「内へ参り給ふとて、御車にたてまつりたまへば、わが身は乗りたまひけれど、御ぐしのすそは 母屋の柱のもとにぞおはしける」 これは村上天皇の女御芳子が入内するときのことを描いた「大鏡」の一節です。 入内つまり宮中に入るときに、牛車に乗り込んだ芳子の髪は、長々と地を這い、その先は母屋 柱の下にあったというのだから途方もない長さである。いったい芳子はどのくらいの髪の毛を 引き摺っていたんでしょうか。当時の建物の構造から、牛車から母屋の柱までは約5.5m。それ に彼女の身長は少なくとも1.5mはあるはずだから、芳子は何と7mの髪の持ち主だったと 推定できます。ギネスものの長さですが、こんな髪の人が現代に生きていたらちょっと怖いかも ...。 俗に丈なす黒髪というけれども、平安時代の女性の髪は立って身長ぐらいあるのが最低値で、 長ければ長いほど美しいとされた。 でも、考えてみると7m近くも髪を伸ばしていたら、日常生活にも不便この上ないだろう。 十二単のすそより、4mはオーバーしてしまうのだ。これでは、歩いている時など自分の髪 がどこをさまよっているのか、分からなくなってしまうのではないだろうか。人にうかつに 近寄られようなものなら、髪を踏まれて「痛っ」なんてことにもなりかねない。 まず着替えが大変だ。衣紋者は、お姫さまの髪の毛を踏みつけないように重い十二単を抱え てお姫様に接近。それからおそらく7mの髪を十二単の中に入らないようにまとめあげ(お そらくそのために別の介添えが必要)、着つけ。トップへ