他人の目

最終更新日:99/10/14

他人の目というのは、うまく利用しないと泥沼になる。その代わり、うまいこと周り出すと楽勝である。はじめが肝心。

インターネットで公開してある日記を読む。それまでは、エッセイという形でしか、他人の日記を読むということはできなかったのが、こうやって見ることができる。喜びである。まあ、他人の幸せをよんだからといって、こっちが幸せになるということはない。それよりも、不幸きわまりないという痛切な痛みをともなった文章の方が好きである。
一方的すぎると言うか、極端というか、視野が狭いというか、まったく頭の中が固まっていく日々が分かる。だから、そういうときもそうでないときも観察者はただ見ている。日記している人々はある意味、日記を読んだ人に助けてもらおうなんてはなっからおもっていないからだ。そうでないと、他人によまれることを前提とした日記など書くはずがない。

「他人からどう思われようとかまわない」という言葉は好きではない。全然かっこよくない。他人から無視されるということを踏まえていないからだ。孤独と孤立の違いをわかっていない。それならば、「他人がどう思おうが、私の判断材料にしかすぎない」とか、「全ての他人は、私のギャラリーである」と言い切ってしまった方がいいと思う。
注目させるだけさせといて、相手に依存せず駒として扱えるようになったら、結構楽に生きられるのにと、苦悩する人々の日記を読みながら思う。

とはいえ、私は冷血な人ではない。ちゃんとポイントは押さえます。他人からは「ずれてる」と指摘されることがままありますが、「他人は他人」。でも「情けは他人のためならず」。そういうことです。それに私は困った人を助けるのは楽しいですし、女の涙には弱いですから。

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