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| 高校卒業後、計画もなしに逃げ込んだ街ロスアンジェルス。 スラムで遭遇する悪夢と悪態。俺の胸に封印された良心は甦るのだろうか? |
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2003年10月25日 10時56分40秒
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2003年10月04日 17時27分54秒
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引越ししましたよ
クリックヒア↓ ../../../www.geocities.co.jpMilkyway/3181/ |
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2003年05月08日 08時47分55秒
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ようやくここまで書き込めました。少ない時間で即席文章。少々(大いに)読みづらいのは失礼ですが、ここまで全て読破された方、ありがとうございます。尚、ゲストブックでは書き込み難い感想は、メールで気兼ねなく送ってください。
zuma_jayz@yahoo.co.jp 今後も不定期ではありますが、続けていきたいと思います。末永くよろしくお願いします。 2年半かかって5ヶ月間の出来事しか書いていない自分を誇り?に思いますというのはウソ。 初めて来られた方、当日記のスタートは下へスクロールして中央辺りからです。そこから順に最下部まで読んで頂いて、それからその中央部分から今度は1話ごとに上へ移動してください。 |
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2003年05月07日 16時14分44秒
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7月が過ぎ、蝉の鳴き声が鬱陶しく響き渡る東京。街には長い休みを楽しむ学生で溢れかえっている。俺はどこにも所属しない自由人だ。やることいっしょでも去年の夏は高校生という肩書きがあった。
俺はスロット中心の生活に戻ってしまった。朝起きてから夜寝るまで誰とも喋らない日がある孤独な日々。でもこれが俺の普通の姿なのだ。金は増えもせず減りもしない。けっこう無駄使いをしている。コンビニで使う金は3千円くらいになる。 8月も中盤に入り、お盆にさしかかろうとする頃、ポストに1通の封筒がきた。レターフロムカリフォルニアだ。俺は青いそれを興奮しながら開封してI−20FORMを確認した。思わずガッツポーズがでる。俺は赤坂の大使館へ原付バイクを飛ばし、書類をチェックする職員が慣れた手つきで俺のパスポートに5年間有効のFヴィザスタンプを押した!じつに帰国してから1ヶ月と1週目のことだった。 俺はブラジルまで行く飛行機で誰に見送られることもなく、ロスまで飛び立った。8月の終わりだった。一応ハウスの部屋はキープしてある。9月に俺を受け入れる教室がある。肩書きは留学生だ。 |
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2003年05月05日 05時55分06秒
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ぐっすり眠っていた俺はオヤジに起こされた。俺は生まれ育った当り前のように与えられた部屋を3ヵ月空けただけで、ウサギ小屋のようなあばら家に監禁されるような雰囲気に陥る。オヤジは半分怒りつつも、俺の突然の帰国を喜んでいる様子だ。人々はルールに支配され、はみ出た物を度外視する。東京の夜はどこか寂しいことに気付く。哀愁を漂わせるアジアの東端。
そして翌朝俺は久々にモーニングへ向った。見慣れた顔が数人懲りずに並んでいる。3ヵ月も日本を離れ、面白い新台が俺を出迎える。スロットに再び明け暮れる日々が続く。俺は以前のように派手には勝てない。母校とアメリカ大使館で難なく手続きも終えた。アダルトスクールからの返事を待つ間、狂ったようにパチスロを打ちつづける俺。連れは皆新しい生活に順応し、俺のおとぎ話のような土産話を受け入れない。俺は孤独に打ち続ける。帰りの繁華街は活気があるようでどこか暗いように感ずる。後姿がどことなく寂しげにつけ麺大王を後にする俺。有線の演歌もバッドな世界真っ只中だ。 俺はアメリカシックに掛かってしまった。 |
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2003年05月04日 20時06分13秒
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俺は生まれ育った路地を1歩1歩アスファルトに暴動土産なナイキのシューズを踏みしめて歩いた。ガキの頃はメインストリートのように感じた商店街も、寂れた路地裏に見えてしまう。ここには衰退の他には俺には映りはしない。世界の中心から過疎地へやって来た印象だ。
持っていた合鍵で家を開けた。久々に嗅ぐ馴染んできた匂いで、どっと疲れがでてきた。家には当り前のように誰も居ない。自分部屋で休むなり、長旅の緊張を解して腰を伸ばした。徐々に睡魔が襲う。とりあえず今日は寝ることにしよう。 |
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2003年04月03日 13時03分00秒
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とくにヤバい物を隠し持っていなかった俺は、堂々と到着ロビーを抜けた。梅雨終盤の成田空港は、非常に俺には不快に感じた。湿度が高いせいだろうか。
グラサンの奥に見える3ヵ月ぶりの風景は、かなり新鮮に映る。何を買おうか迷ってしまうバラエティーな自動販売機や「良い子の皆さん!」と大人たちへ永遠に連呼するエスカレーター、秒単位で定刻にやって来る電車と整列してそれを待つ乗客達、静まりかえった列車内と、鈍より曇って灰色に包まれた千葉の田園風景に、主張性もない学生服群の集団移動。痛い所を突かれたように苦笑いを窓外へ向けてしまう。俺は今まで社会のルールに従って生きてきたことが深く解った。日本で暮らすことは世界的に見れば、物凄く優等生かもしれない。総武横須賀線快速は一路品川へ向った。 |
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2003年04月03日 12時51分30秒
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俺は来た時とと同じ色のジャンボに乗り込み、生まれ育った東京へ向った。客はオフシーズンなのか、閑散としている。席の半分以上は空席だ。恐らく赤字運行であろう。俺はシートを3つ使って仰向けに寝転び、深い睡眠に就いた。 5時間くらい経っただろうか、目を覚ました俺は、やることもないので、目を閉じて仰向けのまま、これから少しの間戻る地元を考えた。3ケ月も空けていると不思議に、部屋にある俺のあらゆる物に目を通したくなる。例えば、漫画や卒業アルバムさらに競馬新聞などだ。この3ヶ月間で余程日本語の活字に飢えたことであろうか。それに定食屋でコテコテの日本食が食べたい。美味い白飯が恋しい。パチ屋にも新台が入ったことであろう。連れ達は今何をしているだろうか。変わってしまっただろうか。胸が異様に騒いできた。
ブラインドを開けるスチュワーデス。機内は瞬く間に陽光で充たされた。俺はコリアンネェーちゃんに嫌々ながら起こされた。美味しくもない朝食を無理して腹に詰め込んだ俺を乗せた大韓航空は成田に無事着陸した。 |
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2003年04月02日 10時59分03秒
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俺は真面目にも数日間学校とその復習を込めたハウスでの勉強に取り組んだ。学校内のカフェテリアを利用しているうちに何人かの同学年の留学生とも知り合いになっていった。彼らは親がスポンサーで業者によってこの地を紹介してもらいやって来たのだが、あまりにも紹介された学校が日本人だらけで、授業内容もいい加減な学校だったらしく、しっかりしたプログラムと評判のここへ集まったらしい。そしてアダルトスクールのヴィザクラスへ俺でも手続きさえすれば入れることを突き止め、事務室で書類を貰い、ハウスで、それを訳す。
俺は大まかな内容を理解した。まずヴィザクラスに入るのにFヴィザを取らなければならない。それは学校が発行するI-20という入学許可証明をアメリカ大使館へ持っていくことだ。さてI−20はどうすればこの学校で貰えるか? それは、 1、未成年なので親のサイン入り 受諾文 2、銀行の残高証明1万$以上 3、最終学歴の卒業証明と内申書 4、LAでの身元引き受け人と住所 5、学校が用意した書類に写真付で書き込む 6、I-20を送ってもらう為の郵便代+1学期分の授業料約400$ 以上の手続きが必要だ。残り数日でノービザ滞在期限の90日を過ぎてしまう。俺は東京へ帰り、すぐにでもFヴィザでも取る必要がある。不法滞在をしながら働く日本人を何人もここで知り合ったが、俺は何だか、プチ勉強家になりつつある。正当な手続きをしてこの地で暮らす方が、いいかもしれない。いい加減な俺がまともな思考回路が働いている時に動いたほうがいい。 俺はオープンチケットで来た大韓航空の帰り便を電話にて予約した。アメリカは、9月が新学年のスタートだ。何とか間に合わせなければならない。俺は一路日本へ急いだ。時は1992年7月の上旬だった。 思いつくまま行動する俺、将来なんてあるのだろうか....? |
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2003年03月23日 21時33分45秒
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RTDバスでダウンタウンまで向かい、徒歩で熱い太陽が照りつけるメキシカン銀座のブロードウェイを北上して、アダルトスクールの門を潜った。俺は恐る恐るクラスに入った。クラスメートは約半分くらい初顔のようだ。ベトナム人の彼の姿はない。キム先生に恥ずかしながらも謝って、今までより、真剣に授業に取り組んだ。昨日までの一人旅で、英語を話す事に抵抗がなくなったことに気付く。授業は生徒の髭のメキシカンオヤジが盛り上げてくれて、すごい充実した。
そしてアフタースクール、俺、はタイ人のあの娘を探しまくったが、居なかった。 |
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2003年03月23日 20時42分50秒
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翌日、俺は朝早くに目覚めて、1か月分の家賃を、大家に謝りつつ払った。そして食堂で朝飯を食べた。見慣れた面々が普段と変わらず、無言で皿を突付く。俺は久々に見る食堂のオバちゃんに、愛想を撒いて日本のテレビニュースを見入った。
Kが、このハウスを後にし、どこか別の土地へ移ってしまったことを、大家からは聞いていた。今日から気を入れ直し、俺は久々に学校でも行って、暇と目標を見つけることを決め込んだ。 |
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2003年03月23日 20時31分39秒
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申し訳なさそうに静まるハウスのリヴィングを通り抜け、音を立てないように、鍵穴を探り、ドアを開けた。俺の居場所はあった。
部屋の電灯をつけないまま、そっとカーテンを開け、懐かしい部屋の匂いを嗅ぎつつ、焼け落ちたモールの無残な姿を冷たいパイプベッド上から眺める。交差点に位置する防弾ガラスで客とレジスターを遮ったT&Tバーガーは、逞しくも営業を再開している。命がけの商売だ。険しい俺の顔に笑みが少し混ざる。 孤独な旅を終えた俺は、物凄くKと会いたい衝動に駆られた。居るか否か知れないKの居た部屋を朝を待ちきれずにノックした。しかし、部屋からの反応はない。 俺はおとなしく眠りについた。 |
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2003年03月23日 19時37分58秒
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汽車は闇を抜けて光の国へと近づいた。月光がハリウッドの裏山の山並みを映し出す。そしてグレンデールの高台を越えれば、大都市LAの犯罪じみたオレンジ光が激しく俺を出迎えた。長距離を走り終えようとする機関車の疲れきった鈍いブレーキ音がユニオンステーションに響き渡る。定刻をやや遅れただけで、ほぼ予定通りの到着だ。やけに活気のない駅を後にする。
外気は温い。さすがに長時間南下しただけあって、南国に来た感覚だ。そして小便臭い地べたの香りに俺は懐かしい親しみを感じた。 俺はアメリカに来て空港から乗ったタムのタクシーと同じカラーの流しをチョイスし、ハウスへ急行する。 「俺の居場所がどうか在りますように。」 俺はマイオリジナル神様に心で祈る。だが、俺を待つ人なんてこの地で居ない。なぜ俺は旅を続けるのであろうか?見えない何かから逃げているのであろうか?俺は自分をスッカリ失っている。俺はタクシーのウインドウに映る自分の窶れ顔と見慣れたダウンタウンの街並みを融合して己に問いかけた。 |
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2003年01月04日 22時51分00秒
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汽車は闇を抜けて光の国へと近づいた。月光がハリウッドの裏山の山並みを映し出す。そしてグレンデールの高台を越えれば、大都市LAの犯罪じみたオレンジ光が激しく俺を出迎えた。長距離を走り終えようとする機関車の疲れきった鈍いブレーキ音がユニオンステーションに響き渡る。定刻をやや遅れただけで無事予定通りの到着だ。やけに活気のない駅を後にする。
外気は温い。さすがに長時間南下しただけあって、南国に来た感覚だ。そして小便臭い地べたの香りに俺は懐かしい親しみを感じた。 俺はアメリカに来て空港から乗ったタムのタクシーと同じカラーの流しをチョイスし、ハウスへ急行する。 「俺の居場所がどうか在りますように。」 俺はマイオリジナル神様に心で祈る。だが、俺を待つ人なんてこの地で居ない。なぜ俺は旅を続けるのであろうか?見えない何かから逃げているのであろうか?俺は自分をスッカリ失っている。俺はタクシーのウインドウに映る自分の窶れ顔と見慣れたダウンタウンの街並みを融合して己に問いかけた。 |
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2003年01月04日 22時47分25秒
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鉄色の轟音は既に夕闇の真っ只中を南へ突き進んでいた。隣の客が荷を纏め、通路側に陣取る俺の足を退けようとする。俺はそれで目を覚ました。列車はどこかの駅に到着したようだ。ホームにあるポールにサンタバーバラと表示してある。西海岸沿いを列車が順調に進んでいる。オークランドの駅でもらったパンフレットによれば、3時間後LAに着く。
いつの間にかに客が半分くらい減っていた。窓の外を眺めれば、海の彼方へ燃え尽きた太陽が哀しく映る。競馬で大金を手に入れ、KとLAを離れて10日も経ってないのだが、俺には本当に無謀な大冒険だった。LAのマイルームとKの行方を気にする俺。ラウンジに場所を移し、ラザニア食べてコーヒーを飲みつつ窓外を眺める。闇に点在する灯りが、集まって大きな塊となる場所まで見届けた。ハリウッドの裏山越えればLAに違いない。 悩みは多い。もしダブリンで起こした事故の請求がハイウェイパトロールから届けば、莫大な金額を請求されるだろう。そしたら今現在ある全財産が吹っ飛び、アメリカ生活ともオサラバだ。LAでバイトするにはビザがないと厳しいのはハウスの連中には聞いていた。俺はノービザなので1ヶ月足らずで、不法滞在になってしまう...。いろいろ考える時期かもしれない。 |
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2003年01月01日 22時04分09秒
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結局、俺は人気ないオークランドの駅で、一夜を過ごした。身体は冷えたが、芯までは冷えてなく我慢できる程度だった。帰路につく鉄道関係者とホームレス達の不気味な視線を感じた程度の苦痛で済んだのが幸いだった。既に昨晩LA行きの片道キップは買ってある。明け方2時間程度眠ったくらいで、殆ど無心に列車を待った。腹は減ったが、飯屋は見渡す限り周辺にはないので、列車に乗り込むまで重い荷を持って歩きたくない俺は、アムトラック売店を夢見た。
朝8時の定刻よりやや前に、目当ての列車が、スローなスピードでホームに接岸した。間違いなくシアトル発のLAユニオンステーション行きのアムトラックだ。俺は疲れきった身体に反するよう潔く乗り込んだ。座席は指定席だ。程よい暖が効いて心地よい。3人掛けの椅子の通路側が俺に与えられた席だった。窓側とその隣にも客がいた。窓に若い小太りの白人ヤンキー娘、そしてその知り合いのような中年オヤジ。ほぼ8割の席が客で埋まっている。オークランドから乗り込んだ客は俺を含め10名程度だった。新装開店のパチ屋に前夜から並んだ頃を懐古する俺。 汽笛を高らかに上げて出発したアムトラックの売店で買ったクラブサンドとクラムチャウダーにコーヒーをガブついて、倒したシートに吸い込まれるように深い眠りについた。もはや、旅路を楽しむ余裕などなかった。 |
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2003年01月01日 12時16分04秒
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| 数ブロック歩くとなんともワザトラシイ日本をイメージしたような建造物の群が目立ち始めた。そこがジャパンタウンだ。早速日本物なら何でも揃ってそうなビルに立ち入り、日系の本屋で、よっぽど飢えていたのだろうか、活字漬けに陥った。掲示板に幾つかの貸し部屋情報やバイト募集を張っているのだが、LAに劣った貧弱な内容で俺の心は全く動かない。親子丼とアイスコーヒーを空腹ではない胃に貯めて、日本寺院の脇に設置してあるベンチに横たわった。10分もしないうちに肌の黒いセキュリティーに起こされ、ダルい身体を持ち上げ、徘徊を再開する。徐々に薄暗い藍色に包まれる街並み。今夜は何処で寝ようか。 俺はパッと思い出した。LAのボーディングハウスのマイルーム契約は一昨日で切れたはずだ。やばい!!部屋に少なからず荷を残してある。直ちに更新しなければ。ハウスの電話番号など知る由もなかった俺の脳は、ジワリとカエルコールを唱える。俺はLAまでの帰る交通手段を再び本屋で模索した。 ガイドブックによると飛行機、バス、鉄道の選択があるではないか。やはり飛行機で行くのが一番早いが、折角自由気ままに流れてきたのに、スピードアップしたくもない。結局列車に心が揺らぎ、アムトラックステーションがオークランドにあることを地図により知ったので、BARTでオークランドに向かい、何とか駅に辿り着いた。タイムスケジュールが掲示してあり、LA行き列車の出発時間を探したが、なんと朝方しか来ないではないか。念のため紙に「TO LA」と書いてチケットカウンターで今日中に出発するLAユニオンステーションまでの列車は無いのか聞いてみたのだが、やはり明朝しかなかった。重い荷物が身体を締める。一日中動いたせいか、限界に近づく体力。俺何やってるんだろ・・・。 時刻は8時を過ぎ、寂れた駅の外周りには、もはやホームレスの姿しかない。どうしよう。野宿するには度胸がいるロケーションだ。段々歯車が狂ってきた俺だった。 |
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2002年12月25日 17時43分48秒
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| 久々に旨く、腹に馴染んだ飯を頬張った俺に幾つかのインフォメーションとアイディアが産まれた。SFウィークリーを読みまくった結果、サンフラン市内は家賃が箆棒に高いと考えた。1ベッドルームで約700$する。生活費だけで直ぐに俺の財産は吹っ飛ぶであろう。しかしBARTの駅にあった郊外のアパートはそれよりかは安い。しかし郊外に住んだって、目的の意味がなくなってしまう。俺はとりあえずこの地を観光に留めることにした。 しかしLAで借りているマイルームのようなハウスが、市内にあるのではないだろうか?ここから歩いてすぐにジャパンタウンと名の付く街があることを判明した。現地情報に乏しい俺に救いの神だ。中華レストランのドアノブを勢いよく回した。 |
