渡部昇一の「国際原論」入門 まえがき-国益の立場から引用
日本を裁いた極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)は、あの大戦に突入するに至るまでの日本側の言い分を無視して、勝者の側の言い分を強引に押しつけたものである。日本が世界で最も富強な二大国であるアメリカとイギリスに宣戦布告をするのには、日本の言い分、悲愴な決意があったはずであるが、その日本の主要な言い分は「これは日本を裁く場であり、連合国の責任を問う場ではない」として却下されているのである。しかし、このことは敗戦に続く被占領の時代には国民に報道されることなく、日本の悪行とされることだけが、嘘まじりで報道され、教育の場でも日本の旧敵の見方のみ教えるように命じられた。奇怪なことに日本の教員組合は敵方の言い分だけを情熱をもって子供たちに教え続けたし、また日本の有力なマスコミや出版社の多くもいわゆる東京裁判史観に同調してきている。
この奇怪な事態の理由は説明するに簡単である。
第一に敗戦後六年間、日本は占領下にあって、徹底的な検閲を受けていたので、日本の言い分は絶対に公にできなかった。唯一の例外は東京裁判の法廷の中の弁護人だけだったといわれるが、その法廷内の発言だけでも、占領軍に都合の悪いことは法廷外の日本人の耳目に触れることはなかったのである(唯一フェアな発言をしたインド代表のパル判事による「日本無罪論」も当然ながら耳目に触れられることはなかった)。その一方、いわゆる戦争犯罪人裁判は続行され、死刑になる人も多く出た。
第二に大幅な公職追放令によって、マスコミ、大学、大会社、大銀行、政府機関などのポストに多くの空席ができた。そうした地位には占領軍の目から見て、戦時中には問題にならないような小者とか、左翼的な言論人、学者が入りこんだ。占領軍は当初、極めて親左翼的だったのである。特に大学のポストはひとたびそういう人が席を占めれば、その弟子たちが後継者になるのが常である。マスコミも自分の上司の見解に反対しつつ出世はかなわぬから、上役と同じ論調のことを書くであろう。戦後の多くの地位は、いわば敗戦利得者によって占められたのであった。
第三に言論に対する圧力団体には日本の敗戦を喜ぶものが少なくない。言論は自由だといっても、そこに働く人は普通の社員である。言論を糾弾する団体はこわいし、また業務に差し支えもする。したがって、それらの団体のいうことをきく傾向が強い。一例を挙げれば朝鮮総連である。この団体は戦後長い間、社会党と手をつないで圧力をかけていた。テレビなどでアナウンサーが、「朝鮮民主主義人民共和国」と舌を噛みそうな長い国名をいわされているのはその名残である。東ドイツには、圧力団体がおらず、「東ドイツ」だけで済んでいた。
しかしながら、東京裁判は裁判の名に値しないインチキ裁判である。思いつくままにその理由を列挙する。
(1)それは事後法である。事件が起こる前には存在しなかった法を作り、その法によって時間をさかのぼって裁くのは、法律的にはリンチに当る。英語の法律(law)は語源的にlie(横たわる)lay(横たえる)と同根で「(前もって)置かれているもの」の意味であり、ドイツ語の法律(gesetz)もsetzen(置く)から出たもので同じことである。フランス語の法律(loi)はラテン語のlego(集める)から来ている。これはローマ法が、元来はローマ帝国内の諸部族の習慣や掟を「集めたもの」だからである。いずれも事後ではなく事前にルールがあった。それに反して東京裁判は日本占領軍のマッカーサー元帥の参謀部が日本を裁くために急遽作成した事後法である。アメリカでもタフト上院議員らは、このような裁判は文明に反し、アメリカの恥じであるという発言をしたことが知られている。国際裁判とはいっても、国際法に基づいたものではないのだ。
