私の両親は、「今の歌手は歌が下手だ」と言っている。しかし、私はそうは思わない。テレビにでたり、CDを出したりしているという事は、やはり、それだけ歌が上手いという事だと私は思う。しかし、時には聞けないような歌を歌っている人もいるが、それはそれで曲にあった唄い方をしていると思う。
音楽には色々なジャンルがあるが、私の好きなジャンルはヴィジュアル・バンドなどが好きです。ヴィジュアル・バンドというのは、男性5人ぐらいのバンドで化粧をしているグループのことで、最近はSHAZNAというバンドがヴィジュアル・バンドの中では人気がある。そのバンドのVOCALは男なのだが、女の子の姿をして唄っているのだ。音楽の方も、若い人達にも人気があるがファッションなども注目されているようだ。私が注目しているアーティストはL'ArcーenーCielと言うやはりヴィジュアル・バンドである。彼らは三人グループで、VOCALのhyde
(ハイド)は、やはりファンの中でも人気で、その人気の秘密は、彼の書く詞にあるらしい。実際私もCDを持っていて歌を聴いているが、歌詞がとても聞き手には感動する詞なのだ。そしてギターのKENが作る曲はとても聞きやすいので、人気があるのだと思う。あとは、ベースでリーダーのtetsuのベースのテクニックも人気のひとつだと私は思う。
最近は、たくさんのミュージシャンがいるのに、音楽番組が昔よりも減ってきていると思う。しかし、ミュージシャンがいるかぎりは番組はつぶれることはないが、私にとっては、自分の娯楽がなくなるという事なのだ。そしてもっと悲しいことに最近は音楽番組が夜中にまわされていて、見たくても見れないことが多いことだ。どうして、プロデューサーの人はバラエティー番組などをプログラムに組み込もうとするのだろうか。それも、最高視聴率を取るために、ミュージシャンを出演させたりするのだ。確かにそういう番組にアーティストが出てくれると私も嬉しいし、ファンにとっても嬉しいことだが、歌わないことが私にとってはなにかものたりないような気がしてならない。わたしがミュージシャンたちにやってほしいことは、歌を唄い続けてほしいことはもちろんのこと、応援をしてくれるファンを大切にしてほしいと思う。
わたしの好む現代の音楽について言うとゆっくりした曲はあまり好きではないということだ。では、どんなのが好きかというといわゆる「ハードロック」と呼ばれる音楽なのである。例えば、去年解散してしまったが、XJAPANや、LUNA
SEAなどが代表である。彼らのつくる曲のほとんどが速くて乗りの良い曲なのであるドラムをたたくのも、ギターを弾くのも、唄うにしても、ハードロックをやるのはたいへんだということを自分がギターをやっていてよくわかる。ギタープレイも、「早弾き」と言うのがあるのだが、わたしたち素人にはとても真似ができない。そのへんはさすがプロだなと思う。作曲のしかたも、今の若い人達向けの曲を作っているので、CDなどもたくさん売れる。音楽業界もそのへんはよく分かっているので、ほとんど若者向けの曲を売っている。しかし、高齢化社会になると言われている21世紀は、高齢者にも受け入れられて、そして若い人達にも受け入れられるような曲を作ってほしいとわたしは思います。実際にはそういう音楽を作るのはとても難しいことかもしれないけど、今活躍しているプロデューサーに言いたいことです。
私も趣味の音楽でなにかできることはないか、と考えている。だけど実際にはたかが「趣味の音楽」でしかないから、小さい頃から習っていたエレクトーンにしろ、最近始めたギターにしろプロ並みにうまくはない。それでも、いままでやってきた音楽をやめたくはないから、会社にいきながらでも続けていきたいと思う。最後に、時間に追われている現代人にとっての「音楽」とは「やすらぎ」なのではないかと思います。
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子どもが自由に伸び伸びと育つ環境を作り上げることが大人にとって大切であると、私は思う。
今の世の中、そういう子ども達の環境として厳しいものがある。現在の日本は、学歴を重視する社会だと思う。そのため、子どもに塾や様々な習い事を習わせる親が、増えてきたと思う。しかも、子どもが、好きで通うというより、親の期待を背負って習っている感じがする。幼い子どもに習い事ばかりを縛りつけてはならないと、私は思う。
子どもが自由に伸び伸びと育つために最も大切なことは、体をたくさん動かし、大勢で遊ぶことだと思う。体を動かして遊ぶことにより、丈夫な体が出来る。また、大勢で遊ぶことで、子どもたち同士がお互いに助け合ったり、喧嘩をしたりして、社会を生きていくための基本的なルールを身につけることができる。またそれらが、「他人を思いやる心」を育てることになると、私は思う。
「他人を思いやる心」は、人間にとって、とても大切だと思う。他人を思いやる
ことで、相手も自分も暖かい優しい気持ちになる。それは、大変素晴らしいと思う。思いやりのある人間に育てていくには、幼い頃から「他人を思いやる心」を教えていかなければならない。先日、思いやりに関するテレビ番組をみた。親が、泣いている赤ちゃんをそのままにしておいたり、泣きやまそうと叱ったりすると、成長した子どもは、いじめをしたり、一人で遊ぶことを好むようになるという。また、親が、泣いている赤ちゃんを優しく抱き上げてすきなだけ泣かせてもらった子は、思いやりのある優しい人間に育つという内容だった。私は、この番組を見て、その通りだと思った。
ただ「他人を思いやりなさい」というだけでは、子ども達に「思いやり」は、身に付かないのである。子どもは、親の愛情や思いやりのある人間に出会ったり、遊びの中で、「思いやり」を学んでいくのである。「三つ子の魂、百まで」というように、幼い子どもの時期は、とても大切な時である。親は、子どもの気持ちになって物事を考え、子どもの心を理解していくことが大切である。また、親子の間に愛がある暖かい家庭を親は、作っていかなければならない。そのような家庭を作っていくには、まず、父親と母親がお互いに協力をして、子育てをし、親子の信頼感を強めることだと、私は思う。
最近、男性向けの子育て書が出版されたり、地域や保育園では、父親同士のネットワーク活動も盛んになり、子育てや家事に参加する父親の姿がみられるようになったが、「子育てや家事は、母親がするもの」という考えが父親の中に根強く残っているため、積極的に育児に参加する人は少ない。子どもは、両親の間に生まれてくる。母親だけの子ではないのだから、父親も協力して子育てに参加するべきである。親は、子どもが良いことをしたら、たくさん誉めたり、また、悪いことをしたら、叱ったりすることがとても大切である。そして、それは、親子の信頼感を強めることになる。ところが、親の中には、子どもが可愛いために、叱ることができない人もいる。
しかし、それは良くないと、私は思う。叱ることも親の愛情だと思うからである。また、叱るときに叱らないと、子どもは善悪の分からない子になってしまう。子どもに対して、親は、ただ優しいというだけでは、良くない。時には、厳しい愛情も大切なのである。子どもは、親に愛されることで、自分に自信を持ち、自分ことだけでなく、幅広く物事を考えられるようになる。つまり、心が成長し、他人を思いやることができるようになるのである。
現在の日本の社会は、経済を優先とする社会であるため、自然の野山は、どんどん開発されてレジャー施設等に転換されてしまっている。そのため、都会では、公園などの「思いやり」を学ぶことができる遊ぶ場所が大変少なく、子ども達が思う存分遊べる環境が整っていない。だから、子ども達は、家の中でテレビゲームなどの遊びに熱中するのである。体をたくさん動かせる場所があれば、子どもは、伸び伸びと遊べるはずである。このような環境を整備していくことが、今の大人達に課せられた重要な責務だと、私は思う。 ホームページに戻る
家庭料理と言うのは、昔は妻、いわゆる女が作って当たり前という認識が非常に強かった、しかし、現代の家庭料理は、昔と違って夫、いわゆる男でもそっせんして家庭内での料理を手伝うようになってきている。昔の家庭料理は妻が母親から習ってそれをまた次の代に伝えていく、それが一昔前の習慣だった、でも現代では昔からの伝統料理、つまり母親から伝えられる家庭料理を知らない夫が家庭内での料理をするようになり、家庭料理を作れない夫は自分なりのオリジナル料理を作ってしまう、決して悪い事ではない、でも家庭料理を作れないのはあまり良いことではない。
これらの事が起こってしまったその理由として上げられるのが男女共働きによって家に帰る時間が妻よりも速く帰る事が多くなり夫が料理を作って妻を待つ、ということが起こったり、二人共夜が遅くコンビニ等でレトルト食品を買ってレンジで温めて食べる等様々な事が上げられる。この他にも日本の経済力が上がって一般人が昔と比べて多くお金を持つようになり、土曜日や日曜日になると外出等をして家の外で食事をするのが多くなる事で家庭料理という物が無くなってきてしまっている。
でも、始めに言った通り悪い事だとは決して思わない、むしろ喜んで良いことなのではないだろうか、なぜなら今までとは全く違った料理法や味付け、食材等を駆使して美味しい料理が出来れば素晴らしい事だし、今までに無い料理が出来れば良いと思う。 そもそも料理というのは誰が何を作ろうが自分の勝手なのであり誰もそれを規制する事は出来ない、だから別に家庭料理というのを次の世代の人間に伝えようが伝えまいが関係ないのである、だから無理に家庭料理を覚えなくてもいいのである。
私は料理人になる夢がありますが、家庭料理は作らないと思います、それは自分の個性を生かした料理を作りたいから、でも中には家庭料理しか作らないという人もいるかも知れませんし、どこかの外国料理、例えばフランス料理や中国料理等を専門に作る人も沢山いるし他にも色々な料理を作る人は世界中に沢山います。 その料理人のなかに健康料理を作る人がいます。この健康料理が近年ブームになってきているのです。この健康料理は減塩や低カロリーを基本にダイエットをしている若い女性や、健康を気にする老人等から多くの支持を受けている、女性の場合は低カロリーの物を食べることによって痩せたり、老人の場合は減塩等により健康を保つことが出来る、この他にも病気に良く効く食物や、肌が綺麗になる食べ物がある。でもこれらの食物を食べればすぐに健康になったり痩せたりは絶対にない。これらは長く続けて食べることによって効くのであって、一年や二年で効くような物ではないのです。その証拠に子供の頃から食べ物に気をつけている人はとても健康だし肌もとても綺麗である。
このように毎日の食事の時に少しでも気をつける事が出来れば、エステに通ってる人達よりも綺麗になれるし、健康にもなれる、しかもお金を使わずに自分の体を健康に保つ事が出来る、しかし美味しい物ほど不健康な物が多いのが世の中であり、なかなか食事に気をつけてそれを毎日、何年間も続ける事は並大抵の事ではなく、これを続けられる人はものすごい精神力の持ち主であるのです。これらの苦労をせずに健康的な食物を食べる事が出来るのが昔からの家庭料理なのです。この料理は、昔の人達が生活の知恵等を取り入れて健康でいられて、しかも美味しく料理出来るのである。そして誰でも美味しく食べれて簡単に作れるようになっている、だから昔の人達は自分の次の世代の事を考えて、自分の娘や嫁に代々伝えているのです。
