
長渕剛の音が好きになったのは中学校1年の13歳になるちょっと前くらいから
あらましはすでに「音像微かに高らかに舞ふ」に書いたとおり。
なので、ここでは自分の持っているアルバムと、
その中の曲或いはその時々の思いについて、
一部であるが、思うところを徒然なるままに書き殴る。
勿論、これは全て手前の感想、
心根について語るところなので、答えは無いし、正解も無い。
一人のファンとして唯思うところを綴る。
賞賛もあるし文句もある。そんな正直な気持ち。
なお、こちらはかなりの零細サイトであるため、
この際其の立場を利用し、著作権等は敢えて考慮していない。
当然、情報改竄や商用利用の類とは無縁であるというのは、
お読みになればご理解頂けると思う。
唯、万が一それでもご納得いかず、
そのようなご指摘があったならば直ちに書き改める次第であります。
でも、まだこのまま行こうっと。
「風は南から」
(05/15 記)
「LOVE SONGS」
(05/15 記)
「STAY DREAM」
(05/16 記)
「昭和」
(05/19 記)
「JEEP」
(07/07 記)
「JAPAN」
(07/07 記)
「Captain of the Ship」
(07/07 記)
「家族」
(07/07 記)
「ふざけんじゃねえ」
(08/22 記)
「SAMURAI」
(08/22 記)
「空/SORA」
(08/23 記)
「風は南から」
(東芝EMI 1979.3)

1.俺らの家まで 2.僕の猫 3.いつものより道もどり道 4.訣別
5.カントリー・ワルツ 6.待ち合わせの交差点 7.不快指数100%ノ部屋
8.今宵最後のブルース 9.君は雨の日に 10.巡恋歌 11.長いのぼり坂
このアルバムが発売された頃、当然私はまだ青っ洟のガキの盛り。
当然長渕の存在は知る筈も無く、1や10などの代表曲を知った随分後、高校生の頃買ったものだ。
何度聴いても思うのは、なんてこの時の長渕って瑞々しい声なのだろうか、ということだ。
何せ、初めて買って聴いたのが既にダミ声と化している「昭和」だったので、
そのギャップには驚いたわけである。
長渕は数々の変遷を経て現在に至っている訳で、
当時彼がどう思って作ったかは、今以上に買った当初はよく知らない。
これはデビューアルバムだ。爽やかなボーカルスタイルが当時のフォークソング色を強く匂わせる。
ただ、それでもなお、今聴いても声の瑞々しさだけでない、
奥深いまでの新鮮さを感じてしまうのは何故だろう。
何にしてもだが、共通するのはやはり「そのまんま」(勿論ある程度ね)の
長渕色が見事に浮き出ているからではないだろうか。
この人、初期の作品は女や恋愛関係の歌が非常に多い。
このアルバムで言えば1、2、3、4、6、8、9、10、がそれに当たると思われる。
さすが、女のこが好きな長渕さんであります(笑)。
非常に経験豊富であります、なんて揶揄するつもりもないよ、そりゃ。
それで、これだけの唄がスルスルッと出てきてしまう。持ち前のソングライティングでこれだけ導き出す。
ただね、ちょっとクサイなーなんて思う詞も随所に出てるんだけどね。
例えば「訣別」の一節。
「あヽ 午前四時の 海は冷たい
いっそ このまま 流れに のまれてしまいたい
結ばれぬ 二人の悲しみを ここに 寄せては返す 波に 捨てちまおう」
これは正に訣別を心に決めて、サビとして唄っているところ。
自分の弱さが君の優しさを受け付けることができない、だからこの悲しみを海に捨てちまおう、ということか。
浮気の虫が疼いて、男は女のやさしさが目に沁みた。
だから俺の心ごと捨ててくれ、と言うような一節ですね。
よく言えば男の弱さを実に切実に歌っているが、女にとっては「冗談じゃないわよ」
とでも言いたくなるような唄だ。
ただ、そんなクササ、男としての体たらくさをこの人は正直に
(本当に正直なのかを受け取るのは聴いた者次第だが)唄っている。
巷に溢れ返るような陳腐な殺し文句をこの人は歌わない。
全て体の内部から体臭の如く解き放たれる汗臭いコトバの数々。
そこが長渕の魅力であり、瑞々しさを失わないとでも云うか、不思議な等身大の魅力ではないだろうか。
そんな中身を伴った彼の魅力は、既にこの初期作品から存分に発揮されている。
この人のカラーである汗臭さは、手を変え品を変え、どんどん様変わりしていくが、スタイルは不変だ。
其の原石とも言うべきアルバムが、この「風は南から」ではないだろうか。
時代のせいなのか、この人のあるがままの詞の構築様式からなのか、
素人の自分にはちょっと判りかねるが、矢張り凄い。
何を言っているんだか結局判らずじまいだが、
兎に角、このアルバムは22年経ってもなお、瑞々しさは失うことは無いのだ。
(2001年5月15日 記)
「LOVE SONGS」
(東芝EMI 1986.5)

1.マリア 2.生意気なパートナー 3.僕だけのメリークリスマス
4.TIME GOES AROUND 5.DON'T CRY MY LOVE
6.LONG LONG TIME AGO 7.POOR BOY'S BLUES 8.スローダウン
9.僕のギターにはいつもHEAVY GAUGE
10.COME BACK TO MY HEART 11.〜マリア
ファーストアルバム「風は南から」からちょっと飛ぶが、このアルバムも好きだ。
(と言いながらも、実は最近聴いてない、これ)
このアルバムではベスト盤とまではいかないが、
過去の曲をいくつかまとめて発売されている。
やっぱりここでも長渕は、自己の弱さを淡々と、
時に切々と、または烈しく叩きつけ、表現している。
松井五郎作詞の3、7は除くとして、名曲揃いの長渕の歌で5、8、9は自分にとって特に名曲だ。
一体何が名曲たる所以か。
5、8は失恋・挫折。9は淡々と自己を振り返る歌だ。
それも長渕の定石とも言うべき挫折を匂わせるもの。
決して長渕は下を見下すような歌は作ってないんだよね
(というか、よく誤解されるがずっとそうなんだけど)。
もうホント、恥ずかしいくらい赤裸々にここまで唄うか?
