"5"













12:35
柏木家 居間


「ふぅ、もう慣れたもんだよな…」

 炬燵の中に足を入れながら、昼食の後片付けの際に水で濡れた自分のふやけた手を見つめる。

 今じゃあ、この手の方が見る機会が多いかもしれないもんな。
 普段、手なんか見ないし…

「あれ? う〜ん……ちょっと、熱っぽいかな?」

 ふと、体の違和感に気づいたあたしは、そのふやけた手で額を抑えてみた。
 炬燵に入っているのでいまいち自信が持てないけど、あたしの体が少しだけど重く感じるということは、立ち上がってみなくてもわかった。

「……さて、と」

 ちょっと体調が悪いけど、時間も余ってることだし、ちょっと気が早いかもしれないけど晩ご飯の材料でも買ってこようかな。
 今行けば、少なくとも混んでないから疲れないだろうし……

「……よし」

 あたしは、少しだるい体を起こすと、生活費用の財布からお金を取り出し、晩ご飯の買いだしへと出かけた。









17:58
柏木家 居間

「ほんと調子悪いなぁ〜……」

 買い物に行ってきてから、本当に自分の体調が悪いことに気づいた。
 歩いている最中なんか、本当に体が重くて、荷物が増えた帰りなんか、本気で力を使って帰ろうかとも思ったくらいだ。
 さすがに使いはしなかったけど。

 折角世間が落ち着いてきたのに、ここでまた変な噂がぶり返したりなんかしたら、マジでシャレにならないからな…

 そろそろ準備しなければいけない時間だけど、体を起こしたくなかった。
 さてどうしようかと悩んでいたとき…


"ああっ! 目が覚めてるっ"


 初音の声が聞こえてきた……気がする。
 今の状態だと、なんだか自信がない。

 廊下に行こうか行かないかを迷っていると、また音が聞こえてきた。

トコトコトコトコ

スタスタスタスタ

 今度はちゃんと聞こえた。
 誰かがこっちに向かってきてる。

 聞き覚えのある歩き方だった。
 この歩き方は、初音と楓しか今のところ知らない。
 しかし…

トントントントン

「あれ? 一つ多いな…」

 今になって、足音が三つだということに気づいた。

 誰だ?
 耕一か?
 それにしては足取りが軽い気がするけど…
 あいつはもっとどっしりとした感じなんだ……

「……」

…と、考えてると、楓が顔を出した。

「梓お姉ちゃん、ほらっ、起きたんだよ!」

 ちょっとして初音も顔を出す。
 そして、初音の言った通りにもう一人の顔が居間に現れた…
















……ごろごろ

……ごろごろ

ごろごろごろごろごろごろ

ごろごろごろごろごろごろ

ごろごろ……ゴン!

「いて……」





17:45
柏木家 客間


 木。
 木材の木だ。
 その木の色が見える。
 それも、かなりのアップで……

 ぼくの目の前には、木のタンスがあった。

 ぼくは、痛む額を抑えながら、とりあえず状況を確認しようと思って立ち上がった。

ピッキーン

「うっ!」

 立ち上がると同時に背中に鋭い痛みが走った。
 正確には、背筋を伸ばした瞬間だった。

「背中が…」

 そうか…
 この背中は、雨月寺にある階段から落ちる時にぶつけたんだな。
 あれ?…落ちたっけな…

 少しずつだけど、どんどん記憶が蘇ってくる。

 いや、ぼくは落ちたんじゃないんだ。
 落ちたといえば落ちたけど、本当は落ちていないはずだ。

 あの時の浮遊感は、落ちる時とは別なんじゃないか?

 そう。
 例えるならば、あれは天使に体を持たれたような感じじゃないだろうか。
 ふわっ…て。
 墜落したようだけれど。

「そしてここは……鶴来屋?」

 見回すと、ぼくの寝ていた部屋は和室だった。

 鶴来屋……なんだろうか。
 どうも雰囲気が違う。

 第一、ぼくの荷物が何一つない。
 部屋のレイアウトとかもぜんぜん違う。
 廊下に続く襖なんてなかった……ん?