初めに家庭料理を作れなくても良いと書いた、それは間違っていないと思う、しかしこの美味しくてしかも体にとても良く健康でいられるこの料理を絶やしてしまうのはとても大切なものを無くしている気がします、だからこの世の中から家庭料理を無くさないように、料理を作る人達は少しでも努力しなければならないのです。
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近年、音楽や映画など様々なエンターテイメントが、驚異的なはってんを続けている。特にこれらの分野でのコンピューターの役割は、年々、重要な物に変わってきているのである。
代表的なものに、ロストワールドなどのCGを多様につかった映画や、シンセサイザーなどの電子楽器だけのダンスミュージックなどがあげられる。しかし、これらの新しい芸術は、常に科学技術の進歩に頼っているのが現状である。
実際、現在の映像分野において、旧来のアナログ的な特撮などはコンピューターソフトなどのデジタル思考に変わっていて、そのソフトが如何に使いこなせるかが、優秀なクリエイターの絶対的条件なのである。しかしその陰で、今までの特撮技術を作り上げてきたいわゆる
職人、と呼ばれる人たちは、その技をデジタル思考に追われているのである。
その理由として、デジタルはアナログの何倍もの速さで、作業を進められる事があげられる。最近のアニメ映画もののけ姫に代表されるように、セル画の彩色のデジタル化は、その代表的な物といえる。もう一つの理由としてあげられるのは、データの交換によるコピーである。例えば、プロの画家が描いた絵をスキャナーで取り込みさえすれば、誰でも好きなように彩色したり、描き足したりして自分の絵としてしまう事や、そのデータを様々な相手と交換することによって、誰もがプロの画家と同様の絵を描くことが可能になっているのである。
しかしだからといって、デジタル化はすべての面において有利になってきたとは、いえない。人間の作るアナログ的な音楽や映像と言った物は、それぞれ個性と言う物が存在する。それはコンピューターの限られた表現の中では、表現しきれない事があるからだ。だが、コンピューターはそのような人間の新しい表現方法が発達するに従って、それに対応するように進化しているのである。
このような、デジタル思考とアナログ思考が共存している中で、現代のエンターテイメントと言うものが成り立っている。なにげなく見ているテレビや、いつの間にか聞こえてくるラジオ、そのすべてがエンターテイメントなのである。
先進国である日本は、常にアジアで最先端の技術を持っている。それは日本という国が娯楽に対しての需要が多く、誰もがエンターテイメントに常日頃から接しているためだと思うのである。このような娯楽の追求が、現代のエンターテイメントを形成する一つの要素であるが、私はただの娯楽の追求に終わってほしくないと思うのである。
娯楽の基本はアメリカである。現在のアメリカのデジタル思考技術は世界中で適応されており、どの国でもアメリカに追いつこうと必至である。とくに映像の分野において、アメリカはここ10年ぐらい世界でトップだと言うことは、だれが見てもわかるだろう。しかしこの最先端技術の裏で監督の伝えたいことが、隠れてしまいがちなのが現実である。ある映画を見たとき、私はその映画の音楽を話し、友達の一人は映像効果、もう一人は主演女優が可愛いなどを話していた。たった一本の映画でも見た人の数だけ意見があり、見る角度も様々である。もちろん、監督は全体のストーリーの中からその作品のテーマを感じとってもらいたいのだが、そうはいかないのが事実だ。そんな中特に最先端技術ばかりが、どんどん一人歩きしている。映像の持っている瞬間的な影響力が日常生活にまで浸透している。最近のポケモンの事件に代表されるように、映像の持つ力は時に恐ろしいものとなってしまうのである。
しかし逆に言えばこの映像の持っている力で、娯楽の追求の中から自然のすばらしさなどを疑似体験してもらいたいと思うのである。そしてこのことをまず最初にクリエイターの方々に感じとってもらいたいのである。これからのエンターテイメントの進化に期待したい。ホームページに戻る
今、日本の家庭において子どもの平均数は1.5人と言われている。女性が仕事を持ち、働き続けたいために子どもを生みたくないと思っている人が増えてきているからである。このままでは、女性の晩婚化・晩産化を最大要因として、子どもの数が少なくなる。少子化傾向には歯止めがかからず、将来的に労働力不足をもたらし、経済力などの面でも国全体の地盤沈下につながると懸念されている。少子化はどうすれば食い止められるのだろうか。
1、「社会で働く女性」
25歳から59歳の女性の約65パーセントが働く時代になった。自分の能力を生かし子どもが生まれてもずっと働き続けたい女性も増えて、女性の職場進出は押し止めることの出来ない時代の流れとなっている。これは、社会対策における女性の位置づけが、「家庭を守る女性」から「社会で働く女性」へと大きく変わりつつあることを示している。しかし、女性の就労と高学歴化が進む中で、仕事と家庭の両立が難しくなってきている。本格的に仕事に取り組もうとする女性が増えているにも関わらず企業側には、「男は仕事」、「女は家事・育児」といった役割分業意識や家庭よりも仕事最優先などの労働慣行が根強く残り、男性の家事・育児への参加を阻んでいる。このような中で働く女性の自己実5現を支えるためにどのような制度改革をすればよいか。
第一に、企業の意識改革が必要である。結婚した女性への雇用の継続・育児休業・保育施設の充実などに、もっと積極的にかかわり育児支援制度を拡大するべきである。
第二に、男性が育児・家事に積極的に参加し、共に子育てに責任を持つことが大事である。女性が子どもを産みながら働き続けられるために、制度改革を進めていけば、少子化を防げるのではないだろうか。
2、「晩婚の女性、子どもを産みたくない女性」
「一生結婚するつもりはない」という女性は、少ないことが厚生省の調査で分かっている。確かに、本来なら最も子どもを産むはずの25歳から29歳の女性の未婚率は五割に達しており、晩婚化も進み、少子化の一因で、あることは間違えない。また、子どもを育てていく上で、教育費など莫大な費用がかかる。育児はとても大変で苦労が多いもの。下手に育てると不良になったり、家庭内暴力を起こしたりすることもある。またちゃんと育てても、親は報われないこともある。
そんな苦労をするなら、子供を作らないで、共働きして物質的に豊かに過ごしたいという女性もいる。若いときは一人や二人でもいいが、年をとったときは寂しいのではないだろうか。昔は親のめんどうをみるのは長男で、結婚したら子どもを産み育てることに価値を置いていた。子どもが出来ない人は養子をとった。こういう古来の家庭制度のおかげで、老後の心配をしないできた。しかし、現在は家庭制度の弊害ばかり強調されてきている。
我が家は、私と妹と二人姉妹である。母は公務員で幸い、非常に女性の働くことに理解のある職場だったようでずっと長い間働き続けている。私が生まれたときは、育児休業法はまだ、母の職場では施行されていなかったが、産休16週間と1歳3カ月までの育児時間を利用し、育ててくれた。また、父は民間企業で働いていたが、非常によく協力してくれて、私が病気の時などよく休んでくれた。母の恵まれた職場環境もさることながら、父の協力があったから子どもを産み、働き続けられたのである。
人口減少に歯止めをかけるには、男女ともに仕事と子育てを両立できる社会構造を作る必要があり、保育制度の充実、在宅勤務など職場の育児支援制度拡充を求めるものである。さらに、男性にも家事、育児の分担が必要である。そういう社会になれば、女性も今より子どもを産み、そして働き続けることも可能なのではないだろうか。ホームページに戻る
普段、私達が何気なく使用している言語は、私達が誕生する前から相手に自分の意志を伝達する手段として、用いられてきた。そして、様々な変化を見せ、現在に至っている。最近では、流行語等が生まれ、「今年の流行語大賞」と題して、テレビ等のマスコミでも取り上げられるようになってきた。よく知られているものの中には、「チョベリバ」(超ベリーバッド)や「顔黒」(顔が真っ黒)等の女子高校生の会話から生まれたものや、「アムラー」や「シノラー」等の人気者を真似た人々が、増加している現象を表したものがある。
流行語が発生する原因としては、やはり、流行の最先端をいく女子高校生達の影響を受けているということが挙げられる。女子高校生自身も、ルーズソックスの流行や制服の着こなし方等、様々な面で変化を見せている。そして、そういった情報をマスコミが敏感に感じとり、世間に知らせることで、人々は流行を知り、そこから流行語が生まれていくのである。その他にも、テレビ番組の影響も大きいと考えられる。ドラマやクイズ番組の中で用いられているセリフやお笑い番組で非常にうけているコント等は、高校生や中学生を始めとする学校やサラリーマン・0L等が働く会社内で話題にされ、広く世間に知れわたるのである。
流行語を生み出す女子高校生は、まず、自分の身の回りから流行のもとになる物を見つける。おそらく、その物を見つけるという着眼点が、他の者より優れているために、女子高校生が流行の発信地とされているのだろう。
しかし、その流行のもととなる物は、意外と自分の近辺に存在している物であったり、昔から知っていた物であったりするものである。であるから、流行というのは、思いもよらず、自分が出発点であったりするのである。
そして、今現在、私達の生きているこの時代での流行はというと、キティちゃんやドラえもん等のキャラクターグッズである。このキティちゃんは、ひと昔前に一度、流行したものであるが、それが、なぜ今になって再び流行しているのかは、きっと、多くの人が抱いている疑問であると思う。そこには、現代の女子高校生の観点の変化によって新しい物だけではなく、古い物に注目するという考え方が生まれてきているのだということが考えられる。このような現在であるから、周りの人々に影響され、思わず流行についていってしまう自分が、自分の事ながら、理解することができないのである。
流行に伴い、次々と流行語が生まれていく中で、正しい日本語が忘れられているのではないだろうか。最近は、言葉を省略して使うことが増えているが、省略語では通用しない場所があるということを知る必要がある。確かに、学校等で友人と楽しく会話をする場合であれば、省略語であっても問題が起こることはないが、自分がどういう人間であるかを伝える面接であったり、自分が将来、社会に出たときのことを考えると、不安である。また、現在の学校教育では、国語という教科で日本語を学習しているが、これから社会に出て、その場に応じた正しい日本語を確実に使用できるだけの知識を、国語という教科に要求することは、困難なことである。そのことは、前にも述べたような女子高校生という例からも明らかである。そして、そういった事実によって、全ての女子高校生の知識が希薄であるという誤解が生じてしまうのである。
