情報の価値

最終更新日:99/12/07

日本の得意な仕事は加工である、といったような話を昔の社会で習ったことがある。そのときは、原料を外から取り入れて・・・・、とかなんとか言っていたような気がする。ところで、営業の仕事をしていると、コンサルティングと間違えられることがある。最終的にはコンサルティングのようなことができると喜ばれるのかもしれないが、コンサルではない。売り込みである。
売り込むためには購買意欲をそそらなくてはならない。個人消費者の場合だと心理的効果さえ出せれば、私のような新しいもの好きはほいほいと買ってしまうところだが、責任感の弱い日本の場合、自分でリスクを負うということができないため、回りくどい説明資料が必要となってくる。お客様が自身で判断できるのであれば、コンサルティングを雇うも良し、競合させるのも良いのだが、いかんせんそこまで実力を持っている人は少ないようだ。技術的に特化することは必要なことであったのだろうが、「コンピューターを使うこと」よりも「コンピューターに何をさせたいのか」ということを明確に出来る能力の方がはるかに必要なものだろうと、成功されているお客様を見ると感じる。

情報というのは差分によって生まれる。私は以前、理系というものは定義の上に発見もしくは現象を積み重ねるもので、文系はある現象を掘り下げていく、であるから後ろからたどっていくと一つの論理にたどり着けるピラミッド型の論理と、根状にひろがっていく文章と考えたことある。あんまり深く考えていないので、考え方はupdateされていません。そして、情報はどちらにも属するものであるが、加工されるものの大半は後者に属するものと考えている。新しいことが積み重なるのではなく、装飾されている情報である。
だから、あんまり価値のある情報とは思われてはこまる。だれもがたどり着けないほど深く掘り下げられた情報は一人がち出来る可能性が高いのだ。一人がちこそが売り込む際のネタとなる。

本当にこれがいい考え方なのかどうかは、時間が決めてくれること・・・と格好つけたいところだが、実行できなければ検証もできないので、今は保留。

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