第二章 猫男大リーガーになる


    わたしは本当に凄い野球の選手だった。傲慢に聞こえるだろうが、わたしの球歴を御存知無い方は、つまり野球というゲームを知らないのだと思う。そんな方々のためにわたしの四年の球歴を掻い摘んで辿ってみる。 先ず、わたしにはアマチュア野球の経験がない。二十四歳で合衆国のルーキーリーグに入ってゲームを覚え、そのシーズンのうちに1Aを経て3Aまで昇格した。ウインターリーグをメキシコで過ごし、二十五歳でメジャーのスプリングキャンプに投手として参加を許された。             
  
 

  奴はネット裏で雨宿りをしていた。そこで夜明しをしたみたいで、冷えきって、腹を空かした子猫だったよ。
 元監督は語る。俺は奴に朝飯をおごった。奴は下手糞な英語で仕事は
ないかと尋ねた。何が出来るかと尋ねると、奴は教えてくれれば何でもやると答えた。教えれば人も殺すのかと尋ねると、軍隊では上手に教えてくれるらしいので人も殺せると思うけれども、あなたが教えくれるのかと問い返した。俺は軍隊時代に人を殺したことを思い出してしまった。とにかく、俺は奴を拾った。ボールの投げ方取り方から、女の口説き方まで全部俺が教え込んだ。
 元監督は語る。奴の才能なんてこれっぽっちも感じなかった。二十ヤード投げられるようになるのに半月も掛かったのだから。正直言って、女房に逃げられて身の回りの雑用をさせるものが欲しかっただけだ。そんな風に、元監督は語る。
 監督にしてみれば、拾った子猫が虎になっちまったってところだ。尤も、虎だったって気付いたのはもっとずっと後のことだろうけど。
 元捕手は語る。監督は彼にネット裏でスコアブックを点けさせていた。試合の前のキャッチボールの他はこれといった訓練なんか受けていなかった。
 元捕手は語る。そんな風に三か月程たったある日、九回の表になって、選手が足りなくなった。試合は十二対三のぼろ負けだった。監督は別のピッチャーの名を騙って登録されていない彼を投げさせた。よく有ることだ。
 元捕手は語る。勿論、カーブの投げ方なんて知るわけは無いのでファーストボールを五球だけ。当然、結果は四球。ところがたった一球だけ入ったストライクの球速が百マイルだった。その一球で彼は1Aに入った。そう、元捕手は語る。
 あの二十七番は人違いだった。
 3Aの総支配人は語る。1Aで彼の二十七番のユニフォームを借りていた強打の外野手をわたしが引き上げた。ところが、来たのは二十七番の投手だった。
 3Aの総支配人は語る。バス代くらいは働かせるつもりでバッティング練習に投げさせて大笑いさ。何しろ、セットポジションは全部ボークだった。肝心のボールは二球に一球だけはメジャーのものだった。
 3Aの総支配人は語る。だが二十七番くらい早い投手は幾らでもいた。十球に一球の失投でもメジャーの打者は見逃さないのだから、二十七番に明るい未来はなかった。才能ならもっと恵まれた選手が幾らでもいた。二十七番はチャンスに恵まれただけだった。と、3Aの総支配人は語る。
 猫男の才能を見抜いていたのはわたし一人だ。
 メジャーのピッチングコーチは語る。わたしがウインター・リーグで投げている猫男を見てメジャーのスプリングキャンプに呼んだ。
 メジャーのピッチングコーチは語る。猫男は外国人でしかも声帯の機能に問題があった。けれども彼は正しい英文法を知っていた。今になって思うと、あの頃、わたしは英文法を知っている投手を探していた。何故ならわたしは英文法を知らない投手にうんざりしていた。勿論、英文法を学んでも英語は喋れない。ボールも投げられない。
 メジャーのピッチングコーチは語る。わたしは筋力と反射神経を遣い果たして退屈な野球理論と大リーガーのプライドだけに成ってしまった連中を幾らでも知っている。猫男はもともとプライドも野球理論も持っていなかった。そして、猫男は喋れない言葉の文法を知っていた。それが猫男を違ってみせていた。会話はコミュニケーションの助けにしかならない。其は何処まで行っても『助け』に過ぎない。猫男の使う言葉はは、腹が減ったとか、肩が痛いとか、女が欲しいとか、そんなことを言い表すには間の抜けた道具かもしれないが、しかし私か何かを本当に教えることが出来るのは彼しか居ないと、そう直感させる物だった。実際、猫男は私の教えたことを直接的な結果で判断したりしなかった。結果が良くても悪くても。と、メジャーのピッチングコーチは語る。
 

