
| the way to Madrai 朝、7時半 杉村さんがドアをノックしてくれて、目が覚めた。 今日から3日間インド最南端への旅に出かける。後2週間で帰国する自分にはこれがインドへの素敵な思い出になるには違いない。そんな期待を胸にひめて、3日間の着替えとデジカメをリュックにさっさと詰め込んだ。もちろん、デジカメで撮った写真のバックアップ用にノートパソコンも一緒に持っていくことにした。 900キロ先の最南端のああに一気に到達するのはあまりにも無謀なため、途中マドゥライでやとを見つけて、そこを拠点として、ああなどを回る計画だった。 朝、8時、新車のスズキに乗り込んだ。この車は杉村さんが腰を痛めた奥さんへの配慮でこの間買い換えたばかりだ。これからの旅はこの車にとって、初のな長いドライブになるわけ。運転手のサンパスに「安全運転を頼む」と杉村さんが一言を言って、私たちの小さいな旅が始まった。 この日の天気はとてもよくて、曇り空で日差しもちょっといい程度だ。ガソリンスタンドで満タンにしてから、国道45に入ってそこからマドゥライまで一直線だ。 東京ではすでに秋に入ったこの季節は、ここ南インドでは依然気温が高くて、秋の気配をちっとも感じ取れない。40分くらい走って、チェンナイを出て、周りの景色がだんだん変わってきた。道の両側に小さいな岩山が続いているなか、車は風を切って、静かに走行している。冷房の効いた車内では、日本の歌が流れている。 しばらく走行すると、道の中央分離帯がなくなり、一本の線だけで上りと下り車線を分けている。大きなガソリン輸送車の上に5、6人が乗っており、今にも落ちそうな姿勢で危ないと思ったら、前はスケルトン車が走っているのを発見した。これは徹底したオーペンカーであり、運転席の周りに何にもない、運転手さんの足から頭まで全身車輪とエンジンの上にそのまま乗っている形で、なんとも言えないほどの滑稽な格好だ。もちろんドアもなく、シートベルトともない。どんでもない、あまりにも常識ずれだ。この道路は普通の道ならともかく、インドの高速道路とも言われている道で、このまま飛ばしたら、その運転手さんがいつか必ず事故遭う。しかも一台ではなく、何台も見掛けた。ここから続々と出会う気違いドライバーの皆を区別を付ける為、ここで彼らをスケルトン運転野郎と呼ぼう。(失敬) このまま、3時間ほど車を飛ばしつづけた。後部座席に座っている杉村さんが突然「音楽は左のスピーカから出ていないよう。おかしい。」と。そう言われてみればそうだが、確かに音楽は右側だけから来ているような気がする。ちょうど運転手のサンパスもコヒーを飲みたいと申し出たため、車を路肩で止めた。 3人は道のそばにある「露天喫茶店」にはいり、しばらく待つと、3杯のコヒーが渡された。とても簡素のお店だが、ここで頂いた田舎のコヒーは本当に美味かった。休日のこともあって、5、6人の客が長い椅子に座りながら、世間話でもしているようです。そして、中に一人が立ち上がり、そこに吊るされているバナナに手を伸ばして、一つ取った。これが勝手に取っていいものかと女店主のほうを見た。彼女は何も言わずに黙々と仕事をこなしている。 コヒーを飲み干し、さすがにトイレに行きたくなった。振り返ってみると杉村さんはすでに木の陰に向かっていった。諦めずに回りの人にトイレの所在を尋ねた。皆が店の裏に指差した。しかしそこに行ってみると、トイレなどがないが、道路からここが見えないはずだ。まあ、いいか。小さいとき山の中で生活をしているとき、家から外に一歩を出るとトイレなどもなかった。しかし、正午の南インドの強い日差しのもと、そよ風の中のおしっこは気持ちよかった。(本当に何を言っている、バカ) 車に戻る前、道端でヤギの肉を売っている人を見つけた。殺されているヤギはそのまま吊るされている上、ヤギの肉をさばかれている板の上に、頭二つがそのまま置かれている。おお!これは衝撃的な映像だ。 再び出発する前、スピーカの問題を解決しようと後ろカバを開けてみると、左スピーカのコネクタが見事に外れている。これじゃ、音は当然出ない。杉村さんがそれを繋いで、車に戻り、音楽をかけると、ほっ、ステレオに戻った。 さらに2時間走行すると、すでに午後1時くらいになった。お腹がすいてきた。サンパスは「Hotel Tamilnadu」というレストランの庭に入って車を止めた。たとえ客室がなくても、インドのレストランは時々「Hotel」を使う。これが非常にややこしい。しかし、地元の人によると、外から建物を一目見れば、分かるから別に不便はないと。そうは言われてもね。 このレストランはインド料理しかない。