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2002年12月21日 19時27分42秒
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| BARTのシビックセンター駅から地上へ這い上がった俺に小雨が迎えてくれた。とてもカリフォルニアに相応しくない寂びついた風景だ。傘など持たぬ俺は、直ぐに最寄のカフェと言うよりも、ケーキ屋に近い店の窓席に重い荷と身体を下げ、コーヒーを頼んだ。そこから見渡す風景はLAと全く異なった感じだ。ロスのようなアバウトに欠け、アメリカ的自由文化に都市的規律が融合されている非常にモダンな都市に感じだ。有名なケーブルカーにビジネスマンが飛び乗る。黒人と白人のカップルが仲良く手をつなぐ。退屈そうなゲイが向かいの花屋のディスプレイを永遠と眺める・・・・。 俺はケーキ屋を後にし、歩けるだけ歩いた。そして夢中に徘徊した。俺が求めていた何かがこの街に溢れている。俺はこの街に惚れてしまったかもしれない。坂道にある細路地の一角にある古びたアパートに住んでみたい。俺はSFウィークリーというサンフランの無料情報誌を中華料理屋でマーボードーフ食べながら熟読する・・・・。 |
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2002年12月16日 20時29分49秒
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| 俺を乗せたタクシーは一心に西へ向かう。580番ウエストを進むこと20分位でサンフランシスコ中心部まで行くBARTというメトロの駅に着いた。無口な運ちゃんに運賃+チップを払いつつ、カバンを持ち上げ、車外へ降り立った。朝の通勤ラッシュなのだろうか、駅前には大勢の人がホームへ急ぎ足で歩く。人々の表情が気持ち暗い。空が鈍よりと曇っている。遠くの山が霧で霞んで見える。この郊外の駅で感じたことは、人々はロスよりかなり肌寒いからか、ファッションセンスが皆キマッていて、ロスのようなアバウトさが少なく、東京に近いというか、ロンドンやニューヨークのようにお洒落だ。なんだかロスとは違った雰囲気で、凄いワクワクして胸が高揚する。っていうか、俺がロスで貧乏人のエリアでしか行動していなかったからそう思うのであろうか? とりあえず、俺はサンフランのシビックセンターまでのキップを買った。3$位だったろうか。今いる場所はベイフェア-という駅だ。サンフランの対岸だ。やけに車軸の長い、高架を走る電車が直ぐにやって来た。若干座れる席があるのだが、若い男なのでこの国では直ぐに、弱者へ席を譲らなければならない対象なので、ドア側へ立ちながら外を眺めた。俺はなぜかこういう時、小心者になる。それにしても電車に乗るのはアメリカに来て始めてだ。事故らなければ、こんな所でこの交通手段を利用しなかっただろう。感謝しなくては..(汗)。高速と平行して走る電車は、駅ごと徐々に乗客を増やしつつ、やがてスラムチックなオークランドの市街地を走り、廃墟の工場街を走り抜けトンネルを潜り、湾の下を潜り渡って、サンフランの中心部と予想したシビックセンター駅に着いた。俺はリノからここまで来るのに、本当に目まぐるしく冒険をしてきたように感じた。俺は小走りに、地上へ上がる。 |
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2002年10月23日 22時45分44秒
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| 翌朝俺は久々に温もりのあるベッドで心地よく目覚めた。身体の痛みは少しばかり和らいでいる。前夜に何とかサンフランシスコまでの道のりを調べておいた。俺は25¢硬貨を公衆電話に入れ、自力でタクシーをとりあえず、このモーテルに呼び寄せた。フロントのオヤジに世話になりたくない。昨日払った余分な一泊分は彼の懐にあるだろう。 20分くらい経った頃、グットタイミングでタクシーがパーキングに滑り込んだ。俺は透かさずキーをフロントに投げ入れ、タクシー助手席に乗り込んだ。 GO TO BART STATION 俺は予め紙に書いた行き先を運転手に見せた。 カウボーイハットを被ったグラサンした白人オヤジはOKサインを出した。 |
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2002年10月23日 07時21分48秒
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2002年09月16日 19時38分39秒
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2002年09月15日 20時39分47秒
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2002年09月07日 19時50分46秒
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2002年08月18日 22時18分18秒
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| リノの街は意外に活気がないように感じた。というか、寂れている深夜で平日だからか?やはりべガスに比べて規模が小さいのだろうか?俺はボンヤリ営業する大きなカジノホテルに車を着け、中を探索した。そこには俺を安心させるに十分の客がいた。俺の脳は場の雰囲気に反応し、ギャンブルモードになる。早速、最も熱いルーレットテーブルに20$を投げ入れた。かなりストレスと疲れが溜まった俺。どうにかしたい衝動で計画にない勝負だった。瞬く20$が消え、40$そして100$紙幣までも飲まれた。俺は焦る気持ちを抑えて、カジノを飛び出た! 日本でもあった。パチで1年に2回くらいはこういう時が。普段堅実に勝ち積み上げた金を、制御不能に陥り、簡単に失う日が。俺も愚か者と、この時痛く反省しなければならない。明日のためにも・・・。 リノの目抜きはべガスに比べ非常に小さい。カジノのネオンにどこか哀愁が漂う。最新鋭のカジノシティーに数時間前まで居た俺には、少なからずココでは良くて1週間のステイと自身の旅程を想像した。自分もLAに住み家はある。それを考えると安心する。 とりあえず一番先に目に飛び込んだ安ホテルの部屋を1泊分借り上げた。確かボナンザINNだったろうか? 部屋に着いて最初にしたことはベッドに横たわることだった。 |
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2002年08月18日 19時44分07秒
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| 俺は次の日大きな壁に打ち当たった。フラミンゴがシンボルのホテルをその日の勝負と決めた俺は慣れたせいもあってか、すぐさまキャッサーを探し当て、ルーレットコーナーへと一目散に歩いた。が、背後からスーツを着たホテル関係者が俺を引き止めた。それで彼は大きな体に似合わない優しい口調で身分証明書を見せてくれと俺に言うではないか!俺は惚けて日本人のティピカルな観光客を装い、アイドントノウを連呼する。俺はまだ18歳だ。素直にパスポートでも見せてしまえば、追い出されてしまうのは必至だ。しかし彼は身分証明証を提示できるまではここで遊ばせないと、冷静そうに笑みを浮かべ俺へ言う・・・。 俺は抵抗は無意味だった。フラミンゴを後にした。それで車には乗らず、歩いていける隣接するカジノへ足を運んだ。しかしそこではルーレットに熱中しているような客は皆無で、全体的に閑散としているではないか。俺はここでも様子を見るだけで勝負を保留した。 俺はその周辺のカジノへも見学したのだが、なんだか閑古鳥が鳴いている。 俺は焦る気持ちを抑え、当時最新で一番人手の多いKと最後の晩餐をしたSパレスへピーターのハンドルを切った。苛立つ身体を抑制してゆっくりとカジノの大部屋へ突入した俺の視界に溢れんばかりの客が入ってきた。真っ先にルーレット卓へ滑り込み手に握った20$札をチップに替えようとした瞬間、スーツを着たダンディーな大柄な男が俺の肩を叩きつつ、ID見せろと言ってきた・・。 俺はその日勝負を諦め、恐縮した身体を解すためにカラッと暑くなった砂漠の気候に逆らわず、Tシャツ短パンに着替え、ピーターをカジノ街から引き離し、住宅街方向のとあるモールに入った。そしてそこで俺は何気なく映画を見た。そこで上映していた3つの映画のうちの一番笑えそうな映画をチョイスした。そして首が疲れることも考えずに最前列でスクリーンを見つめた。 それは大当たりな映画だった。笑えて感動し、英語のあまり解らない俺でも内容が簡単に理解できた。「シスターアクト」というタイトルのそのフィルムのストーリーはこうだ。、まず、主人公が黒人女性シンガーで、リノというカジノ街で暮らす彼女はタニマチ風のマフィアの重大的な弱み(殺人現場)を目撃してしまい、街にそのまま居る事に危機感を感じ、サンフランシスコへ逃げ、修道院で尼に変身して彼女はゴスペルをソウル風にアレンジし、それが大いに受け、ハッピーエンドとなる。映画の舞台となったリノ街の寂れた風景が俺をなぜだか惹きつける。俺は気がすぐに変わり、すぐにホテルへ帰り地図でリノの位置を確認し、荷をまとめてチェックアウトした。自分の思うまま旅をしよう。この金が続く限り・・・。 リノへ着くのは真夜中だ。疲れたら途中で休もう。 |
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2002年06月30日 15時39分47秒
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| 俺はラスベガスでカジノ三昧な日々を過ごすため、Kと別れ初めての朝が来た。 最後の晩餐後、呆気なくKはLAへ帰った。俺に連絡先もまた会おうとも言わずに・・。 まず俺は熱いシャワーを浴び、身を清めてスターレットに乗り込んだ。今日からコイツと共に旅をするのだ。念のため無免許の俺は高校時代に取った日本の原付免許を財布に帯同した。 俺はメインストリップに程近いサーカス見ながらカジノが楽しめるホテルで初陣を切ることにした。まずビュッフェ方式のブランチで腹を満たし、サーカスを見届けた後、いよいよカジノルームに突進した。 ゆっくりと館内1周しつつ各ゲームを偵察した後、俺はやはりルーレットの卓へ腰を据えた。俺は勝負をせず様子を窺い、チャンスを待った。手に握る20$チップを赤に張ったのは5ゲーム過ぎた頃だ。俺は熱くなったカモ的客が黒に50$を張ったのを見届け、黒人ディーラーがノーモアベットと叫ぶ直前に裏目に20$チップを張る。そして俺の賭けは正解だった。一回勝ったところで俺は早々と逃げるように卓を後にした。今日の勝負はこれで終わりだ。俺の編み出した勝利の方程式を説明しよう。まず大勢で盛り上がっているルーレット卓を探す。そしてディーラーと各客のクセを観察し、適時と見れば赤黒どちらかに20$を張る。0,00,000の目に他の客がチップの山を築いてあれば尚、好材料だ。その勝負で負けた場合、次はまた違う卓、又は他店に移り、同じ勝負で50$張る。そこでも負けてしまえば、再移動をして適卓を探して、ラストチャンスとして100$張る。1回当たればその日のカジノはきっぱり終了だ。前日ルーレットの球の動きを熟視した結果、ディーラーの腕よりも、監視カメラの映像を監視する者が簡単に遠隔操作できてしまうことが解った。ホテル側がいつでも客を楽しませつつ、効率よく銭を吸い取ることができると想像した。なので勝負はワンチャンスで勝っても負けてもその卓を後にする。ブラックリストに載る可能性はゼロだ。なぜならば、ラスベガスには吐き気がするほどカジノはあるのだ。毎日勝負の場を変えても1年は費やすだろう。1度勝負した卓はもう当分行かなくても済む。3回勝負に敗れれば、べガスとおさらばしよう。 俺は次の日、魔法のランプが似合いそうなAホテルに勝負の場を移し、そこでもアッサリ1回で的中だ。そしてカジノを抜け出しピーター号(スターレットに俺が名づけた名前。なぜなら前オーナーがピーターという名前だったらしい。)で初の長距離ドライブにガソリン給油をした。灼熱な荒野のハイウェイをかっ飛ばし、グランドキャニオン西側で見たサンセットは大地の褐色と同化し、深い感動と大地の偉大さを俺の体内に教え込んだ。俺は景色の一部になり、自分の今している行動に驚きを感じ、誰も信じてくれないであろう出来事を一つ一つ思い浮かべ、思わず苦笑いをする。そして心に一つの決意をする。それはこの国に身を捧げることだった。 |
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2002年06月25日 20時10分19秒
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| 俺の1992年6月〜 |
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2002年05月21日 20時25分21秒
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| 俺の1992年3月〜5月の日記 |
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2002年05月21日 20時22分22秒
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| 「進学なんてしない。就職なんてもっての外だ。俺はこの指と眼が働く限り、コレをやりさえすればどうにかなる・・・。」俺は将来を話すとこんな感じで交わしていた。 俺はクラスメート達が次々に各々の進路を決めている最中、暇さえあればスロットに通った。選択授業もスロットのモーニングに必ず通えるような時間を選んだ。例えば、朝学校に行き、1時間目地理2時間目〜3時間目フリーなのでスロット、4時間目は国語そして5・6時間目体育という曜日もあった。無論俺は、その日は1時間目地理の授業をクラスで受け、9時30分に終了すると、空かさず高校から原付で20分くらいの場所にあるC店に滑り込み、モーニングサービスの(ビッグフラグ)入った目当ての台を確保し、必ず千円が最低でも4千円にはなっていた。時には2万以上稼ぐ日もある。それで換金をし学校に戻り、4〜6時間目をマジメに受け、放課後にダッシュで夕方から爆発するD店やT店に入り、閉店まで打つという具合だ。モーニングには週大体で5日は通うことができた俺は高校卒業前に既に120万円もの金を部屋に隠し持っていた。 簡単に札束を稼げることを覚えてしまった俺は、進学など当然考えず、日々スロットでどのような方法で暮らしていくかを考えていた。 そして卒業式当日前夜。俺は布団の中で色々と考え込んだ。『俺から学生を取ってしまったら単なるパチプロだ。1日中パチンコ屋でスロットを打つのが職業だ。そんな不健康で社会認知されない自由業を楽しんで続けられるのか?いや。何れ飽きるか負けるかして、止めてしまうだろう。それに家庭を持つことがきっかけで止める可能性もある。120万も貯めこんだし、今しかできない何かを探そう。』少ない知恵を搾り出した。なんせ進路をパチプロと決めている俺に毎日当り散らす親が階下に住んでいる。このままでは家に居ることすらできなくなってしまう。 春一番の暖かな風が俺の部屋の窓を叩く。明日が式というのに眠れない。 その後布団の中で唐突に閃いた!俺は海外に住むことを計画しだした。そして卒業式の当日には数人の連れに「俺は海外留学に出ることにしたんだよ。」と物を大袈裟に言い切った。誰も信用なんかしていなかったが・・・。 しかし、式も終り社会へ放り出された俺は海外なんか目もくれず、やはり朝から閉店までパチ屋の汚れた空気の中にいた。しかしさすがに1週間もしないうちに俺はその生活を捨ててしまい、将来を摸索しに本屋に入り、偶々購入したロサンジェルス便利帳に魅了された。思いついたら即実行の俺だ。3日後にはリュックに最低限の荷物を詰めLA往復のチケットを握り締め、成田へ向かった。 (その1つの行動が8年にも及ぶ放浪生活になろうとは無論思いもしていない。) |
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2002年05月21日 20時18分48秒
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| 俺、アメリカへ 都内某ホテルから乗り込んだリムジンバスは、いくつかのホテルに立ち寄り、その後、湾岸高速に入った。今日のアメリカへの出発を見送ってくれる奴なんかいない。何故なら、俺のこの行動を知っているのは俺のオヤジだけだ。オヤジも直ぐに俺が帰ってくるもんだと思っているに違いない。俺は当分帰らない覚悟を決めている。 湾岸高速をひた走るバスの右前方からシンデレラ城が見えてきた。高校時代の彼女との甘い思い出を回顧した。あいつも大学へ進学し、きっといい男と付き合うんだろうな。スロット中心のいい加減な俺に愛想つかしたもんな。何だかセンチになってくる。もっと優しくしてあげればよかったな。と後悔しているうちに、バスは予定どうり2時間弱で成田空港に到着した。カウンターで航空券を受け取り、出国手続きを難なくこなし、現金10万円を$に替えコーヒーとタバコを一服決めているうちに、搭乗案内の知らせがきた。俺の心臓は一気に高鳴ってきた。いよいよニッポンと産まれて初めてのお別れだ。英語なんか全く喋れん。向こうでうまく生活ができてしまうのか?右も左も判らない幼稚園児のような感じなのか?不安も多々出てくる。家へ帰れるのは今のうちだ。俺って実は自分で自分を苦しめているのであろうか? しかし俺は大韓航空のライトブルーの機体に飛び乗った! 『GOOD BYE 皆さん お元気で!!』 まるで俺は自殺するかのような気持ちだ。 LAX行きのKE002便は予定通り日本を離陸した。 |
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2002年05月21日 20時17分17秒
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| 不安だらけの俺とは裏腹に、大韓航空のライトブルーの翼は順調に日付変更線を越え、アメリカ大陸へと近づく。俺は唯一の頼り、LA便利帳を余す所無く読み干した。LAに知り合いもいない。ホテルなんかも予約していない。英語も喋れん。右も左も分からない俺はまず今日LAに降り立ち、どこに行くべきなんだろう? 消灯していた客室にライトが灯り、窓が次々と開けられた。あと2時間チョットで着陸らしい。ヤバイ!俺はまだ目的地が決められない。とりあえず、お友達でも機内で作るか?俺は周囲を見渡した。ダメだ。同年代のヤツは皆留学生に見えてしまう。きっと指定されたルートが彼らにはある筈だ。サーファーらしい兄ちゃんには、しっかりロコガールが横に付いてやがる。きっと俺はウザい存在になるだろう・・。呆気なく友達作りを諦めた。 ライトブルーの機体は徐々にコードを下げていく。窓側席の俺は外を何気なく見た。なんと機は砂漠地帯上空を飛んでいる。一面、建物なんてありゃしない。やがて高速道路のような舗装道が見え始め、その支線で一本の道が真っ直ぐ伸びている。その間道路に車を一台も見ない。やがてその一本道は馬鹿でかい農場に繋がり、一軒の農家がある。そこで初めて俺は一台のピックアップトラックを見る。でかすぎるぜ。この一軒の農場以外見渡す限り荒野だ。俺は胸が異様に高鳴り始めた。俺はアメリカ大陸を地上から楽しんだ。 機は順調にLAXに到着した。そして左足からアメリカの大地に降り立ち、長い時間をかけたイミグレを無事通過した。無論、到着ロビーに待ち人はいない。さぁどうしよう。頭がスロットのやり過ぎでデジタル化していることに気付いた。普段使っていない脳みそをフル回転させル為、とりあえずコーヒーショップで初めてドルを使い、一服ニ服タバコを呑んだ。結果、安全牌を選んでリトル東京に行きを決めた。重い腰を上げ、LAXの外に出た瞬間、眩しいカリフォルニアの西日が出迎えてくれた。バス乗り場を便利帳で確認していると、長身でやせ細った初老の黒人男が俺に近づき、早口英語で喋りかけてきた。暫く彼の言葉の理解に苦しんだ俺は、彼がTAXIの運ちゃんで、俺をリトル東京へ40$で運んでくれるというのが判った。その言い値に俺は乗り、彼は直ぐに駐車場から一昔前の型の黄色いビュイックを目の前に持ってきた。俺は後部席にリュックを乗せ、助手席に座った。車はフリーウェイに入った。彼の早口英語がどうしても理解できない俺は、外の景色を見入るより彼の英語に耳を傾けることに神経を使ってしまった。サンセットタイムに突入した西空が徐々に赤く染まった頃、前方からビル群が見えてきた。彼はそこがLAのダウンタウンと言った。そしてそれらのビルの大半がジャパニーズが買収した。と連呼した。日本はバブル真っ只中だが、アメリカはどん底らしい。そして車はダウンタウンビル群中心部のEXITで下りた。既に西日が落ち始めオレンジ色の外灯が点いている。ダウンタウン中心部は意外と閑散としていて、店も既に閉まっている所が多い。そして車はビルを潜る感じのトンネルに入った。そう!映画ブレードランナーで見たことのあるトンネルだ。トンネルを抜けた瞬間に俺はショックに陥った。歩道部分の右も左も家のない肌の黒い方々で溢れている。火を焚いている奴もいれば小さな子も大勢いる。アベックでダンボール上に横たわっていたり、一人でストリートダンスをしてる奴もいる。メチャヤバイエリアではないか!さてはこの黒人運ちゃんは俺を騙しているのではないか?俺は心臓ドキドキだ。全財産をリュックに入れている。これを盗られれば、即ゲームオーバーだ。しかし命だけでも助けて欲しい・・・。どのような方法で俺はやられちまうのだろう・・・。あたかももう騙されている気持ちに陥ってしまった。 しかし車は次のブロックを左折すると徐々にではあるが、ホームレス達は疎らになり、やがて俺の充血しきった眼に18年間親しんできた文字のネオンが飛び込んできた。そう。ここがリトル東京だ。俺はタムと名乗るこの黒人運転手に生まれて初めて心から感謝した。「サンキュウ!タム!!」 俺はリトル東京に無事到着した。 |