ここに述べたことから分かるように、今の時代は、女子高校生を中心に言語に対しての認識がなく、全体的にも日本語の正確な使い方が理解できていないのだと考えられる。そういった事実と対面している現在、私達はまず、自分の言語に対する認識を改善し、日本語を正確にとらえ、その使用方法を改めなければならない。学校教育で収得できる言語は限られており、現在の不十分な自分の知識だけでは、この社会を生きるのは難しいと感じた現在であるから、私はこのことを世間の多くの人々に呼びかけたい。そして、言語の存在が当然のように扱われている世の中に、言語の重要さを知らせたいと思う。
家庭は社会の中で一番小さな単位であり、重要な地位を占めている。古代の帝国ローマは各家庭がうまくいってさえいれば崩壊することはなかった、と言われることもあるそうだから家庭内がうまくいく事はとても大切なことなのである。そして、家庭内がうまくいくためには、子供をどのように育てるかが大きく関係している。しかし、私たちが現在生活している現代は子供を育てるのに難しい時代であると言われている。では、なぜ昔と比べてそんなにも子育てが難しくなったのだろうか。まず第一に経済上の問題がある。親になったばかりの人の多くは子供を育てるのに多額の費用がかかるのを知って驚く。食費、医療費、教育費、託児費、といったものを合わせると、それを賄うために両親が二人とも働きに出なければならないかもしれない。親は、子育てと仕事を両立させなければならなくなり当然負担は大きくなるだろう。こうした外からの圧力のために困難を覚える親も少なくない。
また、精神的な問題もあるだろう。この間起きた、中学生の少年が近所の小学生の男の子を殺害した事件も、少年とその両親の関係がひとつの要因だったということをニュースで聞いた。また、1990年に行われた一群の5歳児の育て方に関する1951年の研究の追跡調査によると、感情的な安定性を欠いたり結婚生活や、友人関係、職場において問題を抱えたりする人の多くは、冷淡で、子どもにたくさんの愛情を注ぐことをしない親に育てられた人であった。「三つ子の魂百まで」と言うように小さいときの性質は大きくなっても変わらないことが多い。つまり、小さい頃どのように育てられるかということは、その人の人格を大きく左右するのである。今は教師が子どもを強く叱るだけで(それが正当な理由であるにしても)問題になる時代である。地域が一つになって子どもを育てていた昔とはちがう。それで、なおさら親が責任を持って子どもを育て上げなければならない。そうしたことを考えるときに親としての責任をきちんと果たせるか不安になるかもしれない。このように多くの外的、また内的な要素のために子育てが難しくなってきているのではないだろうか。
では、子どもをのびのびと育てるためにはどうしたらよいのだろうか。子どもも学校など家庭の外で様々な圧力にさらされている。だから家庭は子供が安心して過ごせる場所であって欲しい。そのためには子供との間に意思の疎通がなければならない。大切なのは対話のパイプを詰まらせないことである。忙しいスケジュールであっても時間の許す限りできるだけ子供達と一緒に過ごすことや、子供が話したいときには自分の計画を調整してでも子供の話に耳を傾けるならば子供は安心して親に話しかけることができるであろう。また当然親もストレスが溜まることがあるだろうが、子供を叱るとき、ただイライラをぶつけるのではなく、なぜ怒られるのか、どういうことをしてはいけないのか、などと順序立てて説明することも大切である。その時の気分や感情で叱る基準が変わってしまうのであれば子供は不安になるであろう。また、子供は親の言うことではなく、する事に倣う。それで、親は一定の基準を保つことや、自分の言ったことを首尾一貫して行うよう努力できるかもしれない。さらに、褒めることも大切なことである。小さな事であっても良いことをした時や、新しいことが出来たとき褒められることは、子供にとってとても嬉しいことだろう。
また、子供を育てるとき必要以上に制限したり、自由放任にするのはよくない。子供を愛する親は土砂降りの雨の中、傘も持たせずに子供を出したり、身動きがとれないほど何枚もレインコートを着せたりしない。必要な物だけを与えるだろう。同じように、子供を育てるときも、子供にとって本当に必要なものを見極めることによって平衡を取ることができる。完璧な子育てというものはない。親にとっても、新しいことの連続で辛く感じることもあるかもしれない。しかし、難しい時代であるからこそ、子供が立派に成長した時の喜びは大きいだろう。今、親が払う時間や労力は決して無駄にはならないのである。ホームページに戻る
現在、私たちの身の回りには情報があふれている。手を伸ばせば新聞や雑誌があり、テレビをつければ世界では今、何が起こっているのかという事さえも知ることができる。つまり私たちは情報を得ようと思えば、いくらでも得ることができるのである。情報を得られる早さ、これは文明の進歩の度合いを測る一つの目安になるかもしれない。
テレビや新聞などで一つの事について大きく取り上げられると、その事についての情報の全てを信じ込んでしまいがちであるが、はたしてその情報の全てを正しいものであると断言することができるであろうか。そして、それらの情報によって私たちは左右されていないだろうか。今日の私たちはあまりにも素直に情報を受け入れすぎていると思われる。それは次のような事実から考えられる。
まず、よく取り上げられているアフリカの先住民についてのドキュメンタリー番組について考えてみる。私には、「土人」といえば槍を片手に持ち、火を囲みながら踊っているというイメージがある。そしてテレビに映るほとんど全ての人々が、原始的に感じられるような生活を毎日送っているのだと思いこんでしまう。しかし、中には観光客のために「土人」の格好をして演技をしている人々もいるのだという。つまり、私たちの目には「土人」として映っていても、その国ではごく普通の一般人であるということもありえるのである。
アフリカといえば、飢えた子どもたちが多いイメージ、野生動物園であるかのようにキリンや象がいつも身近にいるようなイメージなど、近代的なイメージは、ほとんどないに等しいといえる。しかし、実際のアフリカにおいては、多くの家には洗濯機や冷蔵庫などの近代的な器具があり、大学などの教育施設も整っている。つまり、アフリカに住んでいる人々の中にも私たちと同じ様な生活を送っている人々もいるのである。このような事実のいくつかを私たちの多くは知らないと思われる。
このように、情報のほとんどが偏っている。勿論、私たちと同じ様な生活を送っている彼らについてのドキュメンタリー番組を見ても、全くおもしろみがなく、感動さえしないだろう。おもしろみを持たせ、感動をさそうためにそれらを大げさに伝え、演技をおりまぜることで番組は私たちの興味や関心を引きつけている。しかし、そうすることで私たちの考えは偏ってしまう。私たちの興味や関心を引きつけるためには仕方のないことであるのかもしれないが、やはり時には現実の世界もおりまぜて伝えることが必要である。そうすることで、私たちの偏った考え方を少しでももとに戻さなければならない。また、いつでもテレビや新聞などの伝えることは、伝え手の主観や判断によって切り取られた事実の一面でしかないことを忘れてはならないのである。常に他の角度からも見直し、考えようとする意志を持つべきである。そうでなければ、気づかないうちに情報によって左右され、行動だけでなく、思想までもが操作されてしまうのである。それだけ情報による私たちへの影響力は強いものなのである。
ある新聞記事では、私たちは「色眼鏡」をかけているから真実がはっきりと見えないのだ。これをはずすためにも真実を見つめ直すべきである、という東京大学の教授のコメントが掲載されていた。この教授の言うとおり、私たちは大量な情報によって色眼鏡をかけることになる。しかし、眼鏡と言うからには、かけたらはずすことも可能である。つまり色眼鏡をかけずに、冷静に大量の情報の中から正しいもののみ選びとることも可能であるということになる。これらのことを常に頭におき、これからは今以上に増えると思われる情報を他人まかせでなく、自分自身で判断できるように心がけたい。
企業は売れ行きが上がり、会社の向上につながるが、みんなが同じ服装をし、同じ物を持っているので、個性や自主性が失われている。流行や情報は、良くも悪くも大衆を左右させるほどの影響力を持っている。
援助交際なども誰が考えたのかわからないが、女子高生ブームによって女子高生目当ての商品が増え、そのためお金ほしさでこのような問題がでてきたのだろう。流行や情報の影響力がこのようなことに表れている。
いくつか例を出すと、「たまごっち」は発売当初は女子高生をターゲット下携帯用デジタルペットだったが口コミで広まり、男性も含め「ハマッた」人は数知れず、発売一年弱で売り上げは1300万個を超え、海外でもヒットした。しかしこのようにデジタルペットが売れ、人気が出るような世の中ではたして良いのだろうか考え深い所もある。また、通信機能を利用して友達とモンスターを交換できる「ポケットモンスター」が小学生の間では大ヒットした。テレビアニメも人気だったが、放送を見ていた小中学生が全身けいれんなどの症状を訴え、入院患者もでる騒ぎとなった。安室奈美恵と同じ細眉や口紅などファッションをまねた「アムラー」などが話題になり、「ハローキティ」のグッズを集める女性たちの「キティラー」が登場した。どれもはやりのものを持っていれば、みんなと同じものを身に付けていれば良いという安心感から流行がくるのだろう。外国人が日本人を見るとみんな同じ人に見えると言われていることも、このような流行から個性奪われていることが原因だろう。
また、事件などの世相を追ってみると、複数のテレビ局で同時にドラマ化されブームになった「ストーカー」犯罪が、徐々に増えてきている。
ダイアナ元イギリス皇太子妃の事件で、ワイドショーでも取り上げられた「パパラッチ」も話題になった。そして、活字メディアの世界から始まった大ヒットは「失楽園」だろう。不倫、心中を描いた物語が、映画やテレビドラマ化にもなり、幅広い世代からの共感を集め、「流行語大賞」にも選ばれた。
このような物が流行することにより様々な問題がでてきている。コンピューターがはやると人間の力でなく機械の力が中心となり人間の力が社会から疎外され、考えることが少なくなった。また、ストーカーやパパラッチなどは、大衆メディア向けに有名人の私生活をとらえた写真を撮るためにスターを追いかけ回し、プライバシーが失われ事故にもつながった。失楽園ブームで広まった不倫、心中もけして良いこととは言えないだろう。大量に情報が生産され、流通され、消費されることが生活の中心となっている現代では、情報が流通することによって知識や興味が深まり、物事の向上につながる良い面もある。しかし、プライバシーが失われ、生命までも失われてしまうほど恐ろしい力を持っているのである。メディアによって正義感、人間性までもが失われている現在において、人間として個人の尊厳を保つことが必要なのである。