 
  その年の四月、開幕から四試合目に初登板、初先発した私は無安打一失点で完投したが、味方が零封されたため敗戦投手となった。その四日後、中三日で先発登板したわたしは九回を二十七人で抑え、完全試合で初勝利を挙げた。わたしが許した初の安打はその次の試合、延長十二回を四球とエラーの走者を三人許しただけのノーヒット・ノーランに抑え、〇対〇で迎えた十三回の裏二死から打たれたサヨナラ満塁ホームランである。死球の後盗塁され、更に暴投で三進され、二者敬遠の無死満塁から二連続三振で二死に漕ぎ着けたところだった。そこで迎えた打者は相手チームのリリーフ・エース。見くびった訳ではないし、失投でもなかった。それは素晴らしい一振りだった。わたしに初の自責点を四点もつけたその投手が十年間のメジャー・リーグ生活で記録した十一本の安打のうち、それが最初で最後の本塁打だった。
 こんなふうに始まったわたしのメジャー・リーグのルーキーシーズンの成績は、結局、二十七勝六敗、防御率一・六一で、新人王、三振奪取王、最多勝、最優秀防御率、サイヤング賞等、勝率とリリーフ部門を除くほとんど全てのタイトルを獲得した。そしてこの年を含むメジャーリーグの三シーズンで通算八十九勝十五敗、防御率一・五二、一千十一奪三振を記録した。タイトルとしては三振奪取王三回、最多勝三回、最優秀防御率三回、勝率一位二回、そしてMVPが一回ある。他にはオールスターゲーム出場、完全試合二回を含む五回のノーヒット・ノーランの記録がある。これがわたしの凄い球歴である。こうして書き並べると、実に破天荒な成績なのだが、今までわたしを知らなかった、つまり野球を知らない人にとっては勝ち星を三倍にして、全てのタイトルを独り占めにしたところで、大した違いには見えない筈だ。むしろ、この成績によって幾らの金を得ることが出来たかの方がわたしを評価する良い目安になるに違いない。
 そう、記録の数字は虚しいものだ。昔見た映画に卓上野球ゲームに熱中している病弱な少年のエピソードがあった。彼は自分が主催する二つのリーグの二十四球団全ての選手の成績を記録するために、来る日も来る日もダイスを振り続けるのだ。その少年がどうなったかは忘れてしまったが、彼が虚しい営みによって作り上げた虚構の野球リーグの中のスーパースターの記録と、換金済のわたしの記録との差異が実はわたしの望むほどのものではない様に思えてならない。
 と言うのも野球というゲームのルールが余りにも恣意的に定められているためだ。何故三ストライクでアウトなのか。何故三アウトでチェンジなのか。何故九イニングの攻守でゲームなのか、守備位置が九か所なのか。そんなことを並べればきりがない。ボールの外周が一インチ小さければ、指が短くても鋭い変化球を投げる事が出来るかもしれない。投手と捕手との距離を倍にすれば長身であることのメリットは無くなる筈だ。ストライクゾーンの下限を十インチ上げれば、ベンチには十五人の投手が入らねばならなくなる。野球規則に細かく記述された数字や取決めが、日常生活ではほとんど意味を持たない身体的な特徴を素質や才能に仕立てあげている。その数字や取決めは、用具の素材の進歩や、その他の時代背景の変化や、時には政治的な理由で毎年のように少しずつ書き換えられているが、それは卓上野球リーグの少年コミッショナーがさいころを手加減するのと大差はない。
 多分、全てのスポーツは恣意的な取決めで成り立っているのだろう。単純な百メートル競争ですらも最も早く走るものを決めるのではなく、最も短い時間で百メートルを走るものを決めているにすぎない。五フィート十インチのバスケットボールの天才より、七フィートの平凡なプレーヤーの方が多くの得点を挙げることが出来る。それがスポーツのルールなのだ。
 ルールに邪魔をされない真の競技があるとすれば、私の知るかぎり、最も近いのはボクシングだ。勿論ボクシングにも多くのルールがあり、勝負の帰趨に深く係わる。だが生身の人間が殴り会う、常人にはとても真似の出来ない行為の前にはルールはその日の天気ほどの意味しかもたない。ルールが無ければ何も始まらないバスケットボールや野球とは、ボクシングは明らかに異質なものだ。要するにボクシングの殆どはスポーツではない。だからこそボクサーがあれほどに崇高なのだ。そして、スポーツとは詰まり恣意的なルールの事なのだ。