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2002年05月21日 20時15分56秒
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| 既に夜を迎えている。俺はとりあえず、今日のネグラを探すためにリトル東京の中心部を徘徊する。多数の日本人・日系人向けのお店はあるのだが、住処となると皆無のようだ。高級ホテルが数棟あるが・・・。スーツを着た日本人の団体が車を路上に停め、クラブへ笑いながら入っていく・・・。そんな光景ばかりが目に入ってくる。旅行者たちは一体どこにいるのだろう・・。俺は夜が更けるのを恐れ、リトル東京中心部を一周した後、日系のMホテルに恥ずかしながらINした。フロントの男性は日本人だ。そのフロントマンは幸いにも部屋を飛び込みの俺に与えてくれた。さらに彼は様々な情報を困惑気味の俺に教えてくれた。彼の一言一言を師の説法を聞くように耳を傾けた結果、俺は明日の行動目標ができた。10時にチェックアウトし、歩いてヤオハンで情報を集め、その後バスに乗って、フロントマンから聞いたボーディングハウスとか言う名の長期滞在者向けの安宿に行くという予定だ。 Mホテルの小奇麗な部屋に入るなり飯も食わずにベッドに倒れこんだ。18年間生きてきてここまで興奮し疲れた日などなかった。アメリカ最初の日がこうして過ぎていった。 どれ位眠ったのだろうか。窓のカーテンの隙間から一筋の陽光が部屋に差し込んでいる。腹が食べ物を欲している。機内食を食べてから何も食べていないことに気付いた。急いでシャワーを浴び、荷を整え、チップを教科書通りに枕元に置き、部屋を飛び出て階下にある日本食レストランでカレーライスときつねうどんを夢中で腹に入れた。そしてMホテルを颯爽とチェックアウトをした。 ロビーをでたら燦々と輝く陽光とカリフォルニアの青い空が俺の眼を襲ってきた。とりあえず土産屋の店頭に置いている安物のサングラスをゲットし、教科書通りにヤオハンへ向かった。 ヤオハンはリトル東京の外れに位置し、広大な面積を持つスーパーだ。一歩中へ入ると程よい冷気が出迎えてくれた。日本人向けのテナントがいくつもある。ここさえ来れば、日本の生活グッズが大体揃ってしまう。LAとはいえ、ここまでこの地に日本人文化があるということに俺は驚いた。奥まった所にあるコーヒーショップでタバコを一服し、便利帳を広げた。周りから聞こえてくる言語も日本語オンリーで、東京の生活と変わりはしない。しかしこの周辺を一歩出れば昨晩タクシーで通ったような黒人ホームレスエリアに出くわしてしまう。油断はできない・・・。 俺は3本目のタバコを灰皿に押し潰し、重い腰を上げ、例のボーディングハウスへと出発した。まずベニスブルーバード沿いを通るバスの停留所まで歩いた。停留所はリトル東京とダウンタウン高層ビル群の間に位置していた。徒歩10分といった位だ。 停留所に着くなり俺は便利帳に記載された地図と停留所の位置を目が潰れる程照合した。何せ違うバスに乗ってしまったら、地獄への旅立ちになってしまう。 33VENICE・BLVDと電光掲示板に標示されたバスが停留所に到着した。確認の結果、黒人太っ腹母ちゃんが運転するこのRTDバスは、どうやら正真正銘俺の目的地を通るようだ。便利帳で勉強したお陰で、運賃等を予め知っていたため、スムーズに乗ることができた。バスは一路ハウス方向へ動き出した。車内は色とりどりの落書きに侵されており、防犯カメラまで設置されているではないか!乗客全てが肌の色が濃い方々だ。俺は不安いっぱいだ。何せ全財産がリュックにある。果たして無事に目的地へ辿り着けるのだろうか? |
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2002年05月21日 20時13分38秒
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| 時は天高く昇ったお天道様が西へ傾きだしたエイプリルの昼過ぎ。俺はダウンタウン発ベニスブルーバード経由サンタモニカ行きのRTDバスの後部席で揺られている。目的地の日系人が経営するボーディングハウスへ行くには、ウエスタンアベニューとの交差点で降りなければならない。昨日LAに着いたばかりの俺には唯一、便利帳に記載されたダウンタウン周辺地図のみが頼りだ。幸い大通りとの交差点の信号機下に交差するストリートの名がデカデカと書いてある。俺は英語がまるで喋れないので、こうする方法しか無かった。周りの乗客は、何だか目つきが怪しい野朗や、どう見ても金が無いような風貌のババァ達とその連れのガキといった冴えない連中ばかりだ。町並みも段々といじけた感のある造りになってきた。俺は日本のTVで観たNYのスラム街(ハーレム)を思い出し、本当に日本人アパートなんて在るのか不安になってきた。車内最後部の防犯カメラは作動し続ける・・。 ダウンタウンを出て20分位経過しただろうか。目的のウエスタンAVEとの交差点に辿り着いた。だが降り方が全く分からない。前の停留所で降客を観察した結果、押しボタンが無いのに降りる奴は何かで合図をしているようなのだ。何だろうか?ヤバイ!バスは停留所を通過してしまうではないか!! 「ストップ!ストップ!!」 自然と俺は大声をクロブタ運転手へと上げてしまった。バスは停留所を20Mオーバーし止まってくれた。初めて英語が通じたのが照れくさい・・・。(後にバスを止める場合バスの席上のあるロープを下へ引っ張ることが分かった) 交差点は四方ショッピングモールに囲まれている。スーパーもあれば靴屋や服屋、薬屋にファーストフードと何でもこの周辺には揃っている。偉く便利だ。ついでにハングル文字の店が何軒かあるのには正直安心した。 俺は直ぐに日本人の例の安宿を見つけた。交差点から1本目の路地の入口に在った。つまり店舗群の裏路地を挟んだ向かいに建っている。ロケーション的には便利な気がした。 人の背丈くらいもある柵に囲まれた敷地内に入るには、鉄でできた頑丈そうな門を誰かに開けてもらわなければならない。一服しながら待つことに決めた。煙草がうまい。胸が高鳴っているからだ。スロットでボーナスを引き当てたとは比べることもできない位、興奮している。生きているってこういうことなのか?俺はこの国では赤ちゃんに毛が生えた程度の存在なのだ。しかし赤ちゃんと違い何をするのも自分の判断だ。西へ行くのも東へ帰るのも。世間体なんかここには無い。妙に肩の力が取れた感じだ。自由を肌で感じる。俺はこの地に来て良かったとこの瞬間早くも悟った。 敷地の奥にある離れから初老の日本人らしき女性が出てきた。俺は空かさず、俺の存在を彼女にアピールし、やがて門扉を開けてもらい、彼女に俺がここに来た経緯を得意の日本語でまくし立てた。彼女はどうもここのオーナーらしい。部屋の内訳は俺の望む1人部屋が月320$で平日の朝夕2食飯が付くらしい。しかし1人部屋は不運にも通りに面した狭い部屋しかないと彼女は説明し、俺をその部屋へ連行した。確かにそこは狭い。4畳半位か。この建物は昔は病院で、その角部屋は病院の受付だったそうな。しかし丸い出窓から例の交差点が一望でき、人間ウォッチングなども部屋にいながらできてしまう。俺は即決した。 オーナーと契約を済ませ、デポジットとあわせ2か月分の家賃を払った俺は、部屋に戻り、白いカーテンを開け、部屋隅の病院式パイプベッドに横たわり、外を観察した。交差点周辺には色んな奴がいる。10年以上前の古いラジカセを持って踊っている黒人や、新聞の内容を議論しあうホームレス、それに大勢のモールへの客にストリートを通行する車たち・・・。この部屋で1人になり、冷静さを取り戻した俺は、異国の風景を初めて堪能した。そしてハウスの夕食が5時からなので、ちょっくら外を散策しながら、ファーストフードをシバくこと決め込み柵の外へと出た。が、直ぐに黒人ホームレスが俺へと近づき、なにやら腹が減ったから金を貸してくれみたいな事を早口英語で頼んできた。俺はビビって思わず1$お布施してしまった。すると彼の仲間がいかにも獲物を見つけたような感じで通りの向かいからニヤケながらすっ飛んできた。間一髪、俺はハウス内に逃げ帰った。参った。これから毎日彼らにショバ代ならぬ、お布施をしないといけないのか?俺は新学期早々上級生からいじめに遭った状態に陥った感じだ。日本の我が家の戸を開けたら直ぐ乞食がやって来て金クレなんてとてもありえない話なんだが・・・。部屋に戻ると窓の向こうからさっきのホームレスが白い歯を覗かせこちらを観ている。カーテンを申し訳なさそうに少しづつ閉めていった。最悪だ。何だか肩に力が入ってきてしまった。 |
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2002年05月21日 20時12分26秒
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| 本日も夕刻がやってきた。俺は腹が減って死にそうだ。なんせ外に出ると奴らの餌食になってしまう。5時になればハウスの食事にありつける。俺はバットな気分まっしぐらだ。やがてカーテンのわずかに残しといた隙間から、日本人の住民たちが食堂のある離れへと入っていくのを俺は確認した。ヤングな爽やか体育会系兄ちゃんが先陣を切り、それにロッカー風長髪野郎に髭ボーボー山男とオタクオヤジが続く・・。俺に合いそうな奴など一人も存在しないのではないか?ますます不安だ。お友達を作って色々情報を聞き出したい俺なのだが・・・。部屋をある建物を飛び出し食堂に向かった俺をさっきのホームレスが訳のわからない英語で冷やかしてきた。俺は急ぎ足で食堂の離れへ入った。先程のハウス住民の面々が新参者の俺を気にしている。俺に孤独感がまたしても襲ってくる。夕飯の献立は完全な日本食だ。セルフ方式で好きな席で食べれる。俺は適当に好きなおかずを皿に盛り大テーブルの角席に着いた。皆さんは無我夢中でメシを食いやがる。山男にいたっては、周りを気にせずエライ食い音だ。こいつら何しにここまで来てるんだろう。アメリカンドリームを求めているとは到底思えない。日本を離れて2日目の俺にとっては不味い味だった。同じテーブルに4人居るのだが会話が全く聞こえてこない。俺も彼ら同様無言に徹していた。だが、メシを食い終えた頃に、顔が真っ黒に日焼けした、一目でサーファーと判る青年が懐っこい顔で食堂に入ってきた。俺は横目で彼をマークし、彼が席を探す頃合いを見計らって会釈をした。彼は俺の隣に食を置き、やはり懐っこそうな瞳で俺のここまで来た経緯を聞いてきた。そこで俺らは暫く夢中で会話を交わし、次第に俺の無知さを知った彼は、早速俺をドライブに誘った。俺は嬉しかった。アメリカに来てようやく信頼できそうな仲間ができた。やはり彼もこのハウスでは浮いている存在で、孤独だったそうだ。彼の名はKといい、大学を卒業後アメリカ西海岸をサーフボードと共に旅を続けているのだそうだ。俺も千葉へ東京から電車でサーフィンしに行く程、波乗りに夢中になっていたので、彼のような旅にメチャ憧れていた。ともかく、今晩のドライブを期待することにしよう・・・。 |
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2002年05月21日 20時10分54秒
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| 美味くもないクソ日本食で腹をなんとか充たした俺はKとの約束を交わした後、部屋へ戻りタバコを一服した。そしてカーテンを恐る恐る開け例のニガーが視界から消えているのを確認し交差点付近をボンヤリ眺めた。既に日も沈みきり夜へ突入している。街灯からオレンジ色の光が放たれLA中はオレンジに包まれている。この色が余計に俺に犯罪シーンを連想させてくる。今まで日本のTVで夜のLAはヤバイ様子しか日本では放映されてなかったんでは? 交差点にあるハンバーガー屋はレジを挟んで客と店員は一枚の厚いガラスで遮られている。防弾ガラスであろう。この辺では頻繁に強盗があるんだろうか?通りを歩く奴は皆危なさそうな感じがしてくる。 上空ヘリコプターが爆音とともに飛来してきた。かなりの低空飛行だ。一瞬眩しい光が部屋に差しこんできた。ヘリからサーチライトで地上を照らしているようだ。犯人を追跡しているのであろうか?それとも日常茶飯に行われるパトロールなのだろうか?カッコよすぎる。18歳の俺にはこのスリル感に血が騒ぐ。生きている実感が湧いてくる。 俺の部屋の窓外に一台の車が来て止まった。kだ。俺に手招きをする。俺は一番マシな服に着替え、kの日本では最近見かけない古いセリカの助手席に乗り込んだ。ラジオからソウルが流れてくる。ハウスの重い門を開け車はストリートに雄叫びを上げつつ突進した。オンボロセリカはベニスblvdをダウンタウン方向に進みノルマンディーAVEで左折しピコblvdで右折した。kの目つきが段々鋭くなってきたことに気付いた。ハウスではじめて見た印象とはえらく違う。やがて小さな路地に車が入り暫く進んで停車させた。kは辺りを見回す。車の背後から口ひげのメキシカンがkの元へ近寄り、紙袋を運転台に投げ入れた。すかさずkは10$紙幣を彼に渡した。やがて車を再始動させた。紙袋の中身を俺は調べた。やはりメキシコ産のモタだった。必然的に俺が巻きを作って火をつけた。kは顔の鋭さが抜け落ち再び人懐っこい顔になっている。一服ニ服しているうちに世界に入った俺たちはラジオをつまみにLA周辺をドライブすることに決めた。 フリーウェイに乗る前に韓国人のリカーショップでコーラにスナックを買いパトロールに備えた。とりあえず喉がコーラを欲しているので店先で一気に飲みこむと、その炭酸のパンチで思わず拳を突き上げオーウイエーイと叫んでしまった。それを見ていた韓国人店員は俺を軽蔑した目つきで睨みつけてくる。俺はトンじゃったんだな。kは爆笑中だ。 俺はLA青い空よりオレンジ色の闇が好きだ。その晩kと朝までLA中をパトロールした。 |
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2002年05月21日 20時08分49秒
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| 朝飯時刻が決められているせいで、朝7時半ラジオ付クロックのアラームで俺は目を覚ます。昨日のトビは身体には残っていない。 まだこの地で未熟な俺はこのボーディングハウスでKというナントも心強い連れができた。 パンにソーセージ、卵、サラダにコーヒーといかにも朝食らしいメニューを胃に流し込む。食堂には20席もある椅子がほぼ埋まっている。可愛くもないがブスともいえん顔にあどけなさの残るオンナもいれば、子連れのオバサンに出勤前のスーツ姿なおじさんもいる。長く生活している感じだ。何故ここが居心地がいいんだろうか?こいつら車ナシでここの敷地外へ出ているのだろうか?きっと訳アリで日本へ帰れない奴や、金が無かったり、日本人恋しさでここにいるって感じなのだろう。 俺は誰とも会話をせず、2杯目のコーヒーをマイカップ(日本から持参)に注ぎ、kの部屋へ向かった。Kは俺の部屋の階上にある。 Kは朝が苦手なようだ。数回ノックしても起きはしない。昨晩のドライブ中の会話で、ハウスの朝食時間に起きることが苦痛などと話していたKを思い出した。俺はマイルームに引き返し 、1人で散歩に出ることを決行する。便利帳のダウンタウン周辺地図を頭に入れ、サングラスと1$紙幣7枚を取り出し、重い門を開いた。昨日1日で慣れたのだろうか、サファリパークを歩く心境にはなっていない。今日はあのホームレスは辺りにいない。ひと安心だ。カリフォルニアの日差しは午前中から眩しい光で俺を襲ってくる。このエリアはホント外を歩く黒人が皆ホームレスに見えるほど、それらしき人物が、たくさんいる。アメリカは日本のせいもあってか、景気どん底だ。いつ金を集られるか心配になってくる。なるべく目をあわせなくし、現地人に歩調を合わせ、デレーッと歩いた。それが幸を奏していたのか、俺に声を掛けるクロンボは皆無だった。途中喉を潤すために韓国人経営のリカーショップに立ち寄り、コークをゲットした。経営者と思われるコリアンのおばちゃんは俺を最初韓国人と思ったのか、韓国語で話し掛け、やがて英語になり最後に俺が日本人と判ったのだろうか、カタコトの日本語を喋りだした。彼女との会話で彼女は今の北朝鮮で生まれ、2度の戦争を経験し、韓国で暮らして夫をベトナム戦争で亡くし、アメリカに来て15年で今は何とか親類でこの店を切り盛りしているとのことだ。何か被害者意識旺盛な方で、俺に色々と過去の悲しみを語りかけてきた。俺はついでに当時日本で発売されていないマルボロメンソールを買った。 ストリートの街路樹の役目をしているパームツリーの木陰でコーラとメンソールをシバきながら、今後の予定を考えた。まずサーフ用品をゲットすることだ。Kのお薦めショップに連れてってもらおうか。それから昨日のメキ草でキメたい。 |
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2002年05月21日 20時06分38秒
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| 夜とは対照的に強い日差しに照らされ平和に守られたロスの午前10時過ぎ、俺は散歩を楽しんでハウスに戻った。そいてKの部屋をノックした。Kの部屋は俺の部屋よりひと回り大きい、白い壁と天井に囲まれ、以前は病室だったことを思わせる。Kはドアを開け俺を部屋にあるパイプ椅子に座らせ、昨日あったパトロールの出来事を語り合い、本日の行動予定を決めた。Kは毎夕サーフィンをしているらしい。道具をアメリカに持ち込んでない俺は、海に行く前にショップに立ち寄ってもらい、ボード、スーツ等を買い揃え、波乗りに備えることをKにお願いした。 とりあえず巻きを用意し、ハウスでは匂いでバレてしまうので、Kのオンボロセリカに乗り込み、通りにて一服だ。今日は真昼間からキメだ。 ウエスタンAVEを北上し途中ジモッチで賑わうメルローズのカフェでKはブランチをシバいた。Kの行きつけのその店で店員の年増の白人女性がパンケーキにタンマリとメイプルシロップをかけ、ミルクのみを注いだアメリカンコーヒーを持ってきた。どうやらKの恒例メニューで、これ以外彼は頼まないようだ。Kはいつも決まったコースで生活を送っている。俺も見習いたい。俺もマンチ状態に陥っており、同じメニューを注文した。そしてそれを無我夢中で食べ干した。シロップの砂糖の甘さがストレートに俺の口中を襲ってくるが、ミルク入りコーヒーがそれをマイルドコートしてくれ非常にOkなテイストだった。こいつは楽しみだ。 俺はボードを買う金が足りないことを思いだし、ハリウッドにあった銀行で30万円をエクスチェンジした。よって約2000$を手に入れた。アメリカにきて3日目で約15万円使ってしまった。15万円(約1000$)の内訳は最初の晩のMホテル100$ハウスの部屋代2か月分640$残りは飲食費等だ。 Kの車はハリウッドのチャイニーズシアターを超え、サンセットブルーバードを西へ進みビバリーヒルズの超高級住宅街と広大な敷地を持つUCLAを通り、信号待ちで再び巻きに火を点け、しばらく進んで遂に海にぶつかった。サンセットビーチだ。ラジオのオールディースチャンネルからドアースのライトマイファイアが流れてきてトビも手伝い気分は盛り上がる。ビーチ沿いに作られた道路パシフィックコーストハイウェイ(pch)を北上し、Kの行きつけの店、ズマジェイサーフボードに到着した。ショートを買いに来た俺だが日本でも有名なメーカーボードが大体日本の2分の1〜3分の1で売られているのに驚き、リンデンのボードとリップカールのウェットにその他パワーコード等を即決買ってしまった。ボードが450$でウェットスーツがスプリングで80$全部で税込み600$だ。 そしてKのオンボロセリカのキャリアに2枚のボードを載せ、Kのいつも行くポイント、カウンティーラインへ到着した。唯一通りにある店のシーフードレストラン駐車場にはハーレーダビッドソンが数台止まって不良オヤジどもが屯している。非常にそのおっさん達を見て俺はアメリカに来ている実感がまた湧いた。日本でこんな中年オヤジの不良なんて銀蝿軍団や矢沢ぐらいなんじゃないか?さらに1960年代の馬鹿でかいキャデラックを10代の白人少女が1人で運転している姿もなんともカッコイイ。 下ろしたてのウェットに着替えボードにたっぷりワックスを塗り、歩いて自然のままの未舗装な道を進み、崖を下ってビーチに辿り着く。時間は15時を回ろうとしている。準備体操を終え海水に一歩足を入れると非常に冷たいので焦った。どうやらこの一帯は寒流のようだ。Kは既に沖へ行ってしまった。俺はじっくりパドリングをしポイントへ到着した。トタンにセットの歓迎を受け、スピードに乗ったはいいが、そのまま立てず、崩れる波に巻き込まれメチャクチャにされた。しかしこの一撃で俺はこの波の素晴らしさを知った。人も平日だからか疎らだ。白人に混じって日本人や日系人のようなサーファーもいた。Kのライディングはプロのような上手さだった。俺はその日は1回も上手く乗れることができなかった。要練習だ。サンセット前に陸に上がり、セリカに隠し持っているモタの巻きを一服し、海に消える太陽を見届けた。 さぁ闇の世界に突入だ。いってみよう! とりあえずハウスの飯をゲットしないといけないので、高速に乗って帰る事に決めた。海岸線に洒落たバーが要所要所にあったのでいつかは遊びに行ってみたい。ちなみにKは酒が飲めない。 10番のフリーウェイを東へ進んでノルマンディーで下りた。そこにはkが絶賛するドーナツ屋がある。土産にフレンチクルーラーとシナモンを振りかけたマフィンをゲットした。しかし誘惑には勝てず、それらを思わずその場で食べてしまった。フレンチクルーラーはできたてで、まだパンが熱く中が半熟のように溶けていて舌触りが癖になる。マフィンはコーヒーと併用でいただける。そして俺はまた同じものを注文してしまった。 |