また、自分の目で物を見ていることがあるだろうか。知らず知らずに固定観念にとらわれていることが多く、それを持つことは偏見につながり、差別も引き起こす。人間が他の動物や植物と決定的に違うのは「心」をもっている点であり、この心こそじつは私達の人生を大きく左右しているたいへん重要な存在なので、「心」の持ちようで私たちのものの考え方、他人とのつきあい方、仕事の仕方、生き方そのものが大きく変わるのだ。そして、自分で選択することには、個人の自主性にまかされており、そのため私たちは選択に迷うが、無駄なこととして排除するのでなく、社会の構成員の幸福に関わる重要な問題なのである。
現在、ブームや流行は数え上げればきりがないが、その寿命はどんどん短くなっている。その中で自分がこっている物を指す「マイブーム」の流行は、自分を大事にしたいことの表れなのだろう。ホームページに戻る
現代、少子化によって様々な問題が生じてきている。
少子化が進んでいる背景にはどのような理由があるのだろうか。
女性の社会進出が最も大きな原因であるが、それによって晩婚が多くなり、又子供を産まない夫婦も少なくないからである。何故、子供を産まなくなったのかと言うと、結婚してからも仕事を続けたいと考える人が増えたのと、結婚してからは、女性は家庭に入ると言う考えが主だった日本では、女性が結婚して子供を産んでからも働くことができるような社会体制が整っていないためでもある。
このようなことを改善し、女性が働きやすい環境を作りあげていかなくては問題は解決しないのである。
少子化が進むと様々な問題が生じてくると前に述べたが、実際にはどのような問題があるのだろうか。例を挙げて考えてみよう。
まず一つに、少子化が進むことにより高齢化社会である現代において個人にかかる負担が重くなってしまうことが挙げられる。負担が重くなりすぎてしまうと個人の力では抱えきれずに施設や老人ホームに頼ることになる。しかし、世話をする側の施設や老人ホームはたくさんの高齢者の方々の対応をする事ができるだけの人材がないのだ。
人材がないということになってくると、自主的に若者がボランティア活動という形で高齢者の方々の介護をする必要性がある。
しかし、現状としては、そういった活動に参加している若者は、非常に少ないのだ。高齢者を大事に思う心と、これから先、自分達も将来は、介護される側になるのだから、そのことを十分に理解し、積極的にボランティア活動に参加するべきであるのだ。
若者と述べたが、若者だけでなく、子供から大人まで、探せば誰にでも、かならず何かしてあげられる事があるのだから、それをみんなで考えていけたら1番良いことである。
しかも、高齢化社会のうえに少子化ということになると、あらゆる方面の多くの日本の伝統的文化の衰退にもつながることになるであろう。
又、単純に考えると、少子化ということは、子供の数が減少しているのだから、比例して幼稚園や保育園の数も減少していることになる。
以前に新聞の記事で読んだことがあるのだが、近頃、幼稚園や保育園の数が実際にものすごい速さで減少してきているそうだ。幼稚園や保育園がつぶれてしまうのだから、そこで働いていた先生方は失業してしまうことになる。就職が困難な現在の社会では、次の勤務先がすぐに見つけられるほど簡単にいくはずがないのだ。これから保育者を目指す者にとっても、ますます厳しい状況になってしまうのだ。
こうした問題を改善していくためには、前にも述べたが現在の社会の体制そのものを根本から見直していくことが必要である。
まず、女性が仕事を続けても、子供を安心して預けられるような環境を作りあげていくことが重要だ。テレビコマーシャルで宣伝していたのですが、再春館製薬という会社は、女性社員が結婚をして子供を産んでからも、会社としては、その女性社員にもっともっとがんばって仕事をしてほしいと思っているので、会社の中に保育園を設けて、女性社員が安心して仕事ができるような環境をととのえているそうです。この会社のように、保育園を設置している企業がもっともっと多くなってくれば女性は安心して仕事を続けられ、仕事を続けたいから子供は産まないという考えも減ってくるのではないだろうか。
少子化は、これからの社会に多大な悪影響を及ぼす恐れが十分にあるので、問題を解決していく方法を社会全体で考えていく必要性が今、求められているのだ。
「現代の国際化について考える」
3年6組38番 Y.Y女
私たちの国、日本も国際化になり、外国人が増加している今、社会背景に疑問を持っている人も多いことだろう。日本社会は、外国人に対する視点を改善しなければならない。今の段階では、真の国際化とは言えないだ。
外国人は、日本の至る所で不愉快な場面に遭遇する。例えば、衣食住の中の住だ。ある不動産屋には、「外国人、ペットお断り」と貼り紙してあるという。外国人をペットと対等にしているのだ。私は、同じ日本人として、人間として恥ずかしい。言葉の壁と言うモノもあるし、トラブルが起きたら面倒だと言うのが、不動産側が断る理由だが、ペットと一緒の位にするのはどうかと思う。こんな未熟な日本に、国際化と言う言葉は似合わない。外国人もいろいろな犯罪を犯してきたのが悪いのだが、それにしても外国人に対する目はひどく厳しいものだ。もっと外国人と友好的にならないのだろうか。だって、日本人も数々の犯罪を犯していることだし、他国から来たと言うことだけで差別は良くない。それに、よく日本人は謙虚で内交的だと言われているが、それを外交的にしていけば、外国人とも上手くやっていけるだろう。日本の国自体が国際化になっても、日本人の心が、まだ国際化に適していないのだ。
私は、この様なことをテレビで見たことがある。世界各国で日本人が道を迷ったふりをし、その反応をみる。その結果、ほとんど全ての国の人々は言葉が理解できなくても、少しの単語で理解しようと試みて、道を教えてくれた。わざわざ、その場所まで一緒に行ってくれた人もいた。しかし日本人の場合、外国人が訪ねても言葉を理解しようともしないで、すぐその場を去っていってしまう。私たち日本人は他国へいけば、その国の人に親切にしてもらっているのに、自国では外国人を知らんぷりしている、都合の良い民族である。
日本経済の驚異的な発展により、世界の人々が日本への関心を深めている中、国際化に対応するための教育も高めていく必要がある。まず、小・中・高の学校に国際教育コースを取り入れることにより、現代にふさわしい人材を育成することである。それにより専門的な能力・知識が身に付き、国際時代を生きていけるだろう。今では、英語もインターネット上で世界共通語となっているから、もっと国際教育に力をいれるべきだ。小学校でも授業としてはまだだけど、英語活動として取り入れているところもある。このように、小さい頃から英語を学べば、外国人の見方も変わってくることだし、英語力も今以上に身についていくと思う。それに外国人教師から、もちろん英語は学べるが、その教師の国の文化や伝統なども知ることができ、国際化に最適だ。あと、外国人との言葉の壁がなくなることにより、日本社会も日本人も外交的になっていくことだろう。
この先、国際化社会は今よりも、もっともっと進んでいくとしたら、今の教育や経済では、国際化に追いついていけないと思う。だから、もっと積極的に行動して、どんどん新しいことを取り入れていくべきだ。例えば、諸外国との国際交流を活性化したら、諸外国が私たちの国に理解を深める絶好のチャンスになることだろう。これにより、外国語教員は、国際的感覚や幅広い教養、豊かな人間性、外国語教育に関する専門的な知識・能力などが要求される。それだけに、外国語教育の一層の充実のためには、外国語教育の専門家の養成は不可欠であり、外国語養成における教育内容、水準の基準が明確にされる必要がある。これらが、すべて成り立てば、これからの国際化時代も乗り越えていけることだろう。そして、これらを次世代へ継承していかなければならない。そのため、まず国際教育は家庭や地域社会始めるべきだと思う。もはや教育は一国だけの問題だけでなく、国際的な基盤、グローバルな視点に立った国際教育の必要性が高まっている。それだけに、その振興、充実が緊急の課題なのである。ホームページに戻る
今と昔とでは、食事に対しての考え方が大きく変わってきている。また、食材の種類で見てみても以前よりかは、だいぶ豊富になり数も多くなってきているといえる。また、全体的に見ても日本人の生活は豊かであるといえるようになってきた。やはりその中でも、食生活は戦後50年の間に大きく変化が現れてきているといえる。
戦争直後の頃は何よりもまず、空腹を満たすことを第一に考えていたと聞く。栄養バランスのとれた食事よりも、空腹を満たすイモなどを主食に食事をとっていたそうだ。
50年たった今の日本では、「飽食の時代」と呼ばれており、食べる物に何も不自由はしない豊かな社会になってきている。しかし、わたしたち一般庶民の普段の食生活は、本当に豊かといえるのかと考えてしまう。
私は「飽食の時代」に生きており、確かに恵まれた生活しているので、食べ物のありがたみという事を理解しているとはいえない。また、恵まれない生活を経験したことがないのでこれから先も食べ物のありがたみを理解することはないと思う。「飽食の時代」に生きているからこそ、豊富にある食べもに対しての関心が薄いと考えられる。
以前、家庭科の授業で聞いた話だが、デンプン質食品の比重が低下し、肉や卵、牛乳・乳製品など動物性食品と油脂類の摂取量が増加して、欧米型食生活への変化が年を増すごとに目立つようになってきているそうだ。確かに、私も一日の食生活を振り返ってみると、3回の食事の中で最低1、2回は欧米型の食事をとっている。また1週間で考えてみても、圧倒的に和食よりも洋食の食事の方が多いことに気がつく。しかし、「洋食の油脂類の摂取量が全体的に多いのである」と言われても、今まで続けてきた食生活を変えることは、そう簡単にはできないと思う。やはり自分の好きな物を食べたいと思ってしまうからである。
今、世間では「健康ブーム」と言われるほど健康に対しての関心が高くなってきている。このことから、最近ではお店で売っている食品も体の健康を配慮してある物が出回り始めてきている。また、油類もそうである。体に影響のある物は、全く食べないようにするという考えよりも量を減らすよう心がけるという考えに変えていくべきであると思う。
また、現代の食生活で気になることはもう1つある。それは、インスタント食品やスナック菓子のような加工食品が、私たちの毎日の食生活の中に浸透していることである。実際、私の普段の食生活の中でも加工されたインスタント食品などを食することが、確かに多いことに気がつく。インスタント食品ばかりを食べているわけではないが、食事を作る時間がなかったり、家に食べ物がなかったりするとこういった物で済ませてしまったり、あるいは外に出てファーストフードなどで外食をして済ませてしまうことがしばしばある。
今現在の世の中は、どの分野においても以前と比べると、色々な物や事が全体的に便利になってきている。インスタント食品やファーストフードの出現は、生活の上ではとても便利であり、今の忙しい世の中、特に日本人にはなくてはならない物となっている。だが体の健康のことを考えると、毎食食べる気にはならない。だからまずは、自分の体が必要とする栄養バランスを考えて、調節出来るように自分で調理をする回数を増やすべきであると思う。その上で、忙しいときなどには加工食品や調理済み食品を利用すべきであると思う。
