2001/07/20-22 那須にて20-22の三日間那須で過ごしてきました.
避暑というほど暑さにまいっていたわけではなかったが, 気分転換と妻の誕生日を涼しいところで過ごそうということで, 今回のちょっとした滞在が実現したわけです.2001/07/20 ニキ美術館にて
私の妻は美術とか芸術が好きである. 私は自ら望んで美術館に行くということはほとんどないが, 妻に連れられて, もうあちこち相当の数の美術館に足を運んでいる. 初めはあまり面白いと感じることはなかったが, 最近は美術館もなかなか面白いかなって思っているくらいだから, 私もかなり変わったのかも知れない.今回も妻の提案に従って, このニキ美術館にやってきた. 昔風の立派な長屋門を抜け, 敷地内を流れる小川とともに伸びる小径は自然に包まれ, まるでちょっとした山の中をハイキングしているように感じられる. 海抜約700メートル, 那須岳の裾野に広がる森林地帯に位置するこの庭園には, 樹木60種 以上野草80種以上の植物が息づいているそうだ. 春は, カタクリの花が咲き, 5月の山ツツジの頃は新緑にあふれ, 夏は緑豊かな庭内を爽やかな高原の風に山ユリの甘い香りにあふれ, 秋にはカエデやモミジの鮮やかで燃えるような紅葉は時を忘れさせ, そして冬は雪の庭園には陽の光が反射し静かな美しさを醸し出す, とのことであった.
私は花の名前はよくわからないが, その空間の中に豊富な酸素を感じたというか, よく言うマイナスイオンが多そうだなと, そんな風に心地よさを感じていた. そのような粋な演出に, 私たちはある種特別な空間へとワープしたような錯覚すら感じ, 美術館の正面へと導かれた.
美術館の中はヒンヤリとし, 静寂な呼吸を感じるような感じであった. 入口近くには,中学や高校の美術の教科書あるいは, 新聞, 雑誌の切り抜きが多数あり, そのの中で, ニキの作品が記載されているその部分に付箋が張られてあった. こんなにもニキは注目されているんだよ, というやや押しつけがましい演出には, 私の作家作品への関心が冷めた. これは,その行為の中に, 「売れていればあるいは有名であればすごい」というような, 現在の芸能人に多く見られる価値観を感じたんだろうし, それが世の中の普通の人にも, その価値観が押しつけられているように, 普段から感じている私が, この非日常的な雰囲気に包まれた空間で, 急にそのことを感じ, 急に現実に戻されたように感じたからかもしれない.
ニキの作品は, どこか例えばテレビのCMなどですでに見たことがあったかな, という感覚であった. ちょっと丸みを帯びたキャラクター風のイラストは, 空でもとぶCGなんかで使われていたかと思う.
私は, いつも美術館に入るときはそうであるように, 作家のことは何も知らなかったし, 作品をどこかで見たということもなかった. 初めの何点か見て, 以前に見たことがあるというように感じ, すごく親近感を覚えた.
いろいろニキの個性的な作品が展示されている中で, 私はニキの年譜で足が止まった. 私はこのように作家の歩んだ歴史というのは好きで, どんな美術館に行っても, 必ずその人の年譜は見るようにしている. この人の年譜も, 非常に特異な体験をしたとか, 不遇な環境に育ったということは無かったが, しかし, その記述の中で私は何かを感じたんだと思う.
ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle)は, 1930年にアメリカ人の母とフランス人の父の間にうまれ, 自分の感情に正直な性格は時として周囲との摩擦を生み, 23歳のときに神経衰弱からの回復のために絵を描くことを始めたということであった.
25歳のときに神の啓示を受けこの道に進むことを決め, 1960年代(30歳代)には, 絵の具を埋めこんだレリーフを銃で撃つという衝撃的なパフォーマンスで世間の注目を浴び, その後「魔女」「娼婦」「結婚」「出産」といった女性をテーマにした作品に取り組んできた. 「自分の内面を見つめ, 自由を希求する」というテーマを, 一貫して持ち続けているように感じられた.若い頃は「自分が女であること」に対する, 不満というか葛藤というか「何か」をきっと強烈に感じていたんだろう. 自分が女性であるがゆえに感じる強いストレスと, たぶんに相当繊細な心で感じる激しさをどう表現したらいいのか. 多感な少女時代を第二次大戦の頃の一般的な倫理観というか哲学観に支配されていたのかも知れないと感じる. ちょうど, 女性なら誰でも感じるであろう, ボーボワールの「第2の性」にも通じるような, 女性観というか自己もアイデンティティーの確立に関する葛藤, そして束縛というような閉塞間.
自分の表現というよりも, 自分の内面に渦巻く, ドロドロしたものを発散する術を知らずして, 彼女は悩んでいたように感じてしまう. そしてシューティング. 自分を解放する方法を得た彼女は, その衝動の赴くままに作品を試み, そして閉じた凝り固まった心に, 栄養を与え自己治療しているように感じてしまう. 別な言葉を借りれば, 自分の心にストレートに従うことによって, 自分を解放でき自分を手に入れたというか, アイデンティティーを確立していっているように感じてしまうというか...
ある意味幸せな人なんだろう....
彼女にとってアート(ART)というのは, おそらく「表現すること」というよりも, 「自分の解放の儀式」というような意味合いが強く, だからこそ, すごく自分にそして精神に密着しているんだと思う.
この人はどうも女性に人気があるとのことで, この美術館の館長も強く彼女に影響を受けたというか, 彼女に何かを感じた人の一人のようだった. きっと, 彼女の行動は, 似たような悩みを抱えやすい女性の心に響くのかもしれない. そういう意味で, 私は, 最近よく話題に上る「フジコヘミング」の音楽から感じるものに近いものを感じたような気がする.
そうそう面白いことに, 彼女の作る「ナナ」というシリーズは, どこか「大仏」をイメージさせる. 彼女の「作為」なのか, それとも彼女の「憧れ」なのか, それはわからないが, 彼女の心の中には, 大仏のもつ, 多くの人から「拝まれてきた」というか「親しまれてきた」というか, そのような「安心感」を希求する部分があるんだろうなあって感じる. 逆にそれによって, 彼女の作品を見ると, どこか懐かしいような, どこか安心してみていられるような, そういう気持ちにさせられるのかも知れないと感じた.
彼女は, TVのインタビューにおいて, 「芸術はもっともっと生活の身近かなところにあるべきではないか?」と言っている. そして, 「芸術は限られた一部の人たちのものではない」と主張している. 彼女がこういうことを言うことが, よく理解できるような気がした.
Aug. 1, 2001