(2)裁判官が当事者であった。裁判官はこの戦争に関係のない中立国から選ぶべきであったろう。ベルギーとかスイスとかの裁判官は一人も入っていない。あるいは勝者の側と敗者の側の両方から同数の裁判官が出ているべきである。それが日本の敵国だったところだけ裁判官が出ているのだ。これでは暴力団の喧嘩で、勝った側の幹部たちが、負けた側の幹部を裁くのと基本的には同じ構造である。
(3)日本が攻撃をはじめた、というので侵略戦争をしたといわれる。侵略戦争は英語ではwar of aggressionあるいはaggressive warであって、正確な意味では「攻撃的な戦争」である。それならば真珠湾の攻撃に当てはまる。しかし日ソ不可侵条約を一方的に破って満州や南樺太や千島列島に攻めこんできたソ連はどうだ。そのソ連代表は何と日本を裁く裁判官の一人だったのだ。また日華事変(反日勢力は中日戦争、あるいは日中戦争という)は蘆溝橋で中国共産軍が、日本と蒋介石の軍隊を戦わせるために、両方に対して発砲したことから起こったのである。これは毛沢東の本に書かれていることである。さすがに東京裁判も日華事変の勃発の原因の追求はやらなかった。それに対しては、事変勃発の責任はともかく、シナ大陸を戦場にしたのが悪いといって中国を弁護する日本人もいる。アメリカは真珠湾の軍事基地が攻撃されたからといって、日本の六十余の都市を無差別爆撃し、おまけに原爆を一つならず二つまで落として、意図的な市民大虐殺をやった。それとの釣り合いで考えるべきである。(日華事変をもっと手際よく終結させなかったことについては近衛内閣の責任が大きいが、その反省は日本人同士がやるべきである。)
(4)ハワイの王朝をあのように無残に潰したアメリカが、満州人の土地に、満州の正統の皇帝を擁立した日本を裁くのは笑止千万ではないか。皇帝溥儀が父祖の地である満州で帝位につきたかったことは、彼の家庭教師であったサー・レジナルド・ジョンストンの名著「紫禁城の黄昏」一つでも明らかである。このような第一級の資料は、東京裁判においては却下されている。チベットにダライ・ラマを復権させるのと同じことだったのだ。今の中国政府は、満州をもチベットをも侵略しているのである。
このようなことを並べていくときりがないからこの辺でやめるが、東京裁判史観というのは、こういうリンチ裁判のやり方のことなのである。その史観が日本の子供を教える学校でずっと教えられてきたことは怖しいことではないか。「日本の言い分」を教えられなかった子供は、日本罪悪史観を植え付けられて世の中に出て行く。その子供たちが今の日本の政治家や官僚になっていると思うと、これまた怖しいことではないか。自民党は戦後よくやってくれたと思うが、次の国民の大部分を東京裁判史観に凝り固まった日教組の手に放置しておいた責任は大きいといわねばなるまい。
またコリアなどはこの前の戦争で日本の敵だったみたいなこといわんばかりであるがとんでもない。コリア人は日本人と共に裁かれる側だったのである。だからこそ日本の敗戦後もアメリカはコリアを独立させず軍政をしいていたのだ。韓国が独立したのは日本からでなくてアメリカ軍政からであった。しかもそれは大戦が終わってから三年後だったということも指摘しておいてよいであろう。
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教育(マスコミも含め)というものは恐ろしくも重大な責任があるものである。わたしもこれまで、「日本が悪かった」という自虐史観の中に生きてきた。しかしながら、世界史を見ると何か疑問が浮かんできてしまい、それは正しい感覚であったに違いない。しかし、誰もそのもやもやした疑問に対して的確な回答をしてくれなかったと思う。
引用した考え方は、現在の日本において今後も暫く表面に出てこず、教えられることもないと思うが、「こういった考え方があることを知る」という点こそが、今後も世界に出て行くであろう日本人のアイデンティティのバランスをとる上で重要と考え、紹介することにした。