これから先、世の中の開発が進みあらゆる面で生活が便利になっていくと考えられる。それと同時にこういった食生活の上でも便利になりすぎて、このままでは食事に対する考えがよりいい加減になっていってしまうと思う。やはり、自分の体をもっと把握し、自分の食生活を見つめなすことが現代人には必要だと思う。
私たちは、毎日テレビを見ることによって今問題になっていること、今日の出来事、流行について、芸能人のうわさ話など色々な情報を聞き出すことができる。また、バラエティー番組では番組の内容、出演している芸能人の容姿や発言、ワイドショー番組などでは取り上げられる最近の出来事が、私たちや大人たちに大きく影響する。
たとえば、ワイドショー番組はだいたい女性の視聴者が多いので、番組の特集は「料理のおいしいお店」や「今年の注目ファッション、お化粧の仕方」などが多いですが、近頃は女子高生のことを話題とした特集も多い。取材の場所はだいたい渋谷や新宿などで、取材を受ける人は茶色の髪でスカートが短く、ルーズソックスをはいている女子高生である。私はこの前「女子高生はいつでもどこでも鏡を見ている」ということをテレビで取りあげているのを見ました。取材を受けた女子高生は、10分に1度は鏡を見ていると答え、理由は髪型がくずれていないかやお化粧なおしのためだといっていました。これを見て、ワイドショー番組で女子高生の行動、流行についての記事を取り上げ、それについてコメンテーターが意見を述べることによって、多くの視聴者がほとんどの女子高生がそうであると思ってしまう人が少なくはないと思いました。ワイドショー番組などは番組の内容のおもしろさも考えて、物事の取り上げ方やリポーターのレポートの仕方に少し大げささを感じていました。
また、最近のバラエティー番組はお笑い芸人がたくさんでていておもしろい番組ですが、たまに内容をおもしろくするためにだろうけど、芸人に危険な事をさせ、少しやりすぎだと思う番組が多くなっていると思います。テレビでは、視聴者に楽しんでもらうために芸人も自分の芸を認められるように体を張ってがんばってるのだろうけど、大人の言うことややることをすぐに真似をする小さい子ども達には逆にあまり良い影響与えていないと思し、大人達にも良い印象与えていないと思います。
様々なテレビ番組が休みなく放送されているなかで、調査会社ビデオ・リサーチの関東地区の総世帯視聴率は、1997年にはいって、テレビ離れとささやかれた10年ほど前の水準に落ち込んだと言っている。1世帯が1日にテレビを見る時間を換算すると、1993年の8時間28分がピーク、1997年上半期は7時間57分で1988年(7時間56分)以来の水準でした。
視聴時間の落ち込みの原因の理由としては、「個人世帯の増大による世帯視聴率低下」「ゲームブームによるテレビ視聴率の減少」「健康・アウトドアなどに関心を持つ高齢者のライフスタイルの変化」が考えられ、個人世帯による世帯視聴率低下は今後も続く避けられない傾向です。他に「ドラマにヒットがあるが、バラエティーが不振」「テレビを魅了的にさせるタレントが不足している」なども視聴率低下の原因の一つでした。
また、ビデオ・リサーチは、東京に住む10代から60代の約2100人の人を対象にメディア環境調査をしました。10代に限ると、携帯を含む電話、ポケットベルの利用者はテレビ接触の時間が非利用者にくらべて短かった。今後は携帯電話の普及など、テレビ以外のメディアも視野に入れなければならないのです。
今ではすでに、テレビのチャンネルが100以上に増え、1日中スポーツ、料理、外国の情報などの番組が放送されている。チャンネルが100以上になると、私たちは見たいチャンネルを自由に選択することができます。今のようにチャンネルが7つぐらいしかなく、選べる番組の数も少ないので見たい番組がなければテレビを消してしまいますが、100チャンネルのようにいつでも自分の趣味にあった番組があったら視聴率は上がるのか、これから気になるところです。料理・スポーツなど、専門分野のチャンネルになるのだから、番組の内容を濃いものにして、私たち視聴者が興味を持つような番組作りが必要とされています。ホームページに戻る
現在一人の女性が一生に産む平均子ども数を示す合計特殊出生率は、1.42である。この出生率が、これからゆっくり回復したとしても、今の人口の維持に必要な2.08までは戻らないのが現状だ。つまり、女性の職場進出が増え、晩婚化が進む今、少子化はより深刻な問題であり、少子化によって起きる様々な問題も、また深刻となっている。
例えば今、高齢化が問題になっているため、このままこの状況が進んでいけば一人の子どもが支えなければならない高齢者の割合は確実に増え、これから生まれてくる子どもたちに、大きな負担を与えてしまうだろう。。しかし、このことに対しての対応が、少子化が進む速さに対して遅れている。現に保育園が少ないために、入所待ちしている子どもたちが大勢いる。それに地域との交流ができずに孤立してしまい、育児に悩む母親が増えている。だから、保育園などの施設で子どもの育て方が学べて、他の親子とも交流ができる環境にするべきである。人間は一人では生きていけないのだから、助け合って生活していくことが大切なのだ。この助け合いを一生続けられるのはきっと家族だと思うから、親はめいいっぱいの愛情を注ぎ、支えてあげるというコミュニケーションをとる必要がある。でも親は子どものペースをくずさずに、良いことをしたらいっぱい褒めて悪いことをしたら叱らなければいけない。このような基本的なしつけは、親が子どもに身につける必要がある。これは共働きをしていて、自分の子どもの面倒をしっかり見てやることができない親が見落としてしまいがちな点である。子どもにしつけができていない親が必ずしも共働きである訳ではないと思うが、働きに出ている分子どもと接する時間が少なくなり、コミュニケーションをとるのはとても難しくなる。だからたいていの親は、子どもの要求に少しでも応えていくことで距離をせばめていこうとするだろう。でもこのようなことをしても距離をせばめることは出来ずに、よけい広くしてしまうことになると思う。
生きることにまだ不安を大きく感じる子どもにとって親からの支えは自信と勇気を与えてくれるなどとという面でとても大切である。だから親は、子どもが日頃日常生活をどのように過ごしているのかを知り、一緒に笑ったりも、悩み事を聞いてあげたりしながら、家庭の中で子どもが存在感を感じられ、安心して毎日の生活がおくれる場所を作ってあげなければならないのだ。そのためにも女性が育児のことと働くことをうまく両立できるような環境作りをしていくことが大事なのである。それに、女性が働く上での理由には、例えば豊かさの中で可能性を生かしたいという思いであったり、経済的に苦しくて働かなければ生活できない、などと色々あるからより大事であると思う。だからその環境作りとして、保育制度や出産・育児をするうえで必要な時間となる休業の充実、そして男性も家事や育児をする時間を作ることなどがある。このような環境は、これ以上少子化を大きくしないようにするために、早く進めていくべきだと思う。それに一人ひとりが現実だけを見て生活するのではなく、先を見つめながら生活していくこともまた必要なのではないかと思う。
現代では、人の命を何とも思っていないような殺人が多発している。それは徐々に、私たち若い世代の間でも頻繁に起こるようになってきている。
世間をにぎわせたあの神戸連続幼児殺傷事件の犯人は、14歳の少年だった。この事件は非常に世の中にショックをあたえた。それまで犯人は、30歳代であるとか、もっと、大人の人物像を世間の人は描いていたに違いない。
しかし、その予想に反して、犯人は14歳の中学生だったのだ。少年は、顔見知りの小学生を自宅付近の裏山で首を絞めて殺害し、のこぎり等で頭部と胴体部を切断。頭部を少年自身が通う中学校の正門前に遺棄した疑いがもたれた。残忍な犯行手口に加え、「ぼくは殺しが愉快でたまらない」などと警察や新聞社に挑戦状をあて、地元住民を恐怖に落とし入れた「酒鬼薔薇聖斗」の正体がわずか14歳の少年だったことが、全国に強い衝撃をあたえた。。私にとっても、この事件はとても衝撃的だった。私の弟と歳の変わらない少年が、殺人を犯したのである。しかも、誰もが怯えるような、希にみる残忍な方法で。このような凶悪な犯罪が低年齢化している背景には、少なからず現代の社会の影響があるのではないのだろうか。あの、神戸の事件の犯人である少年も、ホラービデオの影響を強く受けたと言われている。日常生活の中でもテレビや雑誌の中では平然と人を殺すシーンが描写されている。しかも、それは子供でも容易に見ることができてしまうのである。
その前後に全国の小中学校で、飼育小屋で飼っていたウサギなどの動物が殺される事件が相次いで起こった。なんのためにわざわざ飼育小屋に忍び込んでまで、か弱い動物を殺すのだろう。おそらく犯人は、逃げる事のできない、抵抗する力を持たない動物を殺す事で、自分自身の力があまりにも弱い現実から逃げているのではないのだろうか。そう、現実逃避である。現実の中で居場所を失くした若者たちは、家にこもってゲームに熱中したりして、自分だけの世界に閉じこもろうとする。テレビやゲームの中の、現実のものとは明らかに違う存在が、自分の中で大きくなっていく。そして、自分だけの神をつくり上げ、少しずつ現実の世界から離れていく。
神戸連続幼児殺傷事件の少年も、もしかするとこの様な状態にあったのかもしれない。少年はホラービデオが好きだったらしく、彼はしばしば残酷な映像を目にしていたのではないだろうか。少年は、家庭裁判所で軽い精神異常が認められ、医療少年院へ送致された。犯行の残忍さ、そしてなにより犯人が14歳の中学生であったことが、現代の日本を象徴しているかにも思える。
神戸連続幼児殺傷事件に限らず、未成年者の凶悪犯罪は増加の傾向にある。その中でも、シンナーその他の薬物による犯罪が目を引く。現在では、法では認められていないはずの覚醒剤やマリファナ等が、高校生や、場合によっては中学生までもが容易に手に入れることができる。私には薬物関係の経験はないが、これらが若者の気を強く引く存在であることは確かである。そして、これらを若者達の手に回しているのが、遠い昔に成人した大人達なのである。薬物が人間の身体に、特に身体が完成しきっていない未成年に悪影響を及ぼす事を大人達は理解しているはずである。自分の目先の利益しか考えない者が、若者に今も薬物を売りさばく実態が今の日本にはある。これによって、薬物が原因の未成年による犯罪が増加している事は確かである。98年の正月、19歳の薬物中毒の少年が女子高生や、幼稚園児をナイフで刺す事件があった。犯人の少年は、「誰でもいいから人を殺したかった」と述べているという。無差別殺人である。絶対に人間の命はそんなに簡単に消してはいけない。人間一人の命はそんなに軽くはないはずだ。
人間というのは、自分が死ぬのは拒否するが、他人を殺すのは開き直ってしまえばいとも簡単に出来てしまうものではないのだろうか。殺人者を捕まえる警官の中にも、昔に人を殺しに戦争へ行った人もいるはずだ。
「人間の命の意味」はいつの時代もどこかで間違っている。ホームページに戻る