「襖だ! 廊下へ続く…」

 自分で思っておきながら、実際は気付いていなかったのがわかる。
 この部屋には、廊下へと続く襖があったのだった。
 しかもちょっと開いている。

「行くべきかここにいるべきか…」

 口では言いつつも、本当は廊下へ出ることに決めていた。

 それは、この家には人がいて、その人はきっと優しい人だと思ったからだ。
 なぜなら、天使の墜落で気絶したぼくを、ここまで運んでくれたからだ。
 深いことはいっさい考えないという上で、だけど。





17:55
柏木家 廊下

 廊下に出て、ぼくは辺りを見回した。

「……あっ」
「あ……お、お邪魔してます」

……本当は見回そうと思っていたんだけど、廊下に出た途端に人と鉢合わせしてしまった。

「ああっ! 目が覚めてるっ」

 鉢合わせしてしまった相手は、おそらく中学校の女の子だった。
 きょとんとした表情がはっとした表情に変わると、その女の子は大声をあげた。

 その子は、ピンとはねている髪の毛が寝癖なのか意識的なものなのかはわからないけど、とりあえず印象的な髪の毛をしていた。

「……初音、どうかしたの?」

 さっきの大声が聞こえたんだろう。
 恐らくここの家の人だと思われる人がもう一人、廊下の奥から現れた。

「あ、楓お姉ちゃん。ほらっ、さっきの人起きたんだよ」
「ど、どうも。お邪魔させてもらってます…」

 さっきから、ぼくの台詞が浮いている気がする。

「……こんにちは」
「あ……こんにちは」

 ここで挨拶をするのも滑稽な気がした。

「…色々と聞きたいことがあるでしょうけど、今は取り敢えず私達についてきてくれませんか」

 元々ぼくには選択岐はないような気がするので、もちろん…

「は、はい。わかりました」
「…じゃあ、こっちです」

 ぼくは、二人の女の子に連れられていく事になった。

 最初に会った子は、どちらかというと結構興奮している様子だったけど、新参者の女の子は、非常に落ち着いた様子だった。

 ちなみに、ぼくは最後までどもりっぱなしの緊張しっぱなしの状態だった…





17:00
柏木家 居間


「……」
「梓お姉ちゃん、ほらっ、起きたんだよ!」

 髪の毛が印象的な女の子に腕を引っ張られて居間に顔を出す。
 そこには、炬燵に足を突っ込みながら、なんだか気だるそうにして顎を炬燵に乗せている女の人がいた。

「…梓お姉ちゃん、どこか体調悪いの?」

 癖っ毛の子が、その人に言う。

「ああ…ちょっとね。でも、今はそんなことはどうでもいいな…」

 自分の体調のことよりぼくが目覚めたことに話を戻そうと思ったのか、その人は炬燵から体を出して立ち上がった。

「……あたしは柏木(かしわぎ) 梓(あずさ)。……そっちが楓で、こっちが初音。他には一人姉がいて…泊りにきている従兄弟が……」


ガクッ!


「…!」
「お、お姉ちゃん!?」
「大丈夫ですか!?」

 おぼつかない様子でみんなの紹介をしていると、突然…というより必然に、膝からガクンと崩れた。

「いや…このくらいならまだ大丈夫だから。それよりも、君の体に怪我は……」
「梓姉さん、もう喋らないで。…初音、私はこのまま梓姉さんを支えてるから、布団を持ってきて。できるだけ早く」
「う、うん。わかった」
「ぼくも手伝います」

 当然ぼくも手伝う。

 ぼくは、癖っ毛の子…初音ちゃんに連れられ、さっきぼくの寝ていた布団を居間へと運んできた。

 途中から来た子…楓さんによるとさっきの人…梓さんは、風邪、それも結構重度の風邪にかかっているそうだ。  ぼくと楓さんで梓さんの部屋まで運び、それからは楓さんに梓さんの看病を任せて、自然と二人になったぼくと初音ちゃんは、特になにもやることがなく居間に戻った。





17:20
柏木家 居間


「さっきからすいません! 起きたばっかりでなんにもわからないのに、なんの説明もしないで色々手伝わしたりしちゃって……」
「ううん、そんなこと関係ないよ。あんな時は、ぼくじゃなくたって手伝うよ。困った時はお互い様だよ」
「はい、ありがとうございます…」

 先々から感じていたことだけど、初音ちゃんはとてもしっかりしていて礼儀正しい。
 これは多分、しつけだけのレベルじゃないと思う。
 生れつきにしてよくできた子なんだろう。

