「殺人は癖になる」

              森広 憬

    1  疑惑

 

「それは事故だと結論が出たんだから、そんなに心配することはないじゃないか」

「君は彼女のことをよく知らないから、俺の心配が分からないんだ」

「そんなことはない。僕も彼女のことはテレビや映画でよく見ているから知っているつもりだ」

「それは作られた久賀美麗だろう。女優としてのね」

「・・君も変わったもんだな。同じ大学で勉強したりヨット部で遊んだ仲だったのに、今じゃもう警視庁の警部だ。僕は組織の中で働くのが性に合わないから、ちっぽけな探偵事務所を開いて、気ままに仕事をしているけど、それほど猜疑心が強くなっちゃいないよ」

「俺は、人を公平に疑うのが仕事だからしかたないのさ」

「僕は、事実を信用するのが仕事だと考えているよ」

 時尾京介はレインボーブリッジが見える事務所の窓から外を見て言った。

 警部の加茂は、時尾の自信に満ちた楽観的な見方に対抗意識のようなものを持っていた。それでも旧友の見解を聞きに来たのは、以前の久賀美麗の事件に時尾京介が絡んでいたからだ。絡んでいたと言っても事件と直接関係があったわけではない。久賀美麗の弁護士から時尾が調査を依頼されたとき、久賀に、決定的に有利な事実を調べ出したからだ。

「君は写真週刊誌でスクープされた事故は偶然だと思っているのか? たまたま今度の事故は大事に至らなかったけど、俺には五年前の事故をどうしても思い出さずにはいられないんだ。事故があってから一週間もして、どうして写真週刊誌にスクープされたかだ。単なる事故なら、なにも隠さなくてもよかったはずなのに、久賀はひた隠しにしていた。写真週刊誌にスクープされなければ何もなかったことになっていた」

「僕もその記事は興味があったので見たよ。大したことじゃなかったので言わなかった、と書いてあったじゃないか」

「一千万もするポルシェを駄目にしておいて、大したことがないなんて言い訳に決まってるじゃないか」

 時尾京介は、返事をしないで、加茂の顔をちらっと見ただけだった。

「ちょうど五年前の夏だったな。大物プロデューサーの菱野貞夫と久賀美麗がフェラーリで晴海埠頭の海に落ちた事件は・・」

 加茂は意味ありげに言った。

「その事件は事故ということで結論が出たじゃないか」

「確かに事故ということで結論が出た。菱野貞夫の親族が計画殺人だといって告訴したが、君の徹底した調査資料が根拠になって、計画殺人の根拠は全くないということになった・・」

「ほう・・、君はまだその事件が事故だということに納得していないようだね」

「俺は、犯罪と女の習性については君より詳しいつもりだ。一人の探偵事務所が扱う犯罪の量より、警視庁は、はるかに多くの犯罪を扱っているから経験は豊富だ。当時かなり売れていたモデルの久賀美麗が、年の離れた大物プロデューサーの菱野貞夫と電撃的な結婚をしたのは有名な話だ。久賀は菱野の力で女優になった。映画の主役を次々に自分のものにして人気女優になっていった。モデル上がりのスタイルの良さと亭主の力があればこの世界で出来ないことは無くなるさ。女は望むものが手にはいると欲望に際限が無くなってくる。女が起こす犯罪の多くが、際限のない欲望の高まりからきている。これは多くの犯罪事例から分かる。・・久賀美麗もご多分に漏れず同じ道をたどっている」

「僕は、久賀美麗の事故を調べたが、あれは事故以外のなにものでもなかった。それは僕が保証するよ」

「君、久賀美麗は女優だよ。演技をして人をだますのはわけないことだ。特に好感を持っている人には悪い印象を与えるはずがない。 ・・君が久賀美麗のような美人に弱いことは昔から知っているよ。彼女はまさに君の好みのタイプだろうからね」

 時尾京介は、あごを左手の長い指で触っていたが何も反論はしなかった。

「そのとうり、僕の好きなタイプであることに違いはない。しかしだ、真実だけを見つめる目を持っていれば、偽りのことに惑わされることはないよ」

 時尾はコーヒーの入ったマグカップを手にとってすすった。

 加茂警部は、自信のある声で続けた。

「君は、菱野貞夫の父親の死について何か知っていることがあるか?」

「いいや、菱野家はかなりの財産家だと言うことぐらいしか知らない」

「だいぶ前のことだが、久賀と菱野が結婚して間もない頃、菱野貞夫の父親は、自分の別荘の近くの湖に運転を誤って車ごと転落して死んでしまった。シートベルトがはずせなくって車から脱出できなかったんだな。・・このとき久賀美麗もこの別荘に来ていて、しかもこの車に同乗していた。久賀はなんとか車から脱出して助かった。高校生の時、水泳の選手をしていたぐらいだから水には強かったらしい。・・問題はこの事故の後に起きた遺産相続だ。久賀の夫の菱野貞夫が、父親の残したかなりの財産を全て相続した」

