つっち〜の謎
つっち〜の謎!?
プロフィールです。
笑ってやってください。
群馬県太田市という関東地方北方に生まれる。でも一応ここは関東平野。
群馬から一歩も外にでることもなくしばらく生活を送る。
別にそんなに小さい頃からなにをするわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
もっとも、小さいときから何かを必死にやっているほど熱血なガキでもなかった訳ですがね(笑)
一応ここで注意をしておくが、群馬県の群は”むれ”であって、郡ではない。、太田市の太も大ではない。
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何とか無事に小学校に進学(笑)。小学校が近所であったため、通学班(というのがあった)の集合場所が小学校から徒歩30秒以内。何故こんなところに集まるんだぁ?と真剣悩んだときがあった。
この頃から、ちょっと哲学チックな考え方をするようになった。
これが原因かな?語りが好きになったのは(苦笑)
その割には時計の分解修理をしてみたりという細かい作業が好きで、
家のものを片っ端から分解をしたこともあった(めちゃくちゃ怒られた)。
また趣味としての、釣り、水泳、スキーを始めることとなる。
釣りは父親の影響、水泳は姉の影響、スキーは叔父さんに勝手に連れて行かれた。という感じで周りの影響に即感化された小学校時代を送っていた。
上記3つは小学校(しかも低学年)から続いているので、ざっくり考えても10年以上のキャリアを持っている。
これだけ続ければ、馬鹿だってうまくなるでしょ?
ただ、5年生の時に群馬県内にある月夜野サイクルスポーツセンターなる場所に遊びに行って、自転車で転び左手首を骨折。サイクルスポーツセンターで救急車にも乗る羽目になる(笑)
しかし、保険にしっかりと加入していたが為に数千円の過剰収入が発生し家計が潤ったなどという事はこの頃知る由も無かった。
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公立の中学校に進む。
私立も考えたが、遠いのでやめることにした。
毎朝の起床時間は8:00。
中学校も見える距離にあるので、ちょくちょく田んぼを突っ切って中学に通って先生に怒られたものである(笑)。
中学ではどこかの部活に入らなければならないので、水泳部に入部。
いきなりレギュラーをゲット!!っていっても、種目が多いので何人でもOK!である。
中学1年の頃は何度もビリを味わった。これは悲しかった出来事である。
1人で予選落ちだったり、1人でとてつもなく遅かったり....
このころはまじめに水泳をやめようかな?って考えた。
まぁ、結局やめる度胸もなくそのまま続行。
やる人がいないのでそのまま部長に。
部活動のオリエンテーリングで新入生に不良と勘違いされる事くらい以外はこれまた平凡な中学生を演じていた。
だが、時々運動音痴の実力なのかまたまた自転車で左手首を再度骨折(大笑)
2度目なのでなれた物で自分の自転車が壊れてしまったので、姉の自転車を接収。接骨院まで片手で運転し、治療を受け、迎えにきた親よりも落ち着いてるあたり、慣れとは怖い物よのぅ.....と思ったのである。
あとで確認したが、直径15cm位の石を踏んで転んだらしい。
夜とはいえ、気付けよな。全く。
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近所の公立高校に進学を希望していたのだが、進学校だった。
ただそれだけの理由で高校を隣の市にある高校まで通うことになる。
自宅から自転車で15分の駅まで行き、そこから電車で30分。
さらに駅から徒歩20分の道のりである。
そのため、ちょくちょくふけることはあった。
高校でもやはり水泳部に入ったが、友達に誘われるままに他の部や同好会にも入る。
結局高校時代のサークル活動は水泳、JRC、インターアクトクラブ、無線、写真、SF・シミュレーション、弁論と多忙を極めた。
特にJRCでは県協議会の書記になり、県内の動きを掌握する事に成功。
このため、県の代表として岡山で行われた「全国スタディーセンター」なるものに参加をすることになる。
ここではつっち〜の持ち味を遺憾なく発揮することに成功。
相当びびられる人間関係を形成した。
今更ながら考えると、良く暴言の数々を吐いたなぁ....と呆れてしまう。
この暴言、話の的を的確に射抜いているらしくいろいろ感謝の手紙が来たときは驚いた。
このときの知り合いで数名は未だに連絡をとり続けている。
人の出会いなどわからないものだ。
ついでに言っておくが、つっち〜の暴言のことを人によっては”辛口トーク”と呼ぶ人が後にでてきた。
良くしゃべるから”マシンガントーク”とも言われる。
人をなんだと思っているんだ?おまえら。
こんな事ばかりをしていたので、当然のようだが勉強なぞせず大変に困ることになる。
しかし、それはそれ。今更困ってもしょうがないので、サークルで養ったバイタリティーだけで大学を選ぶことになる。
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誰も知ってるやつが行っていない大学!という理由で選択。
最初に連んだメンバーの乗りについていけず、3ヶ月で飽きる。
その後いつも一人で居る(笑)T氏と出会い、仲良くなる。
彼は親のSKYL●NEに乗っていて、何かあるといつもお世話になっていた。
学生時代仲が良く学籍番号が近いのでこいつとは未だに連んでいる。
この後、Computer Comunications Circleに入り、パソコンの師匠、S.Y氏、H.I氏、K.I氏と仲良くなる。
この人たちは、つっち〜の人生の行き先を決定する重要な人物となるとは当時夢にも思わなかったのである。
情報系の学科に在籍していたにも関わらず、パソコン音痴(メカ音痴)で、プログラムは組めず、歌も音痴(笑)。しかし懲りずに良くカラオケに行ったものである。毎週の様にカラオケに行っていた。
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とうとうせざるを得ない時にきてしまい、実家に帰ることを決意する。
東京の生活を維持できるとは思っていなかったのだ。今考えるとそれが人生にとって大きなマイナスになることを今更ながら感づいているのである。
この時は実家の近所で職を探し、今に至る。
就職活動中の楽しいエピソードといえば、今の会社の最終面接にたどり着いたとき「来週の木曜日に社長面接をしたいと思いますが、大丈夫ですか?」と聞かれたとき、「バイトが忙しいので火曜日位しか予定があいてません」と逆指名をこっちからやったのを覚えている(笑)
良くあれで最終面接を通ったなぁ....と今更ながら感心する。
これ以外の会社では電子基板作成会社では、面接で「第一希望はこの会社ではない」と言って内定もらえなかった。フェラーリのエアコンなんかを作っているサンデンという会社の子会社の内定を取ったが、筆記はカンニングだった。
前もって受けた友達から「こんな問題がでたよ」って聞いてたこんな問題が全てでちゃったからね。これってカンニングでしょ?
まぁ、時効だと思って許してね。入社もしなかったし......
何より、今の会社にとりあえず入社したのはいいが、なにをやっているわけでもなくつまらない日々を送っている。
会社ではnoggy氏に出会い、人生の重大な転機が訪れることになる。
今の会社勤めの生活にピリオドが打たれるのも時間の問題。
次の職で食っていけるように修行中である。
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