コンピューターに持って欲しくない感情
最終更新日:99/04/21 僕らの労働のつけをコンピューターが払っているのだとしたら、コンピューターさんはどんな気持ちでいるのだろうか。
私は植物の気持ちが分からないので、見守ってくれているという感じを受けたことはないのであるが、そういう暖かい気持ちでコンピューターさんも見てくれているととっても助かる。彼らと交流を持ちたいとは思わない。やっぱり世界が違うから。世界が違うものどうしが交流をしようとなると、軋轢が生じることであろう。それを文明開化と呼ぶのかもしれないが、私は今の環境で十分だ。
ブルジョワの考え方かもしれないが、コンピューターに対して意識を持つと、仕事が頼めなくなる。プロとしてお任せするというのなら意識的な問題はないが、こんど彼ら支払う対価がないことに気がつかされる。こうやって文書を打てるのは彼らのおかげだからである。どうしてこんな文章を書いているのかというと、「僕の地球を守って」という作品を読んでいる途中だからである。
もっと、サイバーパンクな意識を持つようになるであろうと思っていただけに意外である。とはいえ、昔から私はものに呼びかけている癖が玉にでるので、自然なことかもしれない。門扉さんに留守番を頼むこともあったし、弓に話しかけたこともある。自転車に情が移ることもある。しかし、macintoshではなく、win98の時代になってもこんなことを考えるとは・・・。
しかし、車には話しかけたことはない。一番話しかけるのは猫さんだろう。しかし、彼らと共同生活を始めたいとはいっさい考えたことがない。動物とは共生はしても、必要以上の干渉はしたくない。ものに呼びかけるときに気が楽なのは、彼ら自らが私に接触しようとする意志がないことと、そのすべがないということである。もしかすると、私はかごのなかのペットに対等な気持ちで話しかけている勘違いをしているだけなのかもしれない。
平すら人から頼まれた絵顧客名簿の打ち込む未作業をしていると、マクロを組んでパソコンにやらせた方が遙かに楽だということを実感した。速度は落ちるけれども持久戦になるような膨大な仕事の際はできるかぎりパソコンにやらせた方が体力面からの効率がよい。
だからこそ、彼らには何も考えていてほしくはないのだ。
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