「それは、遺言書通りに相続をしただけで、どこにも問題は無いじゃないか」

「・・相続をしたことが問題なんじゃない。義父が事故にあったとき、久賀が義父の車に同乗していたことが問題なんだ。それに、自分の夫が財産を相続して、かなりの資産家になったということもだ」

「君は何が言いたいんだ? 久賀美麗が自分の夫の父親を殺して財産を狙ったとでも言うのか?」

「それは、俺には分からない。大事なことは、この事故で夫は親の全財産を相続て資産家になったということだ。当然、妻として久賀美麗は資産家の妻ということになった。このことで彼女は人生においていい経験をしてしっまったということだ。悪く言えば味を占めたとも言える」

 時尾京介は何も言わなかった。加茂は、久賀美麗の今回の事故には何か作為的なことがある、という推測の正しさを説明しようと、さらに話を続けた。

「五年前の晴海埠頭の事故も、義父の事故の延長線上にあると私は考えている。犯罪者は、一度味を占めると必ず二度目もやるものだ」

 時尾が口を開こうとすると加茂は右手でそれを制した。

「君は、事故だったと言うんだろう。それはその通り、調査したすべての資料は事故だということを示していた。・・・ただし、久賀美麗の心の中は別だ。心の中は誰にも分からない。本人と、・・・この私の他には」

「おいおい、それは妄想というものじゃないか。第一自分を育ててくれたプロデューサーでもある夫を失ったら困るのは自分じゃないか」

「妄想?・・・とんでもない、今回の写真週刊誌の事故のスクープで、私にはピーンと来たんだ。五年前の事故の時も運転していたのは久賀美麗だった。それに、夫を失っても久賀美麗は何も困ることなんか無い。今じゃ押しも押されもしない大女優だ。財産だって夫の持っていたものを全て相続している。夫の死によって久賀美麗はさらに、自由を手に入れたと言うわけだ。あれだけの美貌だから、妻の座にいるときだって男との噂が無かった訳じゃない。今の夫の原沢祐史だって、菱野の妻だったときから付き合いはあったと聞いている」

「ほう、それでは警視庁は噂話しで動くのかい」

 時尾は、加茂があまりにもむきになって話すので、一息入れさせる意味で言った。

「噂も情報の一つだ」

「では、今度は何の為に夫を亡き者にしようとしたと言うんだ。動機に心当たりでもあるというのかい?」

「君はもっと理解力があるのかと思ったよ。さっきも言ったように、味を占めると、犯罪者は同じ方法を何回も繰り返す。前に味をしめた方法で、犯罪を繰り返すものだ。今度の動機は、自分の名声を再び呼び戻す為だと考えている。久賀美麗は最近映画に出ていないからね。おそらく今の夫の原沢祐史が反対しているからだろう。原沢祐史ほどの俳優になると、自分の妻が自分より上の役で出演するのはプライドが許さないはずだ」

「そんなことはないだろう。久賀美麗と原沢祐史はおしどり夫婦として有名じゃないか」

「それは二人とも俳優だからだ、うまく演技をして見せているのさ。夫婦生活の全てを我々は知ることは出来ない。マスコミだけの情報で考えて、事実とは違う間違った判断をしているのさ」

 時尾は反論しようと思ったが、ここまで思い込んでいる人間の思想改革をするのは、かなり時間がかかると思い、考え直した。

 時尾が納得した表情を全く見せないので、加茂もここまで話して口を閉じてしまった。

 しばらく沈黙があった。先に口を開いたのは時尾だった。

「とにかく、久賀美麗と原沢祐史の仲がいいことを考えれば、君の考えているようなことはないと思う」

 加茂は、自分がこれほどまで話しても分かってもらえないことに腹立たしささえ感じていた。十年以上の歳月が、二人の間に深い溝をつくっていたとは考えたくなかったが、今回の事件で、見解の相違ははっきりしてきた。

「俺はもう少し調べることがあるので、これで失礼する」

 時尾京介は返事もしないで、事務所のドアを開けて出ていく加茂の後ろ姿を見ていた。