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薫風〜 のどかな田舎

 高校を卒業して入社したメーカでは、なんと人事課長がその年入社した社員の家庭を訪問すると言う、ものすごい習慣がありました。まあ、各出身校に人事担当として挨拶に訪問するついでではあるのでしょうが、そんなこととは露と知らずおりました5月の末頃でした。

「いやあ、佐々木さんとこはホントにのどかでいいとこだね〜」
といきなり営業部の朝礼で、社員が
50人あまりもいるなかで、しかも岩手なまりの抜け切らない人事課長に声をかけられてしまった。入社して2ヶ月あまりのわたしは、あまりにも田舎ものだったため、とっさの機転もきかず「ナニいってんだろ〜な、この課長は?」とボケ−っと次なる言葉を待っていました。満座の注目は別に恥ずかしいとも思わない根性だけは既にあったりして、、、。
そして、岩手なまりの人事課長の弁は続く。

 先週ね佐々木さんところの高校に行って、そのまま佐々木さんの家に行ってきたんだけどね。田植えの準備が整った道端の田んぼには水がはってあって、クロ(畦の土手のこと)がきれいになっていて、道の反対側には渓流が流れていて、山からはカッコーの声もうぐいすの声も聴こえてね。電話もしないで出かけたからお家には誰もいなくてさ、家の前で誰かいないかと声をかけてみたら、お祖母さんが家の側の畑から現れて「誰もいにゃあが、みんな畑だ」と。春うららかなその日、人事課長は田舎とはこうあるべきという風景に浸りきって、とっても満足げにわたしの田舎の良さを得々と語り、何度も何度も「ホントにいいとこだ〜」と感嘆ものだった。

 まあとんでもない田舎であることは承知していた、けれどもその田舎が恥ずかしいと思ったことはなかったので、気持ちの半分では「へへん」とちょっと威張ったりもして聞いていたりして。
18年間、その自然の中で育ったのだし、その自然の恩恵はしっかりうけてもいました。春、水が温かくなると岩魚つりもしたし、山に入って山菜取りもした。木いちごをむしりとって洗いもせず食べてもいた。(おかげで胃腸は丈夫)うぐいすの谷渡りは当たり前のBGMだったし、夏は川で泳いでいた。秋は栗拾いをして家に持ち帰り茹でて食べた。しかもこれは法律違反かもしれないのだが、山葡萄をたくさん取ってきて、母は山ぶどう酒を作っていたのである。梅酒も自家製なのだから、まさか密造酒ということにはならないだろうけども、、、そのことだけはいまだにちょっと不安。


新幹線で2時間半、更にローカル線で2時間半、しかもバスで1時間、そのうえバス停から3キロの我が家はいたってのどかで大好きな場所である。

 

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門前小僧 その1

 わたしは今の職に落ち着くまでに2人の師匠に恵まれました。

 1人目は前述の高卒で入社したメーカにいた営業部の筆頭セールスマン。営業アシスタントとして営業部に配属されたわたしは、右も左もわからず、ただひたすら先輩社員の言うことを聞いて仕事を覚えようとしていました。

 入社1年目はまるっきり見習状態。それこそ今思えば丁稚奉公みたいなものでした。ところが2年目にその筆頭セールスマンにアシスタントとして指名されたのです。他のチームは別としてそのセールスマンの考え方はセールスとアシスタントは2人で一組。セールスの全てをアシスタントが把握するという信念のもと、わたしはアシスタントという職種を徹底的に覚えさせられました。単なる電話番でもなければ、指示がないと動けないというような優しい職種ではありませんでした。メーカである以上、商品の入出庫、人気の度合い、卸会社さんのそれぞれの性格などをこんこんと諭され教え込まれました。携帯はもちろんポケットベルもない時代でしたからセールスが外出してしまえばあらゆる責務がアシスタントに集中します。注文の受付、クレーム処理、人気商品の確保、果ては製造途上の商品まで他のセールスにさきがけ押さえ、セールスの変わりに近場の卸店さんに注文を受けに行き、納品までこなし売上を作る。多忙ではあったもののやりがいという点では最高でした。夜8時以降女子社員は残業してはいけないという時代で、毎日8時ぎりぎりにタイムカードを押す日々でした。2年後そのセールスの担当から別のセールスのアシスタントになったとき、あまりの営業意識の落差に戸惑ったのは事実でした。わたしは筆頭セールスのアシスタントとして業務にいそしんだ1年で営業の楽しさを骨身にしみこませてしまったのです。
(そのころはホントに骨身だったことは確か、、、。)

 

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門前小僧 その2


 2人目の師匠は現在の広告業界に足を踏み入れたときに出会いました。
生意気盛りで鼻っ柱の強かったわたしは入社したての広告代理店でいとも簡単に敵なるものをつくってしまった。それが積もり積もってなんと社長にまで嫌われたと思ったのは決して被害者意識の賜物とは思えない。全てはわたしの生意気さ故だったと今なら素直に認められるのですが、、、。(反省)
それでも何故か師匠となる人物はわたしを導いてくれました。広告営業の厳しさや、営業の裏づけとなる知識の必然性、そして営業姿勢などあらゆるものを指導してくれたのです。なんとも辛抱強い人物である。
2人目の師匠とあいまみえたのは27歳でした。そしてその指導の中、それらを吸収した自分はどうなるのだろうという思いがよぎり、そのとき初めて30歳の自分、35歳の自分が楽しみになったのです。そんな意識が芽生えたことそのものが奇跡に近いのではと思えるのです。この世の中に、良い上司に恵まれそしてその上司に高みに引き上げられる自分を感じられることができる人間が果たしてどのくらいいるものだろうか?わたしはその常成らぬ幸運を手にしたのです。しかも2度も。

今現在、わたしはその2人目の師匠の門前小僧。自身の努力不足によってかけたあらゆることをもう一度紡ぐべく鋭意邁進中です。


吹奏楽部の恩師


 田舎もので単純ではあったけれど決して素直な性格とは思えないわたしが、なぜ上述のような人たちの教えを素直に聞くことが出来たのか、その根源は中学のときに培われたものと思います。

中学に入るとクラブ活動なるものがあり、その中でわたしが選んだのは吹奏楽部でした。前年に県大会で3位を獲得していた同部は、上昇途上で輝いていたのです。夏の大会に向け日曜日も夏休みも殆ど部活に費やされていました。その吹奏楽部を指導していた音楽教師がなんとも上手い。毎日練習しているのだから上達していくのは当たり前なのでしょうが、「とってもよくなってる」「昨日よりグンといい」とか「わたしにはわかってるのよ。貴方方が本番ではものすごく力を発揮することが」などとも〜う褒め上手。すっかりその気にさせられて、そのあとの通しの練習ではずっと引っかかって上手くいかなかった箇所がクリアされたり、いきなりみんなの音が合ったりで、全員がすっかり乗せられていた。
案の定、1年の時は銀賞で、2年の時はみごと金賞を受賞しました。
とても素晴らしい先生に指導を受けたのだと心から思えます。教え導く力に溢れた先生でした。先生の熱意に何とかこたえたいという思いを見事に引き出し、形にしてくれました。
中学・高校を通して教えを
得た教師の中でも吹奏楽部の顧問の先生だけはずっと別格です。



mailto:sasaki@adocean.com




 
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