アジアは、世界の国々から見れば発展途上国という印象が私にはとても強い。
しかし、今アジアは世界から最も注目を受けている。なぜならば、人件費やコストの安さが考えられるだろう。そこに注目した企業などが、アジアをうまく利用し膨大な利益を挙げているようだ。
アジアと言えば、欧米や北米に比べて医療や社会福祉などの面で大幅に遅れていると言えよう。そして、今もその状況は打開されてはいない。
だからこそ、アジアは欧米や北米から様々なことを学び、それを工夫して活用していく必要があるだろう。
では、どうすればよいのだろうか。日本を例に挙げて考えてみよう。日本は、先進国でありながらまだまだ様々な分野で欧米や北米に大きく遅れを取っている。そのいい例が医療の分野であろう。日本では、救急車で応急処置程度のことしか行えないのに対して欧米では医者と同じ処置をすることのできる救急隊員がたえず患者の状況に合わせて、迅速に処置を行い病院へ搬送する。このシステムを欧米では早くから取りいれていた。日本も、これに習い導入し始めたがその数は十分とは言えない。また、最近問題となっている臓器移植でもまだ曖昧な点が多く非常に分かりにくい。そして、ついこのあいだドナーがあらわれたにもかかわらず、一つドナーカードに記入もれがあっただけで臓器移植をおこなうことができなかった。それだけ、我々の中にまだ浸透してないと言うことであろう。
しかし、アジアのなかでも日本は最も豊かであり、なおかつ社会面、経済面においても最も優れていると言える。だが、日本以外のアジアの国々は自国をより発展、繁栄させるために一歩一歩その道を進んでいる。その中で私が注目したのは中国である。中国と言えば昨年香港返還で世界中から注目された国である。なぜなら、社会主義と資本主義とが共存する「一国二制度」の体制を取ったからである。そもそも中国は社会主義の国であり、その国がイギリス領であった資本主義の香港と今後新たな道を切り開いて行くが、中国が世界的に見ても経済力の高い都市の香港をどうコントロールしていくかが注目すべき点の一つであろう。私の知るところによると、この返還について現在香港に在住している人々は、様々な期待と不安を抱えている。その中で最も多い意見が、今まで資本主義体制の中で生活してきたのに返還によって社会主義体制になってしまうので、とても未知的な意味でも不安を感じているらしい。そのため返還前に、イギリスへ移住した人の数も多かったようだ。確かに社会主義と資本主義の性質はまったく逆であるので、今までの生活も逆になる可能性がとても高いといえるが、この大幅なギャップに期待している人々も多いのも事実である。その人々の気持ちとは裏腹に、中国に進出していく企業はさらに増加すると考えられる。なぜなら、中国は人件費やコストも安く人口もかなり多いのでその生産力というものはかなり膨大なものになるし、世界的に経済力のある都市の香港を抱えたことによってより多くの物の流通を行えるようになるからである。
このように「一国二制度」という体制はとても特殊なケースのものであるが、この問題をどう中国が乗り越えて発展して行くかによって、アジアを世界にアピールすることもできるのではないだろうか。
スポーツの世界でもまた、アジアは世界にアピールしている。その良い例としてサッカーワールドカップをあげてみよう。今年のワールドカップはフランスで行われるが、4年後のワールドカップは日韓共同開催でおこなわれる。これもまさにアジアの発展といえるだろう。
このようにアジアは世界からリードされる側からリードする側へと変わろうとしている時期であり、今後近い将来に、アジアが世界を動かす時代になるであろう。そして私たちアジア人は、このことをよく理解してアジアを活性化させることが必要不可欠なのである。
昔から長生きを夢みてきた人類の願いを実現するためにもまた、それが平和で安らかな社会となるためにも21世紀の最大の生活課題として、私達は、高齢社会の在り方にとりくむことをいまや余儀なくされている。
介護の重労働や精神による重みを背負っているのは、ほとんど女性である。女性はまず両親の介護をし、年をとってからは自分の夫をそして夫が亡くなった後、自分が嫁などによって介護されるというまさに、女性は老後を3度体験するのである。したがって、老人問題は女性問題であるといってもいいぐらいである。日本の介護労働はほとんど、家などで女性によってまかなわれている。
しかし、家族だけによるケアは、限界をはるかに越え今後の方向として、限界にきた家族の介護機能は、公共的サ−ビスの普及、整備や地域住民などによる参加が必要とされる。家族にかわって、他人が介護する「介護の社会化」をおし進めていくことが必要である。
だが日本の場合、なかなかサ−ビスを利用する数が少ない。それは、お金が高いなどもあるが特に周りからいろいろと言われる場合いが多いからではないかと思う。しかし、介護する側が疲れきっていては、共倒れの原因になってしまい暗い社会になってしまう。
このように、誤解した考えをもっている人が多いように思う。特に老いた両親との同居、別居の問題が1番誤解した考えをしている人が多いと思われる。我々は、なぜか家族と生活している人が幸せであり、両親が年をとったから一緒に住んだ方がいいだろうと考えている人が多い。だが、家族と同居している老人の方が独り暮らしの老人と比較して幸せであると断定することはできない。現に独り暮らしの老人の自殺率に比較して、こどもと同居している老人の自殺率の方が高いことが出ている。このことは、こどもと同居している老人の孤立は、独り暮らしの老人の孤独よりも深刻である場合が多いことを指している。また、家族介護者がいることは、老人の自立にあまりよくなく、家族と同居していることが老人を幸せにするとは必ずしも言えない。独り暮らしであるから淋しく孤独であるのではく、独り暮らしの場合は、自分だけのものを多く持つことができたり、訪ねてくる身内や近所の人たちと交際したりとそれなりの豊かさを持っている。
むしろ、家族と同居のなかで信頼する身内から理解されず、冷たくされることのわびしさが老人にとって耐えられない孤独である。価値観も生活様式も異なる世代が同居することは、必ずしも幸福とは言えないのである。親子がたとえ別れて住んでいても彼らは親子であり子であること、つまり関係としての家族が存続していることには変わりないのである。そのためこれかは、政府や家族に頼るのではなく、自分でこの高齢社会を生きていくことが必要である。いつまでも若く元気でいるためにも心にはずみを持ち熱中するほどの趣味を持つことがボケたり寝たきりにならないもっとも良い方法だとされている。年をとってからの生活は、老年期以前から自分自身の生き方を確立するということが大事である。最近では、子育てから解放された女性の再就職やボランティアの参加が増加しはじめているといわれる。人生80年時代となった今、自分たちの老後をどう生きていくかについて、経済的なことはもとより夫婦のことや生活拠点としての地域のかかわりまで含めて各自が答えを用意する必要に迫られていると言える。
高齢社会の問題は、いわゆる老人問題のみにとどまらない。それは、社会全体の変化を意味し、さらにそこでの人生そのものの在り方が変わっていかなければならないのである。それによって生じた時間的な余裕などによって、ストレスのすくない社会を作りだしながら自らの人生を確実に歩んでいくことが必要である。そしていざというとき、適格なサ−ビスが日常のなかに存在し、それぞれが安定した老後をおくれるように工夫していく必要がある。そうでないと高齢社会は、共倒れ社会や暗黙社会になっていくおそれがある。また、これからくる高齢社会のためにも社会的に解決すべき課題も多いがそれぞれの世代が互いに納得する分担と協力の社会的システムと価値観を作りだすことが求められている。
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一言に美容と言ってもたくさんの分野があるが、そのなかでもヘアスタイルに的を絞りたいと思う。一般的にロング・セミロング・ショ−トヘアなどがあるが最近はシャギ−やレイヤ−などもよく聞かれるようになった。そして今、ほとんどの女性の髪型の代表となっている。他にも、髪の毛に色をいれるカラ−リングも流行している。これは、個人の個性を表す方法でもあって、それぞれ思い思いの色を楽しんでいる。今年の夏は金髪のメッシュが主に流行していたが、冬に近づくにつれて髪をわざわざ真っ黒にする人が増えている。この様に季節によって髪の色を変えていく人が増えれば、髪の毛の色を見て季節が分かるようになるかもしれない。今は洗えば落ちるカラ−があるため、服装によって変える人も増えてくるだろう。
ヘア−スタイルの流行はどこからくるのか。
少し前だと、安室奈美恵の茶髪や華原朋美のサラサラストレ−トやパフィ−のスパイラルパ−マなどが流行するとそれを真似する人が増えていった。この様子から見ると芸能人の間で流行した事が、そのまま一般人に流れていくことが分かる。そしてまた新しい流行が流れてくると、次々と新しい流行の流れにのってヘア−スタイルが変わっていくのである。
しかし、たとえ流行にのっていたとしても自分に似合ったヘア−スタイルをしていなければ意味がないと思うのである。自分に似合ったスタイルを見つけるというのはかなり困難である。人のヘア−スタイルをそっくりそのまま自分にあてはめただけでは自分に似合ったスタイルとは言えない。私が経験した自分に似合ったスタイルの見つけかたは、まず自分なりにカットする長さを決めてヘア−カタログなどで見つけたスタイルのイメ−ジまとめて美容室に行き、カットを担当してくれる人に自分の希望を伝え他人の目から見てもらって似合うかどうか決定するものであった。やはり自分だけの意見でなく他の人の意見に耳を傾けるのも大切ではないかと思う。
ヘア−スタイルの流行とはただ雑誌やテレビで見た物をそのまま真似するだけではなくて、一人一人の個性をいかして自分なりの流行を作ってみるともっとヘア−スタイルの変化を楽しむことができる。現在は整髪料等で簡単に変えることができるようになったので、一度興味を持ち始めるとかなり時間をかけるようになって凝ってしまいがちになる。しかし、時と場合を考えてヘア−スタイルを決めていかないとただの非常識な格好になってしまう恐れがあるので、充分意識する必要がある。意識しすぎない人にもこまったものである。たまに電車などでかけ込み乗車をした人の頭をふっと見た時、いかにも寝坊してそのまま飛び出して来た事が分かってしまうほど乱れていた。このことから考えてヘア−スタイルからその人の日頃の生活までも分かってしまうことがあるので、せめて寝ぐせぐらいは直したほうがよいと思う。
最近はヘア−スタイルも注目をあびはじめたため雑誌等にもよく特集されるようになって、スタイルを変える様々な方法に興味を持つ人が多くなっている。そのためヘア−スタイルを変えるためのヘア−ワックスやヘア−カラ−などの様々な整髪料の売上げが伸びているため、続々と新商品が発売されている。きっとこの商品の中から次の流行につながっていく物があるはずである。そしてこの商品をうまく使いこなせば自分なりの新しい流行を発見することができるかもしれない。流行に乗り遅れない様にしようとして、人の真似をするのは簡単だけれども自分が納得していなければ、それは流行に乗っていると言えるのだろうか。流行ばかりを意識しすぎて自分の個性を失ってしまったらそれはまさしく流行に乗られてしまう様な感じがする。そうならないために流行をすべて取り入れてしまうのではなく一部分を取り入れて自分なりにアレンジすれば独自の流行を極めることができてもっと楽しく流行と向き合う事ができるのではないだろうか。
