優しい人
最終更新日:99/11/29 よくわからない言葉だ。別に「環境に優しい」とかの言葉を取り上げようとは思っていない。「他人に優しい」ということについて取り上げておく。「優しい」というのは「よく気がつく」ということと混同されることがある。他人が気がついているかどうかというのは、態度でしかみることができない。
中学生の一時期、前後の女の子が落とした消しゴムetcを本人より先に拾ってあげるというサービスを試みたことがある。彼女らはなぜ本人よりはやく拾うことができるのかとまどっていたようであるが、簡単なことである。単にこっちが、授業に集中していないだけのこと。また、落とした本人は「めんどうだな」と思うから、動作がおっくうになるからだ。
こちらは拾おうと意識しているから、早くて当然。ところで、なぜ、そんなサービスをしたのか、今となってはわからない。きっかけが、隣に座った女の子が好きだったからか、あまりにも授業がひまだったからか・・・。まあ、気が利くというのは、行為に表して初めて相手に意識づけることが可能だということに気がついた。そのノウハウは、酒の場で大学生になって生かされることとなる。
今でもお酒の場では気の利く男と化している。だが反射的な作用ではない。気が向かないときは、わざわざ気をつけたりしないからだ。例えば、同期と飲みに行ったりしたら、一切気をつかわない。であるが、人からは「気の利く」ように見られたりする。
「親しみやすい」というのも同じ様なものではなかろうか、と思っている。どういう風にしたら、そう見えるのかというのは分からないが、なんらかの方法というのがあるのだろう。例えば、小さい子供は大抵かわいらしく見える。個別単位でみていくと結構残酷なこともあるのだろうが。子猫なんて、姿がかわいいのかとおもったりしなくもないが、AIBOなどを考えると動作である程度かわいらしく見えるということかな。あんまり、深くは考えていないのだが、深く考えていない行動が、相手に影響を与えるわけで、案外気が抜けない。
私は「優しい」という面はある。困っている人はあんまり見捨てない。あんまりというのは、自分で助けられない人はさっさと諦める。多分、池でおぼれている人を見つけたとしたら、私はロープになるようなものを放り投げるということをするかもしれないが、飛び込んで助けることはないだろう。あくまで自分の身をまず確保してから助ける。
仕事においても同様である。時間が余っている間は助けたあげなくもないが、こっちの仕事の納期が迫っているときは他人の仕事を手伝おうとは思わない。どんなに苦しんでいようがである。でも、大抵は余裕があるので助けてあげる。
こっちの気持ちで、助けているわけだから善人ではない。お見舞いに行くのも、相手に同情していくのではなく、暇そうにしているから、暇つぶしに会いにいってもいいかなという程度でしかいかない。一日中横にいて看病したいとはぜんぜん思ったことはない。
そんなことばかり、いっていると「冷たい人」と定義されてしまうので、程々にしておきますけど。だけど、こっちが疲れているときは相手しないのでよろしく。
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