と疑問符が付くほど痛々しいのであります。
5は悲しい歌です。「ひとつになってもひとつになれない」とは、
愛の限界を余すところ無く表現してしまったのであります。
8は自分の挫折感、卑屈さ、をことごとく出している。
彼の凄いのは、別にただ泣いてるだけではない、
絶望しているだけではない、かといってこざっぱりしたハピネスを歌っている訳では決してない。
誰にでもあろうこのネガティブな感情を、
安っぽい「希望」に結論付けることがなく歌い上げる。
それでも、「僕」は重たい荷物を背負わなければならない。
スローダウンしても這い上がるのだ。
自分も、最も挫折を感じた受験の時に良く聴いた。
大学の時も先輩や友達とよく歌った思い出深い曲だ。
9は自分のベスト10に入る。
1983年に作られた古い歌なのに、何故か何時聴いても新しく感じてしまう。
ここでも長渕は「情熱と挫折の繰り返しだった」と唄う。
でも、ちょっと違うのはその後、「無関心ばかりを装うことを覚え」てしまい、
ああ、自分はこうやって年をとっていってしまうんだなあ、
と淡々と東北ツアーの帰りの列車の中で思う。
そして「希望がいつもガラス細工なら壊すことから始めてみようか」
と、一角の頃を考える。
しかし「それより胃の調子が今日も良くないんだ」と云う一節。
ここが歌の肝だなあ、と自分は考えちゃう。
「だから」僕のギターはヘビーゲージなのか、と思う。
一体何なのか?でも、そんな細かいことまで書いても仕方あるまい。
年をとることの空しさ、儚さ、感受性の変化。
この、淡々とした曲調は「NEVER CHANGE」でセルフカヴァーしたものよりも、
オリジナルの方が、僕はよっぽど好きだ。
今、長渕はこの歌をどう思っているのかな。またライブで唄わないかな。
(2001年5月15日 記)
「STAY DREAM」
(東芝EMI 1986.10)

1.レース 2.だん・だん・だん 3.風来坊 4.俺たちのキャスティング・ミス
5.HELLO!悲しみよ 6.少し気になったBREAKFAST
7.YOU CHANGED YOUR MIND 8.わがまま・友情・DREAM
& MONEY
9.ひとりぼっちかい?10.SUPER STAR 11.STAY
DREAM
手放しになるが、これは名盤です。・・・暗い。
実に暗い!暗さ全開の名盤だ(笑)。タイトルからして如実だ。
これまでのやや攻撃的でロック寄りだった路線から、
また原点に戻ったかのように、アコギ1本からやり直しのアルバム。
こういう路線転換的なものでも、長渕はまた魅力を放出する。
その才能があるから、今なお健在だというのも何とも判る気がする。
それがこのアルバムからプンプン匂ってくる。
これを発表したのは1986年。ドラマ「親子ゲーム」がヒットした頃だ。
色々気忙しかったのか、音楽的にはかなりドンヨリしております。しかし、やはり長渕だ。
気だるく、アンニュイな唄いっぷりは、既に其の次元を超え、何処かしらかの危なさすら醸し出す。
1は悲惨で投げやりな己をまたも弾き飛ばすかのように、
ギターを爪弾く。詩の内容もかなり悲惨。
これを買った高2の頃には、あまり気づかないような暗澹さが滲み出ているのが、
今になると解るのは何故だろう(笑)。
7は友達について唄ったものだが、実はそれは自分に向けられて唄っているの・・・?
やっぱりこの盤に共通するものがある。
でも、何時聴いてもこの詞の中身は恐ろしいほど深遠だし、グサッとくる。
出来合いではこんな歌作れまい。
それほどのリアリティがこの人の強さであり、弱さである。
ファンはそんな彼に惚れている。そうとしか言いようがない。
8はこりゃもう堪りません。
ノッケから「気に入らないから やめようと思います」ときている。
中略して最後のフレーズ「夢・・・お金〜・・・ホイッ」この感じがとても良い(笑)。
全然説明になってないが、気にしない(笑)。この歌も凄く好きだね。
9も如実に置かれた状況、自己の心情を余すところなく歌い上げている。
実はこの歌がこのアルバムで一番好きである。
なぜかというと、この歌を聴いて素直に泣けた。
他にもこの人の作る歌で泣けるのは多いが、これを聴いて泣いた時を思い出すと、
やはりこの曲に対する思いというものはどうしても強くなる。
・・・え?なぜ泣いたか?聴きたきゃメールしなよ(笑)。
「親子ゲーム」の主題歌になり、売れに売れた10も有名だ。
快活に笑い飛ばしているが、やはりモドカシサ全開なのである。
一通り売れちゃって、ドラマも出て、やることやったら何やら周りには、
得体の知れないモノが群がり、ドロドロと血を吸おうとする。
そんな穏やかならぬ状況の最中、総本山とも言うべき曲は、やはり彼の代表曲である11。
今さら説明するまでもないね。
昨年、スポーツドキュメント番組「ZONE」で
巨人・清原が自分のクルマの中でインタビュー受けてるとき、これがかかっていた。
まだその時清原は怪我で、その後新婚ホヤホヤの奥さんに向けて
復帰第一打席にしてホームランを放ったんだよな。
そんな時に「STAY DREAM」を聴きながらクルマを運転してたなんて、
