日記
最終更新日:99/06/24 僕は錦織♪。人よんで「ニッキ」。
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さむっ
前回日記を書きましょう何てことを書いたが、日記というものは不思議なものである。昨日は一体何をしたのだろうと考えることがあるが、そういうときに読み返すlogのようなものだけが日記というわけではない。
日記とは別であるが、自伝小説というものがある。自分で書く伝記であるが、日記とは異なる。日記というのは基本的にその日にしか書かない、というのが前提である。小学生の夏休みの宿題で面倒なので日記をまとめて書く羽目になるという事態になって横着になり、日記もどきの日記となっていくのだろう。
私は毎日、日記をつけるということはない。帰ってからわざわざ日記をつけなくても、朝の仕事始めの頭のたいそう程度に昨日あったことを書く。移動中に書くと言うこともあるが、電車の中でPCを開くのには場所がいる。だから、新幹線の場合には11と12号車の間の車椅子が入れるようになっているスペースが空いているときは指定券をもっていてもイスを開いてPCを立ち上げる。
10年日記というものをご存じだろうか?。私はMacintoshを使っているときに出会った。1年前の6月24日、2年前の6月24日と言う風に、日付で日記のページが別れている。だから、バームクーヘンの様に断片的な記憶の集まりになる。ちなみに今日の2年前、私は大学の定期戦の為、高野山にいっていたようだ。
「書くことによって、全ての出来事を過去のものと割り切ることが出来る」という考えをなんとなくもっている人は多いようだ。普通、書くことによって「記録」というがちがちのイメージをもってしまい、些細なことでも記録してそうに思われがちだが、「記録」する変わり、「記憶」しない。だから、物忘れが激しい。
中学生の同級生でさえ、もはやイメージしか残っていない。ニックネームのようなイメージはあるのだが、本名は分からない。断片的な記憶。今、一緒の働いている人たちとも交流が途絶えた瞬間から記憶領域から解放されるのだろう。さすがに再起動するということはないので完全に記憶から解放されることはない。
過去の日記を読んで記憶を呼び戻そうとしても、過去に作ったファイルを編集するのと同じで、作ったときの頭の構造が思い出せないので、同じように作ることはできない。私が基本的に過去にうったページを手直ししないのはそのためである(言い訳)。
昨日は何をして過ごしましたか?、一昨日は・・・?
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