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2002年05月21日 20時04分40秒
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| 俺はいつものように午後Kと海へ行き、波とサンセットを楽しんでダウンタウン外れのハウスの自室に戻ってきた。 咄嗟の思いつきでロスへ来て、あっという間に10日がたとうとしている。この地へ来てKと知り合いハメ外しの日々が続く。いやっ、高校卒業してからかも知れない。何せ勉学や、まともな仕事もしていない、遊び人の身だ。頭の奥へ追いやられた俺の良心というものが、盛んに俺に何か警告を発している。妙に焦りが募ってくるではないか! ハウスの晩飯を誘うKが俺の部屋をノックする。しかし俺は今晩1人で考えたい。 「疲れているから、今日の夜の部は欠席いたします。」 俺は申し訳なさそうな声で、Kに食後恒例のナイトパトロールに行かないことを告げた。 Kも毎度のシュケジュール通りは行動せず、オンボロセリカを休ませるようだ。 俺は久しぶりに1人で過ごす夜に興奮した。 とりあえずマンチ用のお菓子とドリンクを馴染みになったコリアンリカーショップのおばちゃんの所でゲットし、ハウスの共同シャワーで身を清め、部屋に戻り、ラジオをオンにしてカーテンを半分開け、電球を消しメキシカンモタに火を点けた。自分がラジオの世界へ徐々に入っていくことが分かる。チャンネルは105.5KNACだ。俺の好きなニルバーナやパールジャムが俺の身体を揺さぶる。そして視点は窓の外の通りにおいた。今晩は次の日が休みでもないのに多くの人で賑わっている。というか動物園状態だ。何かがあるのか? 黒人どもの独特な早口英語があちこちから俺の耳まで飛び込んできやがる。 俺はカーテンを閉め、ベットに横たわった。しかし何時間経っても眠りにつけない。外が余計に騒がしくなっているのだ。ラジオ付きクロックの針が12時をさす。俺は白いカーテンの向こうに写るオレンジ色の街灯を確認した。がオレンジ色はカーテンを通して必要以上に揺れているのが伝わってくる。俺はベットで気になっていた。そしてそれは徐々に激しくなってきた!俺は立ち上がりカーテンの隙間から通りを覗いた。 火事だ!!! 俺は鳥肌が瞬く間に立ち、心臓の鼓動が早まった。通りを挟んで斜め向かいにあるJJニューべリーが激しい炎を上げているではないか!! 俺は咄嗟に外に出て野次馬と化した。野次馬達は心配そうな表情は全く見せず、皆狂喜乱舞している。その燃えざまをしばらく見ているうちに消防車やパトカーが全然来ないことに気付いた。そしてその建物の隣にあるウェンディースからも煙がでてきた。燃え移ったというより、全く別の火種のようだ。俺はこの騒ぎについてアナログに戻りつつある脳をフル回転させた。時は1992年、湾岸戦争で憎きフセインを米軍がアタックしていることは日本にいるときから報道で知っていた。そして遂にイラク軍がこのロスへテロを仕掛けてきたのではないか?それにしてはこのギャラリーがなにやら楽しそうに見えてくる。それにしても消防車がまだ来ない。ウェンディースまで炎が見え始めてきた。 マイハウスを振り返ってみたら数人の日本人がハウスのフェンス内に集まってこの火事を見物しているのでこの惨状の原因を探るためハウスへ引き戻った。さてこの祭りのような騒ぎと火事は何が原因なのか? |
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2002年05月21日 04時42分20秒
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| 「ドッカーン!!」「ダーン!!」 爆音に野次馬達が歓声を上げる。 木製の電柱に燃え移った火はトランス内にある油に引火したのであろう。それに店内の商品が燃えているのだろうか、凄い轟音が炎の中から聞こえてくる。時より火の粉がハウスへも飛んでくる。 ハウス住民の日本人達はこの爆音で飛び起きたのだろうか、徐々に寝巻き姿で輪に群がり始めている。俺も扉を開けハウス内へ戻リ、住民の輪に入った。輪にはロッカー兄ちゃんや大男に脱OLや南米帰りのオヤジたちに下駄オヤジ、それに怪しいサラリーマンオヤジがいた。何故こんな騒ぎになっているんですかと訪ねるとサラリーマンオヤジが俺に興奮した口調で、 「そんなことも知らないの?」と一言。 無理も無い。俺はこの地へ来て10日間TVや新聞を全く目にしていない。唯一のメディアがラジオだ。しかし俺はネイティブな英語を殆ど理解できない。 南米帰りのオヤジのうちの1人が親切に説明してくれた。よってこの騒ぎの原因が理解できた。不当に黒人男性に暴力を上げた白人警官達が裁判で無罪になり、不満が爆発した黒人がダウンタウンで商品略奪を繰り返し、それがLA中に飛び火したそうな。南米帰りのオヤジは部屋にTVを持っている。情報は確実なはずだ。とりあえず食堂にもTVがあるので俺は食堂に入った。既にそこにも数人の住民が心配そうに惨事を見守っている。なんと中継はハウスから歩いていけるオリンピックBlvdのコリアンモールが映っている。韓国人がライフルを持って自分達の店を命がけで守っている。黒人と韓国人の犬猿の仲は前にKから聞かされていた。黒人街の酒屋を次々コリアンブラザーが買収して、韓国人が先日強盗と間違えて黒人を射殺してしまった話も聞いていた。そして中継はダウンタウンを包囲するようにポリスメンが警備をしている様子を映す。LAの経済の中心だからだろう。きっとこのエリアは見放されているのだろう。 時刻は既に5時になる。祭りの血が騒ぎ始めた俺は、空が明るくなり始めたので俺はもう一度外を散策し始めた。燃えまくっているJJニューベリーの隣の靴屋から袋いっぱいに靴を持ち帰るメキシカン家族。きっとココも後で燃えてしまうんだろう。そのまた隣のスーパーマーケットから大量の商品を車のトランクに詰める方達・・・。俺はこの暴動の収拾のつかなさに心配をし、スーパーマーケットにちん入した。防犯ベルが店内に鳴り響き、皆商品を選ばないで片っ端から盗っていく。黒人よりヒスパニック系が多い。大バーゲンセールよりも物凄い有り様だ。なんせ100%OFFだから。とりあえず店内に残っていたシャンプーとナイキのシューズと車の芳香剤をとりあえず手に持ってハウスに戻った。ハウスにまだ野次馬3人いたが、腹に隠し持って無事部屋に着いた。これはチャンスだと確信した俺は、すかさず、Kの部屋を叩いた。Kはこの騒ぎにもかかわらず爆睡ブッコいていた。そしてKを叩き起こしカーテンを開けさすとKは眼を大きく開け笑い出した。Kの部屋は2Fにあるのでよりよく周囲が見える。あちらこちらから煙がでている。 Kにこの騒ぎの原因を説明しお土産の芳香剤を渡し、ナイキのシューズとシャンプーの話をすると、Kはキーを取り出し大急ぎでオンボロセリカに乗り込んだ。もちろん助手席に俺を乗せて。ハウスで屯う日本人に危ないからと引き止められたが、ちょっと海へ非難すると嘘を言うK。 さぁ、ショッピングの始まりだ。 |
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2002年05月21日 04時40分58秒
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| LAは完全に夜が明けた。昨晩から続いているこの暴動もこの明るさで終局へ向かうのか?それとも更に状況は悪化し、、生きるか死ぬかの大騒動になってしまうのか?俺は勿論後者を期待している。なぜならば俺はこの騒動に便乗し、奴ら黒人やメキヤンに混じり、商品略奪行為(放火前のフリーショッピング)に参加するためだ。どうせ焼かれてしまう商品だ。我先と奪い取らない限り明日の俺の生活が保証されない。しかもアメリカに来たばかリの俺は生活品をこれから買おうとしている身だ。ハウスを飛び出たKと俺はまずオンボロセリカを交差点のモールパーキングに着けた。そこで信じられない光景を見る。交差点四方に大型店舗が犇いているが一部の店舗を除きフリーショッピング状態だ。それに商品をとり尽くされた店やファーストフードからは黒煙が上がり始めた。俺らは火が廻る前にさっそく人で賑わうスーパーに入り、ウイスキーやビールなどを漁り取り、酒の飲めないKは缶詰商品を大量にカートに詰める。他の客も生まれてはじめての盗り放題に館内異様な盛り上がりだ。俺らはオンボロセリカのトランクと陳列棚を数回往復し、かなりの量の食品や飲料をゲットした。1週間は食い物に困らないだろう。そしてここで遂に消防車を引き連れた警官隊が到着した。なんと消防車はロスから北上した位置にあるヴェンチュラカウンティーの消防署から来たのだ。恐らくこの白人消防士達は夜が明けるのを待って応援に来たのであろう。 当然群集はポリスの登場と共にまるでサバンナでライオンに追われるシマウマのように逃げ出してしまう。俺らはアジア人なのでこういう時、逆に被害者に見られるので、ゲットした商品をトランク奥へ隠せば安心だ。 そして俺らは他のターゲットを探しに更なるアウトロー地区へ南下することを決め込んだ。ウエスタンAVEにある店舗のいたるところから煙が噴出している。マジでLA中が火の海になってしまうのではないかと思わせる。そして1軒の店舗入口に黒人のガキたちが群がっているのをを目撃した。なんと彼らは店へ突撃開始の模様だ!店はジュエリーショップだ。これは金になると咄嗟に判断したKは路上に車を止め、彼らの隅で様子を窺う。やがて1人の少年がマシンガンをドアに向け皆さがれと叫び、それを乱射した!!!さすがに車で待機していた俺はこれにはビビり、Kもマズイと判断したのであろうか、足早に引き戻ってきた。そして事態のヤバさを自覚し始めた俺たちは南下を取りやめ、北西方向に舵を切り替えた。場所はサウスセントラルと呼ばれる治安が悪くて有名なエリアだ。何かが起こっても不思議でない地域だ。 韓国人経営の店は悉く遣られている。近所の俺行きつけのあの店が気になる。その後我々は自分達のエリア方面へ戻り工具の大型店舗に入りランタンやコンロなどのキャンプ用品をゲットした。缶詰やパンケーキなどの食糧を既にゲットしているので、LAに何があってもとりあえず食ってはいける。オンボロセリカのトランクが満載した午前9時頃次第にポリスの勢力が強まり、街の交差点の至る所にショットガンを所持した武装警官が、360度周囲を警備するようになる・・・。俺らはここで任務は終了とし、ハウスへ戻った。ハウスが韓国人店舗のように遣られていない事を願いつつ。また隣のモール群の火の粉で引火していないことも祈った。 |
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2002年05月21日 04時39分55秒
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| とうとう遣ってしまった。あらゆる商店が略奪され火を放たれてしまった。明日の我が身を 心配した俺らはLAのアウトロー地区で多種多彩な物品をオンボロセリカのトランクに押し込んだ。時刻は午前10時を回った。俺らはマイハウスを心配した。俺は漸く俺の全財産があの狭い角部屋の枕元に眠っていることを思い出した。昨晩からの強行軍で自分の立場なんて考えていなかった俺は焦りが募る。焼き討ちされた俺の部屋が脳裏に浮かぶ・・・。そして車は惨忍な光景を目の当たりにした。あの俺の行きつけの韓国人おばちゃんの店が既に全焼しているではないか!俺は人生やっと幸せを掴んだとおばちゃんが俺に放ったあのフレーズが、今となって俺の胸の奥へ追いやられた何かをを熱くした。そして車はハウスへ近づく。交差点の四つ角にある店舗群は消防隊が朝方から消火に全力を注いだお陰か既に鎮火している。しかし全部で20くらいある店舗の中で、生き残ったのはマクドナルドだけだ。さすが庶民の味方だ。普段からホームレスにも35¢でコーヒーのみ放題で提供する成果の表れだろう。誰もマックにはさすがに攻撃はしないのだ。向かいのウエンディースは速攻で荒らされたのに。ここで食糧の調達が可能だ。俺とKは安心した。 昨晩からの暴れまくった奴やそれを取り巻く野次馬どもが次第に勢力を衰え、それに代わって辺りにはショットガンを持ったポリスたちや報道陣などが街に目立ち始めた。この出来事は日本の俺のオヤジには伝わっているのだろうか?(連日トップニュースで報道されていたらしいと後ほど判明。) そして交差点を右折したオンボロセリカは普段どおり変化のないハウスの門を潜った。どうやらここは無事だ。住民達はドコにも出歩いていない模様だ。俺らの帰還を見た日本人のオッサン軍団の一派がKに向かって、小言を言い出した。何故日本人なのに無謀な行動するかとか何とか・・・。勿論オッサンは俺らが略奪したなんか思いもしないだろうが、やはりここの住民達はこの地域から孤立した存在なのだろう。昨晩から命懸けだったのだろう。俺は笑えたがKは深刻な表情を浮かべ自分らの無謀な行動を反省しているのだろうか?(俺がKを唆したんだが。) 俺らはトランクから盗った商品を降ろしたい。しかしドアを開けた場所にあるソファーに日本人が屯している。Kと俺はこの場所での縮こまった生活がイヤになってきた。Kが俺にメキシコでサーフィンキャンプしよーぜと耳打ちする。そうだ!キャンプセットに缶詰もいっぱいトランクにあるんだ。酒だって。俺とKはセリカのキャリアにボードを載せ、パスポートをチェックし再び門を開けオンボロセリカが雄叫びを上げた!!! さっき文句を言ってきたオヤジが窓から俺らを見ている・・。Kはそれに対して中指を立てた。大爆笑に車内は見舞われた。そして予めKが用意していたジョイントに火をつけ、ラジオをつけた。この街がこんな状態に陥っているのに平然とラジオはいつもと同じ局を流す。なんかこの周囲だけ暴動が起きて他は変わりない生活を送ってるのだろうか? フリーウェイに乗る前におやつを欲した俺らは行きつけのドーナッツ屋の安否を心配しながら向かった。その店は俺らのハウスとサーフィンするビーチのちょうど中間に位置し、結構治安は良いエリアなので安心してたのだが、その安心感は瞬く間に奪われてしまった!!『今燃え盛りです。』と煙はおれに無言で伝える。いつものヒゲ面メキシカン店員はいつもの制服姿で外から職場を深刻そうな面持ちで眺めている。きっと彼はオーナーか店長だろう。俺とKはこの店が焼けてしまうとは思いがけない誤算でショックを受けている。素敵な味のハーモニーを俺に提供してくれたこの店の復活を祈った。 車はサンタモニカから405番フリーウェイのサウスへ乗り上げた。俺はその時から徐々に眠気が指し記憶が途切れていった。昨日から一睡もしていない俺に睡魔が襲ってきたのであった。オンボロセリカはカリフォルニアを南下する。 |
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2002年05月21日 04時38分24秒
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| どれ位眠ったのだろう。フリーウェイを南方へ進むオンボロセリカの車窓は既に片田舎な風景に突入している。俺の目覚めに気付いたKは遅いランチをしばこうと提案した。モタジョイントに再び火をつけ、片田舎でのランチテーブルを盛り上げようと俺はKに誓った。俺とKはどうかしている。俺は数時間前のLAでの大騒動が夢の世界の出来事かと疑う。しかし現実的に車内には俺が最初に盗ってKへプレゼントした芳香剤のアマ〜イ香りが充満している。車はUNIVERCITY通りでフリーウェイを離れた。直ぐそばに大きなモールを見つけたからだ。そこにはジャンクフード屋がたくさんある。 モールに入る前にオンボロセリカにメシを食わせなきゃいけないので、Kのお気に入りのシェブロンに入った。その変哲もないGスタで俺が日本で俺のデジタル脳に描いていたアメリカ像を見ることになる。客もカウンターの娘も外を犬連れで散歩するオヤジも全ては肌が白い人々オンリーだ。みんな笑顔を絶やさず、カウンターの娘は俺と目が合うとハーイと発し、Kがガス代を支払うとサンキューと言いつつウイズスマイリング状態だ。俺は自分の住んでいるLAダウンタウンエリアで完全に人々の愛に飢えていたかもしれない。幸せな気分だ。 Gスタを後にした俺らはモールのパーキングでオンボロセリカを休ませた。そして一軒のピザ屋をKはランチに指名した。店内に入ったら、白人の若人だらけで賑やかだ。席で盛上がる客が一斉にこちらを見る。みな見るからに裕福そうな容姿だ。俺とKは漁船で密入国してきた中国人のような汚れた格好だ。そのいじけたファッションの二人組が、まるでビバリーヒルズ高校白書の世界へ飛び込んできたと、俺はよせばいいのにアナログに戻った脳みそで想像した。周囲の反応が気になる。俺は店内で萎縮してしまった。客は俺らの悪口で盛上がっているに違いないと考える・・・。初めてモタジョイントでBADに入ってしまった。しかしウェイトレスのネェちゃんの一人が俺の視界に飛び込み、俺は一目惚れをしてしまう。彼女の胸にある名札にはトレーニーと書いてある。Kと俺はトレーニーちゃんを呼んでピザのコンボを無難に注文した。しかし周りの坊ちゃん嬢さんの依然として俺らを萎縮させる・・。 俺はトレーニーちゃんのカッコイイ顔に惹かれていく・・・。どの仕草をとってもカッコイイ。それに可愛さも兼備している。俺はダメ元でトレーニーにウインクをした。どうやら俺の捨て身の一撃で彼女は俺が気があることを察知したようだ。そして俺らの注文したメニューを持ってきたトレーニーちゃんにKは俺に気を使ったのだろうかKも密かに彼女へ気があったのか知らないが、彼女へ「HE LOVE トレーニー!!」 と考えられない大声で叫んだ。周りが一瞬静まり返り、やがて爆笑に見舞われた。俺はバッドを通り越えて失神寸前だ。Kも顔が紅潮する。俺の視界から繰り広げられた俺とトレーニーの物語を後ろからハンマーで打ち砕かれた感じだ。そしてトレーニーは笑いながらKに言った。 「マイネームイズパメラ、NOTトレーニー!」 俺は名札に書いてあるトレーニーの意味が見習生・実習生と解ったのがそれから半年後だった・・・。 俺とKは無言でピザを胃に流し込み、足早に街を退散した。 車はサンディエゴ方向へ南下を再開した。右手には太平洋が見える。波に乗るサーファーも時より目にすることができる。俺はメキシコでのサーフに胸を躍らす。 そしてやがて高層ビル群が見えてくる。サンディエゴだ。規模的にはロスのそれよりだいぶ小さいが立派な都市といえよう。右手にはUSマリーンの基地施設が長々と海岸線に聳えている。馬鹿でかい軍艦もドッグで停泊中だ。 時計は午後4時になる。フリーウェイをひたすら走るオンボロセリカは夜に入る前にメキシコに入りたいのでサンディエゴを通過した。もう国境は目と鼻の先にある。俺はパスポートをバッグから取り出した。その時、前方の中央分離帯を歩く一組のメキシカン家族に出くわした。 それから何人ものメキシカンがフリーウェイ端を歩いているのを目にする・・。メキシカン注意の道路標識まである。メキシコからたった今密入国してきたホットなメキシカンがアタフタしながら北を目指す。メキシコはアメリカ不景気を諸に被ってしまった国だ。治安も荒れている話をハウスの南米帰りのオッサンから聞いたことを思い出す。俺は生まれて初めて訪れる発展途上国に不安半分期待半分だ。しかもこれまた初の陸路国境越えだ。やがて車はボーダーに着いた。順番待ちの列に並び、やがてオンボロセリカ乗車の俺とKは税関職員にパスポートを預けた。そして職員の兄貴はKにトランクに人やドラックは入ってないか?と訪ねた。Kは間髪いれずNOと発した。トランクにはLAで盗った商品を満載しているのだが・・・。兄貴は俺らにパスポートを返した。その間10秒。いとも簡単にアメリカ出国だ。どうやら日本人は車だとノースタンプでメキシコに行けるようだ。とりあえずメキシコに俺らは入った。 |
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2002年05月21日 04時35分52秒
