私のこと


「母さんがいなくなった。おまえの所へ行ってないか」
1996年5月始めのこと、その電話で私は母が死んだのだと思った
車中で排ガスにより死んだ母が見つかったのはそれから数日後
私が大学に進学した春のこと

確かに仲がいいとは言えない夫婦だった
そんなことは子の私にもわかっていた
でも子どもまで産んで、そうそう別れたりはしないだろう
理由もなくそんなことを考えていた

不安を否定しきれなくなったのは高校3年の夏
母は妹と車に乗っていて隣りの町で事故を起こした
だけどその日は妹が学校の行事に参加する日
隣り町に行く用事はなかったはず
妹は軽い怪我であったが、母は退院まで半年かかった
最後まで何故隣り町に行ったのかを聞くことはできなかった
怪我が幸いしてか、一時的に両親の仲は良くなったかに見えた
結局は結果を先延ばしにしただけであったが
春になり私は実家を離れ大学へ進学した
年末の母の退院後、やはり夫婦仲の修復はしきれなかった
その危うさは私も感じていたが、私自身も息が詰まっており
これ幸いとばかりに家を出て行った