年賀状の存在意義
最終更新日:00/01/03 毎年この時期になると考えることがある。デジャヴのように錯覚を覚えるのではない。考えてから気づくのだ、雨が降ったことも気がつかずに歩いているようなものだろうか。それとも単に惚けただけのことか。
電子メールができたからといって、物理的メールが減ると言うことはなさそうだ、残念ながら。それこそメールで住ましたいものだ。わざわざ形式張ったそぶりを見せなくとも、そこが浅いのだからと思ってしまう。私の私的な年賀状は毎年4枚でこと足りる。高校の友達2枚、大学の友達1枚、友達の母上1枚。それだけ。だからこそ、それ以外の邪魔な年賀状には疲れる。非常に。
どうせなら、年賀状以外のときに、短くてもいいから手紙をくれた方がうれしい。かなりうれしい。もらったことはないので判らないが、その日はにこにこ過ごしているだろうというくらいうれしい。喜ぶと思う。年賀状の時期に年賀状をもらっても、単なる挨拶なのか裏があるのか全く判らない。バレンタインデーに義理チョコか本命か判らないほどこちらは深刻ではないが、特に意図していない年賀状に返事を書くほど気分が滅入るものはない。
たまにはプリンターもつかわないといけないから、使うけれどもそれでも乗り気がしない。公的な付き合いをしている人から、私的なそぶりをしてもらっても困惑する。そういえば、小学生の教師をしている友達は大変だろうなと今、考えた。30人学級としたならば、30人に年賀状を送らなければならないのだ。私は今回25枚送ったわけだが、それでも十分疲れた。生徒以外に送ることを考えたら50枚以上になるのだろうな。
ところで、年末年始にすぐ会う人に対して、年賀状は必要なのだろうか。お歳暮は必要だと思うのだが・・・。
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