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| 俺とKとサーフボード2枚にそしてトランクにゲットしてきたキャンプ用具と食糧に酒を満載したオンボロセリカは暴動の戦火から逃れて遂にメキシコへ越境だ。イミグレのレーンを潜るとそこに違った世界が出てきた。路上には子供の売り子や物乞いが我々カリフォルニアナンバーの車を選んで盛んに声を掛ける。ガキどもは少しでも気に掛けるとどこまでも追いかけてくる。辺りには帰る客を狙うお土産屋が乱立している。ガキの多さも目に付く。発展途上国に行くほどガキが多いと聞いていたがまさにそのとおりだ。とりあえずKと俺は車で市内散策だ。俺は予め用意していたKのパイプにモタを押し込め、勢い良くそれに点火した。俺はKには悪いが一人世界に入る。車窓からの景色が優しくスローリーに展開する。週末前のティファナの夕方は誰もがワインレッドに包まれた笑顔に変わる。四方八方からとんでくる子供の泣き声ハシャギ声、それを見届ける母の顔。奥でマルボロ吹かすヒゲの父親。廃車のバスで暮らす一家。子どもが洗濯物を取り込む。ボインのネェーちゃんがおじいちゃんにベンチの席を譲る・・・。どの光景見ても俺には美しい人間愛を感じてしまう。このモタのせいだろうか。この街はやはりスローリーに展開する。街の至る所からマリアッチ音楽が聞こえてくるのはメキシコらしい。その後俺とKは街中心部にある駐車場に車を止め、歩いて街を楽しむことを決め込んだ。 本日も夜がきました。俺とKはマリアッチ演奏がライブで聞けるレストランに客引きに吸寄せられるまま入った。地元の客と観光客半々くらいだ。酒で出来上がった客は演奏に合わせて踊っている。マリアッチって本当日本のチンドン屋のように明るい曲調が多い。俺はそこでコロナビールとつまみのナチョを注文した。Kは酒が飲めないので、コーラだ。ライトなコロナじゃ物足りない俺は、このあとマルガリータに手を出し2杯3杯といってしまう。当然酒の酔いも混ざり、アミーゴ達も大変フレンドリーで気が付けばメキシカンボニータとマリアッチに合わせて踊りまくっているではないか・・。席からKが涼しい眼差しで俺を見ている・・。潮時だ。俺とKが目指すサーフポイントのある街まで今夜中にたどり着かなければならない。俺はKに詫びを入れ、Kのためにドーナツ屋でコーヒーとフレンチクルーラーをお買い上げして、いじけているKを癒しつつオンボロセリカが眠っている駐車場に戻った。夜も深まったせいか、周りには数台しか止まっていない薄暗い駐車場の一番奥に置いたセリカのドアを開けようとしたときだった。青と赤の回転灯をつけたパトカーが駐車場に入ってきて2人のポリシアがそれから降りて俺らの方へやってきた。俺はKのウエストポーチに保管しているモタを心配した。俺はポケットに入れてたパイプをセリカの車体下へ隠した。ポリシアの一人がKへ詰めよりボディーチェックを行った。Kの両手を上に挙げさせ、無抵抗なKを奴は警戒する。腰帯には44口径の銃がぶらさがっている。必然的にもう一人の方が俺の衣服中をチェックする。俺らは無実だ。何もしていない。そしてついにKのほうのポリシアががKの所持するウエストポーチに入っているビニールで包まれた緑色のそのブツをビンゴしてしまった!! 俺はその瞬間TVで観たフィリピンの濡れ衣着せられた日本人受刑者を思い浮かべ、身に震えが生じてきた。ここは発展途上国。何があるかわからない。微笑むポリシアに真面目なKは深く詫びを入れた。ポリシアは達成感からかやけに満足顔だ。 彼らは俺らに手錠を掛ける事をしようとしない。犯罪阻止が目あてではなく金が目的だ。やがて200US$を要求してきた。Kは渋々その要求を呑んだ。ポリシアは落ち込む俺らの手を握り笑顔で消えて去った。俺らはしばらくの間呆然とした。一時はどうなるかと思ったが200$で高い授業料を払ったとの見解で一致した。サーフボードを載せたカリフォルニアナンバーはメキシコの警官にとっていい飯の種なのだろう。この先が思いやられる。 夜も更けこの街のネオンも消えていく。俺らは足早にバハカリフォルニアを南下する。 |
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2002年05月21日 00時42分48秒
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| ティファナの市街を抜けたオンボロセリカはメキシコ一号線に突入し目的地へ南下する。Kはひたすら海岸線に沿ったこの道の運転に集中する。次第に辺りは暗くなり、周辺には電灯すらない暗闇道だ。頼りはオンボロセリカの目から放たれる光のみだ。俺は直ぐに助手席で爆睡を始める。そして1時間あまり立った頃俺は目を覚ました。そこは既に俺らの目的地エンセナーダの中心だそうな。Kは俺を恨んでいるんだろうか速攻でシートを倒し眠りについた。時刻は既に日付が変わろうとしている。どうやら街中の駐車場に停めたらしい。また警察のターゲットにならなければいいが。俺も再びシートを倒した。 いつも俺より目覚めが遅いKが珍しく俺の肩を先に叩いた。もう朝だ。外を眺めれば港に漁船に魚市場までもが見える。ここは大きな港町のようだ。あまりにもノドが渇いた俺は、トランクから温いゲータレードを取り出し、一気に飲み干した。Kはハンドルをポイントのあるビーチに向けて切り始めた。港からティファナ方面へ戻ること数分。車は未舗装の坂道に折れ一気に下る。ポイント到着だ。そして車を砂浜の際まで持っていった。そこには多くのカリフォルニアナンバーの車が泊まっていた。数日暮らしているような感のワゴンまである。 既に何十人ものサーファーが海に出ている。俺らはウエットスーツに着替えラジオ体操を思い出し、丹念に体を解した。そして勢い良く波上にボードを滑らし沖へ出た。水温はやはりLA同様非常に冷たい。同じ海流なようだ。下は所々にリーフがあり下手に波に呑まれてしまうのは危険だ。大したウエーブは今日は来ないらしいと波待ちのカリフォルニアンは俺に囁いた。Kは早速一発目のライディングを切れる技で乗り切った。このポイントで一番光るサーフィンをしているのは一目瞭然だ。時より風が吹く。結構初日の今日ははバッドコンディションらしい。俺は一回納得のいったライディングができたのだが、まだまだKのようにはいけない。 そんな感じで昼過ぎまで俺たちは自然と戯れた。Kは前日の冴えない出来事が全て吹き飛んだ様子だ。顔がやけに爽やかだ。俺らは食べ物を欲した。トランクを開け、コンロにへインツのスープ缶詰に丸パンを用意した。しかしKは初日ぐらい繁華街行こうぜと俺を誘う。そこでマルチャンのカップヌードルもゲットしたいらしい。俺は誘惑に負けとりあえず車で目抜き通りのスーパーマーケットに行き、そこから辺りを歩いた。鉄板に分厚い牛肉を焼いている屋台を直ぐに見つけた。その肉を細く刻みタコに挟む。ステーキタコだ。俺らはその実演販売に魅せられ注文した。焼いている肉に塩コショウを振りかけたその香ばしい匂いがたまらない。それとキャベツ・スライストマト・マメ・をソフトトルテイアに挟んでホットソースを掛ける。一口食べた。俺とKはそれを食べながらもう一枚次のをその実演販売人にオーダーした。スンゲー美味い。アメリカでもこのような美味い料理を食べたことがなかった。これから先楽しみだ。そしてもう一つのそれを平らげた後、俺らはその隣向かいにあるジューススタンドのかわいいねぇーちゃんが気になり、適当なドリンクを注文した。その頼んだ飲み物は白色で異様に甘い。ココナッツ風味だ。ねぇーちゃんに問い掛けるとそれはアグスデアロウスという返答だ。直訳すれば米のジュースだ。あまり美味くないテーストだ。無難にオレンジジュース飲めばよかった。ねぇちゃんに再会を約束した後、俺らは車に戻った。そこには見違えるほどピカピカに甦ったセリカが俺らを待っていた!!。その車の陰に瞳輝く小汚い少年がバケツを片手に立っていた。彼は俺らが車を離れてからこのオンボロセリカを入念に磨いていたらしい。Kは感動したらしく彼へ5$紙幣を渡した。少年は顔いっぱいの笑みを浮かべやがて消えて行った。この国は本当に食えない奴がたくさんいるに違いない。俺らはマーケットでマルチャンの4種類の味を一つずつ買い上げた。ついでに醤油も買った。 それから俺らは魚市場でハマグリらしき貝を買いビーチに戻り昼寝をした。そして夕方またサーフィンだ。Kが夢中になっているので一足先に車に戻り飯の準備だ。(メキシコの海岸は堂々と火を熾すことができる)コンロに火を点し貝を熱湯でゆでてそれに白ワインで蒸し、醤油をかけて出来上がりだ。Kがそこに戻り、晩餐だ。かなりいけた。Kが好きなマルチャンのカップラーメンも日本を思い出す。俺はソイソースフレーバー、Kはチキンフレ−バーだ。空は赤みを帯びサンセットタイム突入だ。車からは唯一のラジオ放送局ステレオゼロが70年代のアメリカの歌を流す・・。Kと俺は非常に充実している。サーフィンできて飯も何とか工夫しておいしく食べられ、好きな音楽に今海に消え行く太陽。足りないのは女だけだ。kは女を抱きたいそぶりを見せないのが気になる。俺は3ヵ月やってない。そろそろ・・・・。 |
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2002年05月21日 00時41分19秒
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| 気味が悪くなるくらい海岸沿いは闇に包まれた。その恐怖心を沿道を走る車のランプにその道沿いに点在する家々の明かりが救ってくれる。大半のサーファー達は夕日を見届けた後どこかへ散ってしまった。周りには数台のキャンピングカーや広めのワゴン車が残るのみだ。それぞれ暖を囲みそれぞれの空間をエンジョイしている。俺らは無防備だ。キャンプ用具をLAでゲットしてるとはいい、この狭いオンボロセリカで再び眠りにつくことが苦痛になってきた。それにまだ8時にもなっていない。俺らはすることもなくただひたすらラジオを聞いていた。湿った冷たい浜風が俺らを覆いこむ・・・。肌寒い。 俺らは車内に戻り過去を語り合った。Kは地元に女がいる。日本では営業のサラリーマンに就いていて、肝臓を壊し6ヶ月間生死を彷徨った後、会社を辞め、サーフトリップに出たそうな。どうりで酒を飲めないわけだ。それにしてもつい1年前までそんなに体を壊していたとは思えないほど現在は回復しているようだ。俺は意外なKの過去に胸を打たれた。Kは人懐っこい営業スマイルで海のどこかをボンヤリ眺める。Kは女を日本に残したままアメリカに飛来し、浮気はしてないらしい。しかし女のほうは既に違う男と交わっていると友人の便りで察知したそうな。月日が愛を冷ましていく・・・。 センチになった俺らはエンセナーダのモーテルへ車を動かした。身体中ベトベトだ。暴動以来シャワーすら浴びていない。もう限界だ。エンセナーダ中心部のそれにINし、2人部屋を借り入れた。俺は久々のホットシャワーで身を清めて、エンセナーダの繁華街へ向かう。Kは昼間のサーフィン疲れで床に着いてしまった。街並みは概ね頭に入れている。昼間食べたステーキタコのオヤジがこの時間もポーカーフェイスで鉄板で肉を料理している。ジューススタンドの姉ちゃんはさすがにいない。オバサンに替わっている。そして飲み屋街が密集する路地に飛び入り、場末のバーに飛び込んだ。カウンターに座り俺はテキーラ入りのテカーテビールをブタのような女店員に注文した。スペイン語がほとんど解らない俺は隣席のオヤジのグラスを指差しただけだが。大音量でマリアッチが流れる。テーブル席はほぼ満員だ。土曜の夜だからか?地元の客が大半であろう。英語も通じなさそうだ。突然飛び込んだアジア人に周りは興味を示す。泥酔した客は俺にテキーラソーダ割りを与える。シラフの俺が憎いのか?どうやら俺が日本から船でやって来た漁師といった噂がたっているらしい・・。マグロの日本での相場をカタコト英語で聞いてきたり、次は船はどこの国へ行くのかなんかを聞いてくる。俺は訂正する余裕もなく漁師の肩書きを背負ったまま奴らと盛上がる。そして俺はテキーラの強い酔いが廻り、アミーゴらとダンシングタイムに陥る・・。途中流しのバンド演奏を楽しんだり、売春婦どもの太ったババァから言い寄られたりともうすっかり店に馴染んでしまった。俺はこの街が急速に好きになっていく。千鳥足気味で自分の身体の限界を判断した俺はその店を後にした。御代は景気のいいアミーゴが持ってくれた。 外に出た俺は、ストリートを歩くボニータ達を食い入るように見た。若い頃のメキシカン女はまだ身体に肉がそれ程ついてなく、胸や尻はバーンと張っている。俺はデブはそれ程魅力を感じないが、グラマラス女には目がない。大勢街に繰り出すボニータ達の一人くらいは俺に興味を示してくれるかもしれない。今夜は俺に与えられたチャンスだ。俺の心の奥に住むもう一人の自分が脳神経へそれを伝達する・・。そして俺は欧米観光客も沢山で流行っているディスコに興味津々に入場した。そこにはアメリカ人の客でごった煮状態だ。曲も最新のBBやテクノなんかアメリカのそれと変わり映えしない。俺は激しく動くライトを利用して女を物色した。米国人男性が地元の女の子をナンパしている。地元の女の子は女の子だけのテーブルに着き、ナンパ待ち状態だ!!少なくても俺にはそう見える。酔っているせいだろうか?俺にはどの女も可愛く見えてしまう。だが遂に俺は決定的な好みを発見した。そのボニータは女友達らしい4人組のグループにいる。身体は一番グループで小柄だが、胸が大きくどこか日本的な顔つきだ。遠くで彼女の様子を窺い、絶対言い寄る男はいないと確信した。それで近づき目を合わせてくれるのを待ち焦がれ、やがて彼女は俺へ視線を向けた。俺は顔中でアピールをする。まるで昔TVで観たアフリカの部族の結婚プロポーズのように・・・。彼女とその仲間達は俺を見て爆笑の渦だ。どうでもよくなった俺は開き直った。アジア人の俺が余程こっけいだったのだろう。俺は彼女の席の空いている椅子に座る。彼女は俺に心を少し許している。そしてやがて俺のぎこちない英会話と彼女のカタコトイングリッシュが互いの耳元で交差する。やがて互いの黒い瞳を見つめ合う。俺らは完全に世界に入った。彼女の名はアナといい、歳は俺と同じ18やはり地元の子だ。この店には毎週末遊びに来るらしい。俺はラテン人というのを意識して必要以上にジェントルマンな態度に徹した。イタリア映画を思いだしつつ。時刻は1時を廻る。彼女は完全に俺を信用した。そして二人は酔い覚めの街をまるで幼馴染が再会したように心を通じ合わせ、キスを路地毎で交わし、モーテルの他の部屋を借り上げ、朝までふたりがひとつになった。 |
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2002年05月21日 00時39分29秒
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| 夢から醒めた。既に陽は天高く昇っている。腕時計を確かめた。正午前だ。昨日ディスコで知り合ったアナちゃんはいつの間にかに消えている。何故あれほどまで互いにウマが合ったのだろうか?ディスコを出て俺がここまで連れて来た道中が最高潮に盛上がってしまった。共通言語がカタコト英語な2人の会話は容易に成り立たない。それに反して俺はまだアドケナイ彼女を優しく包み込んだ。彼女のカワイイ瞳と大きな唇が俺の行動を全て受け付けてくれた。 惚気る俺はKを思い出した。すっかりアナに心を奪われてしまっている俺は、すぐさま隣で寝ている筈のKの部屋ドアを勢いよくノックした。数回ノックしたが反応がない。俺は外に出てオンボロセリカがないのに気づいた。既にサーフィンへKは行ってしまった。俺のバカげた行動をKは嘲笑っているのだろうか、それとも軽蔑しているのだろうか?しかし隣の部屋でまさか女を連れ込んだとは思ってもいないだろう。 俺はアナと昨晩歩いた道を戻るような形で繁華街へ歩いた。俺はアルコールを大量に飲んだ翌朝は胃がとても元気だ。そのマイセオリーに反することなく何か美味い物を腹が欲している。何度も歩いた商店街の一角に小さな中華レストランを発見した。胃は白飯を4日間入れていない。ファーストフードと違いレストランだ。バカ高い金額を請求されてしまう俺が脳裏に浮かぶ。一方麻婆豆腐好きな俺がそれをかき込むように胃に入れる姿も浮かんでくる・・。俺の手はレストランのドアノブを勢いよく回した。客は一組しかいない。中国人のオッサンが不気味なオリエンタルスマイルでジャスミン茶とメニューを持ってきた。俺はメニューを確認するがやはり値は貼る。しかしマーボー豆腐と水餃子に卵スープに白飯を注文した。支払いはカリフォルニア半島では何処でもアメリカ$が使える。俺は18才の身ではあるが、この国では一財産とも言える金をバックに隠し持っている。 その中華の味は日本で食うそれとはかけ離れた味だった。マーボーはあま〜く、豆腐は何だか苦い。食べきるのがやっとだった。白米すらLAのマイハウスで食べるそれより不味い。餃子も妙に変な味で、納得して食えたのは卵スープのみだった。俺の胃は余計なストレスを貯めてしまった。 レストランを後にして俺は昨晩のディスコ周辺をうろついた。アナは今何処で何をしているのだろうか?昨日はムードだけで俺に付いてきたのだろうか?もう二度と目の前には現われないのか?少なからず俺はもう一度会いたい。昨日のセックスを思いだす。俺は夢中であまり覚えていないのだが、アナが上になってヨガッテいる姿が頭に焼き付いている。小さい顔に大きな瞳と唇に長い睫毛。俺の中でだんだん彼女が美化されていく。そう、愛したいほど好きになってしまった。俺はそれに気づいた。しかし彼女を探す手がかりはない。仮に再会したとしてもこんな街でアナのために暮らせることができる俺だろうか?それはゴメンだ。とりあえずやりいれない気持ちの俺はジューススタンドであの可愛いネェちゃんを冷やかしてモーテルに戻った。俺はベッドで二度寝を決め込むが、胸が熱くアナを考え、会いたくなってしまう。苦しい。 オンボロセリカがモーテルに帰ってきた。俺を心配したKはサンセットも見ずに戻ってきた。俺はKに昨晩の出来事を始終話した。Kは薄ら笑いを浮かべ明日にでも更に南を目指したいのでこの街を離れたいことを言及した。俺は妙な選択を迫られる。ここに残るたってLAへの帰り方解らないし、言葉も解らん。夢も希望も出てこない。アナをあてにしても当の本人は俺の存在は大勢いる男の一人かもしれない。 俺は思考の末やはりKに帯同することを決定した。今夜は最後の晩だ。果たしてアナちゃんは? |
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2002年05月21日 00時38分34秒
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| 俺はこの街の最後の晩餐をKと2人、ごく平凡なメキ食堂で決め込んだ。俺は平凡なそれを集中して食べることはできない。アナのことで頭はいっぱいだ。俺はモーテルに戻り、K自作空缶水パイプでヘルシー気分でモタを肺いっぱいに圧し込んだ。俺は一吸いで後頭部に衝撃が走りスローリーに浮遊する自分の世界に入った。モーテルの部屋のあるTVがメキシコの上流社会的なドラマを映し出している。この街には絶対居ない上品な顔立ちの俳優達が俺らを挑発する。やがてTVはニュースを映し出した。LAの焼けた店舗や鎮圧する為に装甲車で街へやってきた兵士達を映し出す。どうやらLAは戒厳令が布かれているらしい。住民は外に歩けない状態だ。俺らの脱出は成功だったと、この瞬間確定した。(後に夜間のみの戒厳令だったと判明) 俺はまだぶっ飛んだまま昨日アナを引き連れ、借上げた隣室に戻った。Kには就寝を告げた俺だが、アナに会いたい衝動で、容姿を整え、外に飛び出た。滅多にお願いしない都合のいいオリジナル神様にも彼女との再会を祈った。そしてディスコへ向かう。道中俺はノドの渇きを感じ、ジューススタンドでスイカジュースを飲み干し、歓楽街の外れのそこへ向かった。昨日に比べアメリカ人と思われる観光客は少ない。おそらく今日は日曜日の為だろう。そして胸いっぱいの緊張を体奥に隠しながらディスコのドアを開けた。俺は暗い店内に走る照明を頼りに女性の面をチェックした。やはり店内も昨晩に比べ人は疎らだ。曲は欧米の流行曲が何故かメキシカン音楽に変わっている・・・。全ての女性客を見た。俺の期待が脱力感へと変わリだす。しかし俺は望みを捨てず、昨晩座ったテーブルに着き、入場客を充血した眼で追った。途中シラケムードの俺に気を使ってか知らないがオンナが数人声を俺に掛けて来た。俺はアナしか見えないので愛想笑いを浮かべそれらの雑魚を追いやった。 数時間待ち焦がれた。時刻は12時を既に周っている。俺は重い腰を上げ諦めた。そして店内を1周した後ドア外へ出た。 俺はため息混じりに昨日アナを引き連れた同じルートを歩く。22時間前の出来事が遥か遠くに感じる。昨日彼女を抱きこんだ路地裏で立ち止まり、俺は目を深く閉じた。 やがて俺は自己をコントロールしてアナを過去の女に位置付けた。 部屋を勢いよく誰かが叩く。まだ朝早い筈だ。俺はベットを跳ね起き、アナの登場を期待する。が、Kが満面の笑みを浮かべてそこに立っていた。出発らしい。俺は少ない私物をトランクに載せ助手席に乗り込んだ。外は既に灼熱太陽が照り付けてきやがる。オンボロセリカは雄叫びを上げた!! メキシコ1号線で南下するつもりだ。とりあえず地図を持たない俺たちは適当に大きな道に入り込んだ。そしてそれを突き進む。やがて道は登板になり、山を越えサボテンだらけの砂漠地帯へ突入だ。そして荒野となり道は地平線の彼方まで一直線だ。時よりランチョ(牧場)がありメキシカンカウボーイが俺らに手を振る。俺とKはこれから始まる新たな出会いやハプニングに胸を躍らせた。 |
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2002年05月21日 00時37分07秒
