ゆうの過去と自殺・自傷の足跡

過去

「父親の記憶」
今まで生きてきた中で父親の記憶はほんのちょっとしかない。手をつないでもらった記憶もなければ
誉められた記憶もない。そう、自分は父親にとっていらない子だったというのを知るのは小学1年の時
だったが・・・
保育園の時だったかまだよちよち歩きの頃父と一緒にお風呂に入ったのを覚えている。
その時父は自分を溺れさせようとした。それが、一番最初に受けた虐待だったと思う。
その後、階段から落とされたこともあった。2回も・・・幸いまだ体が柔らかかったせいか
足を骨折した程度で助かったが・・・
父は平気で自分を叩いた。何かあったらすぐに叩かれた。顔が真っ赤になるまで
洗面所で一人泣いていた。
その後、ある時母と買い物の帰りに父と知らない女が一緒に車に乗っているのを
母とともに目撃した。その後は地獄のような日々が続いた
夜になると繰り返される夫婦喧嘩・・・ふすまの隙間からコップや皿が飛んだり
母親がたたかれたり蹴られたりして「やめてよ」「やめてよ」っていう声がずっと聞こえてた。
今でもその光景は脳裏に焼き付いている。
小学校1年の自分は何もすることができずただ怖くて、泣いていた。
その後別居した。新築の一戸建てからボロアパートに引っ越した。
自分にとって父親や男嫌いのはじまりここからだったのかもしれない。
家族
ほんのちいさい頃からそんなものなかった
暴力と沈黙だけが支配している空間だった。
まわりの友達がうらやましかった。
ただただうらやましかった・・・

「小学校時代」
別居して2年生の2学期から母と弟、自分の3人で実家のある市の田舎町に引っ越してきた。
母は子供2人を育てるために必死に働いていた。だから、何も言えなかった。
「さみしい」ってことも「なんでこんな生活しないといけないんよ」とか
そんなこと言えなかった。まだ、この頃は実家の母親の両親にあたる
おじいちゃんとおばあちゃんが生きてたから唯一の親戚つきあいもあった。
引越してきた家はほんとにボロボロのアパートの長屋だった。
くもとかムカデがはっていることもしばしばあった。
玄関の下で蛇が死んでいたこともあった。
はじめてこの家をみたとき「これが家?」って聞いたことを覚えてる。
新築一戸建ての自分の部屋がある生活から親子3人1つの部屋で
ご飯を食べて、そこで寝るそんな生活が高校まで続いた。
学校も当然転校して地元の学校に通った。
周りは転校生が珍しかったらしく最初はまさしく「転校生」っていう目で
みられてたみたい。友達も何人かできた。
でも、自分の家には絶対連れて行けなかった。
小学校3年のとき、やっぱりなじめず学校が嫌になって脱走した。
当時学校を脱走なんて前代未聞のことだったらしく学年はおろか
学校中で大騒ぎになったらしい。その頃自分は学校の近くの畑でずっと座っていた。
学校が嫌だった。友達も、家に帰ることも・・・
結局は強制的に連れて変えられ、担任が家に来ていろいろ怒られた。
次の日も学校には行きたくなかったが母にひっぱたかれ泣きながら連れていかれた
のを覚えている。
そう、このころぐらいからイジメがはじまってた。
でも誰にも言えなかった。「言ってはダメだと思った」そんなことを言ったら
母はどう思うだろうか?そう考えると言えなかった。
言ったとしてもたぶん悪化するだけで解決なんかしないだろうけど・・・
しだいに誰にも自分の心を見せないようなっていった。
何があっても自分の心の中にしまっておいた。
夜中みんなが寝てからひとり涙してた。

「中学・高校時代」
中学に入り同じ小学校の生徒ともう一つ違う小学校からあがってきた生徒が同じ1つの
中学の生徒となった。イジメは継続的にあった。毎日いじめられていた。
何も言えなかった。何も言わなかった。
苦しかったけどどうでもよくなってきてた。
ある日はカバンが切られていたり、ある日は暴力を受けたり、その中でも一番きつかった
のは口での暴力。いくら自分の心を閉ざし、外から離れていってても毎日毎日
言いつづけられる言葉に洗脳されるようになってきた。
今でも頭に残っている言葉
ある日の給食の時、囲まれた机で、それも教師の目の前で
「おまえなんか生きてる意味ない」「死ね」
「おまえなんか生きてる意味ない」「死ね」
・・・・
教師も気づいていただろうあんなに大きな声で言ってたんだから
暴力を受けているところも知っていながら無視・・・
もうすでに人に頼ったり、信じたりすることはずっと昔にどこかにいってしまって
いたが。その気持ちがますます強くなった。
「もう誰も信じない絶対に」
浜崎あゆみの歌を思い出す♪A Song for XXより
「人を信じることっていつか裏切られ はねつけられることと同じてと思っていた」
自分がどうでもよくなった。
初めての自殺未遂をした。
はじめて死を意識したとき。それも自分から・・・

高校に入ってからは感情のなくなった機械のような生活を送ってた。
ただ冷たくなってたのかもしない。何も感じなくなってた。
何にも従う自分を押し殺していた自分はよく人のゆうことを聞く
偉い子だねっていわれてた。でも、そんな言葉なんかいらなかった。
そんな言葉を自分をより閉ざしていった。
いじめは中学で終わった。
でも今まで生きてきた中で幸せなんてなかったから・・・
家族からも周囲からも愛情なかったから・・・
誰も助けてはくれなかったから・・・
自分が変わるしかなかった。

高3の3学期に母が「精神分裂病」になった。
正確には1月1日の日
あの日は忘れもしない怖い日だった。
幻想・幻覚・幻聴にとらわれた母は
いままでの母とは別人のように変わった。
はじめて泣いた。
心から泣いた。
一瞬気持ちが通じたのかもとにもどったようだった。
だがその後は悪化をたどり
強制入院・・・
今は婚約者だった人と正式に結婚して生活している。

自分と弟はそれぞれ一人暮らし

大学受験はあきせめざる得なくなった。
母が入院し、その後弟は高校に入学して直に辞め働きはじめた。
自分は高校を卒業してからピアノのバイトをはじめた。
それと平行してジーンズショップで働いた。
そうしなければ生きれなかったから・・・
休みなんてなかった。
1年くらいそんな生活をしてた。
だんだん疲れてきた。
何もかもどうでもよくなって来た。
死にたいと思った。
自分の運命を呪った。
自分を見捨てはじめた

ここから
僕の自殺未遂のはじまり、精神科通院生活のはじまりだ。




だれもいない一人のなかでただ涙をこぼす自分
生きることが今辛くて
誰かによりそいたい、よりそわれたい、そうしなきゃ崩れてしまいそうだから
そんな誰かが欲しい



つづく