インタビューログ
(1991年1月 FMA地下レストランにて インタビュアー:中北)

BEGIN
(profile)
沖縄、石垣島出身の3人組。
1989年、TBS「平成名物TVいかすバンド天国」(通称:いか天)に出演し、いか天キングになった後、シングル「恋しくて」でテイチクからデビュー、「恋しくて」は、日産のコマーシャルにも使われ、大ヒット。
今回は、セカンドアルバム「GLIDER」発売キャンペーンで来名。




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イカ天って、BEGINにとって、結局何だった?

「今にして思えば・・・。今はもう、ほとんど笑い話にできるくらいいい思い出。あそこでキング取った後は、ほとんどマッハのスピードで回りが動いていったから。

 今思うとさ、イカ天って、学校みたいな感じがする。いろんなバンドがいて、俺らがキングだった頃って、頭ツンツンのパンクバンドとかがまだたくさんいてさ、3人でキングの席に座っているとガンつけてきたり。

 そういうのも、今にしたらなんか、いいなーって思える。あんなにたくさんいろんなバンドを見られたことってなかったし。それが自信につながったり、逆に凹んだり。フライングキッズとかシバとか、すごいなーって思ってみてた。もう、最後の三週くらいからは、キングなんかどうでもよくなったんだよ。とにかく、現場にいるのが楽しくて。


現場は楽しくても、一歩外の世界に出ると違うでしょ。イカ天キングになって、すぐに「恋しくて」が大ヒットしして。自分たちの回りの変化ってすさまじいものがあったんじゃない?

「うん、ついていけなかった」


で、今回のアルバムのタイトルが「グライダー」。マッハについて行けなくなったところに出てきたタイトルということで?

「うん、そう。今やっとまわりの風景になれてきて、はっきりいろんなものが見えるようになったところかな。
 最初の頃って、何から何まで初めてだったでしょ。そういうものを一回ひととおり経験した今、取材にしてもレコーディングにしても、もう怖くないし、逆にその流れを自分たちで変えようというか、止めてみようという状況になってきた。

 やっぱり、マスコミにわっと出ると「すごいバンドだ」みたいになるでしょ。その評価にどうやって追いつこうか、という焦りがいつもあった。でもね、今まで、気がつかなかったけど、すごいスピードで流れていた時って、実はそのスピードと同じくらいいろんなものを吸収していたんだよ。テクニック的にも。
 で、今ようやく一周してもとの場所に戻ってきた感じ。だから、「グライダー」は実質的にはBEGINのデビューアルバムだと思っている」


歌詞の内容も等身大だし、音楽的にもさほど斬新なことはしていない、地に足のついた印象ですよね。

「うん、そうだね。音を作る上で新しいことはやっていないし、だけど、古いものを引きずるようなこともやっていない。今の自分たちを出しているだけ。
 「グライダー」っていうのも、今、自分たちが住んでいるのは東京で、だから、東京がテーマになっている。東京に結局、自分たちの居場所なんかないしさ、ふわふわ浮いているグライダーみたいなものじゃないかっていう感じでついたタイトル」


いったん動きを止めて、自分たちの位置を確認したところで作ったという感じかな?

「だからね、自分たちの中である意味、ピリオドを打ちたかった。今まで、石垣島で受けた影響と、東京に来て急ピッチで受けた影響を、このアルバムの中にぎゅっと閉じこめたつもり。3枚目はこれで何でもできるような気がする。自分たちが帰る場所ができたから。
 つまり、このアルバムは、「自分たちのブルース」が歌えるようになるための第一歩。今すぐブルースを歌ってもきっと嘘になる。遠回りして遠回りして、今度また、ここへ戻ってこようかなっていう、その道しるべみたいなアルバムかもしれない」


ブルースって、生な音楽だよね。素のままの自分が出てしまう。今、「自分たちのブルース」っていったけど、そう言う時、どんな音楽を想定している?