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| オンボロセリカの窓を開けると熱風が忽ち俺とKを覆いつくす。外は気温40℃はあろうか。俺は生まれて経験した事もないような外温に不安を感じる。エンセナーダを出て岩山を超えたらこの砂漠の荒野だ。途中いくつかのランチョが在ったのみで、その後は人っ子一人住んでいないどころか対向車なんか30分に1台あるかないかの世界に突入だ。仮にオンボロセリカがこの場でポシャレば、俺とKは生死を彷徨うことであろう。ガソリンがEに傾いているのが気になる。道路標識なんかありゃしない。俺らは本当にこの道でよいのだろうか?Kは完全にふざけながら余裕をかましている。どうにかなると信じているようだ。俺は内心焦っているのだが・・・。 エンセナーダを出発して2時間が経った。直線道路を最高速で飛ばすセリカは徐々に燃料を切らしていく。ガソリンスタンドは愚か、人の住処なんか視界には皆無だ。俺らは地図を持たない。とりあえずこの先この道には街があるのだろうか?俺は猛烈な恐怖心が芽生え始めた。今エンセナーダへ引き返せばどうにか燃料切れにならずに済む。それに過去の女として葬った誰かに会うチャンスがある。俺は遠まわしにKへUターンを薦めていった。が、Kは大丈夫の一点張りだ。いくらスリルを味わいたいからって、スリルが取り返しのつかない事故へと変わっていく事だって有得るのだ。俺の珍しく弱気な態度にKは人生の先輩として余裕をかましながら冷静さを装い、まるでその態度が俺を脅しているかのように思えてくる。モタのトビが徐々にバッドになる俺。砂漠に熱風、サボテンに青い空。景色が変わらない。時折幻覚ではないが家のようなものが遥か遠くに見え、それに車が近づくと消えている。その後小さな丘をいくつか越えて漸く大型ガソリンタンクローリーとすれ違った!どうやら街はこの先在るのであろう! エンセナーダを旅立って5時間が経つ。燃料の残量が深刻な問題になり始めたその時、漸く砂漠に浮かぶ集落を発見した。その点在していた家々が徐々に密集してきて街というには大袈裟すぎるが、とある村に辿り着いた。そして一軒の小さなスタンドで飢えたセリカに燃料を補給した。そこで地図を買った。俺らは何処に存在しているのであろう?もし1号線であれば南下してすぐにでも街は在ると地図は俺らに教えてくれる。全く迷ってしまった。俺とKはカリフォルニア南下を諦め、適当に来た道を再び進むことに決めた。エンセナーダで買ったマルチャンを一気に食べ、冷たいコーラをがぶ飲みして、再出発だ。気温は暑いというより熱いの漢字のほうが的確だろうか。サウナ状態だ。50℃近くはあるのであろうか?まさか砂漠はここまで熱いとは思いもしていなかった。Kもカリフォルニアの砂漠より湿気がかなりあってとんでもない場所に来てしまったと実は後悔している様子だ。やはり南下してサーフィンをしたかったのであろう。オンボロセリカの車上には意味もなくなったサーフボードが2枚横たわっている。とりあえず再出発をした俺らは、買いたての地図でも現在地を掴めていない。しかし砂漠ではあるが、真っ直ぐ伸びる道沿いに家や牧場または工場が散在し、周りには車が点々とある。やがて市街地に入った。街の名はTECATEだ。地図を見るとそこがなんとアメリカとのボーダーラインのすぐ側だと判明した。俺らは南下するつもりが北東に進んでいた。更にこの道を100キロ進めばMEXICALIというバハカリフォルニアの州都に行く筈だ。俺らは今晩の寝床をその州都に決定した。目的を見つけ俄然やる気が出てきた我がオンボロセリカは、草木すらない大きな岩山のピークへ全力で登りきり、下り坂を一気にMEXICALIへ向けて驀進した。 夕刻頃、久々に見るビル群をシルエットで感じとった。メヒカリはかなり大きい街のようだ。胸いっぱいに期待を持った俺とKの悪ガキ2人であった。 |
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2002年05月21日 00時35分35秒
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| エンセナーダを出発して9時間余り、俺らは迷い迷って漸くメヒカリ(MEXICALI)の光りを仰ぐことができた。別に俺らはこの街を目指し旅立ったわけではない。半島の最南端カボサンルーカスに行こうとしていた訳だ。何故こんな岩山に覆われた砂漠の街へ辿り着いてしまったのだろう・・・。俺たちはメキ草とこの蒸し風呂のような熱気で思考能力をある意味、失ってしまったようだ。俺らは何があっても死なないと確信している。何処に流れようと動じない二人。この偶然立ち寄るこの街に胸いっぱいに期待感を膨らます俺。日が完全に落ちた午後7時頃、オレンジ色に光る街並みをセリカと俺とKは手に入れた。郊外らしく畑や工場やバラック同然の家々などが入り乱れている。廃車のバスに住むメキシカン一家に胸打つ俺。街のあちらこちらから闇に紛れた子供たちの笑い声が聞こえてくる。どこか懐かしい風景に生活臭と騒音。俺とKは目まぐるしく経済的に豊かになった日本の成長と比較した。俺らは財やいくつかの権利と引き換えに何か大事なものを失ってしまった。それが何なのか俺らは気づくことができない。俺もKもこの家々の暗い電球の中に暮らしているまだ見ぬ人々が何か羨ましいのだ。単なる一人ならぬ二人よがりなのだろうか?山の中腹から見れた、ビル群はまだ先のようだ。 見るからに貧乏そうないじけた街並みを進む。やがて徐々に立派な住宅やスーパーにデパートなどが見え始めた。その後バスステーションを中心とした中心部らしき場所に車は走る。夜の8時前にも関わらず、街を歩く人はほとんどいない。銀行やブティックやオフィスビルなどが乱立しているのに外に出ている奴は皆無だ。 俺は車窓を開けて納得した。気温は昼と変わらない50℃近くあろうか。この街の人間はこんな場所でよく暮らしていられると感心した。危機感さえ感じた俺とKはクーラー部屋の確保を最優先と決めた。結果、非常に労力使ってしまう安宿探しを取りやめ、目抜き通りにあるホテルに飛び込んだ。 「ムーチョ カリエンテ」 とても暑いですという意味を持つこの言葉を挨拶代わりに何度も聞いた。そしてこのホテルのフロントもそれに漏れることも無なく俺らにその言葉を発した。ロビーやカフェにはかなりの人がいる。この外の熱さで非難しているのだろう。やはりこの暑さは現地人でも異常なのだろうか。 どうにか部屋を確保できた。貸し手市場の今晩は、値段を値切ることも無く、素早くフロントマンと俺の間をペソとキーが交差した。 部屋は3人部屋だ。かなり広い。俺はクーラーを全快にし、アルミ缶のテカーテビールを一気に飲み、水シャワーを浴びた。Kもクタクタの様子だ。 とりあえず腹に何かを入れないといけない俺たちは、草をキメル力も無く、脱力気味にホテルを飛び出した。確かにバーやレストランテはあるのだが、クーラーすらないバーは客がいない。レストランも俺らの欲を引き立てる所などない。冷やし中華やざる蕎麦なんか最高なんだが。余りの熱さに体内の水分がみるみる失われていく。5分も経たないうちにホテルに逃げ帰った。(サウナの中で動くことを想像してもらいたい。誰でも5分でバテルでしょ?) とりあえずミネラルウォーターをロビーに隣接した売店で買い漁り、2階にある値の張るレストランで早くもこの街脱出計画を俺らは打ち出した。体内はアルコールより水を欲しているのでここで浴びるほどミネラルウォーターを飲んだ。 俺らのメヒカリの夜が静かに過ぎていく。この熱さで望むことはただ冷えた部屋で寝ることだ。俺もKもこの晩を境にLAへ戻ることを決め込んだ。 |
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2002年05月21日 00時33分27秒
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| 俺は激しいクーラーの轟音のせいか朝早く目覚めた。朝の苦手なKはまだ熟睡中だ。体がやけにダルイ。外の猛烈な暑さの中で移動した疲れが今頃襲って来た。日本では絶対見かけないような馬鹿でかいクーラーを最大に効かせて寝たせいかもしれない。兎に角いち早くここを脱出しなければならない。俺はKのベッドのパイプ脚を左右に大きく揺らした。すると直ぐにKは跳ね起きた。Kも俺同様疲れているようだ。俺は放り投げていた私物をまとめ、シャワーを浴び、Kを煽るように素早く、部屋をチェックアウトした。オンボロセリカはこの茹だる暑さにもマケズ、素直に発車した。さすが日本が誇るトヨタの名車だ。そういえばラリーにもこいつの兄弟が参戦していたっけ。俺はランズエクセレントなこのマシーンを心から賛美した。明け方のメヒカリは若干気温が下がったと感じられる。しかしまだまだ異常な暑さだ。俺とKは景気づけに簡易水パイプでモタを乾ききった体に入れ込んだ。直ぐに俺らは陽気な2人に変身だ。地図を見るより適当に景色を見入ることにハマッタ俺は、ナビなどできる筈もなく、世界にハマッていく・・・。久々に聞く英語、つまりアメリカのラジオに耳を傾けまがら、目抜き通りを流し、市街地をうろつくオンボロセリカ。大きなバス停を右折し暫く行くと俺らはなんといつのまにかアメリカとのボーダーへ突入してしまった!!そして車はレーンに並ぶ。朝のボーダーは閑散としていて、直ぐにイミグレチェックの順番がやってきた。俺とKはブットンでいる。やばい互いの眼が充血まじりに垂れ目になっている。バイシンはトランクに保管してある。ついにイミグレ職員の仏頂面が俺らの視界に飛び込んできた。2枚のパスポートをそいつに渡すと空かさず野郎は早口英語で何やら話し掛けてきた。Kはトロンとした目で笑いながらハーイと声を掛ける。呆れ顔の職員はあちらに行けと俺らを車ごと裏にある建物に連れ込んだ。ヤバイ!!ワンちゃんの獰猛な鳴き声が聞こえてくる!!微量のモタに空き缶水パイプが俺の膝元に放置されているではないか!!今度はアメリカのポリスだ。金では通用しない筈だ・・。俺はトビがもたらす、ゆっくりで柔らかい世界を全身で振り切り、素面の自分を懸命に取り戻す、そして冷静さを装う。職員は俺らから離れ、自分の持ち場へ帰った。俺はその職員が遠のいたのをチャンスとばかりに、モタ入りビニール袋と空き缶を投げ捨てた。アスファルトに転がるそのブツに満面の笑みを浮かべるK。どこか狂っている。やがて別の職員がやってきて俺らに解りやすい英語で話しかけた。俺はそれを理解した。つまり俺らはノービザでは来れない場所まで来てしまったのだ。ここまでくるにはパーミットが必要だったらしい。職員の真剣な眼差しを追う俺とKは偉い犯罪を犯したと錯覚してしまった。俺らは泣きそうな声を轟かせつつ謝る。釈明の嵐だ。職員は俺らの反省と謙虚な姿勢に折れ、入国スタンプを押した!!!ついに帰って来ましたアメリカへ!!サイドミラーに写る放置されたビニール袋と空き缶を確認し、逃走するようにオンボロセリカはアメリカのコンクリートを疾走した。 |
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2002年05月21日 00時31分23秒
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| 一時はどうなることかと思った。呆気なく俺らはアメリカへ入国できた。パスポートを確認してみると、俺のは何とNOスタンプで、Bビザを所持していたKのパスポートは入国スタンプが押してある。なんてアバウトなイミグレなんだろう。俺は刑務所行きを覚悟していたのに俺らの誠意ある謝罪攻撃で職員を落としてしまった。Kはこの国のいい加減さを身に染みていることであろうか、わざと俺をビビらせるためにブットビ状態で国境越えを試みたのであろうか?Kはおまけに切れかけたビザを延長できてご満悦だ。 車はカリフォルニア州カリシコという街だ。境界線の向こうはメヒカリだ。見慣れた標識に変わり、街がどこか整備されている。国が違うとはこういう事なのか。俺とKは疲労からか車内でほとんど口をすることが無くなった。俺はいち早くLAの自分の部屋に戻りたい気持ちだ。僅か10日間位しか暮らしていないあの部屋。でも俺唯一の居場所なのだ。俺がゆっくり一人になれる俺所有のスペースだ。しかしながら暴動に巻き込まれ灰と化している可能性もアリだ。 俺らの砂埃を浴びたオンボロセリカはエンジン全快で一気に北上しフリーウェイ10WESTに飛び乗り、後はひたすら西を目指した。西部劇で使えそうな荒野が地平線の向こうまで続く。関東平野以上のスペースはあろう。このような未開拓の平野がアメリカにはゴロゴロしている。やはりこの国はなにがあっても不沈であろう。数時間走ったところで、途中パームスプリングスで降り、オンボロセリカにガスを充たしつつ、隣接するam-pmで2個99¢のホットドックにたっぷりトッピングをふりかけ、それにチョコレートがかかったドーナッツを買い上げた。草を吸うことが日課となった俺はアメリカに来て腹が少し出てきた。俺は車に戻るなりそれらジャンクをいつもの癖で子供がむしゃぶりつくような汚い食べ方で食べ干した。 再びフリーウェイに乗った車は、荒野の奥に聳え立つ岩山に沈み行く真っ赤な太陽を見届け、あっという間に闇に包まれた無人の地に突入だ。たまにインディアンレザベーションの看板が目に付いてくる。それは開拓者に追われたインディアンが政府から与えられた生活地だ。思わず俺とKは訪問することを決めこんだ。フリーウェイを離れ一般道へ。パトロール開始だ。そしてすぐに街の明かりを視界に入れた。俺らは街を周る廻る。街の風景を一言で言えば、なんとも怪しい老人が多いこと!!だろう。街の至る所に老人が屯している。酒で酔いつぶれた老人や、歩道に寝転んでいる痩せこけたジイちゃん。人という人はほとんど老人だ。恐らく政府が与えた年金や補償金で暮らす方達なのだろう。 俺とKは腹が減ったのでハンバーガーチェーン店のジャックインザボックスに入った。LAでも見かけるその店はここでは客も店員もやはりアジア人に近いそれだった。レジについた俺らに、この街では群を抜く若さな30代位のお兄さんは英語ではなくインディアン語を発した! 無論俺らは理解できず、素早く英語で返答した。店員の兄貴は笑い出した。彼は俺らが同じ種族のインディアンだと思ったらしい。俺もKも肌が真っ黒で何だか兄ちゃんと共通する顔立ちはある。俺らはインディアンの街での晩餐を終えた。 時刻は8時になる。ここからLAまで3時間半。オンボロセリカは、俺らの不安と期待を乗せて、LAに戻る。まだ戦火は続いているのだろうか? |
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2002年05月21日 00時30分01秒
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| Kの手馴れたハンドル捌きで、オンボロセリカは闇に包まれた10番EASTサンタモニカフリーウェイを我らの都ロスアンジェルスへ向け疾走する。あたりは砂漠だろうか灯りのひとつすら見えない。俺は何気なく助手席側から上空を見上げた。「ストップ!!」俺の叫びにKはハンドルを平坦な砂地地帯へ傾け急停車を施した。 俺は間髪入れずドアを開け、外に突進した。しばらく声の出ない俺。感動と言うよりは驚きに近い胸の鼓動が響いてくる。空が一面星で覆われているではないか!!プラネタリウムで見たような作られた星座雲よりも確実に大量の粒光が俺の視界に入る。その数は気持ち悪いぐらいだ。そして時より流れる一筋の光が俺に漸く感動を与えてくれる。宇宙がこんなに近い距離に在るんだと俺は知らなかった。そして砂漠へ若干涼しい渇いた風が吹き俺らを包み込む。風の音が神秘的だ。俺は自分が月にいると思い込ませ未来ロマンを空想した。Kも無言でセリカのボンネットに横たわっている。俺はそっとKの横へ行きしばらく天体ショーを満喫した。 数時間後、マッタリ世界に入った俺らは気合を付け、再びLAへ向け発進した。車は丘を越え谷を越え、徐々に灯りを手に入れた。そして先程見た星群より増さった人造のおびただしい量な光の集合体に突入だ。俺は色々な意味で胸ときめいた。やはり俺はこの街が好きだ。ここは俺のアメリカでのホームタウンだ。ラジオからは久々に聞きなれたDJの声が俺らを歓迎する。 俺は旅の疲れがぶっ飛び、明日から再び続くLAでの暮らしを考えた。とりあえず運転免許を取り、車を買うことだ。なんせ駐車場は何処にでも停め放題、ガソリン価格日本の4分の1、免許取得に20$弱、高速料金なし、道が広く渋滞ほとんど無し、カッコイイ車が沢山・・・。LAで住むには何処をとってもまず車だ。幸い便利帳に学科試験の予想問題が載ってある。明日からそれで勉強だ。俺は明日からの充実そうな生活にえらく胸ときめく。 車はついに見慣れた高層ビル群を視野に入れた。フリーウェイ上を走行する車はやけに少ないのは時刻が平日の夜半過ぎのせいだろうか?高速下の街からは何処を見ても煙はでていない。事態は沈静化したのだろう。そしてハウス最寄のEXITで車を一般道に乗せた。街並みは既に焼きただれた店舗群以外は普段と変わらない。ただ外を通行する車や人が殆どいないのは気がかりだ。平常に戻ったのであろうか?。見慣れた風景を次々通り過ぎて、俺の部屋から見える交差点に突入した。何とモールの駐車場にはゴッツイ装甲車が待機しており、州兵がライフルの銃口を天に突き刺し仁王立ちだ。俺らは恐る恐るハウスの門を潜った。 ハウスは無傷だった。リュックをぶら下げ、片手でボードを持ちながらハウスの玄関を開けた。応接ソファーにタムロする5,6人の日本人オッサンが一斉に俺を見た。俺は会釈をしつつ急いで部屋に逃げ込んだ。遅れてハウスに戻ったKをリーダー格なオッサンが引き止め、ハウスの古株代表としての小言をKの真っ黒に日焼けした人懐っこい顔に向かって浴びせてかけている。こないだのKのファックサインを余程恨んでいるのだろう。俺はそのままKには悪いが自室の電球を消してしまい、久々のマイパイプベッドで深い睡眠をとった。 |
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2002年05月21日 00時28分03秒
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| 暴動が去り、今では焼かれた商店の瓦礫が残るのみである。衆も体奥のヘドを全て放出したのであろうか、この街が平和にすら見えてくる。バハカリフォルニアから戻り10日余り経とうとしている。俺はあのメキシコが体に応えた訳でもないが、ひたすらマイルームのベッドに沈没した。俺は何もしなくて良い、ノルマ無き生活だ。この身分をいいことに、昼過ぎまで熟睡し、シャワーを浴びランチを食べに散歩をする。そして部屋に戻るなり5月の心地よいブリーズが部屋窓から俺の全身を襲い、再び眠りの世界へ連れて行く。俺は遠出を全くしていない。Kとも2,3度部屋を行き来した程度しか接していない。俺は居心地の良いこのハウスで住民達に気に入られようとも思っていないが平穏に暮らすことを望む身体に変身した。住民にKの金魚糞とは思われたくない心境だ。Kは相変わらず自分のペースで行動している。ビーチへも毎夕通っているようだ。 俺は昼過ぎの散歩で様々な発見をした。2本向こうのストリートのメキヤンアパートで上質のモタが手に入ることや、ウエスタンAVE沿いにあるコリアンのコンプレックスで馬鹿美味のフードコートを堪能すること、ネイバーホームレス達が本当はいい奴と判ったことなどだ。俺は独りになりここに存在している実感が沸いてきている。 暴動でゲットした、俺自慢のコーヒーメーカーで作るモカは格別に美味い。メルローズで買ったアンティークカップもいけている。俺はある日曜の午後、駐車場で井戸端会議する日本人住民の輪に入るなり、彼らにコーヒーメーカーを見せびらかしつつ美味いそれを注いだ。それを機にすっかり彼らに住民権を得た俺はその後リトル東京に連れてってもらい、本屋で読書してディナーを供にした。楽しい晩餐を終え、部屋に着くなり俺は部屋が寂しくなっていることを気になり始めた。そうだ!コーヒーメーカーを窓外に置きっぱなしだ。俺は即効窓を開け、置いてあるはずの場所を睨んだ。当たりを見回すがそれは無くなっている。範囲を広めて探したが後の祭りだ。平和すぎる俺の必須アイテムなコーヒーメーカーを無くし、俺は偉く落胆した。モカ粉末袋とマイカップを残してどこへ消えたんだろう。いじけたながらその夜、俺は床に着いた・・・が、激しく部屋窓を叩く音で目覚めた。女の声が俺を呼ぶ。俺は不安半分期待半分カーテンを開けた。そこに40代の痩せこけた黒人女性が立っていた。髪もショートで10年前に流行ったパンチパーマを連想した。彼女は俺に満面の笑みを浮かべ何かを叫ぶ。落ち着きが無くジャンキーのようだ。俺はさっぱり何が言いたいか理解できない。彼女のかすれた声が徐々に甘ったるい口調に変わる。ゲットトゥギャザーを連呼する。俺はその言葉の意味を想像するなり、全ゼスチャーして彼女を追い払う。そして諦めて帰る彼女はハウスのフェンスによじ登って、棄て台詞を吐いた。『あのコーヒーメーカー今日から私のものよ!』俺はその言葉を完璧に理解できた。彼女を咄嗟に追いかけようと思い、ためらい、苦笑いつつ諦めた。彼女が悪くない。俺が愚かだった。俺はより良いコーヒーメーカを買うといった明日の目標ができた。 |
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2002年05月21日 00時24分24秒
