1010
ガラガラガラッ
ピシャン
今日ばかりはただいまを言うのを忘れていた。
トントントン
誰かが玄関に向かってきている。
誰かは、大体わかる。
「あれ? 梓お姉ちゃん早かった……ど、どうしたのその 人!」
予想を裏切らない登場と、これまた予想を裏切らない初 音の台詞が玄関に響いた。
「初音、布団用意して。この人を寝かせるから」
「どうしたんだ梓?」
「耕一、丁度いい。この人の足の方持って、ほら!」
「えっ? お、おうわかった」
多少戸惑いながらも、耕一と初音は理由も聞かず、あた しの言う通りに動いてくれた。
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柏木家 客間
さっきの人は意識を失ってるだけで骨が折れてるとかの
損傷は無かった。
スゥスゥ…
ただ、まだ目は覚めてないけど。
「で、何があったんだ? 梓」
耕一が、すぐそばで寝ている例の子を横目で見たあと、 あたしにきいた。
「お買い物しに行ったんじゃないの?」
同じく初音も当然の疑問を言う。
「うん、買い物のつもりで商店街行こうと思ってたんだけ
ど、途中で雨月寺が目に入っちゃって。色々ちょっと挨拶
しようと思って寄ったんだ」
「「うん」」
「暮石の雪とか払ったあとにちょっとお祈りして、そのあ
とお湯をかけてあげようと思って下に行ったんだ。ほら、
下のほうの蛇口にお湯が出るとこがあるじゃない」
「そうなのか?」
「うん。下のとこには1つだけお湯がでてくるところがあ
るの」
二人の会話が終わって、こっちの話を聞く体制に戻った ところで、あたしは話を続ける。
「そこへ行こうとして階段を降りようとしたらこの人がぎ
こちない足取りで階段を降りてたんだ。病人だったら大変
だってことで声をかけたんだ」
「それで?」
「そしたらこの人ビックリしたみたいで、足を踏み外して
階段から落ちそうになったんだ。危ないって思ってとっさ
に力使って、この人が地面に衝突する前に空中で抱きとめ
たんだけど…」
「まぁ、緊急時だから力を使うのはしかたないな。それで
?」
「でも、跳んだ方向が悪くって、そのまま階段の前の鳥居
に衝突しちゃって」
「完全にお前のミスじゃないか」
「まぁ、そう、だけど……」
声が段々と小さくなっていくのがわかる。
あたしは、わかりきっていることを改めて耕一に言われ 、多少腹が立つも、もっともな事なのでなにも言えなかっ た。
「大丈夫かなぁ、この人」
心配そうに初音が、気絶している例の子を覗き見る。
「気絶してるだけなら、そっとしとけば目覚めると思うけど…」
自分で言っておきながら不安を覚える。
「も、もし目を覚まさなかったらどうしよう?」
「大丈夫だよ初音ちゃん。さっき足を触った時に判ったけ
ど、この人はサッ
カーかなんかをやってる。だから体力はあるはずだ」
「なんで足を持っただけでわかるんだ?」
「お前だって陸上やってるだろ?」
「うん」
「この人の足のふくらはぎの部分に無駄な脂肪がなかった
んだよ。お前も触ってみれば判るよ」
「えっ? じゃ、じゃあ失礼して…」
グッグッ
へこまない、弾力のある筋肉だった。
「あっ、本当だ。凄い筋肉」
「なっ? だから大丈夫だろう」
「力入れてないのにこんなに筋肉がわかるんだから、この
人相当やりこんでるな。人は見かけによらないもんだねぇ
…」
「そうだな……ん?」
耕一が、なにかを発見したような呟きをあげる。
「どうしたの? 耕一お兄ちゃん」
初音が、まるであたしの代弁をしてくれているかのよう に耕一に尋ねた。
「この子、前に見たことがあるような…」
「なんだよ耕一、知り合いだったのかよ」
「いや、そんなに深く知り合ってる訳じゃない。名前は知
らないんだから」
「忘れてるのによく自信もって言えるよな」
「そういう確信があんだよ」
「じゃあなんで知ってるかは…?」
「ああ、思いだせない。う〜ん……」
唸って考え出し始めた。
「とりあえず、気絶してただけでよかったぁ」
「そうだね。あ、梓お姉ちゃん。お買い物は?」
「あっ、そうだった」
「わたしが代わりに行ってこようか? お姉ちゃん疲れて
るみたいだし」
「そう? ありがと初音。じゃあ、買ってくるものメモす
るからね」
かきかきかき
「はい、これだけお願いね」
「うん。じゃあ行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
ガラガラガラ
ピシャン
ふう。
ようやく普段どおりの生活に軌道修正ができそうだ。
さてと、この子を客間にでも移動させておこうかな。
このまま居間に寝かせておくのもどうかと思うし。
「よーし。耕一ぃ、度々で悪いけどこの人を客間へ運ぶか
ら足の方持ってよ」
「誰だったか…」
なにやらぶつぶつ言いながら、耕一はさっきのように足 をもつ。
「持ち上げるよー。せーのっ!」
「サッカーに関係があったような……」
少年を持ち上げる。
「客間はこっちだからな」
「高校のころに…」
「よしここだ。耕一、悪いけど、あたし布団出してくるか
ら、1人で支えててね」
サー
「出して」
バッバッ
「置いて」
ドサッ
「敷いて」
サッサッ
「最後に枕を置いて」
ポンポン
「こっちはオーケーっと。悪いな耕一、さぁゆっくり降ろ すぞぉ」
今思えば、一人でしょっていられるんだから、耕一に運
ばせておけばよかったかも知れない。
まぁ、あたしもしょっていられるけどさ。
少年を、客間に用意した敷き布団の上に寝かし、その上 から掛け布団をそえる。
「よし終わったぁ。ありがとな耕一、また運ぶの手伝って
もらって」
「いや、いいよ、運ぶの手伝うくらいどうってことないか
ら」
「はぁ?」
妙に丁寧な耕一のお礼の仕方に違和感を覚える。
「な、なんでそんなに丁寧なんだよ」
「じゃあ、俺は色々考えないといけないから……」
スタスタスタ
「お、おいこら」
なんなんだよあいつ。
人の話はちゃんと聞いとけっつーの。
ガラガラガラ
ん?
