聖書シリーズ第二弾、「求めよ、さらば与えられん」。イエスは言う、「子供がパンを求めた時に、石を与える親がいるだろうか。まして、全知全能にして、みなの創造主である神が、あなたの求めたものを、与えないということがあるでしょうか・」と。
基本的に他力本願は嫌い、とことん自力本願な私もこの言葉にはくらっときました。少々ピントはずれを覚悟で、我流にて、この言葉を解析するに、「とりあえず、求めなさい、求めさえせずに、あきらめてしまっては、何もかなわず何も手に入らない」となる。後は、願い事をかなえるのに、神に祈るか、それとも自分を頼るか、それだけの差だ。
僕には夢がある、あり過ぎて困るくらいだ。欲しいものも星の数ほどある。それらすべてが、私の目標だ。指を咥えていては決してかなわない、それはわかっている。
でも、現実は停滞している。私よ始動せよ、大いなる夢に向って。求めて、求めて、求めまくれ。求める思い(んっ、これが祈りか?)の強さが夢の実現化への行動の源だから。もう一度言う「求めよ、さらば与えられん」、人はその望むものになれる。