薔薇園 -Rose Garden-


ふ…ととてもいい香りががした。

今はまだ一月。
まだ梅がちらほら咲き始めた所だというのに、それほど花が咲いているはずもない。
しかし、その香りはとても良い香りだった。
いつかどこかでかいだことがあるような、そんな懐かしい香り。
住宅街であるけれど、この近辺に花屋でもあるのだろうか。
そう思って、再び歩き出す。

そのすぐ横にバラ園があったことを知るのはバラの季節。
五月。バラが華やかに咲く季節になってからである。


《第一話》

その姿はいやでも目を引いた。
両手いっぱいに白いバラの花を抱えている少女。
茶色がかった、ふわりと肩のあたりで揺れる髪。そして、やはり同じ色彩の瞳には楽し気な光が宿っていた。
軽やかな足取りでその少女は私の横を通り過ぎた。
途端に香るバラの香り。
それはいつか冬の日に香った、その香りであった。
少女は、すぐ横の家の門を開けて入っていく。
その後を目で追うとその表札には”御園”とあった。
御園、それは先程の少女にはとても似合いの名字だと思った。
少女の姿はすっかり消えていた。しかし。
その家の庭は、色とりどりのバラがこぼれんばかりに咲いている見事なバラ園になっていた。
先程少女が抱えていたバラの花束がここのバラ園のバラであることは間違いないだろう。
そして、いつかの冬の日に花の香りがしたのは、ここであったことに気づいた。
おそらく、温室でもあってそこでもバラを栽培しているのだろう。

少し、遠回りではあるけれど、このバラが咲いている間は、この道を通って学校に行こう、そう思わずにはいられない美しさだった。


その御園家の横の道を通ることが日課になって、二週間位たった頃。
例の彼女とすれ違う以外は、御園家の住人らしき人を見ることはなかった。
彼女の一人暮らしと考えるには、少しばかりその家は大きかった。
古めいた感じがする洋館とでも言うのだろうか。
しかし、あまりにも御園家の住人を見ることがないために、なんとなく安心してゆっくりとバラを眺めることができるというのも事実である。
少し歩調をゆるめて、夕暮れのバラ園を見ながら歩くのはとても優雅に感じられ、気持ちが良いものだった。

ところがある日。
ガチャリと門を開けて出てくる人影があった。
どんな人だろうか、と多大な興味の元に、何気なく目をやると、出てきたのは一人の少年だった。
「……高志?」
思わず足を止めて、呟いてしまった。
「って、早苗。何してんだ?」
少年もきょとんとして尋ねる。
「そうか。高志って、御園 高志っていうんだっけ。」
「何を今更…」
高志は怪訝そうに早苗を見つめた。
「高志って、お姉さん…か妹さんいるんだっけ?」
「?…俺は一人っ子だぞ?」
確かに、高志に兄妹がいるという話を聞いたことはない。
「だよねえ?でも、そうしたらあの女の子は?」
「あの女の子?うちは父さんと二人暮らしだ。」
「?」
高志はきっぱりと言い切った。
だったらあの少女は何なんだろう。
いつも、それは美しいバラの花束を抱えて、御園家から出てくる彼女は。  
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
「うーん。じゃあ、従妹とか…?」
「従弟は一人いるけど…男だぞ?」
確かに、隣のクラスに高志の従弟がいるのは知っている。
「でも!」
入っていく家を間違えたんだろうか?
でも、そんなことは、ないはず。
だけど、高志はこうもはっきり否定しているし。
何と言って良いものか、考えあぐねていると高志が尋ねてきた。
「お前の家こっちじゃないだろう?どうしたんだ?」
「ああ。このバラ園が…、高志の家のバラ園があんまり綺麗だからこのバラが咲いてる間は、この道を通ろうと思って。綺麗だね。ホントに。」
「ふうん。…何なら入ってくか?」
「え?いいの?」
「早苗がバラ好きだとは知らなかったな。」
「珍しいよね。こんな大きなバラ園のある家って。」
「まあ、古いしな。この家も、このバラ園も。」
何かを思うように高志は呟いた。
「そんなに昔からあるの?」
「曾祖父の代からあるらしいけどな。」
「へえ。そんな昔からあるんだ。このバラ園。」
「ああ。」
「へえ。」
バラ園を見返す。
ずっと昔からこのバラ園はこの家の人々を見続けているんだ。
そう思った途端、くすりと彼女が笑う声が聞こえたような気がした。
彼女の声など聞いたこともないと言うのに。
くるりと振り返っても誰もいない。
「ほら、こっち。」
そう呼ばれて、高志についていくと門からの小道を少し歩いてバラ園につく。
もちろんその小道の両端にも小さなバラが咲いていた
そしてそこは、まるで別世界だった。
眼前に広がる一面の色とりどりのバラの花々。 
薫り立つ淡いバラの香り。
バラの枝々の間を吹き抜けるそよ風。
なんだか心が浮き立って来るのを感じた。
「すごい、ね。とても綺麗。」
高志は、そんな感動している私の横に立って、無言でやはりバラを見ていた。 

高志はあのバラ園が好きではないのかな…。
そんなことを考えながら、帰途についた。
バラを見ている筈の高志の瞳には別の物が映っているような、そんな感じだった。


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