 話がまた横道に逸れてしまった。とにかくわたしはルールの世界で生き、記録を作った。わたしの記録が意味の力を持つのは野球のルールが及ぶ世界だけだ。この世界はプロレスリングやビーチバレーのそれよりは大きく、サッカーよりは小さい。野球規則の世界は外界の人々から尊敬を勝ちうるに、充分な時間と空間の広がりを持っている。だが、一度換金してしまえば、それをひけらかすのは手術の跡や戦争の弾傷を酒の席で自慢するのと同じくらい見苦しい。記録などルールで閉ざされたごく小さな世界の過去にすぎないことを忘れて恥をかきたくないものだ。 わたしの「投げる」という才能も所詮はこの小さな野球規則の世界の中だけに有効なチケットに過ぎなかった。だが、わたしはこの「投げる」という動作、行為に強い拘りと衝動を持っている。現役を離れたいまでもわたしは肩や肘に疼きを感じる。この疼きを癒す術は、つまり投げることなのだ。これは多くの元投手が感じる衝動に違いない。グラブの中で硬いボールの馬革を指先で辿って赤い糸の縫い目を確かめ、ゆっくりと右足に体重を乗せながら、左足の膝頭を素早く胸元まで引きつける。その畳み込まれた左足を打者に向けて力強 く投げ出しながら、右足を送り出す。そのとき腰と肩の線は投球の向きに平行に保つ。左の足が着地する瞬間に右の足を全力で蹴り出し、一瞬後れて腰の回転を開放する。肩の線は未だ平行のまま体の捻じれガ最大になる瞬間を待ち、その間に、肩の開きを抑える為に後方に振り出されていた右手を、肘からボールを吊り上げるように畳み込む。この右腕の準備を出来るだけ遅らせることが、肩の開きを極限まで抑えることになる。そし肩の回転を開放すると同時にボールを前方に加速する。動作の順番としては肩、肘、手首、指となるが、それは見掛け上のことで、既に開いた腰を更に前方に押し出しながら、脳裏に描いた球筋にボールを乗せて思いっきり投げる。人指し指と中指の先に、テーブルの縁をを叩いたような感触が残り、親指が二本の指の間に勢い良く飛び込めば、ボールには最高のスピンが掛かっている筈だ。
 よく言われることだが、人間の体は歩いたり走ったりするように出来てはいても、投げるようには出来ていない。詰まり、正しい投げ方は存在しない。野球規則に定められた投球動作に違反しない投げ方はあっても、人間の身体の構造に適した投げ方はない。どんなに美しいフォームでも体の何処かを痛めつけている。その何処かが壊れてしまうか、壊れぬまでも充分に機能しなくなれば、投手のボールを投げることは出来なくなる。勿論、多くの投手たちは酷使する部分をずらすことによって、その寿命を延ばしている。逆に、速球投手から変化球投手に転身を計りながら、負担を掛ける部分を変える事が出来ずに、メジャーを去る者も少なくない。投手を最も苦しめるのは、どんな球種を投げるにせよ、常に同じフォームで投げなければならないことだ。カーブやスクリューボールを投げやすいフォームで鋭いフォークやナックルボールを投げるのは、文字どうり骨身を削る作業だ。その逆は更に難しいが、いずれにろ、それを望む速さで、望む所に、望む間合いで、投げることが出来てこそ一人前の投手といえる。
 

 
 猫兄さん、ダイスを投げて。双子の弟が促した。猫男の右の掌の中の小な隙間で、二つのダイスがカチカチと音をたてた。それは静かな、午後の、病室だった。
 猫兄さん、それは僕の分のダイスだね。二人は並んで横たわっていた。ベッドの上に横に渡した台には、野球ゲーム板と、双子の弟が左手でつけるスコアブックがあった。中庭に面した窓には、向かいの病棟の瓦屋根と、大樹の梢が、日差しを受けていた。
 猫兄さん、ダイスを投げて。猫男は空を見ていた。赤錆色の瓦屋根と、カーテンレールの隙間の空を見ていた。掌の中で、ダイスがカチカチ音をたてた。
 猫兄さん、ホームランを出してね。猫男は手首を利かせてダイスを投げた。隙間の空は霞んで、瓦屋根に溶けていた。そしてダイスが台の上にはじけ、双子の弟は思う。猫兄さんは大リーガーになる、大リーガーになる、大リーガーになる。



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