「そういえば、お母さんかお父さん……」
「…………」

『がいないようだけど、どうしたのかな』

 と、続くはずだった。
 本当は。

 だけど、初音ちゃんの反応で、それが聞いてはいけないことだということに気づく。

 この場に居ないということでもっと察しておくべきだった。

「ごめん…」
「いいんです。もう慣れていますから」

 それが強がりということは、この子の性格のことを考えればすぐに検討のつくことだった。

 こういうことにはすぐ気づくのに…

「…………」
「…………」

 しばらく、二人で黙ってしまっていた。

 ぼくの撒いた種だ。
 ぼくがちゃんとしないといけない。

 そう思って、ぼくが家族以外のことを話しだそうとした時、ちょうど初音ちゃんが半秒前に口を開いた。

「そいえば、名前はなんていうんですか?」
「…あっ」

 すっかり忘れてた。
 ぼくは、自分の名前をこの家の人の誰も知らせていないことに、今、言われて気づいた。

「はは……そういえば教えてなかったね」
「はい」

 ぼくの空笑いが、妙に響いた気がした。

「ぼくは、佐藤 雅史です。隆山温泉には旅行で来ていて、鶴来屋に泊っているんだ」
「わたしは柏木 初音(はつね)です。旅行に……ということは、お父さんとかお母さんも鶴来屋にいるんですか?」
「ううん、ぼくは一人で来たんだよ。鶴来屋に泊まるのが昔からの夢で。高校生になってアルバイトができるようになったから、それで…」

 初音ちゃんが、お父さん、お母さんという単語を言う時だけにあった変なアクセントを吹き飛ばすように、ぼくは一気にまくしたてた。

「そうなんですか。鶴来屋はとっても良い宿だから、きっと満足できると思います」
「うん、そうだね。ぼくもすごく良い思い出を作るつもりいるんだ。この旅行でね」
「…はい」

 こころなしか、少し元気が出てきている気がする。

 とはいえ、突然ぼくが目覚めて、突然梓さんが倒れ、果てにはされたくない話をされてしまい、初音ちゃんの心はかなり疲れていることだろう。
 びっくりして、それから悲しんで…だものね。
 少なくとも、嬉しいことは何も起こっていないんだからな…

…と、この初音ちゃんの暗い雰囲気がこの後、一気に吹き飛ぶような事が起きるなんて、ぼくは全く予想打にしなかった。



「ただいまーっ!」

 と、再び沈黙しようとしていたこの居間に、ハリのある元気のいい声が聞こえてきた。

ガラガラガラ

ピシャン

「そうそう、歩いてたら思い出したぜ。あの子は佐藤くんだ、佐藤雅史。サッカーの遠征でこっちに来た時に見たことがあったんだ。いやー、中学生だった俺にはあの上手さは――」

 ぼくのことをでかでかという声が、玄関の方から聞こえてくる。

「!」

 その声が聞こえてきた時、今までうつむいていた初音ちゃんがバッと顔をあげた。
 そして、玄関からやってくるその声の主が居間に顔を出すのをじっと待つ様に、居間の入り口を見つめる。

 そして、当然その人は現れた。



「あれ、初音ちゃん居たんだ。いつもみたいに玄関に来ないからてっきり居ないのかと……あれ、佐藤くん、起きてたのか!?」
「おかえりなさい、耕一お兄ちゃんっ」

 現れた男の人は、初音ちゃんの頭の癖っ毛を包みかぶせるように手を置いて、 "ただいま" と言った。
 するといつのまにかに、さっきの初音ちゃんとは本当に思えないほど明るくて元気な女の子が、男の人の手の中にいた。

 耕一と呼ばれたその男の人は、初音ちゃんの頭を撫でながらぼくの方へと視線を向けた。

「やあ。佐藤 雅史くんだよね? 君の名前は」
「ええ、そうです」
「君が小学校のサッカー大会で東京に来た時に見たことがあってね。当時俺は中学生だったけど、君の上手さには本当に驚いたよ」
「それは……どうもありがとうございます」

 ぼくが東京にサッカー関係で行ったのは、小学生の時のトーナメント戦の時だけだ。
 かなり大きな大会だったみたいだから(当時のことだから余り覚えがない)、その時にぼくを見ていても全然おかしくない。
 覚えているかは別だけど。

「おっと。そういえば、初音ちゃんは佐藤くんに自己紹介とかしたの?」
「うん、さっき」
「そうか、じゃあ俺だけ言ってないんだな。……コホン…俺は柏木 耕一(こういち)。いまは大学通いで、東京のアパートに住んでるんだ。冬休みで正月だからこっちに遊びに来てるんだよ」

 ぼくの前にいる男の人…耕一さんは、自分のことを簡単に説明してくれた。
 ぼくのような高校生を相手でも、ちゃんした自己紹介をするあたり、さすが大学生という感じがうかがえた。
 なんというか、耕一さんの言葉には…自信というものがある。

 そして、今度はこっちの番だ。

「ぼくは佐藤 雅史です。昔からの夢だった鶴来屋への旅行で隆山温泉にやってきました。…ぼくにもよく飲み込めてないんですけど、なぜかこの家で眠ってました」
「ああ……なるほどね。その事なら佐藤くんは特に悪くないからあまり気にしなくてもいいよ」
「そうなんですか?」
「そうそう、元はといえば……あれ?」

 耕一さんは、そこで辺りをキョロキョロと見回した。
 元はといえば、なんなんだろう?

