何故「しょむ系」に注目するか?


 さて、「政治に無関心な人でも楽しめる、笑いの取れる政治サイトは作れんもんか?」というなかなかフザケた、しかし大いなる(と自分では思ってる)志でこのサイト「しょむ系政治勢力研究会」(しょむ研)を立ち上げ、色々紆余曲折を経ながらも随分経つ事になるが、ここで改めて何故「しょむ系」に注目するかについて問い直してみる事にする。

 何故「しょむ系」に注目するか?それはズバリ「笑いと愛」である。

 しょむ系候補の人々はとにかく突拍子もない事を選挙公報に書き、政見放送で話す。選挙公報に自分の経営する企業の広告を載せてみたり、「マッカーサーから日本の領有権をもらいました」「にしんを食べると怒らない」「一億円下さい」「ミニスカート・ホットパンツ・タンクトップ禁止」「現市長を助役にします」など、世間一般の常識では考えられない「公約」を掲げる。政見放送では自己紹介のみを延々と行ったり、突然歌い出したり、人形劇のおばさんのような語り口で政策を述べたり、いきなり収録中のカメラマンに怒りをぶつけ出したりする。しかも本人は大真面目にそれらの主張を行うのである。

 大半の既製大政党の公報は包括的な政策カタログ、しかもごく一部の党を除いては極めて抽象的キャッチフレーズを並べただけで、ある程度の政治的知識がないと非常に分かりにくい物ばかりである。又、政治に余り関心のない人々の心をつかむ事もなかなか出来てはいないのではないかと思う。しかし、一点特化で突飛である事が多いしょむ系候補の主張は政治的関心・知識が無くても非常に楽しめる。これが「笑い」の要素である。

 又、彼らはそんなぶっ飛んだ(しかし大真面目な)政策を、無視され、馬鹿にされ、笑い者扱いされながらも訴え続ける。一切のプライドを捨て、私財をなげうち、時には命がけで、当選を勝ち取り自らの政策を議会活動を通じて実現するためひたすら立候補し続ける。そんなしょむ系候補の人々にある種の愛情を感じずにはいられない。これが「愛」の要素である。

 更に、そんな彼らの中には磨けば光る「原石」が絶対存在する、そう信じずにはいられないのだ。

 例えば戦前においては、国会議員としては唯一の左翼系議員とも言える山本宣治(労働農民党公認、日本共産党推薦)「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから・・・」の言葉を残し、死刑や拷問・虐殺を伴う思想・言論弾圧が横行する社会の中で、軍国主義・国粋主義推進の天皇・政府・議会・軍部・右翼テロなどのあらゆる反動勢力と命がけで闘った(後に39歳の若さで右翼テロリストに暗殺される)。赤尾敏(建国会、のちの大日本愛国党)は翼賛議会の中で親米反共の立場から対米開戦反対を唱え、自らの主張を当時の首相東条英機に直訴した。

 戦後では、戦前より女性参政権獲得運動を行ってきた市川房枝(無所属、日本婦人有権者同盟)が「理想選挙」を提唱し、金権腐敗政治・選挙の根絶を訴え、自らそれを実践した。青木茂(サラリーマン新党)は「クロヨン課税」などのキャッチフレーズで不公平税制を批判し、都市部のサラリーマンから支持を得た。

 又、当選には至っていないものの、東郷健(雑民党)らがかねてから訴え続けてきたセクシャルマイノリティや性表現の自由の問題は、現在においては最早単なる「笑いの種」としてではなく、当然のように議論や社会運動のテーマとなっている。

 しょむ系候補は、現段階では嘲笑・蔑視の対象でしかなくても、将来的には社会を動かす人物に「化ける」事も十分考えられるのである。

 同時に、そんなしょむ系候補をことごとく排除し、既製大政党のみが議会を独占し続けられるよう巧妙かつ狡猾に仕組まれた現在の選挙制度・議会制度の欺瞞性をえぐり出したい。そして、どんな人でも自由に立候補する事が出来、当選の可能性が保障される選挙制度・議会制度に変えるための大きな運動を起こしていきたい。そんな思いからこのサイトを運営している訳である。

 てな訳で、軽〜い気持ちで肩肘張らず、しかしほんのちょっとだけ真面目に政治を語ってみるサイト「しょむ研」を、どうか今後とも宜しく御願い致します。

(敬称略)

(文:水泡 まつ太朗)


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