キヨさん、ここでこの曲とはホント大ファンなんだねえって思ったものだ。
いやはや、何とも印象的な一節だったので思わず書いてしまった。
しかし、「ゴジラ」の後に「とんぼ」(笑)。
このギャップには何時見ても笑える(話しが脱線したけど、まあいいか)。
(2001年5月16日 記)
「昭和」
(東芝EMI 1989.3)

1.くそったれの人生 2.GO STRAIGHT 3.いつかの少年
4.とんぼ 5.シェリー 6.激愛 7.NEVER
CHANGE
8.プン プン プン 9.裸足のまんまで 10.ほんまにうち寂しかったんよ
11.明け方までにはケリがつく 12.昭和
我が人生で初めて買ったCDはこれだ(因みに初めて買ったLPは子門正人「泳げたいやき君」)。
これはセールスも物凄かったし、何よりもドラマ「とんぼ」で
長渕剛のイメージが小川英二そのものになってしまうほど。
もう、今から12年も前のことなのだが、そんなに昔のことだったのか、と気が遠くなる。
どの曲も文句なく素晴らしく、今でもライブなどで歌い継がれる名曲ばかり。今なお必聴である。
一応断っておくが、名曲名曲って言い続けているようにも思われるが、しょうがない。
自分にとって名曲がそれだけ多いわけだからファンなのだ(笑)。中でも、この盤は私のベストだ。
1はもうそのまんま、(当時の?)等身大の長渕を唄い表す。
幾らか年を重ね、丸くなるどころか、(使い古された表現だが)益々研ぎ澄まされたナイフのように、
この人のイズムは己に言い聞かせ、聴き手に浸透していく。
「人の波にせかされれば 使い捨てにされちまう
乗り遅れるわけじゃない 俺は俺 明日からサングラスを捨てよう」
ある種の確信となった彼の詞は他者を排他するのではなく、
自己の高みに向けられる。プライドだ。
2も1と似たような感じ。
当時、何で同じような種類の曲を連続して配置させたのだろう、と思ったが、
このアルバムにはゲンコツみたいな強烈さがある。
それを敢えて強めるためだったのだろうか。
それとも、小川英二の歌なのかな?
その辺の込み入った事情は知らないが、そのようにも聴こえてくる。
だって1よりも、よりアグレッシブに吠えまくっているからねえ。
「はなっから覚悟が違う 悪いけど腹は決まった あるがままの心で 俺は生きてやる」
まあ「とんぼ」の原案等、殆ど長渕が出してたから、
「とんぼ」自体が長渕の投影作品なんだよね(笑)。
参った。ここで3だ。こりゃ参った。
いや、悪い意味ではなく良い意味で驚嘆した、この構成に。
さっきまで吠えてて、「おっしゃ!いけー!ゴーゴー」なんて聞いてたら、
「俺にとってKAGOSHIMAはいつも泣いてた」(涙)。
「LICENSE」パート2か?しかし、よく聴くと趣はちょっと違う。
「LICENSE」は若い頃からの苦労の連続から、
福岡に出、更に東京での成功を勝ち取り、
空港へ両親を迎えに行くことができる「資格」を
遂に俺はとれたんだ、という曲だ(と私は解釈する)。
「いつかの少年」はそのもの、少年である。
少年長渕を現在(89年当時)と対比させているのだ。
少年時代の暗く明日もわからない、「不安が立ち昇る棲家」での生活を抉り取った心情が、実に衝撃的ですらある。
ただ、その現在においても「突き動かされるあの時のまま そう、いつかの少年みたいに」
と、現在の自分に決して忘れることなく、強く、深く、刻み込んでいる。
この人の畏しさは、「あーあの時は苦労したけど、よくやってきたなあ、俺」
みたいに安易に誉めたり、丸まってみたりしないことだと思う。カリスマたる所以でしょう。
あの事件の復帰後の東京ドームでのアコースティックライブ。
自分は入れなかったが、この曲に多くの人が涙したという。
この曲はその後「家族」等に引き継がれるが、その核はこの「いつかの少年」だのだなあ、と私は思う。
長渕は生き様を歌にする。それを見事に表したのがこの曲だ。
その意味ではこの歌の存在は非常に大きいし、
これを支持するファンは非常に多い。私も同じである。
4はいうまでもなく最も有名な曲。
因みにNKホールでアコースティックバージョンのこれを演られた時、思わず涙した。
だって、ノッケから「とんぼ」だよ?96年の「ふざけんじゃねえ」でだよ。
公開リハでこれ演られちゃ、堪らんよ。
5、好きだねえ。これも好きだあ。
この頃ドロドロ感たっぷりの彼の尖がった世界に陶酔しまくった私は、
この透明感溢れるラヴソングを、思わず愛してしまった(冷汗)。
愛しています。彼は奥さんを非常に愛しているのですね。
「なんの矛盾もない」より、私はこっちの方が好きですな。
高校時代、この歌でまたも私は涙していたという過去については、ここでは触れまい(笑)。
7.これは是非、結婚して子供が産まれる時に聴きたい曲だ。というか、そうするつもりだ。
「ドクン ドクン」と波打つ心音のリズムは奥さんのだっけ
(あれ?子供のだっけ?ちょっと忘れてしもた)。
如何に今、奥さんを愛し、世に出んとする子を愛そうとしているか。
こんな名曲他にあるかい!
