★外務省が犯した歴史的怠慢 ★
外務省がこっそり、関係者の事情聴取をして調べた記録がある。これは1994年に初めて、ごく一部に限って公開された。
1941年12月6日、東京の外務省からワシントンの日本大使館に暗号電報が届いた。
それは、アメリカ政府とのあいだで続いていた戦争回避のための外交交渉を、ここで一切打ちきると通告する正式な外交文書「覚書」だった。
まさしく宣戦布告に当たる。
暗号電報はまた、帝国海軍連合艦隊の零戦飛行隊がパールハーバーの米艦隊を攻撃する、その30分前の12月7日午後1時(アメリカ東部時間・日本時間では8日)にワシントンで、この覚書を米政府のハル国務長官に間違い無く手渡すよう訓令していた。
ところが、あっという間に電報処理をしたかと思いきや、・・・
奥村一等書記官は、暗号電報をふつうの覚書にするだけの仕事を翌日までさぼり、直属上司だった井口参事官はそれを知りながら許し、そのために攻撃前にハル国務長官に渡すことができなかった。
実際に渡したのは真珠湾が赤々ともえさかっている、攻撃の1時間後という、ショッキングにしてあまりに間抜けなタイミングであった。
電報が届いた当日、奥村一等書記官は、暗号電報の山(電報は全部で14通もあった)を尻目に早めに帰宅した。
その夜は、転勤する大使館員の送別パーティがあったために、大使館員のほぼ全員が、ふだんよりも早く大使館を出てしまったので、それに便乗したのだ。
奥村一等書記官は、飲み過ぎか食欲不振か何かでパーティには出席しなかった。そして翌日も「パーティの翌日だから、ゆっくりの出勤でいいよな」という大使館全体のユルんだ雰囲気に甘えて、遅めの”殿様出勤”をなさった。
これで、電報の清書はさらに致命的に遅れた。
井口参事官は、長文の電報が届いていること、パーティの影響で「当日早退、翌日遅刻」のムードになっていることを知りながら、そのまま放置した。
このため、日本はいまだにだまし討ちをした卑怯な奴等であるとされ、リメンバーパールハーバーと言われてしまう結果となっている。
余談として、外務省は後に奥村一等書記官と井口参事官の2人とも外務官僚の頂点、事務次官にまで栄達させている。
理由は、「処分などしたら外務省の威信にかかわる。外務省の威信が損なわれれば、日本の国益に反する。大所高所からの判断だ」(大物大使OB談)
注:省益に反するということであろう
いやあ覚えておきたいですね。
兎に角、官僚達には監視が必要な方々が、昔っから多いということですね
そのためにも、情報公開を積極的に求め、我々がチェックしていく必要があるのだと思います。
(そういう私は活動してませんけど・・)
引用:お笑い外務省機密情報 1300円 テリー伊藤 より(この本はお薦めですね)