メンテナンスする人

最終更新日:00/02/27

システムを扱っていると机上の空論とまではいかないが、一見泥にまみれることを忘れてしまうことがある。「手段が目的でなく、手段はあくまで手段にすぎない」、たまに思い出すようにしておかないとついつい理論に走ってしまう。普段の生活でもどこかよりよい効率を求めてしまうことも多々あるのだが、理論の実践より「とりあえず実行」主義な私は結構忘れてしまうことも多い。
バスの中から道路脇を掃除している人を見かけた。京都というのはいつでもきれいな景観を保てるところではない。定期的に維持作業をおこなう人がいるからきれいなのである。京都を観光で訪れるひとはそんなことを忘れているのだろうなと思ったりもする。京都に来るたびに新しい発見があるというのは、もしかすると京都が徐々に変化していくそのことを楽しんでいるのではなかろうか。

例えば、西本願寺さんにしても今、改装中である。桂離宮も池の水を抜いている。他の所も拝観料という形で料金を徴収しそれをもってメンテナンスに努めているわけだ。ある意味、ディズニーランドに代表されるテーマパークに近いのではなかろうか。遊園地と表現しないのは、目新しいものを導入する都市では京都がないからだ。別に京都を持ち上げることでも下げることでもなく、都市というモノは活きているってことです。
物事を新しくしていくことは結構インパクトがあると思っているのだが、新しい店がたくさんできても(例えば、コンビニが乱立しても)それほど生活に影響を与えない気がするのは、都市に組み込む能力に優れているのか、コンビニに環境に適応する能力がすぐれているのか。

京都は最先端をいっていたことがある。歴史と共に古都と趣を変えてしまったが、そういった柔軟性をもてたのは、都市としての一貫性があったためなのだろうか。しかし、仏閣にしても年代がバラバラである。かつては路面電車も走っていた。鴨川の整備も行われているのだから、昔に比べたらずいぶんと変わったのだろう。だいたい、いつから京都はそういった観光の街になったのだろう。
そうそう、話がずいぶんとずれてしまったが、メンテナンスする人々がいるから、景観は保たれる。遷移って呼ぶのだったかな、ほっといても推移していく状態。人工環境にもあてはまるのかどうかは各人で勉強してください(無責任)。
こつこつと掃除していることによって、保たれるものがあるということです。ちなみに隣のローソンではバス停のゴミ箱まで管理していますし、友達がいるマックではとなりの店の軒先まではテリトリーとして掃除しているそうな。

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