「優しさってやつを 俺は初めて考えた」
「今まで生きてきた人生(みち) 血は巡り巡って それは変わることなく・・・」
嗚呼、ネヴァーチェンジ。
9も大好きだ。
これは1,2の「俺は俺であり続けてやる」路線のややソフト版だが、
闇雲に強気でないところが良い。
「重く垂れ込めた暗闇の中 稲妻が俺を突き刺す 半端な俺の覚悟を情け容赦なくはじく」
様々な考え、憶測、バッシング等が彼を包み込む。
それは今に始まったことではない。
だから「俺は俺を信じてやる」と静かに決意する。
で、最後にアルバムと同名の12。
節目として昭和の時代を歌っているのがわかる。公的な昭和というのではない。
「JAPAN」辺りならそんな歌になりそうだが、
ここでは過去の自分への区切りをつけているかのような印象だ。
あくまで、昭和の時代を生きてきた今までの自分を振り返るのである。
「傷つけば傷つくほど優しくなれた 貧しさは大きな力になり
意気地のなさは勇気に変わる ひねた瞳は真実を欲しがる」
しみじみ、名曲です。
(2001年5月19日 記)
「JEEP」
(東芝EMI 1990.8)

1.女よGOMEN 2.流れもの 3.友達がいなくなっちゃった 4.電信柱にひっかけた夢
5.海 6.カラス 7.お家へ帰ろう 8.しょっぱい三日月の夜
9.浦安の黒ちゃん 10.西新宿の親父の唄 11.JEEP 12.Myself
これを聴いていたのはまだまだガキ真っ盛りの中学3年生の頃。
通ぶって論評しながら聴いた訳ではない。
青臭い思春期の少年にとっては打ってつけの良い曲ばっかりだった印象が強い。
鹿児島出身の剛だが、根っから関東に住む僕からみると、
一人の男がテヤンデイ、ベランメエと吐き倒すかのような威勢のよさを感じた。
そんな汗臭く、人間臭い印象がとてもあるアルバムだが、
この頃から少しずつ政治批判的な歌も出てきている。
1では、今までの彼の女性遍歴を思わしめられるかのような懺悔的ソングだが、快活に歌い飛ばす。
これ自体が自分に対して何かインスパイアしたのかというと、
結局そうでもないから単純にこれは彼の個性として聴き倒す感じだ。
2はまたも彼独自の強烈な孤高の姿が滲み出る曲。この類は他にも沢山良い歌が出ているが、
この「流れもの」に関しては、まだまだ上昇志向の彼の気概がよく出ているなあ、と思う。
真っ赤にただれきった今時の露骨な 男のやさしさ芝居にゃついてゆけねえ
につまった一日を下手くそなカラオケで すすり泣くように唄われるのはゴメンだ
3はすごいなあ、と思いながら聴いていた。当時バブル絶頂。
そういえば、このアルバムにはそれを見ながらも苦々しく綴っているようなクダリがいくつも見受けられる(後述)。
この歌ではガキの頃の仲間がみんな大人になって変わっていったんだな、と淡々と呟いている。
「俺はちがう 時代に迎合して変わりゆくお前らとは一線を画すのだ」と唄う剛。
彼の我の強さが徐々に出てきている感じがしてきた。良い意味でも、悪い意味でも。
当時、同時期に聴いていた曲にブルーハーツの「ラインを越えて」という名曲があった。
マーシーが叫ぶ「夕刊フジを読みながら老いぼれてくのはゴメンだ」
というフレーズが凄く好きだった(勿論今でも)。
曲は異質だが、この剛の歌にも同じような感慨をもって聴いていた自分がいた。
6はこのアルバムでも特に好きな曲。都会の片隅にうろつく人間の哀愁を感じる事ができる。
これもバブルの裏返しから出てきたようだ。日銭に追われ、
心が乾いた頃、こんな歌を提示する長渕。凄いじゃないか。
銭だ銭だと損か得かで日がくれてゆく 俺達は都会に群れをなすカラスだ
わけもないのに夕焼け見るとまた泣けてくる
そして7。攻撃的に掻き毟ったアコースティックギターのストロークと同時に鳴るハープがとても格好良い。
この速いテンポが彼の苛立ちを如実に表している。
まさにバブルならではの歌だった。「冷凍物のコロッケしかできねえボディコン」とか出てくるし。
この頃からちょびっと、ナショナリズム的ニュアンスも出てきている。
平和ボケして銭に踊らされている、当時の日本を憂いての彼ならでは警鐘だ。
今思えば多少イタイなあ、という節もあったりするが、当時中坊の私はこれがとても痛快だった。
国会議事堂にしょんべんひっかけてえ!って本当に思ったし(笑)。
8は映画「ウォータームーン」の主題歌だった曲。
ストーリーに照らし合わせて作ってある。特に深い思い入れはない。
9は今でも人気の曲。「黒ちゃん」とは「とんぼ」や「しゃぼん玉」等で共に携わっている演出家の黒土三男。
こんな歌にも出てくるくらいだし、何よりこの詞の感じからして二人が大の仲良しなのが窺える。
軽快なリズムに乗って軽やかなのだが、考えたり呟いたりする様を表現するところが味わい深い。
田んぼのあぜ道を白いヘルメットかぶり 自転車通学の学生が気になる
名も知らぬ街で名も知らぬ風に吹かれ あいつもきっと夢があるんだなって
というフレーズが印象的。
10は名曲。翌年放映したドラマ「しゃぼん玉」の
故・岡田英次の役柄のモデルにもなった「西新宿の親父」とは有名な話。
そしてこれも、バブルの色が濃く映し出されている。
都会の片隅に佇む男と男の交流。しかしその界隈もビル化の空気に晒される。
何と言うか、言葉に出来ないような人間の重みを感じる。
こんな歌は剛にしか作れまい。だから今聴いても凄い。
やるなら今しかねえ やるなら今しかねえ 66の親父の口癖は やるなら今しかねえ
11はシングルとして出されている。軽快で爽やかなリズムに乗った清々しい曲。
12はトリに相応しく、素晴らしい歌だ。人間剥き出しの彼ならではの味が出ている。
常にこの人は直球勝負だが迷いも恥じらいも寂しさもある。
そんな人間・長渕の魅力が此処にも存分に打ち出されている。
離れていく者と離したくねえ者とが 思いどうりにいかなくて
ひとときの楽しさに 思いきり身をゆだねたら なおさら寂しくて涙も枯れ果てた
(2001年7月7日 記)
「JAPAN」
(東芝EMI 1991.12)

1.JAPAN 2.俺の太陽 3.しゃぼん玉 4.炎 5.I
love you 6.何ボの者じゃい!