「梓のやつがいないな。いつもならそろそろ夕飯作ってる頃のはずだけど…」
「あっ!」

 初音ちゃんがはっとなって耕一さんの方を向き直す。

「そうだよ。耕一お兄ちゃん、梓お姉ちゃん風邪で倒れちゃったんだよ!」
「へっ? 梓が?」

 耕一さんは、信じられないといったような返事を返した。
 この耕一さんの反応は、志保が学校を休んだ時の浩之の反応に通じるものがある。

 なんていうか『はぁ? あいつがか?』とか『マジかよ!?』という感じかな。

 ちなみに、もし浩之ならこのあとに『さすがのあいつも流行性の風邪にはかなわなかったってワケか』とか。
 ちょっとひねれば『ま、あいつもバカじゃないってことが証明されたんだからいいんじゃねえか?』と続くだろう。
 そこであかりちゃんが、『浩之ちゃん、志保のお見舞いに行こうよ』と言い、お見舞いに行く展開になると予測できる。

 さ、こっちではどうだろう。

「あいつが風邪ひくなんて珍しいな…ま、ここで顔をださないのもなんだしな。ちょっと行ってくるよ」
「うん、そうしてあげて。絶対梓お姉ちゃんも喜ぶよ」
「はは、門前払い喰らわなきゃいいけどな」

"じゃあ" と言い残して、耕一さんは梓さんのお見舞いに行った。
 同じようにはならなかったけど、ちゃんとお見舞いには行ったし、良しとしよう。

「梓お姉ちゃんは意地っ張りで恥ずかしがり屋さんだから、きっと耕一お兄ちゃんの言った通りになると思うよ」

 再び居間に二人っきりになると、初音ちゃんが独り言のように呟いた。
 その顔は、なんだか嬉しそうだった。

「え、そうなの?」
「でも、耕一お兄ちゃんもそんなことはわかってるから、きっと構わないで部屋に入っていくはずだよ」
「へぇ…なるほどねぇ」

 そこらへんはぼくらと共通してるかもしれないなぁ。
 志保の部屋に入ろうとして門前払いを食らってる浩之の様子が容易に浮かび上がる。



『ちょっとぉ、あんたは入ってこないでよ〜』

『おいおい、見舞いに来てきてやったのにそれはないだろうが』

『誰も来てくれなんて頼んでないわよっ』

『なんだと? それが見舞いに来てくれた相手に対する態度かぁ?』

『だから、誰も頼んでないって言ってるでしょ!』

『志保、浩之ちゃんだって心配してくれて来てくれたんだよ?』

『うっ、それはわかってるけど…部屋に入る入らないとは別問題よ!』

『そ、それはそうかもしれないけど……』



 あ、あれ?
 なかなか志保の部屋に入れないぞ。
 あかりちゃんが折れちゃったら、もう駄目のようなものなのに。

「……」
「あ、楓お姉ちゃん」

 初音ちゃんの声に、勝手な想像から現実に戻った。
「梓お姉ちゃんは大丈夫だったの?」
「…耕一さんが色々とやってくれてるから。こっちで休んでるようにって…」

 いつのまにか居間に入ってきていた楓さんが、(ぼくが余計なこと考えて気づかなかっただけかもしれないけど…>)居間に戻ってきた理由を説明する。

「ねぇねぇ楓お姉ちゃん。耕一お兄ちゃん、梓お姉ちゃんに何か言われてなかった?」
「…何かって?」
「う〜ん。例えば、耕一お兄ちゃんが梓お姉ちゃんのお部屋に入ろうとした時とか、入った時に何か言わなかったかなぁ?」
「…ううん。何もなかったわ。だって、梓姉さんは今は薬を飲んで寝ているもの」
「えっ、そうなの? じゃあ無理かぁ」
「なにが?」
「ううん、なんでもないよ」
「そう。……あっ、初音。今日は梓姉さんが夕御飯作れないから私達で作ることになるから」
「あっ、そうだね」

 他人の家にいる時に、その家の夕御飯の話が会話に出てくると、無性に居心地が悪くなってくるということがあると思う。

 ぼくの精神状態は、まさにそれだった。
 でも、ここから帰るといっても道もわからないし、どうやって鶴来屋まで帰ろうか……

 と、そこでぼくに意外なお呼びがかかった。 「……あの、佐藤さんは、お料理できるんですか?」






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