「あのね、実際、1stアルバムでは、ブルースにしようってことになったんだ。で、一応取り組んでみたんだけど、演奏とかメロディとかはあっても、歌うべき内容がなかった。じゃあ、あなたたちにとってブルースって何なのって聞かれた時、「真実の音楽」だとか、「魂の叫び」とか、単語を並べたりもしたんだけど、今ね、全然わからなくなった。2枚目作った今、あらためて「ブルースって何?」って聞かれたら、「わかりません」っていうしかない。「今探しています」って。
 そりゃあ、細かいことをいえば、コード進行とか、いろんな決まりがあるんだけど、広い意味で言うと、内面的なもの、くらいにしか、今は理解していない。

 だけどね、前までは、俺たちブルースっていうと、それだけで尻込みしてた。このコード進行だけはやめよう、みたいに。それが、今は、探すために、間違ってもいいからやってみようって思えるようになってきた。急に全部はできないけど、一つひとつさ。
 わからないなりに、自分たちの根底に流れているものは、ブルースでありたいから」


アルバムの中に「太陽のチルドレン」って曲があったでしょ。あれ、基地の歌だよね?

「あれは、石垣島育ちのリアリティかなって。そして、ブルースってそう言うものかなって思って作った歌。

 もともとと俺ら、生まれはアメリカでさ、まだ本土復帰してなかったから。子供の頃は、何セントか持ってお菓子買いに行ってたし。それから返還されて、今振り返ると、あのころはアメリカだったんだなーって。そんな子供の頃のことを、作詞家の先生と話して作った歌なんだよね」


だからかな、なんか本物の感覚が歌われてる感じがした。

「自分たちが音楽やっていく上で、ひとつだけ決めごとがあってさ、それは、嘘をつかないってこと。空想で歌は作れないし、歌えない。頭の中だけで描くような世界は作れない。喜びも痛みも自分の中にあるしね」


痛みをひとつずつ心の中からつかみだして曲にしていくってこと? それってすごくつらくない?

「つらいつらい。けっこうボロボロになったりするね。曲を書いているうちに涙がぽろぽろ出てきたりする。日常にある痛みを見るわけだから。作る時ってつらいし逃げたくなる。だけど、ここで逃げたら、何もできなくなる。音楽ができなくなるんだよね」


詞を自分で書かなかったのは、そういう生の感覚にクッションを置くため?

「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど。
 今回は、詞はあんまり自分で書いてないんだけど、何回も作詞家の人に会って、恥ずかしいけど、こういう気持ちなんですって全部伝えて作った。ある意味で、最初から一緒にやってきた人たちだから、俺たちが好きな言葉とか全部わかってるし。そういうのもありだと思う。
 だけど、まだまだ自分の中に眠ってる言葉とかもあるはずだから、それはこれから、自分でどんどんだしていくつもり」


そういうのって、自然にわき出てくるものなの?

「あのね、俺はわいてこない。曲作りって、湧くよりも絞り出す・・・というか、何かがさ、言い方わかんないけど、何かが降りてくる瞬間っていうか、それを待つしかないの。

 実は、俺ら実際に曲を書き始めたのは最近なんだ。イカ天に出るようになった時、「恋しくて」とあと2曲くらいしかなかった。だから前回のアルバムの時に曲作りのノウハウ覚えたくらい。その時に、どうすれば曲が作れるっていうのは全部試した。お風呂で作ってみたり、ただトイレに座っていたり、散歩したり。でも、結局、全部ダメだった。待つしかない。降りてくるのを待つか、自分が絞るだけ絞った後、それを抜き取ってくれるか。その辺の葛藤はいつでもあって。

 でも、そうやって苦しまないと、ライブがつらくなるんだよね。言葉ひとつでも、たとえば「どうしてなんだ」の「なんだ」が「なの」に変わっただけで、ずっと引きずってしまう。だから、ちょっとの妥協もできないんだよね」


ボーカリストとしてはウェットな声だよね。南の島唄生まれというよりは、日本的な情感も感じるし、ソウルフルなバラード声かな、とも思う。

「やっぱり、俺は洋楽聴いて育ったし、歌い方は直接そういう向こうのものに影響を受けて来たと思うよ。


今、沖縄のサウンドって流行ってるよね。ああいうのは?

「うーん。逆にね、そういうのは俺らはできないな。子供の頃からずっと自然に効いてきたものだから。音楽じゃなくて空気とか、風みたいな感じでしか語れない。
 だから、もし、俺らが民謡をやるとしたら、半端ではできない。高校三年まで、市役所で開かれる民謡大会は見に行っていたし、お祝いがあるたびに踊ったりしていた」


いちばん根底にあるのは、それっていうことだね。

「うん、そういう空気の中で洋楽を聴いて、東京に出てきてから曲を作るようになったから、曲の作り方は東京で受けた影響もある。

 だから、俺の中ではその3つが混じり合って、音楽になってるんだろうね」


好きなアーティストは、ジャニスとクラプトンと、それからジョン・レノンだったね。あれは、石垣島で?