7.親知らず 8.BAY BRIDGE 9.気張いやんせ 10.シリアス 11.東京青春朝焼物語 12.MOTHER
出ましたJAPAN。初のロスでのレコーディング。何か今までと違いでも出てくるのだろうか・・・。
出た。出まくりです。これは良い意味でも悪い意味でも。少なくとも僕はそう思う。
良い意味ではとても音に厚みと残響が増している。貫禄が益々大きくなっている。
声もただ野太いシワガレ声でなく、腹の底から絞り出したかのような意志の強さが出ている。
そう、意志が強い。まさに強靭な肉体が生み出した珠玉の一枚だ。
瀬尾一三とのコンビが冴えまくっている。
悪い方では、単純に偉そうに見えてしまったところがあること。
解る。奢りとか傲慢でないのは解っている。
それでもなお、鼻につく。
僕は正直言って詞では「LICENSE」「昭和」の頃が最も好きだから、
大きく風呂敷を広げ、国を憂い批判する歌をあまり聴きたくなかった。絶対誤解されると思った。
勿論自分を愛し、育ててくれたこの国が好きだからこそ、彼は心底訴えたかったのだ。
しかし、当時既に商業音楽盛んな日本においてこのスタイルは排他されてしまう。
益々除け者扱いされてしまう。
彼もビッグヒットを連発するアーティスト。
言わば彼もその「商業」に乗っている。
矛盾なのか?そう思ったこともある。
実際これを発表する前年(つまり前作を発表した90年のことになるのだが)
彼はなんとNHKホールではなく、ベルリンから衛星生中継で「紅白」に出演する。
そして今もなお記憶に鮮明に残る「日本人は馬鹿ばっか」発言。
逆にファンはこれを見て痛快だった事だろう。同じく僕もそうだったりするのだが。
3曲連発だったから後で出る予定の「国民的歌手」故・三波春男翁もかなりお怒りのご様子だったらしい(笑)。
そして形振り構わず「親知らず」を掻き鳴らす彼の姿に拍手喝采だった。
しかし、それでもそんな長渕を半ば勝手に憂いたりした。
政治に手を染める様な歌に。
それでも、彼は貫き通す。恐ろしいほどのパワーと信念で。
もう、耐え切れなかったのだろう。言いたくなくても言わざるを得なかったのだろう。
既に彼のファンは商業とは無縁だった。
流行り廃りではなく、剛の唄そのものが必要。
その時点で確かに彼は「商業」を脱していたのかもしれない。
そんな「JAPAN」だが、確かに曲目は素晴らしいものが多い。
政治とか国だけじゃない歌だってちゃんとある。
特に僕は2,3,9,10,11,12がお気に入りだ。
2はすっ飛ばしてる。勢いと気概そのものが露骨なまでに表現されている。
みょうに 小利口な奴を 見ると腹が立ち 口に出来ねえ もどかしさを わかってくれと
もの言えぬ 悲しみを ずっと信じてきた 喉の奥が かゆくなるような かけひきに Bye-Bye
3はドラマ主題歌。うらぶれた都会に佇む医師・ポーさん。
ちょっと格好つけ過ぎなドラマだったと思うけど、好きだった。
そしてこの「しゃぼん玉」は素晴らしい。
彼のイズムがよく出ています。「とんぼ」的な良いリズムで。
9はお国言葉の鹿児島弁で綴っている男臭い歌。
男が男を励ます時にはこんな風になりたい。そう思わしめる。
どげんしてん やらんと いかん事がよ 俺にも お前にも ひとつくらいある
やっせんぼ やっどんからん よかぶいごろの あげんな 汚っさね 真似ゃできん
前つんのめりで 生きて 行こや 誰が 悪いち 言うもんか
10はこの盤で最も好きな歌。単純に格好良い。シリアスってタイトル、これがまたいい。
表面だけ掬い取ったような都合のいいアイラブユーソングじゃ、こんな一面、絶対出てこない。
一心不乱に 身を投げ 人を愛しても 何も返って来ないなんて 思わないで
口に出せない事がある 口に出しちゃいけない事がある
シリアスに全てを閉じ込めて踏んばってみても 先に進まない事が多いよね
愛がこんなにも親切で苦しいものだとは・・・
11はとても印象的。
僕は元々関東在住なので、今までそれほど「東京」に関して特別に感じた事はなかった。
自転車で行けるくらいだから、せいぜい隣町程度の感覚に過ぎなかった。
ところが、大学に入って色んな地方から出てきた友達の話を訊くと、この歌は特別なのだという。
東京とは、それほどデカい街であり別世界であり、幻想なのだという。
そんな覚悟を湛えて乗り込む東京の街。
思えば「とんぼ」でも東京に向かって馬鹿野郎と叫んでいる長渕。
僕はそれでも東京を実感できないでいる。
ただ、その話を聞かせてくれた時の友人の表情が印象的なのです。
今日から俺 東京の人になる のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる せっせせっせと東京の人になる
12.これは衝撃的な曲だ。いきなり「呆けた母ちゃんが遠くを見てる」から始まる。
彼の母親に対する愛情の深さがこれでもかというくらい出ている。こんな歌、他の誰にも作れまい。
痴呆が進行していってしまい、誰も判別できなくなってしまうであろう自分の母親の哀れな姿。
彼女に対する苛立ち、もどかしさ、無念さ。悲しいくらい彼の愛情が滲み出ている。
これを聴いた時、涙が止まらなくなってしまった。
だから俺は 「何故笑ってるんだい?」って聞くと また遠くを見て ただ笑ってるだけ
(2001年7月7日 記)
「Captain of the Ship」
(東芝EMI 1993.11)

1.人間になりてえ 2.泣くな、泣くな、そんな事で 3.ガンジス
4.純情地獄の青春は 5.明日の風に身をまかせ
6.RUN 7.12色のクレパス 8.結晶 9.Captain
of the Ship 10.心配しないで
賛否両論激しく渦巻いたこのアルバム。
実はこの頃、僕は洋楽のロックやメタルに傾倒しており、
これを買ったのは随分暫らくしてからだった。
周りの「長渕がついに宗教を訴え始めたぞ〜」といった声を聞き、
「なぬ?」と疑問符を投げかけてしまったのだった。
確かに元々彼はそういうところが持ち味だ。
説教臭さがまた良いのだ。しかし、それにしても宗教?