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| 俺がLAに来て1ヶ月半が経とうとしている。俺はこのハウスで自分の生活を徐々に確立し始め、自分のやるべき必要なことが見えてきた。まず、車の免許だ。免許はペーパー試験は日本の原付試験と同程度の難解度だ。実地試験にしても保険に加入している友達の車両を試験場に持参し、試験官を助手席に路地裏を1周すればいいだけだそうだ。俺の枕カバーの中にはまだ80万はある。車だって即買いたい。それに全く英語力がない俺は英語をしゃべる機会を作るために学校に行き、ある程度会話を楽しめるようになったら、仕事なんかもしてみたい。俺はハウスの住民の数人の話に耳を傾けた結果これからの自分の道が見え始めた。意志や夢が強くあったわけでもなく、殆ど適当にこの地へやって来た俺だ。人の意見や話には素直になって聞いてしまう。 Kは相変わらずオンボロセリカで毎夕ビーチへ行っているようだ。住民グループの輪に入る俺を相手にしてくれないこの頃だ。 俺はまずとある朝、バスを乗り継ぎハリウッド方面にあるイミグラントオフィスへ向かった。そこで世界中からやってきたありとあらゆる人種に混じり、パスポートとその場で記入した申請用紙を窓口に出すと直ぐに、ソーシャルセキュリティーナンバーというカードをもらった。これさえあれば、ある程度の身分証明ができ、LA市が経営するアダルトスクールにも入れて車の免許申請もできる。 俺は作りたてのカードをポケットに忍ばせ、足取りが軽いうちにハウスの皆が勧めてくれたLAダウンタウンからチャイナタウン寄りに位置する、エヴァンスアダルトスクールに急行した。サンセットBLVD(大通りの略)に面したその巨大な建物を容易に見つけることができた。俺はとりあえず外部から恐々と敷地内へ入った。そして雑談中のメキシカン達の広場を通り抜け、ノーチェックで建物に入ることができた。ドアを開けたらそこは、一面カフェテリアにピアノと席があった。とりあえずコーヒーを買い、空いているテーブルを探した。ちょうど休み時間なのだろうか。大多数のスパニッシュや、それに混ざってアジアンらしき姿もそこにはいた。俺の同じテーブルに着いた東南アジア人の少女2人組の1人に眼が合うと俺を意識して照れ笑いを浮かべた。俺はそれがたまらずキュートで仕方なく、早速たどたどしい英語で俺のアピールを兼ねた質問を彼女らに浴びせた。彼女らも俺と同程度の会話力しかなく、それが反対にお互い集中した会話になった。彼女らはタイ人でやはり4月にアメリカにやって来て、ここで英語を学んでいるらしい。俺は空かさずどうやれば、学校には入れるのかを聞いた。直接学校の事務室のような場所へ行って早口英語を聞くより、彼女らを頼ることがよっぽど安心できると踏んだ。丁寧に彼女らは俺をオフィスまで導いてくれ、事務員に俺の希望を言ってくれた。結果、俺は早速明日からクラスで授業を受けられるらしい。俺がキュートと想うほうのタイ娘は盛んに俺を同じクラスにしてもらえないかと、下手な英語で事務員へ捲し立てている。その懸命ぶりを横目で見て俺は胸がときめく。彼女の希望も叶わず、事務員は俺と一言二言話すうち俺は彼女らより英語力が劣っていると踏んだのか、彼女らより1ランク下のESL1Bというクラス行きを命じた。明日の午前10時からクラスに登録されるとのことだ。それで1セミスター分の授業料25¢(安い!)を払い、彼女らともっと親密になりたい一心の興奮する気持ちを抑えつつ、彼女らへ再会を誓い、足早に学校を後にした。しかし、俺はノルマ無い人間。時間だけはいっぱい余る。とりあえず学校周辺を一人寂しく散策した。結果、学校から歩いてリトル東京へも行ったり、ダウンタウンのメキシカン銀座(ブロードウェイBLVD沿い)で安いコーヒーメーカーを買うこともできたし、しかも中華街も隣接と抜群のロケーションと判明した。明日からの学園ライフが非常に楽しみだ。その夜、あのタイの少女を想いつつ枕を抱きしめ眠りに着いた俺。 |
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2002年05月21日 00時22分41秒
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| すっかり馴れた俺のLA生活。初めて使うラジオのアラームが俺を深い夢から醒ます。久々の早起きに少し身体がキツイ。熱いシャワーで身を清め、一番乗りでハウスの食堂に入った。すっかり顔を覚えてくれた食堂のオバちゃんに開店前のコーヒーを強請る俺。オバちゃんは俺の早すぎる来場にサムシング何かあることを察知する。そうだ俺は今日から学校のとあるクラスに所属する生徒なのだ。英語を覚えることよりも、世界中からやって来たクラスメートと上手く溶け込めるかが気ががりだ。今日のために昨晩新しい鉛筆にノートを買った。すごい緊張感が募る俺。それに昨日仲良くなったタイ人娘に早く再会したい俺。興奮気味に朝飯を突っつき、部屋へ食パンを2枚持ち帰り、新しいコーヒーメーカでモカを注ぐ。俺は更生する。 時間が8時半を過ぎた。少々早すぎる感もするが、俺はアダルトスクールのあるダウンタウンへバスで向かった。ハウスから学校に40分くらいで着くことが解った。そして眩しい陽光が降り注ぐカフェテリアで俺はわざとらしくも日本から持参の英和辞典で気になる単語をノートに書き込みながら、周りを見渡す。あの子は現れない・・・。 さぁ10時が近づいた。俺は入るべきクラスを探す。クラスは案外直ぐ見つかった。カフェテリアあるビルの4Fまで階段で昇り、直ぐ正面だ。ESL−1B・KIMだ。KIMというのは、先生の名前らしい。俺は興奮を抑えて平常心を装いクラスのドアを開けた。早くも15人位生徒がいる。その全員が中米人だ。スペイン語が飛び交う教室で俺は冷静沈着に適当な席に着く。席は自由のようだ。ぞろぞろ生徒が入ってくるがどいつもこいつも、メキシカンだ。俺は孤独感に襲われる。何を喋っているか全く解らない。生徒間で英語なんて使っていない。しかし、一人教室の隅にアジア人らしい男の子を見つけた。俺は横目で彼の行動をマークする。どうやらスペイン語は喋れないらしい。俺は内心ホッとするうちにベルが鳴る。その音と同時にドアからまた別のアジア人がやって来て、教壇に立ち大きな声をあげた。戸塚ヨットスクールの校長に似た、中年ハゲオヤジが教壇の指揮をとる。そうだ、彼がKIMだ。彼は俺を見つけるなり、『WHO ARE YOU?』 と呼びかけた。クラスの視線は一斉に俺に向く。俺はKIM氏に昨日事務室でもらったレジストレーションカードを見せた。全く新入生が入ってきているとは知らされなかったみたいだ。彼は俺を認めた後、『WHERE ARE YOU FROM?』と解りやすい発音で問う。俺は日本だと答えるや、教室から歓声が上がった。余程こんな所に日本人がいるのが珍しいのか?カフェテリアで見かけた幾人かの日本人がいると思ったのだが・・・。(後に日本人の大半は留学ビザのVISAクラス生徒と判明) KIM氏は韓国系アメリカ人だ。しかし宏似の顔に似合わず、英語はペラペラだ。どうやら教科書はこのクラスでは使わないらしい。プリントされたいくつかの英文を皆で復唱したり、動詞の原形、過去形、過去分詞の書かれたプリントを読まされたり、中学英語のレベルだ。しかし、全てが英語での説明なので、逆に一言一言集中して聞けてしまう。生まれて初めて英語を勉強したよな感覚だ。あっという間に最初の1時間目が終わった。休み時間大半の生徒が階下のカフェテリアへ降りていった。生徒といっても年齢層は10代少女からから60代おじいちゃんまでバラエティーに富んでいる。もう一人のアジア人少年は休み時間は孤独に本を読んでいる。俺は気になるので積極的に声をかけた。彼はベトナム人でフン君ということが解った。LAにも南ベトナムから逃れてきた人とその親戚が大きいコミュニティーを作っているらしい。彼の純白なYシャツと七三分けが誠実さを物語っている。そして2時間目も難なく終わり、帰り際KIMにシーユートゥモローと声をかけられ、クラス後にした。俺はカフェテリアでタコスとコーラを買い、昨日タイ人の娘と出合った同じテーブルに着き、彼女らを待ち伏せた。しかし1時間待っても彼女らは来ない。俺はため息だけをそこに残してスクール初日を終えた。 |
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2002年05月21日 00時21分29秒
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| 学校という絶好の居場所を確保した俺は、腹底から安心感が沸き始め、夜の行動を再びKと供にする機会が芽生えはじめた。どんなに悪さしたって、明日は学校に行かねばならぬ。上手く言えぬが、俺には底無しの危険な遊びだったKとの行動が、ようやく学校という魔力で3メートルくらい下に底が現れた感覚に陥った。 Kとのナイトパトロール解禁の晩、ハウスでの食事を終え、俺は近所のセブンイレブンでゲットしたLA市内の地図を夢中で眺めていると。kのオンボロセリカのクラクションが窓外を響かす。俺は小走りで久しく座っていなかったセリカのシートにダウンした。さぁ出発だ。Kは俺とツルンでいなかった2週間、日系人サーファーと親しくなっていた。その関係で手に入れた北カリフォルニア産のモタというのをポケットから取り出した。俺も毎晩晩酌ならぬ晩服を決めているため、散歩中に近所で見つけたメキヤンプッシャーからゲットしていたモノを持ってきたのだが、Kのそれとは雲泥の差だった。まだ収穫したてであろうそれは、触ると草特有のヌルッとした湿り気と牧草のような香ばしさがあり、俺を興奮させた。まぁ火を付けてみろよと言わんばかりのKの幸せじみた満面の笑みが、俺をさらにKの感じている世界への入口を大きくする。俺は100円ライターでパイプに詰めたその物を豪快に炙った。すると後頭部がバチンと音を立てて俺の身体がシートに埋め込まれた。物凄い深いトビに俺はKを尊敬し、最敬礼を施した。ラジオではクイーンの名曲が流れる・・・。宵の口なLAの街はブルーに包まれる。そしてあちこちからオレンジや白の明かりが灯りだす。オンボロセリカは庶民の味方am−pmで停泊した。中に入ると、その店には陳列してある、ありとあらゆるメルヘンチックなジャンク品が迎えてくれた。まず予算を10$と決め、Lサイズの紙コップに氷とコーラを注ぎ、2個で99¢の激安ホットドックに刻み玉ねぎとスライストマトを詰め込み、少量のケチャップと多めのマスタードをかけ、手動で出てくるソフトクリームに大量のハーシーズチョコをかけ、最後にレジ脇に在るフリトレーのスナックとヴァイスロイという名の安タバコを手に入れた。あまりにもトビが凄いため俺とKは店中、隅々の商品を1個ずつ丹念に見回した為に1時間も浪費してしまった。俺なんかレジで支払いの際ぶっ飛んでいて、ズボンのポケットに在った10ドル紙幣を取り出したと思ったら、、間違えて同時に草の入ったビニール袋も出してしまい、レジの長髪兄ちゃんに笑われてしまった次第だ。カリフォルニアでマリファナは違法だが、大量の取引をするギャングが見せしめで捕まる以外殆んど警察も寛容らしい。なぜならばパーティーには欠かせないものらしい。高校時代、将来を考えず、その場その場の自由を謳歌していた俺は、なけなしの草を知り合いから分けてもらい、思いっきりそれを吸って息を止めこんで知ったトビで、アメリカ音楽、映画などの衝撃的世界を知り、いつのまにかにここまで来た。それは間違えではなかった。やはりアメリカの映画産業、または音楽、ケーブルTVなどのスケールの違いはドラッグ文化から来るものであろう。 ジャンクを夢中で腹に詰めた俺らは内臓に快感を覚え、気持ちいい気分全快になった。そして安タバコを一服をし、Kはセリカを始動させ、ハンドルを110サウスSAN PEDROフリーウェイに持って行き、一気に南下する。110番のフリーウェイ上に広がる景色は俺にとって初めて見る風景だ。すっかりそれは暗くなり、街はオレンジの街路灯一色だ。それに照らされたパームツリーの列はマジックマッシュルームを連想させる。サウスセントラル〜ガーデナ〜トーランスを抜けたオンボロセリカは、いよいよ終点であろうサンペドロに辿り着いた。が、道は左に伸びる・・・。山か丘の上であろうその道を進むと視界が一気に開けてきた!!!!なんとベイブリッジイ以上の豪快な橋がそこにある!俺は感動のあまり声を失った。山の山頂から橋が伸びて、LAの港やロングビーチの町並みが一望できる。大きい停泊中のタンカーや工場の煙筒群とトレーラーやコンテナの車庫など300Mくらいあろうかという高さから眺められる。その橋は意外と長く一直線にロングビーチのダウンタウンまで続いていた。俺が18年か生きてきてここまで鳥肌が立つほど感動したことはない。やはりKと遊んで精神的に様々な刺激を得たい。それが俺のアメリカに来た真の目的ではなかったか?世間体なんていらないのではないか?俺はLAの町並みが碁盤の目のようになっていることを始めて知った。まだまだ知らないことが沢山この地で眠っているはずだ。 |
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2002年05月21日 00時19分50秒
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| 時は1992年5月下旬、俺は朝からアダルトスクールにて英会話に励み、ハウスに戻って昼寝した後にKと行動を供にするというウイークデーのパターンが出来上がってきた。そしてとある夕方、海からの帰路、突然Kはオンボロセリカを暴動で焼討ちされた馬鹿でかいSEARSの駐車場に車を入れ、ニヤリと笑った。すでに俺らは北カルフォル二ア産の草でトンでいる。Kは運転席に俺を座らせ、運転の手解きを始めた。俺は全く運転は未経験だ。アクセル板とブレーキ板のほかにクラッチがあるとも知らなかったほどだ。クラッチの意味なんかも解らない。とりあえず俺は一通り10分ぐらいかけて教わった通りに、まずエンジンをかけライトを点灯させ、サイドブレーキを倒し、クラッチ板を踏みながらギアを1速に入れアクセルを踏み込んだ・・・が車はガコンガコンとエンストしてしまう・・・クラッチとアクセルの踏み方がどうしてもギクシャクしてしまう。ようやく発進してもギアチェンでガコーンと音を立ててエンストする。すっかり日が沈んだ人気が無い駐車場で車両が1台動いたり止まったり、さぞかし不気味な光景だっただろう。2時間ぐらい苦闘した末、第三者から、やばくないと思われるくらいに動かせるようになった。しかしセリカのエンジン室からなんだか怪しいノイズが生じてしまった。 Kは怖いもの知らずか知らないが、このままハウスまで運転しろと俺に命じた。この駐車場からハウスまではヴェニスBLVD1本だ。距離にして15分くらいであろうか。俺は無免で公道を走らされる羽目に陥る・・・。しかもぶっ飛び中に。額が冷や汗で滲んでいる。とりあえず駐車場から左ウインカーを出して、通行車が完全に途切れた頃合いに公道へ発進させた。しかし1速でアクセルを興奮してふかし過ぎて7千回転まで上昇させてしまい、慌てて2速入れようとしてクラッチ板を入れようとしたがなんだか離してしまいガコーンと音をたてエンストしてしまった。またも慌てすぎてハンドルを切ったので、再発進した際、切ったままのハンドルを戻しきれずに歩道へ片輪乗り上げてしまった。歩行者や他の車からの視線が気になる俺。Kは相変わらずはしゃいでいる。本線に戻したセリカは順調にゆっくりとハウスへ近づく・・。道中、信号待ちのときにパトカーが交差点を横切ったのを確認したほかは順調にハウスへ辿り着くことができた。俺はまさか短時間で公道を運転できるようになれるとは思いもしなかった。日本社会で生きてくると車の運転は長い時間かけて運転しなければ覚えられないと思いがちだが・・。Kのお陰で自信がついた。 |
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2002年05月21日 00時18分24秒
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| 俺が日本で6年間は英語授業を受けてきた。にカカワラズ、今日ここでその6年間の最初に習っていたような、初歩英語を習っている。しかし先生のMr.キムが発するネイティブな英語はディスイズアペンでもTHIS IS A PENと耳で感じ取れることができる。俺はアダルトスクールでの2時間ペンを握り締め非常に集中した。その集中ぶりは高校時代の競馬予想以来だろうか。そういえばこの地へ来てギャンブルを全くしていないと過去の栄光を想い起こし、授業に集中してたはずの更生した脳みそが再び騒ぎ始める・・・。俺はアメリカ西海岸の競馬事情に日本にいる頃から精通していた。それほど競馬を愛していたし、中学時には日本一血統に詳しい中学生だったと自負している。高校半ばで馬券で絶対はないと解り、スロット1本に絞ったが、俺はアメリカで競馬をするという夢をまだ抱いていたのだ。俺の脳からドーパミンが湧き出す・・・。 教室に溢れるヒスパニック達にシーユーネクストウィークと連呼しつつ教室を後にした。そしてストレートにハウスへ帰り、ハウスの応接間にある本棚からLA地図を取り出し、競馬場を探した。ハウスから一番近くにある競馬場がハリウッドパークだ。俺はその場所をあらゆる本ですでに知っている。ハリウッドゴールドカップという大きいレースは初夏にあるはずだ。明日は土曜だし開催してなくとも場外発売くらいはしている筈だ。俺はハウスからの行き方を暗記し、Kに明日の同行を頼むことにした。俺はそのロケーションに少々不安を抱いたからだ。なぜならば噂のサウスセントラルを通らなければならない。 Kの住む2Fへ駆け上がり、まだ寝起き直後のKに早速その旨をお願いした。Kは俺の真剣な眼差しを察知し、直ぐ承諾してくれた。ただしKはギャンブルを全くやらないらしい。明日の晩はハウス飯が無いことだし、美味しい皿でもおごってあげよっか。 |
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2002年05月21日 00時17分07秒
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| 翌朝、俺は土曜の朝にもかかわらず、ウイークデイと同じ時刻に目を醒ます。何か頭の天辺部分がポワーンと浮いた気分だ。そして全身へその浮遊感を伝達している。 Kは案の定、大きい口をあけ爆睡中だ。Kはハウス朝飯をもボイコットするくらいの遅起主義だ。Kには悪いが無理やり起こし、週末の為、ハウスのただ飯が無いので、急いでセリカを発進させてもらい、一路競馬場へ南下した。Kはイベントデイにはモタを欠かせないらしい。Kが作ったジョイントが俺の手へやってきたが、俺は賭け事に邪心は禁物と考えているので拒否した。Kはここまで執着した俺に苦笑いを浮かべる。途中一見でイングルウッドの個人経営ハンバーガーショップでやけに分厚いハンバーグを入れた、チリバーガーとチーズバーガーを食べた。厚い肉から濃厚な肉油がジュワっと出てくるが、大量に挟んでいるトマトとレタスの水っぽさに舌が洗われる。2つも食べたら腹が張るほどのボリュームだった。ハンバーガーはアメリカ人の主食だ。そして満腹気味の俺とKを乗せたオンボロセリカ号はレイカーズのホームグランドのグレートウエスタンフォーラムを越え、それに隣接した大きなスタジアムがハリウッドパーク競馬場というのが馬をモチーフにしたオブジェで解った。早速無料駐車場に車を止めた。どうやら今日は開催日らしい。たくさんの車が駆けつけている。トビ中のKを急かすように引っ張りエントランスへ向かった。入場料は高い。一人$7だ。映画館の入場と同じくらいだ。日本のように安くしてしまうと、貧乏人の集まりで、競馬場としての格や質が落ちてしまうためであろうか。入場料を払うと引き換えにレーシングプログラムを渡された。パッと見ると今日は9Rまである。8Rが重賞レースだ。時間は12時を回ろうとしている。すでに3R終了している。次のレースは俺にとって始めてのアメリカでのレースだ。馬券の種類を説明してあるプログラムのページを見入った。馬券の種類を述べると、単勝、複勝、連複、連単、3連単、2レース連続で勝ち馬を当てるデイリーダブル、同じく3レース連続で勝ち馬当てるデイリートリプル、4R〜9Rの勝ち馬を当てるピック6、1〜9R全部の勝ち馬を当てるピック9がある。全米で一番西海岸競馬はジョッキーのレベルが高い。俺は4Rを騎手で買うことを決めた。単勝でジャパンカップで物凄い手腕を見せたマッキャロンと日系人ジョッキーで日本でも有名なナカタニの乗る馬を選んだ。ついでにこの2頭を絡めた3連単を手広く買ってしまった。なんだか種類多き馬券に戸惑って、予想なんか疎かになってしまう。俺は見事にかすりもせず、4R5Rを終えた。6R12頭立ても狙った馬が着外に敗れた。しかし試しに買ったデイリートリプルが一点該当している。しかし7Rで選んだ馬は6頭立ての6番人気で勝ち目がないな・・・と思いきや、その最低人気はまんまと逃げ切ってしまった!さっきのレースは12頭立ての8番人気くらいだった。もし、次のレースで俺の選んだ馬が1着にくれば、遊びで買ったデイリートリプルが的中してしまう。8Rの重賞レース。俺は1番のケント・デザーモ騎乗逃げ馬をチョイスしている。その馬は前売りで9頭立て1番人気に上げられている。たくさんのモニターがオッズを映す。俺はデイリートリプルの配当が気になる。5,6,7、Rの配当がなんと4800倍だ!一口3$なので、それが4800$になったのだ。次のレース俺の一番人気な1番がきても2000$にはなるであろう。俺は事の重大さに他の馬券は買うことでずに、ただ1番が逃げ切ることを祈り、Kは俺の状況なんか知らずに、馬券を買わず馬とそれを取り巻くファンの様子をカメラに収めている。 俺はレースのファンファーレと共に武者震いがしてきた。 |
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2002年05月21日 00時13分38秒