「いちばん多感な頃にね。俺が東京に出てきて歌いたいと思ったのは、ずっと頭の中にジャニスとかジョンとか住み着いていたせいなんだよ。これはもう取れない。音楽に対するそういう思いがなければ、きっと東京には出てこなかったんだろうね。自分自身、歌うことはすごくいやだったから。だいたい人前に出るのが嫌いな方なんだ。

 だから、俺の歌っていうのは、自分でも最近思うんだけど、相反する思いの中から生まれているものなんだよね。もうだめだ、もうだめだっていつも思っていて、だけど、その瞬間の開き直りっていうか、そういう時に歌が歌えるような気がする」


そういう人が作る歌が、自分の内面をさらけ出さなくてはならない歌だっていうのは、不思議だしちょっと皮肉な気もします。あえて苦しい道を行くというのは、すごいことだと思う。

「いつでも思ってるよ。島へ帰ろうかなとか。でも、きっとそういう時に、自分の中で歌が育ってきているんだよね。
 ジャニス・ジョップリンとか、ジョン・レノン、ジミヘンなんて人たち、あの人たちはきっとすごい平凡な小心者なんだと思うね。でもね、多分、歌うしかなかったんじゃないかな。だから、自分を削って、削るだけ削って消耗して。彼らはきっと、ワンステージで1年分くらい年食っていったんじゃないかと思う。そういう生き方に、とても引かれていた。その反面、今でもそういう人を好きでいる自分が怖かったりするんだよね。


そういうふうになったらどうしよう、とか?

「うん、今はあこがれでしかないんだけど、実際考えたりする。どうなるのかなあ。降りてきちゃったらどうしよう、みたいなさ。それは自分の中の願望であるのと同時に、絶対にそうあって欲しくないというのもあるんだよね。
 だけど、それに引かれる自分って何なんだろう、みたいな」


無責任な立場でいえば、ぜひ降りてきたところが見たいけどね

「わかんないよね。逃げちゃうかもしれないしね」


これから先のことで、今一番最初に考えることとは何?

「最初に考えたのは、カバー。アルバムには入っていないんだけど、「スタンド・バイ・ミー」をね。東京に出てきた頃、ちょうど映画が封切られて、それ以来みんなが、ただのヒット曲みたいにカバーするようになってるでしょ。で、「今やると、きっと俺たちもおなじようになってしまうだろう」ということで、取っておいたの。

 でも、そろそろいいんじゃないかって思って、やるようになった。ちょっと、ジョン・レノンのまねをしたりして」


ベン・E・キングじゃなくて、ジョン・レノンなんだ?

「そう、最初に効いたのはベン・E・キングだったけど、近いのはジョンの方かな」


あの曲って、ジョンが別の魂を吹き込んだようなところ、あるでしょ?

「うん、あるある」


BEGINはそれとは別の魂を吹き込めたと思う?

「・・・うーん、悪くはなかったと思うよ。でもね、今は多分、まだあこがれでしかないから。たまに、いい瞬間があるくらいで」


それは、どういう形で聞けるの?

「ツアーではやる。レコーディングの予定はまだわからないけど、これからはレコードにもカバーを入れていくつもりだから、いずれは入れると思う」


本当に自分たちのブルースが見つかったら?

「たぶんね。でも、歌いながら探していく。歌ってるうちに、いつか気がついたらたどり着いていた、ということもあると思う」

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駆け出しの頃のインタビュー。今読み返すと、話の持っていき方は稚拙だし、どうしてそこをもっと突っ込まないかなと、ダメだししたくなる部分もたくさんあります。

それに、少し自分の趣味に走ってる傾向もあります。媒体が「20代女性の読むファッション誌」であることを考えれば、本来、音楽的なことよりも、もう少しパーソナルな部分に焦点を当てるべきだったのではないか、という気もします。

それでも、なんかこのときは、インタビューの場で生まれるグルーブが、とても心地よかったのを覚えています。それ以後続く、自分の取材の「芸風」が、すでにこの頃から芽生えていたような。

モノを作る人の苦しみと、それでも作らずにはいられない衝動を、生の声で聞くことができ、初期の自分にとって忘れられない取材のひとつでした。