2002年10月




☆ついに・・・病院へ☆

昨日の検査薬の結果が正しいのなら急がなければいけない
いずれ一度は行かなければいけないのだから・・・
意を決して仕事を早退して行くことにした
昨日は玄関の前まで行って入れなかった
今日はそういうわけにいかない
診察を受けるとやはり・・・
「妊娠ですね、袋があります」
と、エコーの写真を見せられる
18年前出産したころはエコー≠ニいっても
モニター画面に写ってはいるらしいが
医者には判っても素人にはどれが胎児なのか
場所さえ判らなかったのに
白黒写真の胎内らしき黒い画面の中の1箇所に
おたまじゃくしのように袋状のものがある
私は自分の妊娠の事実よりも
医学の進歩(というより科学の進歩だろうか)にびっくりしていた
そして事実をはっきりと見る事はできずに
「体力の事もありますし、経済的にも産めませんので」
医者は大きくうなずき
「ご主人と相談してこられたんですね」
「はい」と答えるしかなかった私
既婚者であれば当然の事だし
そうする事で夫の名で中絶の同意書を書くことが出来る
手術の日を一週間後に決めて必要な書類を渡される
当日注意することを説明されて支払いをして帰る
まさか44歳になって中絶≠キることになろうとは・・・
私の人生には無いことだと思っていたのに

・・・受付の人から「署名は本人の直筆で」と言われた
・・・「はい」とは答えたが私が書かなければならない
・・・筆跡を変えて書けば判らないだろう
・・・と思っても書くときは手が震えた
・・・二重の罪に恐怖感が私を襲う

10月3日 木曜日



☆手術までの日々☆

4・5日は子供の学校の学園祭
診察に行った日から始まった出血が続いていたけど
PTAの役員をしていて今年が最後なので断る事はできない
寒い体育館の中では・・・「ごめんね寒いでしょ」
校舎の中を上へ下へと動き回っている時は・・・「ごめんね苦しいでしょ」
と語りかける
数日後には中絶しようといているお腹の子に
最初で最後のお姉ちゃんの姿を見てね・・・と語りかける
矛盾しているとは思っても、語りかけずにはいられない
少し前に妊娠∞出産≠フ話をしていた時
「お母さん、もう一人産まない?」と娘が言った
「いやぁよ、それに今からじゃ不倫の子になっちゃうし・・・」と答えると
娘は「いいよ、産んでよ」と言っていた
現実には絶対できない事だけど
今回の妊娠を知ったら娘は何と言うだろう
それでも「産んで」と言うのだろうか?
そんな不可能な事を考えながら時間が過ぎていく
出血は手術の前日まで続いた
万が一にも流産≠ネどで倒れるわけにはいかないので
出来るだけ過激な運動は避ける



☆手術の記録☆

9時までに来院するようにと言われていたし
誰にも手術の事は言えないので
いつもの時間に家を出て9時少し前に病院に着いた
すぐに呼ばれて前処置
子宮を広げるために海綿棒≠フようなものを入れる
そしてベッドに横になって待つ
調子の悪い妊婦さんの点滴
私と同じように中絶≠するらしい人の検査
カーテンの向こうの様子が耳に入る
11:00過ぎに点滴を始める
点滴をつけたままトイレを済ませて手術台へ
11:30過ぎ「麻酔しますね、顔を横に向けて大きく息を吸ってください」
その数秒後から何も覚えていない
いつの間にか意識は無くなって感覚もないのに
真っ白なドームの下に居るような錯覚が・・・
ぼんやりと覚めてくる意識の中で
「いつの間にか寝ていた、でも真っ白な屋根が見えていたような・・・」
目をあけようとしても思うようにあけられない
やっと目があいてもなんだかクラクラと目が回るようですぐに閉じてしまう
目を閉じてしばらく寝てしまったらしい・・・
少し落ち着いたような気がして目をあけると目の前に看護婦さんが・・・
「大丈夫?どんな?」と聞かれても声に出して答える事が出来ない
頭を少し動かすとまだ目が回るような・・・顔を横に向けることさえ出来ない
その様子を見て「もう少し休んでて」
しばらくしてもう一度看護婦さんが
「どう?動けそう?」「えぇ、なんとか」
肩を抱かれながら手術台からベットへ移動
「落ち着くまで休んでてください」
時計は多分・・・12:30は過ぎていたと思う
途中で13:00頃と13:30頃時計を見たけど
まだなんだかフラフラする・・・でも14:00には帰ろう
と決めて13:45頃から着替え始めたら
受付の人が
預けていたバックと薬や診察券、次回の診察についてのメモを持ってきた
「そろそろ帰ります」と言うと
「大丈夫?足元がしっかりしてからでいいですよ」
「えぇ、もう大丈夫だと思います」
身支度とバックの中の整理をすませて挨拶をして病院を出た
足元はまだふらついたけれどお腹がすいていて早くなにか食べたかった
なのに何を見ても食べたくない・・・何軒か見て歩いてやっと食事
別の店でデザートまで食べる・・・やっと落ち着いた

何もなかった・・・と思えるほど記憶も感覚も無い
普段使うナプキンにさらに綿が重ねてあって
出血しているという現実だけが中絶≠物語る
全身麻酔自体が初めての経験だったので
意識が無くなる瞬間≠ウえわからない℃魔ニ
覚めていく時には緩やかに少しずつ意識が戻ってくる事
これが麻酔≠ニいうものなのだ・・・と
そんな事を考えながら家路に・・・

2002年10月10日木曜日

今の思いが変化するのかしないのか
その時その時の心を残しておきたいと思う
この年齢で・・・今の体力で・・・それだけでも
産むことは不可能だ・・・しかもW不倫
決して産むことの出来ない子供だったけど
産んでいれば男の子≠セったかもしれない
そして私にとっては二度とない妊娠≠セったかもしれない
彼に相談していたら・・・どうなっていたのだろう?
いいえ・・・それは絶対に出来ない・・・してはいけない
これは私の思いが招いた結果なのだから彼には一言も言えない
あの時彼は大丈夫?≠ニ聞いた
それは妊娠≠心配したからであって
私が危ない≠ニ答えていれば当然避妊≠したはずだ
けれど私はスキン≠使うことも外に出す≠アとも嫌だった
生身のままの彼を受け入れたかった
自然のままで感じたかった・・・だから私は大丈夫よ≠ニ答えた
彼は私の言葉を信じたから避妊をしなかった
そして妊娠≠オてしまった
産みたい思いもあった・・・彼の子供だから
単純に出産≠ノ対する気持ちは二度と嫌≠ネのだけど
彼の子供を産みたかった・・・という思いは残る

一生誰にも話さず、私の胸の中だけに閉じ込めて
そう決意していたのに
日々苦しさが増し、ネットの掲示板などを彷徨う
さりげない言葉で綴ったつもりだったけど
風子さん(以前の職場で一緒だった人)から
恋してる?≠ニ語りかけられてドキッとした
ドキッとしたけど・・・「この人になら話せる、この人なら聞いてくれる」
そんな思いが私の中をよぎった
一人で堪えよう、誰にも話すまい・・・
と決意しながらも
誰かに話したい、話すことで楽になりたかった
言葉に出来ない苦しさ・・・見えない何か・・・が
私を追い詰めていたのかもしれない
誰にも言わない・・・と誓ったのだから・・・と
しばらくは自分と闘った
でも我慢できなくて
とうとう彼女に連絡を取り何もかも話す
不倫も・・・妊娠も・・・中絶も
非難することなく聞いてくれた
聞いてもらえただけで救われた
罪が消えるわけではないけれど・・・少し楽になれた

10月16日 水曜日