである。こうして世界は"指輪"となり、創造する女性たちと美しい男たちが出会う"創造の場"となる。
 
 
 
 

アリアドネとディオニュソスの一体化が生み出すものは生の肯定、光の子どもたちである。
 
 
 
 

これこそアリアドネが探し求めていたものであり、彼女の胸の奥底にしまわれていた生の記憶、すなわち「アリアドネの神秘」といえるのである。