最近の音楽界の頂点になるには、実力がなければ不可能ではないだろうか。
ここ数年で、あらゆる歌手が生まれた。それは、ミュージシャンによるプロデュースが増えたり、インディーズの世界からプロの世界にデビューしたバンドが、増えたためである。デビューするには、自分を知ってもらはなければならない。そのような場所が、オーディションである。最近ではテレビや遊園地のアトラクションとしてもオーディションが受けられる。つまり、誰でもデビューするチャンスがあるのである。
デビューするにも様々なジャンルがある。たとえば、バンドつまりグループである。私は、年に何度かライブを見に行く。そのライブでも様々なジャンルがある。今、私が注目しているバンドはミッシェル・ガン・エレファントというバンドで、彼らはインディーズの時代からライブハウスで着々と実力を上げ、プロの世界へ飛び込んだ。しかし、プロと呼ばれても売れたというわけではない。彼らは、デビューしてから約三年が経つ。私は、デビュー時代から彼らを見てきた。その間にもたくさんのCDやビデオを発売し、ライブを繰り広げた。その結果、音楽雑誌やレコード店でのCDランキングの上位になり、ファンが増えていった。しかし、売れると言うことは音楽以外の売り込みが、増えるということになる。例えば、雑誌でのインタビューに加え、まるでモデルのように写真を撮る。歌手にとっての職業は、歌うことではないかと頭をかかえそうになる時がある。文頭で「実力が必要」と述べたが、最近では音楽だけでは売れないのである。
私がもう一つ注目している歌手に、B’z(ビーズ)というグループがある。このグループは、デビューして約十年が経つ二人組のユニットで、ボーカルの稲葉浩志とギターの松本孝弘とで結成されている、今や日本のトップアーチィスとなっている。ギターの松本は以前からソロとして活躍し、ギターのテクニックでは日本でも数本の指にはいるほどの優秀なギターリストであり、自らも、他のアーティストをプロデュースするほどである。稲葉もまた、今年ソロとして活躍し自ら作詞、作曲をてがけたアルバムを発表した。B’zは、八十八年のバンドブーム全盛の時に、デジタル・ビートという今までにない楽曲で始まり、ダンス、ハードロック、ブルースとよばれる様々な音楽形態に成長していった。彼らもまた、音楽以外の売り込みが多い。一年に何十本ものライブを行い、その都度会場で写真集のようなパンフレットを販売したり、地方では、ラジオやテレビの収録に忙しくなる。このように、最近は音楽だけでは、聴衆に認められないのである。しかも、歌だけではなく、顔やセンスもよくなければ売れないのである。
私にとっての音楽とは、この二つのアーティストによってなりたっている。まったく異なったアーティストであるが、ミッシェル・ガン・エレファントの音楽は、ガレージ・ロックと呼ばれているかなり激しい楽曲で、ライブでは、聴衆同士が体をぶつけ合うような危険なときもある。しかし、このミッシェル・ガン・エレファントの音楽が、私のストレス解消法の一つである。また、B’zの音楽は、稲葉の書く詩や、松本の作り出す音が、私の心を癒してくれる。詩の多くは、恋愛がテーマであるが、その一言、一言がとても柔らかく、優しく感じられるのである。歌のあるフレーズで、おもわず涙がでてしまった。そして、ライブに行った時も、とても感動し、幸せな気分にさせてくれたのである。
以前売れる事がよいことだと述べたが、私のようにアーティストによってなにかを得ている人達も多いはずである。現に私は、得ているが、歌うだけではいけないという表現ではなく、歌以外の何かをどれだけ聴衆に与えることが出来るかと、私は表現したい。現代の音楽業界では、売り込みを第一と考えているが、売れることだけではなく、アーティストがどこまで自分たちの伝えたい事を、私たちに伝えられるかを第一に考えてほしい。それによってもっとたくさんの人達の心が豊かになるのではないだろうか。むしろ、私はアーティストによって現代の音楽や私たちの心を豊かにしてもらい、生き甲斐を見つけたいのである。
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流行は、自分らしさをなくすものでもあり、新たな自分を発見させるものでもある。人々は、雑紙やテレビなどから新しい情報を得て、少しでも、かわいくなりたくて、見せたいと思う。良い例をだすと、芸能人の安室奈美恵みたいになりたいとおもって同じ格好や、ヘアースタイルをする。周りを見回すと、同じ顔、体型、髪型の人ばかりでつまらない人間ばかりである。でも、私も、とやかく人のことを言える立場ではない。気が付けば私も、そういう人間になってしまっている。
昔からの、女性の永遠のテーマである、ダイエット。リンゴダイエットから始まりガルシニアなど粒状の薬などで一気に体重を減らそうとする。体に悪影響を与えると分かっていても、痩せるイコール綺麗になるとおもって無理なダイエットに励む。そうすると、骨粗鬆症になってしまう。数年前は高齢者に多かったはずなのに最近では小学生に多く見られる。ある二十歳の女性の骨を医者が見て「あなたの骨年齢は五十歳です。」と言っていた。
一度かすかすになってしまった骨は一生、元に戻すことはできない。だから、若いうちから体をわざわざこわすようなことはすべきではない、と言いたい。今が花、とばかりに、後のことを考えず今を生きようとする人がいる。
もう一つ恐ろしいダイエット法を耳にしたことことがある。麻薬やシンナーで痩せる方法である。麻薬やシンナ−を吸うことで、気持ちよくなり食べたいという欲求より、気持ちが良くなる、感覚が強くなりダイエットにつながる。または、口の中に指を入れて吐いて痩せる。こんなダイエット法をやる女子中高生がいる。なぜ、こんなことをするのかと聞いていてみると、「楽して痩せたい。周りのみんながやっているから、好奇心で。」と軽々しく言っている。後々困るのは、自分だと言うこともしらずに。 苦労して産んだ自分のカワイイ子供が五体満足で生まれてこなかったとき、本当にショックをうけるはずである。これでは少子化の手伝いをしているようなものである。社会に出て働く女性が増えれば、子供が邪魔になるだけである。そんなことで少子化が進む。少子化で一番打撃をうけるのは私達の親だろう。十五年後あたり、私達にも被害が及んで消費税や所得税が上がり年金が減って、労働力が減るのに老人が増える社会に向かいつつある。そんな未来のために一生懸命働く気力がわいてきません。きっと他の人も同じ考えだろう。自分一人が頑張っても社会は何も変化しない、と考えるものだろう。私は自分が後悔しないた人生を送るために、束縛されずに自由にのんびりと生きたい。だからと言って何もしたくないわけではない。
今私は、こんな社会を作り出した人に文句が言いたい。自転車ができ自動車ができ人間が歩かなくなりものぐさになった。自動になり機械やロボットで何でもすむようになって、便利になってありがたいけど、人間の必要性がなくなり、価値感がさがってしまっている。人間が、機械やロボットに使われる時代がやってくるだろう。今私達がやっていることは自分で自分の首を絞めていることである。最後に苦しむのが自分だと分かっていても今さらやめることはできない。でも、ここで諦めて何もせず暗い未来をただ指をくわえて眺めているわけにはいけない。これからの社会をつくるのが私達の権利であり義務である。自分一人のために頑張ると思わず自分の子供や孫のためでもある思って今より少しでも良い社会になっているように改善していければならない。子供や孫には今以上の苦労はさせたくない。つねに問題はつきものだけどこの世に生まれてこれたのも運命だと思って小さなことでも何かの役に立っているはずだと思って改善していこう、という心がけを忘れず、社会を背負って立つ人間として必要とされる人になれればいいな、と思う。
現代では男女雇用機会均等法が制定されるなど、男性と女性が平等に扱われるように様々な事が考えられてきている。昔と違い様々な分野で女性も働けるようになってきたけれど、まだ完全に認められていない。というより、男女差別はなくならないものだと思います。現在の世の中では、法律で定められているにも関わらず社会では男女差別と言えるものがたくさんある。「女性差別」という言葉があるように社会ではまだ女性に対して厳しいのである。男女雇用機会均等法では、今まで女性は夜10時以降仕事をしてはいけなかったのがこの法律で女性も夜10時以降働いてもいいことと定められ、その点では平等になったと言えるけれど実際、企業などで働くと、同じように働いているのに男と女とではお給料がちがう、なんてことを聞いたことがあります。事務にしてみても、なぜ女性がやらなくてはいけないのか、男性が事務をやってお茶くみをしてもいいと思う。新聞の求人広告で「女性事務員募集」なんて書かれているのは女性差別である。
昔と時代が変わって、女性も働くのがあたりまえのようになってきた現代では、男の人のように働いてる人もいるのだから仕事の面での女性差別はなくすべきである。このように女性差別は、現代の日本社会での1つの問題となっています。 そして、このような「差別」の問題は世界中で抱えているものなのです。先進国と言われる国は、基本的に平等であると言われているらしいけれど、それは表向きであって、実際、アメリカなどでは、州によっては昔の奴隷制度が残っているところもあり、黒人に対しての人種差別が問題となっている。この人種差別は日本の女性差別の問題よりも、よく考えなければいけない大きな問題だとおもいました。そして、先進国でない国での決まりのなかで、完全に女性差別をしている国があります。それは、私が最近聞いた話で、今の中東からアフガニスタンの地域のイスラム教では、女性は肌を見せてはいけないとされているそうです。もし、少しでも肌を見せると捕まってしまうそうなのです。このように差別があたりまえのようにされている国もあるのです。
「差別」についての問題は、何年たっても、どんなに時代が変わっても無くなるものではないと思うのです。普段、私たちが生活している中にでも差別は存在するものです。小さな事柄から大きな事柄まで様々な中で「差別」と言われることを、言葉にして言ったり、態度に出したりしているのです。それをなくすなんてことは不可能ではないかと思うのです。差別を無くそうと言うのではなくて、差別をしないように、常に心がけるように人々が気をつけることが大切ではないかとおもうのです。 ホームページに戻る
今日では様々な職業があります。物質的な物を商品とする職業、精神的な面を癒す職業というように、企業側は様々なところに観点を置いています。
