三鷹文学散歩俳句紀行

十二時五十五分南武線立川行きに乗車。三鷹へは立川回りがよいでしょうとコンピュータの答えを鵜呑みにしてみんなの先頭に立って歩く。

車中、テスト作りでお疲れのみなさんは座席に着くと心地よい暖かさにじきにまぶたが閉じてゆく。僕も昨晩は終電帰宅。ご多分に漏れない。

三鷹行く師走電車に師は眠り

車窓から見える冬枯れの稲田堤。朝方の重苦しい雲ではなくなり乳白色の天蓋は心持ち明るさを増してきたようだ。昨日の雨で乾ききっていた草木も命を吹き返している。

家亀先生が「空気が澄んで良いね。」とおっしゃった。そう、そんな感じだ。気のせいか空気が柔らかい。今日の文散は雨には降られずに済みそうだ。それを言うと正木先生、せっかく持ってきた長い傘を持て余し気味に「あーあ。」と嘆息。

乳色にとろけて眠れ師走雲

三鷹に一時五十分着。思ったよりも近かった。挨拶もそこそこに一行二十一人は散歩開始。三鷹は文学碑の多い街だ。太宰・三木露風・武者小路・山本有三。多くの文人が住み暮らしていたことを示している。しかし、国会議員になり文化勲章をもらった者もあれば、そうでない者もある。真の評価は時間の風化に耐えられる文章であったか否かで決まるのであろう。

霊泉山禅林禅寺に至る。鴎外の例の「森林太郎墓」が津和野と同じ姿であり、鴎外の墓の隣には妻しげ子さんの墓が寄り添っている。二人目の幸せだった奥さんの墓だ。そしてそれらの墓のはす向かいに太宰治の墓があった。名前だけのシンプルな墓である。そして隣に昨年亡くなった美知子未亡人の入った真新しい墓があった。ここに来るまでの彼女の心中をおもんぱかると複雑な気持ちになる。

ようやくにここまで来たり君の側

桜の老木が枝を広げて鴎外・太宰そしてその家族の様々な思いを大きく抱きしめている。

桜木のもとに眠れる大思索

線香でも供えようと事務所に寄ったが鍵がかかっている。窓に貼り紙あり。

本日は定休日です禅林寺

寺に休日があるとは知らなかった。

三時四十分 連雀の住宅街を抜ける。どの家も住人の意匠が凝らされていて見ていて楽しい。その中で、ひときわ豪壮な旧館が見えてきた。山本有三の旧宅を利用した記念館であった。鎌倉博物館の前田公爵邸。小田原文学館の田中光顕邸に通ずるものがある。現世での勝ち組みの家相である。門の前に巨大な「路傍の石」が据えてあった。路傍の石という名の石があるのが奇妙におかしい。文化勲章並びに恩賜の銀杯があった。勲章を受けたのは山本勇造、彼の本名なのであろう。

有三が勇造になる道の石

有三が路傍の石で勇造に
彼の文章は平易で教訓に富むが、権勢を得てから実行した終戦直後の国語政策には失敗が多く、現在も我々はその尻拭いをしているようなものである。

めちゃめちゃに日本語をして勲章か

懇親会のあと三鷹から中央線に乗る。ほろ酔いで実に気分が良い。酔狂で武蔵境でひとり下車し西武多摩川線で帰ることにする。六時四十一分発。発車を待つ車中で記す。

懇親会には本校から五人、幹事高の商業から六人、総合科学から三人、の総勢十四人の会だった。今まで参加した中で最も楽しく内容のある懇親会だった。総科の河野先生が愉快な人で話題百出、四時半過ぎから6時半までの会であったが、これからの川崎の国語教育の実力を実感できた。丸岡先生の述懐も素敵だった。

愛すべし川崎国語冬文散

旨い酒国語教諭の心意気

この気分は三鷹の中央線をまたいでいる跨線橋に上がったときからずっと続いている。太宰もここからはるか故郷を遠望したという。

良き明日を跨線橋より望みたり

冬にしては暖かな一日だった。

戻る