英語の必要性
最終更新日:99/11/15 私はつねづね、英語を話せる必要性がないと考えてきた。私のアイデアが優れていて世界に通用するようになったら、そのときは通訳を雇うからと話してきた。まあ大抵、生意気と映るのか叩きにきます。口論になったあげく、大抵は納得しないまま少数劣勢で終わってしまうわけです。「少数劣勢ではない、君のためだ」とかいうが、そのロジックが大衆の妄想じゃないかなどと思ったりします。ひねくれていますから。
でも、「勉強したい奴はしてください、大歓迎です。話せるようになったら私が雇ってあげますから」と考えてしまうので、一向に英語を勉強する気にはならない。映画は邦画よりも異国産をみることが多いが、字幕で満足している。だから、俳優の台詞が適当に話していても私には分からない。小説を絵で見ているような感覚といえばいいのだろか。
そんな私であるが、どうも英語を話す必要があると思うようになってきた。それは異国女性とラブラブになりたいという不純な動機ではなく(これについては既に諦めています)、ビジネスマンとして必要になってきた。通訳を雇うほどアイデアがすぐれているわけではない、逆に相手のレベルが低いからということだ。
相手のレベルが低いから、わざわざこれ通訳を雇ってもうまくつたわらないだろう。こちらの英語を理解するとかではなく、単純な理屈が伝わらない気がしてきた。課長クラス以下を相手にしていると、年齢に関係なくこちらのロジックが正しければ論破できるということが分かる。それにロジックもノウハウから導き出されたものだから、とっさに理解しようとしても相手に勝ち目はない。本当なら、そんなことでいちいち労力をかけたくないのだけれども、給料のためなら仕方がないか・・・。趣味程度なら、和訳ツール使うんだけどな。
ちなみに音楽でも私は理解せずリズムで楽しんでいる。歌詞を正確に読むと結構ばかげた詩が多いと驚くことが多い。ちなみに日本人の歌でも詩を理解しているのはウルフルズくらいである。なぜなら、カラオケで歌うから。はっきりいってそれだけである。小学生の時からMichael Jacksonが好きであるが、ダンスとリズムと「アオッ」ていう叫びが好きなのです。
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