確かに着ている服がトンデモナイ。何かあったの?とでも言いたくなる程。
正直言ってドギツイ。趣味わる〜ってな感じだった。
そして、思わず引いた。手を引っ込めてしまったのだった。
そう、あの「Captain of the Ship」を耳にして。更に度を増したシャガレ声を聴いて。
JAPANを更に越えちまったか・・・。落胆の色は隠せなかった。ショックだった。
別に此処までいくことないじゃないか。帰ってきてくれよ、剛さん・・・。
発売していた頃の高3当時の自分の心境はそんなものである。
そして大学に入ってからこれを改めて聴いてみたのだが、
確かに説教じみたな、と思うところは沢山あった。
しかし、それを差し引いても素晴らしい曲というものは矢張り頑として収まっていた。
このアルバムには「人間になりてえ」や「泣くな」や「純情地獄」、「RUN」など確かにいい曲もある。
が、最も恐ろしく素晴らしい曲といえば「ガンジス」に他ならない。
このアルバムは「ガンジス」に尽きる。ただその一言で済んでしまう。
いつもこの人は半端ではないが、これにおいても半端どころではなかった。
そのある種常識を打ち砕いたエクストリームな詞が、世界観が、
多くの人には「宗教」と映ってしまったのかもしれない。
僕はこの歌を聴けば聴くほど、そんな「誤解」が氷のように溶けていき、
いつしかこの唄で涙するようになった。
それほどこの「ガンジス」には強い想い入れがある。
人間、生命、世界、それに纏わる感情、生活、情景、全てが備わっている。
唯その命、そこに在る。
命あるものは全て生きる。死ぬ為だけの命など何処にもない。
ただ、それだけの唄だ。しかし、それを唄にできるか?しかしそれを唄にしちゃったんだ、剛は。
確かに宗教だよ、命について説いちゃったんだから。
でも、それは「こうしなさい」「ああしなさい」というような命令口調の”教え”ではない。
ただ「そこに在った」ことを見たまま唄っただけのことなのだ。
だから、この唄大好き。俺は生きてる。俺はこの世に生まれてきた。それを実感できる。
それだけのことだが、たったそれだけのことがどれだけ凄いことか。
そしてそれを唄い綴った長渕剛。とんでもない人間なのであります。
ベナレスの川岸に並ぶヒンズー寺院 ひと群れの牛を引く少年
大きな瞳で手をあげたとき なぜに俺は目をそらしたんだろう
俺はふたたび小舟に乗り ポケットのハモニカを吹いた
悠々と時にまかせて音を飛ばしたら 生まれてきて 本当に良かったと思った
だから、僕は始めは「否」だったのだが、これを聴いているうちに「賛」に変わっていった。
ちなみに「Captain」は最早ネタであると割り切ってカラオケで唄う時があります(笑)。
(2001年7月7日 記)
「家族」
(東芝EMI 1996.1)

1.三羽ガラス 2.傷まみれの青春 3.明日 4.月が吠える 5.一匹の侍 6.耳かきの唄
7.何故 8.友よ 9.家族 10.己 11.身を捨ててこそ
94年末にベスト盤「いつかの少年」を発表、
その直後例の事件が起こった。そして復活後のアルバムがこれ。
良いです。スッキリしました。これを待っていました。もう直接的なお説教は要らん。
彼の怒りの矛先は態々外に行かなくても解っている。
だから、内面に向けられてこそ長渕なのだと思う。
そしてこのアルバムではその色が濃く出ているように感じる。
勿論、ちょっと噛み付くような唄も在るけれど、それはそれで歓迎。
なんたって剛がまた歌ってくれたんだから。嬉しい事この上ないのです。
これが発売される頃、僕は首を長くして待っていた。そう、待望の一枚だったのだ。
彼はマスコミ等で相当に叩かれて、叩かれて、ブッ叩かれた。
そして様々な誤解、偏見、独断の俎板の上に裸体が晒された。
正とつかず否ともつかない、訳の解らぬ姿が。
逃げても責めても追い詰めても、男のわびしさわかるまい。彼は呟く。
しかし、最後に残るのは悲鳴じゃない。弱き者達への瞳(まなざし)がある。
どうせ一生男を張るなら、変わらぬ大馬鹿者を貫こう。被害者面して逃げるのはよそう。
一言、一言が重く含蓄を垂れて、この耳に圧し掛かってくる。
誰がどうこう言うから聴くのでない。唄う者、聴く者、一体となっているだけでよい。
それが長渕剛の唄の魅力だから。
ところで、この中で特に僕が好きなのは4,5,6,7,9です。
4は彼の苦悩に満ちた曲。まさにブタ箱に放り込まれ、その独房の中から見た一夜の月。
ここで、ゆっくりと振り返る。人間と人間の在り方を。人間は弱い。
弱さを踏み締め、そこから往くのをじっと待つその姿。
叱る母もなく怒鳴る父もなく 帰る家も壊れ沈む時
最後に残るものは悲鳴じゃない 弱き者達への瞳(まなざし)がある
5は一転して攻撃モード全開。ライブでは大盛り上がりの名曲。僕はそっちで聴く方が好きだ。
裏切りばかりのこの世でガッチリ歩くためにはよく聞け!己、一匹の侍
6.「耳かきの唄」の詞はとても長い。そしてその長い詞は心を打つ。
数々の修羅場を潜り抜けてきた彼の思い、覚悟が強く押し出されている。
凡人には到底表現しきれないくらいのもどかしい思い、歯痒さを彼は一気に代弁する。
唄い人がそう唄い、聴く人がそれを受け取り一緒になって唄う。嗚呼、それでもう充分。