1993年、バブルの崩壊以来日本は不景気が続いており、企業側は頭を抱えています。企業の収入が減少していることにより、リストラを行ったり、給料削減というような対策をしています。それでも企業の倒産は今となっても様々なところで起きています。大企業と言われている企業が突然、倒産ということもしばしば起きています。そんな状況の中でも独自のアイデアを生かして事業の成功を修めています。その代表的なものが当初、女子高校生を相手とした、ポケットベル、PHS、プリクラ、たまごっちであります。これらの商品は、機能性だけのために購入するだけではなく、「流行しているから」という理由で購入する高校生も多いと思います。
今では高校生だけではなく、特にプリクラ、たまごっちは高校生の強い影響力によって、幅広い年齢層で楽しまれるようになりました。企業側はこうした影響力を利用して、莫大な売り上げを上げようとするのです。ある企業では、女子高校生の情報交換の速さを知るための実験を行いました。ある情報を特定の街のわずかな女子高校生に流し、一週間後にその街の女子高校生100人に調査をいれたところ、65人がその情報を知っているという結果が出ました。このことによりいかに情報伝達が速いかが分かります。現在、様々な企業はアイデア商品を消費者にいかに速く伝え、売り上げを上げるかが勝負なのです。先ほど出てきましたポケットベル,PHSは流行で売れているのも多いと言いましたが、もう1つの理由として情報を多量に得ようとする人が多いからです。広い年齢層の人々が様々な手段を使って情報を得ようとするのです。他にもインターネットのようなコンピューター類があり、1995年にはマイクロソフト社から出された「ウィンドウズ95」が爆発的に売れました。ウインドウズ95の発売によりコンピューターは確実に人々の生活に入り込んできました。
私達は常に情報端末としてのコンピューターに接する世の中に生きてゆくことになります。ところが高校までの学校教育ではコンピューターについてほとんど知識を与えてくれることはありません。そのためそれらの教育は専門学校、短期大学、大学で学ぶことになります。このことにより、情報化が進んでいるまっただ中に生きているということが分かります。不景気、そして情報化社会で企業が生き残るためには、どのような発想、工夫を凝らし事業を進めるかがこれからの課題ではないでしょうか。
日本人の傾向として考えられるのは、とても新しいもの好きであり、他の人種に比べて自分のものとなったものにそれほど親しみを持たないのです。ヨーロッパ人は、長年使われてきたものに親しみを持ち、なかなか手離そうとしません。その代表的な例が自動車や住まいです。ヨーロッパの自動車会社は、数年前のモデルの自動車を長年に渡って売り出し続けます。そして購入者側もこのような古いモデルに注目を集めるのです。逆に日本では、実に速いペースで新しいモデルの自動車が色々なメーカーから売り出されています。モデルだけではなく、機能もメーカーごとにそれぞれの工夫がされています。最近では、アウトドアのための「キャンピングカー」がよく見かけられるようになりました。キャンピングカーにはトイレ、キッチン、ベットといったような衣食住に必要となるものが万全に備えられています。このことによって私達は、より一層アウトドアを快適に、簡単に楽しむことが出来ます。
現代の企業は、従来商品として扱ってきたものに何かしらの品質改良をしなくては、現代の不景気という波にのまれてしまいます。ある学者は戦争が起きると新兵器を造ることになるのでそれによって文明が進むと言いました。私も同じように、不景気になればなるほど品質改良が進むと思います。こうして企業の生き残りは私達の生活に素晴らしい商品を送り込んでくるのではないでしょうか。そして大きく流行として取りあげられるでしょう。
現代の10代、20代の若い女性は、家庭性が薄いと思う。特に彼女達の料理の技術と認識が不足している。以前、テレビで若い女性に包丁でリンゴの皮むきをさせたり、料理名を教えて、作り方をいっさい教えず、自分で調理させるという番組を見たことがある。料理は、いんげんのごまあえ、焼き魚、親子丼など、さほど難しくないものばかりであったが、彼女達の調理の仕方はすさまじいものであった。このため、料理の技術と認識が不足していると私は考えるのである。 その番組で、焼き魚を焼くのに、石油、灯油、七輪が1人の20代の女性の前に用意された。誰でも七輪で焼くと思うが、彼女は魚に石油をかけて火をつけたのである。嘘のような本当の話である。これと同時に何種類かの魚の中から、ある特定の魚を選ばせることを行ったが、これも正解率はひくかった。私も学校での調理実習で友達の包丁の使い方を見ていると、危ない使い方をしている友達がいるが、授業では教えてもらっても、家庭では教えてもらわないのだろうかと疑問に思う。授業で、数時間行っても、なかなか身に付かないものなのだから、日頃から行うことが大切である。
家庭性は、普段から母親の手伝いをしていれば自然と身に付くものであるが、多くの家庭の場合、母親はパートで働きに出たり、子供は塾で夜遅くまで勉強していたりと、そろって台所に立つ機会が減っている。このことが、若い女性の家庭性を薄くしている原因のひとつではないだろうか。また、忙しい主婦や働く女性のために、レンジやオーブンで加熱するだけの冷凍食品、レトルトが多く出回っている。やはり、便利なので需要は高い。
しかし、これは調理済みのものが多く、使用し過ぎると、子供たちは母親の手伝いをしていても、調理の仕方を覚えず、いずれは、自分で作らなくても買えばよいとか、これは始めからこういうものだと思い込んでしまうことも、この原因のひとつとしてあげられるだろう。
私自身は、母親が専業主婦なので幼い頃から手伝いをしていたため、簡単な料理は作れるし、家事もだいたいこなせる。長女だからということもあるからかもしれないが、私に比べれば弟や妹はほとんど家事をこなせない。なぜなら、普段は母がすべての家事を行い、母が不在の時は私がすべて行うため、家事などしないのが当たり前となってしまっているからである。家事に興味を持つか誰かから言われない限り、自分では身の回りのことが出来ない大人になっていくに違いない。
最近の若い女性は身なりからもわかるように、自由に使えるお金をたくさんもち、甘やかされて育っている傾向がある。お金を持っているので、好きなものが買え、食べることができる。家に帰れば母親が家事をすべてやってくれている。そして、何も出来ないまま社会に出て行き、恥をかいたり、苦労したりするのである。
これまで述べてきたことを改善するためには、幼い頃から料理に慣れ親しむことが重要である。それには、母親とのコミュニケーションが必要となる。母親が積極的に子供とお菓子作りや、夕飯の支度をしたり、また、冷凍食品やレトルトを極力使用せず、作れそうなものは作るという心掛けが大切である。そうすることによって、 子供は自然と料理に慣れ親しむことが出来るのである。料理教室に親子で参加するのも良いだろう。どんなに忙しくても、少しでも暇を見つけてはコミュニケーションをとることを心掛けてほしいのである。
もし、このような家庭性の薄い女性が母親となった時には、日本の伝統的な食文化は廃れてしまうだろう。人間が便利さを、日本経済が利潤を求めた結果である。時間はかかるが、改善しなければならない。そして、私達ひとりひとりが家庭性の重要性に対する認識を深め、自分のこれからを長期的に見つめる必要がある。そして、教育の中にも、もっと多く家庭科の授業を加え、女性のみならず、男性も家庭性を養うべきであり、また、マスメディアをより活用し、現代の女性の家庭性の薄さを世間の人々や、当事者に知らせ、その重要性を理解してもらうべきである。私達もこの先、親になる可能性があることを十分忘れてはならない。ホームページに戻る
97年今年のシリーズでは何十年ぶりに優勝か・・・とも言われていたが、ヤクルトスワローズに及ばず、惜しくも2位だったのである。だが、それにより今年の横浜ベイスターズが与えた多くの影響がある。
いつものようにBクラスだった横浜がAクラスになれた理由がある。まず、若手選手の成長が非常に大きかったことである。それに、抑えのピッチャーである22番佐々木主浩投手がいたことが大きい。通算記録150セーブを達成し、ハマの大魔神と呼ばれている。捕手では、8番谷繁元信の活躍。首位打者として活躍していた横浜ベイスターズの外野手51番鈴木尚典選手である。来季は背番号7番に変更。それに、横浜の選手で何年ぶりに1人で20本以上本塁打を放ったのである。他にも、ベテランの内野手10番駒田徳広が通算記録1500本安打を達成し、多くの選手が活躍したからである。このようにセ・リーグをおもしろくし、ファンを増やしていき、ヤクルトスワローズに2.5差まで追いついた時は、38年ぶりの優勝か、ということでマスコミが騒ぎ、選手にプレッシャーがかかったのかもしれない。優勝経験があるのは選手の中で駒田選手しかいないというのは驚きである。
では、どこがヤクルトスワローズに及ばなかったのだろうか。ヤクルトは、投手がそろっていたこと、抑えのピッチャー伊藤(智)選手。捕手の古田選手。他にも多く活躍していた。今年の横浜は若手が活躍したが、度胸がなかったことが負けているのではないかと思う。また、横浜のエース11番斉藤隆投手は、今シーズン怪我で出場できなかったのである。少しでも早く1軍に出場してほしかったと思う。来季の活躍を期待したい。それに、ヤクルトはプレッシャーに強かったことも含まれているのではないだろうか、ヤクルトの選手は、良くテレビに出演していて面白い人が多く、チームを盛り上げているのだと思う。横浜の選手は、テレビに出演してもあまりしゃべらず、口数が少ないのである。横浜で面白い選手と言えば、外野手26番佐伯貴弘選手などである。横浜ももっと明るく、楽しく、面白く、このようなチーム内の雰囲気を作っていって、盛り上げていってほしいし、何に対してもプレッシャーに強くなってほしいと思う。前に述べたことの他に、ヤクルトの野村監督が選手への見方が良いのだと思う。今シーズンの始め、ホージー選手は打撃も守備も良くないと言われていたが、今シーズンが終わってみるとホームラン王に輝いたのである。
他のセ・リーグのチームのことを言うと、読売ジャイアンツでは、今年はM・K(松井・清原)があまり活躍を見せなかったが、やはり、全てにおいてすごい選手であるので、来季は活躍することが予想され、来季の横浜との優勝争いが楽しみである。そして、横浜ベイスターズに強いチームがある。それは、阪神タイガースである。しかし来季は横浜が阪神を勝ち越しをしてくれる所も見所であり、横浜ベイスターズを応援する価値があるのだと思う。
横浜の大矢明彦監督は、優勝するために2年間監督をし、指導してきたが優勝には及ばず、去年は5位で今年は2位だったので今年で辞めてしまったのである。だが、今年の最終ホームグランドで選手が大矢監督を胴上げし、選手は「ありがとうございました。」という思いがいっぱいだったと思う。そして、監督は涙を流し、選手がここまで成長してくれたことでとてもうれしく思っていたと思う。
来季は今度こそ優勝するために、監督はピッチングコーチをしていた権藤博監督に代わり、監督やコーチの下で選手は新たな気持ちで力を伸ばして頑張ってもらいたい。これからの横浜ベイスターズに期待がかかり、また、注目させてくれることでしょう。もっと応援したくなる・・・。「横浜ベイスターズ(YB)」ファン一同。