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| 俺はゼッケン1番を付けた栗毛の美しい馬体に釘付けになった。この馬が約1800m先のゴールを先頭で駆け抜ければ、俺に数千$入ってくるのだ。間髪入れずゲートが開き、各馬一斉にスタートした。俺の1番は最初のコーナーで早くも後続を突き放し逃げた。俺の心臓が躍動する。俺の頭はKのトビよりもハイになり、息が荒くなるのが伝わってくる。頼むから逃げ切ってくれ!俺のデザーモが騎乗する栗毛馬は、1000m過ぎて5馬身リードしている!そして最終コーナーを回る・・・。『そ・の・ま・ま〜』俺はスタンドを1番馬とまるで伴走するかのようにゴールへ走った。しかし5番のナカタニの馬が猛烈に外から差し込んでくるではないかぁー!俺は自己の胸に潜んでいるマイオリジナル神様に祈願する・・・。粘る俺の1番に外から5番が襲いこんだところがゴールだった。俺は自分に外れたと思い込ませた。Kは俺の叫びを遠目で見ていたのであろう。俺のことを指差し笑いこむ。俺は外れたと思い込んでいる反面、実際には、かなり1番馬が先頭でゴールしたと確信している。被害妄想というか俺はネガティブに物事を考える主義だ。俺はTVモニターを熟視する。スローVTRがゴール前を映す。完璧に俺の馬が勝っているではないか!俺は確定するまで半信半疑だ。そしてそしてここで電光掲示板に1が一番上に表示された!!取ったぜ!『ウォー――』俺は一直線にKの居るサンドイッチ屋のテーブルへ走り出した。スゲーときめく俺にKも顔が綻ぶ。そして確定し、オッズが表示された。デイリートリプルナント3090$!! 俺は$3090ゲットしたのだ。ここで問題がまだあるのに気づく。俺は自分の年齢が18才だ。果たしてその年齢でギャンブルはできるのか?レーシングプログラムの最後のページに答えが記載されていた。日本同様カリフォルニアでもNOだ。そこで俺はKに払い戻しを頼んだ。窓口の黒人のおっさん係員はコングラチレーションというかけ声と共に、申請用紙のような紙をKへ差し出し、Kは住所等の必要事項を記入し、係員へ差し出した。KのSSナンバーにパスポートをチェックした後、漸く係員は俺が初めてみる1000$紙幣2枚を含んだ札束をKに手渡した。俺は何を食べましょうか?とKへ200$チップを与え、最終レースを前に車へ向かった。そしてオンボロセリカへ乗り込み、的中祝いに思いっきり草をキメこんだ。俺はさらにハイ状態へ舞い上がる・・・。Kも思わぬ臨時収入にご満悦だ。とりあえず寿司でも食べませんか?俺の問いかけに、Kはトロ〜ンとしてハッピー浮かれ気分を隠そうともせず、『いいねぇー――』と腹の底から声を発した。俺とKの旅が再び始まる・・・・。 |
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2002年05月21日 00時12分36秒
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| 俺はゼッケン1番を付けた栗毛の美しい馬体に釘付けになった。この馬が約1800m先のゴールを先頭で駆け抜ければ、俺に数千$入ってくるのだ。間髪入れずゲートが開き、各馬一斉にスタートした。俺の1番は最初のコーナーで早くも後続を突き放し逃げた。俺の心臓が躍動する。俺の頭はKのトビよりもハイになり、息が荒くなるのが伝わってくる。頼むから逃げ切ってくれ!俺のデザーモが騎乗する栗毛馬は、1000m過ぎて5馬身リードしている!そして最終コーナーを回る・・・。『そ・の・ま・ま〜』俺はスタンドを1番馬とまるで伴走するかのようにゴールへ走った。しかし5番のナカタニの馬が猛烈に外から差し込んでくるではないかぁー!俺は自己の胸に潜んでいるマイオリジナル神様に祈願する・・・。粘る俺の1番に外から5番が襲いこんだところがゴールだった。俺は自分に外れたと思い込ませた。Kは俺の叫びを遠目で見ていたのであろう。俺のことを指差し笑いこむ。俺は外れたと思い込んでいる反面、実際には、かなり1番馬が先頭でゴールしたと確信している。被害妄想というか俺はネガティブに物事を考える主義だ。俺はTVモニターを熟視する。スローVTRがゴール前を映す。完璧に俺の馬が勝っているではないか!俺は確定するまで半信半疑だ。そしてそしてここで電光掲示板に1が一番上に表示された!!取ったぜ!『ウォー――』俺は一直線にKの居るサンドイッチ屋のテーブルへ走り出した。スゲーときめく俺にKも顔が綻ぶ。そして確定し、オッズが表示された。デイリートリプルナント3090$!! 俺は$3090ゲットしたのだ。ここで問題がまだあるのに気づく。俺は自分の年齢が18才だ。果たしてその年齢でギャンブルはできるのか?レーシングプログラムの最後のページに答えが記載されていた。日本同様カリフォルニアでもNOだ。そこで俺はKに払い戻しを頼んだ。窓口の黒人のおっさん係員はコングラチレーションというかけ声と共に、申請用紙のような紙をKへ差し出し、Kは住所等の必要事項を記入し、係員へ差し出した。KのSSナンバーにパスポートをチェックした後、漸く係員は俺が初めてみる1000$紙幣2枚を含んだ札束をKに手渡した。俺は何を食べましょうか?とKへ200$チップを与え、最終レースを前に車へ向かった。そしてオンボロセリカへ乗り込み、的中祝いに思いっきり草をキメこんだ。俺はさらにハイ状態へ舞い上がる・・・。Kも思わぬ臨時収入にご満悦だ。とりあえず寿司でも食べませんか?俺の問いかけに、Kはトロ〜ンとしてハッピー浮かれ気分を隠そうともせず、『いいねぇー――』と腹の底から声を発した。俺とKの旅が再び始まる・・・・。 |
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2002年05月21日 00時10分07秒
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| 俺の薄汚れた501のポケットには競馬で当てた大金が入っている。Kは俺のバク才を賞賛する。さぁ自由に使える思わぬ収入を得てしまった。俺とKが向かうは日系企業で賑わうトーレンスだ。そこにはありとあらゆる日本食レストランが暖簾を掲げているはずだ。車は競馬場を出て南下すること20分、俺は車窓に移る自分のシルエットへ薄ら笑いを浮かべつつ、次回の競馬場突撃を構想した。ウエスタンアベニュー沿いに日本語で書かれたありとあらゆる看板が目立ち始めた。そしてヤオハントーレンス店を越えて交差点を右に折れたら寿司&しゃぶしゃぶ食べ放題の看板が見えてきた!Kへその店を示唆すると、猛烈な勢いでハンドルを傾け駐車場に入れた。店の名は灯台といい、(http://www.todai.com/pages/menus/sushi.htm)一人ディナービュッフェ代約$18で食べ放題だ。俺とKは暗くて優しい灯りに包まれた店内の一角に席を与えられた。さぁ食べよう!俺とKは争うように皿へ寿司をテンコ盛りに乗せて、席へ戻る。それにコーラで祝杯を揚げて、久々の日本食と言える飯を堪能する。草がまだキマッテいるせいか、俺が日本で18年間親しんできた味を久々に口に入れて、舌、喉、食道、胃がすごいそれを歓迎しているのが判る。お腹が心地いい感覚で溢れている。俺は中でもサーモンに目がない。それだけでも20個位は口にした。Kもひたすら席と寿司コーナーを行き来する。他の食い物には目が行かない。5皿ずつ位食べたのであろうか?そこで俺らは腹を満たし、デザートへ矛先を変えた。俺はバナナとマンゴーにヨーグルトをかけてお口直しを施し、晩餐の幕を閉じた。外に出るとそこは夜だった。郊外特有の虫の音がどこからか聞こえてくる。俺とKを浮かれさすようにまだ見ぬ土地へようこそと誘っているようにも聞こえてくる風情ある音だ。Kはセリカ車内で思わぬことを言い放つ。『ラスベガス行こか?』俺のバク才というか幸運さを知ったKはお互いに行ったことのないその土地へと誘い出した。俺の落ち着きを取り戻した頭が再び作動する。俺は月曜からの学校を心配したが、半分は諦めかけてKとのラスベガスツアーに夢を託した。早速気が早い俺らは、着替えをとあるモールの安売りショップで買い込み、ラスベガスへ向けて突撃した!!再びオンボロセリカは雄叫びを上げた! |
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2002年05月21日 00時07分13秒
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| フリーウェイを疾走するオンボロセリカは、夜が寂しいLAを離れ、砂漠の不夜城街へと一直線に北上する。俺らの熱い期待を載せて。俺もKも新調した服でクールにキメテカジノを楽しみたい。15番フリーウェイを2時間ほど走ると荒野地帯と満天な星に包まれた、宇宙へ向けて飛び立つような錯覚に陥る。そしてそして、荒野の彼方に一筋の白光した線が浮かんできた、それは徐々に拡大し、やがて大きく艶やかなネオンだと判った。そしてカジノが道の左右に建っているのが肉眼に捉えた。いよいよ来たラスベガス!と思いきや、あるのは左右の2件だけではないか。カリフォルニアーネバダの州境ラインと判明したのは、メキシコ旅行でゲットした地図の最端に描かれた、ラスベガスの位置からだった。なるほど、ネバダに入って合法カジノが楽しめるんだな。気の早い連中がここで運試しだな。俺も既に賭け事モードに頭は移行し、見学だけにしようというKの意見なんか耳奥へは入らない。Kは仕方なくカメラを取り出し異国の地を楽しむ。俺はまっしぐら初めてのカジノ場へINした。ドアを潜ると係員が歓迎してくれた。俺の容姿を見るなりガキと判断したのか、何かを言いたそうだったが、俺は笑ってごまかして、人の群れへ消えた。週末だからであろうか、館内満員御礼だ。 俺は早速、ポケットにあるクォーター(25¢硬貨)をスロットマシーンに投げ込んだ。そしてそれは瞬く間に飲み込まれてしまった。続いて20$分をクォーターに両替し、日本で手馴れたポーカー機に夢を託す。現金を機械に入れて賭けをするなんてご法度な行為だった我々日本人には堪らなく興奮することだ。俺はフォーカードなどの大役を何回か繰り帰すうちに、300枚くらいクレジットされた。俺はもう画面に釘付け状態だ。充血しきった目に不貞腐れたKが視界に入ってきたのはそれから直ぐのことであった。Kはなんだかカジノルームをカメラに収めようとしたら、係員に警告されたらしい。厳重にチェックされている。そういえば監視カメラも至る所にあるではないか。ディーラーと組んで不正する奴が絶えないらしい。Kが俺のポーカープレイを横で見る。徐々に役が付かなくなり、一時は300枚代だったコインが100枚程度に減ってしまった。Kが来た途端に・・・。疫病神が来たと感じては気の毒だが・・・。ひょっとしたら、遠隔操作があるかもしれない。日本の先端のコンピューター化されたパチ屋でさえ、違法で行われているくらいだから。とにかく怪しい客や、悪質な客を追い出すために無言の排除作戦には格好な手段であろう。俺は100枚足らずのクォーターを下ろし、ポケットに入れ、ボーダーでのカジノを終えた。時刻は午前一時。まだまだ夜は続く。 |
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2002年05月21日 00時05分21秒
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| ボーダーでの運試しを終えた俺らは、再び15番のフリーウェイで北上する。再び砂漠の荒野地帯へと突入だ。地平線の彼方に沈みかけた月がやけに黄色に変色し、気持ちが悪い。Kはバックからパイプを取り出し、俺がネタを自然とそれへ詰めた。そして覚めていた五感が再び深い世界へと導かれる。荒野の彼方にさっきとは違う一面に伸びた筋光を捉えた。それが徐々に拡大し、やがてそれは人間が作ったコミュニティーだと判別でき、俺らはその光群へ突入した。時刻は2時過ぎ。ラスベガスシティー到着だ。メインストリップを徐行するオンボロセリカは一面に乱立する電飾されたカジノホテル街に包まれた。何か久々に東京の繁華街に帰ってきたような感じがして興奮する。 さてどこへ行けばいいのか?期待に満ち溢れている俺を尻目に、Kはいち早くどこかでオンボロセリカと供に眠りに着くことを示唆し始めた。無理もない。西も東も南も北も全てカジノが入ったホテルで埋め尽くされている。汗と埃に塗れた俺らはこんな豪華なホテルに泊まるなんていくら何でも、場違いのようで恥ずかしい。Kは眠気に負けて、ムリヤリとある大ホテルの駐車場にハンドルを切り、駐車代がかからないのを確かめ、シートに倒れこんだ。俺も仕方なく明日へ備える事にした。俺は何だか不安感が募り始めた。 |
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2002年05月21日 00時03分35秒
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| 容赦ない太陽光がラスベガスを襲う。俺とKはほぼ同時に目を醒ます。時刻は午前8時。全身汗と埃でベトベトだ。決して心地よい目覚めとはいえない。しかし俺はラスベガスでのカジノをいち早く試してみたいと思い、身体の臭いを新調した服で覆い誤魔化し、俺は独り車を飛び出た。どうやら、サーカスサーカスという名のカジノホテル専用駐車場で俺らは寝ていたようだ。潔くホテルのドアを開けてカジノに入った。程よい冷気が発汗しきった身体を心持ち癒す。俺はフロアを一巡した後、ルーレットを勝負することに決めた。まず一枚50¢の色付きチップに替え、卓に着いた。ディーラーはアジア人だ。先客は4名いる。最低チップを4枚は張らないといけないとのことだ。つまり、勝負するなら2$以上賭けろとのことだ。俺は客の賭け方を見て様子を窺う。ディーラーが球を投げ入れる。そしてルーレット盤上を回転する球の勢いが弱まりかけた頃、ディーラーがノーモアベットと声を発してベット締め切りだ。客の張り方は千差万別で、赤黒に絞る奴や一つの番号を中心にお城のようにチップを張る奴など、見ていて勉強になる。稀に大ヒットした客はディーラーに謝礼のチップを与えるのが習慣だ。俺は取りあえずミニマムな2$を適当に張った。そしてその内の1枚がヒットして36枚になった。俺は脳からアドレナリンが分泌しだし、バニーにコークを頼みタバコを吹かす。俺はその卓上に入れ替わる客をよそ目に、3時間ほど夢中になってしまった。一時は200$位浮いたのだが、あるディーラーに変わってから、泣かず飛ばずの戦況に陥った。それに16に大量に張った俺のチップをどこから見ていたのだろうか一度16の数字に入りかけた球がポコッと浮いて外れてしまった。俺は確実に遠隔操作がラスベガスでも行われていると確信し、席を立った。俺はこの遠隔が日本同様上手く利用できれば喰えるなと目論んだ。 俺は夢中になって、Kを見失った。駐車場に戻ると停泊していたはずのオンボロセリカとKがいない。すっかり3時間もの間姿を消してカジノに夢中になっていた俺にKはオムズカリに違いない。俺は考えた。Kには悪いがこの街でしばらく自分を試そうかと。どうせ一つしかない人生。今しか出来ない良い機会だ・・・。俺はKの車を探し出す。Kは俺を軽く脅すつもりであったのだろうか、待つこと直ぐに、戻ってきた。Kは俺に一言小言を放ちそして怒りの表情も消え、元に戻った。どこまでも優しい人だろう。俺は今日を最後に独りでここに残ると告げた。Kはしばらく考え、そして大笑いで俺を罵りつつ健闘を祈ってくれた。今夜が最後の晩餐だ。とりあえず足がなくなる前に定宿となる安ホテルでも探そう。 |
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2002年05月20日 23時59分58秒
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| 容赦ない太陽光がラスベガスを襲う。俺とKはほぼ同時に目を醒ます。時刻は午前8時。全身汗と埃でベトベトだ。決して心地よい目覚めとはいえない。しかし俺はラスベガスでのカジノをいち早く試してみたいと思い、身体の臭いを新調した服で覆い誤魔化し、俺は独り車を飛び出た。どうやら、サーカスサーカスという名のカジノホテル専用駐車場で俺らは寝ていたようだ。潔くホテルのドアを開けてカジノに入った。程よい冷気が発汗しきった身体を心持ち癒す。俺はフロアを一巡した後、ルーレットを勝負することに決めた。まず一枚50¢の色付きチップに替え、卓に着いた。ディーラーはアジア人だ。先客は4名いる。最低チップを4枚は張らないといけないとのことだ。つまり、勝負するなら2$以上賭けろとのことだ。俺は客の賭け方を見て様子を窺う。ディーラーが球を投げ入れる。そしてルーレット盤上を回転する球の勢いが弱まりかけた頃、ディーラーがノーモアベットと声を発してベット締め切りだ。客の張り方は千差万別で、赤黒に絞る奴や一つの番号を中心にお城のようにチップを張る奴など、見ていて勉強になる。稀に大ヒットした客はディーラーに謝礼のチップを与えるのが習慣だ。俺は取りあえずミニマムな2$を適当に張った。そしてその内の1枚がヒットして36枚になった。俺は脳からアドレナリンが分泌しだし、バニーにコークを頼みタバコを吹かす。俺はその卓上に入れ替わる客をよそ目に、3時間ほど夢中になってしまった。一時は200$位浮いたのだが、あるディーラーに変わってから、泣かず飛ばずの戦況に陥った。それに16に大量に張った俺のチップをどこから見ていたのだろうか一度16の数字に入りかけた球がポコッと浮いて外れてしまった。俺は確実に遠隔操作がラスベガスでも行われていると確信し、席を立った。俺はこの遠隔が日本同様上手く利用できれば喰えるなと目論んだ。 俺は夢中になって、Kを見失った。駐車場に戻ると停泊していたはずのオンボロセリカとKがいない。すっかり3時間もの間姿を消してカジノに夢中になっていた俺にKはオムズカリに違いない。俺は考えた。Kには悪いがこの街でしばらく自分を試そうかと。どうせ一つしかない人生。今しか出来ない良い機会だ・・・。俺はKの車を探し出す。Kは俺を軽く脅すつもりであったのだろうか、待つこと直ぐに、戻ってきた。Kは俺に一言小言を放ちそして怒りの表情も消え、元に戻った。どこまでも優しい人だろう。俺は今日を最後に独りでここに残ると告げた。Kはしばらく考え、そして大笑いで俺を罵りつつ健闘を祈ってくれた。今夜が最後の晩餐だ。とりあえず足がなくなる前に定宿となる安ホテルでも探そう。 |
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2002年05月21日 00時00分03秒
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| 俺とKは本日限りで別の道へ進む。ラスベガスのメインストリップを北上し、俺のこれからカジノライフの基地となる宿を探す俺。俺はなるべくカジノホテル密集地帯から近くて安いモーテルを希望した。北上すること直ぐに左右いくつかのモーテルを発見した。そして小奇麗で安心して泊まれそうなWモーテルに車を入れてもらい、フロントに汗まみれの身体で平静を装いつつノロノロ近づけ、交渉した。俺は完全英語な、アメリカンコミュニティーに独りで生活しなければならない。フロントとのやり取りくらいできなければ、暮らしては行けない。俺は落ち着いて自分がこの1ヶ月で覚えた英語を駆使して何とか俺の意志をフロントに伝えることができた。Kは少し奥まったところのソファーで様子を窺う。俺は思考した結果3泊分支払い、(80$位)2Fの一番奥にあるシングルルームへ案内された。俺とKは代わる代わるシャワーで身を清めた後、周辺を探索することにした。まずコーラを欲した俺らはセブンイレブンに入った。するとポーカーゲーム機が店内にあり1$分速攻でやられてしまった。ネバダは至る所に賭けがあるようだ。カジノ密集地帯まで歩くことにした俺らは、熱い太陽にすっかり滅入ってしまい、腹も減ったのでステーキハウスに入った。俺は分厚い肉が嫌いだ。というか食べれない。Kはステーキにむしゃぶりつきながら食べる。日本で滅多に食べれないようなサーロインステーキをKすぐに食べ干した。俺は結局ステーキしかないこの店では、箸ならぬフォークを手にすることはなかった。 外に出ると再び灼熱太陽が襲ってきた。毎日カジノへ通おうとしている俺にとって、車がない生活はとてつもなくハードになろう。 モーテルに引き返した俺らは結局昼寝をしてお天道様が下がるのを待った。 夕刻、Kは車のセルを動かし、俺は自身の荷を全てオンボロセリカから取り出し、俺のシングルルームへ運んだ。いよいよKとの最後のドライブだ。俺は周辺の地理を把握したいが為、ネイバーパトロールをKに頼んだ。車はモーテルの周辺を徘徊する。路地に在る砂漠上に建てられた住宅地には、ムリヤリ芝生を作ってあり、スプリンクラーが勢いよく水を充て続ける。そしてその内の1軒の家が売りに出されている。価格は4万$だ。高級外車1台分で家が持ててしまう。しかし砂漠の上だ。安いか高いかはまだ俺には判らん。そして再び大通りに入り込んだ。至る所に質屋がある。カジノで負けて熱くなった人々がすぐに頭に浮かぶ。ギャンブルも一種の麻薬だ。深入りはできない。 逆に質屋で何かを買う立場になりたいものだ。車も至る所にFOR ・SALEの看板を掲げているではないか。免許もない俺は閃いた!!「ここで今、足を買います。」俺は叫び、Kは爆笑した。無理もない俺にはまだ免許がないではないか。俺とKは中古車が並ぶガレージにセリカを停めて、丹念に1台1台見て回った。俺はキャデラックの15年落ちで800$のやつをエライ気に入り、Kに見てもらったが、Kは俺に真顔でアドバイスをした。「壊れそうな車乗るより、安くて丈夫な日本車を買ったほうが無難だぜ。」 俺はそれに頷き、カリフォルニアナンバーのトヨタスターレット12年落ちをKに調べてもらった。エンジンルームやタイヤなどを調べたKはOKサインを俺に出した、値は1000$。俺は競馬での勝ち分からキャッシュで質屋のオヤジに払った。免許の提示もなく、現金と引き換えに直ぐレジストレーションカード入りの車を手に入れた。セリカ同様5速シフトだが、結構セリカよりスムーズに動かすことができる。俺はオンボロスターレットと共に街の姿になった。セリカとスターレットはすっかり暗く?ではない明るくなった、ラスベガスのメインストリートへ足を運び、車を一番凄そうなホテルの駐車場に入れ、最後の晩餐を送る・・・。 |
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2002年05月20日 23時57分16秒
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