政党とは一般に特定の階級を代表するものであり、いくら「全国民を代表する国民政党」を謳っていても政策的には階級代表的傾向が出てくるものである。ここでは、特定の階級・階層を代表する政党を紹介する。
「サラリーマン新党」は「全国サラリーマン同盟」を母体に、青木茂(経済学者)らにより結党。源泉徴収や必要経費が認められないことなど、サラリーマンへの加重な税負担に不満を持つサラリーマンから支持を集め、青木、八木大介(木本平八郎、作家)、平野清の計3名の参院議員を輩出する。活動資金は主に企業献金に頼っていた。しかし後に青木は落選、八木、平野は自民党へ移籍し、新党の議席は無くなった。その後井上信也(元摂津市長)を中心に活動を続け、1992年参院選では井上は社会党から、青木は社会民主連合(社民連)からそれぞれ比例区で出馬するが、議席回復はならなかった。党はその後も存続し、全国的な活動は停滞しているものの、野黒美正壱(福岡県大野城市議)が党福岡県本部長として活動している。
「日本女性党」は「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を母体とする。中ピ連はピル(経口避妊薬)解禁を訴え、ピンクのヘルメットをかぶっての街頭活動が話題となっていた。「世界初の女性の党」を名乗り、男性は入党不可。政策スタンスは男女平等や男女共同参画ではなく、「権力を男性から奪い取り、女性の権力を確立する」というある種階級闘争めいたものだった。選挙出馬中より内紛が絶えず、金銭スキャンダルの発覚や全員落選となった選挙の総括をめぐり、内部対立が決定的となり崩壊、自然消滅した。スキャンダルまみれの党の実態や特異な姿での政治活動のため、他のウーマンリブやフェミニズムの活動家からは「あんな連中と一緒にされては困る」「彼女らのために日本の女性解放運動は偏見にさらされ、停滞を余儀なくされた」と迷惑がられていた。なお、党員の城戸嘉世子(元民社党福岡県連執行委員)は、後に「教育党」を結成。1998年まで政治活動を続けた。
その他、フリーカメラマンなど、フリーランスの職業人のグループである「フリーワークユニオン」、中小企業の経営者および従業員を代弁する「中小企業生活党」などがあった。