ピシャン
耕一が部屋から出ていった直後、扉が開いて閉まる音が した。
声がなにも聞こえないってことは…楓か。
正確には、ここまでは聞こえなかっただな。
スタスタスタ
こっちに気づいていないのか、楓はあたしのいる客間を 無情にも素通りしてく。
こらこらこら。
こっちに気付きなさいっての。
「楓ぇ、おかえり」
あたしが声をかけると、スタスタと、戻ってくる音が聞 こえてきた。
「……梓姉さん。ただいま」
「また散歩?」
「……うん、そんなとこ。…あれ、その人は?」
楓が寝ている子に気づく。
「この人は、ええっと、あたしのちょっとしたミスでね」
実際は、ほとんどあたしが悪いので、『ちょっとした』 どころではないんだけれど、ここではあえてこう言ってお く。
「……わたし、この人見覚えある」
「へ? 楓もこの人知ってんの?」
「?」
「耕一のやつもさ、知ってるんだとか言ってて、今思いだ
そうとしてるみたいなんだ」
「……」
「あいつ、普段はろくに物事考えないくせに、なーんか今
回は長いこと考え込んでなかなか考えやまないんだよなー
」
「(梓姉さんなんか、長く考えもしないと思う)」ボソッ
「えっ? 今何か言った?」
フルフル
「楓は、いつ会ったか覚えてるの?」
「わたしは一昨日に駅の前で会った」
「一昨日ってことは耕一を迎えに行った時?」
コクリ
「この人、鶴来屋のお客さんみたい」
「鶴来屋の? なんで」
「鶴来屋に行くバスはどこにあるのか聞かれたから…」
「そうなんだ。耕一に続いて楓も知ってるなんてね。世間
って狭いもんだねぇ」
「……」
「あたしも会ったことあるかも……う〜ん。だめだ、考え
てもわかんないや」
「(ほらやっぱり)」ボソッ
「ん?」
「ううん、わたし自分の部屋行くね」
「ああ、足止めて悪かったね」
「……」
スタスタスタ
…………あれ?
楓が帰って来る前までなに考えてたんだっけ?
う〜ん。
だめだ思い出せない。
ま、いいか。
思い出せないってことはあんまり大事な事じゃないんだ
ろう。
それにしてもこの子、なかなか起きないな。
さっきから随分動かしているんだけどなぁ。
「…………」
じ〜っ
この子、今良くみると女の子のような顔だ。
もしかして本当に女の子だったり。
いやいや、そんなはずないよなぁさすがに。
でも……女装させればへたすると結構上位を狙えそうな
…
おおっと、なに考えてんだあたしはっ!
いけないいけない……あたしはノーマルなんだからな。
自分の思わぬ考えは、多分かおりのせいだろう。
いや、多分じゃなく全対にしてこおう。
そうじゃないと困るので、無理やりにでもそうしとく。
1050
ガラガラガラ
「ただいまー」
ピシャン
さっきとは対象的に、今度はここまで(少年の寝ている 客間まで)声が聞こえてくる。
「おかえりぃ初音」
「ただいま梓お姉ちゃん。はい、頼まれたものとお釣だよ
」
「うん。売り切れたりしてなかった?」
袋を受け取ながら尋ねる。
「全部ちゃんとあったよ。おかげで早く帰ってこれたんだ
けど……お姉ちゃん、居間の布団出しっぱなしだったよ」
「あ、忘れてた」
そういえば、あのあとからずっとこの部屋に居たんだっ た。
「もぅ。じゃあわたしが片付けておくね」
「いや、初音。あんたはさっきから色々やってくれてるか
ら、しまうくらいあたしがやるよ」
「そお? じゃあ、わたしちょっと冷えちゃったから炬燵
に当たってようっと」
トテトテトテ
あの子は働き者でほんと助かるよ、うん。
じゃあ、お布団しまいに行きますか。
柏木家 居間
居間につくと、初音が頭以外を炬燵の中に入れてまるま
ってた。
それを横目に、あたしは敷いてある布団を畳んで持ち上 げる。
「よいしょお…………初音ぇ、これってどこから持ってき
たんだ?」
「う〜ん…ここから一番近い部屋からだよ」
「ああ、ありがとう」
1100
柏木家 居間から一番近い部屋
スゥスゥ…
この部屋か。
居間から一番近い部屋とは、あたしに気絶させられた子 が眠っている部屋であった。
う〜ん……1人部屋なのになんで布団が2つしまってあ
るんだ?
たしかにここの部屋はあまり使わないけど、2つも入れ
た覚えはないぞ。
とりあえずしまうけど。
しまい終わったあたしは、この部屋にある時計を見る。
1103
そろそろお昼か。
それじゃあ、初音に買ってきてもらったことだし、準備
しますか。
1145
柏木家 キッチン
カンカンカン(鍋を叩く音)
初音がこの部屋にいることを確認して言う。
「お〜い、楓ぇ、耕一ぃ。お昼できたぞ〜!」