原体験

今となっては、良かったのか悪かったのか

 私にとって原体験と言えるもの、それは、小学三年の時の石鎚山登山では、なかったか。

 石鎚山、それは、西日本最高峰の山であり、その道は険しく、急な登りで小学生にはきつく長い道のりである。地区の小学生と保護者による親子登山は、夏休みのある暑い日、敢行された。
 上級生、下級生関係なく一緒に登った。途中、みなは口々に「暑い暑い、しんどいしんどい、疲れた疲れた」と弱音はいた。私も登りは、なんとかなったのだが、下りになると足はパンパンになるし、靴擦れして、爪先から踵から真っ赤になって、しゃれにならん状態になっていた。それでも私は、夢中で歩き続け、気づけばふもとに着いていた。そして、全員が降りてきて一休みし、「しんどかったねー」と労をねぎらいあった。
 その時だ、私の母が私に「お前だけは、最後まで疲れたとか、しんどいとか、弱音を吐かなかったね」と言ったのである。私は、はっとし、そう言われれば、確かに一言も弱音を吐かなかったな、と思った。真相は、ただ単に登山に夢中だっただけなのだが、その時私は、やけに誇らしく感じたものだった。これが、私の原体験である。
 以来、二十年以上、私は、弱音と言うものを、吐いた事が無い。たった一度、それも勘違いで誉められただけなのに、私は、そのことを、自分の勲章として胸に抱いて生きてきた。苦しい疲れたと思うときが無い理由じゃない。みな、仲間が、「しんどいね」と言い合っているときは、中に入って「うん、しんどいね」と言いたいときもある。それでも、そんな時でも私は、ひたすら、やせ我慢して、にへらにへらして「そうかなー」ととぼけてきた。 時々思う、私は、いつまでこのやせ我慢を続けるのだろうかと。
 

あの日の誇りを私は忘れない。私は、弱音を吐かないったら、吐かない。死ぬまで