佐渡の不思議な感覚

高橋 義和 (首都圏在住)

受賞ご挨拶

著者 (42653 バイト)




 私が生まれてはじめて佐渡の地に足を踏み入れたのは、今から四年程前、相川の役所を訪ねた時でした。三十も後半にさしかかるこの年になるまで、就学旅行や仕事の関係で関東近県に行った以外は、ほとんど首都圏を出たことがない私が訪問した佐渡の地は、とても不思議な感覚を思い起こしてくれる地でした。それから数度訪問していますが、やはりいつも不思議な感覚を呼び覚ましてくれる島です。
 まず第一の不思議な感覚は、飛行機という手段もありますが、通常は佐渡以外の地から佐渡へ出入りするにはかならず佐渡汽船の船を利用しなければならないことに起因する感覚です。
 地つづきで東京近県どこでも電車で移動できるものとしては、船が移動の主たる交通機関になっているということが感覚的にとても不思議です。当然、小学生の頃から社会科で日本有数の大きな島としてその位置もだれもが熟知する島ですから、島へ「船」でというのはあたりまえですし、頭では理解しています。しかし、感覚的に不思議なのです。東京から新潟までは移動の感覚が日常的なのですが、新潟から佐渡汽船に向かう路線バスに乗るころから感覚がわからなくなり、後は非日常の世界という気がします。これは「船」に対して、観光や遊覧以外の日常輸送機関という感覚を身につけたことがないから当然なのかもしれません。新幹線が通勤手段として認知されはじめてきた現在でも、船は特別なような気がしてなりません。この「船」でしか行けないということが、ある種の神秘的な性質を佐渡に保ち続けているのでしょう。新幹線などで、軽々しく行けないことがいいのです。でも毎日島から新潟まで通勤や通学しているひともいるという話を聞いたこともありますが、それは本当なのでしょうか。そのようなひとがいれぱぜひお話を聞いてみたいところです。
 第二の不思議な感覚は、非日常の先の空間には、いつもこちらが見慣れた日常があふれていたということです。スーパーあり、コンビニあり、カラオケボックスあり。高校生はルーズソックスをはき、全国展開の居酒屋がある。首都近県にありふれている本やCDの店があり・・。島で生活する人の便利さを考えればあたりまえのことですが、非日常の世界へと来た感のある島外者にとっては、やはり不思議な感覚です。しかも、どの店も新しい店は、首都圏より立派できれいで品揃えも豊富な気がしますし、サービスもよさそうです。ただ、他の地域にすぐに避難(つまり埼玉県なら川を越えてとなりの千葉県や東京都へすぐにうつり気に遊びに出たりすぐ掃って来たりできる)できないという心理的な圧迫感、そして島内で生活を完結する窮屈さというものを認識しはじめてしまうと、また不思議な感覚に陥って、日常と非日常の境目がわからなくなり、両者が渾然となった異次元空間的感覚が生じるといったらオーバーでしょうか。
 第三の不思議な感覚は、佐渡を訪問するということと佐渡で生活するといったことの間に果てしなく遠いようでひょっとしたら表裏一体なのかもしれない、超えられないそして超えるべきでない境界があるような気がするということです。抽象的なようですが、たとえば佐渡にあくまでも観光としてたまに訪問するということを考えると、とても理想郷に近く感じられる島ですが、生活してつまり日常を認識することはとても難しく想像できない。しかしながら、いつか過去に自分が生活したことがあるような気がする風景があちらこちらに散在し、しかし、そこが真野町のどことか佐和田町のどことか聞いたりみたりしてしまうと急に現実に逆もどりしてしまう、その一瞬のとても早いことというか。
 忘れかけている理想と現実の境目が実は自分で勝手につくってしまっているもので、それに自分が流されている、そんなことをふっと思い出させてくれながら、次の瞬間には現実を強く意識させてくれる。そして日常からきりはなした空間としての佐渡は、とても神秘的な理想郷的な様相を容易に訪島者に感じさせてくれる。しかし、その核心部分にはよそ者を容易には受け入れてくれず、選ばれた一部の者のみが生活を許される、そんな崇高な島のような気がしてなりません。
 なんだか心に思ったことが上手に表現できません。文章にするなどおそれおおい島なのかもしれません。そのへんのことを割り引いてこのつたない文章をお許し下さい。でもなんとかまとめてみます。

 これらの感覚を総合すると、どうも佐渡は「金」の島というか(あたりまえか)、人間の宝・守り神のような気がします。佐渡島が存在するという事実が、ひとの心に安らぎを与えて、一度訪問した人は、例外なくリピー夕ーとなるような、そんな神秘的な魅力あふれる島のような気がします。もっと深い表現がありそうですが、前述のようにやはりおそれおおくて上手には表現できません。しかし、はっきり言えるのは、地つづきの日本の他の地にはとてもかなわない魅力が佐渡にはありそうです。このいろいろな魅力を探しに、近く再度訪島してみたいと思います。
 このたびは、名誉ある「佐渡観光情報局局長賞」という賞をいただきましてありがとうございました。 (1998,06,01)

 


著者経歴

 


 

選考理由

   前回の「朱鷺がさようならといった」もそうだが、少しだけ、時代に先行してい
   る作品が選ばれる。「朱鷺・・・」のあと、「朱鷺の遺言」というハードカバーが
   出版され題名がパクられた思いだった。多くの資料の堆積に埋もれることな
   く少しだけ、未来への提言がなければ大手出版社の本も陳腐になる。
   さて、本題の「15の夏」は我々を震撼させた。現代において、こういう恋愛は
   消滅してしまった。鋭い夏の太陽の光線に繁栄を享受していたわれわれの
   心はこっぱみじんに吹き飛んだ。こちらが、ハートのカードを15年にわたって
   出し続けても、相手は、ダイヤのカードを出し続け、ゲームにことごとく勝利し
   てきた。しまいには、ハサミを出してこちらのハートを切り続けていた。その勝
   利が今度は環境破壊・経済崩壊で泡と消えようとしている。ふたたび、彼らは
   チョキを出し続け、つまり人を騙しながら、勝利を続けていこうとするのだろう
   か。心にやましいおもいがあるとき、必ず、この少女の心に立ち戻るために
   この「15の夏」を読み返したことを選者は告白しておく。(S)

   環境守護者が、資料を提出しないで、本則の心を提示した。満場一致。(T)

 


今回の掲載はインターネット縮小版です。完全版はいずれ公開されます。

ホーム15の夏本編

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