人間(ひと)の生き死にさえも銭に換えるこの国だから
ありったけの命をたたいて今、叫ぶのだ
『すみません!毛玉のついた安い耳かきを突っ込んで 人間の声を聞こえるようにしてくれ!』
7は妻に対する絆を願う唄。曲調もドラマチックで味わい深い。
9はこのアルバムの看板曲。「ガンジス」級の大作だと思う。
そう、これは「いつかの少年」に関連する家族そのものを唄った曲だ。
哀愁漂う刻んだアコギの音色とハープの響き、素晴らしい。
好きというより衝撃と畏敬の念が強い曲。
営みの辛さ、厳しさ、儚さ、重く重く横たわる。ビジュアルにも訴える。ドラマチックだ。
まるで映画のよう。宮本輝の「泥の河」を彷彿させたりもする。
人間・長渕はここまで唄い尽くす。これほどのスケールで唄う境地にまで来ていた。
そして最後。彼は父、母、姉を愛してると歌った後、こう付け加える
「白地に赤い日の丸 この国をやっぱり愛しているのだ」と。
ああ、こう来たか。この人、本当畏しい。最後にこれを持ってくるか。
家族と共に過ごしてきたこの国。しかし、ナショナライズされた響きを感じない。
寧ろ、ニュアンスはパトリオティシズムの方が当てはまる。
家族、この島国に注ぐ愛情。苦しみながらもその気持ちだけは決して棄てない。
だからこそ、この唄が生まれてきたのだと思う。
「家族」という船に乗り 「孤独」という海に出た
「家族」という船が行き過ぎ、今 「孤独」という魚になった
(2001年7月7日 記)
「ふざけんじゃねえ」
(フォーライフ 1997.9)

1.いのち 2.上を向いて歩こう 3.英二 4.ひまわり 5.かりそめの夜の海 6.あなたとわたしの物語
7.幸せの小さな庭 8.金色に輝け五十年 9.ふざけんじゃねえ 10.涙は大切な友達だから
此れが世に出る頃、僕は大学生活の終わり頃を意識しながら毎日を過ごしていた。
特にこれと言って意識することも無い将来への漠然たる不安を残したまま、日々は闇雲に過ぎていった。
そこへいきなり一曲目の「いのち」のインパクトは半端ではなかった。
脳を揺さぶる大地震だった。
しかし、あまりにも深遠で途轍もないテーマ「命」について、
ここまで直情的に表現できるアーティストは何処に存在しただろう。
ましてや、既に頂上を極めてしまった彼が、何故アコギ一本を担ぎ(もちろん、他の音も駆使してるが)、
今更こんなものを表現してしまうのか。・・・否、彼だからこそなのだろう。
思いを其のままぶつける彼だからこそ、血滲むような痕跡を残すべきだったのだ。
自分が勝手に思うに、このアルバムでの代表曲は、8の「金色に輝け五十年」だ。
彼が京都愛宕寺の住職・西村公朝氏と出会い、其の彼の生き様・世界観に強く影響を受けたことにより
このアルバムの底辺をなしていると思われる「慈悲の心」が、殆どの曲で色濃く流れているのだ。
曲をひとつひとつとると、正直言ってムラを感じるが、トータルで言えば好きな方。
5は映画の挿入歌として使われているが、特に深い感情を抱くことは無い。寧ろ、これは飛ばす。
多分、僕は感じている。もう当時40になった剛に、浮ついた恋愛を態々歌って欲しくないし、
歌ったとしても初期・中期の深く鋭い、まるで尖ったナイフで
心の臓を抉るような強烈な世界を感じられなくなっているからだ。
だからこそ、僕はたとえ「今更」を感じてしまったとしても、2の「英二」の方が好きだ。
そして7の「幸せの小さな庭」。家の描写を半ばわざと大袈裟に書きたて、
それを引き合いに妻、子供への深い思いをそのまんま、
ありのままに綴った正直な彼の心情は、とても慈悲深い。
このアルバムは彼のイメージとして所謂表面、世間のマスコミ評では解り得ない
「慈悲」が深く根付いているのは、この曲を聴けば解ることだ。
しかし「ふざけんじゃねえ」は短絡的過ぎて嫌いだ。
これが彼の一般的なイメージとして捉えられてるんだから。
「バカだよ剛は。こんな歌作っちゃって」と思った秋の宵だった。
(でも、ライブじゃ盛り上がっちゃうんだよなー。曲調自体がアッパーだから)
(2001年8月22日 記)
「SAMURAI」
(フォーライフ 1998.10)

1.Never Give Up 2.でんでん虫 3.オホーツクの海 4.お釈迦さま
5.猿一匹、唄えば侍6.ふたつの責任〜愛してる〜 7.指きりげんまん
8.俺達の心にジングルベル 9.どつぼにはまってどっぴんしゃ!!
10.くちづけ 11.ふるさと
うーん、このアルバムに対する思いってのは、大して無いというのが正直な感想だ。
ちょっと彼が曲作り、詞作りに行き詰まっているのを何となく感じる一枚である。
実際セールスも振るわなかったらしい。
1,2の出足は悪くないし、最近の彼の流れを汲むようなミドルテンポの「ポップ感」を良い意味で感じることができる。
しかし、先行シングルの「指きりげんまん」も、元々好きでもない「友よ」の二番煎じを強烈に感じてしまうし、
看板曲である「猿一匹」だって、単純なご意見だろうがシンプルな勢いを感じない。
何かドンヨリ、でれ〜っとしちゃってる。だから詞の内容云々より曲的に好かん。
4の「お釈迦さま」だって一体何が言いたいの?どうしちゃったわけ?
