成功の後遺症
一木 中
 
 目の前に立ちはだかる闇を切り裂くように、深夜の高速道路を真っ赤なスポーツカーが突っ走る。
 空には真っ黒な雲が蠢き溢れ、はみ出して来て、低く道路の上に覆い被さっている。時折、腹を揺さぶるように雷鳴がとどろきわたり、閃光が雲間を縫う。まだ雨は降っていない。
 深夜のドライブはそうでなくともスピードを出し勝ちなのに、それに加えて今夜のこの空模様だ。どの車も、雨の来る前に帰り着こうとでもいうのか、雷鳴と稲妻に追い立てられるようにスピードを上げているのだったが、それにしてもこのスポーツカーはものすごい速さだ。ヘッドライトの光芒が、逃げまどうように眼前にとび出してくる諸々の物象を目まぐるしく映し変え、虚像のようなその陰影は、色も形も定まらないうちに、迫ると見たときはもう後ろに飛び散っている。
「大丈夫?」
 悪霊の哄笑のようにとどろく音と、はじけ散る閃光に映し出されるまがまがしい黒雲の表情に怯え、助手席で硬く身をすくめていた若い娘は、今までについぞ見たこともない厳しい目を正面に据え、まるで憑かれたようにハンドルを握りしめている隣の若者に、不安にふるえた声を投げた。
「大丈夫さ」
若者はかすれた声で重く答えながら、次々と先行車を追い越していく。
「やっるーぅ」
「正気(まじ)か」
「カッコいーぃ」
追い抜かれた車の中では、そのたびに様々な叫声が湧く。
「百二十は出てるんじゃねぇの」
そういう車ですら、八十キロ以下で走っているのは一台もないのだ。
 遠く近く呼応する雷鳴はますます激しく、雲と地とを縫って立つ火柱は数を増して真っ赤に猛り狂った。
 若者と娘は、この秋結婚することになっていた。だからといって、今までに帰りがこんなに遅くなったことは一度だってなかった。一人っ子である娘の両親は、この結婚を必ずしも好意的に受け容れていたわけではなかった。若者は、古風で厳格な娘の父親の顔を思い浮かべながら、一刻も速く送り届けることだけを考えていたのだった。
――どう、詫びを入れるか――
 ダッシュボードの時計は、もうとっくに零時をまわっている。若者はそれを目の隅に置きながら、一層アクセルを踏みつけた。
そのとき――。
 生木(なまき)を裂くような大音響が炸裂し、若者の眼前に巨大な火柱が立ちふさがった。折しも一台のバンを追い越しにかかっていたスポーツカーは、ドライバーの目が眩んだかそれとも動揺したか、追い越しレーンをツッと外れてバンの方へ滑り寄った。二台の車は初めわずかに接触し、弾かれたように一旦離れた後あらためて激しくぶつかり合った。それからの二台はお互いに噛みつき合い、縺れたと見る間もなくたちまち一体となり、よじれ、滑り、転げ、のたうちまわったあげく一つの鉄の団子となってガードレールに激突し、気の済むまで支柱をへし折って行った末に、コマのようにまわりながら、やっと止まった。
「おっそろしーぃ。よーく火が出なかったもんだ」
「二台だけで済んだなんて、ウソみたい」
 路上は、危うく難を逃れた車で大混乱となり、車を降りて来た野次馬たちが及び腰で遠巻きにした輪の中に、血にまみれ、ボロボロになった一人の男がうつ伏せに倒れていた。衝突のショックでドアが開き、車外に放り出されたものらしい。
「おっ、動いた。生きてるぞ」
誰かがどなった。
「救急車を呼べ」
「おえっ。これ、もしかして手首じゃねぇのか」
「この男のか」
 若者と手首は、ごったがえす車と人とを掻き分けながらけたたましくやって来た救急車で運び去られた。救急車からの連絡で、指定病院では手術室が準備され、医者や看護婦が体制を整えて待機していた。手首は、医者の指示によってジャーの中に氷づけにされて持ち込まれた。
手術台に固定されたところで意識をとり戻した若者は、細い声を絞り出すように、
「連れの、者は――」
と、うわごとのように聞いた。
「さあ――。ここには運ばれなかったねぇ」
 気の毒そうに答えた人のよさそうな中年の医者は、しかし、てきぱきとした処置を続けながら、複雑骨折しているが生命に別条はなさそうなこと、真っ先に、切断された手首の接合手術から始めること、などを、若者に手短かに説明した。
「そんなこと――、本当に、つながるん、ですか」
苦しい息の下で、気丈にも若者が聞いた。
「やってみないとわからないけど、切断されてそんなに時間が経ってないし、保存状態もいいので可能性はあります。指などの成功例は沢山ありますよ。とにかく、できるだけのことをしてみましょう」
「よろしく、お願い、します」
「ただねぇ、ちょっと――」
「何か、具合の、悪い――」
「いや、そういうわけでもないんだが」
「では、お願い――」
そのまま若者は、再び意識を失った。
「でも、ちょっと変な感じなんだなぁ」
 医者は、まだ、少しこだわるように首を振りながらも、執刀を開始した。この種の手術の成否は、何といっても時間との勝負だ。
「それにしてもこのごろの若い者は、派手な結婚指輪をしているものだ」
紫いろに脹れた手首を消毒しながら、医者がつぶやいた。
 そのころ高速道路では、あいにく降り始めた雨の中で現場調査が始まっていた。雨は、満を持していたかのように爆発的な威力で、大粒の水滴を路面に、警官にたたきつけ、路上のゴミを、血を、洗い流した。
「まずいな、現場の確保がしづらくなった」
 メジャーを張ったり、調査用紙に記入していた警官たちは、たちまちずぶ濡れになりながら、見通しの悪くなった路上をせわしく動きまわった。昼間の焼けただれたコンクリートのにおいを乗せたほこりっぽい熱気が、むせるように皆を包んだ。
「無茶なことをするもんだ。この様子じゃあ百二、三十出していたな」
「それにしてもあの男は、うまいこと放り出されたもんだ」
「シートベルトをしてなかったのかな。あとの連中は車と一緒にダンゴになってしまった。一体何人いるんだ」
「二人らしい。しかし、こりゃあちょっと引き出せないな。頭も腹も押し潰されている」
「これは誰の腕かな、手首がない。誰かに捜させてくれ」
 そのころ、だいぶ下流に離れた中央分離帯の端で雨に叩かれていた新聞紙が、濡れて行く重みで形を崩し、次第に、鋳型(いがた)のように拳(こぶし)の形を包み込みながら、やがて路面に貼りついた。赤いしみを拡げながら――。
 
 その日の夕刊――十九日午前零時三十分ごろ、埼玉県児玉郡の関越自動車道・本庄児玉インター付近で発生した二台の車の接触事故で、全身打撲、複雑骨折の重傷を負いながらも一命をとりとめた目黒区の会社員Aさん(二五)は、本庄市内の救急病院医師団の迅速な処置によって、切断した左手首の接合手術にも奇跡的に成功した。一方、別の車を運転していて死亡した男性は、車のナンバー、所持品などから品川区の興行師Tさん(四二)と判明した。妻K子さん(三三)の話では、Tさんは、左手薬指にはめた、龍を透かし彫りにした大きなカマボコ型の指輪の下にメラノーマ(悪性黒色腫)があって、医者からは治療不能と宣告されていたという。メラノーマは皮膚癌の一種で、平均余命七年といわれ、その三分の一は治療不可能で死亡する難病である――。
 
注:

 
スリラーに解説はヤボですが、この人たちの年齢は、いずれも厄年であることにお付きですか。
 
Home Page に戻る