甘えとインターネット
最終更新日:00/02/09 メールやPC上で稼働するmessengerを通じて他人と会話してみて、きれい事に昇華されやすい傾向にある。一見すばらしいことに思える。「きれい事」といっても、上辺だけとは違う。そこは深い所もあるのだが、ひねくれた人はさんざんドロドロしたことをいったあげく、「でも、本心は違う」などとのたまう。
きれい事を言うのには時間をかけてもかまわない。どれだけ時間をかけようが、届いた相手がそれをうけとってから全てが始まる。そりゃあ急ぎで返事が欲しいことがあるかもしれない。しかし、その場合電話という便利なものがあり、電話をリアルタイム、手紙を非リアルタイムとするならば、さしずめ半リアルタイムというのがネット。受け取る側が受け取りたいときにつなぐ。だから、心に余裕が無いときは拒絶することは簡単である。
メールでいろいろなことを知るのはいい。けれども、現実とはアンマッチしてしまう。それはメール新聞には新聞広告がないという形で現れると指摘した人(小田嶋隆「パソコンは猿仕事」小学館文庫)がいる。本を読んで、初めて気がついた。漠然と違和感を覚えていたことは確かなのだが、理由を追及しようと考えていなかったし、たまたまメール新聞からアドレス変更の手続きが遅れていたのですっかり忘れていた。
例えば、「インテリア」のMailing Listに加入してみて判ったことは、メールを読んでいてもskillが向上しない。呼びかけに対してのresponseはあるので、自分が何かを実行している時に問い合わせたり、こんな事やってみましたという反応を楽しむのには良い場だと思います。しかし、チョットした興味本位で入ってしまうとぜんぜんついていけない(><)という事態になってしまいます。
それだけ自分の知らない世界があるのだなぁと実感出来ますが、ついていけないという意識から次第にメールをみなくなったりします。初心者と、向上心のあるかたにはおすすめです。私のように初心者なうえに、ほんの少ししか向上心のないひとにはついていけません。
さて、メールで人に甘えるのは簡単なことです。メール愛想のいい人を捕まえればいくらでも甘えることができます。ただし、それで現実が助かるかといえば、あくまでネットは仮装している部分がおおいです。特に責任範囲の曖昧なものに対しては。だからこそ、真剣に悩んでいる人に「大丈夫だよ」とか「いいことあるよ」とか適当なことが言えてしまうわけです。はっきりいって、正面切って毎日人生相談されたら職業にしていないかぎりどこかで、「いい加減、自立しろよ」と思うことでしょう。
現実の世界に疲れたあなた、少し甘い気分に浸ってみてはいかがですか。
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