と疑問を感じずに入られないフィクションソングだ。
(まあ、ここでのアコギによるギターソロは、かなりかっこいいから複雑な思いなんだけど)
正直言ってこのアルバムでいいな、と思えたのは「ふるさと」だけ。
まあ、これも家族シリーズの後継ソング的位置付けなのだが、
これだけは彼のリリックの迫力が頑と座していた。
だって、生家を訪ねる歌なんて、どこにある?あの「KAGOSHIMA」の家だよ。
しかも、今そこに住む大工の花木さんが、其の部屋でお茶を淹れてくれたんだから。
剛は一体どんな気持ちで鹿児島の家を思ったのか。
それを考えるだけで、こっちの気持ちが熱くなる。
そう。此の歌を聴く総ての者が何を感じるか。
でも、それは彼にとっては副次的なものだったではないか。
多分、剛は己の心境をまず真直ぐに感じたのだから、こんな歌が出来上がったのだろうと思う。
僕はそんな人間・長渕剛の歌が好きなのだから、それ以外の唄が余計に思えて仕方なかった。
だから、相当の苦労の上にこの苦作が浮き上がったのだと感じるのだ。
ちなみに、このアルバムのアートワークは嫌いです。
あのヘンな服やめてくれ〜、と思ったのでした。
(2001年8月22日 記)
「空/SORA」
(フォーライフ 2001.6)

1.勇気の花 2.すっからぴんのからっけつ 3.コオロギの唄 4.空/SORA
5.くしゃみじゃなくてよかったよ 6.涙色の流れ星 7.10年前の帽子 8.ごめん
9.パラシュート 10.歌を忘れたカナリア 11.少年よ、君は強くなる
3年ぶりのアルバム。実はかなり待ち遠しかった。
期待感はここ数年の作品以上にあった。
というのも、中期の名作(一部迷作)「JAPAN」「Captain
of the Ship」と同じロスでのレコーディング。
そしてアレンジャーに瀬尾一三を迎えるという気合いの入れよう。
どうしても「あの頃」の音を想像してしまうのだ。
期待するな、と言う方が嘘になるくらい、それくらい楽しみにしていた音盤。
そして、剛はやってのけた。見事。感動しました。
同時発売のシングルとなった「空/SORA」はどうしても佳曲と言わざるを得ません。
今迄、ここ数年のの彼の苦渋に満ちた生活。
それが窺えるし、逆にそれを振り払わんとするばかりの潔さも解る。
空に吠えろ 風にうろたえるな 火よりも熱く 水に飲み込まれず 土をしっかり踏み締めて
ああ、相変わらず剛節健在だなぁ、と感じ口ずさんだ。
「勇気の花」も「すっからぴん」だってよく練り込まれている。
「歌を忘れたカナリア」「10年前の帽子」も「少年よ、君は強くなる」も素晴らしい。
シンプルな構成で実に楽しく唄っている「くしゃみじゃなくてよかったよ」も好きだ。
僕は此れくらいリラックスして楽しんでる剛だってアリだと思うし、
気負わず、自然の状態でこれくらい素晴らしい曲を作れるのだから、
彼のキャリアというものの奥深さも実感できる。
このアルバムを聴いて、まず「ああ、剛はふっきれたのかな」と思った。
しかしね、何といってもこれは「コオロギの唄」で決まりだ。
泣きましたよ、これで。とても悲しく哀しくなりました。
こんなカナシイ唄聴いた事がない。
剛は昔から家族の唄、親の唄、
特に母親に対する愛情を込めた唄を唄ってきているが、これは最たるものだと思う。
最愛の母をついに亡くし、その気持ちをそのまんまに綴っている。
Aメロ、Bメロみたいな曲構成を特に気にしないで作ったと思われる。
なので、メロディの前にまず詞を作ったのがわかる。
母への愛情が重く重く、だがそれを隠さんばかりの淡々とした、茫然とした様。
この間を考えただけで泣けてしまう。
全く、俺は一体何を言いたいのか。
でも、それだけこの曲の凄さは言葉じゃいくら語っても語り切れない。
母の命と、自室の窓に留まったコオロギの命。
この置き換えの手法が何とも彼らしいのだが、
何ともその詞世界自体が哀し過ぎる。
嗚呼、こんな形容自体が安っぽい。伝え切れません。
それでもさらに言うなら、僕は10年以上前から彼の唄を聴き親しみ、
彼の家族に対する愛情を綴った歌に夫々心動かされてきた。
いわば、僕も「聴き手」として、彼の家族に対する愛情を覗いてきたわけである。
「LICENSE」「いつかの少年」「MOTHER」「家族」「ふるさと」に至るまでの彼の心象風景。
そして唄とともに歩んだ彼の生き様。
そんな思いの数々がこの「コオロギ」に総てギッシリと詰まっている感じがして、とてもカナシクなったのだ。
彼の母に対する気持ちの集大成というか、別れ、まさしくその唄そのものだったのである。
そして、僕は自分の家族に対してどう思っているだろうか。
家族とは、親とは何なのか。
それを考えるだけでも胸が痛い。
生まれて よかったと
僕は初めて思いました。
そしてこの母が僕を産んでくれたんだなって
なぜかあたりまえのことを考えていました。
少しだけ気の早いコオロギ一匹
僕の部屋に舞い込んで来ました。
そして僕は言いました
『お前も生まれてよかったね」と。
余談になるが、6月末に放送された「スマスマ」で剛は「巡恋歌」を唄った。
久しぶりにアコギの生一本で聴いて、身震いした。
僕はやっぱりこの人の唄が本当に好きなんだなあ、と思った。
でも、「とんぼ」「空/SORA」でスマップと肩組んで唄う彼を見て、
「ああ、この人も丸くなったのかな」とも思った。
(2001年8月23日 記)