面白いことにインドでレストランで定食を注文する際、大抵定食は一種類に決まっているため、選択するには苦労しない。3人は定食を注文し、そしてコーラ-。コーカコーラ-はやはり偉い、世界のどこに行っても、コーカコーラ-が必ず売られている。インドに来て、衛生的な飲み水をなかなか得られなくて、替わりにコーラ-を毎日飲んでいた。杉村さんと二人で二日間三本のペースで、結構な量になっていた。 大きさ5百円玉2個分の皿が3、4個が並べられでも、これだけでは少し物足りないので、鳥の唐揚げも注文した。しかし、今日は土曜日のため、サンパスは肉を食べない、彼がそれをパスした。注文してから、随分時間が経っても、唐揚げは来ない。杉村さんが店の人に苦情を言った。 「すぐ来るから、1分以内に」 「本当、ほんじゃ今から数えるよ。」 その冗談が通じて、その人が厨房の方に急いだ。まもなく、唐揚げが来た。それを見ると、思わず笑ってしまった。杉村さんは「肉はどこだ、これじゃ骨揚げや」 「まあ、まあ、お客さんそれが歯ごたえがあり、味が評判ですよ。」 カチンカチンに揚げられた鳥をよく噛むと、店の人の話は少し納得できるようになった。 ご飯の後、再び出発だ。 途中、水田に突っ込んだトラックを見かけたり、ヤギの「大軍」と出会ったりしているうちに、周りが暗くなり始めた。遠く延々と延びている道路に黒い雲が地面までかかっているように見える。その中に車が突入した。ちょっと怖かった。 はじめに大粒の水滴がパラパラとフロントガラスを叩いた。次に一気に暴雨となった。たちまちフロントガラスが真っ白になり、道路に水溜りが出来、先まで少しうるさかったステレオも雨の叫びに埋没された。まるでお婆ちゃんがささやいているように聞こえる。しかし、車窓の外、細長い棒を手にしているパンツ一丁の羊飼いの人静かに羊たちのそばで立っている姿がなんともいえない程頼もしい。その光景が目に飛び込んできたとき、時間が一瞬止まっているように見えた。 マドゥライで宿泊先が未だ決まっていないため、杉村さんが携帯を使い、マドゥライのTAJホテルに電話した。しかし、ガードブックが古かったため、そこに乗っている電話番号は違っていた。次にチェンナイのTAJホテルに電話し、電話番号を入手した。杉村さんが向こうに自分が居住証明書を持っていると伝え、インド人と同じ値段で部屋を予約することが出来た。7時半頃到着する予定だ。 しかし、それがこの後発生したトラブルによって、大きく遅れた。 Trouble occured マドゥライに入ったのはすでに6時半だった。 この日、マドゥライの共産党が大きな集会を開催していた。道がとても込んでいた。私たちの車が停車中に、反対車線からの一台のバイクが車の右側と接触、そのまま行った。 今回の車は新車だし、その上杉村さんも出資者の一人である。杉村さんとサンパスが素早く車から降りて、相手を追っかけた。自分も下車して一緒に行こうと思ったが、サンパスが鍵をさしたままで、道は依然込んでいた上、対向から警察一名がこっちに向かってきた。警察は「どうしてここで停車するの?早くどいて下さい。」 「退きたいが、運転手がいない。それよりうちの車をぶつかったやつをその辺でつかまっているから、処置お願いします。」 しかし、警察はすぐにはそっちに行かなかった。サンパスが戻ってきて、車を道そばに止めた。自分が車から降りて杉村さんのところに走った。そこはすでに何人もの見物人がいた。杉村さんが真っ赤の顔をして、相手と口論していた。あんなに怒った杉村さんを見るのは初めてで、そして、日ごろ本人に言われた通り、怒る場合普段より一段と流暢な英語になっている。自分は相手のそばに立ち、いざと言う時相手を止めなければならない。 警察もやっと来たが、「早く車を出せ」と言うばかりに、事件を解決する姿勢はこれぽっちもない。もちろん、調書なども取られていなかった。相手もチンピラの本性を丸出し、こっちを脅迫するような言葉を連発した。相手が言っていた勤め先の電話番号に電話したら、全然違ったものになっている。だめだ、これ以上争っても、結果は得られない。この国は、本当に法治国家なのか。「ひき逃げ野郎」への憤慨のあまりに、ホテルで法治国家の英語での言い方を辞書で調べる始末になった。インドの友人にそれについて聞きたいくらいだった。 小雨の中、車に乗り込んで、TAJホテルに向かった。時計がすでに7時半を回っていた。そして、まもなく私たちの車が渋滞にはまった。道端に立っている人たちの話によると、共産党の集会で道は麻痺状態だった。しかも、ここまで来るとU-タンも出来なくなり、最悪。 時間は少しずつすぎていた。四十分以上を待った末、やっとその道から左折して、逃げ出すことが出来た。