戯れ言

35mm
 会社で荷物の整理をしていたら、面白い物をみつけた。デジカメのご先祖様の「電子スチルカメラ」である。VHSテープを一回り小さくした大きさで、画素数は表示されていない。1980年代後半の製品で パソコンと接続できるのかどうかは分からなかったが、テレビにつないで写真が見られるというのがウリのようだ。
 すでに15年以上前から、デジカメが一般家庭向けに売られていたことに感心したが、「電子スチルカメラ」という苦肉のネーミングに思わず笑みをこぼす。数年後に「デジカメ」といえばほとんどの人々が理解し、しかもその画像を携帯電話でやりとり出来るようになるなんて、開発者は想像できたろうか?
 その当時、私はコニカのBig miniという35mmフィルム用のカメラを手に入れて、撮影しては現像にも出さずに満足していた。写真家が親戚にいたせいで子どもの頃から一眼レフに親しんできたが、大げさな一眼レフでは被写体の表情がこわばってしまうし、レンズやファインダーの汚れやカビを心配しなくてはいけないので、安価で手軽な Big miniを手に入れたときは、正直、気が楽になった。呪縛をほどいたといったら言い過ぎかもしれないが、肩の荷がおりた。
 デジカメを手に入れた後は、撮影したらすぐに見られる手軽さと、パソコンに取り込んで整理できるという便利さにすっかり甘えて Big miniを放ったらかしにしていた。机の引き出しに入っている未現像のフィルムは、なおさらに放ったらかしだった。
 改めて机の引き出しをあけ、普段は手に取らないフィルムをつまみ上げると、すでに何を撮ったものなのか、すっかり忘れている。なんだかミステリアスな感じがして、まとめて現像に出した。
 数日後、写真はできた。スペインを旅したときのモスクの壁の模様の接写やら、熱帯魚やら、奥会津での記念撮影やらがプリントされていた。断続的な時間を切り取った写真は、いつ撮ったものなのか記録がないために、過去の時をいったり来たりしている。加えて、現像せずに放置して置いたことで、一部のネガは黄色っぽく変質していた。
 データもなく、黄ばんでしまっている写真だが、眺めていると気持ちは晴れやかになった。35mmの写真は、人間の記憶と似ていると思った。時に褪せ、時に輝き・・・人間の都合で変化する記憶。色あせず、確かな証拠として撮影日時が記録されるデジタルな写真も便利だが、思い出には変化することも必要だ。
 いま、鞄の中に35mmのカメラを放り込んだ。あしたからまた、自分の記憶をフィルムに焼き付けてみようかと思う。
2001年10月02日 00時22分11秒

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