しかし、喜びもすっかの間、サンパスは道を迷ってしまった。しばらく走行すると、町が停電になり、街灯が消え、道の状態も一段と悪くなり、彼はとうとう車を止めた。サンパスは、車のそばで自転車を漕いでいる一人の少年に道を聞いた。 「小僧、TAJホテルへの道を知っているか。」(タミル語で話が交わされたので、事後サンパスにどういう会話だったのか聞いた) すると、ついて来いような意味で少年は2、3回手を振った。少年は自転車を乗って、車の前を走って、道を導いてくれた。しかしその道は地元の人間じゃないと絶対分からないようなものだった。車が狭い路地を蛇行してくくり抜けていった。そこはインド人のごく普通の商店街兼住宅街だった。なかには、宣伝のため、でかいスピーカを使い、ボリュームをマックスにしてインド音楽を流しているお店がある。私たちの車がその前を通る際、車窓が全部閉まっているにもかかわらず、耳が痛いほどだった。店のすぐ隣に住宅ビルがあり、そこの住人はたまらないでしょうね。ここでも、多くのインド人自分さえよければ、他人はどうでもよいという悪い本性が丸見えだった。車が少年の後を続いて、だいぶ走った。(4キロはくだらないかもしれない)途中で杉村さんと二人で「どこに連れて行かれるでしょうね。」と不安そうに話したりしていた。そして、ようやく大きな道に出ることが出来た。サンパスもほっとした表情をした。小僧いやこの少年のお陰で、私たち窮地から脱出することが出来た。感謝の意を込めて、杉村さんから20Rsを差し出した。少年はそれを拒否した。金のためではないといった。私たちは感謝の意を表したいと彼を説得した。少年はようやくお金を受け取った。 サンパスはまっすぐに車を発した。後ろから「まっすぐ行っちゃだめよ、そこで右に曲がってください。」と少年の叫び声が聞こえた。 しばらく走った後、TAJホテルの看板が見えてきた。 TAJか、ついに到着。 TAJ hotel 守備員小屋がついている大きな門をくぐり、TAJホテルの敷地に入った。中のプライベート道路で山を上り、山頂にはTAJホテルの建物がある。この山もホテルのものだと聞くと、そのとんでもない大きさにただ驚くばかりだった。そして、一歩敷地の中に踏み込めば、そこは外の喧騒な町とうっと変わり、とても静かだった。秋虫の鳴き声、車のライトに照らされている薄い霧が、私たちに童話の世界にいるような錯覚さえ与えてくれた。 予定時間より大幅に遅れたため、部屋はすでに他のお客さんに取られた。残っている部屋は予算より高い。ここは杉村さんの腕の見せ所だった。うまく会話を交わしながら、ホテルのフロントとまるで友達みたい。つい、同じ値段でワンランク上の部屋で泊まることが出来た。 杉村さん本領発揮。 ここTAJホテルの客室は大きなビルではなく、山頂に所々に建てられた2階たてのなかにある。階段を上って、まず目に見えるのは広いベランダ、ソファも付いているし、お茶を飲みながら、ここで家族や友達とおしゃべりするのも最高かも。 室内もいままで泊まったビジネスホテルとはさすがに違う。ゆっとりとした広広の部屋の中にシングルベッド二つ、ソファ、机などがある。床の絨毯まで垂らしているカーテンを開けると、窓の外、夜マドゥライが一望できる。百万ドルの夜景にはならないが、それなりにきらきら光っている。 このTAJホテルを拠点に、明日インドの最南端へ出発。 この夜、いつもより早く就寝した。意識朦朧の中、杉村さんの笑い声が聞こえた。おい、大丈夫か。そして、後で本人からも「夢を見て、思い切り笑って、目が覚めた」と、昼間トラブルに見舞わされても、夜は笑えたのは、やはりすごい人だ。 翌朝7時半、杉村さんに遅れて、駐車場に行くと、「サンパスのやつ、車の鍵を中に閉めちゃった。」と言われた。 はあ?車の方を見ると、パンツ一丁の焦りまくるサンパスの姿があった。ホテルの職員、他の車のドライバ、総動員で車に取り掛かった。「ワイヤ、ワイヤ」と杉村さんが何度も求めた末、やっとワイヤが来た。そこで、別のドライバがそれを車窓の隙間から差し込んで、ドアを開けることが出来たが、中の部品一個落ちて、ドアが今度ロックできなくなった。そこで、ドライバでドアの内側をはずして、何回かトライしているうちに、かろうじてドアをロックすることができるようになった。サンパスは全身、汗でビショビショだった。シャワーを浴びたサンパスが帰ってきて、私たち出発したのはすでに8時半を過ぎたところだった。 今回の旅、本当に何でもござるという感じ、先がまた長い。 |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
メール |
トップ |